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2013年2月

2013年2月27日 (水)

どこかで見た顔

新聞の経済面を広げると、どこかで見た顔が大きく写っている。国際的な某大会社の次期社長だそうで、はて彼とはどこで接点があっただろうかと記憶の糸をたぐると、大学で同じクラスだった事を思い出した。卒業してから40年近く経つから写真では髪も大分白くなっているが、かつての僅かににやけた風貌がうまい具合に年輪を刻み、若い頃よりずっと良い顔になったようだ。そういえば彼は、その某社に就職したんだったけかなあ、などと朧に記憶が蘇ってくるが、新聞記事には入社以来の幾つかのエピソードが載っていて「さまざまな苦労をしつつここまで来たのか」とつい彼我の人生を比較したりする。


大学の同じクラスの中には他の有名会社の社長、地方都市の市長やアナウンサーになった者などもいて、今から思えばずいぶんと多士済々だったが、当時はそんな事を知る由もなく何となく皆で群れていた。思えば彼の様にサラリーマンとしての階段を登りつめた者もいれば、私の様になんという事なく平凡に終わった者もおり、上を向いても下を向いてもキリがないのが人生か、とあらためて当然のような感慨が胸に迫ってくる。それにつけても彼はこれから数年間、大組織のトップとして獅子奮迅の活躍をしなければならない境遇で、半分リタイアしている様な私にとっては、何ともご苦労な事だという気持ちも負け惜しみでなく湧いてくる。


妻に「俺も現役の頃にはもう少し偉くなれると思っていたのになあ」などとこぼすと、「今までこんなにおれさま軸でやって来た人が偉くなるんだったらみんな苦労しないわよ」と思わぬ処に飛び火して逆襲されるのだが、たしかにサラリーマン生活を思い出してみれば、調和など考えずにやりたい放題にやらせてくれた、当時の上司や部下にただただ感謝するのみである。出世競争や戦闘モードから離脱した今となっては、好々爺とまではいかずとも、少なくとも暴走老人と言われない程度に性格を陶冶したいものだと、新聞を読みながら密かに反省するのであった。

2013年2月25日 (月)

東京マラソン2013・皆が勝者

北風に吹かれたものの、晴天の下で繰り広げられた第7回東京マラソン。3万5千人のランナー達が、早春の東京の町を駆け抜けた。義理の弟・妹夫婦が参加したので、昨日は予定通り芝増上寺前の12キロ地点と19キロ地点、32キロの茅場町、36キロの新富町、それにゴールと彼らを応援して廻った。トップ集団のエリートランナーの次には大学生や実業団の若手、その後ろにこの日の主役である市民ランナー達が延々と続き、応援の人垣が堤防ならランナーはその間をとうとうと流れる大河である。沿道あちこちの出し物も賑やかな昨日のマラソンコースはまるでお祭りのような雰囲気となっていた。


目の前を通りすぎるランナー達は、12キロ地点では足もまだ軽やかで観衆に手を振りつつ余裕が感じられるが、これが19キロになると先を急ぐ真剣な顔つきである。32キロでは歩く者もちらほらいて、皆かなり疲れた様子になっており、さらに36キロ地点では後6キロというより、まだ6キロもあるのかと云う、うんざりした顔ばかりが目立つ。中には疲労のあまり曲がり角で自分の体重を支えれず転倒する者もいて、見ているこちらも思わず力が入り 「今年は東京マラソンの抽選に当たらなくて良かった、やっぱりフルマラソンはこりごりだ」 などと思ってしまう。


