« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

2013年5月30日 (木)

雑誌「クルーズ・外国船寄港のネックとは」を読んで

雑誌「クルーズ」7月号の「現状を知るために外国船寄港のネックとは」と云うコラム、この雑誌の発行会社である海事プレス社の横浜支社長が執筆しているそうだが、その内容がちょっと気になった。日本に於けるクルーズ船の様々な規制を取り上げ警鐘を鳴らすコラムの趣旨には諸手を挙げて是とするも、瀬戸内海の強制パイロットの是非や前長200米を超える巨大船の夜間航行規制について、「ロイヤル・カリビアン・クルーズ・リミテッド(RCCL)の担当者からは、『近年の客船にはGPS(衛星利用測位システム)がついているのでパイロットはいらなくなっているんだが』という声を聞きます」という下りは、専門家がそんな事を言ってどうするのと突っ込みを入れたくなる。


ここではGPSがあれば、あたかも瀬戸内海が通行できるかの如くに記されているが、仮にGPSを百歩譲って電子海図(ECDIS)と読み替えても、そんなものだけで外国の巨大な客船が瀬戸内海を航行できるとは到底考えられない。瀬戸内海は渦潮で名高い数々の瀬戸がある様に潮の流れが激しい上、宇高連絡船「紫雲丸」事件の原因となった濃霧が季節によって発生する。春から夏はこませ漁が航路の中でも行われ、この海域に慣れない外国船は1万総トン未満でもしばしばパイロットを取る。電子機器の情報には気象・海象や漁船の操業情報は表示されないから、電子機器が装備されればパイロットが不要だとは思えないのである。また全長200米以上に適用される夜間航行規制についても、小型船に比べて運動性能の劣るパナマックス型以上の貨物船が200米以上なので、線引きも決しておかしなものとは云えないだろう。


同コラムではカボタージュ規制も日本のクルーズのマイナス要因であると指摘している様だが、その主張にもちょっと首を捻る。インドネシアやオーストラリアなど自国に十分な内航海運産業を持たない国は、外国船による国内輸送参入を一定の範囲で認めており、EU諸国やインドも規制緩和に動きだしているのは事実。しかしクルーズ大国のアメリカを始めとする世界の主要国ではカボタージュ規制を行う事が一般的で、米国シアトルから発着するアラスカクルーズの客船も、この規制のためにカナダのビクトリアにワン・タッチする。日本の様に内航海運が発達し、また自国籍船でクルーズできる国において、カボタージュ規制の特例を設けよとコラムが主張しても、これは空しく響くだけであろう。


ただコラム子が考える様に、様々な規制が日本のクルーズをコスト高にしているのは事実で、その追求に「クルーズ」誌などのメディアはこれからも大いに論陣を張ってもらいたい。私は外国人クルーを多数乗せた日本船が、組合対策の為だろうか、年に数回韓国や中国に延航しなけらばならない事もそろそろ辞めたら良いと思うし、港内の操船に2Lの法則を適用してタグを常時待機させるのも日本の操船技術をして必要なのかと思っている。旧飛鳥だった「アマデア」が、アムステルダムやワルネミュンデでタグなしで入出港しているのを見たり、外国の10万トンを超える巨大クルーズ船がスラスターだけでいとも簡単にその場で回頭するのを見ていると、日本船も安全第一で行くのか国際基準で行くのか、なかなか悩ましい処だと考える。

巨大船を示す円筒形象物がマストに掲げられている様子(飛鳥Ⅱ・関門海峡にて)上
夜間はマストに回転灯(同)下
230130530

20130530

2013年5月26日 (日)

読売新聞「昭和時代」統帥権干犯

読売新聞の土曜日朝刊に連載されている「昭和時代 第3部 戦前戦中記 【1926~1944年】」が面白く、最近の週末はこれをじっくり読む事が多い。先週の「張作霖爆殺事件」では満州事変に至った昭和初期に何があったのかを知る上で興味深かった。今週の「ロンドン海軍軍縮条約」でも明治憲法の天皇の位置づけや統帥権について学ぶ事ができ、政党の党利党略が国の針路にいかに大きな影響を及ぼすのか、改めて考えさせられたのであった。なにしろ中学や高校の歴史の時間に我々が学んだ昭和の初期といえば、「鎌倉幕府がイイクニ」などと習ってきた一年の最後に、何とかカリキュラムを終わらせる為のやっつけでやる時代だから、週末のゆったりした時間に、あらためて昭和史をじっくりと見直す意味は大きいと思うのである。


