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2012年10月

2012年10月30日 (火)

東京名物神田古本まつり

10月27日からは読書週間だそうで、それに因んで開催される神田神保町の書店街の「第53回東京名物神田古本まつり」と「第22回神田ブックフェスティバル」に先の週末に行ってみた。古本屋街として知られる神保町界隈だが、都心で古書販売だけで商売を続けるのは難しいのだろうか、町は徐々にビデオ屋やゲームセンター、飲食店などに変ってその風情も変化していく。それでも多くの古本屋や大型の新刊書店のほか楽器店やレコードの中古販売店なども残っていて、雑然としたこの町の店先をひやかして歩くのは楽しいものである。

とは云うものの、実は「神田古本まつり」と「ブックフェスティバル」に行ってみるのは初めてで、どんな具合なのか地下鉄の出口を出てみると、その人の多さとまつりの賑わいぶりに驚いたのだった。古本などというと何となく枯れた年寄りの好事家を連想していたのだが、神田の町に溢れるばかりの彼ら高齢者は、それぞれが独自のテーマを持つかの様に、道路に並んだ古書専門店の特設売り場を精力的に回っている。他のお祭りと一味違うのは、朝10時のオープンと同時に多くの人が本屋に殺到しているありさまで、これは朝早いのがお手のものと言える高齢者パワー効果だろうか。道路に広がる書店のワゴンに地元明治大学のブラスバンドのほか、デキシーランドジャズ演奏や食物の模擬店などで神保町一帯はお祭りムードであった。

今や都営交通やバスなどの一部の公共輸送は高齢者が無料かごく安い料金で乗車できるので、こうしてみると足代の負担が軽い彼らは、あちこちで消費をしているのかもしれない。無料パスには思わぬ消費浮揚効果があるのかもなどと考えるが、そのほか山に行けば山ガールに混ざって年配者のグループが多いし、神宮球場や各種コンサートなど今やあちこち高齢者で溢れている。中古レコード屋に入ると「最近はまたレコードプレーヤーを購入して昔のレコードを買いに来る方が増えました」と店員は言うし、町でよく見るスポーツカーには退職世代が運転する姿を良く見る。メディアでは「孤独な老人」などと高齢化社会の暗い面が大きく扱われる一方、実際にはこんなに元気で好奇心あふれるお年寄りが多いのという事を神田神保町で実感した。
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2012年10月25日 (木)

箱根駅伝予選会と学連選抜チーム

先週末に行われた89回箱根駅伝予選会で、後輩の門出君が関東学連選抜チーム16人の中に選出された。今年の学連選抜は予選会敗退校の中から個人で上位に入った選手を「各校一人」づつ選んだそうだから、昨年の様に予選会のボーダーライン上で落選した学校から強い選手が複数選ばれる事なく、我が後輩も抜擢されたものだろう。もっとも来年お正月に箱根駅伝の本番で走れるのは10人だけだから、本当に彼が走れる様になるかは極めて微妙だが、もし出場できれば箱根路を後輩が走るのは平成18年の亀田君以来という事で、門出君のあと2ヶ月の精進と調整を陰ながら応援したい。


それにしても最近の予選会のレベルアップと、学校を挙げて進出してくる新興大学の強化に押されて母校の予選会の成績が毎年下がるのには、失望を超えてあきらめに近い気持ちを抱くこのごろである。数年前、慶応高校が甲子園大会に春・夏と出場した時、老OBたちが「これでいつ死んでも良い」と涙を流していたが、駅伝もチームとして箱根から遠ざかって19年、いったい私の目が黒いうちに箱根路で新春を迎える時がくるのだろうかと、つい大成した老人の様な事を考えてしまう。しかし少子化でそれぞれ大学の経営方針もどう変るかわからないし、あの人気の巨人戦がテレビで中継されなくなった様に、学校宣伝の場と化した異常な駅伝人気もいつ衰えるかはわからない。かつての様に「新年おめでとう、今年は箱根に応援に来れたね」などと旧友と和気藹々お正月を祝える日がまた来るのかもしれないと、私もはかない望みを抱くのである。


