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2011年3月

2011年3月30日 (水)

サッカー、日本代表対Jリーグ選抜

外国の人と会食した際にビジネスや景気の話題も尽きると、しばしばスポーツの話がでる。「若い世代はサッカー世代で、我々の世代は野球世代だ」などと言いながら、アメリカ人とイチローの話などをすると、共通の話題でしばし座が保てる。我々はそんな野球世代ではあるが、今日のサッカー地震復興チャリティー・マッチ「日本代表XJ・リーグ代表」はテレビの中継を見て感動した。


試合の性質上、戦闘的な競り合いこそ少なかったものの、逆にスピードと妙技を各プレーヤーが発揮しようとしているので、サッカーが本来持つ速さやテクニックの醍醐味を味わう事ができた。何より各場面では選手たちが手を抜かず良いプレーを示そうとしている事を感じ、何だかメキシコ・オリンピックで日本チームがフェアー・プレイ賞に輝いた事を思い出させる試合だった。また応援の観客の被災地に対する熱い思いもテレビを通じて伝わって来て、こんな若い連中が日本復興の中心になってくれるのかと頼もしく思った。


それに反して我々の世代のスポーツ、プロ野球は最近何かと精彩がない。もちろんチャリティー試合などを各地で行っているのだろうが、外国でプレーしている代表選手を呼び帰して、満員のスタジアムで慈善試合を行うサッカーに比べるとその影は実に薄い。セ・リーグに至ってはまだ開催地やスケジュールさえ決まっていない様だが、これを見ると野球というスポーツの尊厳より、読売を中心としていかに商売するかに精一杯な様に見えてしまう。

先日の神宮球場の優先使用のブログでも述べた様に、東京に本拠地を置くプロ野球チームが、学生野球の古びた球場を間借りしている様な旧態依然とした商売では、サッカー世代には見向きもされず、そのうち我々の世代が興味を失ったら、その存在が危うくなってしまうのでないだろうか。震災で人々が疲弊している時、将来に向けた大きな展望や、天然の芝で映える立派な専用スタジアムの構想、次世代に受け入れられるアクション・プランなどを打ち出さないと、プロ野球は早々に皆にそっぽを向かれる事になると思う。サッカーの試合を見ながらそんな事を考えていた。

2011年3月29日 (火)

リーダーの要件

東京電力の社長が会見などにあまり出ないので、現場で陣頭指揮を執っているのかと思ったら、体調を崩して休んでいたのだと云う。福島原発の事故は想定外の事なので、社長として心身ともに極限まですり減らしたであろう事は想像できるが、こんな時に社長が倒れていたとはこれも想定外である。それにつけても仕事を途中で放り出した事で思い出すのは、安部氏と福田氏の二人の元首相である。安部元首相はストレスで体調を崩したそうだが、そんな自己のナイーブな性格を50年生きてきて知らずに首相を引き受けたと云うのだろうか。福田元首相に至っては「あなたとは違うんです」と捨てゼリフを残してあっさり政権を放り投げたが、そもそも修羅場に立ち向かう胆力もない人間が二人続けてトップになった事が、今日の自民党の凋落を招いた一因と考える。

東電の社長や二人の元首相の例をみると、最近のトップはいとも簡単にストレスで前線を退いてしまうのではないか、と云う思いを持ってしまう。減点主義やコンプライアンス優先の社会で、小さい頃から英才教育を受け、会社でも無難に勤め上げてきた秀才型の人材がトップに付く傾向が以前にもまして強い様だが、こういう社会の風潮がひ弱な最高責任者を生む原因にあるのではないだろうか。普段は少々変わった人間だと思われていても、お家の一大事の時こそワイ・シャツの袖を捲り上げて、困難に立ち向かう様な人こそが求められるリーダーで、そういう意味で小泉首相は人気が高かったのだと思い出す。

