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2012年5月

2012年5月30日 (水)

梅ちゃん先生

NHK朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」を楽しくみている。普段テレビドラマなどはほとんど見ないから、朝の連続ドラマが待ち遠しくなるのは「お華はん」以来で、私にとっては実に46年ぶりの事といえる。「梅ちゃん先生」は終戦直後の混乱の中、掘北真希が扮する医学生 ”梅子”とその一家を描いたドラマで、毎回・毎週のストーリーがテンポ良く「お約束」通りに展開するので安心して見ていられるのである。


画面を見ていると、そこここに焼け跡バラックが残っていた子供の頃を思い出し、盛り場の傷痍軍人やら進駐軍のワシントン・ハイツ(今の代々木公園)の記憶が蘇って、自分が生まれた頃はかくも貧しく混乱の時代であって、改めてあの頃は大戦争まもなかったのだと感慨が沸いてくる。それからもう一つ面白いのが高橋克実が演じる「昔の頑固オヤジ」で、その頑固オヤジをお母さんやお婆ちゃんが、うまくいなして丸め込んでしまう家族風景がなんとも微笑ましく、今や「地震・雷・火事・オヤジ」という言葉もすっかり死語になったとテレビを見ながら思う。


ドラマでは梅子がインターンで研修する帝都大学とは、おそらく東京大学医学部がモデルであろうが、その耳鼻咽喉科教授がかなりオタクっぽく作られている。考えてみると私の祖父が終戦の頃、東京帝大医学部の耳鼻咽喉科教授だったから、作り話といえども 「これのモデルが我が爺さんだとするとちょっと酷い」 などと我が家では苦笑していた。先日久しぶりに回顧録などを引っ張りだして読んでみた処、祖父は昭和21年に帝大を辞めているので、ドラマに出てくる昭和26年ごろの教授は祖父の後任だったかとちょっと安心したりする。


さて「梅ちゃん先生」はこの後、掘北真希がどうオバサン顔になっていくのか、ドラマの進展が楽しみなのだが、ただ彼女の鉛筆の持ち方だけは何とかならないものだろうか。今は親指を人差し指の上にのせて鉛筆を握る若い人が結構いるが、昭和一桁生まれは誰もそんな持ち方をしなかったハズで興ざめである。ここはぜひとも演技指導して欲しいものだ。それはさておき出勤前ばたばたとしていて、全部をゆっくり見る事が出来ない番組を、HDレコーダーに録って夕食時にゆっくり鑑賞するのが最近の楽しみである。

2012年5月26日 (土)

ペンギン騒動

葛西臨海公園の水族館から逃げ出したフンボルト・ペンギンが、82日ぶりに捕獲され無事に水族館に戻ったと報じられている。東京湾は天敵のサメやアザラシがおらず最近は餌となる魚も多くなった一方、船のスクリューに巻き込まれたり、夜間に休んでいる間にのら猫などに襲われる危険性もあったと云うだけに、無事に保護されて一安心である。それにしてもペンギンは相当な大食漢だし、普通は寒流の海に住んでいるそうで、今回の脱走劇やその後の目撃情報などのニュースを見て、このペンギンがどうなっているのか心配していた。


ペンギンは主に南半球に住んでおり、早朝に海に入り日中は海中で漁を行い、夕方は巣のある浜辺に引き帰してくるのだが、帰巣の際に集団で上陸してくる姿が珍しく、野生のペンギンの営巣地に観光に行った事がある。オーストラリアのメルボルンから200キロほど離れたフィリップ・アイランドは、小型のリトルペンギンが夕方になると海の漁から隊列をなして帰ってくる姿が愛らしく、ペンギンパレードとして観光のアトラクションになっている。20数年ほど前、出張のついでにメルボルンでレンタカーを借りて、フィリップアイランドのペンギンパレードを見に行ったが、その時はペンギンよりも観光の人の方が多くて面食らった事を思い出した。