さて今年の学連選抜チームには、しばしば箱根路に登場する学校の選手に加え、東京理科大や東京経済大など駅伝とは縁のなかった学校の選手も選ばれた。選ばれた16人のうち彼らのタイムは相対的に下位の方だから箱根路を走れるかはまだわからないが、普通に勉強に励みながらコツコツ走ってきた「一般の学生選手」には是非とも頑張って欲しいものである。近年、学連選抜チームを出すくらいならその枠を予選会ボーダーラインの学校に配分すべきと一部の学校が声高く唱え、選抜チームの存在意義が問われているそうで、再来年の90回大会には学連選抜は結成されない事が決まっている。しかし学習院出身の川内優輝君が学連選抜チームから巣立っていった事を考えると、一部の特待生とスポーツエリートや学校の宣伝のために駅伝だけに集中するチームが多くなってしまった大会に、一陣の爽やかな風の様な学連選抜チームがあって良いと私は考えている。

2012年10月22日 (月)

親中だとこうなるのか

親中国派の「尖閣」における論点を知りたくなって、テレビなどに出演の多い外務省出身の反米派、孫崎亨の講談社現代新書「不愉快な現実」をこの週末に読んだ。孫崎氏は縷々現在の日本のおかれた状況を説明した上で、日本の国益の為に尖閣は中国に妥協し、当面問題を棚上げ(何もしない事に戻す)する事を提唱しているが、どうもこの本は中国に寄り添いたいばかりに、多数の文献や資料から自分に都合の良い箇所を引用した牽強付会の書にみえ、日本の国益を説きながらその実、媚中の本心が透けて見える様な本だと思った。


孫崎氏の論拠は、①中国は経済・軍事で米国と肩を並べる超大国になる → ②米国はアジアで中国を最も大事な国と位置づける → ③経済・軍事で米中が接近する中で米国が日本を守って尖閣紛争に介入する事はない → ④よって日本は紛争が拡大するのを防ぐために中国の言う事を理解し、中国を中心とした東アジアの依存関係を強めるべし、という事である。私も①から②にかけては彼の意見にうなづくのだが、③については「尖閣は日米安全保障の適用」という米国の幾度もの公式見解をみても、あるいは国務省のケビン・メイ氏が、同盟国を見捨てた場合にアメリカ軍は世界展開する意義を喪失する、よって日本を見捨てる事はありえないと発言している事(「決断できない日本」文春文庫)からも、孫崎氏の意見は独断かつ皮相的すぎると感じるのである。


孫崎氏は中国側の論拠を紹介した上で、田中角栄総理と周恩来首相がかつて交わした、尖閣「棚上げ」論を日本が一方的に破ったのが尖閣問題の発端であるかのごとき説明を展開するのだが、そもそも今回の騒動は中国漁船が海上保安庁の船に体当たりした事件や、香港や台湾の活動家が永年挑発しつづけた事がきっかけで、その発端は中国側にある点に対して氏は触れていない。これまで中国は日本から多額のODAを受けながら国是として反日教育を行い、靖国参拝問題はじめ、ありもしない”南京大虐殺”問題をデッチ上げるなど、日本人をほとほと辟易させてきた事が、今回、日本人が怒った背景にあるのだが、その点を孫崎氏は一切触れずに、ただ中国人の考えを忖度せよと述べても到底日本人の理解や共感は得られないであろう。


同書の中で孫崎氏は中国の成長を肯定的に捉える一方、日本のさまざまな停滞はBIS規制を始めとするアメリカの術中だとする「お約束」の論調を展開するが、先の東京IMF・世銀総会で日本のメガバンクが再び評価された事や、中国初の中古空母が張子の虎であった事、米国の内部資料が日本の主張を裏づけするなど氏に都合の悪い点もその後に次々明らかになっている。この本は、やはり事態の一面しか捉えていない、中国側から見た尖閣感であろう、と言うのが「不愉快な現実」の読後感である。