それにしてもフルマラソンの42.195キロというのは絶妙な距離だと思う。もしマラソンの距離が35キロならそれなりにゆっくり走れば大抵のランナーならたどり着きそうだが、そこからの7キロ余りがマラソンのマラソンたるゆえん。登山なら向こうの尾根に山小屋を見ながら、疲労で目の前の稜線を進めないようなものだろうか。マラソンで地獄を見るのは35キロからと言われる通りだが、その分ゴールしたランナー達は一応に充足感に満ちた晴れ晴れした顔をして、思わず「みんなが勝者だよ」と声をかけたくなってくる。昨日は北風に失速した義弟・妹に「記録はちょっと残念だったけど、ちょっと頬がこけて痩せたようだから良いじゃない」と慰めの言葉をかけたものの、夕べは完走記念のしゃぶしゃぶとの事で、いつも以上に肉を補給し彼らの体重は元の木阿弥になっているのかもしれない。
20130225


2013年2月21日 (木)

フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル 「スイスの休日」

10年前に引越した際、もうレコードなど聴く事もないと思い、イギリスの金管楽器グループであるフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの「スイスの休日」(Phillip Jones Brass Ensemble in Switzerland) のLPを捨ててしまった。ところが数年前、アナログのレコードプレーヤーを買いなおしてからというもの、無性にこのアルバムが聞きたくなって、中古レコード屋を何軒か廻ったがどこにも見つからない。スイスの民謡を中心に軽快な音楽で綴るブラスアルバムは、正にフィリップ・ジョーンズ流ショーマンシップの真骨頂と云えるもので残念でならなかった。


こういう時の頼みの綱、YOU TUBEを探してみてもフィリップ・ジョーンズは1986年に解散したそうで、古過ぎるのかお目当ての映像や音楽はポストされていない。レコードなどは簡単に捨てるものではないと反省しつつ、それでも念のために何度かアマゾンのサイトをチェックしていると、一度絶版になりながら80年代のCDの再販であれば2枚在庫があるとの表示を発見した。その上、昔は2000円以上したLPレコードだったアルバムが、今は新品のCDで1000円という事で、これはもう買うしかないと即刻注文したのであった。


音楽は聴いていたその時代へ気持ちをただちに戻してくれるもの。宅配の封を解き懐かしい曲がブラスによって軽やかに演奏されるのを聞くと、かつてコンポーネントステレオでLPを熱心に聞いていた若い頃を思い出す。原盤の録音は1975年1月とあるから、もとのLPを購入したのは会社に入って間もない頃だったろうか、よく上司に注意されては休日にストレス発散のためステレオを大きな音で鳴らした場面などが脳裏に蘇る。ネット、ネットという最近の風潮には時々抵抗を覚える頑固オヤジの私でも、YOU TUBEやアマゾンなどで簡単にアルバムの検索ができるとは、何て便利な時代になったのだろうかと驚くのである。
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2013年2月18日 (月)

ソーレ、ソレお祭りだあ、東京マラソン2013

あと一週間に迫った2013東京マラソン。我々夫婦は敢え無く抽選で敗退、出場かなわなかったが、義理の妹夫婦が2人して当選したので、この週末は彼らの為に応援スケジュールをつくった。スポーツ応援など簡単なものだと思われそうだが、東京の様な片道コースのマラソンではこれがなかなか難しい。特に彼ら夫婦は夫が目標3時間20分、妻が4時間20分でゴール予定との事で、最後に一時間ほど差がつく。都内数箇所のポイントで待ち構え、後ろの走者を応援してから次の場所に移動するとなると、前の方がすでに行ってしまったりと結構くまなく応援するのも大変なのだ。


トップクラスの選手だけでなく3時間や4時間のランナーでも、マラソンと云うのは見ていると結構速いもので、地下鉄を利用して何箇所かで応援するには、よほどうまくポイントを定めて廻らねばならない。その上選手が走る道路は全面的に横断禁止となるし、駅近くや浅草・銀座などは立錐の余地ない人出だから、数箇所で効率よく応援する為には地下鉄の路線図と出口付近の道路配置を良ーく頭に刻み、2人の通過予定時間を組み合わせた綿密なスケジュール表を作成する必要がある。


