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2011年5月29日 (日)

ベルゲンのハンザ博物館

飛鳥Ⅱは5月25日ノルウェイのベルゲンに入港した。ベルゲンには世界的な海運会社の本社がいくつかあって、以前から彼らに「一度ベルゲンに遊びに来いよ」と社交辞令ながら、町の良さを何回も聞いていたので、今回の寄港は以前からちょっと楽しみだった。天気は生憎な事に小雨がぱらつく曇り空であったが、朝入港すると早々に我々二人は、ジョギングで町の後ろに横たわるフロイエン山に駆け上って町の様子を俯瞰する事にした。標高320米の小山に分け入ると、木々の緑と山の気に身体が包まれ 「 海も良いが、珠には山の空気も良いものだ 」と贅沢な感想が胸に沸き起こる。


高福祉の北欧諸国はどこも物価が高く、まともに買い物などする気が失せたので、午後はベルゲン港の世界遺産ブリッゲン地区のハンザ博物館に行く事にした。ブリッゲンは港の岸壁に沿って、かつてのハンザ商人たちが使った三角屋根のカラフルな木造家屋が立ち並ぶ町で、その一棟が博物館となっていて往時の商人たちの賑わいの一旦をしのばせてくれる。ドイツといえば航空会社ルフト・ハンザ(空のハンザ)と言う事で知られる様に、13世紀から16世紀にかけて北ドイツのリューベックを本拠地に、ハンザ同盟が北海やバルト海沿岸で隆盛を誇ったが、そのハンザ同盟の貿易事務所がベルゲンにおかれ、一時は干しタラの交易で大変賑わったと云う。


改めて世界史の教科書を読み直すとハンザ同盟とは、かつて北海・バルト海沿岸の都市を中心に、貿易や商業の保護、安全保障などを目的とした自治都市の同盟機構で、ベルゲンからは干しタラを輸出し、見返りに英国やベルギー方面から食料や生活資材を物々交換したそうである。プリッゲンの木造の建物の中は干しタラの貯蔵や簿記・出納帳などをつける事務机が置かれ、多くの作業員が番頭や小番頭の下で、過酷な労働を強いられたとされる。木造の建物は火災に弱く、幾度も大きな火事に見舞われた為に、室内の灯りも極度に制限され暗かったそうだが、博物館はそれを再現しているのか、無料で貸し出してくれる懐中電灯がなければ歩けない程暗い。


ちょっと薄気味悪いほど暗い博物館だったが、以前北海道に旅行した際、旧松前藩の領地にあったニシン漁の運上家とブリッゲンの建物の内部の雰囲気がそっくりな気がして、大量に獲れた魚を管理し流通させる組織は、洋の東西を問わず同じ感じがするものだと思ったのであった。

写真は松前藩の旧下ヨイチ運上家とブリッゲンの商館
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コメント

ベルゲンは16年ほど前にオスロから車で1週間かけて旅した最終地で、懐かしく読ませてもらいました。博物館があったのですね。ベルゲンからその山伝いにオスロまで戻ったのですが、大変な山道で難儀しました。それにしてもまだ氷河溶けずに残っていました?

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