中国の台頭はゆるぎない事実だし、アメリカのアジア政策も中国に影響される点は氏の持論通りだと同意するが、私の考えはそういう事態であるからこそ、東アジア共同体などと中国に歩み寄るのは真っ平ゴメンだ、という事にいきつく。極論すれば地政学的にも文化的にも、日本は中国の属国になる位ならアメリカの属国になった方がまだ”まし”だという事で、その為には日米同盟をより強固かつ安定的なものにして、米国と中国の接近にクサビを打つ事が必要だと私は考えている。もし米国や中国のどちらの属国になるのも嫌だというならば、たとえ経済的に貧しくなろうと、自主防衛戦略で核を保有するも清貧な国であろうとする覚悟が必要なのではないだろうか。
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2012年10月19日 (金)

秋の週末の恒例行事

秋晴れの週末になりそうである。毎回の事ながらこんな日は、学生スポーツの観戦に行くのが良い。プロのスポーツと違って大体どこでも好きな観客席にゆったり座れるし、なにより入場券が安い。コーヒーでも飲みながら日がな一日、若者たちの競技を眺めていると、すっかり心も軽くなって体がリフレッシュする事に気づくのである。アマスポーツ観戦は、言うなればおやじには格好のキル・タイムだといえよう。明日は箱根駅伝の予選会もあるが、やはり出かけるのは近くの神宮球場で行われる六大学野球と毎年恒例のパターンである。


2012年秋の東京六大学リーグ戦も終盤の第6週を終えて法早慶明の4校が勝ち点3で並ぶ大混戦となった。開幕から6連勝で飛び出した法政に対し早稲田が土をつけ、早稲田に明治が勝ち、慶応が明治に勝ち点を上げるという巴戦で、いよいよ今週末の法明戦が大きな意味を持つ。ここで法政が連勝すると文句なしの優勝、法政が2勝1敗かつ最終週の早慶戦で早稲田が連勝すれば早法優勝決定戦。明治が法明戦で連勝した場合で早慶戦で早稲田が2勝1敗となった時に早明決勝戦。母校慶応は法明戦で明治が連勝し早慶戦で連勝、あるいは法明戦で明治が2勝1敗なら早慶戦で勝ち点を挙げれば優勝と、パズルのような「優勝の行方」を考えながら応援するのも楽しいものだ。


秋のリーグ戦といえばここまで見慣れた4年生の活躍を見る最後のシーズンで、野手では1年から注目を浴びた早稲田の杉山や法政の多木など最上級生のプレーに期待したいし、投手では一皮むけた法政の三嶋や慶応の福谷などの有終が楽しみである。反対に勝敗の行方が決まった試合にこれまで出番がなかった4年生の控え選手が出たりすると、彼らの感慨は如何ばかりかとその慶びを共有したくなり、プロや社会人野球にすすまぬ選手の雄姿を目に焼き付けようと意識して観戦するのも秋のリーグ戦ならではである。明日は母校の出場はないものの「白雲なびく駿河台」とか「蛍あつめん門の外掘り」などと耳に馴染んだ各校の校歌をスタンドで口ずさむんでいると、秋の空の下で自然に涙腺がもろくなって困るのである。

2012年10月18日 (木)

かなわぬ別荘の夢

別荘を持ちたいというのはほとんどの男の夢だろう。祖父の時代からある別荘地に小さな更地があるのだが、以前から私もそこに小さな山小屋を建ててオーディオ装置を置き、クラシック音楽などを周囲に気兼ねなく大音量で日がな一日流せたら気分が良いだろうな、などとあこがれていた。朝は小鳥のさえずりで目が覚め、昼は庭仕事の合間に旨いコーヒーを沸かし、早くに風呂に入ってバーボンでも飲んでみたいなどと別荘生活を夢想するのは楽しいものである。が、仮に経済的にそれが可能だとしても、立ちはだかるのは大体”妻”の壁で、いわく「別荘に着いて掃除するのは女の役目、どうせオサンドンをするのなら、便利な都会の方が良いわよ」など現実的な主張を聞くと膨らんだ夢も萎えてしまうのである。


