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2011年10月

2011年10月31日 (月)

福島産ミルキークイーン

届いた福島産ミルキー・クイーンである。試し買いパックで1キロ500円(送料込み)はちょっと高めだが、云われなき風評被害に悩まされる福島県の農産品を応援したくて、通販で購入したのは10月18日にアップした通りである。新米で味も水みずしく普段は茶碗一杯づつしか食べない我々夫婦も、思わずお代わりしてしまったのである。世の中にはメディアで放映されるとそのセンセーショナリズムに律儀に反応したり、広告宣伝や健康食品の特集に影響されてスーパーに走ったりする人も多いそうだが、あんまり報道に左右されずに、”常識”で消費活動をしたいものである。


そんな中で最近の噴飯ものは、築地の東京卸売り市場移転先である豊洲の東京ガス工場跡地の埋め立て地区から、人体に有害な物質が調査の結果から出たとかで、都議会民主党などが市場移転反対を叫んでいる事だ。豊洲の新市場で井戸水などを汲み上げる訳でなし、あたりはコンクリートで固められ、例え地下に有害な物が埋め立てられていても、それが地上に出て害を及ぼす訳もない。市場移転予定地のすぐ間近にはすでに高層マンションやアパートが多数建っており、現に多くの人が住んでいるのだが健康被害が出ていると聞いた事もない。市場予定地だから敢て反対の為の活動として、そんな愚にもつかない事を採り上げている事が明々白々の様に思えるのである。埋立地をかつて造成する時に、住宅予定地や市場予定地だからと特定のゴミや残土を選別して埋め立てられた訳もないし、全国の工場の跡地などは調べてみれば何が出てくるかわからない。東京都が対策を講じるといっているのだし、近隣の人達は何十年も健康に生きている事実を見たい。


考えて見れば東京の下町のある地区などは、江戸のし尿で埋め立てられた土地もあるので、そんな場所が下町の名所などと今は人を集めている。あまり風評やプロ市民の煽りなど気にせず、普通に暮らしていれば、おおよその健康などは保てるのではないだろうか。そういえば私などは顔もろくに洗わないし汚いのがまったく気にならないからアレルギーなどに無縁だよ、などとうそぶくと、傍らで妻が「 不精もいい加減にしてよね、加齢臭でいろいろ周囲が迷惑するんだから 」などとイヤそうな顔をする毎日である。過ぎたるは、尚及ばざるがごとし。
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2011年10月30日 (日)

見上げたもんだよ風呂屋の○○○○

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にっぽん丸のクルーズ料金が、都民クルーズで割引になると云うのでこの週末を利用して" ウイークエンド・秋の伊豆諸島周遊クルーズ"に参加した。金曜日の午後7時、仕事にけりをつけ、東京港から伊豆七島に向かうこのクルーズは”東京シティー・フィルと楽しむ週末”と云うテーマクルーズである。2泊3日のノンストップクルーズは、東京シティーフィルによる船内コンサートのほか、団員によるワークショップなどクラシックのイベントもあり、テーマによるものか "乗客の織り成す雰囲気" と云う点では、今までの国内クルーズの中では、特に気持ちの良いクルーズであった。

私たちの今回の乗船の理由は、都民割引というインセンティブの他に、”飛鳥Ⅱ”ワールド・クルーズで延々と習ったダンスを忘れない為に、ここらで一度復習をしてみようかと云う気持ちもあった。なにせちょっとステップを習っても、スポットライトに浮きあがるステージをダンスのカップルが縦横に踊るのを見ているだけで、気弱な私などは尻込みしてしまう性質である。しかしあの世界一周のダンス練習成果が自分の心身にどの程度変化をもたらしたのかを見るのは、”にっぽん丸”のダンスフロアーが絶好の舞台、なにせ生バンドでダンスを踊れる様なホールは都内でも今や数軒しかないそうだから、船の社交ダンス会場はこれ上ない復習の場なのである。


「 ここで逃げたら男じゃない 」と覚悟を決めて初日のコンサート後に、夜の社交ダンス会場をおそるおそる覗いてみる。すると居ました、例の通りダンス好きそうな男女がダンスシューズをはいて処狭しと踊っているのである。今までなら「 あの中に飛び込むのは勇気がいるなあ 」「 人が見ているなあ 」などと感じただけで頭の中が真っ白になり、その次の足が出なくなって「 やっぱり帰ろう 」とダンスモードになった妻の不興を買ったところである。ところが今回は「 よしあれだけレッスンを受けたのだから、行ってしまえ 」とくそ度胸も定まり、達人たちのステージに妻と勇躍乗り出す。