そういえば、あの頃はパソコンもなければ携帯電話もなかったから、国内・海外を問わず出張で会社のドアを出れば晴れて自由の身、アポイントや商談の時間さえ守れば、何をしていようと会社には分からないし、報告も出来なかった。あいた時間を使って会社の金で随分あちこち見聞を広めたものだった、などとペンギンのニュースを見ながら昔の事を思い出した。昨年の飛鳥Ⅱのワールドクルーズの際は、南アフリカのケープタウン郊外で野生のペンギンを見るツアーに参加し、久しぶりにペンギンが群れ住んでいる場所を訪れたのが懐かしい。南アのケープ・ペンギンは東京で脱走したフンボルト・ペンギンと同じ属だそうで、暖流と寒流が混じる喜望峰沖の荒々しい海に比べて、温暖な東京湾が脱走ペンギンにとって住み易かったのかなあ、などとニュースを見ながら南半球を思い出した。

妻の乗船記:2011年4月26日「ケープタウン」

ケープタウン近郊ボルダーズビーチのペンギン
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2012年5月22日 (火)

シジュウカラ

神奈川県から、故郷の東京都に戻って8年になる。交通は便利な上、高層ビルが建ち、町が再開発され、新しい地下鉄が開通したりと、東京も随分変わったが、時々無性に郊外の生活がなつかしくなる。そういえば都心を少し離れると緑の量も増え、この時期は目にも青葉が美しく吹きぬける風も爽やかだった。連休の頃にはどころどころ残る農家の庭先に、大きなコイノボリが泳ぎ、季節を感じさせてくれるのも良かったなどと思い出す。


通勤時間は都内に住むようになって大幅に短くなった一方、帰りの電車で日刊ゲンダイを読んだり、うとうとして気分転換したりという事がなくなり、オンとオフの切り替えつきにくいのも事実である。最寄の路線や駅は、郊外なら「我が電車、わが駅」と思うが、地下鉄だと「皆の通り道」「皆の駅」という感じでホームタウンとはあまり感じられない。


特に寂しいのが、都心は鳥の声が少ないという事で、かつては東京にたくさんいたオナガの、”ギューイ、ギューイ”という啼き声も最近はトンと聞かない。郊外にいた時はシジュウカラの”ツイッピー、ツイッピー”というさえずりでよく目がさめたもので、休日の朝などにこの啼き声で目覚めると、「ああ~、休みだ~」などとあくびも気持ち良かった。


などと思っていたら、先日自宅の近所で”ツイッピー、ツイッピー”とシジュウカラの声が聞こえる。なんでもこの鳥は石垣や民家の隙間などにも住めるそうで、果実や種子、昆虫などを餌にする雑食だという。最近の自然保護で、東京の川もきれいになってきたというし、都心でも昆虫などが増えてシジュウカラが住みやすくなったのかと、ちょっと嬉しかった。

2012年5月21日 (月)

日本百傑

週末は陸上競技の関東学生選手権(関東インカレ)のネットでの速報に一喜一憂していた。日本人として100米で初の9秒台に最も近いと言われる山縣亮太君を中心に、母校は関東インカレではチームとして総合入賞を期すはずだったが、ゴールデンウイークの陸上グランプリシリーズに出ずっぱりの彼が、足に違和感を感じなんとインカレ初日で棄権。エースの不在で浮き足だったか、他の入賞候補の選手も伸びず、最終日を前に2部落ちの危険さえある始末である。幸い最近の強化策が実って投擲や中距離でも加点して、なんとか1部にとどまったが土日は結構ドキドキしてパソコンから流れる情報を見ていた。


こんなに家でハラハラしているなら、無精しないで国立競技場まで応援に行けば良かったとも感じるが、OBが集まる応援席に行っても白髪の大先輩たちにジロっとにらまれると、いつまでたってもなんとなく居心地が悪いものである。だいたい人間と云うものは年下の名前などは忘れがちの上、私の様な元へぼ選手は彼らの記憶に残っているはずもなく、大OBに挨拶をしても「きみ、誰?」などとほとんど無視されるのが落ちである。なにしろ早稲田で箱根駅伝を走ったという映画監督の篠田正浩氏でさえ、競走部の先輩達がいまだに怖いというから、運動部の上下関係は社会の地位などに関係なく一生続くものなのかもしれない。


