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2012年8月

2012年8月28日 (火)

飛鳥Ⅱの夏休み・フィッシュカツ編

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徳島名物フィッシュカツである。徳島駅でレンタカーを返し小松島に停泊中の”飛鳥Ⅱ”に戻るべく列車を待つ間、駅前の惣菜屋さんをひやかしひやかし歩いていると、土産ものなどに混じって 「名物フィッシュカツ」 と看板がある。見るとハムカツのような形状でもあり、コロッケを薄くした様でもある黄金色に輝く揚げ物 ”フィッシュカツ”が、店頭にテンコ盛りにおかれている。売り場のおばちゃんが 「 おいしいよ、1枚120円、2枚で220円、3枚なら300円 」と叫ぶとおり、値段は微妙に購買意欲をくすぐる設定。「名物に旨い物なし」とふだんは買い物やみやげ物には興味がないのだが、B級グルメには食指が動いてしまいどうもいけません。いかにもチープな名前と絶妙の値段設定に 「これ3枚買おう!」と即座に財布を出してしまう私であった。あな徳島商人おそるべし。


といっても、さきほど鳴門海峡近くの飯屋で豪華海鮮お膳を、二人でしたたかに食べてきたばかりである。「 まだ、食べられないよ~」と言う妻に、「 飛鳥に持ち帰って冷蔵庫に入れとけばいいさ、船内の夕食は2回目で午後8時近いんだから、あした夕方に小腹がすいたらビールのつまみに食べようぜい、」とお金を払おうした刹那ふと気がつく事がある。「おばちゃん、これ持ち帰りなんだけど、ソースはどうすればよいの?」「心配いらないよ、味がついているからソースはつけなくて大丈夫!」「あ、そーすか!!」などと、オバちゃんの徳島弁につられてオヤジギャグが滑らかに出したのは町中のお祭り気分が伝染したのだろうか。 という事で、フィッシュカツ3枚をビニール袋につめ、徳島からローカル線に揺られ小松島の”飛鳥Ⅱ”にようよう帰船したのであった。


その夜の”飛鳥連” 阿波踊り込みに繰り出し、慣れぬ振り付けに足腰も痛かった翌日は、幸いなるかな終日航海日である。四国の沖を一日クルーズし関門海峡の通過風景も楽しんだ後、飛鳥Ⅱが玄界灘を釜山に向かう頃は夕日も傾き、お待ちかね部屋のベランダに出てのビアタイムである。波の音を聞きつつ潮風に吹かれながら、冷蔵庫に保存していたフィッシュカツをつまむと、徳島のおばちゃんの言う通り中身はほのかなカレー味と塩コショウで味付けされて得も言われぬほどよい食感、ついビールも進んでたまりまシェーん。3枚のフィッシュカツはあっという間にビールと共にわが胃袋に吸い込まれていき、”飛鳥Ⅱ”のゴージャスな雰囲気と、洋上で楽しむチープな味のコントラストは、今回のクルーズの記憶として私の心に深く刻み込まれたのであった。魚の身をミンチし香辛料で味付けして揚げただけのシンプルな食べ物だが、妻の分も食べてしまい顰蹙をかうほどうまかったのだった。

2012年8月25日 (土)

飛鳥Ⅱの夏休み・終日航海日

国交省が取り決めた陳腐なルールが20年以上続いていて、外国人クルーを多数乗せた日本のクルーズ船は30日に一度は海外に寄港しなければならないとされ、これを「30日ルール」と呼んでいるそうだ。カボタージュを規制するジョーンズ法を厳格に施行するアメリカでさえ、外国籍のクルーズ船がメキシコのエンセナダやカナダのビクトリアなどへワン・タッチして実質国内クルーズができる時代である。最近は日本人が乗っていない日本籍船も登場しようという時勢なのに、いまだ30日ルールが存在するのもおかしなものだが、”飛鳥Ⅱ”の”阿波踊り・伊東花火クルーズ”の後半はこの取り決めの実施で韓国釜山へ延航である。


