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2011年11月29日 (火)

江川る

プロ野球巨人軍入団を希望する東海大の菅野投手が、日本ハムの指名を蹴って一年浪人すると伝えられている。菅野投手で思い出すのは大学3年時、昨年の大学選手権準決勝の慶応戦である。この試合を私はテレビ観戦して母校・慶応を応援していたのだが、対する菅野投手は球も速ければ変化球も鋭く、六大学優勝校の慶応打線も為す術がなかった。テレビを見ながらすごいピッチャーがいるものだと感心した記憶があるのだが、そんな投手が日ハムに入ったらパ・リーグも益々盛り上がるだろうと云う期待をよそに、彼はどうしても巨人に行きたいそうである。もう巨人・大鵬・玉子焼きの時代でもあるまいし、選手育成の上手な日ハムを蹴って浪人などせず、一年でも早く彼のプロ姿をみたいものである。


巨人浪人の大先輩と云えば、あの江川卓の「空白の一日」事件を嫌が応にも思い出すが、あれは1977年のドラフトで福岡のクラウンライター(現西武)の指名を江川が断った事から始まった大事件であった。クラウンライターの交渉を拒否してアメリカに渡っていた江川は、翌1978年秋のドラフト会議前日、野球協約の交渉期限が切れる間隙を抜って巨人軍と電撃的に契約した。野球協約は当時の交通事情からドラフト前日を準備の日と考え、前年のドラフトの拘束が有効なのは次年のドラフトの「前々日まで」としていたそうだが、巨人と江川は文章上ちょうど「無協約」とされたドラフト前日にサインをしたのである。いわば協約の盲点を突いた契約なのだが、この入団発表に世間は騒然となったのである。


巨人軍のこの横車にセ・リーグ会長が早速無効と裁定を下した事に巨人は反発し、翌日のドラフト会議を欠席する中、今度は阪神が江川の交渉権を得た。すったもんだの挙句、プロ野球コミッショナーの「 超法規的裁定 」で、翌年のキャンプ直前に巨人はエース・小林繁とのトレードで、阪神が交渉権を得ていた江川を入団させ事件は落着したのだが、当時は周囲を顧みず自分の主張を押し通す「えがわる」と云う流行語が出来たり、阪神に移籍した小林が悲劇のヒーローになったりと、いやはや大変なドラフト騒動だったのである。それほど注目された江川も、プロでは「 怪物 」といわれるほどの活躍が出来なかったのは、浪人の一年があったからだと言われている昨今である。


高卒後プロに行かずに早稲田に進んだハンカチ王子・斎藤も、今年は日ハムで6勝6敗であったが、彼と甲子園で投げ合った後すぐにプロ入りした楽天の田中将大は19勝で本年度の沢村賞に輝いた。希望する球団でなくとも野球人として大成するには (人間としてとか、社会人としてとかの意味でない )、やはりプロに早く入った方が良いと云うのが通説の様で、菅野の場合も巨人かそれ以外かと云う選択だけなら、やはり早くプロになった方が良かったと思うのである。それはさておきハンカチ斎藤の初年度については、今年一月のブログで私は「ずばり7勝4敗」と予想したのだが、結果を見ると当たらずとも遠からずで、わが「 岡目八目 」も、まずまずだったかなと自負している。

これが今年1月のブログ↓
日本ハム・齋藤フィーバー(2011年1月17日)

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