« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月31日 (土)

大晦日の流儀

ここの処グアム・サイパンにクルーズに行ったり、九州や沖縄でマラソン合宿をしたりしていたので、5年ぶりに年末・年始を我が家で過ごす事になった。という事で年内に比較的早くから掃除や買い物をすませ、昨日は東京マラソンに備え北風が吹く皇居で30キロ走を行った。走るのは本当は気温が高い午後に行うのが望ましいが、それを日中にすると一日が走るだけで終わってしまい休みがもったいない。なので会社に行くのと同じ時間に布団を撥ね退け、朝に走ってしまうと朝食は美味いし、一日が有効に使えて良いものだ。

で、朝のうちに運動を済ませ、午後の余った時間はまったりと過ごしたいとテレビをつけるが、それにしても最近のテレビはどの局を見ても、同じ様なお笑い芸人が出て来るばかりでまったく面白くない。こんなに同じ様な番組ばかり一斉にたれ流すのなら、いっその事テレビ局こそ節電の為に昼間くらい放送を休止したらどうかと思うほどである。近頃は余りのバカバカしさに若者もテレビ離れを起こしてるそうだが、テレビがこのままの体たらくでは十年後には、きっと茶の間の娯楽からすべり落ちている事だろう。

そんな正月のテレビなので、一週間の番組表を見てもあまりマークするものもないが、大晦日の「第九」と元旦夜の「ウイーンフィルのニュー・イヤーコンサート」は蛍光ペンで囲い見逃さない様にした。そもそもわが国には、世界の先進国にはあるクラシック専門のラジオ局やテレビ局が何故ないのか、いつも不思議に思っているのだが、せめて正月くらいは時間を気にせずゆったりとクラシックの名曲を聴きたいものだ。という事で今夜のNHK3チャンネルの第九演奏に備えて、昨日から我が家にあるベートーベンの交響曲CDを1番から8番まで順番にお茶の間に流している。それぞれ特色あるシンフォニーを聞きながら、大晦日の最後に放映される9番めがけて盛り上がるのも、ちょっとスノビッシュで良い。

2011年12月28日 (水)

仕事納め

年の瀬となり何となく気ぜわしいが、2011年という暦は確実に残り少なくなっていく。ここ数年間は自営業だったのであまり感じなかったが、会社員に戻って皆で仕事をする様になると、かつてそうだった頃のそれぞれの年末を思い出し、纏まった休暇に入る前の浮き浮きした気分が知らずに蘇って来る。この時期、海外もクリスマス休暇に入っているから、新規案件もなく、メールも少なくなってオフィスの中もホッとした空気が流れている。日ごろ「日本人は集団で休み過ぎる、もっと個人で休暇をとるべし」と公言している私でも、正月休みは良いものだと感じるのである。



以前は暮れも29日まで働いていたはずだが、いつの頃か「29日は就労日なれど、なるべく有給休暇を使って休む日」などとなって実質28日が年内最終日となった。昼食に蕎麦屋に行けば、早くから日本酒を傍らにやや紅ら顔の初老の背広姿をちらほら見かけ、午後は取引先の乾杯に付き合って酔っ払って事務所に帰ってくる者もいる。いつもは夕方の終業時間なども関係ない忙しい夜の事務所だが、この日ばかりは5時になるかならぬかで会議室などで簡単な酒肴が出され、皆で一年の労をねぎらう。ご苦労様とビールの栓を抜く瞬間は、サラリーマンの年中行事の中でも最も嬉しいひと時であろう。



休みに入ったら、まず年賀状に一言コメントを付けて出し、通勤用の服にアイロンをかけて靴をみがき、家の掃除などを手伝うかなどと殊勝な計画をたてるのだが、毎年休みに入ると寝巻きのまま、ぼーっと居間でテレビを見て過ごしてしまうのが常。あまり計画などたてずに成り行きで行くかと思うと、本当に成り行き通り何もせず新年に入ってばたばたとする年もあって、このあたりの匙加減が難しい。今年はこの年齢で再就職して久しぶりにサラリーマンに戻ったが、一年契約の嘱託社員なので来年の事は判らない身である。ただ年齢柄、今後そう何回も勤め人としての経験する年末・年始行事は来ないだろうから、「サラリーマンの正月休み」を久しぶりに楽しもうと考える年の瀬である。