といっても整形手術俳優ばかりの韓流ドラマの時間になると、「ちっ!」とばかりテレビのチャンネルを替えてしまう我々で、もともと朝鮮にはまったく興味がない。おりしも竹島の問題がおきた事を船上で知って憤慨していたので、徳島以降はすべて航海日と考えて船の上で楽しみ、釜山では一切の消費をせず韓国経済になんら資する事ない様に決めたのだった。ただクルーズの代金を支払っただけで、すでに飛鳥Ⅱの港費などで韓国経済に金を落とす事になるのでその点では不愉快なものの、乗客としては徳島から最終下船地の横浜まで終日航海日が3日続くと思えば良いのである。船上生活を楽しむ事こそクルーズだと気持ちを切り替え、昼間の関門海峡通過の風景を楽しみ、釜山では午前中に港の周囲を1時間ほどジョギングしただけで船にいる事にした。


ところで釜山に限らず、船主催のオプショナルツアーなどはあまり参加しない我々は、乗客の大半がツアーなどで上陸している時間に船内にとどまって居る事が良くあるのだが、これはこれでとても気持ちが良い。客がいなくても船内の食堂など施設はオープンしているから、ゆっくり食事を楽しみ大浴場も広々と独り占めで楽しめる。顔見知りのクルーと長々とおしゃべりしたり、誰もいないプールサイドで空を眺めたりしていると、大きな客船が我々のプライベートクラブになった様な気がしてなんとも贅沢な気持ちになる。そういうわけで釜山ではパーム・コートからのんびりと港の往来を眺めていたが、朝鮮のおろかな大統領のおかげで却ってゆったりした時間がとれたと、終日船上生活を楽しんだのであった。

港の往来を眺め、閑散とした船内を楽しむ釜山停泊
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2012年8月19日 (日)

飛鳥Ⅱの夏休み・鳴門観潮船事件

8月12日は、徳島市で行われる阿波踊りに”飛鳥連”で乗り込むオプショナルツアーに参加した。が、阿波踊りは夕方からなので、当日午前中は鳴門海峡の観潮をしようと妻が計画をたてた。飛鳥Ⅱからも観潮ツアーは催行されるのだが、例によって「至れり尽くせり」の高額料金、さらにこれに参加すると時間的に阿波踊りの踊り込みツアーには参加できず、観覧席からの見物という行程なので、我々は徳島駅でレンタカーを借りて鳴門海峡を半日で観光する事にした。徳島から鳴門まで片道25キロ、朝の渦潮をギリギリ見ることが出来る9時半の観潮船に間に合うべく知らぬ道を急ぎ、ぎりぎり鳴門海峡の駐車場に滑り込んだのは9時25分過ぎ、妻は2人分の切符を買いに一人で売り場へ駆け込んで行ったのだが…。

しばらくすると、仏長面をして妻が切符売り場から出てくる。「どうしたの?」と聞くと「もうフネには乗らない」と怒っている。9時30分発というので大急ぎで切符売り場に行ったら、「次の渦潮は午後1時なので、渦を見たければそれに乗って下さい」「9時半のフネがありますよね?」「10分前にお客さんがいないと出ないので9時半の船はもう出ません」と係員がしゃあしゃあと言うと怒気天を突く勢いである。「そんな表示はホームページにどこにもない、だったら9時20分締め切りとネットに書いておくべきだ」と係のおばちやんに詰め寄ると、おばちゃん悪びれもせず「はあ、そうですか?それはすみませんナア」と人を食ったような徳島弁で返事をしたと怒り心頭だ。どうも船頭と切符売り場で「内規」の様なものがあって、10分前に客が来なければ欠航するという事になっているらしいのだが、確かにそんな表示は切符売り場のどこにもなく窓口に行って始めてわかるという仕組みである。せっかくクルマを飛ばして時間前に着き、どうにか間に合ったと喜んだのも束の間、誠意のない対応をされて妻はブチ切れたらしい。

