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2011年4月

2011年4月29日 (金)

喜望峰

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飛鳥Ⅱはケープタウンに4月26日到着した。ケープタウンではアフリカペンギンが生息するボールダーズ海岸を見て、喜望峰に行く一日ツアーに参加した。喜望峰と云えば海運会社や製鉄会社の新入社員が最初に覚える”ケープサイズ"型という船に代表される様に、世界の物流にとっては意味深い地名である。ブラジルをはじめとする多くの大西洋の港から、鉄鉱石などの資源を極東に運ぶ際に一番近いルートであるパナマ運河は、通れる船の幅が105フイート(約32米)という制限があり、ここを通航可能な船をパナマックス型船と呼ぶ。それ以上の大型船は大西洋から喜望峰をはるばる回って資源を運んで来るので、これらおおむね10万トン以上の大型バラ積み船はケープ(喜望峰)サイズ・バルカーと呼ばれる。


このパナマ運河の制限とは、船の大きさを示す一つのメルクマールになっていて、8万トンくらいのクルーズ船が世界の主流であるのもこの105フィート幅にあわせるためであり、アメリカの空母も有事に即応するためにパナマックス型になっている。もっとも現在では2014年に予定される新パナマ運河の開通を控えて、バラ積み船だけでなくコンテナ船や客船もパナマックス型を越え、喜望峰を回るケープサイズ型が増えてきたのだが、相変わらずケープサイズという言葉は大型船の代名詞となっている。そんな我々には慣れ親しんだ用語の発祥の地である喜望峰を訪れるチャンスなどはそう滅多にないので、今回のクルーズでもここは外せぬとばかり、喜望峰ツアーに出かけたのである。


喜望峰は、ケープタウンからバスで南に向かう事一時間強、野生のヒヒやダチョウが生息し、低い潅木が連なる茫漠たる半島の突端にあった。多くの観光客が訪れるものの、沖で寒流の大西洋と暖流のインド洋が交わる岬は常に強風が吹き抜け、アフリカ大陸の地ここに果てるという寂寥感が漂う場所であった。バスコ・ダ・ガマはじめ大航海時代の幕を開けてポルトガル人がここを発見したのは、15世紀の末。以来船乗りにとって大きな目印であり続けた喜望峰も、新しいパナマ運河の開通と共に、その存在が薄れていくのだろうか、と薄い雲間からの海に突き刺さる太陽光線(ジャコブズラダー)を感慨深く眺めたのであった。

2011年4月26日 (火)

海上のツイスター

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イルカが船の周りに遊びに来て、しばらく飛び跳ねたり船の速度に合わせて泳いだりするのは、クルーズでは良く経験する光景だ。航路によっては運が良ければ鯨に出会う事もあるし、海鳥が魚を捕食するために海面に飛び込む様を見たり、ふだんの生活では見る事のできないものに出会うのもクルーズの楽しみといえよう。インド洋を航海中の今も、窓の外は天の川をバックに南十字星がくっきりと浮かび、私達は船から配られる今宵の星座図をもとに、デッキでいろいろな星を探している。


沈み行く夕陽の最後の輝きが、プラズマ現象で一瞬みどり色にかわる”グリーン・フラッシュ”もこの航海ですでに2度ほど見る事ができて感動したが、先日は海の上の竜巻を初めて見た。本船の左舷1マイルほどだろうか、一本の水柱が天空と海を繋ぐ神殿の円柱の様にゆっくり移動して行ったが、その竜巻の景色はなにか生きものの様でもあり、自然の神秘を大いに感じさせてくれるものだった。竜巻の下部では滝つぼのごとく海の水が巻き上げられて白く光り、あたり一面の海がにわかに白波を立てる様子は、まるで地の果てとでもいうもので、思わず映画やニュースのトルネード場面を思い出させてくれた。


こうして船で移動していくと、地球は海の部分が陸地より遥かに広く、この広大な大洋が生命の源であり、かつ地球の天候や環境の源である事がわかる。この海洋で原始の生命が発生して進化し、水は蒸発して雲になり、雨が降って陸地では森が出来、光合成が行われて動物や人間が生きてきた。こうした自然のサイクルに思いをいたすと、まさに海とは奇跡の様な存在で、我々はますます海洋汚染に注意し、この海を守っていかなかればならないと殊勝な考えが浮かんでくる。 加山雄三の「地球をセイリング」の歌詞ではないが、「母なる波の上」に人間の存在があるのだと、毎日海を眺めながら感じている。