すると、何故かいつもよりスムースに体も動き出して、心配した「 頭の中が真っ白 」という現象も起こらない。もちろんちょっと忘れたり詰まったりもする処もあるのだが、結構冷静にリカバリーをしてルーティンに戻せるとは我ながら大したものである。ラテン・モダンと数曲こなす中なぜだか急に自信も湧いてくるのだが、こうなると現金なもので、「 なんだうまい人との差も、相対的なものじゃないか、そのうち何とかなるさ 」などと、無闇に根拠なき自信が湧いてくるのも私の単純なところ。結局二晩で2時間半ほど妻もびっくり、エネルギッシュにダンスを踊ったのであった。


たしかに私の学校には「 練習は不可能を可能にする 」という名言があり、スポーツでは「 流した汗は無駄にならない 」などという言葉もあるが、ダンスまた然りで、あれだけ練習回数をこなせば、何とか私の様なシャイな人間でも人前で踊れる様になる事が実証されたのである。この日が来るのを待ってきつい言葉や「 蹴り 」で私をリードしてきた妻が、「大したもんだ、人前で躊躇しなくなったのは 」と誉めれば、私も「我ながら見上げたもんだよ、風呂屋のフンドシ 」と寅さんのセリフが自然と口から出てきて、思わず船上で口笛を吹くのである。

2011年10月28日 (金)

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飛鳥船上で知り合った関東近郊の仲間が3ヵ月半ぶりに集まった。面倒見の良いリーダーの呼びかけで、3ヵ月半の世界一周の旅から帰国して調度同じ位時間がたった事を期に、総勢十余名が東京駅に程近いレストランに集合したのである。参加の面々は、やはりかなり時間が自由になる様で平日の昼日中の乾杯である。

アルコールが廻るうち、まずはクルーズの思い出で盛り上がる。クルーズの序盤、まだよそよそしい船内の雰囲気の中、インド洋の長い航海でうねりに悩まされた事、クルーズ後半のサンフランシスコでは大雨にあったが、その時は皆結構打ち解けていて、楽しい酒盛りをしていた事など話題は尽きない。下船後も船で習ったコントラクトブリッジを続ける人、アルバイトをしている人、また旅行に出かけた人など、それぞれの近況を報告しあい、最後は5年後にまた飛鳥の世界一周に乗ろうと気炎を上げたのだった。

それにしても来年の飛鳥Ⅱのワールドクルーズは、予約で満船だそうで、今年の様に船内どこへ行ってもゆったりという訳には行かないようだ。今年は400名の乗客で定員の半分だったから、郵船クルーズは大赤字だったろうが、ダイニングも大浴場もテニスコートも順番待ちなしで良かったと云う感想が口々に出る。そういえばクルーズ中、船内では仕事の話などほとんどしなかったのに、ここでは本業の名刺を交換したり、船上より皆2枚くらいカミシモを脱いでリラックスしている様だ。クルーズといえども長期の共同生活では、皆それぞれ自制心を働かせていたのかと、改めて世界一周クルーズのある側面をみた気がした。

写真はクルーズも終盤、大いに盛り上がった7月2日の「ハワイアンデッキディナー」
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2011年10月24日 (月)

東京マラソンの悪夢再び

妻が来年も東京マラソンに出たいと言う。私は今年の経験からフルマラソンなぞには向いていない事が分かったし、第一あんな辛い思いをするのも金輪際真っぴらで、「 次は申し込まないからね 」と早々に宣言していた。そんな私の言葉などどこ吹く風の妻は、「 出場するには10倍近い抽選を通らなければならないのよ。今年は二人で当選したばかりだから、二年続けて当選する訳ないじゃない。それにしても今年はとても面白かったから、駄目もとで義妹夫婦含めて四人分申し込んどいたよ 」と笑っている。そうか当たる訳もないか、とそんな事をすっかり忘れていたら、先日会社に居る私の携帯に妻からなんと私だけ当選したと連絡があり「 皆で応援するから完走した時は高級イタリア料理店に連れてって 」と脳天気なメッセージが入ってくる。