しかし「男の夢」絶ちがたく、先年友人の一級建築士に相談した処、やはりそれなりの建物を建てるのは相当の費用が掛かると言う。そもそも別荘地は地面からの湿気が多いので、床はコンクリートである程度高くする必要があり、「ログハウス、たった○○百万円だけ」などと云う訳にはいかないとその建築士は説明する。その上に家具だカーテンだ、暖房だと考えていくと、とても一サラリーマンでは負担できないコストだと分かってあらためてがっかりである。たとえ無理して建てても私の貧乏性な性分からすると、「あんなに掛かったのだから、年間に最低何日は行かなくては損だ」などと却って義務感にしばられそうで、それなら気に入ったホテルに好きな時に行ってゆっくり泊まった方が経済的にも心理的にも安上がりかと、現実的な妻の意見に流されるのである。


そんな訳で「気に入ったホテル」、これからの「旅の定宿」をまじめに探そうかという事で、蓼科のホテルハイジにこの日曜~月曜に再び泊まりに行った。幸いな事に蓼科高原は雲ひとつない絶好の行楽日和、今年は紅葉にはまだ少し早いとはいうものの、色づき始めた山々の木々を眺めホテルのレストランでフル・コースを楽しみ快適なホテル生活を堪能した。ここのサービスや料理、リーズナブルな平日料金を考えると、別荘を建てて諸事に縛られるより、同じお金なら死ぬまで気軽に何百泊もできるだろうと無粋な計算も頭に浮かんでくる。一方で女性の現実的な生活観に、男の夢などはしょせん敵わないものかと、いささか寂しく感じるのも事実であった。
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2012年10月13日 (土)

トイレの消臭剤

暑い夏がやっと終わり、町なかに金木犀の匂いが漂ってくる季節になった。この匂いはトイレの消臭剤に広く使われていたので、いっとき金木犀の香りがするとついトイレを連想しがちだったが、最近は消臭剤の製法も進歩して無臭のものが増え、金木犀のイメージも徐々に上書きされてきた。1990年代以降は金木犀の香りの消臭剤はほとんど製造されていないそうで、因みに職場の20歳代の若者に聞くと金木犀に消臭剤のイメージは全然ないと言い、世代の相違を感じるのである。


という事で、名誉回復中の金木犀の甘い匂いを通勤途上などに嗅ぐと、最近は脳裏にアリスの「君のひとみは10000ボルト」を思い出す様になって「鳶色のひとみに誘惑のかげり 金木犀の咲く道を 銀色の翼の馬でかけてくる 20世紀のジャンヌダークよ、君のひとみは10000ボルト 地上におりた最後の天使」などと口ずさんでしまう。この歌は化粧品会社のCMに使われた1978年の大ヒットで、若い頃はカラオケもなかったから宴会で皆でよく歌ったものだなあ、などと懐かしい気持ちになる。


そういえば昨年の飛鳥Ⅱのクルーズでフランスのルーアンに寄港した際、ジャンヌ・ダルクが幽閉されたとされる塔までぶらぶらと散歩して行った。ジャンヌ・ダルクは15世紀に行われたフランスとイギリスの百年戦争後期、オルレアン地方の解放に貢献したものの後に捉えられ最後は火あぶりの刑で亡くなったが、若い女性にもかかわらず戦いの中で獅子奮迅の活躍をしたそうで、今ではフランスの英雄になっていると云う。そんな訳で金木犀の香りを嗅ぐながら町を歩くと連想ゲームの様に歌やら旅の思い出が蘇ってきて、秋というのは人の心を感傷的にさせて良いものだなあ、などと感じるこの頃である。

ジャンヌダルクが幽閉されたルーアンの塔20121013

2012年10月11日 (木)