それはさておき、陸上といえば勝敗も大事だが記録がつきもので、関東インカレで活躍するような選手たちは、だいたい高校50傑や日本100傑の上位に名を連ねている様な子供たちである。そういえば最近つらつら眺めていた市民マラソンやジョガー向け雑誌に、昨年一年間フルマラソンを完走した15万人ランナーの一歳刻み、年齢別ランキングが表示されている特集があった。もちろん高校50傑などという本物に比べると、あまりに市民ランナーの数が多いので、個々の名前などは載らず5分毎に人数を一くくりにした大雑把な記録集になるのだが、それでも自分の記録が全国でどの位に位置するのか一目で判る様になっている。


さっそく興味を覚えて、今年の東京マラソンの我が記録が、全国でどのくらいになるのかと一覧表に当てはめると、年齢別ではどうやら全国100番くらいには入る事を発見して、何だかとてもうれしくなってきた。かつて高校・大学とあれだけ毎日練習しても日本100傑などには程遠かった私でも、途切れずにジョギングを続けていると、いつの日か年齢別では日本で100番以内に入れる様になったという訳で、走るのは若者だけの特権ではないのだ、とパソコンのインカレの記録をハラハラ見ながら一人でニンマリとしていたのだった。継続は力なり、か。
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2012年5月20日 (日)

60の手習い

中高年雇用の契約社員の身だから、いわゆるラインのルーティン業務に携わっているわけではない。はるかに年下の部長の特命事項をこなすのが仕事で、これまで若手社員に契約書・ビジネス文章の読み方・書き方などを指導してきた。ここに来て新入社員の初動教育も一段落してきたと思ったら、今度は営業マンによる船舶管理の仕事をせよとのミッションである。船舶管理とは船舶に適正な乗組員を配乗し、様々な航海機器や荷役装置、用具などを管理・手配して安全に船を運航させる仕事なのだが、もとよりこの仕事は専門家の仕事であって、我々の様な営業マンの業務範疇外である。


これまでやってきた海運の営業職は、船舶管理の専門家が用意した本船を使用していかに稼ぐのかが業務なのだったから、船舶管理をする人たちはトイ面になるのだが、管理者(その多くは船乗り出身者)が世界的に不足する一方、最近は航海の安全や環境問題で新しい国際ルールが次々に導入させているのが現状。そんななかで専門家が管理した船を営業マンがユーザーとして、『管理の管理』をせよ、というのが今回のミッションだそうだが、例えば航海機器でいえば最近は船舶自動識別装置(AIS)・ブラックボックス(VDR)・電子海図(ECDIS)に居眠り防止警報(BNWAS)などの設置が次々に法制化されて、なにやら一昔前の船の操船・運航とは様変わりである。そのほか環境汚染防止のための燃料油の成分規制をはじめ、高騰する燃料油対策で減速運航に関するエンジンのトラブル対策など問題山積なのだが、これに対して管理専門家は安全の立場上、新装置の導入や備品購入に十分な余裕を求めがちなのである。


それに対して営業からは、安全に必要な要件を満たしつつコストをミニマムに削減する事を要求する事になるのだが、なにしろ相手は百戦錬磨の管理のプロだから、素人のこちらもそれなりに知識くらいは持ってないとそもそも話にもならない。という事で同じ素人でも部内最年長の私なら、なにかと周辺の状況を知っているし、プロに対して「年の功」で言いたい事も言えるのではないか、と白羽の矢が立ったらしい。それにしても数年前までは管理職で、船舶の在庫品(船用品)リストなどより会社の財務諸表や予・実算管理の表を見てきたから、今更それぞれの船の在庫備品やらエンジンの状態まで知るもんか、と文句の一つも言いたい処だが、そこはそれ、中高年の再雇用とはこういうものと割り切らざる終えない。


