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2013年1月

2013年1月28日 (月)

人の振り見て我が振りなおせ

近所の地下にある居酒屋に妻と食事に出かけて、入口に近い席に通され焼き鳥などをつまみながら呑んだ。「 こうして二人して呑むから酒代がかかってしょうがねえなあ 」などと話していると、しばらくして何やら入口のあたりでワーワー騒いでいるのが聞こえてくる。酔っ払い特有のただの大声かと思い、直に会計を済ませ出ていくだろうとのんびり構えていたら、いつまで経っても終わらないばかりかどんどんエスカレートして怒声がうるさい事この上ない。


この飲み屋は入口で靴を脱ぎ、脱いだ靴はその場で銭湯の下駄箱のような所に入れて鍵をかけるシステムなのだが、気の利いた店員はさっと靴を箱に入れて鍵をかけて渡してくれる。口論はその入口の上がりかまちから聞こえて来るので、思わず身を乗り出して様子を伺っていると段々と状況がつかめてきた。職場のグループで来たらしい団体客の一人、中年男性が「 俺にこれで帰れって言うのかよ!」とトイレに行くためのつっかけサンダルを履いて店員に毒づいているらしい。そしてその後ろには職場の部下らしき若者が、怒り狂ったオヤジの剣幕にたじろいで為す術もなく突っ立っている。


団体で宴会にやってきたのであれば、この店のシステムからすると下駄箱のまとまった区画に皆の靴を収納し、宴会が終わると渡された鍵で蓋を開け全員の靴を一斉に出す筈だ。「 これは俺の靴じゃない 」「 どうしてくれるんだ 」とかなり呂律が回らない口で散々店員に威張り散らしているオヤジだが、冷静に考えれば彼の靴は同じグループの誰かが間違えて履いてさっさと地上に上がった事に間違いない。店員は丁寧に応対しているが、「 滅多に起こらないことが起こったってどういうことだ!?」「 その滅多に起こらないことが起こってんだぞ、ああ??」とオヤジ。しつこく「 俺にこれで帰れってんだな 」「 サンダルで帰れって言ってんだよ、お前はよお!他の箱に入ってんだろお、捜せよ!」「 責任者はどいつだ、訴えてやる!」と自分の声にますます興奮している暴走オヤジはもうどうにも止まらない。


酔っ払っているとは言え、よくもまあこれだけ人に向かって高圧的になれるものだと呆れつつ、そのうち下駄箱を蹴る音もし始めて店員が気の毒になってくる。「 野次馬根性はやめなさいよ・・ 」と言う妻の制止を振り切って見に行き、もう一人遠巻きに見ていた店員に「これ器物損壊じゃない。警察呼んだらどう、交番はすぐそこだよ」などとこそっと耳打ちする。怒り狂った本人に言ったら火に油、下手すると殴られかねないから聞こえよがしの微妙な声で言うあたりコチトラもまだ酔っ払ってない証、「何とかと喧嘩は江戸の花」の野次馬江戸っ子の面目躍如か。この酔っ払いクレームオヤジ、散々悪態をついて店のディスプレイを蹴ったりしていたが、しばらくするとどう収めたのか、トイレのサンダルを履いたまま他人の靴を手に持って階段を上って立ち去ったようである。


「 見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありません 」と店員に謝られ「 気にしてませんよ、大変でしたね 」と声をかけてまた妻と呑みなおしたのだが、我々も勘定を終えて地上に上がると突然妻が地面を指差して噴き出した。「さっきの暴走オヤジが脱いでったサンダルじゃない?これ」。見ると店の置き看板の脇にちょこんとサンダルが揃えて置いてあった。やはり地上で待っていた彼の仲間が間違えていて、上で交換しそれぞれ正しい靴で帰途に就いたのだろうが、酔っ払いオヤジさすがにバツが悪いと思ったのか入口の脇にキチンとサンダルを揃えて去っていってしまった。今頃”青菜に塩”で酔いもさめ電車の中でシュンとしているのだろうかなど思うと何とも笑え、「 酔っ払いはタチが悪い 」と妻に喋ると「 あなたとケンカになる時は大体あなたがかなり酔っている時だから、当たりはあの位キツイのよ 」と思わず逆襲されたのだった。”人の振り見て我が振りなおせ”か。
20130128

