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2011年4月29日 (金)

喜望峰

20110428

飛鳥Ⅱはケープタウンに4月26日到着した。ケープタウンではアフリカペンギンが生息するボールダーズ海岸を見て、喜望峰に行く一日ツアーに参加した。喜望峰と云えば海運会社や製鉄会社の新入社員が最初に覚える”ケープサイズ"型という船に代表される様に、世界の物流にとっては意味深い地名である。ブラジルをはじめとする多くの大西洋の港から、鉄鉱石などの資源を極東に運ぶ際に一番近いルートであるパナマ運河は、通れる船の幅が105フイート(約32米)という制限があり、ここを通航可能な船をパナマックス型船と呼ぶ。それ以上の大型船は大西洋から喜望峰をはるばる回って資源を運んで来るので、これらおおむね10万トン以上の大型バラ積み船はケープ(喜望峰)サイズ・バルカーと呼ばれる。


このパナマ運河の制限とは、船の大きさを示す一つのメルクマールになっていて、8万トンくらいのクルーズ船が世界の主流であるのもこの105フィート幅にあわせるためであり、アメリカの空母も有事に即応するためにパナマックス型になっている。もっとも現在では2014年に予定される新パナマ運河の開通を控えて、バラ積み船だけでなくコンテナ船や客船もパナマックス型を越え、喜望峰を回るケープサイズ型が増えてきたのだが、相変わらずケープサイズという言葉は大型船の代名詞となっている。そんな我々には慣れ親しんだ用語の発祥の地である喜望峰を訪れるチャンスなどはそう滅多にないので、今回のクルーズでもここは外せぬとばかり、喜望峰ツアーに出かけたのである。


喜望峰は、ケープタウンからバスで南に向かう事一時間強、野生のヒヒやダチョウが生息し、低い潅木が連なる茫漠たる半島の突端にあった。多くの観光客が訪れるものの、沖で寒流の大西洋と暖流のインド洋が交わる岬は常に強風が吹き抜け、アフリカ大陸の地ここに果てるという寂寥感が漂う場所であった。バスコ・ダ・ガマはじめ大航海時代の幕を開けてポルトガル人がここを発見したのは、15世紀の末。以来船乗りにとって大きな目印であり続けた喜望峰も、新しいパナマ運河の開通と共に、その存在が薄れていくのだろうか、と薄い雲間からの海に突き刺さる太陽光線(ジャコブズラダー)を感慨深く眺めたのであった。

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