という事で、最初のポイントは芝公園である。日比谷通りのこの場所は、前半の折り返し点である品川に向かう12キロ、かつ都心に戻る17キロ地点で、ここなら地下鉄の通路を使って道の両側で応援可能である。次が32キロの茅場町で、ここは応援者のみ35キロの新富町まで新大橋通りをバイパスできるので、2人の通過時間に合わせて茅場町~新富町をジョギングで往復すれば都合4回の応援が可能となる。もっともここで義妹を待っていると、終盤の一番しんどい箇所である豊洲付近の義弟の応援が間に合わないので、我が妻は急遽別働隊長となって豊洲へ繰り出す等、それはそれは綿密な計画表が必要となる。


もっとも完全なマトリックスを作成しても、彼ら2人が予定通り走らねばスケジュールはすべてご破算という訳で、後は本人たちの頑張り次第なのだが、その点ではこちらはお祭り気分で至って気楽な身分でもある。ただ走っている選手が向こうからも沿道がわかる様に、こちらも大きなノボリを持参して都内を走りまわなけらばならないから、けっこう体力のいるお祭りでもある。我々夫婦もこの前まで「今年は当選しなくて残念!」などと悔しがっていたが、今となっては「ソーレ、ソレソレ大応援でお祭りだあ!」と体力勝負の応援に専念すべくひたすら盛り上がっている。

力作応援スケジュール表
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2013年2月16日 (土)

偏向新聞

朝日新聞があまりにも偏向しているので、10年ほど前に購読紙を読売新聞に代えてしまった。ジャイアンツ応援は少々ウザイものの、読売の目線はだいたい私達の考え方に近く、読んでいてもあまり違和感がない。ところで最近、これまた偏向していると言われる毎日新聞が拡販のためか時々郵便受けに勝手に新聞を置いていくので、その偏りぶりをじっくりと比較できる事があって、これがけっこう興味深い。


毎日新聞2月14日(木)付け朝刊のシンポジウム「沖縄の声を聞く」は、その偏向姿勢が際立った記事だった。いまだに非武装中立を標榜するサヨク的新聞「琉球新報」の政治部長と編集局次長2名が、自分達が「差別」されていると主張するお約束の論陣を張り、今や国民から理解不能とのレッテルを貼られている鳩山元首相を擁護するかの様な珍説まで飛び出し支離滅裂。おまけに毎日新聞外信部編集委員がこれらをヨイショしているが、毎日が少なくとも全国紙を標榜するなら、少しは日本の国家的視点も交えた評論をしたらどうかと、この記事のレベルの低さを嗤う。


大戦の末期に本土の盾になって大変な戦いを強いられた沖縄で、「県民に対し後世特別のご配慮賜らん事を」と中央に打電した大田実・沖縄方面軍司令官を思い起こすまでもなく、今の日本は沖縄の犠牲の上に成り立つのが事実である。しかし私が仕事で付き合う沖縄の人たちは、「ああいう運動は一握りのプロ市民と言われる人たちがやっているのですよ」と言っており、その一部の声だけをことさら誇張して「差別されている」と声高に騒ぐのが一部メディアであろう。無料で置いていかれた新聞を時々読みながら、「やはり毎日は金を出してまでは絶対買えないな」と改めて認識したのだった。

2013年2月12日 (火)

ロイヒつぼ膏

ロイヒつぼ膏である。ここ数年の肩痛に筋トレが良いかと思い、ダンベルを持ち上げたり公園の鉄棒で懸垂をしているのだが、冬は寒くてついさぼりがちになり痛みがつらい。市販されている薬の中では一番強力そうなタプソールを肩に塗っているものの、この薬、刺激が強いだけにかなり注意が必要となる。石鹸で洗ったぐらいではなかなか手からとれず、そのまま目をこすった日にはエライ事になるし、何より小用の時にうっかりさわろうものならその後長くヒリヒリと大変である。過去のブログ→カチカチ山