今週の昭和時代「ロンドン海軍軍縮条約」では、1930年(昭和5年)浜口内閣がロンドン軍縮条約で妥協した海軍軍縮案に対して、当時総選挙で大敗した野党政友会が政争の具に、条約調印は内閣の越権行為だと論陣を張って騒然となった「統帥権干犯」事件を取り上げている。「統帥権」などと云う言葉は戦後生まれの我々には馴染みがないので、この記事を読みつつウイキペディアなどを検索すると、明治憲法下で国家が軍隊を指揮命令する最高権限を統帥権と云い、条約調印は統帥権に関するものか、内閣ができるのか、軍令部の権限下になるのかが問題になったのだとされている。明治憲法下では海軍大臣が内閣の一員として軍務の責任を負っていた一方、作戦や用兵は海軍では軍令部(帷幄機関)が天皇を直接輔弼(天皇に進言し採択を要請)するという規定であった為、海軍内部でも権限は大臣にあると主張する派と軍令部にあるとする派に別れていたそうだ。


倒閣を目指していた野党政友会は、軍縮条約の調印は浜口内閣が統帥権を犯して決めたとネガティブキャンペーンを展開し、軍を巻き込んで国論2分となったとされる。翌年の満州事変後、時の流れで海軍省よりも軍令部寄りの人事が続き、海軍省に対する軍令部優位の道がひらかれ、ひいては対米参戦論者の時代が到来したとこの記事は教えてくれる。翻って現在の政治を見ても党利党略の為に大局を見誤った政党の主張がまかり通り、それがポピュリズムに結びついて国を危うくする方向に進んでいないのか、はたまたネガティブキャンペーンの正当性があるのかなど、歴史を読むと考えさせられる点が多い。党略に結びついた「統帥権干犯」問題を機に軍部が政治への圧力を強めていき、戦争への一つのターニングポイントとなった事を知ると、政党間の政争や駆け引きも見すごせないと思ったのであった。

2013年5月23日 (木)

クルーズ船・シャトルバス

海運業の業界紙である日本海事新聞5月21日付け”記者の視点”と言う欄に「今春の外船寄港に思う」と題しておもしろいコラムが掲載されていたので以下引用してみる。


「西日本の港から聞いたケース。この港では、岸壁から町の中心部まで少し遠いことから『無料シャトルバスを提供しましょうか』と船社側に打診したという。帰ってきた答えは『寄港地観光が売れなくなる恐れがあるから、シャトルバスは不要』だった。この答えを返してきたのは、本船をチャーターした旅行業者だったという。」

「もう一つ。乗船客に港周辺にある観光ポイントや地元の魅力を少しでも知ってもらおうと、ある港の関係者は新しいタイプの寄港地観光を提案した。本船サイドからの答えは、先のケースと同じく『その申し出はお断りします』。回答の主は本船の寄港地観光を扱う旅行業者からで、やはり『すでに販売を始めている既存の寄港地観光ツアーが売れなくなる』との理由からだった。」


このコラムでは客船寄港による経済効果をアメに、地元に歓迎セレモニーやサービスを提供させておきながら、乗客の利便性より旅行業者の収益が優先する事に記者は釈然としないと嘆いている。考えてみると日本船の場合はたとえ便数が少なくとも、たいていは寄港地で町まで何らかシャトルサービスがあるのに対して、外国船の場合には料金が安い一方こんな不便がある様だ。外国船に関係した旅行業者にしてみれば、日本人向けにさまざな工夫をする上に、船内に日本語のわかる人を多数配置してコストが嵩む一方で料金は抑えなければならないから、オプショナルツアーで収益を確保したいという気持ちになるのも判らないではない。


ただ余りにもあこぎな稼ぎ方をすれば「何だ、日本船より遥かに安いと思って乗ったら、酒の持ち込みはできず結局高い酒代はとられるし、港から町へ行くタクシーは高いしでもう二度とクルーズ船には乗らない」という人が増え、せっかくの客船人気も一過性に終わる恐れもあって、このコラム子の指摘ももっともだとうなづきたくなる。港から町までの距離がある場合にはたとえ少々料金が高くともシャトルバスを運行をする事が、永い目でみれば船会社や旅行社の得になるのではないだろうかとも思う。それとともに我々はしばしば寄港地でレンタカーを借りてあちこち行くのだが、ハワイで見た様にレンタカーの業者が港まで来てクルマを利用できたらさぞ便利なのになあと感じるのである。
20130523


2013年5月21日 (火)

シティー・オブ・ローズ

20130518_2

夏も近づくこの季節、特に東日本では早朝から明るい日差しがふり注ぐ。こんな気持ち良い朝に寝坊をしているのは勿体ないと思って、週末に限って個人的に夏時間を採用している。居間にある時計の一つを一時間進ませて、自分だけそれに合わせて生活するのである。そうすると朝の5時が我が家では6時となるから明るくなる頃に起床でき、普通の日没の7時が8時となるから人より長く日差しが楽しめる。元来これは緯度の高いところで暮らす人達が、夏の太陽を享受する為に考え出した生活の知恵だが、東京でも夕方7時頃に暗くなるのが何とも残念でこんな事をして面白がるのである。