私も喧嘩っ早いのは人後に落ちないつもりで、職場でのトラブルの時などは、真っ先に乱闘現場に突入する会社員だったが、妻には「 万が一大きな組織のトップに推挙される様な事があっても、オレは自分のキャパシティーや性格を考えて辞退しただろうな。喧嘩早いがおっちょこちょいで所詮トップになる器じゃないから 」と言っていたものである。妻は「皆の目は節穴じゃないわよ。あなたの様に上を上とも思わない様な人が、トップになる様な人事は誰も考えないから、万が一でもそんな心配をする必要はないわよ」と一笑に付された。どんな組織でもトップと言うのは大変な苦労を背負うもの、ましてや日本のリーダーや巨大電力会社の社長の心労は計り知れないが、リーダーたるもの成績が良いだけで順番に繰り上がるものでなく、普段は変人でも危機の時こそタフな人材であって欲しいものである。

2011年3月28日 (月)

東京ゲートブリッジ

20110328

先ごろ中央部分が繋がったカンチレバー式のトラス橋、東京ゲートブリッジを一望する場所を通りかかったので思わずシャターを切った。東京の若洲と中央防波堤外側埋立場を結ぶ自動車用橋梁で2011年度の完成を目指しておりトラス橋としては国内最長級らしい。恐竜にも見立てられる変わった構造は、その下を大型船が横切る為、海面上の高さを充分に取る必要がある上、羽田空港の航空路の高度制限があるのでこんな形になったと云う。

昨年カンチレバートラス橋としては世界第2位の長さを誇る、英国エジンバラのフォースブリッジを見て以来、「 カンチレバー? 」とか「 トラス橋 」とかの意味に興味をもって改めて調べてみた。それによるとカンチレバーとは「 片持ち梁 」と云う事だそうで、例えば入れ歯を作る際に隣の一本の歯からブリッジを伸ばして入れ歯を固定するのがカンチレバーなのだそうだ。その他レコードプレーヤーの針の様に片方を固定しながら針先を震動させる如く、梁の片方だけを固定している構造をカンチレバーと云うらしい。 たしかにこの橋も両側の橋脚から、梁を伸ばして作られているのでカンチ・レバー式である。

一方、トラスとは橋に外部から力がかかった場合、その力を分散させる為に橋げたの上や下に三角形を組み合わせた構造物をつくり、たわみや伸縮を分散させるものだと云う。割り箸の様な細い棒に、空中で上からまっすぐ力を加えるとすぐ折れるが、この棒の両端を握って、伸ばしたり押したりする力を加えてもなかなか折れない。橋に力が加わった場合に、橋げたに三角形(トラス)を組み合わせると、外部の力がトラスに伝わって、圧縮や引っ張りの力に分散されるので、橋の強度を高めるのがトラス構造なのだと云う。

鉄道でも自動車でも橋を通る度に、橋げたの両側面に三角を基調とした構造物があるのは何故なのだろかといつも疑問に思っていた。あれは列車や車が橋から転落するのを防ぐ為ではなさそうだし、一体何の意味があるのかと疑問を持っていたのだが、フォースブリッジや東京ゲートブリッジを間近で見て、今回やっとあの意味がわかったのであった。何でも興味を持って調べてみると目からウロコの発見があるものだ。

エジンバラのカンチレバー式の長大橋 フォースブリッジ
20100828


フォースブリッジのブログ
http://www.we-blog.jp/wave/seahawks/a0000287506.php

2011年3月26日 (土)

いよいよ夏時間導入検討

電力節減の一環でいよいよわが国でも夏時間の採用が政府で検討されると云う。私はここでも何度か書いたとおり、平時からわが国も夏時間を採用したら良いと思っており、震災を契機にやっとこれがテーブルにのる事はとても喜ばしい。たしかに巷間云われる様に、夏時間に変わる日や元に戻る日は、町で若干の混乱がおきる事は想像できる。私もアメリカに駐在していた時代、夏時間( アメリカではデイライト・セービング・タイムと云う )初日のフライトを予約していたところ、前夜の飲みすぎで夜中に時計の針を進めるのをすっかり忘れ、空港についたら目の前を自分の乗る飛行機が飛んでいってしまったと云う苦い経験がある。