なにか良い対策はないかと思っていたところに教えてもらったのがロイヒつぼ膏薬。3センチほどの丸いプラスターで、肩や上肢に数箇所はると温感と共に強力な鎮痛・消炎効果が期待できる。なにせパッチを貼るだけで手を汚す事もなく ( なので貼った後のトイレで気をつける事もない )、ニチバンと云う絆創膏メーカーが作っているのも妙に説得力がある。という事でさっそく近所の薬局で購入してみたが、肩の痛みにはよく効くようだし効果が持続するので気にいった。


ネット情報ではロイヒのロはロートエキス、イはイタモール、ヒがヒノキチオールだそうだが、ニチバンのホームページではサロメチールなどに入っているサリチル酸メチルなどの他、血行を良くするノニル酸ワニリルアミドが主成分だとなっている。お風呂に入る際は30分前に剥がして下さいと説明書にあるから、かなり成分は強力らしくパッチを剥がした後の皮膚は赤く変色しているくらいである。でも爺くさい芳香もあまり強くないし、肩はすっきり気持ちが良いから当分手放せそうもない。

20130212

2013年2月11日 (月)

中国に抗議をさせていただく

中国のフリゲート艦に自衛隊の護衛艦やヘリがレーダーでロックオンされた件で、小野寺防衛大臣が記者会見の最後に(中国に)「抗議をさせていただいた」と発言したのにはのけぞった。大臣は会見の最初で「申し入れた」と言っていたので、最後に『させていただく』と発言したのは単に会話の流れからだと理解はするが、それにしても世の中の言葉がなべて馬鹿丁寧化する風潮がどうも気になる。子供に食事を「やる」と言うところを「あげる」とするのは、もはや気にもしていられない時代で、最近はペットの犬にまで「ごはんをあげる」と言うそうでびっくりである。


仕事で最近の若者達のメールを見ていると、自分が使用する業者に「~をやっていただく」とメールしているので、「~をして下さい」と指示口調に直す様に言うのだが、彼らは「いただく」調がよほど心地よいのかすぐに元に戻ってしまう。何回言っても直らないから最近はこちらもあきらめて、「先の架電の件について」など「馬から落ちて落馬して」の類だけを指摘する様にしているものの、心の中ではへり下り過ぎた丁寧語の多さが気になってしょうがない。


そういえば英語もかつてテレックス時代には、相手の事を"YOUR GOOD COMPANY"などと書く必要なし、"YOUR COMPANY"と書きなさいと英国人に教わったし、"REMINDER"は強く相手の注意を促すもので、近頃よくある"GENTLE REMINDER"なんてほとんど見た事がなかったから、こちらもよほど丁寧化しているのだろうか。最近は相手に対して何か依頼するのに"ASK"という動詞がメールで飛び交っていて、これもテレックス時代には"REQUEST""REQUIRE"を使ってもっと直裁に要求していたから、私は"ASK"だとお願いする感が出てどうも居心地が悪い。言葉は変わるというからこちらがだんだん意固地になっているのだろうが、やたら「させていただく」スタイルのメールを見るとがっくりとくるのである。

2013年2月 9日 (土)

縄文時代の東京都民

新宿区のマンション建設現場を発掘調査していたら、約4000年前の縄文時代中期~後期の遺骨11体が発掘されたと先日ニュースになっていた。という事で暇な我々は、さっそく現場を見に行ってみる事にした。場所は市ヶ谷の防衛省から数百米北側、市谷加賀町にある住宅地の一角で大手デベロッパーによるマンションの工事現場である。ここはちょっと前まで大きな古いお屋敷が建っていた所で、ついに業者に売られたとみえ周囲をフェンスで囲んで工事が始まっている。酸性土で覆われた武蔵野台地にしては珍しく良い状態の遺骨の群が今回見つかり、学術的には大きな発見なのだそうだ。


