読売新聞「昭和時代」統帥権干犯
読売新聞の土曜日朝刊に連載されている「昭和時代 第3部 戦前戦中記 【1926~1944年】」が面白く、最近の週末はこれをじっくり読む事が多い。先週の「張作霖爆殺事件」では満州事変に至った昭和初期に何があったのかを知る上で興味深かった。今週の「ロンドン海軍軍縮条約」でも明治憲法の天皇の位置づけや統帥権について学ぶ事ができ、政党の党利党略が国の針路にいかに大きな影響を及ぼすのか、改めて考えさせられたのであった。なにしろ中学や高校の歴史の時間に我々が学んだ昭和の初期といえば、「鎌倉幕府がイイクニ」などと習ってきた一年の最後に、何とかカリキュラムを終わらせる為のやっつけでやる時代だから、週末のゆったりした時間に、あらためて昭和史をじっくりと見直す意味は大きいと思うのである。
今週の昭和時代「ロンドン海軍軍縮条約」では、1930年(昭和5年)浜口内閣がロンドン軍縮条約で妥協した海軍軍縮案に対して、当時総選挙で大敗した野党政友会が政争の具に、条約調印は内閣の越権行為だと論陣を張って騒然となった「統帥権干犯」事件を取り上げている。「統帥権」などと云う言葉は戦後生まれの我々には馴染みがないので、この記事を読みつつウイキペディアなどを検索すると、明治憲法下で国家が軍隊を指揮命令する最高権限を統帥権と云い、条約調印は統帥権に関するものか、内閣ができるのか、軍令部の権限下になるのかが問題になったのだとされている。明治憲法下では海軍大臣が内閣の一員として軍務の責任を負っていた一方、作戦や用兵は海軍では軍令部(帷幄機関)が天皇を直接輔弼(天皇に進言し採択を要請)するという規定であった為、海軍内部でも権限は大臣にあると主張する派と軍令部にあるとする派に別れていたそうだ。
倒閣を目指していた野党政友会は、軍縮条約の調印は浜口内閣が統帥権を犯して決めたとネガティブキャンペーンを展開し、軍を巻き込んで国論2分となったとされる。翌年の満州事変後、時の流れで海軍省よりも軍令部寄りの人事が続き、海軍省に対する軍令部優位の道がひらかれ、ひいては対米参戦論者の時代が到来したとこの記事は教えてくれる。翻って現在の政治を見ても党利党略の為に大局を見誤った政党の主張がまかり通り、それがポピュリズムに結びついて国を危うくする方向に進んでいないのか、はたまたネガティブキャンペーンの正当性があるのかなど、歴史を読むと考えさせられる点が多い。党略に結びついた「統帥権干犯」問題を機に軍部が政治への圧力を強めていき、戦争への一つのターニングポイントとなった事を知ると、政党間の政争や駆け引きも見すごせないと思ったのであった。
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