「絶対に当たらないと言っていたのに・・・・」と思わず文句が口に出そうになるが、ここで「 次は棄権する 」などとのっけから反応すると、申し込みの過程などは忘れたかの様に「 何よ、やっぱり面白みのない人ね、せっかく運良く当選したんだから冗談でも出たら。皆で応援に行くから今年こそ目標タイムをクリアして高級イタリアンにご招待よ 」と思わぬ逆襲を浴びそうである。すべからく妻の流儀に従っていた方が家庭円満の秘訣かと、気弱な私は一歩引きつつ、脳裏には「 妻という字にゃ勝てはせぬ 」と都都逸の文句が浮かんできたのだった。「ままよ、できるところまで走って、来年は途中で棄権しても良いか 」と悲壮な覚悟を決めて、仕方なく4ヶ月後のフルマラソンに向けて練習するかとチェンジ・マインドしたのであった。


で、どうせやるなら形から入ろうと思い立ち、くたびれてきたシューズをさっそく買い換える事にした。専門店に行って買ったのがこれ、ナイキのルナ・スパイダーと云う新製品である。なんでも”レーシング用にチューニングしたクッションを採用”して”優れたサポート性””究極のフィット感””抜群の走り”を誇るそうで、店員に薦められるまま試着して「これは良い!」と感じたのだが、値段を見ると新製品とかで14,170円とやけに高い。ランニング用のシューズだけは良い物を買いなさいと日頃他人に薦めている私でも、さすがにプライスを聞いて「う!」と唸るところだが、今回はやけくそ出場であるから最初から型破りに行く事にして購入してしまった。これは我がランニング史上、最高値段のシューズである事は間違いない。


そんなこんなで、昨日はさっそく皇居の周りを20キロ走しようと意気込んで走り始めたが、なにせ気温は26度・湿度70%の真夏の様な日である。新しい高価な靴の効果もなく、あえなく17キロで昨日は走るのをやめてしまった。いくらシューズが良くてもやっぱり練習不足に日頃の不摂生では、完走さえおぼつかないかとちょっとがっかり。体重計に乗ると、大汗をかいても前日と体重が1キロも減っていなくて、やっぱりフルマラソンなどは労多くして益少なしで走りたくないものだ、と気分が萎えたのであった。それにしても10倍の確率を2年続けて突破するくらいなら、宝くじか馬券でも当たってくれた方がよほど良いかと思っている今日である。

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2011年10月22日 (土)

怒るサラリーマン

私などはどちらかと云えば「逃げ切り世代」であるが、少し下の世代からは現在60歳の厚生年金の支給開始年齢が遅れるらしい。さらに厚生労働省は、年金支給開始年齢を段階的に更に遅らせる幾つかの案を検討していると報道され、それによると現在50才位から下の人の年金受給は68歳からという案もある様だ。


確かに少子高齢化で、今の年金システムが破綻し始めている事は充分理解するものの、年金をめぐる問題は企業の人事制度、若年者と高齢者の仕事分担、個人の人生観など様々な側面を持ち、一年や二年で制度を大きく変える事は難しい。60才ないしはその直後から厚生年金が支給されると信じて、給与から厚生年金分の天引きを黙々と我慢してきたサラリーマンにすれば詐欺の様な制度改革である。


仮に多くの企業が、年金制度の変更に伴い早々に退職年齢を引き上げても、今流行のIT化やガバナンスの面から見れば、60歳を超えたシニアで経済合理性を持ち合わせる者もそう多くない事であろう( 現に私も自分の能力について、これらの点で難しいと感じているのだから、多分間違いない )。若者の中には 「お金をあげてもいいから、爺さんどもには職場に顔を出して欲しくない」 と云う声もあるそうだ。


年金は「保険」なのか「相互扶助」かなどの議論を深め、国民の理解を得た上で、消費税をアップをし年金の財源にすればこの問題も解決するのに、人気取り政治の怠慢でそれをせず、多くの勤め人を苦しめるとは衆愚政治もここに極めりと怒りが湧いてくるのである。

2011年10月18日 (火)

がんばれ福島

東京世田谷で放射能測定値が急激に高くなった土地があって、それは結局福島原発とは関係ない事がわかったが、ここ数日この事件はマスコミで大騒ぎであった。かと思うと今日は、足立区の学校の雨どいの下、地上5センチの放射線値が高いと騒いでいるが、その10センチ上部で計ると数値は半減とかで、昆虫でもあるまいし人々は始終地面を這いつくばって生きているのかと報道の大きさに驚く。どうも放射線に限らずある問題がクローズ・アップされると、マスコミは「絶対の安全性」を求めて天下の一大事の如く報道するが、いろいろな測定器を持って町を歩けば、放射能に限らず人体に有害であるという物質は限りなくあって、その度にメーターの針は反応しているのではないだろうか。

