2011飛鳥Ⅱ ワールドクルーズ写真集
ASUKA Ⅱ World Cruise 2011の写真集が昨日届いた。104日間で廻った世界各地の思い出、船内の様子、顔見知りになった人達のスナップなど懐かしい写真で一杯である。「 ああ、ここ行ったね 」「 この人の事覚えてる 」などと、昨日は妻と二人で写真集を見ながら、人生の一大イベントだったワールドクルーズを思い出して盛り上がった。この写真集、様々なスナップも良いが、巻末に掲載されている浅井船長による「2011年世界一周クルーズ 船長航海日誌」がとても面白く、一気にこれを読むとクルー達が船上の快適な生活を念頭に、安全運航へいかに尽力したきたかが伝わって来て、「ああ、あの時はこうだったのか」と納得する事しきりである。
安全で快適な航海の為のクルー・ミーティングが頻繁に行われる事、スケジュール維持の為に最短コースラインを選び、ぎりぎり陸に近づいたりした事、イベントや食事の時間に荒天や雷雨に合わぬ様にコースをかなり頻繁に調整している事など、客船ならではの運航努力が「 船長航海日誌 」に記されていて、改めて「 人を楽しませつつ、安全にしかも時間通り航海する 」というのがいかに大変な仕事なのかが伝わってくる。なかんずく排水量3万トンながら上層部の構造物が大きい本船が、接岸や離岸時には風の影響を大きく受けるため、操船に苦労するあたりは、上部のデッキから気軽に眺めていた我々乗客からは計り知れないものだ。
「 船長航海日誌 」では、ケープタウン入港時に荒天でパイロット到着が遅れた上、回頭中シケで大きく本船が傾いだ際は「 緊張が続いた一日でした 」とあり、セーヌ川を上りルーアン着岸の際に強風に煽られた日は「 大変に疲れた一日であった 」というコメントが記されているが、「本当にそうだろうな。若いのにしっかりした船長だった」と改めて拍手を送りたい。その他この日誌を読むと、セントヘレナに向かいつつスケジュールを維持できるか船長は最後まで不安に思っていた事、ドーバー沖でドリフト(錨をおろさず遊弋する事)していた理由、アマデアとの出港が後先になった事情、アカプルコ岸壁で反対舷のアンカーレッコ(錨を下ろす)した背景、津波情報を受けて沖に航路を変更したこと等など、なるほどそうだったのかと当時の状況を思い出し得心する。
ただこの点では、2010年2月のブログ「ブリティッシュ・ウェイ」でも以前アップした通り、私達が豪州P&Oの"Pacific Dawn"に乗船した際イギリス人の船長クリストファー・ウエルズ( 現"Queen Elizabeth" 船長 )が、逐次細かい航海情報について船内放送を行い、船の置かれた状況を都度最大漏らさず乗客に伝えていたが、今回の「航海日誌」に記載された程度の事実は、可能な限り船内でも発表して貰えていたら、もっと私達の様な「フネ好き」には面白かったかもしれない。まあそんな事より、食事の内容などの方が気になる乗客も多いのだろうから、今回の様に「日誌」として記録しておいたら充分なのかもしれないが・・・・。それしてもあらためてこのクルーズが安全に終わった陰にはクルーを始め、世界各地の多くの裏方の力によるものだと、届いた写真集を眺めていると感謝の念が湧いてくる。
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