反体育の日

10月10日は元の体育の日、48年前のこの日に東京オリンピックの開会式が行われたのである。という事で先週の週末は運動に専念しようと、皇居の周りをぐるぐる走り回った。夏の暑い盛りはごくゆっくり走ってもつらいものだが、この季節になると同じエネルギーでも気持ちよく体が前に進み、やっとスポーツの秋が到来したという感じである。8日の月曜日には朝の早いうちに皇居3周、皇居への往復も含めて20キロを妻と一緒に走って帰宅し、「今日も充実!」などと思いながら体重計に乗ったのだが、表示された数値に思わず目が点になった。


何といつもより2キロ以上重い体重で、妻に「おい、この体重計は秋になって気温が下がって、内部のバネかなんかが硬くなって狂ったんじゃない?」と聞くと、妻は「そう?私もさっき乗ったけどいつもと同じだったよ」とにべもない。そういえばサラリーマンに戻って2年目、かつての自営業時代の様に昼間に自由に運動できるわけもなく、平日はかしこまってオフィスに座っていなければならない身である。そういえば段々仕事が閑職になってリタイアした友人も増えてそれなりに夕方からの付き合いもあり、最近は走る距離が以前より1割くらい減っているのは事実である。それにしても月間平均にして200キロくらいはジョギングしているのだが、私などは少し運動量が減ると適面に体重に反映してくるのだろうかとがっくりだ。



新聞や巷に溢れる健康本にはどれも決まりきった様に、「有酸素運動と腹八分目の食事で適切な体重を維持し・・・・」などと書かれているが、運動を習慣づけるといっとき体重は減少するものの、体はすぐにそれに慣れて体重がリバンドする様である。つまり運動主体で体重をコントロールしようとすると、あり地獄の様に罠にはまって半永久的に運動量を増やし続けなければならなくなりそうだ。しかし真っ当な社会人が平日の昼日中から運動ばかりできる訳ではないし、皆それなりにつきあいの時間も必要なのだから、体重をコントロールしたいと考える人は『適切な運動』を増加させ続けるよりも、むしろ食事制限をした方が効果があるのではないか、と考え始めてるのである。昨日は体育の日ではあるものの、体重計の針をにらむと「反体育」の方が健康になるのでは?などとちょっと考えこむのであった。

2012年10月 9日 (火)

100兆円の高齢者消費パワー

スポーツカーやクルーズなど高価な買い物が高齢者に人気である、という新聞記事がちらほら出るようになった。メディアと云うのは景気が良い事を書くより、困窮している人たちを殊更に取り上げて世の中を悲観的に描く事が好きなのだが、あまりいつも心配を煽るのも拙いとたまには思うのか、高齢者の消費が好調な事をおずおずと掲載するこの頃である。という風潮の中で雑誌「投資経済」の11月号に生保系研究所のエコノミスト・熊野英生氏が執筆した「100兆円の高齢者消費のインパクト」という特集があって、これがなかなか良く纏まっていて面白かった。


それによるといまどきの60歳以上の高齢者は、老齢者人口が増加するよりも遥かに高い割合で消費を増加させていると云う。消費の対象となるのはサプリメントなどの健康保持用の摂取品や持ち家などのリフォーム代、それに体に良いとされる魚や生鮮食品の他、ゴルフや園芸、国内・海外への旅行などへ出費するそうだ。反対に高齢者の消費が低調なのは、携帯電話代やヘアリンス、ビデオデッキなどで、それを見ると「それはそうだろう」と納得する製品が多い。私の事を考えてみれば、携帯電話などは食事が要るかを家にメールをする位しか使わぬからスマホとかネット接続とかは不要であるし、リンスに至ってはこの40年くらい使った事もない。ビデオデッキもいまだにどうやって録画するのか判らず、その度に妻を呼んで顰蹙を買うくらいだからその機能の90%は使っていないのと同じである。


