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2011年6月23日 (木)

パナマ運河

飛鳥Ⅱは6月19日早朝に、パナマ運河の大西洋入口であるクリストバルに入ってきた。いよいよ10時間に及ぶパナマ運河通過である。私にとってパナマ運河と云えば、今から33年前に一万トンの在来型貨物船で研修として往復した思い出の場所である。あの頃のカリブ・中南米航路はまだコンテナが普及しておらず、日本から研修に乗ったのはデッキにデリックが林立する昔ながらの一般貨物船。それも日本人が35人も乗り組んでいたから今の船舶から思うと隔世の感がある。


横浜を出て航海の最初の寄港地ロス・アンジェルスが、生まれて初めて行った外国だったから、ロス上陸にはいたく感激した思い出があるが、パナマのクリストバルでも強盗にもあったなどと、当時の記憶がパナマ運河の風景を見たら走馬灯の様に蘇る。2014年に完成予定の運河拡幅工事を見ながら、飛鳥Ⅱはクリストバルからガツン湖を経て太平洋側の出口バルボアへとゆっくりと向かう。デッキから一日通峡する景色を眺めていると、水位を調整する閘門は当時と変わらないが、クリストバルやバルボアの港がすっかりコンテナライゼーションされたのには、時代の流れを感じた。


もっとも驚いたのは、太平洋側の首都パナマシティの遠望だった。乗船実習の際には、見習い事務員として航海記録を公証してもらう為に、パナマシティの日本大使館にも行ったが、高層ビルなどほとんどなかった古い町であったと記憶している。それが今回飛鳥Ⅱの船上から見るパナマシティーの市街地は、シンガポールも顔負けの超高層ビルが林立しているのが見てとれる。運河の収入以外には大した産業もないパナマであるが、タックスヘイブンで世界中のお金が集まってくるのだろうか。あれから30年以上経ったのだから景色が変わるのも当然と云えば当然であるが、規制緩和がどれだけ一国の経済に効果があがるか、無数の高層ビルを見ていると日本の停滞ぶりが悲しくなってきたのだった。

20110622

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船・船旅」カテゴリの記事

コメント

奥様の「パナマ運河通峡」、目の上を通り過ぎる壁、水の色の変わる様子などワクワクでした。
早朝から夕方まで昼食もとらず?に右左、前後ろ、上から下へと一緒に駆け回っている雰囲気ですっかり楽しませていただきました。
パナマ運河も来年で100年なのですね。計画された当時はPNAMAXなど年間に14000隻も通る様子など想像もされなかったでしょう。改めて社会を一変させるインフラの重要性を感じさせられました。
寄港記のラストスパートを期待していますが、終わってしまうのも淋しくなるのでゆっくりの方が良いかもしれません。

健ちゃんさん

妻の飛鳥乗船記ご愛読ならびに当ブログご訪問ありがとうございます。船の中でとにかく妻はあちこち動くので、時々どこへ行ってしまったのだろうと思う事も・・・。

パナマ運河が拡幅されてパナマックス船の価値はどうなるのでしょうか?興味深いですね。

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