2013年1月27日 (日)

新宿シティハーフマラソン2013・デブ新

今日は2年ぶりに新宿シティハーフマラソンに妻と一緒に出た。これはランナー憧れの国立競技場を発着し、神宮外苑や新宿の町を駆け抜けるハーフマラソンで今年で11回目、交通の便が良い事から最近とみに人気を増しているレースである。しかし朝6時半の目覚ましの音に反応する我が体はだるく、休みの日に何でこんなに早く起きなきゃならないのかと目覚まし時計を呪いながらベッドからおき出すのは、ゴルフや登山に行く朝と同じだ。それでも「えいやっ!」とばかり布団を跳ね除け、今日は晴れているのか風があるのかと外を気にする頃には、アドレナリンが出始めるのか体が徐々に戦闘モードになっていくのが分かる。幸い今朝の東京は快晴で風も穏やかで、こんなのを「ノン・エクスキューズデイと云うんだよな」と黙々と走る支度を整えたのである。


今日の霞ヶ丘国立競技場は多くの参加者と応援の人で賑わっていたものの、バックスタンド下のトイレは全箇所がオープンで、場所を選べば長蛇の列がないのは素晴らしい。市民マラソンレースは大体朝が早い上に、多くのランナーがトイレを”催す”様で、どの試合でもトイレや簡易トイレに出場者が並ぶのが恒例だが、今日の様にまったく並ばず用が足せる大会なぞは他にそう無く国立競技場のメリットを感じる。さてレースは朝9時5千数百名が一斉にハーフマラソンの部のスタートしたが、私はどうも最近練習不足の上に好きなものを飲み食いしている為か、体重が好調時より3キロも重く前半の5キロも行かぬうちにリズムが悪く苦しくなってくる。かつて日本の長距離の第一人者だった沢木啓介はレースの苦しさに「他の選手が突き飛ばしてくれたらさっさと楽になるのに」と思ったそうだが、私も「ここで肉離れでも起こせば今日はリタイアする口実ができるか?」などと不埒な考えが頭をかすめたのだった。


毎回毎回、何十年も「何故こんな苦しい事をしなきゃならないのか」などと自問自答しながら走っているのだが、それでも足を進めるうちに段々汗も出て体も前進モードになるから不思議なもので、ゴールしてみれば幸いエントリー全体では上位10%以内、特に60歳代の部では上位入賞できた。この様に年齢別で良い成績を挙げるのも嬉しいものだが、それにも増して今日の収穫は一昨年のこの大会の記録とほとんど変わらないタイムでゴールできた事で、体重が3キロも増えても少なくとも走る事に関しては老化があまり進行していない様である。同じく体重が3キロ増えて今日のハーフマラソンでセカンドベストを記録した妻と、「お互いデブ新記録だ」などと言い合ってゴール後喜んでいるのである。
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2013年1月25日 (金)

プリンセス・クルーズでの追加特典

米国プリンセスクルーズは来年2014年に、11万6千トンのダイアモンド・プリンセス号(乗客2700人)が横浜を基点に20航海、7万7千トンのサン・プリンセス号(乗客2000人)が神戸を基点に22航海、日本人を主な対象にクルーズを行うと発表した。プリンセスクルーズの親会社であるカーニバル社は、昨年カーニバルジャパンを設立して日本市場に本格的に乗り込み、2013年はサン・プリンセス号で日本近海クルーズを行うとしている矢先、2014年は早々に2隻による配船、それも大型船を投入して市場を席捲する模様である。今年のサン・プリンセス号の結果が出る前に、この様な大胆な戦略が発表されるとは驚きで、外国資本が日本市場に潜在的需要があると見て、その本格的な掘り起こしを企図していると見られる。何せ僅か20万人/年といわれる日本のクルーズ市場に、プリンセス2船だけで10万人分のキャビンが供給されるのだから、これによるインパクトは半端ではない。