という事で先日は、久しぶりにヘルメットにつなぎの上下、軍手に懐中電灯などを持って、東京湾で荷役している本船のエンジンルームや船内倉庫を点検して回った。エンジンルームなどは何十回も見たが、これまではお客の立場で、エンジン音に混じって説明してくれるエンジニアの説明など右から左、エンジンルームを出ると内容などきれいさっぱり忘れていたものだ。しかし仕事となると、さすがに機械の細かい名前や稼動状況説明に耳をそばだてる様になるから不思議だ。それにしてもついこの前まで、パーティのスピーチでは何をしゃべろうかと思っていた人間が、ヘルメットで船内チェックとは自分でも変われば変わるものだと思うが、これも「60の手習い」、興味を持ってやれば飛鳥Ⅱの船上講演で聞いた村上和男博士流に言う「遺伝子オン」になって、また新しい境地もひらけるかも知れないと思っている。
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2012年5月16日 (水)

尖閣諸島寄付金を払う

かねてブログでアップしたとおり、石原東京知事が創設した尖閣諸島寄付金に僅かながら寄付をしてきた。4月16日に石原知事がアメリカで構想を発表し口座が開設されてから一ヶ月も経たぬうちに、すでに6億円を超える寄付金が集まったそうで、わが国にも将来を心配する人がこれだけいたのかと心洗われる思いである。国防や外交にまったく無知かつ頓珍漢な民主党になって以来、日本は中国やロシアにすっかり舐めきられているが、特に尖閣で巡視船に体当たりした中国漁船船長の扱いや、この件に対する民主党の社会主義的秘匿主義に、「これはいかん」とやっと皆が気がついた証左であろう。


ただ私は東京都が尖閣で示した事で、相当の報復が中国からあると覚悟しておくべきだと考えている。軍事的な事にとどまらず、経済面でもかなりの事態になる事は想定しておいた方がよいであろう。そうなった場合は中国市場に依存する産業や、中国の資源や安い人件費、原材料をベースにしている国内産業が大きな影響をこうむる事は間違いない。しかしそういう事になって、日本人は始めて日米安全保障条約の意味や、中国が本質的にもっている中華思想・覇権主義に気が付き、日本の立ち位置や中国を包囲すべく地政学や安全保障を考える様になるのではないだろうか。


もそも日本国憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、国家的な半日教育を国是として実施している中国や韓国を『信頼』して、われらの『安全と生存を保持しよう』などと誰が思うのだろうか。竹島の領有を主張し、世界中の地図に"SEA OF JAPAN"とあり、中国の地図にさえはっきりと「日本海」とある日本海を「東海」と呼ぶ韓国も然りで、われらの周囲の諸国民は『公正と信義』などはハナから持ち合わせていないのである。中国や韓国さらにはアメリカが一番恐れている事は、日本が軍事大国への道を再び歩む事だというが、尖閣問題で毅然と対応し衝突や犠牲を辞さずの姿勢を示さねば、日本は世界の笑いものになるだろう。
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2012年5月13日 (日)

ロイヤル・カリビアンの事(邦船の要望書提出につけ)

日本外航客船協会に所属する日本のクルーズ船会社が、外国資本の日本上陸に対して国土交通省に「要望書」を提出したとの報道を見るにつけ、お上頼みの日本の会社のふがいなさに失望を禁じえない。邦船各社は、現在のクルーズのかたちを造り、産業として発展させたロイヤル・カリビアン・インタナショナル社(RCI)創業者、エドウイン・ステファン(米国)の企業家精神(アントレプレナー)ぶりでも思い起こし、自らの努力で外国船何するものぞ、と立ち向かって欲しいものである。


という事で、RCI社の事を調べてみると、その創業・発展には大変な努力と創意工夫が為されて来た事が分かる。それまで輸送手段としての考えられていた客船を使って、あらたにクルーズと云う事業と興そう考えたステファンは1960年代末に会社を設立したが当初は資金不足。やむなくノルウェーに飛び、大手海運会社ゴタス・ラーセン社など3社からの投資を得て世界初となる”クルーズ”を目的とした18400トンの同型客船”ソング・オブ・ノルウェー””ノルディック・プリンス””サン・バイキング”3隻を1970年に建造したそうである。