2011年4月22日 (金)

一期一会

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インド洋に浮かぶ島、モーリシャスのポート・ルイスに到着、八日ぶりの陸地である。午前中はキュール・ピップという高原の町へのツアー、午後はポート・ルイスの町をぶらぶら散歩した。専門的になるが、この港のライン・ハンドリングは入港時にはスプリングラインをポンツーン桟橋の下に引っ掛けるわ、出港時には出港予定時間に来ないわで、万事これが南洋流なのかと感じる。日本の様に予定通り物事が運ぶと云う事は、世界でも珍しい文化だと云わねばならないのだろう。


さてせっかちな私は、クルーズ船の上陸時間などは門限が気になってリミット1時間以上前に帰船するのが常だが、今回はモーリシャスのウオーターフロントにそよ吹く風の気持ち良さに、珍しく帰船の制限時間ぎりぎりに船に帰った。船へのシャトルバス集合場所でバスにも乗らず名残りを惜しみながら、「 もう二度とここには来ないだろうから、少しでも長く留まっていたいね 」と妻と話していると、傍らから「 そんな事言わないで、また来て下さい よ 」と女性の声がした。


話をすると彼女は、15年前にモーリシャスの男性と結婚しこの地に住む事になり、今回飛鳥Ⅱの入港に伴いポート・ルイスで乗客の世話役をしているのだと言う。 「ここに来た当初は本当に何もない所で、走っている車もひどい物でした 」とあっけらかんと笑う。「 モーリシャスに来る日本人はほとんどがハネムーンで、その数はあまり増えていない、とにかく日本からのアクセスが不便ですから 」「 日本のインド洋マグロ漁船も海賊の影響で、めっきり減って中国船にとって代わられました 」と説明してくれる。


我々はその会話の10分後には飛鳥Ⅱに帰り、快適な準日本の空間に戻るが、「 こんなに大勢の日本人がここを訪れたのは初めてです 」と言う彼女はクルマで15分の所に住むのだそうだ。いつも海外で思うのは、日本から渡って現地で永住する女性の強さなのだが、こんな日本から遥か離れたインド洋の島で 一人活躍している女性を見て 「 女の人はやはりたくましいものだな 」と感じたのであった。それにつけても横浜から乗船さえすれば、考えもしなかった新しいな土地へ部屋ごと連れて来てくれ、見聞を広められるわけで、クルーズとは何と楽で素晴らしいものかと改めて思うのである。

2011年4月19日 (火)

ESCAPE COMPLETELY

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スンダ海峡を抜けてからモーリシャスのポート・ルイスまでの間には、本当に何もないインド洋の大海原が続く。船は赤道直下から南緯20度付近のモーリシャスに向かって南西に航行しているが、南緯35度付近に安定した高気圧があって、ここ数日高気圧の吹きだしの風による3米~4米の大きなうねりが南からよせて来ていた。そのため残念ながら一部の乗客は、何日か船酔いのためキャビンから出てこれなかった様だが、漸く今日の夕方からはうねりもおさまってプールの水も平穏になってきた。


どうやら飛鳥Ⅱの航跡は一般的な商船航路から外れている様で、行き交う船影さえ皆無、NHKの衛星放送もこんな人の住んでいない地区に向けては電波を発信していないのか、ここ2日間は受信できない状態だった。それでも読売新聞と毎日新聞の都内版が衛星通信で毎日送られてきて、日本の様子が判るとは世の中も便利になったものだ。30数年前に貨物船に研修で乗船し、カリブ海や中南米に行った時には、ファックスでA4版2~3枚程度届く 「共同ニュース」 だけが洋上で得られる日本のニュースで、それ以外は通信士のモールス信号だけが交信の手段だった。しかし今やネットやEメールの交信まで船上で出来る様になり、通信・情報手段の進歩に驚く。


思えば1980年代までは、船舶と陸上の交信は基本的に船舶無線で、日本の船は長崎か銚子にある無線局経由、本船の無線通信士が陸と交信していた。電報局に本船宛の電報を依頼する際には、16字以上の電文になると料金が高くなるので、新入社員がまず覚えるのは「ウナヘコ」(至急=ウナ、返事こう)とか「イサイアトレン」(詳細は後ほど指示す)などの略語。英文の電報を電報局に頼む際には「ブラボー」(B)「チャーリー」(C)とか「ホテル」(H)「ヤンキー」(Y)などの国際アルファベット識別語を使い電文を作成するが、ブラボーの代わりにボンベイ、ヤンキーの代わりにヨコハマなど、地名を使った簡易版もあった。