妻からは混乱するから止めてとこの夏時間が不評なのだが、夏の夕方7時(本当は6時)まだ明るいうちにビールを飲みだすと、欧米に居る様な気分になって一日がちょっと得した気分になる。この季節のもう一つの楽しみは、町のあちこちに咲く花を眺めながら歩いたりジョギングをする事で、特に日比谷公園のバラの花がキレイで時々眺めるのが楽しみだ。園内あちこちで今が盛りと咲き誇っているいろいろなバラを見て廻ると、バラといっても随分と種類があって、この花が世界中で絶え間なく品種改良されてきた事がわかる。そのゴージャスな咲きっぷりを見ていると、こちらまで何とも豊かな気持ちになって、バラが「地上で最も美しい花」とか「花の女王」と云われ愛好者が多いのもなるほどと思う。


明るい夕方にバラを見ていると出張でよく行ったバラが咲く街、北米西岸オレゴン州のポートランドが思いおこされる。ポートランドはアメリカでも”シティ・オブ・ローズ”と云われ、ダウンタウンに程近いバラ園では、この季節になると花が咲き乱れていた。夕方は9時過ぎまで明るいから、昼に一仕事を終えた後に夕方から気軽にゴルフを楽しむ事ができて、暗くなる前にどこのホールまでたどり着けるか同伴者と先を急いだものだった。ゴルフを上がった後に地元ブランドのビール”ヘンリー”をプハーッと飲むと、あたりは森の匂いに混じって花の芳醇な香りが漂って何となく贅沢な気持ちになったのである。夏が近づくこの季節の夕方になると、太陽の明るさと共に昔のよき思い出が蘇ってきて、いつまでも日が落ちないで欲しいと思ったりする。

今が盛り日比谷公園のバラ
20130518

2013年5月20日 (月)

志木高出身の第2エース

201305201

日曜日は初夏の日差しの下、神宮球場の東京六大学野球、慶応ー明治、法政ー早稲田の観戦に行く。リーグ戦後半の好カードとあって、相変わらず初老のファンが多いものの、神宮球場は1万数千人入っているようだ。特にこの日ひそかに期待するのは母校である慶応2年生の左腕加嶋君(慶応志木高校)のピッチングである。というのは慶応義塾一貫教育校のうち、日吉にある慶応義塾高校(塾高)にはかなりのジュニア逸材が集まって、彼らは大学でも活躍しているが、一方で特別に野球を強化していない志木高校や湘南藤沢高校出身の選手の中から努力してリーグ戦に出場してくる選手がいる。そういう無名の選手の姿を神宮球場で見る事は、進学校から進んで来た者を応援するのと同様に神宮球場の野球観戦を楽しいものにしてくれる。


なにせ慶応志木高校出身のピッチャーといえば、2004年に卒業して日石エネオスに進んだ清見君以来ではなかろうか。加嶋君はすでに第2エースとして今シーズン数試合に登板しているが、どんなピッチャーなのか私にはまったく情報がないので、予想通り登板した彼のピッチングに注目してみる。初めて見た彼の体はそう大柄でもないし直球も130キロ台の前半で、スタンドから見た目には今にも長打を浴びるのではないかと心配になるが、ランナーは出すもののどうも打たれそうで打たれない。どうやら長く空中に上げている右足でタメをつくったうえ、肘や手首の使い方がうまくて変化球がキレているようだ。


5月19日を終了した時点で加嶋君はリーグ戦17イニングで21安打、7奪三振というから三振を取るより打たせてとるタイプらしい。しかし四死球がわずか2と記録されているので、その制球の良さが監督、コーチの信頼を得ているのだろう。塾高出身でプロも注目していた球速150キロのエース白村君の調子がいまいちの今シーズン、ピッチャーは速球だけではないのだと改めて思いつつ観戦していた。この日は相手明治の先発、関谷君(4年日大三)の出来がすばらしく残念ながら試合は負けてしまい、慶応は早稲田と共にリーグ戦の下位争いをしている有様だが、こんな時でも早慶戦だけは勝ってくれよと念じつつ神宮球場を後にした。

加嶋君のピッチング
201305202

2013年5月19日 (日)

サン・プリンセスの横浜港見送り

20130519

2011飛鳥Ⅱワールドクルーズの船友たちがサン・プリンセスに乗船すると聞いたので、今日は妻手作りのUW旗を持って同じく飛鳥で世界を廻った船友達と横浜港大桟橋に見送りに行った。土曜日の夕方出港と云う事で、大桟橋は大勢の人が見送りに来て賑わっている。そんな中、UW旗を持っているととりわけ目立つのか、見物の人たちから次々に「この旗はなんですか」「この船はどの位大きいのですか」とか「次はどこへ行くのですか」「退屈じゃないですか」などと質問が来る。中には「とっても高いのでしょう?」と聞いてくる人もいるから、「いえ部屋によっては国内旅行するより安い場合もありますよ」などと船の宣伝係りになった様な答えをしてしまう。