しかしクルーズ船で航海すると船内での時刻変更はしばしば経験する事で、慣れてしまえば1時間や2時間の時差変更などさして苦になるものではない。高緯度の欧米に比べて、ただでさえ夏の朝がバカッ早い時間から明るくなるのが日本である。ましてやわが国の標準時は明石が基準だから、東日本では朝が無駄に明るく夕方が短いのが特徴だろう。仮に2時間早める夏時間を採用すれば、今の夕方7時は午後5時の明るさになり、食事をするにも余暇を楽しむにも点灯する必要がなくなる分電力需要は減るだろう。また涼しい早朝に仕事などの活動を開始できるから、冷房にかかる電力も減るのではないだろうか。これによって仕事後の明るい余暇時間を使うレジャー、たとえばゴルフのハーフ・ラウンドを夕方廻るなどの経済効果も期待できるし、プロ野球のナイト・ゲームも途中から点灯すれば良いのである。

日本も戦後進駐軍の下で一時期、この制度を導入した事があったそうだが、結局定着せずすぐに打ち切ったと云う。しかし食うや食わずの当時と状況は格段に違っているし、世界の多くの国々で定着している制度が日本では実施困難だという特段の理由もみつからない。今年こそ日本でも夏は時刻改正、それも2時間時計の針を進める事を実施してもらいたいと期待する。その際は単純な夏時間などと呼ばず、アメリカの様に「日光を楽しむ時間」など積極的なネーミングをしたらどうであろうか。ただ一点、気懸かりなのは、呑ん兵衛さんたちが陽が高いうちにはあまりへべれけになれないから、飲み屋の売り上げは格段に落ちるのではないか、という事である。

2011年3月25日 (金)

ただちに ~ でない

買い占めなどは一切せず、ガソリンがなければ電車に切り替えて、”公共広告機構AC”のつまらないCMにも我慢し、極力平静を装っている私でも気になる事はある。それは最近良く聞く放射線被害などの「ただちに健康に被害を及ぼすものではない」と言う政府の言い方である。元来のひねくれ者であるから「 ただちに~でない 」ならば、「長期的には健康に被害があるのかい」と言う反論がすぐに心の中に沸き起こってくる。


例えば「 一歳未満の乳児は念のため水道水を飲まないで 」と言うが、では仮に1歳3ヶ月の子供を持った母親は、どうしろと言うのだろうか? 「この水をそのまま数回飲んでも、直ちに健康に影響がでるものではない」などという説明は 「 では10回くらい飲めば、後で影響が出ることもありうる 」と言う事を暗に示唆しているのかとも勘ぐってしまう。東京一区の恥、海江田経産相は決死の活動を続ける消防に向けた暴言を謝罪するのに、素直に「 暴言でした、ごめんなさい 」でなく「 もし不愉快な思いをさせたなら、謝罪する 」などと常に付帯条件をつけるのがこの政府の常套手段だから、どうも放射能被害のアナウンスにも「ただち」に政府の説明を信じる事ができず、何か裏があるのでは、と余計な事を考える。


私が何かをするかしないかを決める時には、こんな比喩が参考になる時がしばしばある。「サメが良く出るオーストラリアの海岸で泳ぐなというが、サメに食われて死ぬ人より、ビーチに車でやって来るまでに交通事故に遭う確率の方が何万倍も大きい 」とか「 飛行機事故に出会う確率は、空港に来るまでに地上で遭遇する事故の確率よりはるかに小さい」などという言い方である。この裏には確率的にはいかに小さくても当事者となる事だってありうるし、そうなるかどうかはあくまで自己責任だが、そこまで心配するのなら何もできないよ、と云う潔いニュアンスを感じる。反対に「 ただちに~するものではない 」と言うアナウンスは、すべて発表する側の責任逃れが含まれている様な物言いで、ひどく耳障りなのである。今回は医療で使うレントゲンがよく被爆量の指標で出されるのだが、その比較は意味がないという専門家もいる様で、もっと聞き手が納得する様な、上手な言い方はないものだろうか?