それにしても今年2013年はサン・プリンセス号の他に、イタリアのコスタ社や米ホーランドアメリカ社も日本を中心としたクルーズを展開する他、アジアのスタークルーズも台湾・沖縄方面で営業を強化するとの事で、私たちもさっそくゴールデンウイークに横浜発着のコスタクルーズを予約した通りである。これまで日本船の独壇場だった国内クルーズでいよいよ外国船による本格的な競争が始まる事になり、利用者としては誠に喜ばしいと現象と言えるが、振り返れば日本以外の先進国ではクルーズ産業が伸びていて、先日飛鳥Ⅱの船上で珍しく会ったドイツ人乗客は、「 ドイツでは一年で一社新しいクルーズ会社ができている 」 と言っていた。その一方で金持ち高齢化の日本でクルーズ乗船客がこれまで伸びてこなかったのが不思議なのだが、値段が高い上に独特な雰囲気の日本船は嫌いだという外国船ファンも多いから、これからは気軽に横浜や神戸から外国船に乗る新しいファンと従来の日本船ファンが棲み分けして、新しい需要が期待できるのかもしれない。


外国船はふつう酒類は持ち込めないし、チップやサーチャージなどの付帯費用もかかり単純な比較はできないものの、概して値段は日本船の半分以下だし船内の設備やネット環境などはむしろ日本船を上回る。日本船のかゆい処に手が届くサービスは期待できないし大浴場もないが、その代わりカジノでは本当のギャンブルができるのである。ダンスもやたら気取ったボールルームダンスばかりで気後れする日本船と違い、明るく楽しくカジュアルで、日本船と外国船はそれぞれ長所・短所があって、要は好みの問題だから両方で大いに競争したら良いのである。ただし太平洋からオホーツク海に出るのに、北方領土を抜けてクルーズできるのは外国船だけだから(日本船はロシアとの領土問題で事実上ここを通れない)、来年2014年の夏はダイアモンド・プリンセス号の北海道・サハリンクルーズで普段味わえない旅行を楽しんでみようかと考えている。

写真はダイアモンド・プリンセスと同型の姉妹船、サファイヤ・プリンセス号(バンクーバー)
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ダイアモンド・プリンセス号(スキャグウェイ)
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2013年1月23日 (水)

プラント建設作業

アルジェリアで人質事件が起こりニュースによってその詳細が流されるにつけ、遠い砂漠の真ん中でこんなに多くの日本人がプラント建設に従事している事に驚いた。過酷な環境でインフラを建設するプラント会社・ゼネコン・マリコンなどで働く日本人の汗が、その国の人々の生活向上に貢献するだけでなく、日本の繁栄を支えている事を知り、ニュースを見て改めて彼らの厳しい境遇に思いをはせたのである。


思い出すのは70年代半ばに、研修で日本から南米まで貨物船に乗船した時の事である。ベネズエラのオリノコ川でパイプを荷揚げ中、ボートで数名の日本人が乗船してきたのだが、聞くと彼らは上流のダム工事現場で現地人を指導して働いているのだと言う。珍しく日本のフネが来る事がわかり、是非とも訪船したいとボートで遠路オリノコ川を下ってきたそうで、本船の司厨長の心づくしの日本食を味わい、久しぶりの日本の雑誌やファックスで受信したニュースを読んで喜んでいた。帰り際には日本米をビニールに分けて持たせたが、その時は大変な仕事があるものだと思ったものだった。


また数年前に豪州からクルーズ船のパシフィックドーン号(7万トン)でニューカレドニアやバヌアツを廻った時には、バヌアツの首都ポートビラで岸壁を日本のマリコンが建設しているのを見た。首都と言っても小さな島国の辺鄙な場所、蒸し暑い気候の中で現地の人々を監督しながら港を建設する日本人の姿に感動し、クルーズ船に乗船しているオージーたちに「あそこで港を作っているのはジャパニーズのコンストラクターだぜ」と思わず呟いたのである。


