帰るコール
外出先から”帰るコール”をしょうとすると、何やら携帯電話の調子がおかしい。液晶画面に霧がかかった様になって、メールを読もうとしても老眼鏡をかけ直して凝視しなければならない。液晶にかかる電圧に異常があるのかと思い、一旦電源を切って再稼動するが、画面は変わらず霧のカレリアである。仕方ないので一晩あけてドコモショップに行ってみた。受付で窓口の順番待ちカードを取ろうとすると、「 どうしました?」と店員が声をかけてくれる。「 いあや。液晶がおかしいので・・・・」と説明するとこの店員、やおら調子のおかしい携帯を持っていくつかのボタンを押している。と、「 故障ではありません。電車の中などで画面を他人に見られたくない時に、ここを長押しすると画面が暗くなるんです」。
思わぬ肩透かしに「 んな事言ったって、長押しなどした覚えはないし・・・・ 」と嬉しくもちょっと恥ずかしい一時だったが、礼を言っての帰り際にくだんの社員「今ならスマートホンの端末が大変お得です。この際お代えになったら?」と奨めてくる。「 いやあ、携帯といえば普段は”帰るコール”をするくらいだから 」と軽く断ると、スマートホンはとても便利な端末なのに、何故乗り換えないのかとでも云う店員の顔だ。考えてみると、最近電車の中では多くの人が新聞や本の代わりに熱心にスマートホンの画面を眺めているが、私は外出先で老眼鏡片手に小さな機械を扱おうという気持ちがおきない。ましてやネットの画面を眺めるのは家か会社で十分だと考えているので、今のところスマホが必要とはあまり思わないのである。
それにしても通信革命とかで、最近の若者たちのパソコンやらスマホやらの扱い方は見事という他ない。パソコンが職場に入り、一人に一台づつになったのは高々この10年ちょっとで、私などは50歳近くになってからの事だ。かたや若者たちは物心がつく前から身近にこれらがあったのだからその違いは歴然であろう。携帯もない時代、職場から”これから帰って家で食事をする”と電話した後に、エレベーターの踊り場で久しぶりに同僚に出合い、そのまま再連絡もせずに飲み屋に直行。行き足がすっかりついて、深夜に帰宅したら奥さんがカンカン、などと云う現象がよくあったがそれも今では昔話となってしまった。職場の若者たちが昼休みにスマホでネット配信の映画を一人見ていたり、夜中に自宅のパソコンから仕事のメールの返事をしたり、SNSだかに参加しているのを見ると時代は変わったと感じるのである。
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