現場に佇み、いにしえにここはどんな景色だったのだろうかと想像をめぐらすと、これがなかなか住みやすい場所だった様な気がしてきた。南側にあたる防衛省前を貫く現在の靖国通りは江戸築城前には川だったと云われるし、ここから北に少し行くと神田川の大きな流れに突き当たる。すぐ西の外苑東通りは今でも小さな谷になっているから、当時はきっと小川が流れていたに違いなく、この場所は三方を川に囲まれた日当たりの良い台地だった事だろう。多分、武蔵野の雑木林が生い茂っていたから木の実などが豊富だったはずだし、遺骨の歯が一応に磨り減っていた事から動物の皮をなめしていたらしく、このあたりには獣も多かったと推測できる。


地下1米ほどから遺骨が出てきたと報道されているから、我々が生活を営む東京の他の場所も、ちょっと掘り下げれば様々な時代の遺跡などが埋まっているのだろうか。表面に残ったものは風化して無くなってしまうが、土に埋もれたものが時空を超えて今に現われたかと思うと、先人達が「俺達も東京都民の大先輩として、ここでこうやって生きていたのだぞ」というメッセージを伝えてくれている様にも感じる。先達が弥生人や他の人たちとどう交わり、今の我々に繋がってきたのかなどと思いを巡らせ、考古学とか先史のロマンを感じながらぶらぶらと加賀町の現場を巡ったのであった。
20130209

2013年2月 8日 (金)

表彰状

会社から帰宅すると、やけに大きな封筒が届いている。何かと思ったら先日の新宿シティハーフマラソンの入賞者の賞状である。当日はレース後に男女の総合優勝・入賞者の表彰式があったものの、年代別入賞者の表彰は行われなかったから、何も貰えないのかと思ってさっさと国立競技場を後にしていたら、今頃になって表彰状が届いたのである。封筒には主催者の新宿区・中山区長から「入賞された方にご賞状を用意しておりましたが、当日お渡しができなかったために、失礼ながらご郵送いたします」という手紙が添えられている。ひょっとしてあのまま待っていれば、国立競技場で賞状が貰えるチャンスがあったのだろうか。


国立競技場といえばランナーにとっては聖地。大学時代にはインターカレッジの代表に選ばれる様な強い選手ではなかったから、国立競技場で走るチャンスといえば一年に一度の東京選手権くらいだった。その東京選手権も参加標準記録があり、私などは出場するのが精一杯だったので、年代別とは云え聖地で走って賞状を貰えるとは感慨もひとしおである。若い時にもっと強かった選手などは「今さら楽しくジョギングなぞできるか」と走らないものも多いのだが、走り終わった後のビールを楽しみにいまだに走っている私の様なランナーには、近年のマラソンブームはチャンス到来でもある。それにしても物心ついてから貰った賞状と云えば文科系や勉強系はなくて、走る事だけだったかと今さらながら苦笑する。


新宿シティハーフ・マラソンも途中の距離表示がまったく無い年があったり、今年も15キロ表示がなかったなど「あれ?」と思う所もあるものの、都心で何千人ものランナーが走る大会をつつがなく毎年開催してくれる関係者の尽力に大いに敬意を評したい。以前は大きな大会のテレビ中継でマラソン選手がゴール後に、走路に向かって振り返り一礼するのを見ると「あざとい!」などと感じていたのだが、だんだんこちらも歳をとってくると多くの人の助けを借りてレースが行われる事に感謝し、今回もゴールすると思わず走路を振り返り関係者・ボランティアの人達に頭を垂れ一礼したのだった。

2013年2月 4日 (月)

別大マラソン

2月第1週は恒例の別大マラソン、この頃になると陽も伸びて春が近くなった事を感じる。かつての別大マラソンは別府がスタートとゴールで、大分市で折り返してからの復路は別府湾を渡る北風に選手が悩まされていたものだが、それでも昭和38年にはクラレの寺沢徹が当時の世界最高記録をここで出し、昭和53年に旭化成の宗茂が日本人として初めて2時間10分を切るなど、数々の名勝負が繰り広げられた場である。