今回のアルジェリアの事件では、安部政権はさっそく政府専用機を差し向けるという時宜を得た対応を見せたが、日の丸を描いた機が離陸するニュースを見るにつけ、遠い異国の砂漠で犠牲になった方々や残る家族に、精一杯の便宜が図られる事を願わずにはいられないのである。
写真はポートビラの港湾建設作業の様子で一番左が日本人の現場監督。

20130123

2013年1月19日 (土)

雪と点字ブロック

雪も残る東京の町で、ここ数日視力の不自由な方から2度ほど道を聞かれた。一回目は会社の最寄の駅で白い杖をついて歩く若い女性で、どうやらいつもと違う改札口から駅に入ってしまい、駅の階段が思っていた方向と違っていたらしく、自分の行きたいホームにたどりつけずかなり焦っている様だった。手を取って目的地に向かう電車のドアの所まで連れて行こうかとも思ったが、相手は見知らぬ若い女性、オーバーの上から腕をつかんで誘導するのもはばかれる。彼女の30センチ前を歩いて「次右です」「左です」「次の一歩でエレベーターのステップ」「エレベーターおります」などと声をかけつつ、目的のホームまで連れて行ったのだが、声で状況を適宜教えるのはとても難しい事が判った。


次の日は路上でかなり高齢の目の不自由な方から道を聞かれた。彼はいつも近辺を歩いているそうだが何故かその日は道に迷ってしまったらしく、ある建物の前まで行けば後は自分で帰れるので、そこまでどう行ったら良いのかと質問される。「あ、あの建物の向こうを曲がるとそこですよ」と答えるも、その建物が彼には見えないのだろうから私の返事も間抜けである。これは言葉で説明するよりも自分で連れて行った方が良さそうだと思い、彼の腕を取って5分ほど一緒に歩いて案内した。その地点まで来て方角を示すと、その高齢の方も安心した様で丁寧なお礼をされ、一人で歩き出したのでこちらもホッと一安心したのであった。


それにしても滅多に目の不自由な人から町で声をかけられないのに、2日続けて同じような経験をした事はちょっとびっくりした。この2人とも普段は周辺の道を自分の力で歩いている様子なのに、急にいつもの判断を狂わせる事態が起こったのだとすると、どうやら寒波で融けずに残った雪が、点字ブロックや駅の入り口の目印を隠してしまったのではないかと考えられるのである。雪がやんで数日たっても日陰の歩道や要所の交差点にもカチカチに凍った雪が残り、我々もしばしば足元の状態が把握できないが、目の不自由な方たちは氷の下の点字ブロックなどを確認する事がいっそう難しい事だろう。ちょっと雪が降ると普段我々が想像できない箇所で町に障害ができるのかと思うと、より色々な人々のさまざまな視点で道の安全対策や融雪対策が必要なのではないかと改めて気づかされたのだった。

2013年1月16日 (水)

溜飲

先の三連休を使って横浜~横浜の「飛鳥Ⅱ冬色Aスタイルクルーズ」に乗船、駿河湾から初春の秀麗な富士山を眺めた後、西麻布のイタリアンレストラン「アルポルト」のオーナーシェフによるディナーや、3Women's Partyの80年代名作ドラマの主題歌シリーズを楽しんだ。「アルポルト」には2度ほど行った事があるが、船上のイタリア料理もお店と変らぬ味で、850名の満船の乗客にアルデンテで供されるスパゲティなどは絶妙の硬さ、ゆっくりと無寄港Aスタイルクルーズを堪能できた。


ただこのクルーズ、乗船前の天気予報で下船の日14日の天気が心配されたため、クルマで横浜港大桟橋まで行かず電車で行こうかと妻に提案したところ、荷物を持って電車に乗るのが面倒だからとハナから却下。「予報ではまだ状況次第で雪の可能性というだけだから・・・、クルマで大丈夫じゃない?」と常に事態を都合の良い方に解釈するのはいつもながらアッパレである。しかし下船の日、飛鳥Ⅱが横浜に到着する頃になると、外はミゾレから雪に変わり、かなり激しく降っているようだ。我が家のクルマは雪道に弱い後輪駆動車のノーマルタイヤ、それもスポーツタイプなので雪などが積もってきたら真っ先に立ち往生するのは目に見えている。