2011年12月26日 (月)

星が丘

昨日は妻の母親や姉妹家族一同で、新装なった永田町のキャピトル東急ホテルの中華「星が丘」でクリスマス・パーティだった。「星が丘」と云えば場所柄かつては接待用や交際費で食べる中華料理のメッカだったが、ホテルの建て替えに伴ってどう変身したのかも興味の一つである。たしか以前は、レストトランからは余り景色など見えなかった思い出があるのだが、新装なった「星が丘」に入ると、大きな窓に街路樹のイルミネーションが映えてすっかりモダンになっている。この雰囲気なら新装後も相変わらず政界関係者などの利用が多いのだろうか。


中華と云えば国によって味が違っていて、例えばアメリカで食べる中華は「照り焼きテイスト」、シンガポールでは「チリ」味っぽい気が私はするのだが、ここ「星が丘」は「醤油+オイスターソース」風と云うのか、日本人多くの口に合っている感じがする。頼んだ料理は土・日・祝日限定の「中華オーダーバイキング」と云う事で、これはメニューに多数掲載されている料理の中なら何を何皿頼んでも同じ料金だそうで、なるべく大勢で行けば多種の味を楽しめると云う趣向だ。


それにしてもマラソンに備えて走りこみをしているのに、体重が増えて焦っている私を尻目に、妻の姉妹家族は良く食べるものである。最後までゆっくりと徐々に満足感を味わえるにはどういう風に組み立てようか、などとメニューを見ながら思案をしていたら、皆が瞬く間に好きな料理を注文し始める。あっけに取られる私を尻目に、フカヒレ姿煮から燕の巣スープ・肉・野菜・伊勢海老・点心、そして〆のチャーハン・焼きソバ・坦坦麺まで一気に堪能し、仕上げのデザートを三品も食べ、皆で「ゲップ!」としながら帰ってきたのであった。帰りの電車で「苦しい」と腹をさすっている妻を見ると、彼女の前世は餓死した中世の落人だったのではないか等と思えて来る。


イセエビの卵白炒めと坦坦麺
20111226


20111226_2


2011年12月24日 (土)

あざなえる縄

年末の挨拶に廻っているうち、あるビルの前でかつて居た会社の少し上の先輩にバッタリ会った。「おう久しぶり、職場がここだからちょっと寄っていかない?」と誘われるまま入った彼の勤務先は、海運関係の統計などを取りまとめている社団法人である。彼はもう10年以上前に本社からここに出向し、そのまま転籍したのだが、その入り口は今はやりのセキュリティー・ゲートなどはなく気軽に事務所に入れるのがとても良い。

ゆったりとした時間が流れているその職場の居心地が良くて、ついついその先輩と話し込んでしまったのだが、見ると他の職員も首からIDカードをぶら下げておらず、「会社って昔はこうだったなあ」と懐かしい気分がする。「先輩は幾つになったんですか?」と問うと「この前63歳で定年になったけど65歳までは嘱託でここに居られるんだよ。でもここは天下り役人ばかりだから、本当はもっといられるみたいだけどね。」とそっと実情を教えてくれるのである。

考えてみれば50才くらいで社団法人に出向などという彼の辞令を見たときは、「ああ優秀な人なのに、勿体無いなあ」などと云う思いが頭をかすめたが、こちらはその頃は本社で自分の事に精一杯、彼のその後の実情などは始めて知った事になる。あの時、同情の気持ちで出向を見送った人が、今はマイペースで社団法人で自分の居場所を見つけて、さらに60台後半でもゆったりと働けるらしい。出世競争から早くに離脱した様でも、さっぱりと落ち着いた彼の現在の姿を見ると、サラリーマンの人生は結局の処どうなるのか判らない、「人生はあざなえる縄の如し」という言葉を思い出すのだった。