夕方5時の出港予定時間近くになっても、乗船客がデッキに出てこないのは「乗船24時間以内に避難訓練をすべし」というSOLAS(海上における人命の安全のための国際条約)の規定によって、船内で救命胴衣や緊急時の説明が行われている為で、この前我々が乗船した横浜発のコスタ・ビクトリアでも訓練が終わったら既に離岸していた。これでは旅の序章であるセイルアウエイの時間が限られてちょっと興ざめで、出港前の慌しい時でなく、翌日の終日航海日にやったら良いのにと思うが、コスタ・コンコルディアのイタリアでの座礁事故以来、一層運用が厳しくなったのだろうか。


ようやく避難訓練も終了したらしく本船に乗船した友人達がわらわらとデッキに出てきて、お互い名前を呼んだり手を振り合ったり再会を喜んだいる中、出帆時間の午後5時になってもボーディングブリッジが外れないし綱取りの作業員も姿を見せない。程なく船内で放送があって乗船客ががやがやし始めたので、こちらも向こうから聞こえてくる放送に聞き耳を立てると「エンジンの具合が悪くエンジニアが調査している、修理次第出港するが2~3時間遅れる」という事らしい。せっかく横浜まできたのだからクルーズ船が出て行く光景を眺めたかったが、夕方で寒くなった大桟橋でいつ出るのか判らない船を見届ける事もできない。早々に「ではまた」とデッキで手を振る友人達を後に大桟橋を離れたものの、ちょっと間の抜けた見送りになってしまった。それにしても大きな白い客船をみると、先日下船したばかりなのに又乗りたくなるからクルーズも癖になるものだ。

ご安航を祈ると云う意味のUW旗
20130519_2


2013年5月17日 (金)

ホンダF1参戦

ホンダが2015年から名門マクラーレンと組んでF1に復帰すると発表した。ホンダと云えばかつてはS600・S800のスポーツカーや、シティに代表されるわくわくするクルマを作っていたものだが、最近はワン・ボックスカー主体のまことにつまらないメーカーになってしまい、我が家ではクルマを買い換えるに当たってホンダ車はまったく話題にさえならない。一方、会社の若い男性に聞くと「クルマの免許は大学卒業間際に社会人になると必要だから取った」などと云うから、大学生になったらソク免許を取って、会社に入ったらクルマを買おう等と考えていたオジサンたちとは世代が違うのだとしみじみ感じる。彼らが家族を持ってクルマが必要になれば、ホンダのオデッセイとかステップワゴンなどに乗るのかもしれないが、そこにはクルマに乗ってわくわくするという高揚感がほとんど感じられないのである。


そんな風潮を突き破るかの様なF1復帰のニュースである。何でも2014年からレギュレーションが大幅に変わるので、これを機に名乗りを挙げたそうで、これでやっとホンダも創業からのDNAを少し取り戻したのかとちょっと嬉しい。ホンダは1964年からF1に参戦したのだが、今から思えば当時の国産車などはおもちゃの様なもので、欧米の名車を相手にグランプリレースに挑戦するその姿は、あたかも世界に雄飛する高度成長ジャパンの尖兵という気がして当時は懸命に応援したのだった。特に1965年、1.5リッターエンジン最終年の最後のグランプリレースにあたるメキシコでリッチー・ギンサー(米)のドライブで優勝した時は、子供ながら日本の産業の勝利と云う気がしてえらく興奮し、高価なカー・グラフィック誌を買ってはホンダF1優勝の記事を何度も読み返した事を覚えている。


ところで最近は、東京の街でもスポーツ・カーが増えている様で、我が家の近所でもトヨタ86などを良く見かける様になった。ドライバーをみるとなべておっさんで、きっと第一線を退き若い頃の夢をもう一度と思ってドライブしているのだろうか。一方セダンといえば、東京ではもっぱらドイツ車を始めとする大型欧州車か、国産ならレクサスやらフーガやらの偉そうなクルマが多くちょっと興ざめである。この前シトロエンのDS3が走っているのを見て「オ、粋だね」と感じたが、国産車もやたらサイズの大きいクルマやらワンボックス・SUVばかりでなく、ドライバーの遊び心とセンスが感じられる様なクルマを作ってくれたらなあと思っている。ホンダがF1に参戦して気風が変わり、スポーツカーブームが起こって欲しいものだ。


1965年秋、リッチー・ギンサーがドライブしメキシコで優勝したホンダFIを東京モーターショー(晴海)で撮影したもの(父のキャノネットを借り出して写した)。
20130516

2013年5月14日 (火)

長崎皿うどん とは?