早く帰宅しようと焦り始める私を横目に、脳天気な妻は親しくなった船客に再開の約束を長々としているわ、顔見知りのクルーには誰彼かまわずハグの挨拶するわで一向に下船口に来ない。心残りでグズグズする妻を、最後は「雪が積もるから早く」と引きたてる様に下船口に連れて行き、横殴りの雪の中を都内にドライブして戻る間もなく、あちこちで高速入り口が閉鎖されたとか車がスリップして道を塞いだなどとニュースが流れてくる。きっとあと一時間遅かったら首都高速の上などで止まっていたはずとホッとし、「どうでもいい心配し過ぎじゃないの」といつもニヤニヤしている妻に「ほら見ろ、今回は心配した通りになったじゃないか、心配にも合理的な理由があるのだ」とちょっと溜飲が下がったのである。

20130116

2013年1月12日 (土)

完璧の安全

副作用の強くない薬品もネット販売を禁止するのは法律違反との判決が出された。すでに企業の健康保険組合などでは、これら薬品を通信販売で安くあっせん提供する時代である。これまで既存の薬局の既得権と関連省庁の意向で薬のネット販売が禁止されていたのに違いなく、判決は妥当なものだと私は思う。そういえばかつて理容業界が1000円の床屋チェーンは髪の毛を洗う設備がないため、床屋として認めるなと関係官庁に訴えた事があって、これは棄却されたそうなのだが、既存の業界を守る為のこの様な規制がいかに多い事だろう。私も忙しい時など仕事や外出の合間に10分間で散髪できる1000円床屋に行く事があって、あれはあれですっきりして便利なものである。


法律や条例は国や自治体レベルで毎年作られるが、本来は時代に合わなくなったものや不要になったものも同じくらいの割合で改廃されなければならない筈だ。新しい法律が出来る事はよく報道される一方、改廃される法律はどのくらいあって、それは十分なのだろうか。行政でいえば人通りもほとんどない町の中に、新たな交通信号が設置されているのをよく見かけるのが、これらも予算をつけて次々に設置されているわけである。人口も減りクルマの台数も減る場所でも、信号機だけは今後も増えていくのだろうか。


そういえば昔は飛行機に乗るのに、セキュリティチェックなどなく簡単に搭乗口まで行けたし、見送りの人もゲートまで来て手を振って別れたものだった。一握りのテロリストの為に世界中のどれだけ多くの人が迷惑を蒙り、警備産業だけ栄える世の中になったかと思うとその時間とコストに腹立たしい。また日本の会社もかつては誰でも事務所に出入りできたものが、今ではどこでもゲートを通過するなり鍵を持たねば入れないのである。一体いつから日本の社会もそんなに性悪説にたって人を管理する様になったのだろう。ほんの一握りの悪や事件を恐れ、「完璧の安全」を求める社会の行きつく未来は、さぞかし法律と警備と規制で、がんじがらめの社会になっているのではないかと恐ろしくなる。

2013年1月 7日 (月)

りそな・マルハビルの解体

正月だと云うのに相変わらず多くのランナーで賑わう皇居周回コース。いつも通り皇居前広場を走り過ぎ、新装なったパレスホテルに差し掛かる頃、視界を遮る景色にふと違和感を覚える。荒い息を継ぎながら目を凝らすと、いつも見慣れた目の前の高層ビルが無い、いや無いのでなく背の高さが大幅に低くなって地表近くにビルの上部だけがちんまりと佇んでいる。目に馴染んだ景色だけにその一角が切り取られ、そこだけぽっかりと青空が広がっていると、何だか間の抜けた様な奇妙な感覚が襲ってくる。


ここは大手町の一等地、かつてマルハや協和銀行が入っていた大洋漁業ビルは、その高さが近隣の三井物産ビルと同じくらいだったはずである。この地区のビルを建て直す事は聞いていたものの、隣の三菱東京UFJ(旧三和)銀行ビルの様に覆いをかぶせて上から解体するのだとばかり思っていたら、下から壊すこんな方法もあるのかとびっくりする。ビルの解体といえば周囲を立ち入り禁止にし、ダイナマイトで一挙に爆破するやり方を海外ニュースで見たりするが、密集した日本の都市ではそれは無理というもの。市街地で堅牢な建物を安全かつ静かに壊すのは、けっこう気を遣う大変な作業に違いない。