2011年12月23日 (金)

TPPの構図

日経新聞を読んでいたら「経済教室」に面白い分析記事が載っていた。早稲田大学の久米・河野という二教授の調査チームが、「TPPを巡る政治対立の構図」としてこの協定参加に賛否を示す人々が、それぞれ普段どういう考え方をしているのかを探ったものである。私から見ればTPPに参加しない選択肢などありえないのだが、「これにより国内の農業は壊滅する」に始まり、「医療保険制度が崩壊する」から「アメリカの陰謀」説まで、よくもこれだけ出鱈目なプロパガンダが反対派から出されると驚いていたので、この記事に引きこまれてしまった。

思いだしてみれば、ガットのウルグアイラウンドの際「米を一粒も輸入させない」として関税化を拒み、ミニマムアクセスによって輸入された無駄な米が倉庫に積み上がりつつ、国内での稲作は減反につぐ減反で一向に競争力などは向上しなかった。農業政策などは戦後一貫して失敗の連続なのに、これを反省する事もなく、ぞろ外国脅威論を持ち出す農協や農水族の厚顔には呆れるばかりなのだが、彼らには一体どのくらいの補助金を与えれば、国民の生活を支える産業として自立する事が可能になるのだろうか。問題はTPPなどではなく「内なるもの」だと私は考える事にしているのである。

などと思っていたら、この2教授の調査チームが面白い分析を発表している。まず「社会福祉など政府のサービスが悪くなるとしても、小さな政府の方が良い」と考え、新自由主義的路線を奉じる人ほどTPP参加を支持する傾向が強く、米作農家や中小企業が影響を受けるのではと心配する人ほど反対の傾向が強いと云う。さらに中国の脅威をわが国が感じると考える人ほど参加する事に肯定的なのに対し、日本がTPPに参加する事で米国が得をすると思う人ほど否定的だそうである。調査チームは「TPPを巡る争いが国内の利害対立だけでなく、日本の対外政策のビジョンと不可分」であるが故に「国論を二分する論争が繰り広げられている」としている。

さて、私はずぶの素人ながら先般からTPP参加賛成というブログを幾度かアップした。そういう自分を顧みると基本的に小さな政府と規制改革を支持し、安全保障条約を基盤に米国とより密接に結びつきつつ中国とは距離をあけるべしと云う考えを持っているのだが、その持論はこの2教授が発表した調査結果と一致して、改めて自分の立ち位置が再確認された様な気がしたのであった。日経新聞も最近は160円と高いが、時々面白い記事が掲載されていて、もったいないとは思いつつも毎朝購読してしまうのである。

2011年12月19日 (月)

ゆっくり走る

冗談で応募した処、何と2年続けて当選してしまった東京マラソンだが、受かったからにはとりあえず出場するかと練習を続けていると、つくづく自分は長距離に向いていない事を実感する。マラソンの距離を走るには何といっても距離を踏む事が一番なのだが、その為にはゆっくり走る練習が必要と云われる。ところが人間はそれぞれ固有のリズムがあって、ゆっくりならいくらでも走れる人もいれば、私の様にスローペースで走るのが得意でない者もいる。私の場合、ゆっくり長く走っていると、速く走るより却って足が疲労してしまうし、気分的にいらいらしてきて、却って疲れが増してくるのである。その上、休日に30キロ走などをすると、前後の着替えやらシャワーやらでほぼ一日マラソン練習に時間を割かれてしまい、他の事がほとんどできない。

などと悩んでいたら、先日妻が「 2011神宮外苑EKIDEN & 3H RELAY MARATHON 」大会の”リレーマラソン”の部に、夫婦二人で申し込んでくれたと言っている。これは例年開催されている国立競技場を発着する5km×4の駅伝レースに加えて、今年から追加になった、1人から6人までの何人でも良いからチームをつくって駅伝形式で3時間、競技場の周囲をグルグル走り周回回数を競おうという新しいレースらしい。普通は1チーム4~6人くらいで参加するところ、我々は大胆に夫婦二人のチーム、妻が最初の1時間弱を走って残りの2時間強を私が走れば、私の走りこみ不足に格好のトレーニングになると考えてくれたらしい。