初めて長崎で皿うどんを食べたのは確か昭和38年の夏だった。今よりすべての面に於いてユルい時代で、父親が長崎に出張に行くのに家族でついて行ったのである。その時の旅館の昼食が長崎市内の有名店から取り寄せた皿うどんで、それは豪華な伊万里焼の大皿に家族4人前が一緒に盛られ、こしのある太麺が海鮮などの具とともにソース味風に炒められていた。当時、他の町で食べる焼きそばと云えばキャベツにせいぜいこま切れの肉がちょぼちょぼの時代だったから、この皿うどんを食べた時には世の中にはなんとうまい麺があるのだろうかと感激したのである。


その後東京でも、ちょぼちょぼ長崎料理の店を見かける様になったものの、昔は皿うどんといえばどれもチリチリに揚げた細い麺の上にアンカケの野菜が乗っていて、勇んで注文しては本場長崎との違いにがっかりしていた。そこで20年ほど前に長崎に出かけた際にタクシーの運転手に「太麺で揚げておらず、アンカケなしのソース味風の皿うどんのお店はある?」と聞いて連れて行ってもらった事がある。その店はたしか中華街に程近いごく普通の町の食堂で、10人も座れば一杯という広さだったが、さすが地元タクシーの推奨店だけあって久しぶりのソース味風味の炒めそばを堪能したものだった。


今回、コスタ・ビクトリアのクルーズで久方ぶりに長崎に行く事ができたので、叶う事ならあの太麺の皿うどんが食べたいものだと思ったが、20年前に行った店はどこなのか皆目見当がつかない。仕方なくあまり観光地ずれしていない地元の中華料理屋を選んで、飛び込みで注文した太麺の皿うどんがこれ(写真上)。何でもよその店では味を出す為にちょっと砂糖加えるが、ここでは一切砂糖を入れずにうまみを出しているとこだわりの皿うどんの様でアンカケではない。しかしソースは一切入れていないとの事で、それはそれでとても美味かったが、子供の頃に食べた皿うどんや20年前にタクシーに連れてきてもらったソース味は一体どこに行けばありつけるのだろうか?


長崎出身(但し近郊)の会社の人に聞くと「皿うどんは揚げてあるチリチリの細めんか、そうじゃない太麺しか区別はない、どちらもアンカケをかけてソースは好みで人それぞれテーブル上のをかける」だそうで、かつて食べたアンカケのない炒めソバなどは聞かないと云うので、どうも何が本当の長崎の皿うどんなのか私の中では混乱してくる。という事で実は何が真実か、にわかに確かめたくなって虎ノ門に以前からある皿うどんの店に入り、昨日は太い麺の”炒麺”を食べ、今日は”皿うどん”(太麺)を(写真下)トライすると、炒麺はアンカケがのり、皿うどんはアンカケなしとやっぱり長崎人の説とも真っ向から違う。まあラーメンなども何が正しいのか、今やあまりにも種類が多いから、皿うどんもいろいろバリエーションがあって良いのか、と納得する様なしないような変な気分である。

長崎の太麺皿うどん(ソース味ではない・アンカケなし・スープなし)
20130514_2

東京・虎ノ門の皿うどん(ソース味ではない・アンカケなし・スープが多い)
20130514_3

2013年5月12日 (日)

コスタビクトリア チャータークルーズ(5)旅情編

20130512
クルーズ船に乗ると船内の食事や催し物を楽しむだけでなく、他の旅では経験できない事を見聞きできるのが楽しい。多くの乗客が見守る中のパイロット上下船などもそうだし、大きな橋の下を本船が煙突やマストすれすれにくぐる際のちょとしたスリルも船旅だけの醍醐味だろう。その他、外国船に乗った時にはタグボートなしスラスターだけで入出港する操船に感心するもので、今回のコスタ・ビクトリアも各港でタグが1隻だけ形ばかりに見守るだけだった。日本船が世界中どこでもタグを使うのに対して、本船ではタグボートにロープ(ホーサー)を渡す事もなく、このあたりの操船の巧みさに彼我の安全に対する考え方の違いを感じてしまう。銀行員だった妻は「日本の銀行は一日の業務を終了するときに1円でも違うと合うまでチェックし直すのに、外国の銀行は僅かな誤差なら雑勘定として処理する事があるらしい」と完璧を求める日本の国民性に言及する。


