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2011年10月18日 (火)

がんばれ福島

東京世田谷で放射能測定値が急激に高くなった土地があって、それは結局福島原発とは関係ない事がわかったが、ここ数日この事件はマスコミで大騒ぎであった。かと思うと今日は、足立区の学校の雨どいの下、地上5センチの放射線値が高いと騒いでいるが、その10センチ上部で計ると数値は半減とかで、昆虫でもあるまいし人々は始終地面を這いつくばって生きているのかと報道の大きさに驚く。どうも放射線に限らずある問題がクローズ・アップされると、マスコミは「絶対の安全性」を求めて天下の一大事の如く報道するが、いろいろな測定器を持って町を歩けば、放射能に限らず人体に有害であるという物質は限りなくあって、その度にメーターの針は反応しているのではないだろうか。

などと思っていると、今日は妻が「福島県産のミルキー・クイーン米を通販で売っているけど買いたいの。がんばれ福島の意味もあるし」と言い出す。「おお、どんどん買え、東北を応援しようぜ」と答える私。「今は色々風評もあるけど?」と妻が言うと、小心者の私はちょっと心配になるものの「心配をしだしたらキリないし・・・、気にせず注文したら」と受け流す。確かに原発事故に対する今回の政府の対応を見たり、他人事の様に謝罪広告も出さない東京電力の態度を考えると、言われている安全性というものが本当に大丈夫なのかについて疑問なしとは云えないが、そこは小心でありながら江戸ッ子である私の小さな反骨心に火がつく。


考えて見れば、この世に生を受けてから、生きているという事はなんらかのリスクを背負っている事で、それが少しでも嫌なら家でフトンをかぶって寝ているしかない。しかしそんな事をして全ての危険から逃げていたら、私などの小人は今度はノイローゼか何かになって心の健康を失うであろから、おおむね大丈夫であろうと世間が認めるものは、例え僅かな疑問を持っても無視して普通に生活するのが、健全な生き方ではないかと考える。なかには原発事故以来、都民でも簡易放射能測定器などを持っている人もいるそうだが、逃げる場所もない我々はそんな機械を持って始終環境を気にするより、排気ガスやらタバコの煙などを直接吸わない様にした方がまだましではないかとも感じるのである。


かつて昭和30年代に旧ソ連の核実験が行われた後は、日本でも雨に混じって相当の放射能が降り注ぎ、一説によると都内では今回の原発事故より放射能測定値が高かったと云われる。当時は大人から「雨に当たったらいけないよ」とか「放射能の雨に当たると頭が禿げるよ」などと随分注意されたが、それ以後ソ連の放射能によって関連の病気の罹患率が上がったとか、禿げが増えたとか云うデータもないようだ。また一時、携帯電話の電波が病気を起こすという説もあったが、携帯が出回ってから10余年たって、世界中でその説に対する検証も聞かない。メディアなどのセンセーショナリズムにのって、人はそれぞれがとらわれた対象に注意を向けがちだが、生きていくには無数の困難と危険があって、そこそこあらゆる危険に”適度”に気をつけているしか生きる道はなく、あまり極端に特定の事のみを心配するのもどうかと臆病な私は自答しているのである。

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コメント

原発はあれだけ被害が出ても続けるなんてどうかしていますよね。経済が停滞するとか言っていますが、命あっての話なのに。どこか大局的なところがおかしいですね日本は。個人にリスク取らしてひどい国です。ともあれ、子供はともかく大人は大なり小なり何を食べても残りの時間を考えると大差ないと思うので、好きに気やりましょう。

MTさん

原子力被害報道ほど、何が本当なのか判らないものはないですね。普通に暮らして行くしかなく、必要以上の心配をしない事だと悟るしかありません。

放射能にしろ財政破綻にしろ、次の世代の事を考えるのが、我々の役目ですね。

Bulkcarrier様
今年は6月から合計90日ほど茨城県の原研近くの現場で海外エンジニアと仕事をしましたが、期間中借りていた線量計の数値は、200マイクロシーベルト程度でした。宿泊は水戸でしたから一概には言えないものの、一部風向きなどで地表の線量が高い地域には気の毒なものの、大騒ぎするほどでもないような印象でした。むしろレベル7の事故が冷温停止に向かいつつあることのほうが感心できるな、と思いました。電力の現場にいると、需給のことに思い至り、原発なしでいけるのかも不透明なことを感じて参りました。

まろんの父さま

今回の震災・津波被害は今までの考え方について、見直す多くのきっかけを与えてくれたものと考えます。『想定』という概念は正しかったのか、『想定』を千年に一度起こるか否かの高いレベルに設定し、その準備をすると、そのコスト増は誰が負うのか。そのコスト増を国民が堪えたしても、電力料金始めインフラコストが相当程度高くなり、諸産業が海外に逃げて国内が空洞化したら国民は幸せであり続けるか。かつて先進国の産業であった電力消費型精錬業が、海外でしか出来ないのを見ると、その思いに至ります。


石原都知事の「天罰」発言にはいささか反発を覚えるものの、これまで安穏と暮らしてきた我々に「 安全性の限界とそのコスト 」についての問題を今回の災難がつきつけた思いがしています。私はこれは日本だけの問題でなく、今まで地震や火山の爆発に無縁だと思われたきた地域でも、ある日突然そういう被害が襲ってくると思っています。「災難は忘れた頃にやってくる」は日本だけでなく世界の共通の格言だと思いますし、絶対の安全などは世界のどこにもない事は明白です。


安全はすべからく相対的なものであって、経済合理性などの諸与件に優先こそすれ絶対そこから離れられる事は無理なのではないでしょうか。その意味でも直ちに原発を停止する事は不可能なのですが、長期的にも菅元首相の様な反応でなく、原発を止めた際の国民のコスト増・火力発電から発生するCO2の問題・化石燃料の動向・産業への影響・さらには意識改革などをもっと議論すべきでしょうね。

Bulkcarrier様 ご指摘の点、おっしゃる通りと思います。今回は某電力会社の火力発電所に夏の電力需給ひっ迫時のための緊急電源装置を海外からレンタルして据え付け管理するというプロジェクトで、海外12カ国から数十名のエンジニアが首都圏に呼ばれていたものでしたが、発電の現場で見聞きすることと、政治、そして我々国民の意識が必ずしも同じベクトルを持っていないようにも感じました。海外エンジニアは酷暑の中、管内の大停電を避けるため黙々とやるべきことをやっていて、彼らの努力に応えるためにも、我々自身を見直す必要があるものと感じさせられました。

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