2011年3月24日 (木)

気になる神宮球場優先権

センバツ高校野球が始まり球春到来という季節だが、プロ野球は地震の影響でいまだに試合日程が定まっていない。特にセリーグは文科省のナイト・ゲーム自粛要請で、開幕日についても、いまだに揉めており試合日程も流動的のようだ。この面でセ・リーグではヤクルト球団がいち早く開幕の再延期、セ・パ両リーグの4月12日同時開催を主張、4月中の神宮球場ナイトゲームも行わないと報道されている。


ヤクルト球団は開幕後、もしこれまでに発表された日程でペナントレースが行われた場合、4月15日(金)~17日(日)の3日間は対横浜3連戦、19日(火)~21日(木)は対中日3連戦を神宮球場で主催する事になる。もしナイトゲームを行わず昼に試合を開催するとなった場合、この期間の昼間に同球場を使用する東京六大学野球や東都大学野球の試合とどう調整していくのだろうか、その対応にとても興味が持たれる。


東都大学野球連盟は3月30日の理事会で今後の運営を検討するとしているが、問題は六大学との調整になるのではないか。もともと神宮球場は学生野球の為に作られた球場であり、特に東京六大学野球連盟は建設時の資金負担を含め、同球場の維持・運営に多大の貢献をしてきた経緯から、従来から球場の優先使用権が認められている。それでも近年はプロ野球のナイト・ゲームが開催される日は、六大学野球は第1試合の試合開始時間を早め延長戦も行わないなどのルールで、プロ野球との共用を図って来た。仮にヤクルト球団がナイト・ゲーム自粛のために神宮球場の試合を昼間行いたいと提案した時は、これまでのルールを根本的に見直す事になり学生側と紛糾する事は間違いないだろう。


未曾有の災害の後とあって、今は国民それぞれが協力し、この困難を乗り切る事が必要なのだが、各論となるとなかなか調整は難しい。「計画停電、国民的節電」を行っている最中に「プロ野球のナイト・ゲームに電力を使用」するかの議論や、「こんな時こそ、娯楽を提供すべき」か「いや自粛すべき」かの比較などはそれぞれで、見解は大いに別れるところであろう。さらに上記の様にナイト・ゲームが昼間になった際の球場の使用権利、他の行事の予約状況など前例のない難問が控えている事であろう。私としてはこんな時こそ国民はごく普通に消費し、経済活動を行う事こそ必要と考えるから、ナイト・ゲームなどは遠慮せずにやったら良いと考えているのだが。

2011年3月22日 (火)

復興

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お彼岸と云う事で父の墓参りに行った際、久しぶりに東急線東横線の田園調布駅で乗り降りする事になった。ここは学生時代にバスに乗るために良く乗降した駅なのだが、昭和52年に新玉川線(現・田園都市線)が開通してからというものは、私にはとんとご無沙汰の駅である。東横線と共にこの駅を通るかつての目蒲線は、地下鉄と直通して目黒線と名前が変わり近代的な路線に変貌、小さな駅も大改築されて地下ホームとなり昔日の面影はほほとんど残っていない。ただかつての駅舎本屋を再現したこの建物だけが、駅前のロータリーに面してぽつんと記念碑の様に立っているだけである。