時間外に自宅から緊急電報を本船に打電する際などは、寝ぼけていたり酔っ払っていて、「Kは何だったかな?えーい熊本K」などと電報局の交換手にしどろもどろで伝えると、電話の向こうで交換手がくすっと笑うのを感じてたりして恥ずかしかった事もあったものだ。今やテレックスも過去のもので、REVERTING(後で詳細連絡する)や THERE4(THEREFORE)等のテレックス用語も過去のものになるのだろうか。 まだまだスピードの遅い船上のネット環境も、数年後には陸上並になるのだろうが、そうなると船上でも日常からのエスケープは難しくなるのかとも危惧する。その時にプリンセス・クルーズのキャッチフレーズ "ESCAPE COMPLETELY"はどうなっているだろう。

2011年4月16日 (土)

洋上研修所

シンガポールを出てスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を抜けて丸4日、飛鳥Ⅱは南半球インド洋を一路モーリシャスのポート・ルイス目掛けて南西に下っている。この間まる8日間以上、フネは海上航海を続ける事になり、これは最終レグのハワイ・横浜の8日間の航行に匹敵する長い無寄港区間である。島影どころか行き交う船もまったくないインド洋を、船は南からのうねりをうけて、ゆったりとピッチングを繰り返し航行していて、プールは例によって大波状態で使用禁止となっている。


それにしても思うのだが客船のプール位のものなら、それを大きなバスタブな様なものにしてセンター部分だけを横軸で船体に固定し、前後方向はシーソーの様に船体から独立させて設置したらどうなのだろう?。現在の客船はスタビライザーのおかげでローリングは相当抑えれているが、いかんせんピッチングを抑える実用的な仕組みはない。せめてプールや大浴場だけでも振り子式に船体から離し、コンピュター・コントロールによって、船の動揺が水面に影響出ない様にならないものか。


それはさておき、シンガポールまでの序章を終わりほっと一息のこの区間になり、赤道通過祭やフルーツビュッフェ、飛鳥祭りなどの屋外デッキでの催し、一人乗船者の集いや飛鳥初乗船者の集いなど、船内の趣向がいろいろ凝らされる様になってきた。さすがに外国船の様に同性愛者の集いなぞはないが、囲碁やマージャン、ウノなどの集まりもある様だし、カラオケの演歌がレセプションまで聞こえてくると、「 ウン!?、ここは国内フェリーだったっけ?」などと思わず錯覚しそうである。 ちょっと湯がぬるいなと感じていた大浴場も、お湯の吹きだし口の真上では結構熱めの湯が出てくる事が判ったし、ロングクルーズならではの新たな発見もあってインド洋の旅は続くのである。


これまでのところ、ダンス教室やコントラクトブリッジ教室の他、毎日いろいろな講座やアクティビティーに参加しているのだが、真面目に出席していると時間がいくらあっても足りず、一日が終わると 「 忙しすぎて、何だか高級ホテルに缶詰になって研修を受けてるみたいだね 。 」「 これじゃ却って、休みが必要だね。諸教室のない上陸日に早くならないかね。 」などと妻と話しているのである。

写真は時化によるプールの大波
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2011年4月14日 (木)

飛鳥Ⅱの良い点

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航海も12日目に入って、普通はもう下船の時なのだが、まだクルーズも序盤だと思うと嬉しい気分である。 今航海はこれまでのワールドクルーズの約半数の乗船客との事で、船内は何処へ行ってもゆったりしているのが良い。食事の量が高齢者向けに少ないのだが、こちらもそれに合わせているので、どうやら脂肪がついて下船、という事態は免れそうである。長期クルーズで肥満を防ぐという観点からは、食事とともに船内でのフィットネスなど運動環境も重要なファクターと云えよう。