という事で、昨日は長い距離は嫌だなと今一つ気分は乗らないものの、晴天の千駄ヶ谷・国立競技場の試合に向かった。午後1時から行われた”3時間リレーマラソン”の部は参加200チームくらいだろうか、1周1.4キロのコースをタスキを受け渡しながら各チームが周回を重ねるのである。一人1周づつ何回も走るチームもいれば2~3周で交代するチームもある中、最初に走った妻から55分後のタスキをもらったが、こちらはマラソンのスローペース練習で、次々に他のランナーたちに抜かれるのは、いくら目的が違うものの何となく不愉快だし、イライラしていけない。走り始めて40分くらい経過しても、「 一時間後にまだ走っているのか 」などと思うと本当に嫌気がさしてくる。

それでも単独で走っているのと違い、周りに多くのランナーや応援があるとモチベーションもキープされて、妻は54分で10キロ、私が2時間8分で27キロほど走って、二人掛かりの3時間走を終えたのだった。これで、とりあえず30キロ手前まではそう問題なく走れる事が分ったのだが、マラソンは30キロからが勝負である。特に市民ランナーは後半どれだけまともに走れるかで、ゴールタイムが大幅に違ってくる。昨日と同じ距離を走って「 まだこれからだ 」と東京マラソン当日に余裕を持てる様に、正月休みももう少し走り込まねばならないのか、痛む足を引きずりながら今日は考えている。

201112203h

2011年12月18日 (日)

懲りない連中

韓流ドラマの放送を苦々しく思っていたら、今度は韓国大統領の訪日で相手が慰安婦問題を持ち出してきた。中国漁民による事件で国内世論から弱腰外交を批難されている李政権が、矛先を日本に向けようとしている魂胆が透けてみえる様だが、何とも懲りない連中である。せっかく大統領が代わって、韓国も良い方向に向かっていると思ったのが、これでまたこの国の印象は悪くなるばかりだ。

日韓はその正常化の協定を通じて、韓国のすべての請求権は完全かつ最終的に解決済みと確認しているのに、本件に関する個人の賠償責任などは別などと言うのがあちらの理屈らしい。仮にそんな理屈が通れば、終戦間際に満州に突如攻め入った旧ソ連軍による略奪や婦女暴行問題を、日本はロシアに対しておこせるのではないだろうか。平和条約を結んだアメリカに対しても、原爆の被災者はじめ多くの民間人が「自分は特別」と賠償責任を求めたりできるのだろうか。

そもそも私の読んだ様々な情報からは、所謂慰安婦問題は日本軍の強制連行などがなかったというのが明らかになっている様である。貧しさの為に親から業者に売られた女性が、日本軍を相手に商売をしたという事で、その状況や時代背景は誠に悲惨ではあるが、問題とすべきは子供を売りに出さざる終えなかった当時の半島や、日本の農村の疲弊であろう。韓国の大統領は大阪で「この問題を解決しなければ、日本は永遠に両国間にある懸案を解決できないだろう」と語ったと云うが、日本の政府は毅然として韓国の不当な要求を撥ね退けて欲しいものである。

2011年12月17日 (土)

晩秋

東京は晩秋から初冬の候が一番良い。寒波さえ来なければ、気温も昼は10度台に上がり過ごし易い。小春日和の暖かさにつられて日比谷公園を散歩すると、こんな都心でも風情を感じるものである。
20111215

2011年12月15日 (木)

低空飛行

よく見る夢と云うのが誰にでもあると思う。なぜか繰り返しその夢を見るのである。今朝、起きがけに見た夢である。

場面は大学、期末試験の問題なのだが、自分が選択した講座の名前もよく覚えていないし、当然この講義に一年間出席したこともない。で、試験当日になって大いに焦って単位不足を嘆くというものである。

なぜこの夢を繰り返し見るのだろうか?確かに大学時代の成績は低空飛行だったが、留年しそうになるほど「 超 」がつくものではなかった。仕事などで締め切りに追われている時にこの夢を見るわけでもないし、大学を出て40年近く経ってもこの夢を見るということは、80歳ぐらいになってもまだ同じなのだろうか。

もっと勉強しておけばよかった。

前回のブログ「卒業試験」(2008年5月11日)

2011年12月12日 (月)

復刻版は昔のままか?