などと思っていると、今日は妻が「福島県産のミルキー・クイーン米を通販で売っているけど買いたいの。がんばれ福島の意味もあるし」と言い出す。「おお、どんどん買え、東北を応援しようぜ」と答える私。「今は色々風評もあるけど?」と妻が言うと、小心者の私はちょっと心配になるものの「心配をしだしたらキリないし・・・、気にせず注文したら」と受け流す。確かに原発事故に対する今回の政府の対応を見たり、他人事の様に謝罪広告も出さない東京電力の態度を考えると、言われている安全性というものが本当に大丈夫なのかについて疑問なしとは云えないが、そこは小心でありながら江戸ッ子である私の小さな反骨心に火がつく。


考えて見れば、この世に生を受けてから、生きているという事はなんらかのリスクを背負っている事で、それが少しでも嫌なら家でフトンをかぶって寝ているしかない。しかしそんな事をして全ての危険から逃げていたら、私などの小人は今度はノイローゼか何かになって心の健康を失うであろから、おおむね大丈夫であろうと世間が認めるものは、例え僅かな疑問を持っても無視して普通に生活するのが、健全な生き方ではないかと考える。なかには原発事故以来、都民でも簡易放射能測定器などを持っている人もいるそうだが、逃げる場所もない我々はそんな機械を持って始終環境を気にするより、排気ガスやらタバコの煙などを直接吸わない様にした方がまだましではないかとも感じるのである。


かつて昭和30年代に旧ソ連の核実験が行われた後は、日本でも雨に混じって相当の放射能が降り注ぎ、一説によると都内では今回の原発事故より放射能測定値が高かったと云われる。当時は大人から「雨に当たったらいけないよ」とか「放射能の雨に当たると頭が禿げるよ」などと随分注意されたが、それ以後ソ連の放射能によって関連の病気の罹患率が上がったとか、禿げが増えたとか云うデータもないようだ。また一時、携帯電話の電波が病気を起こすという説もあったが、携帯が出回ってから10余年たって、世界中でその説に対する検証も聞かない。メディアなどのセンセーショナリズムにのって、人はそれぞれがとらわれた対象に注意を向けがちだが、生きていくには無数の困難と危険があって、そこそこあらゆる危険に”適度”に気をつけているしか生きる道はなく、あまり極端に特定の事のみを心配するのもどうかと臆病な私は自答しているのである。

2011年10月16日 (日)

2011飛鳥Ⅱ ワールドクルーズ写真集

ASUKA Ⅱ World Cruise 2011の写真集が昨日届いた。104日間で廻った世界各地の思い出、船内の様子、顔見知りになった人達のスナップなど懐かしい写真で一杯である。「 ああ、ここ行ったね 」「 この人の事覚えてる 」などと、昨日は妻と二人で写真集を見ながら、人生の一大イベントだったワールドクルーズを思い出して盛り上がった。この写真集、様々なスナップも良いが、巻末に掲載されている浅井船長による「2011年世界一周クルーズ 船長航海日誌」がとても面白く、一気にこれを読むとクルー達が船上の快適な生活を念頭に、安全運航へいかに尽力したきたかが伝わって来て、「ああ、あの時はこうだったのか」と納得する事しきりである。

安全で快適な航海の為のクルー・ミーティングが頻繁に行われる事、スケジュール維持の為に最短コースラインを選び、ぎりぎり陸に近づいたりした事、イベントや食事の時間に荒天や雷雨に合わぬ様にコースをかなり頻繁に調整している事など、客船ならではの運航努力が「 船長航海日誌 」に記されていて、改めて「 人を楽しませつつ、安全にしかも時間通り航海する 」というのがいかに大変な仕事なのかが伝わってくる。なかんずく排水量3万トンながら上層部の構造物が大きい本船が、接岸や離岸時には風の影響を大きく受けるため、操船に苦労するあたりは、上部のデッキから気軽に眺めていた我々乗客からは計り知れないものだ。