クルーズの専門誌などを見ても、食事や設備の案内には十分にスペースを割いているものの、船内で身体を動かす事についてはあまり記載がない。しかし航海が長くなるとこの点は重要なポイントであるし、今後クルーズ全体の普及という観点からも見逃せない。その意味では”飛鳥Ⅱ”はこれまで乗船した中で、秀逸なフィットネスの設備を持っていると云えよう。まず本船の7デッキのプロムナードデッキがぐるっと本船のハウス周りを一周全通しているのだが、これが広く開放的で良い。最近の大型船の傾向としては、船の後部にあるダイニングや厨房などの配置上の制約からか、せっかくのデッキが船尾側で途切れていたり、階段で一旦上り下がりしないと一周できない船が多い中、本船の一周フラットなデッキの構造は歩くのも走るのにも秀逸である。


また構造的には遊歩デッキが全通していても、船首部や船尾部がメンテナンスなど作業場となって、実際には常時開放されていない船もあるが、この点では最近乗船したホーランド・アメリカの”ウエステルダム”号が広い全通甲板を持ち、かつテンダーボートの作業中も通行禁止にならなかった点で感心した。 ただ”ウエステルダム”など最近の船は、ほとんどがチーク模様であるものの実際は合板の様な加工された工業製品をデッキに貼っているらしいのだが、足への負担と言う点では ”飛鳥Ⅱ”の昔風のチーク張りの方が格段に優れていると感じる。一見木材風ではあるものの加工された合板の上をグルグル回っていると、足・腰への負担が大きく疲労するに対し、”飛鳥Ⅱ”の伝統的なデッキは身体に優しく、こんな見えない点にも随分この船が贅沢に出来ていて、かつメンテの苦労も察せられるのである。


更に7デッキの客室が同じ階のプロムナードデッキより一段高い位置にあって、外から中が見えない様になっているのも大変良い構造だと感心している。プールは一箇所しかないが、客船のプールとしてはサイズ的に十分大きく、水遊び以上の「水泳」が出来る点や、ミニテニスの”ウインブルドンコート”の設備、その他フィットネスセンターなども5万トンの船として過不足ないようだ。長期クルーズ船として船上での肥満対策としてもとても良いクルーズ船と感じている。

2011年4月13日 (水)

シンガポール新旧

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シンガポールには仕事で数え切れない程来ているし、妻も長期出張でここに居た事があるので、格段観光する場所もなかった。ただ妻はマリーナ地区に最近出来たばかりの、高級リゾートビル 「 マリーナ・ベイ・サンズ 」だけは訪れてみたかったらしい。これは56階建ての3棟の高層ビルの屋上が、空中の遊歩楼で結ばれたユニークな建物で、その屋上はプールやレストランなどの設備が整備されているのである。残念ながら天空のプールなど主な施設はホテルの利用者専用なのだが、その一角は旅行者にも有料で開放されているというので、早速クルーズターミナルから地下鉄を乗り継いで訪問してみる事にした。


「 マリーナ・ベイ・サンズ 」の展望台へのエレベーターは往復で一人1500円ほどもするのだが、さすがにここからの展望は素晴らしいの一言。沖にはおびただしい数の船舶が停泊し、町にはユニークな高層ビルが天に向かって聳え立っているのが手に取るようにわかる。来るたびに町がきれいに新しいビルが増えるのを見ると、世界中から集まった投資などのお金で、この都市国家が急ピッチで変化している事が実感できる。沖に停泊する無数の船舶は、シンガポールでは海運会社に法人税がかからない為、この地で修理をしたり船用品を積み込む為に寄港しているのであるが、自由経済が海外のお金を呼び込み、規制緩和がヒト・物の往来を活発にさせているのである。


国のサイズや成り立ちの違いがあるので一概に日本と比べるのも無理があるが、自由な経済と規制緩和に基づいた強い通貨や自由な貿易体制さえあれば、極論すれば農業などなくても国は発展すると云う事がシンガポールに来ると良くわかる。 もっとも 「 マリーナ・ベイ・サンズ 」に上がって満足した妻は、かつてここに居た時に昼食時に味を覚えた屋台村の様なところで 汁そばじゃない方の「蝦麺 」を久しぶりに食べたいと言い始めたが、昔そこここにあったそんな一角も再開発されて、なかなかローカルなメシ屋がみつからない。やっと探し当てた古いマーケットの一角で、ドライ「 蝦麺 」にやっとありついた妻は「 開発されすぎるのも考え物だ 」とブツブツ言いつつも、久しぶりのローカルな味ににんまりしていたのだった。

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2011年4月11日 (月)