入出港といえばロッテルダムでは木靴を履いた男性合唱団の送迎が素晴らしかったし、スコットランドではあちこちでバグパイプの演奏があって、世界中どこでもクルーズ船には地元の歓待があって嬉しいものだ。航空機の旅はセキュリティの為にゲートまで送迎できなくなったし、鉄道でも窓を開けて発車まで別れを惜しむという光景を見なくなり、今や船の旅だけが旅情を掻き立てる唯一の交通手段になってしまったようだ。なにしろひとたびクルーズ船が訪れれば数百人から二千人もの観光客が一度に観光や買い物をするのだから、地元が送迎の行事に熱心になるというのも道理である。今回も大型船が着ける岸壁を持たない鳥羽では、コスタビクトリア号出港時に、鳥羽の観光船”龍宮城”に地元の人が大勢乗って湾の出口まで本船を見送りにきてくれた。 


”龍宮城”の船上で見送ってくれた人たちが振っているのは、鳥羽で真珠の養殖に成功した御木本幸吉ゆかりの赤いハンカチで、それがビクトリア号に併走していつまでも夕風になびいている光景は印象的である。そういえば9年ほど前に”にっぽん丸”でここに来た時も、もう一隻の観光船”フラワーマーメイド”から同じような見送りを受けたから、変わらず鳥羽の町はクルーズ船を歓待してくれるのだろう。コスタビクトリアの出港時、おりしも鳥羽港に入ってくる伊勢湾フェりー”伊勢丸”がマストにUW旗を掲げ、長声3発の「いってらっしゃい、ご安航を祈る」と汽笛をならすと、本船が長声3発の答礼を返したのは他の交通機関では味わえない旅情満点の情景であった。クルーズっていいものだ。

伊勢丸のUW旗
20130512uw

別れの赤いハンカチ
20130512_2

2013年5月11日 (土)

コスタビクトリア チャータークルーズ(4)

アメリカやヨーロッパ海域のクルーズ船に乗って、たまたまディナーなどで同じテーブルになった現地の人と話すと「わざわざクルーズを楽しむ為に日本からここまで来たの?」とちょっと驚かれる事がある。なにアメリカ人だってヨーロッパ海域のクルーズ船に多数乗船しているし、この前は「極上のクルーズ紀行」と云うテレビ番組で、クリスタルシンフォニーのニュージーランドクルーズの乗客がほとんどアメリカ人だと放送されていたから、どこでもだいたい同じ様なものだろうと思うのだが・・・。もっともかつて読んだクルーズに関する統計では、アメリカ人のクルーズ船乗客は、乗下船の便が良い近辺の州からが多いとされていたから、クルーズ普及の為にはまず地元から船が出るという事が一番とも云える。


その意味で最近の多くの大型外国船によるわが国近海のクルーズは、日本のクルーズを身近なものにする事に大いに役立つのではないだろうか。ちなみに今回コスタビクトリア船内で仲良くなった人達は、ゴールデンウイークのリーズナブルな値段の旅として乗船したと言っていた。彼らにはこのクルーズを契機に大いにクルーズファンになってもらい、また一緒に乗りましょうと話しがはずんだのだった。なかでも一緒に食事をした若き女性3人組みは大学時代の仲間による初乗船で、4人部屋を3人で利用すると3人目の費用が半分になる料金制を利用してクルーズ費用を抑えたそうで、酔った勢いで彼女たちのキャビンを見せてもらったら、並んだ2段ベッドのうち上の段は3人で順番に使用していて、なるほどこれなら不公平もないと感心した。


今までも中高年の女性同士とか母・娘の乗客は良く見かけたが、こんな女子会を船内で見るとなると日本のクルーズ事情も変化している事を肌で感じる。これまで日本ではクルーズは”豪華な旅””高齢者のもの”と云うイメージが定着しすぎて、20万人と云われるクルーズ人口は一向に増加しなかった。一方で米国のプリンセスクルーズが今年から日本で本格的にクルーズ事業を展開するのに際し、日本船が「これはカボタージュ規制に反している」と関係官庁にクレームをした事も判らないわけではない。しかし余りに画一化された日本船だけのクルーズ市場にあって、若者にも乗れるリーズナブルな料金設定で乗船に便利な横浜や神戸を発着する外国の大型クルーズ船が参入する事で、クルーズがより広い層に普及するのではないかとコスタビクトリアに乗って感じたのであった。こういうクルーズがもっと普及すれば私達の船友ももっと増えて楽しくなる事だろう。
20130511

2013年5月 7日 (火)

コスタビクトリア チャータークルーズ(3)