「 船長航海日誌 」では、ケープタウン入港時に荒天でパイロット到着が遅れた上、回頭中シケで大きく本船が傾いだ際は「 緊張が続いた一日でした 」とあり、セーヌ川を上りルーアン着岸の際に強風に煽られた日は「 大変に疲れた一日であった 」というコメントが記されているが、「本当にそうだろうな。若いのにしっかりした船長だった」と改めて拍手を送りたい。その他この日誌を読むと、セントヘレナに向かいつつスケジュールを維持できるか船長は最後まで不安に思っていた事、ドーバー沖でドリフト(錨をおろさず遊弋する事)していた理由、アマデアとの出港が後先になった事情、アカプルコ岸壁で反対舷のアンカーレッコ(錨を下ろす)した背景、津波情報を受けて沖に航路を変更したこと等など、なるほどそうだったのかと当時の状況を思い出し得心する。

ただこの点では、2010年2月のブログ「ブリティッシュ・ウェイ」でも以前アップした通り、私達が豪州P&Oの"Pacific Dawn"に乗船した際イギリス人の船長クリストファー・ウエルズ( 現"Queen Elizabeth" 船長 )が、逐次細かい航海情報について船内放送を行い、船の置かれた状況を都度最大漏らさず乗客に伝えていたが、今回の「航海日誌」に記載された程度の事実は、可能な限り船内でも発表して貰えていたら、もっと私達の様な「フネ好き」には面白かったかもしれない。まあそんな事より、食事の内容などの方が気になる乗客も多いのだろうから、今回の様に「日誌」として記録しておいたら充分なのかもしれないが・・・・。それしてもあらためてこのクルーズが安全に終わった陰にはクルーを始め、世界各地の多くの裏方の力によるものだと、届いた写真集を眺めていると感謝の念が湧いてくる。

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2011年10月15日 (土)

船友

飛鳥Ⅱのワールドクルーズで知り合ったご夫妻と私たち夫婦の4人で、一昨日はブラジル料理レストランで会食した。下船して丁度3ヶ月目の再会となるのだが、ワールドクルーズは横浜を出港して3ヶ月経ってもまだ洋上を航行していたのだから、改めて長いクルーズだったと4人で思い出話に花を咲かせたのだった。今年は震災の影響などで、僅か400人ばかりの乗客での世界一周だったから、航海終盤には顔見知りも増え、船上のあちこちで会話を交わす様になったが、その中ではやはり元勤め人だった人達とは話題に共通性があって親近感が湧いたものだった。

一昨日の船友も会社を定年間近で辞めて、ワールドクルーズに乗船したそうだが、船のダイニングやサロンで世間話をしたのに比べて、盛り場のレストランで喋るのも違った趣向で、「 あれは現実だったのだ 」と不思議な気持ちが湧いてくる。私と云えばこの3ヶ月で会社員に戻ってしまったから、日常の些事や仕事の雑事に埋もれて早くも生活に倦んできた中、船上で知り合った友人と久しぶりに話しをすると、多くの出来事が蘇って来てリフレッシュした気分になる。その店の”飲み放題”カイピリーニャの酔いも手伝って、計140回通った船上ダンス教室の思い出話などで盛り上がったが、折角初歩を覚えた社交ダンスも、いざ陸上のダンスクラブを覗いてみると異質な空間で敷居が高いし、結局ワッハッハと酔っ払いの会話になってしまったのもご愛嬌である。

しかし考えてみると、3ヶ月半も同じ船で過ごすと云う事は、陸上で隣近所に住むのとはまったく違うものだと云うのがわかる。飛鳥Ⅱといえどもたかだか長さ200米、幅29米に過ぎず、航海中は一歩も外へ出られる訳ではないし来客も訪れない。船というのは閉ざされた空間での生活だから、貨物船のクルーなどは「 給料付きの刑務所 」だと自嘲する者もいる位だ。もちろん最近のクルーズ船は乗客が退屈しない様な様々な設備と、立派な食事と趣向を凝らした企画に溢れているが、それでもある種の共同生活をする中に、乗客相互に運動部の合宿所の様な親近感が湧いて来て、それが長期クルーズの思わぬ楽しみである事が体験できた。

「 考えて見れば最近の老人ホームは、至れりつくせりの飛鳥Ⅱの延長みたいなものだから、将来の予行演習済みだわ 」などと、友人の奥方が言うのも妙に実感が伴って聞こえる。一昨晩はキャビンに戻るのに数分という船上と違って、ふらふら酔いながら地下鉄に乗って帰宅したが、「5年後、飛鳥Ⅱが新しい船にリプレースされていても、今のままでもその時はまた一緒に世界一周しましょう」と交わした約束を夢物語で終わらせないために、精々仕事に健康に気をつけねば、と電車に揺られつつ感じていたのだった。

思い出のダンス教室
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2011年10月11日 (火)