20111212

ビールの在庫がないと云うので、コンビニに立ち寄るとアサヒビールの復刻版を売っている。最近のノドゴシすっきりのビールも良いが、昔の苦いビールの味が時々懐かしくなって、アサヒに限らず復刻版が出るとつい買ってしまう。考えてみると子供の頃、年賀などで家に訪れた父の職場の人に 「坊やも飲んでみるか?」などと言われて、怖さ半分で飲んでみたのがビールとの付き合いの始まり。ちょっと舐めてみると 「お、やるじゃないか」などと、目の前のコップにもう1センチほど注がれて、ぐいっと飲むと何とも苦いものの、ちょっと大人の気持ちがしたのだった。

それから半世紀以上、振り返ってみれば高校の修学旅行の写真には、缶ビールを片手に生意気にポーズなどを取っていたものだが、いつもビールというのは 「苦おいしく」、ノドゴシが「 重い 」飲み物という気がしていた。それがいつの頃だろうか、生ビールが次第に普及し”ドライ”などというブランドがベストセラーになってから、「すっきり」系のビールばかりで、苦いビールといえば海外のペール・エールなどを選ばなければならなくなってしまった。そんな時代の風に対抗したくなり、復刻版が出ると 「今度は苦いのが飲めるぞ 」とばかり店頭で手にとってしまう。

さて毎回の様に、期待に胸を膨らまつつ復刻缶のプルトップを開け、グイと一口飲むのだがこれが大体いけない。子供の頃、背伸びして無理やり喉に流し込んだ、あの舌の奥に残る、えも言えない苦さやエグさを感じないのである。グイとのどに流し込むと、あまり洗練されてないホップの味がジワっと口の中に広がる、あの背伸びした快感がどの復刻版からも伝わってこない気がする。毎回、期待の苦味を味わえず裏切られたと思いながら考える事は、復刻版は実は昔の味そのままではなく現代風にアレンジされているのか、それともあの時は子供だったから苦味を強く感じたのかという疑問である。一度メーカーに、復刻版は本当に昔の味をそのまま再現したものか尋ねてみたいものである。

2011年12月10日 (土)

第2の人生

先日、日経新聞にシニア・ワークライフ・フォーラムというシンポジウムに関する宣伝広告があった。フォーラムでは退職後の第2の人生をいかにして過ごすかについて、色々な人が講演を行ったそうで、その要旨がこの広告記事に掲載されている。以前はそんな記事や広告はまったく他人事であったが、いよいよ親しい友人などが退職し始め、「俺は毎日家にいるよ」等と云う話を聞くと、退職が急に我が身の事として感じる様になり、最近は新聞の記事を切り抜いたりするのである。

その広告によると、あるパネリストは定年までのファースト・ライフは何かを手に入れる時間だとすれば、セカンド・ライフは人生を楽しむ時間だと言う。その為の心構えとして 『 あまりむきにならない 』『 自分に自信を持つ 』『 あまり準備をしない 』のが大切なのだそうである。別のパネリストは『 会社の為に使っていた時間を、地域や社会を良くする為に使って 』と講演するが、この為には『 企業の管理社会とこれらは違う 』事を理解するのが大事だと言っている。社会的に高い地位とか、安定した収入を得る事を究極の目標として、子供の頃から教育されてきた会社人には、なかなか難しい人生の変身である。