今日は久しぶりの会社である。クルーズの安穏とした生活に慣れた体がきついが、忘れないうちにコスタビクトリアで気がついた点を記しておきたい。

フォーマルデイのタキシード着用率
久しぶりにタキシードを引っ張り出したが、船内でタキシードを着ていた人は数人しか見なかった。よって1%くらいだろうか。コスタのアジアクルーズには正装は不要なのかもしれないが、別におしゃれを楽しみたければどんどん楽しもうと云う雰囲気は感じた。またHISから事前に郵送された最終日程表・クルーズガイドにはフォーマル指定日以外は”カジュアル”となっていたが、船内紙"TODAY"にはインフォーマル日とカジュアル日がそれぞれ指定されていて、この点を船内のHISのカウンターに質した処、「どちらでもいいんです」などと答えが返ってきた。「違うんだよ、俺はおしゃれを楽しみたいから、インフォーマルの日があるなら、ブラック以外の蝶ネクタイでも持って来たかったのに・・・・」と言いたかった。

時間が適当
さすがはイタリア船である。日本船の場合は催し物がストップウオッチで計ったようにきっかり始まるのに、船内紙に指定された時間に会場に行っても参加する人が手持ちぶたさにワラワラと群れているだけ。数分してやおら歌手やらダンサーやらが悪びれずに悠々と登場すると「ここはイタリアだ~」と感じるのである。もっともサービスクルーはイタリア人より他の国籍の人が多いのだが・・・・。

ちょっとタバコくさい
プロムナードデッキなど指定された喫煙場所でクルーが乗客と一緒に堂々とタバコを吸っている。他のカジュアル船でクルーが客と一緒にタバコを吸っていたかどうか、これまで良く観察した事がないのだが、タバコのみのクルーが目立ち、かつデッキに吸殻が結構落ちていたりするので、タバコの光景がやけに目だったのかもしれない。これも南欧の習俗なのだろうか。

メンテナンス
1996年建造というから船齢16才になるも船体のメンテナンスは良く、船体にやつれや錆が目立つという事はなかった。オフィサーやエンジニアーはイタリア人が多い様で、イタリアも古くからの海運国だから船体のメンテ具合を見ているとその伝統が感じられたのであった。部屋のシャワーも排水がちょっと遅いものの(これは結構あちこちの船で経験する)、お湯の勢いも十分で総じて快適な船旅であった。

舷門のコスタの社旗とイタリアの商船旗
20130507

2013年5月 6日 (月)

コスタビクトリア チャータークルーズ(2)

20130506

船体
標準的なカジュアル・クルーズ船で、2004年の改造時に設置されたベランダ付の部屋が上層階に並び、サン・デッキがそれよりまだ外に向かって張り出されている為、パナマックス・サイズにしては幅広で開放感が漂っている。サンデッキは全面的にチーク張りでけっこう高級感が漂い、プールも十分な大きさと深さがあって「水泳」が出来る点は素晴らしい。デッキチェアが多数並び、2000名乗船の割には混雑感を感じる事はなかった。このサイズの船としてはシアターが小ぶりなので、これで足りるのかとも思ったが、それ以外の諸ダイニングやバーはほど良い割合で人が入っていて、人が並ぶという現象は少なかった。プロムナードデッキは6デッキを一周全通しており、特に船首部が構造物の中に入っていて風が当たらないので、ウォークやジョギングをする人には優れたデザインといえよう。ここの手すり(ハンドレール)がステンレス製の船は初めてで、これは錆に強く(よって後年のメンテでペンキの上塗りも必要ないので)清潔でとても良いアイデアだと感じた。このプロムナードデッキがチーク張りなら、より船らしい雰囲気が醸し出されるのではないだろうか。ただ6階の船首部分が6Aと6のデッキに分かれているのはどういうデザインコンセプトなのだろうか?


食事
朝食はリドのブッフェ(ボレロブッフェ)に行く回数が多かったが、デッキで食べるには朝はまだ寒かったので、ボレロビュッフェの船内座席数はやや不足気味だった。リドのボーイは中国人が多くて、まだおどおどして慣れない様子だったのを、配置されたコスタの日本人クルーがよく見て、交通整理しているのは大変良いサービスであった。その他、日本船と違い船内で飲むアルコールを持ち込めないのが外国船の辛いところで、私達は一人一日US$30(サービス料込)の飲み放題コースをクルーズ中頼んだ。こういうシステムはつい元を取るために飲みすぎてしまう処なのだが、今回はたまたま船内で意気投合して同じテーブルを囲んだ若い船客達が皆このコースを選択していたので、全員でワーッと盛り上がりフトコロを気にせず大いに楽しめたのは思わぬ余禄だった。で、結局、飲みすぎた。


料理
カジュアル船なので乗船前から過剰な期待はしてなかったものの、「食のイタリア」という仄かな思いはあった。昼食時にデッキで作られるパスタ類はアルデンテでさすがに美味くお代わりをしたが、ディナーのメインの食事はアメリカのカジュアル船なみだろうか。特に牛肉類は薄くクオリティも低く感じてどうもいただけなかった。その他、日本人向けにはおにぎりや味噌汁も用意されていて、人によってはちょっと味が薄いと言っていたが私は美味しく味わった。船内にはピザレストランがあってそこで一回を食べたいと思っていたものの、今回は時間がなくて残念だった。総じて外国または外国船で”普通”に旅行したら、こんな感じと云う食事ではないだろうか。