バス&レール

国土交通省は、東京へ向かう東名高速バス乗車中に首都高速が渋滞した場合に、東名と首都高の境の世田谷区・用賀で降車して電車で都心へ乗り継ぐ「高速バス&レールライド」の本格運行を開始し、用賀から渋谷までの乗り継ぎ運賃は、通常190円のところを100円に割り引くと発表した。首都高速用賀パーキングエリアに降車専用のバス停を設置し、急ぐ乗客は東急田園都市線・用賀駅まで約5分かけて300mを徒歩し、用賀から渋谷まで約11分の電車を利用するアイデアだと云う。

日本でも有数の混雑路線である東名高速道路から、都内に乗り入れる首都高速3号線は恒常的に混んでいる。東京都心の混雑緩和のために首都圏を大きく廻って各高速道路を横に繋ぐ圏央道は、東名付近では一部が完成しただけ。東京の郊外を環状に結ぶ外環道も、関越と東名を結ぶ東京西部では未完成という有様のため、東名高速道路から都内へ帰ってくるクルマや、さらに東名から各高速道路に乗り入れる車両は、都心近くの中央環状線か都心環状線に殺到するのである。そのため国交省も従来にない発想の転換で、利用者の利便を図る積もりなのであろう。


しかし、問題は用賀から乗り換える田園都市線で、この路線は朝のラッシュ時には渋谷に近づくに連れ、殺人的に混むので有名な路線である。そのため朝間は乗客が殺到する急行列車の運転をとり止め、用賀付近ではすべて各駅停車で運転されている程である。それでも三軒茶屋~渋谷間では乗車率が200%近くになって、混雑率ではワースト路線の上位にいつもランクされている。バスから荷物を持って乗り換えた乗客、年寄りや子供連れなどが乗れるものではないが、ラッシュ時間は避けてこのバス&レールをうまく実行できるのだろうか。それにしても一部の住民のエゴで建設が進まない東京近辺の道路が多いため、こんなアイデアが出てくるのだろうが、僅かな人が立ち退いたら道路が広くなる場所が多いのも事実。大都市の道路は、まだまだ整備が足りないと思っている。

2011年10月 8日 (土)

いいから早くやってくれ!

会社員に戻って以前の様に自由に床屋に行く事ができなくなった。昨日は会社を終えて友人と待ち合わせの間、一時間弱だけ時間が空いたので、いつもの床屋に駆け込むと、あいにく連休前で満員である。その床屋はおよそ旧式の店内だが、おばちゃん3人でやっていて、黙って座ってもきっちり仕事をしてくれる上、料金が2500円と安くて手際良い。しかし時間がない社会人となったからには仕方ない、その近所に新しく出来た小ぎれいな床屋を覗くと座席もあいてる様子。「今、すぐやってくれる?!」と初めての店に入ったのだった。


しかしこれが、どうも間違いの元であった様である。バックグラウンドミュージックが静かに流れ、間接照明で浮き上がる店内は、椅子の間にもパーティションがあって、客の様子も良く見えない。料金が4200円と馬鹿高いのには一瞬たじろぐが、時間には代えられないので「 たのむよ 」と言うと「 ではカルテを作成いたしましょうか?」と見習いの若い女性が返答する。「 はあ?ここは医者かい?そんなものはいらないよ、時間がないから早くはじめてよ 」といささかぶっきらぼうに言うと「ではカルテは結構です」とくる。「なくて済むものなら最初から出すな」と思いつつ、丁寧と云うか、時間のない身から見ると緩慢な彼女の動作を見ていると、どうもとんでもない床屋に入ってしまったのかと後悔し始めたのだった。


この床屋、髪を切る前にさきほどの見習い風女性が「 まずシャンプーをします 」だと美容院の様な事を言う。何だか自分の髪が汚れていて、床屋がそれに触りたくないから洗うのか、とも感じるが「 シャンプーはどれになさいますか、何とかと何とかと何とかがあって・・・」と説明を始めるので、その言葉を遮り「・んなもなぁは何でも良いよ、普通の奴、普通の奴 」とこちらの言葉にも次第にトゲが入ってくる。歳をとるとせっかちになる上、今日は急ぎだと言っただろう、口を動かす前に手を動かせと言いたい処なのだが、マニュアルしか頭にない見習いの彼女はそんな雰囲気などお構いなしである。