何でもこの解体法は一階の柱を切り取って多くのジャッキを設置し、その上の階の天井や壁を壊すとそこの柱を除きながらジャッキを一斉に伸ばすのだと云う。まるで「だるま落とし」の様な解体法で、日本のゼネコンが開発したものらしいが、多くのジャッキを同期させたり、工事中に地震に襲われても大丈夫な様にと仲々すごい技術だ。日本だけでなく世界中で既存のインフラのメンテナンスや解体が問題になっているこの頃、こんな日本の技術が海外でも大いに役立って欲しいものだ。

(写真)
奥が三井物産ビル、真ん中が上から解体する旧三和銀行ビル、手前が解体され上部が地表に残ったりそな・マルハビル。もともと3つのビルの高さは同じだった。
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2013年1月 6日 (日)

ふしぎなキリスト教

お正月休みにはいつもあまり読まないジャンルの本を読もうと思い、書店のコーナーで講談社現代新書「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎・大澤真幸著)を手にした。この本「新書大賞2012 第1位 30万部」だそうで、「起源からイエスの謎、近代社会への影響まですべての疑問の答える最強の入門書」との帯書きに惹かれたのである。なにしろ私は冠婚葬祭以外に宗教にはほとんど関わりがないし、卒業した学校は「独立自尊」を説く学校だったから、キリスト教などとはこれまで縁遠い生活である。それでも八百萬のアニミズムと神仏混淆のシンクレティズムの日本に住んでいると、西欧文明の基礎となったキリスト教や一神教とは何なのかという興味は常々持っているので、正月休みは結構ボリュームのあるこの新書本をじっくり読んでみた。


「ふしぎなキリスト教」は、二人の気鋭の社会学者による「一神教を理解する」「イエスキリストとはなにか」「いかに西洋をつくったか」のテーマ毎対談を纏めたもので、深く掘り下げると云うより普通の人にもわかり易い事例などを挙げて広く大胆にキリスト教を解説した本である。流浪の民として過酷なユダヤ人社会から一神教が生まれる過程、ユダヤ教からどの様にキリスト教が出現したのか、同じ一神教であるイスラム教とは何が違うかなど、これまで疑問に思ってきた事が説明されている。しかし読むにつけ一神教の特異性がわかり、神と人間の人間の関わり方など、我々にはなかなか想像が及ばぬ世界である事を思い知らされたのも事実。何と言っても周囲を海で隔てられて侵略とは無縁だった日本人の環境では、過酷な状況に於かれた民族から生まれる一神教の偶像崇拝禁止などの考えがなかなか理解できないのではなかろうか。


同じ一神教のイスラムの世界が、中世までは科学・技術・哲学に優れていたのに、西欧キリスト教文明がなぜ追い越したのかについての説明では、イスラムが宗教としては完成されているため却って宗教に拠拠しすぎた等、「なるほど」と感じる点も多く大変な力作なのだろうが、根をつめて読んだ割には結局私の様なベース知識ゼロの人間には「それぞれの箇所はわかるけど、全体としてはなんだかわかった様な、わからない様な」と云うのが率直な感想であった。また対談形式をとったが故に、切り口がワイドでかつ平易な一方、宗教の背景にある何らかの「肝」の様なもの、社会を貫く通奏低音の様な基礎に今一つ到達できないもどかしさも感じたのだった。たった一冊の本でキリスト教の事がわかる筈もないが、とにかく西欧文明の底流にあるキリスト教の考えの一旦に触れた事で、この正月休みは良しとするかと云ったところである。
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2013年1月 3日 (木)

