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2012年11月 4日 (日)

古代出雲王朝

高校時代の日本史の先生がちょっと変わっていて、古事記ばかりを半年間集中して授業で取り上げた為、私もわが国の国造り話にちょっと興味をもった時があった。今年は古事記編纂1300年という事で、これに関連した特別展覧会やシンポジウムが各所で行われているそうで、読売新聞の記念シンポジウム「神々の国 出雲 -日本神話の実像にせまる-」と題するパネルディスカッション要録(11月2日付け朝刊)が面白かった。そこでは古事記に描かれる出雲神話や、巨大だったと云われる出雲大社のかつての神殿から、出雲王朝の存在やその実像が論じられていて、一読して歴史のロマンを思い起こさせてくれる。


梅原猛さんによる基調講演は、出雲王朝を「漁労と農耕を基盤とし、スサノオを創立の王とする」とし「(出雲王朝の)6代目オオクニヌシは・・・北陸の越を征服し、さらにヤマトにも進出して日本で最初の大きな国を造った。」「しかし1世紀ごろ、出雲王朝はヤマト王朝に滅ぼされる。オオクニヌシは戦いを避け、巨大な宮殿と引き換えに平和的に国を譲る道を選んだ」としている。かつて読んだ古事記の解説書では、たしか出雲の神であるオオクニヌシが日本の統治者だった処、国譲りを受け天照大神の孫であるニニギノミコトが高千穂の峰に降り立ち、神武東征を経てわが国ができたと書かれていたはずだ。


ただ天孫降臨のあたりは神話の世界で、話がまったく論理的になっていないので、私の様な素人は誰が誰やら混乱するところなのだが、古事記はヤマト政権が出雲やその他の勢力と関わって、それらを支配していく中で正統性を確立していく事を示しており歴史書として興味深い。梅原猛さんは「出雲王朝は存在した。そして平和的な国譲りの伝統は、江戸城の無血開城や戦後、進駐軍を粛々と受け入れた日本人の精神性に、確かに受け継がれている。」としている。このパネルディシカッションの要録記事を読みながら、先年訪れた出雲大社にあった巨大神殿の模型を思い出し、ヤマト政権と出雲の一大勢力との関わりに思いを馳せたのであった。

出雲大社近くの模型展示館「雲太」にある古代出雲大社の巨大神殿の模型
(高さ48米あったとされている)
20121104


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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

最近の記事のレベルが高尚すぎて、なんてコメントしよう、なんて考えていたら次がアップされちゃいました…面目ない…

いいね!Yさん

いつも読んでくださりありがとうございます。

コメントなくとも読んでいただけるだけで嬉しいです。

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