シャンプーが終わると、おもむろにホンチャンの女性の理容師が現れるのだが、こんな演出もどうも床屋らしくなくて気にいらない。「 いかがなさいますか? 」の彼女の問いに「 短めに !」の一言で始まったのは良いが、こちらの彼女もしごく丁寧な動きで、時間の事が気になって仕方がない。調髪の後に「また髪を洗います」と2回も頭を洗うのにもびっくりしたが( 昔は髪を洗い過ぎるとハゲると云われたものだ )、そのシャンプー後に「お耳に水は入りませんでしたか?」と聞かれるのも初めてである。この床屋、椅子を倒しても起こしても、何をする際にも「ありがとうございました」と何がありがたいのか判らない意味不明な言葉を言うのだが、それがいかにもマニュアル通りというのが透けて見える。


という訳で時間ぎりぎりに何とか終わったのだが、最後にまた「ありがとうございました、お茶でございます」と、これでもかと云う程のサービスがつく。床屋でお茶が出たのも生まれて初めてだが、それにしても料金は高さは別として、一体いつからこんなビジネス・クラスの様なサービスが始まったのだろう。私などは座って「 短めに!」と一言会話を交わせば、眠っていてもササッとやってくれ、かつ客の機嫌を見ては世間話でも織り交ぜる様な店が床屋だと思っていた。そんな床屋では、大体ラジオから歌謡曲や道路交通情報がAMで流れていて、うとうとしつつ鋏の音とラジオを聴いていると「ああ床屋に来たな」と安心したのだが、時代も変わったものである。

2011年10月 6日 (木)

旅の思い出

ワールドクルーズから帰って3ヶ月、ハワイから帰って1ヶ月半。あの一連の放蕩大旅行は夢か幻かと錯覚するくらいに、日常に埋没する生活に戻ってしまった。私は毎日、地下鉄に乗ると先立つものもないのに、ああ又世界一周に行きたいな~なと云う思いが頭をかすめるし、専業主婦になった妻は、毎日慣れぬ料理の献立に悩むと、あの上げ膳据え膳の毎日が懐かしくなるとつぶやいている。


そんな昨今、近所のスーパーで新鮮な鰯とブラックタイガーを見つけた妻は、ふとあのゴージャスな日々を思い出し是非ともリスボンで食べた”鰯の塩焼き”とハワイの”ガーリック・シュリンプ”を作りたくなったそうである。で、これが当日の夕食である。残念ながら調理の都合で、リスボンの丸ごと鰯と違い、家では三枚におろしたが、その塩加減もガーリックシュリンプのガーリック・バター味もなかなかのものだと自画自賛している。


サラリーマンの私は、こんなにガーリックが効いた料理を平日の夜に沢山食べると、明日の朝の通勤電車や若者が多い職場で「加齢臭にガーリックか」などと蔑まされそうで、おそおそる口に運び始めたのだが、そのうちビールの酔いも廻ってきて、思い切り旅に思い出に浸りながら、二人で完食してしまったのである。

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2011年10月 2日 (日)

日本以外は伸びているクルーズ

業界紙によると、クルーズ最大手の米ロイヤルカリビアンとドイツの大手観光資本が共同出資したTUIクルーズという新しい会社が、欧州の造船所で9万7千トンのクルーズ船を2014年引渡しで新造すると報じられている。片やもう一方の米国クルーズの雄、カーニバルグループは、傘下のドイツ人向けクルーズ会社であるアイーダクルーズによって、三菱重工に2015年引渡しで12万5千トンの客船2隻発注を決めたと云う。欧州のクルーズ船もいよいよ本格的な競争の時代に入った事をうかがわせるのである。


これまではクルーズと云えば主にアメリカ市場のものと思われてきたが、今年の飛鳥Ⅱのワールドクルーズの際にも幾度かブログにアップした通り、ヨーロッパや中米地域でも現地の潜在需要を対象に、猛烈な勢いで市場が伸びてきている様である。現に雑誌クルーズ11月号によると、この10年の間に北米のクルーズ人口は650万人から1350万人と2倍になったのに対し、欧州は165万人から465万人と3倍近く伸びているとの事。それに対して日本のクルーズ人口は、ここ10年ほどほとんど変わらず約20万人だそうで、欧米に較べてなぜ日本人はクルーズ船に乗らないのかが、もっと観光業界の話題になってもよい様な気がする。日本と同じ様に大陸の近辺にあって周囲を海で囲まれた海洋国家イギリスでもクルーズは人気があるし、一方で最近は博多や長崎に中国人の買い物客が多数乗ったイタリア船などが頻繁に寄港するから、日本だけがクルーズ人口が伸びないという事は何か特殊な背景があるのではないだろうか。


