中ジョッキの固定概念
夏といえば枝豆に「生ビール」である。仕事や運動が終わって大汗をかいた後、ジョッキに注がれた黄金色に輝くビールと、その上をほどよく覆う泡に口をつける時に、私などは大いなる幸福を感じてしまうが、その生ビールについて、本日の読売新聞の「いっぴつ経上」というコラムで編集員子が「『中ジョッキ』の固定概念」と云う面白い文を寄せている。それによるとかつては生ビールの大ジョッキは800から1000ミリリットル、中ジョッキは500ミリで小ジョッキが380ミリリットルが中心だったが、最近の「中」は380から430ミリリットル位に小さくなっており、全体的に容器が小型化しているそうだ。
ビール好きな我が夫婦は、お店で注文した生の「中」ジョッキが上げ底で量が少ないと見るや、2杯目にはきっかりと633ミリリットルある「大ビン」を頼みにいくのだが、最近は500ミリリットルの「中ビン」しかないと云うお店もあって、ジョッキ小型化にはおおいに閉口していたところ、同じ事を思う人がいるものだと、コラムを読んで思わずにんまりした。コラム子によるとこの傾向は「飲食店にすれば、中ジョッキの量を減らし、その分を安くしても、もう一杯飲んでもらえれば売り上げは増える」、「消費者からすればサワーもワインもあり、ビールばかり飲む時代ではない」という事によると分析し、「中ナマ」の様に絶対的な価値が示されないうちに、なんとなく人々がそう馴らされる商品を「固定観念が生んだロングセラー」と特徴づけているが、ビール党からすればこんな固定概念は真っ平ごめんでもある。
そんな訳で我が家では週末に外食する際、まず家でカンビールを飲んでベースをつくり、お店で胃をトップオフするために追加ジョッキを頼む事が多く、昔の様な1リッターくらいの”大ナマ”があれば、こんなせこい事もしなくて良いのにと最近の傾向を嘆くのである。ビール独特の酔いを楽しみながら、ジョッキに残る少々ぬるくなったビールを最後にちびちび飲むのも、ビールの飲み方の一つだと思うのだが、実質”小”の”中ジョッキ”が跋扈する今では、そんな経験ができる店も少なくなった。ちなみにイギリスのパブではビールはハーフかワン・パイント(568ミリリットル)かとメニューに表示があるし、ドイツではビール量がメニューに記載されている上、ジョッキに計量線まで引いてあって、そこまでは注がなければ法律違反になり、日本のなんとなく小さい『中ナマ』とは正反対の羨ましさである。さすがドイツである。
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