話は変わるが、どこを見ても地震のニュースに”公共広告機構・AC”というタイトルばかりのテレビ画面に疲れた先週末、息抜きにテレビの 「 アドマチック天国 」 800回記念特集を見るともなく眺めていたところ、首都圏各地のこの15年の変化を特集していた。これによると、バブルが崩壊して地価が下がったのを契機に、首都圏の町は着実に再開発され、高層ビルが建ち交通網がいたるところで整備されてきた事がわかる。バブルが崩壊して不良資産や不良債権の山のなか、住専問題が連日ニュースのトップになっていたのもついこの前のような気がするが、この駅に代表される様にバブル崩壊を奇禍として、町の再整備は着実に進んでいるわけである。


東日本を襲った地震と大津波は恐ろしい爪あとを残していったが、被災地がやがて復興した暁には、より便利なそしてより災害に強い町が再建されるはずと私は確信している。関東大震災や第二次大戦で焼け野原となった東京が以前にも増して復興した事、バブルの後遺症を乗り越えて町が再開発されつつある事などを考えると、災いの教訓を活かしつつ東日本の被災地は悲しみを乗り越えて、以前より強く美しい町が再建されるのではないかと思っている。田園調布駅前の記念碑の様な駅舎を見つつそんな事を考えていた。

2011年3月19日 (土)

計画停電と省エネ電車

今日は春らしい陽気になり計画停電も行われないというので、首都圏は一安心というところか。それにしても現在の非常時における3300万キロワット余りの電力供給量に対して、首都圏の大手私鉄やJRなど鉄道の電力消費量はそれほど大きなものでなかった様で、ほとんどの路線でなんとかかんとか電車が動いているのは嬉しいかぎりだ。一部混乱もあるものの、まさに非常時のライフラインの使命を鉄道は果たしている様である。

朝のピーク時には、鉄道だけで全電力の2割くらい消費するのかなあ、などと何となく感じていたのだが、今回初めて首都圏の鉄道が使用する電力量などという事を真面目に考える様になった。そうして見ると100万キロワットから200万キロという電車が使う電力量は、想像した数値よりかなり少ない気がするのだが、これには各鉄道事業者の不断の省エネ努力が実を結んだと言えるのではないだろうか。( その陰にはそのコストを支えてきた利用者の負担がある事は云うまでもないが )

そこで各鉄道会社のホームページを見ると、例えば小田急電鉄では電力回生ブレーキ装着車が90%近く導入され、VVVF制御とあわせ新型車両では従来の車両に比べ40%も電力使用量が少ないと謳われている。同様に京急でも回生ブレーキによる電力の節減効果は30%、最新の車両は従来の車両より半分の電力消費で済むと記されていて、JRを含む大手私鉄では、大幅な電力節減策がすでにとられていた事がわかる。こう云ったあまり目に見えない省エネ努力の効果で、今回は電車の運休が思ったより少ないという結果になっているのではないだろうか。

鉄道ファンからすると最近の車両はどれも同じ様な車両ばかりで、アルマイトの弁当箱の様な電車がホームに滑り込んでくるたびに、味気なく感じる事が多かった。回生ブレーキどころか発電ブレーキも装備していなかった東武8000系のレジン・ブレーキシューから発する独特の匂いなどが、時々無性に懐かしくなるのだが、いつの間にか鉄道車両も中身は大幅に省エネ仕様になり、今回の電力危機に一役かっているのだと云えよう。


東京メトロの最新鋭15000系
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2011年3月18日 (金)

おや下痢かい?