乗客の雰囲気
日本のクルーズの大宗であるシニアーの他、ゴールデンウイークという事もあり若いカップルや家族連れ、女子会など乗客も多彩で、いかにも外国船と云うノリだった。飛鳥Ⅱやにっぽん丸など従来のクルーズ船独特の雰囲気より、こちらが世界標準に近いと感じるもので、あちこちで行われるダンスや催し物には日本船よりもはるかに多くの乗客が参加して楽しんでいた。仮装パーティでは中国人向けクルーズと違って、日本人が準備して盛り上げてくれて嬉しいとレセプションのクルーが喜んでいたし、同じアジアでも中国人の乗客とはかなり違うという声もクルーのあちこちから聞こえてきた。私も久しぶりにカンカン帽、ちょび髭、ダテめがね、クレープシャツにステテコ、ハラマキ、雪駄であちこちで踊っていたら、クルーや乗客の多くから「それいいね」とか「一緒に写真撮って」と声をかけられ嬉しかったものだ。生バンドをバックにこの姿でジルバを踊ったら大絶賛の拍手で、これは今後のクルーズでもやめられないかも・・・・・。皆で盛り上げようというコスタのコンセプトを大いにエンジョイした。


こんな船が日本にやってきて、日本人相手にクルーズを展開するとは、クルーズもやっと変革期に入ってきたのだろうか、今回はほぼ満船だそうでご同慶の至りだ。その陰には、船内あちこちに配置されたHISのチャータークルーズ用員が、本船の足りない処を補ってくれた事も多かったろう。一方船長の航海情報のアナウンスなどは一度もされなかったなど、本来のクルーズにある要素がオミットされるなど「あれ!?」と思って事もあったが、こういうカジュアル中のカジュアル船が日本市場で今後根を伸ばしていくのか、それとも飛鳥Ⅱなど従来の日本船と棲み分けるのか、目を外に向けると、アジアといえばカジノに買い物クルーズの中国人向けクルーズがこの海域の主になるのか大いに注目だ。

広々した11デッキ
20130506_2

ステンレス製ハンドレール
20130506_3


2013年5月 5日 (日)

コスタビクトリア チャータークルーズ(1)

コスタビクトリア号のゴールデンウイーク、済州島・長崎・伊勢クルーズ(6泊)に乗船してきた。船はごく標準的な7万5千トンのパナマックス・サイズのクルーズ船、ほぼ定員に近い2000名ほどの乗船で、特に船内で人が多いという印象もなく、一言で言えばほぼ予想していた通りの快適なクルーズであった。クルーは他船と同じく多国籍だったが、船内の要所に配置されていた今回のクルーズ企画者HIS及びクルーズプラネットのスタッフもいろいろ気を配っていてくれたから何かで特段困るという事もなく、昼夜たがわず開催される陽気なエンターテイメントをエンジョイできた。


今回のクルーズはふだん日本市場の中心である老人・シニアー層の他、ゴールデンウイークを利用した小さな子供連れファミリーや若いカップル、それに若者達のグループ乗船もあってとても賑やかで明るかったのが特徴だろう。ビキニの若い女性客や大勢の家族連れがプールで水しぶきを上げていたり、廊下を子供達がどたばたと走り回ったりする足音を聞くと、まるでアメリカや豪州水域でクルーズしているようで、日本のクルーズも変わりつつあるのかと感慨深い。イタリア船に初乗船という事で料理にちょっと期待していたら、確かにパスタやペンネはアルデンテで美味しかったものの、それ以外の料理はアメリカのカジュアルクラスのクルーズ船と同じ程度と言えよう。


日本食に大浴場、どこでも日本語が通じ、これでもかと云うサービスを提供する日本船並という訳には無論いかないが、この設備で日本船の半分以下の値段でクルーズを展開された場合、今後我が市場のクルーズ客の奪い合いになるのか、それともクルーズ人口の拡大になっていくのか大いに気になるところだ。さて今回のクルーズで食事を同席して親しくなった人たちには「クルーズ船では飲み食いしても、船内で結構歩いているので太ったりしませんよ」などと偉そうにアドバイスしたりしたものの、今回はちょっと調子に乗って飲みすぎた事もあって心配だった。という事で先ほど体重計に乗ってみたら、体重もまったく変化なくほっと安心したところである。それでも今日はやはり醤油味が恋しくなって、夕食には寿司をスーパーで買ってきて食べたのであった。

陽気な歌と音楽一杯の船内
20130505_3

昼食時にデッキで作ってくれるパスタ
20130505_2

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