普段こういう場面でキレるのは大体私の方で、そういう時に妻は傍らで私の文句を呆れ顔で聞いているのだが、今回は私の方が妙に冷静で、「渦潮は見られないけど、海峡に行くには10時の船があるからそれに乗ればいいさ」という事でなんとか収め、まだ納得出来ない妻を前にいつもと逆の役割を果たしつつ、「うん、俺もたまにはこういう風に冷静に対処できるもんだ」などと、ちょっと誇らしい気持さえ湧いて来る。そもそもネットなどをあまり信用していない私は、乗り物といわず宅配ピザの注文などでも、コストや手間をかけ電話で確認しながら手配し、妻に「ネットの方が簡単で割引もあるのに」等と馬鹿にされている。乗り物だと当日は駅や空港に必要以上に早めに行って、ぺーパーレスや機械まかせでなく列に並んでは係員といちいち対面してチェックインするので、常々顰蹙を買い、「アナログ大魔王」などと妻に揶揄されるのだが、この時ばかりは対面確認も意味あるものだとちょっと溜飲が下がった気もした。

結果、二人で貸切状態だった10時の鳴門海峡見物の観潮船
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2012年8月16日 (木)

飛鳥Ⅱの夏休み・小松島線跡

鉄っちゃんには廃線跡マニアという人もいて、彼らはかつて鉄道線路があった場所を地図を片手に訪ねるのが趣味なのだそうである。私も人々の記憶から忘れ去られた鉄道歴史の遺構を見つけるのが楽しく、時々都電の専用軌道の跡などを歩いてみては往時の電車の行き来を想像する。今回の夏休みクルーズで飛鳥Ⅱが到着した小松島の地にもかつて国鉄で最短だったと云う小松島線の跡があると聞き、恒例の上陸ジョギングの際にこの廃線跡を訪ねてみようと思い立った。飛鳥Ⅱが停泊した小松島港の金磯岸壁から約3キロ強、うだるような夏の蒸し暑さの中を妻とえっちらおっちらジョギングして行くとその廃線跡があった。


小松島線の廃線跡は、周囲の家並みから切り取られた鉄道独特のカーブとなっていてすぐ分かるし、そこはオールウエザー走路が敷かれて散歩道になっているなどいかにも歴史の跡らしい。小松島港はかつて四国の玄関口の一つと云われ、対岸の和歌山や大阪からの船便があり、それに接続する小松島線が大いににぎわったそうである。牟岐線から分岐するその長さは僅か1・9キロ、かつては準急や急行列車も乗り入れた動脈だったが、本四連絡橋の完成などで旅のルートからはずれてしまい1985年に廃線となったと云う。


地元タクシーの老運転手は「関西汽船の大阪航路や和歌山との連絡船があった頃はそれは賑わったものです。それがなくなり東洋紡績や日本製紙の工場も撤退して、本当にさびしくなりました」と嘆いていた。街角のクリーニング屋さんの値段表には「ワイシャツ98円」などと表示があって、東京の半分以下の値段に驚いたのが現在の町の状況を表しているのだろうか。関門連絡船がなくなった門司港駅や、青函連絡船のない函館駅などと一種通じるうら寂しさを感じる小松島線の跡だが、名物の「フィッシュカツ」や「小松島ラーメン」を前面に、かつての連絡船乗り場を再開発して観光客などを呼べないのだろうかと思ったりもしたのだった。
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2012年8月12日 (日)

飛鳥Ⅱの夏休み

お盆休みを利用して飛鳥Ⅱの阿波踊り・伊東花火クルーズに乗船している。この一年なんとか仕事をしてきたという事で、自分へのボーナス・クルーズである。春先の東京・横浜ワンナイトクルーズ以来の乗船で、顔を見知ったクルーたちも「お帰りなさいませ」とにっこりしてくれるのが嬉しい。その笑顔もお仕着せでなく「今日はもうジョギングしたの」などと具体的に話しかけてくれる。ダイニングでは突然「料理に何かご不満ありませんか」と日本人スタッフが話しかけてくれたのだが、それもワールドクルーズの際に、料理の量が少ないと言ってエキストラ・ポーションカードを貰った事まで覚えているのだろうか、とちょっと気恥ずかしい。何はともあれ、サービスというのはこういうものかと飛鳥Ⅱのクルーの記憶力に感心するのである。