いつの間にかスタート・ゴールが大分になり別府を折り返す逆コースになったが、風光明媚な別府湾を望むコースで行われるレースがテレビ中継されるとついつい画面に引き込まれてしまうのである。で、今年は川内優輝選手と中本健太郎選手の35キロからの一騎打ちである。テレビの解説者も我が家で一緒に画面を見る妻も「中本の方が余裕がある」と言うが、「川内の様な選手は辛くなってから粘れる。顔は苦しそうだが最後は中本が根負けするよ」と私は川内君の勝利を確信する。最後は予想通り川内君が中本君を振り切ったが、それにしても彼の粘りは立派というしかない。


まれに見るデッドヒートを見るとこちらもアドレナリンが出るのだろうか、日曜日のジョギングも気合が入るから不思議なものだ。先週のハーフマラソンの疲労が取れず足にはまだ乳酸が残って痛みがとれないが、毎週の様にレースに出ている川内君を見れば何のこれしき大した事はない。疲労からの回復の為にゆっくりジョギングをしようか等と思っていたところ、結局15キロをかなりのスピードで走ってしまい「耐乳酸蓄積トレーニング」が彼のおかげでできたと力をもらった気がしたのであった。それにしても川内君、心意気や良し、1500米も3分50秒の自己新を出したと云うし、ひょっとするとどこかでもう一皮むけてとんでもないマラソン選手になるかもしれない。

2013年2月 3日 (日)

スポーツ野蛮国

桜ノ宮高校に続き高校駅伝の名門校で体罰があったと報じられ、その他にも多くの人がこれまで運動部で体罰にあったと云うアンケートが発表されている。一般社会ではCSRだ、ガバナンスだ、コンプライアンスだとがんじがらめになっているのに、教育やスポーツの現場ではまだこんな事が行われていたのかと大いに驚く。私が学生時代に経験した運動部には幸い体罰の伝統はなかったが、試合会場で顔見知りの他校の部員が「夕べ下級生全員殴られた、もうこんな学校にはいたくない」などと顔を腫らして泣いているのを見て驚いた覚えがある。そもそも鉄拳指導は終戦で軍隊から帰ってきた兵隊によって広く行われる様になったそうで、戦後すでに70年近く経ているのに旧軍隊の悪弊が残っているとは、教育や体育の世界が世の中からいかに閉ざされ遅れているかが伺いしれるのである。


私などは心理テストを受けると「信念をもった厳格、頑固な父親タイプ、感情で動き、物事を楽しんで行う人を見ると腹をたててしまう事もある」という結果が出て笑ってしまう位だから、運動における厳しい指導の意味は十分わかるつもりだ。また理屈を超えた鍛錬が選手を大きく伸ばす事も事実なのだが、それを達成するのに暴力を使わなければならないとしたら、そんな運動は指導する価値も指導される価値もないと思っている。しかし今だに近所のグランドで行われる少年野球の練習などを見ていると、コーチと称される人達がエラーをした子供を口汚く罵っている場面に遭遇し、こういう指導がまかり通る所に今回の騒動を許す下地があるのだろうと感じるのである。


どうやら報道されているのは氷山の一角で、全国にはいつ自分の事が表沙汰になるのかと戦々恐々としている教師やコーチが多数いるのだろうと想像が付くが、世界の国々でこんな騒動は聞いた事がないから、スポーツの指導で暴力が許されているのは日本独特のやり方に違いない。オリンピックを再び東京に招致しようとしている現在、肝心のスポーツの指導で暴力がはびこっているとすれば世界の笑いものになりかねず、文明国として恥ずかしい限りである。これを機に暴力の一掃は云うまでもなく、校名宣伝のために勝利至上主義に陥っている学校スポーツのあり方などを考え、スポーツの持つ自主性や楽しみをより評価する動きが強まれば良いと私は考えている。

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