ファースト・レグ終了

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2011ワールドクルーズ最初の寄港地のシンガポールに到着した。月曜日に神戸を出発してまる1週間かけてシンガポールまでやって来た事となる。大体飛行機の一時間が船の一日の行程と云われるが、この船のスピードこそが人間の本来持っている旅行のリズムではないかと思う様なのんびりの航海が続く。


今回の乗客は400数名しかいないそうで、この人数は小規模な高校くらいのものだろう。そろそろ顔見知りも出来て挨拶する人も大分増えたが、中には「俺は死んでも挨拶しないぞ」という様な人もいて、ここも日本社会の小さな縮図、これから小さな人間劇場が3ヶ月間続くのだろう。


これまで会話をした乗客の中では、飛鳥大好きで飛鳥ばかりのリピーター派と、クルーズそのものが初めてでいきなり世界一周に兆戦をするという人達がかなりいる様である。飛鳥派の中にはこの船の世界一周クルーズも2度目3度目と云うお金持ちも目立つが、我々の様に海外船・日本船なんでも乗りますという船客はまだあまりみかけない。やはりワールドクルーズの船客は、これまでのクルーズとは一味違うのかと云うのがまず最初の感想である。


ダンス教室とコントラクトブリッジ教室はここまで「お試し」で、今後インド洋に入ってから本格的なレッスンとなるそうで、ちょっと構えつつ楽しみでもある。そのほか乗客より多いクルー、なかんづくメジャーなフィリピンクルーと積極的にコミュニケーションを図るべく、タガログ語を彼らから習っている毎日である。

写真はブリッジの説明会
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2011年4月 7日 (木)

船上生活

東京では私達が出てから桜が満開になって良い天気だったそうだ。本州の上に優勢な高気圧があった様だが、その高気圧からの吹きだしが本船を後ろから追すかの如く、また北からのうねりが昨日まで強かった。さて長期のクルーズで毎日、上げ膳・据え膳となれば気になるのはお腹の脂肪、と言う事になる。その点ではこの「飛鳥Ⅱ」のプロムナードデッキは一周440米で、木材張り的なのが良い。最近の外国船などでも全周通路などがチーク張りになっているが、良く見ると鉄板の上に木製の合板をペタっと貼った様な簡易仕様に対して、飛鳥Ⅱのそれは昔ながら本格的な木張りの感触で、こんな所にもこの船が”クリスタル・ハーモニー”としてお金を掛けて作られた事を感じる。


さてデッキをウォークしたりジョギングしたりすると、普通は船首に向かう時に強烈な向かい風になり、船尾方向に行く時は追い風になってエクササイズしにくいものだ。その点では日本を出て数日間、船尾から吹く北風が船首からの風と相殺され、船上のデッキも風が弱く運動しやすかった。フィットネスクラブも外国船仕様でそれなりに立派な造り、毎日結構多くの人が汗を流しており、長期のクルーズになると、このあたりの雰囲気が他の日本のクルーズと一味違う様だ。それから飛鳥Ⅱには、煙突前のデッキに金網に囲まれてウインブルドン・コートというミニテニス場があるのだが今回は我々夫婦は野球のボールとグラブを持参して、毎日このカゴの中で30分ほどキャッチボールをする事にした。流れ行く雲を眺めながら、船上のキャッチボールというのはなかなかオツなもので、これはうまい事考えたと自讃している。


こうなると少なくともフィットネスという事では、長期クルーズになるとそれなりの設備を各種持った大型船の方が、私には快適だという気がしている。昨日はフィットネスの係りに100日間の体幹筋力アップのトレイニング・プログラムを作成してもらったが、クルーズ中に普段できない筋力アップというのもダンディなアイデアではないか。ダンス教室にコントラクト・ブリッジ教室、その他今までできなかったあれこれと、次々に船内新聞の予定が目に付き忙しい毎日になりそうだ。
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2011年4月 6日 (水)

資源大国日本

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日曜日に飛鳥Ⅱに乗船して4日目、普通ならクルーズも中盤になり、そろそろ下船説明会の日程も気になる頃だが今回は序盤の始まり。クラシックのコンサートで云えば「 運命 」とか「 田園 」などの大曲の前に演奏される「 レオノーレ序曲 」や「 フィガロの結婚序曲 」の指揮棒が振り下ろされた瞬間の様なもので、お楽しみはこれから盛り上がるぞ、という余裕の感じだ。乗客は104日の長期クルーズへ向けキャビンに積み込んだ荷のアンパッキングも終わった様で、船内ではこれから船内生活をどう創り上げて行くのか、それぞれがプランを練っているところである。