これら姉妹船に導入された、ファンネルに付随したバイキング・クラウン・ラウンジ(シアトルのスペースニードルからヒントを得たとされる)、中央部にプールを配置したモノクラスサービスの船体、ファンネルに輝く王冠と錨のロゴなどのアイデアは、現在のRCIのフリートにそのまま継承されているから、ステファンのクルーズ船に対する考えは大変な慧眼であったというべきであろう。1970年11月、”ソング・オブ・ノルウェー”によるマイアミ発の初カリブクルーズをステファンが始めるとこれが評判を呼び、エア・チケット込みで1週間程度のクルーズを行うなどの様々なアイデアの導入もあって、RCIは大きく発展すると共に現在のクルーズ産業が形成されたのだが、クルーズ船の事業モデルは彼の情熱によって興されたといっても過言でないだろう。


さて1972年にクルーズ事業にカーニバル社が進出すると、RCIは既存クルーズ船のジャンボ化工事など大型船志向に転じ、1980年にかつて大西洋横断ライナーとして一世を風靡した7万トンの”フランス”を購入する。これを”ノルウェー”と改名してクルーズに投入した事は、クルーズ大型船時代の嚆矢となって、以後クルーズ業界が競って豪華・巨大船を建造する事になるのである。この間RCI社も幾度が資金不足に陥ったそうだが、ハイアットホテルのオーナーや、イスラエルの大手船会社ジム・イスラエルなどの援助を得て危機を乗り越え、13万トンのボイジャークラス、15万トンのフリーダムクラス、22万トンのオエイシスクラスを投入しクルーズの雄として発展しているとおりである。


ひるがえって20年ほど前にビル・ゲイツが「世界のパソコンがインターネットでつながる」などと言った時に、私を含めて世界のほとんどの人が「一体それは何の事なのか」と話も分からなかったものだ。しかし現在のネットの発展・隆盛を見るにつけ、アントレプレナーの情熱と努力が世界を変えてしまう事に感嘆するのである。船の世界を見渡してもクルーズ産業をはじめ、コンテナ船の導入など、現在は米国起源のアイデアで多くの海運関係事業が動いているのではなかろうか。かつて航空母艦から軍用機を発着させ、実戦に投入させたのは世界で日本が初めてであり、本格的な機動部隊で作戦を展開したのは日米両国のみである。日本のクルーズ船業界も「要望書」提出などと後ろ向きの事ばかりをしないで、世界をあっといわせる様な素晴らしいアイデアを考えて欲しいものである。それでなければ海洋国・日本の名がすたるというものだ。

写真は上からシンガポールのex "SUN VIKING" 当時 "OMARⅢ"(2005年スターバーゴより撮影)
アカプルコのex "NORDIC PRINCE" 当時 "OCCEAN STAR PACIFIC" (2011年飛鳥Ⅱより撮影)
ポートケラン沖のex"FRANCE" 当時 "NORWAY"(2005年スターバーゴより撮影)
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2012年5月11日 (金)

プリンセスクルーズに日本船が無体な反対

郵船クルーズや商船三井客船も加盟する日本外航客船協会が、米国プリンセスクルーズが来春に実施する日本発着・日本人マーケット向け本格的クルーズに対し、それらはカボタージュ規制に抵触するとして国土交通省に要望書を提出したと業界紙に報じられている。すでに発表されている通り、クルーズジャイアントの米カーニバル社は、日本法人カーニバル・ジャパンを設立し、来春に傘下のプリンセス所属7万7千トンの”サン・プリンセス”(バミューダ籍)を投入して、日本を中心に9航海のクルーズを展開するとしている。当ブログでもアップしたが、プレミアムクラス大型船である”サン・プリンセス”が来れば、日本のクルーズ客船に比べて大幅割安な価格で我が市場でクルーズが楽しめる事になり、ファンとしてはその行方を大いに期待しているのである。


要望書では、”サン・プリンセス”の運航スケジュールは日本人向けであり、韓国や中国に一時寄港するにしても、外国籍船が日本各港でショア・エクスカーション(オプショナルツアー)を日本人向けに提供する事は、船舶法第3条に規定するカボタージュ規制違反である、と言うものらしい。という事で私もさっそく船舶法第3条を読んでみると「日本船舶に非ざれば・・・・・・・・日本各港の間に於いて物品または旅客の運送を為す事を得ず、ただし・・・・・・・・・国土交通大臣の特許を得たる時は此の限りにあらず」と記されている。