定期的に通っている歯医者が言う。「 今朝の予約8人のうち6人がキャンセルなんですよ。電車で通って来られる方もいるので、それは分からないでもないんですけど、近所の方までがキャンセルされるのに参りますね。私なんか早起きして2時間半もかけて来ているのに、月曜なんか午後から休診にしてしまいましたよ。」と苦笑している。羅災したり実害にあっていない人まで、何だか世の中がシュリンクしてしまっている様で、被災地から離れている東京の大学の卒業式も次々中止にもなっている。


卒業式といえば私の場合、日本全体が急成長する時期に大学を出たから、新入社員が一刻も早く現場に出ること優先の時代で、3月から研修という名目の仕事が始まっていた。当時おそるおそる人事課長に「卒業式に出たいのですが」と聞いたら「社会人になって何を甘い事を言っているか」と一蹴されたものだが、今でも卒業式には出たかったと思っているし、あの課長は酷かったと恨んでいる。大学を卒業する学生などはもう大人なのだから、一生の思い出になる卒業式などは粛々と行い、出られる人だけが自己責任で出れば良いのではなかろうか。ムードというのは恐ろしいもので、今は何でも自粛すると云うのが世の中の風潮になっている様だ。


節電など身近に出来る協力は実行した上で、可能な限り平静かつ普通の生活をすれば良いと私は考えているから、急用でない遠地のアポイントを先に伸ばす位で、特段いつもと違う事はしていない。食べ物もパンがなければ米を食い、牛乳が少なくなればコーヒーにミルクを入れなくするだけである。ガソリンがなければチャリに乗るか、なるべく歩けば良いのであって、都内など30分も行けば大体ほとんどの用が足りる。被災地の苦労を考えたら、普段以上にモノを買い占めると言うみっともない事だけはしたくないものだ。


諸外国では災害の後にしばしば起きる略奪がないのは日本の素晴しい点だが、必要な消費を自粛したり、逆に過剰に買占めたりするのを見ると、やはり付和雷同型の国民性なんだなと実感する。トイレットペーパーを買い込んでレジに並んでいる様な人には、思わず「そんなにトイレットペーパー持って、お宅はウオシュレットもなくて、家族みんな下痢でもしてるの?」と思わず嫌味の一つでも声をかけたくなってくる。

2011年3月17日 (木)

頼むぜ!

必死で原発事故の沈静化を試みている最中に、あまりこんな事を言うのも憚られるが、今回の福島原発危機の東京電力の説明には首を傾ける向きも多い。記者会見を見ると、東電側は技術者肌でただ数字を読み上げる様な人か、あるいは原子力には素人の広報担当の人ばかりで、結局のところ福島の現場で何が起きていいるのか、どういう対応をしようとしているのかまったく要領を得ない。担当役員クラスが雲隠れでもしているかの様に、記者会見に姿を現さないのも不思議である。当事者である東電の現状認識と方針が示されない中、テレビの学識経験者の説明だけに国民は頼る事態なのだが、公共事業を担う企業がこんな事で良いのだろうか。


もともと計画経済を信奉する左がかった議員が民主党には多いだろうから、ここぞとばかり政府主導の対策を国民に示したい処だろうが、政府の行っている対応が本当に被災地の要望に沿ったものなのだろうか。菅首相がヘリコプターで原発事故現場の視察をした事が現場を混乱させ、原発に注水する初動を遅らせたとか、枝野官房長官は事実を隠しているのではないかと言う風説が、根も葉もない噂とだけは言えない気がしてくる。官邸主導が却って現場をシュリンクさせ、だれも責任を負わずに指示待ちになっている様な事態にならない事を祈りたい。蓮舫氏は節電担当大臣とか辻本氏がボランティア担当大臣などと聞くと、これこそ人寄せパンダじゃあるまいし、冗談はよしてくれと叫びたくなってくる。


首都圏の計画停電も、東京電力と政府の調整不足で初日は大混乱であった。首相が発表するまで東電が待たされたと云うが、この事で失ったラッシュ前の貴重な時間、東電が鉄道事業者と調整をしなかった事、被災地も計画停電地区に組み込んだ事など一連の失策は、政治主導と云う題目と東電の供給の論理の狭間で、多くの国民が迷惑を蒙った一例であろう。首都圏の鉄道のラッシュ時の電力消費はせいぜい150万キロワット程度といわれており、現在云われている3000万キロ以上ある供給能力から見れば、調整さえ行っておれば月曜日の様な大混乱にならなかったと思われる。未曾有の危機のさ中にあるのは理解するも東電の高飛車かつ説明不足の対応と、やたら楽観的な枝野官房長官の福耳を見ていると「 本当に大丈夫かいな 」と言う気になってくる。