これら高齢者の消費の原資は公的年金のほかに個人の金融資産で、衆知の様に日本に1500兆円あると云われる金融資産のかなりの部分が高齢者の預金だそうだ。なかんずく70歳以上の単身高齢女性(いわゆる寡婦)の貯蓄残高が割合として多いそうで、彼女らの金融資産は消費の10倍もあってこのお金を消費や投資にいかに導くのかが、経済の活性化に大いに結びついているとこの特集は述べている。さて、この様な現象に加えて昨年の震災や津波を経験して、いつ何がおこるのか判らない、楽しめる時に楽しもうと云う高齢の人達が増えた為に、高額商品の消費が活発になっているのではないかと私は思うが、メーカーやサービス業者もどんどん高齢者むけに魅力的な商品を提供してほしいものである。ちなみに私なら学生時代にどうしても欲しかったスカイラインGT「ハコスカ」の復刻版とか、IVYの「バンジャケット」の復刻版などがあったら是非とも買ってみたいと思うのである。

2012年10月 6日 (土)

新自由主義の復権

「世界のジョーク集」(中公新書ラクレ・早坂 隆著)と云う本に「ユダヤ人のバー」という小話があった。そのバーは「お代はあなたのお孫さんにツケられます」と云う張り紙があるのでお客たちは慶び、とことん飲んで帰ろうとすると「100ドル頂きます」とマスターが言った。驚いた客が「ツケが利くってそこに書いてあるじゃないか」と抗議するとマスターは「今夜の代金はツケにいたしました。でもあなたのお祖父様の分を払っていただきます」と。これはユダヤ商人のえげつなさを笑ったジョークなのだろうが、ユダヤ人のバーを日本の財政に置き換えると、同じ様なジョークが日本でも流行るのではないか、と薄ら寒く感じたのだった。


私は学者ではないが、実感として日本が世界で最も進んだ社会主義国の一つで格差も少ないと思っていて、「小泉改革が日本に格差をもたらした」と云うのは真っ赤な嘘だと考えている。で、このまま痛みを伴う改革やTPP加入を先送りし、ばらまき行政や拡大一方の社会保障を続ければ、このユダヤ人のバーの様に孫子の代に借金のつけ廻しをする事になると危惧しているのである。という事で中公新書の「新自由主義の復権」=日本経済はなぜ停滞しているのか=(八代尚弘著)を店頭で見つけ購読してみた。サブ・プライムローン問題に代表される新自由主義的な資本主義の危険な面や、世界を巡る過剰流動性の問題に対しては、何らかの対策や規制が必要であろうが、そのマイナス面ばかりを強調して自由な市場競争を批判し、大きな政府が必要であるとする論にはどうにも汲みできない。


考えてみれば今まで役人が仕切っていた事業を開放・自由化した事でどれだけの恩恵を我々が得たかというと、マイナス面よりはるかにプラス面が大きい事に改めて気がつく。電波の規制緩和で携帯電話が普及、郵便行政の自由化による宅配便普及、航空行政の規制緩和による羽田空港国際化など次々に思いつく一方、郵政が民営化されて困った事などは少なくとも私の周りには何もないのである。様々な格差が拡大したなどとあちこちで言われているが、それは人口の高齢化による統計学的な側面であろうし、大学を出ても若者が正社員になれないと騒がれるのも若者のほとんどが大卒の時代ならば当然であろう。因みに東大や京大などいわゆる一流大学を出た学生の就活や正社員率を比べてれば、乱立する大学の卒業生との差はおのずと違うのではないだろうか。


ところで最近受けた健康診断で、コレステロール値が高いと指摘を受け、読んでおく様に配られた冊子には「やはり卵はあまり食べない様に」と書かれている。ところが昨年の検診では「この位は気にする必要ありません」と言われているし、巷に出回る健康本には「卵を少々食べ過ぎてもコレステロール値など変わりません」とあって、真っ向から対立する考え方の中で一体何が正しいのか素人には混乱するばかりである。経済の処方箋も健康診断に似ていて、今ある事象をどう捉えるのか、そもそもその解釈は正しいのか、対策は何かなど立脚する立場によって主張がまったく逆である事に困惑するのである。ただ高齢化社会で福祉だ、医療だ、年金だと政治や行政に期待する事は棚上げにして、自己責任・民間でできる事は民間に・見返りに見合った負担・競争による効率化を追求していく事がやはり必要と「新自由主義の復権」を読んで意を強くした。