その他『 金銭トラブルは、自分でかかえず消費者センターなどに相談せよ 』というサジェスチョンや、お約束の『 老後の資金計画 』などが掲載されているが、その大前提が『 夫婦の関係 』だそうだ。『 家にいる時間が長くなり、例えば3食を奥さんに依存する生活を続けていると、奥さんがストレスを感じ 』なかなか家庭内がうまくいかない事も多いらしい。そんな危機を乗り越えた報告もフォーラムで披露されたとあるが、あらたまって我が身を顧みるとこれがどうやら最も身近で深遠な課題にも思えてくる。あれやこれやで、そんな新しい生活に入るのもそう遠くないのか、と新聞広告を見ながら考えていた。

2011年12月 7日 (水)

早朝ジョギング

12月になると忘年会やら何やらで仕事の後にジョギングできない日が多いので、仕方なく朝の出社前にジョッグをする。起き抜けはなかなか体も動かない上、この時期はただでさえ暖かい布団の中に一刻でも留まっていたい。「外相整えば内相自ら熟す」などと云う禅の言葉をぶつぶつと呟きつつ、布団を跳ね除けトレーニングウエアに着替えても、なかなか寒い冬の早朝に表に飛び出すには勇気がいるものだ。しかしそんな今朝も、先の福岡国際マラソンの「市民ランナーの星」川内勝輝選手の活躍に刺激され、「よし行こうか」と云う気になったのである。



その福岡国際マラソンで2時間9分57秒、日本人トップになった川内優輝選手は、県立高校の職員として夜9時迄勤務し毎日の練習は出勤前の2時間だと云う。素質も努力も天と地であっても、そんな話を聞くとこちらも少しはやる気になって「夜が駄目なら朝走ろう」という気持ちにもなってくる。それにしても、先週の日曜日は福岡での川内選手の走りをテレビでずっと見ていてびっくりしたものだ。川内選手は途中で先頭集団からやや離れたものの、後半粘りで追い上げ、特に35キロを過ぎてから今井選手とのデッドヒートに競り勝ったのは、彼の走りの真骨頂を見た気がする。


マラソン選手の中には、顔は早くから苦しそうでも結構力を残している者もいるが、彼の場合は明らかに限界近いのに、40キロ近く走ってあれだけ積極的にスパートする気持ちがある様子は、とても常人には真似できるものではない。長距離走者の中では5000米レースの1500米通過ラップが、1500米のフラットレースより速いなどという持久型もいるが、彼も限界に近くなってからまだ余力を引き出せる持久型タイプなのであろう。限界に近くなるとパタっと駄目になる私などは、彼の爪の垢でも煎じて呑みたいものである。

2011年12月 4日 (日)

わかものと働く

周りが平均年齢30歳以下の若い者に混じって働き始めて3ヶ月が経過した。皆、素直な若者かつ最近は女性が同じ年の男性を「君付け」で呼んで、男女間の距離が昔より近い様だ。概して顔つきもおっとりして男性はおっさん顔も少ないから、職場に来て彼らを見ると、皆豊かな時代に育ったのだなとの感慨を持つ。私などは新入社員の時に、廊下で先輩社員にしばしば丁寧に挨拶されて驚いたが、後で聞いてみると態度がひねているので地方支店から本社に戻った課長だと思われたそうだ。日本人の顔つきも40年弱で変わったのだろうか。

今の若者は、喋る英語などは最初から私の若い時より数倍も上手いし、結構広く世間の事は知っているが、逆に新聞は購読していないそうで、職場で政治や経済の話はほとんど出てこない。我々の時代の憧れだった「自動車購入」もあまり興味がないようだが、その代わりほとんどの若者がスマートフォンを所有し、会社支給のブラックベリーなども上手に使いこなす。スマートフォンなどは数年前から持っているのが常識の様で、若者の興味の対象がクルマからIT端末にと変遷したのを、如実に感じるのである。

そういうわけで仕事をしていると若返った気持ちになる一方、税金の話とか株の話しには縁遠い彼らと話の接点が少ないのも事実である。反対に同世代の昔の仲間と飲むと、年金と健康診断の結果、それに退職した先輩・同僚などの話題、老後の資金などの事でひとしきり盛り上がりホッとするものである。そういうわけで、職場とその他の場所では、スイッチを切り替える必要があって、若者たちと机を並べるのも結構疲れるものだと感じる時もままあるのである。

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