写真は東京港で被災地向けに食糧を積み込む水産庁の船201103151

2011年3月15日 (火)

酒呑みの社会貢献

スーパーに行った妻が「 食料品の棚からモノがきれいになくなっている 」と言って帰ってきた。何がないのか聞くと「 お米、パン、カップ麺、餅、牛乳など 」で「 肉や野菜は普通にある、ただ納豆はない 」との事。納豆は茨城名産だから品薄なのはわかるが、なぜ炭水化物や牛乳など主食である食糧が無くなるか不思議である。大方は買占めと言うより、この先の入荷見込みが未定なのでもう一つ余計に買っていこう、という消費行動なのだろうと妻と話す。


「 でも普通の家庭にはインスタントラーメンやらレトルトのご飯だって何食かあるだろうし、なければ煎餅やビスケットを食べても良い。こんな時こそ被災地に廻す為には、数日間は炭水化物くらい食わなくたって良いのに 」と私が問うと「 今日これらの商品がないと、明日もなかったらどうしようというのが主婦の心理なのよ」と妻が答える。「そういう事ではお煎餅も品薄だった。皆考える事は同じよ」との事である。


どうやら極端な買いだめと言うより、皆が一つづつ一日早く在庫を蓄えた結果が、米・パンの品薄に繋がっているのでは、というのが妻の分析である。「よし、我が家は一切そういう早めの行動はやめよう。朝は味噌汁にサラダくらいでよいし、夜も炭水化物がなかったらビールや酒をがんがん飲めば米やパンも要らない。肉や魚は普通にあるし、それもなければ缶詰でも酒のつまみにして食べれば良いさ 」と、今回ばかりはビールや酒で腹を膨らます習慣が、少しは社会の為にもなっていると自己を正当化するのである。
20110315

予定は延期

今日は多くの国民が思っている様に、自分が今できる事は何かと考え、ささやかな節電とこれまたささやかな寄付をする。明日の予定も電車の運行状況が不明であるし、私の様に暇な人間が乗車して、忙しい勤め人の邪魔をする事もないと延期する事にする。想定以上の地震とはいえ津波に対する防災に関しては、国内で最も敏感であったはずの東北地方の海岸でおきた惨状や、原発の危機的状況を見ると、人間の叡智の限界や自然の怖さについて改めて考えさせられる。


今日は首都圏の停電が計画されたが、いざこれが切実なものとなると、電気が止まった時の不都合にうろたえるのである。高層ビルではエレベーターが動かない、冷暖房や空調も電気だし、マンションのタンクに水をくみ上げる事もできず、電気が停まるとほとんど生活ができない事がわかる。そういえばアメリカに住んでいた時、突如襲った冬の嵐によって広範な範囲で電力供給網が寸断され、まる3日間停電した事があった。その時は都市ガスがエネルギー源のセントラルヒーティングもサーモスタットが動かなくなって結局使えなくなり、部屋の飾りだと思っていたファイアープレースに薪をくべて暖をとり、しばし前世紀の様な生活をしたものだった。


最近はオール電化の新しいキッチンなどと言う文句につられて、人々はより電力により依存する様になっているし、増える電力需要で日本でもアメリカでも原発が改めて見直されているらしい。こんな事態は想定外のごく稀な事と考えるのか、防災やエネルギーに関する問題はこの事態が沈静化したら、今一度見直しの議論がおこるのだろう。一方震度5強の地震でも東京の建物やインフラには驚くほど被害がなかったが、これも阪神・淡路大震災の尊い犠牲から学んだ補強・耐震工事があったからではないだろうか。被災地の報道をみるにつけ、人間の力がどれだけ小さなものかという事を感じる一方、全国の人々の協力や各国の支援の和に僅かに救われる気持ちもする。