3ヶ月以上も同じ船の上で顔を見合わせていたものの、クルーからすれば「ワン・オブ・メニメニ・ゲスト」で、相手の事を覚えるというのは並たいていの事ではないだろう。私などは仕事上の会などで名刺交換をしても、相手の名前をなかなか覚えられずに苦労する方である。鈴木さんなら「イチロー」とかと覚え、「木村さん」なら「たくや」かなどと、有名人やらスポーツ選手に置き換え覚えようと努力するのだが、そのうち「あの人は野球だったか、サッカーだったか」などとわからなくなる。仕方なく大事な相手の名前は、ボールペンで手の平に書いておいたりすると、そのうち汗でにじんで名前が見えなくなったりして慌てたものである。


さて、以前は夜のダンス会場の一種独特な雰囲気に圧倒され、とてもダンスフロアなどには踏み出せなかったのも、馴れというのは恐ろしいもので、今回は人の目も気にせず毎晩ダンスに繰り出している。相変わらずよちよちダンスだが、自分が気にするほど人は注目している訳でなし、こうなれば怖いものなしである。生のバンドが入ったダンスホールなど最近は東京でもほとんどない、乗船したら「度胸だめしの絶好の場所」とばかりこれを利用しない手はない。という事で飛鳥Ⅱの夏休みを楽しんで、社交ダンスの次は阿波踊りの「飛鳥連」の踊り込みに繰り出すのである。

2012年8月 5日 (日)

あたり前田のクラッカー

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なぜか義理の母が私に前田製菓のクラッカーをくれた。そのビニール製の小さな袋に ”あたり前田のクラッカー”と印刷されているのを見て、藤田まことや懐かしい日曜日の夕方のテレビ番組を思い出した。前田製菓は、かつて日曜夕方に放送されていた人気番組「てなもんや三度笠」のスポンサーで、「おれがこんなに強いのも当たり前田のクラッカー」と主役の藤田まことが連呼するのがいつの間にかすっかり定着し、「あたり前」と言えば「クラッカー」となったものである。その「てなもんや三度笠」といえば、藤田まことと白木みのるの他に随分いろいろな芸人が出演していて、財津一郎の「非常にキビシー!」とか「やってチョウダイ」などギャグがテンコ盛りだった。


当時、時々出演していた島倉千代子が阪神の藤本選手と結婚したばかりで、藤田まことが「結婚したら最近は藤本さんもあきまへんな~」などとちょっかい気味のアドリブを入れると、島倉が本気で恥ずかしがるのもウけたし、ルーキー新一が自分の胸を衣装の上からつまみながら、「イヤーン、イヤーン」と女性のまねをするお下劣ギャグも一世を風靡したものだ。我々悪ガキ共はさっそくルーキー新一を真似て、学校に行っては女の子の前で「イヤーン、イヤーン」とやって毎回ひどく顰蹙をかったのだが、このビニール袋を見ただけで60年代のテレビ番組のシーンが蘇るのだから、”あたり前田のクラッカー”と云うフレーズもそれほど強烈なインパクトがあるといえよう。


そんな具合であの頃の日曜日は「てなもんや三度笠」を6時から見て、6時半からは「シャボン玉ホリデー」を見るのが皆のお約束。日曜日は近所で真っ黒になって遊び、夕方になると誰かの家に上がり込んでは、「てなもんや」に続き、「シャボン玉ホリデー」定番の「お呼びでない?、お呼びでない、こらまった失礼しましった!」と植木等のセリフが出てくるのを皆で待ったのだった。シャボン玉のエンディングで”スターダスト”の音楽と共にハナ肇とピーナッツの掛け合いが始まる頃になると、だいたいどこの家にいても「おばさんの家は良いけど、お家が心配するからそろそろお帰りなさい」とやんわりと帰宅を促されたものだが、お母さん達は子供達を帰すのにさぞ苦労したのだろう。それにしてもあの頃は良く遊んだとクラッカーの袋を見て当時が懐かしい。

2012年8月 4日 (土)