2012年10月 1日 (月)

祝・東京駅丸の内駅舎完成

東京駅の丸の内駅舎保存復元工事が本日完成した。それに先立ち新駅舎が夜間9時までライトアップされているという事で、この週末にブラブラと丸の内までドライブに行ってきた。辰野金吾の設計になる豪壮な東京駅駅舎はアムステルダム中央駅を模して作られたと言う説もある一方、いやそうではないと云う人もいて今でも論争が盛んなのだが、それもこれも鉄道先進国である西欧州の主な駅が行き止まり式になっているのに対し、アムステルダム中央駅が通過型である事に由来するのであろう。いずれにしても戦災で焼け落ちた東京駅の南北2つのドームが復元し皇居に通じる行幸通りも整備されて、丸の内もきれいになったものだと江戸っ子としてはちょっと嬉しい。


東京の鉄道も明治に開通した当初は、欧州の様に上野駅、両国駅、万世橋駅、新橋駅と行き止まり式ターミナルで運転されていたが、明治末になり首都にふさわしい中央駅を作ろうという事で、上野・新橋を結ぶ市街線の施工と現在の通過型の東京駅が建設されたと云う。1914年の東京駅開業時は4面のホームに8本の着発線が設置されたそうだが、1919年には中央線電車が乗り入れ、その後は次々と列車の増加でホームの数が増え、後に東海道新幹線や東北・上越・長野新幹線が乗り入れて現在の繁忙につながっている通りである。今では在来線と新幹線でそれぞれ10本の着発線、それに地下には総武線や京葉線の着発線8本、計28本を有する文字通り東京の表玄関である。


今でも東京駅をしばしば利用する私が最も印象に残っている場面は、新幹線が開業する前の昭和30年代半ばで、親に買ってもらったフジペットという子供用カメラを携えて、日曜日には東京駅によく鉄道写真を撮影に行っていた。まだ丸の内南口が乗車口と呼ばれ赤帽さんがたくさん詰めている時代で、当時は八重洲寄りの14番線と15番線が東海道線の優等列車用ホームとして使われており、特急列車を間近にするそこは鉄道少年にとっては大層エキサイティングな場所であった。昼に東海道線を下る151系「第2こだま」や「第2つばめ」を撮影した後、夕方になり九州行き急行「雲仙・西海」、そしてお目当てブルーの20系寝台特急「はやぶさ」や「あさかぜ」が回送されてくる時間になると、鉄道少年たちはいつもそわそわしていて田町から牽引してくるEF58の入線を待ったものだった。


当時の東京駅11番線は機回し線と呼ばれ、田町の東京機関区から回送列車を牽引して入線した電気機関車が、大阪方向に向かう列車の先頭に立つために機関車を編成の反対側に付け替える必要があって、ホームのない11番線の側線を機関車だけが上野方面から田町方面に回送して走っていた。その機回し線も通過型ホームだからこそ設置できたわけで、もしそうでなければ上野駅の様に推進運転によって電気機関車が東京駅に入線してきたはずだから、駅の風情もかなり違ったものになっていた事だろう。そのほか今では到底考えられないのだろうが、昔はホームで列車の撮影をしていると発車を待つ運転士や機関士に、「坊主、汽車がすきか?上がってこいよ」と運転台に入れてもらえる事が時々あって、そんな時には鉄道少年は夢心地で「将来は絶対運転士になるぞ」などと思ったものだった。今でも東京駅のレンガ駅舎やホームを見ると、子供の頃のあのワクワクとした高揚感が蘇ってきて懐かしいものである。で、祝・丸の内駅舎復元完成である。

アムステルダム中央駅と復元された昼・夜の東京駅
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