思いつくままに考えてみると1)クルーズは「豪華な船旅」であるというがイメージが先行して、スノビッシュなもの、時間とお金のある人のものと云う認識が定着している。2)カップルで行く旅、社交が必要な旅、ドレスコードが面倒というステレオタイプの認識が持たれている。3)食事やエンターテイメント込みにしても日本船の価格が高すぎる事。4)日本の周囲の気象・海象が冬場などはクルーズ向きではなく荒れる事が多い。5)海岸や河川が全て役人や企業の管理下にあり、水辺は産業や漁業など生産の場で、船に乗って遊ぶという文化をこれまで育てて来なかった。6)航海中は退屈で揺れると思われている等と言う理由がたちどころに浮かんでくる。


まあこちらは観光業界に身をおいている訳でないから、日本人のクルーズ人口が伸びようが減ろうが一向に構わないし、日本船が嫌なら海外の安い船を利用するという選択肢もあるものの、親戚や友人などに「 一緒に船に乗ろうよ、クルーズは楽しいよ 」と薦めても反応が芳しくないのはちょっと寂しいものである。欧米の船に乗るとベランダ付きの良いキャビンと、廊下を挟んだ目の前の安いインサイドキャビンを同時に取り、昼は海が見える部屋で皆が集い、夜は窓がないインサイドキャビンで寝るなど部屋を合理的に使い分けているファミリーやグループが居て、うまい事考えるものだと感心するが、いつの日か日本にもそういう「普通のクルーズ」の時代がくるのだろうか?


初代・飛鳥もドイツ人向けのアマデアとして欧州で活躍中
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2011年10月 1日 (土)

昼食

元の事務所のそばにある町の小さな中華料理屋に、地下鉄に乗って昼飯を一人で食べに行った。場所は銀座のすぐ近くなのだが、あの辺りの古くからの飲食店の中には、食堂の店長がコック兼ビルオーナーと云う店が結構あって、テナント料もなくコスト的にも楽なのだろうか、隣の銀座などより2割くらい安く定食を食べる事ができる。そんな行きつけの普通の中華の味も、数ヶ月食べないと妙に恋しくなってきて、昼休みに現在勤務している会社からわざわざ出かけてみたのである。


そう云えば、これまでも会社の合併や出向などで勤務地が幾度か変わった事があるが、引っ越して少しするとやはり懐かしい味に合いたくてなって、昼休みにタクシーや地下鉄で元の勤務場所近くの定食屋などに時々行ったものである。800円くらいの何と云う事のない昼食に、片道700円ものタクシー代をかけるのもバカバカしいと思いつつ、つい行ってしまうのは、気にいった味覚というものが、脳の奥深い本能的な箇所に記憶されるのだろうか?


今回、そうして数ヶ月ぶりに訪れた大衆中華店は、味もそこそこだが店の名物おばちゃんの威勢の良い呼び込みと彼女の客あしらいのうまさに、多くのファンがいる様だ。「 最近来なかったね~、待ってたんだよ 」などと、そのおばちゃんに言われると、また近々来て見ようかという気になるもので、彼女の「あら、久しぶり!」のだみ声が聞きたくて店の暖簾をくぐったのだった。と、狭い店内に一歩足を踏み入れると、見知らぬパートのおばちゃんが忙しそうにサービスして店を取り仕切っている。びっくりして「前のおかあさんはどうしたの?」と聞くと、「あの人は2月から来ないんです」と答えそれ以上は何も言わない。こちらもそれほど親しい訳ではなかったので、体でも悪くしたのかなあ、などと思いつつそれ以上は聞く事をためらっていた。


久しぶりの焼きそばの味を堪能して、料金を払うために厨房の方に行くと、以前ちよっと顔見知りだった、厨房手伝いの別のおばちゃんとばったり顔があって、「あら、久しぶり、あのおばさんは歳なので、店からは引退して家でゆっくりしているのよ」と教えてくれる。どうやらさっきの会話を耳の端で聞いていたのかもしれないが、結構「あら、あの人はどうしたの?」と云うおばちゃんファンも多いのだろう。本当にちょっと来ない間に、人が代わっていたりするのは寂しいものだが、元気で自宅で悠々なら、まあ良かった良かったと云うもので、楊枝をシーハーさせながら店を出て地下鉄で会社に帰ったのだった。

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