山縣亮太君準決勝進出

ロンドンオリンピック陸上100米予選6組で、競走部の後輩・山縣亮太選手が10秒07の自己新記録で見事2着になって準決勝進出した。前の組で走った日本の第一人者・江里口や400米の金丸が良いところなく敗れてしまったので、やはり現在の日本短距離陣の実力では予選突破は難しいかと思っていたところ、20歳の若者が見事予選を突破してくれた。テレビで見る山縣のスタートは順調で滑らかな加速、リラックスした走りで後半もばたつかず纏まった走り方をした様に感じた。実は最近は後輩の試合を見に競技場に行っても名簿に名前をちょこっと書いて、中長距離のレースを中心に見るだけで帰ってしまい、彼が100米やリレーで走るのを見たのは今回が初めてで偉そうな事はいえないが、本人や家族はもちろん彼を指導してきた監督やスタッフもさぞかし喜んでいることだろう。


準決勝を突破するなぞは至難であろうが、失うものは何もない。予選を突破したという事でリラックスして、世界の強豪と走れる事を糧として日本人初の100米9秒台を目指して欲しいものである。彼に続いて800米の横田君も是非良いレースをして欲しいが、この種目は世界との距離が大きいのも事実で、まずは自己の持つ日本記録突破を狙って欲しいなどと段々オリンピックの応援にも力が入る。それにしてもオリンピックでこれまであまり知らなかった競技に日本人が出るというので熱心に見る様になると、なるほどこれはこういうものかと知る事が多い。例えば重量挙げの試技順番は陸上のハイジャンプと似ている事も三宅選手を応援するうちに初めて知ったし、柔道で「技のかけ逃げです」などとアナウンサーが叫ぶのを聞くと柔道も昔と随分変わったものだと感じたりする。


そういえば男子サッカーが44年ぶりメキシコオリンピック以来のベスト4になったが、メキシコオリンピック時の高校の担任は、強豪・東京教育大(現筑波大)の元サッカー選手で当時も国体の県代表だった。オリンピック期間はとにかく授業そっちのけで「こんな事はもう当分おきないから、日本の快挙を良く憶えておけよ」と興奮して喜んでおられたが、日本のサッカーがこんなに隆盛になるとは当時誰が想像したであろうか。44年前の3位決定戦では地元メキシコを破って日本が銅メダルを獲得し、あわせてフェアプレイ賞を貰ったと記憶しており、今回も「さすが日本は違う」と世界から言われるようなすがすがしいプレイと応援をロンドンで見せて欲しいものである。

2012年8月 3日 (金)

明治神宮プール

夏になると神宮プールを思い出す。千駄ヶ谷駅から程近く、総武・中央線の車窓からよく見えたプールの正式名称は「明治神宮水泳場」、昭和5年にオープンし水泳日本を代表する古橋・橋爪らも活躍した由緒正しい屋外プールで、私もかつて関東大学の水球リーグ戦などを観戦したことがある。夏場で大会のない日は一般に開放されていたから、子供の頃からよく泳ぎに行ったが、神宮プールが良いのは競泳用なので水深が深く、アベックが水中でいちゃついていたり、子供が水遊びなどをしていないため、ゆったりと泳げる事であった。


夏場は夜も8時頃まではオープンしていたので、会社員になっても夏は仕事を終えてよく行ったが、すぐ近くの千駄ヶ谷駅前に東京体育館の屋内プールがあるので、夜の神宮プールは都心の穴場の様に閑散としていた。数えるほどの人しかいない夜の競泳用プールはちょっと寂しいほどで、他人のつくる波も少なく外苑の杜をバックに新宿の高層ビルを遠くに眺めながら、光線に照らされた広々としたプールをゆっくり50米方向に泳ぐと、「隠れた都会のオアシス」という言葉が浮かんできたのだった。


そんな具合だったから夏場プール営業の採算は苦しかった様で、残念ながら平成14年に神宮プールは閉鎖されてしまい、跡地は現在フットサルのコートになっているそうである。夏と云うので公営のアスレチック系のプールに行くと、セパレートされたコースで本格的にガンガン泳ぐ人に煽られてゆったり泳いでいられないし、さりとて都心のホテルのプールは混雑している上に、この季節は入るだけで法外な値段で誠にあほらしい。しかたなく大汗をかきながらジョギングをしていると、大きな神宮プールのちょっと冷たい水を思い出して、そんな穴場プールがどこかになかったかな、などと考える夏の日である。

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