という訳で、私も今日はアルコールを飲むのを止め、夕食もリドグリルの海鮮バーガーにジュースで済ませて内臓を休ませる。これまでも週に1~2回は禁酒をしていたが、船上でもこの習慣はキープするか、はてさて大枚はたいたこんなに大きな行事は一生の中でもそうあるものではないから、後先考えずに身体の欲するまま楽しみにブーストをかけて飲んでしまうか、その葛藤に悩む処である。毎日がクリマスか正月だったら酒好きの人はどうしよう?という感じだろうか。


今回はスエズ運河から地中海を抜ける当初の予定が、ソマリア沖の海賊や中東の騒乱のために航路が変更になり、地震・津波のためにキャンセルする乗船客が多かった様で、クルーの数より船客の方が少ない世界一周クルーズである。そのため船内はどこへ行っても混雑もなく、先も長いので雰囲気は総じて静かで落ち着いている様に感じる。といっても飛鳥Ⅱに乗るのは二度目だし、世界一周なんてのは夢の夢だったから、これまでのこの船の長期クルーズなどを知る由もないのだが。


さきほど波照間島を飛鳥Ⅱは交わし日本のEEZから漸く出るのだが、ここまでで一番大きな感慨は 「 日本は広い 」という驚きである。東京を出て途中で神戸に寄ったものの丸4日航走しても、まだ日本の圏内にいるという事は、わが国が水産資源や海底の資源にいかに恵まれているのかを想像させる。この膨大な眠れる資源が日の目を見るには、技術開発はもちろんだが、これらが経済的にペイできる程度まで国際的な資源価格の値上がりが必要なのだが、中国やインド、その他の台頭でただでさえ資源を奪い合っている状態のところに、今回の原発事故で原子力エネルギーの見直しが起きる事は必至。日本は地震の被害を乗り越え、次に羽ばたく時は資源的には大変なポテンシャルを持っているのかなあ、などと考えつつ南シナ海に入って行く今夜である。海の難所バシー海峡に向かい、窓の外では風が強まって来たようだ。

写真上は神戸港出港の様子、下は日本最南端有人島の波照間島
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2011年4月 1日 (金)

思い出はプライスレス

世界一周の船旅に出るとメールしたら「 エイプリルフールでしょ 」と返事が来た。昨年は「 オープンカーを買った 」とこのブログでほらを吹いたら、何人かが本当に信じてくれた経緯があるから無理もないか。今回の船旅はソマリア沖の海賊問題や中東・アラブ情勢の混迷により、航路がスエズ経由からケープ廻りになり、イスタンブールや地中海に行けないのがちょっと残念だが、代わりに南アフリカや西アフリカに寄港できる事になった事は楽しみである。地中海などはいずれまた訪問する機会があろうかと云うものだが、なかなかナミビアやセネガルなどには行けるものではない。

サラリーマンであった私が、こんな贅沢をするのは本当の処、大変気が引けるのである。しかし親族や身内に「 今をも! 」と云う病人などがいない事や、仕事が小休止状態である事など、取り巻く環境や周囲の理解があってこそ実現できた旅である。財布の方もこのクルーズ費用で大分軽くなって「そろそろ買い換えようか」と思っていた新車が遠のいたのは事実だが、何より「 思い出はプライス・レス 」だと信じて、車はまた数年後にしようと思い直した。逆に大枚をはたいて長期クルーズに出かけると決めたら、急に西洋史を勉強したりダンスのレッスンに通ったりして、ここ数ヶ月は副産物として心身とも活性化できた様に感じる。

「 皆で自粛 」などという最近の風潮だが、消費をやめてしまっては、わが国の経済は成り立たないので、私は気にしない事にしている。気に掛かるのは「 地震と放射能汚染の日本からお前は脱出するのか? 」と言われそうな事である。今の心境としては何があろうと日本のこの危機を共有しつつ、皆で見守りたいと云うのが本音ではあるが、一昨年に申し込み昨秋のキャンセル料金が発生する時に仕事も目処をつけ、身辺諸整理をした手前もう行くしかないと決めている。日本の船のIT環境は一時代遅れているが、明後日船出しても、可能な限り七つの海からブログをトライしてみよう。

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