新春東京-川越間35km走

今年は東京マラソンの抽選にはずれてしまい出る事はできなかったが、代わりに義妹夫婦が当選して2月末に東京の街を走る。働きざかりの彼らには普段の練習時間もままならず、正月は絶好のトレーニング期間となるので、1月2日には東京~川越間(川越街道)を一緒に走ろうと昨年12月に提案があった。なぜ川越かというと都心からの距離が35キロ~40キロでマラソン練習には適度な上、走った後に小江戸と呼ばれ観光客で賑わう川越の町を観光できるからだという。川越は東京のベッドタウンとあって、わざわざ見に行こうと云う気はあまりおきないが、たしかに練習のついでに観光できるなら新年から一石二鳥かとちょっと面白そうな企画である。


と云っても義弟は2日の朝に大手町に行って箱根駅伝スタートを見てから走りたいというし、この企画の言い出しっぺの義妹は年末になって現実が近づくと急に弱気になり、あろう事か途中の成増まで電車で行き、残り20キロだけ川越街道を走るという。という事でそれぞれが別々に川越を目指して走る事になったのだが、かく言う私も最初は「妻と二人で参加、走ろう、走ろう」などと威勢よかったものの、年末からお正月になると「途中の志木までなら23キロくらいだから、その辺まで走って後は電車でいいか」と急に面倒になるのだから人の事は言えない。


昨日は快晴で絶好のLSD(ロング・スロー・ディスタンス)日和り、取りあえず妻と朝8時半に我が家を飛び出したものの、これから30余キロもえっちらおっちらと走るのかと思うと、自宅前の坂もなんだか急勾配に見えてくる。それでも池袋を過ぎて川越街道を西に向かうと向かい風なるも気温が上昇して気持ち良くなり、このまま行けるところまで行くかという気になる。川越街道は平坦に見えて中小河川のアップダウンが結構あったのだが、郊外に出れば新春の空気も清々しく武蔵野の面影を残す林や農家も点在していて、いつの間にか足はゴールに向けて一歩づつ前に出て行く。何よりもいざと云う時のお助け神、併走する東武東上線が成増を過ぎると街道から数キロ離れてしまい、途中からわざわざ電車に乗ると云う選択肢がなくなってしまったのは結果として良かった。


で、結局われわれ夫婦はネット3時間25分ほどで35キロ弱を走って目標の川越にあるファミレスにゴール。一足先に到着していた義妹夫婦もそれぞれ40キロ弱と20キロを完走して走り初めを終え、午後は川越の日帰り温泉で汗を流した後に、インセンティブの小江戸の町並み観光を楽しんだ。こういうのをマラトニックと云うのだろうがゆっくり長い距離を走って、目的地で観光や催しものを楽しむのもなかなか楽しいものだ。しかし東京に戻っての夕食は完走記念のビールで乾杯し、「豚しゃぶ」を皆でたらふく食べ、結局「お腹一杯!これじゃあ、いくら走っても体重は減らないよね」と毎度お約束の会話を交わしたのだった。

小江戸川越の町並み
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2013年1月 1日 (火)

新春

政権が変わっただけで、まだ始動する前から円安と株高で経済は反転していて、まさに景気は「気」からである。安倍政権のこの一週間を見ても日米安全保障を基軸に日米関係を強化、集団的自衛権の見直し、慰安婦問題の「河野談話」の再検討と矢次早やに意向が発表されて、日本も前に動き出したのかと少し安堵する。ぞろメディアは安倍たたきを始めるのだろうが、今年の参院選までは自重し、きたるべき大型政権ができたら、それこそ戦後レジームを脱する政治を展開してもらいたい。

ぐっと小さくなって、個人的には今年は酒の量をちょっと減らしたい。どうも年甲斐もなく食べるのも早ければ、食べる量も多いらしい。それも食事が済んだ後でも、いやしい私はチョコレートを頬張ったり、せんべいをぼりぼりとかじったりして、妻に「それだから体重が増えるのよ」と怒られる。寝る間際には何となく口寂しくなってちょっとだけ酒を飲みたいなどと思うのだが、これも体に良いはずはない。ぐずぐずと起きていないで、さっさと早寝し酒量を10%くらい減らしたいと思う。

東京の新春は穏やかな青空である。年末に東京駅の「東京みやげセンター」で買った”日はまた昇る、晋ちゃんまんじゅう”でも食べて、今年一年の平和を祈願するのである。
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