郵船の客船管掌の副社長が述べていた様に(4月28日付け当ブログ)、プリンセスの本格的な日本進出は邦船にとって相当の脅威である様だが、それにしても邦船各社もケツの穴の小さい要望書を国土交通省に出したものだ。かつてアメリカはジョーンズ法でカボタージュを厳しく規制しており、アラスカクルーズの客船はカナダのバンクーバーを発着港にしていたのが、最近はカナダのビクトリアに数時間滞在するだけで、外国籍船がシアトル発着のアラスカクルーズに就航しており、地元経済を大いに潤している事は広く知られている通りである。今回の日本外航客船協会の要望書提出は、これら世界の趨勢に逆行する椿事と言って良いのではなかろうか。


日ごろ「海運の自由の原則、世界単一市場」などと海運会社は豪語しているくせに、その子会社が「たった一杯の外国船で夜も眠れず」のお上頼みとは、なんともだらしない業界かと噴飯ものである。いくらかゆい処に手が届く日本船のサービスと言っても、船齢が20年を超えるウバ桜船に法外な金額を払わなければならないのがわが国の現状だ。プリンセスの日本上陸は此の体制に風穴をあけるものと、クルーズ客は楽しみにしていただけに実に残念な要望書提出である。一昨年から日本市場に乗り込んだ”レジェンド・オブ・ザ・シーズ”は日本国内各港でエクスカーションしなかったから、お目こぼしに預かったとしたら、何とも”形式的”な要望書提出ともいえる。


こうなれば、国土交通省はこんな要望書を一蹴し、米国クルーズ事業が日本で展開する事もTPPの議題にのせると共に、公正取引委員会は邦船の横並び・高価格体質が自由競争への脅威で、消費者の選択の自由を奪うものだと乗り出したらいかがだろう。「邦船も好き外国船も好き」と云う私の様なクルーズファンとしては、つまらない要望書など引っ込め、自ら高コスト体質を改め、堂々と外国船と競争して日本船が安く強くなって欲しいのである。日本国内で途中上下船せず、外国に寄港するクルーズならば、国内港ツアーを企画しようと否と、外国船でクルーズを展開できる、と云うのが世界標準のはずである。

2012年5月 6日 (日)

五稜郭の桜

太平洋フェリーの新造船”いしかり”に乗船するのが、今回の北海道旅行の目的だったから、苫小牧で下船した後は特に予定もない。前回”きそ”乗船の際には苫小牧で下りた後に札幌見物に行ったし、ほかに小樽や旭川も訪ねた事があるから、今年はどうしようかと思案していたら、北大を出た会社の部下が「この時期は五稜郭の桜が良いですよ」と薦めてくれる。そういえばゴールデンウイークの頃は、北海道で桜が見ごろだと以前ニュースで見た事もあるので、苫小牧からの帰京ついでに函館に寄って桜を見る事にした。


という事で苫小牧からJRの特急で2時間半、函館駅からは路面電車をトコトコと10分ほど乗って着いたのは、幕末に幕府の奉行所として築れた五稜郭。東京の台場もそうだが、堀に囲まれた壮大な五角形の城を見ると、函館を開港したものの、時の幕府は西欧の外国人の軍事力に大いなる脅威を感じていた事が伝わってくる。五稜郭はのち戊辰戦争で榎本武揚が逃れ、蝦夷(北海道)に新政権を樹立しようとした時に砦にもなったそうだが、その外周に沿って今を盛りと1500本の桜が満開であった。この桜はソメイヨシノだというが、東京のものより花の色がやや濃い様に感じるし、東京のは天空いっぱいに咲き誇る感じであるのに対し、五稜郭の桜は、枝ごとに群れて咲いていて北国の寒さに身を寄せ合って春の到来を控えめによろこんでいる様にも見える。


東京の桜も良いが、北国の桜も一味違って良い物だと思っていたが、ここでは中国人のツアー客が多くあちこちで中国語が飛び交っている。スキーも終わったこの時期、温泉や桜見物も北海道も人気のスポットなのだろうか。連絡船もなくなり斜陽の函館と聞くが、新幹線が開通すれば東京から直通となり、五稜郭などももっと有名になるのだろう。さて今回は例によって新幹線、フェリー、JR在来線、市電、バス、飛行機と乗り継いだ「乗りもの駆け足旅行」で、ご当地で味わった料理といえば苫小牧駅の駅弁「噴火湾ほたて弁当」に、函館空港で羽田行きのフライトを待つ間の「函館ラーメン」くらいであったが、五稜郭の花見で旅の思い出が一つ豊かになったゴールデン・ウイーク旅行であった。


五稜郭の桜とほたて弁当
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2012年5月 5日 (土)

太平洋フェリー「いしかり」

連休の後半は、北海道の桜を見に行こうと名古屋から仙台経由、苫小牧行き(2泊)の太平洋フェリー”いしかり”に乗船している。5年前にフェリー・オブ・ザ・イヤー(当時)に輝く”きそ”で、同じ区間を乗船(妻の乗船記「太平洋フェリー きそ 名古屋~苫小牧乗船記(2007年4月27日~4月29日)」)したが、姉妹船の”いしかり”が昨年代替デビューしたので、さっそく新造船の乗り心地を体験しようという目論見だ。新幹線で名古屋まで行って乗船した”いしかり”の行く手、太平洋はあいにくの低気圧によって3米~4米の大きなうねり。それでもスタビライザーの効果か乗り心地は良く、エンジンの振動もさして気にならないのは最新の技術の賜物だろう。


”にっぽん丸”より大きい長さ200米の船体に、乗客定員700人という事だが、例によってフェリー特有の雑魚寝部屋や寝台室、窓なしキャビンもあるから、その分上級キャビンは一部屋あたりの面積が広く、廊下やパブリックスペースもクルーズ客船よりはるかにゆったりした造りである。ゴールデンウイークという事でほぼ満船状態だが、大浴場も含めて船内が混んでいると云う印象がまったくなく、乗客がゆったり過ごしているのがとても心地良い。


船内のデザイン・モチーフは”きそ”のタヒチに対し本船はエーゲ海と云う事で、装飾はそれなりにギリシャ調なのだが、”にっぽん丸”と同じ三菱重工・下関の建造なのに、デザインはどうも垢抜けない。特にエーゲ海の白い家を模して白や薄い色を船内に多用しているのだが、薄クリーム色のカーペットなどは食べ物や飲み物のしみが目立ち、「これが就航一年の船なのか」というくらい汚れているのはがっかりである。クルーズ客船と違って給仕や掃除専門の外国人クルーが雇用できないので仕方ないが、せっかく白と青が基調のアコモデーションなのに掃除が行き届かない点は何とかならないものか。


また上部デッキには椅子やカウチの類が一切ないのは、デッキで寛ぐ事をハナから考えていないのだろうか。せっかくこれほどの船体なのだから、少なくとも一部に木張り(または木目調)の遊歩回廊を設け、夏にはデッキでお茶を飲めるくらいの設備が欲しいと考えてしまう。特に東北大震災の津波以降、途中の仙台港は緊急津波警報に備え3時間余の停泊時間に船外へ外出する事が禁止になったから、余計に空いた時間にデッキでゆったりしたいものだが、それもままならないのは残念である。


それでもバス・トイレ付き、にっぽん丸のデラックスルーム以上の広さの特等洋室で、朝夕食を入れて2泊で34000円(一人)くらい、のんびりゆったり海を眺めながら北海道に航海するのは快適である。乗船するとアクティビティ一杯の客船より、ゆったり時間が流れるのも珠には良いもので、ラウンジでのピアノ演奏などを聞きながら、持参の長編推理小説を読み切ってしまった。一般的に云って長距離フェリーの乗務員は接客態度が良く、きびきび一生懸命働くが、その対応を見ているのは頼もしいし、今回の様な繁忙期でなければ早割りなどで料金は約半額との事で、時間が出来た団塊・退職世代などには、北海道旅行にお勧めの航路と云えよう。

写真は”いしかり”全景、エーゲ調の船内アコモ、汚れが目立つ白いカーペット
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