2011年3月14日 (月)

思い出す各地

東北地方を襲った地震と津波で、首都圏も計画停電(予定)を実施すると言う。当面、我々が協力できる事は節電や停電に協力する事くらいだから、多少の不便は皆で分かちあいたい。こんな中で東海道新幹線が一部を除き平常運転できるのは、東日本の50キロヘルツ”き電”ではなく富士川以東でも西日本で使われる60キロヘルツで架線に電力を流しているからであろう。これを奇禍として電力など重要なライフラインは、全国で融通しあえる様に統一規格を導入するなど検討したらどうであろうか。


それにつけても、かつて頻繁に出張した八戸の臨海地帯の精錬会社や原料岸壁はどうなったのであろうか。北日本造船も相当な被害を蒙ったとされているが、テレビで写しだされた流されたケミカル・タンカーは艤装中だったのだろうか。旅行で行った宮古や釜石も大変な様だし、あれだけ町ぐるみで津波を警戒していた大船渡や陸前高田が甚大な被害に合ったと聞くと、自然の脅威に人間に知恵など足下にも及ばない事に慄然とする。


石巻の北上川河口の旧跡のハリストス正教会も今は流されたしまったのか、松島湾のすぐ脇を走る風光明媚な仙石線で電車が流されたと聞くと言葉もない。塩竃の臨海地区にあった取引先はどうやら人命に影響はなかった様だが事務所は被害を受けたらしいし、ヤマニシ造船で建造中の船は沖に流され作業員多数が救助されたと報道されている。仕事で行った相馬の火力発電所周辺はどうなったのか、とにかくこれまで訪れた東北の沿岸各地を思いおこしては、各地で被害が少ない事を祈るばかりである。


都内では早くもスーパーやコンビニで食糧が売り切れているが、東北地方の太平洋側が産地であったり物流経由地であったりする食品や製品は限られているはず。普段は食糧自給率が40数パーセントと騒いでいるのだから(この食糧自給率ほど胡散臭い指標はないが・・・・)、かなりの食料品は輸入で代替できるし、こんな時こそさすが日本人と世界中から見直される様に、被災地でない首都圏などでは整然とした活動を心がけたいものである。

2011年3月11日 (金)

ゆすり発言

米国務省のメア日本部長が、2010年12月アメリカン大学で行った”オフレコ”講演が大問題になっている。オフレコを発表するのも如何なものかと思うが、それにつけても発言の内容がどの様なものだったか気になるところである。

メア氏の講義が、例えばくだけた感じの講義だったのか、脱線しまくった講義なのか、そのあたりで講義の印象も随分変わろうし、そもそも流布されている講義録が講義の中味を正確に記録したものかは検証できないが、ネットで手に入る資料を即興で訳して見た。たしかに活字にしてみるとメア氏の認識の中には間違いがあるし、ちょっと親日派の高官としてはいかがなものか、と言う発言もあるが、確かにそうだと思う部分もある。

もっともこれが14人の学生の前で話されたというから、ゼミの様なものだったのかもしれない。するとまったくの雑談的な雰囲気だったとも考えられる。状況によって扱いが随分異なるのではないだろうか。


<メア氏コメント>
-沖縄に総領事として2009年まで滞在した。日本の米軍基地の半分は沖縄にある。ただし自衛隊との共用基地を入れればもっと沖縄の負担割合は低くなる。
-問題になっている基地はもともと田んぼの中にあった。その後基地周辺の人口増と都市化で基地が町の真ん中になった。

-沖縄の基地は地域の安全保障に寄与している。日米安全保障条約により日本政府は基地の土地を米国に提供しているがこの条約は片務的である。日本が攻撃された際に米国は日本を守る義務があるが、米国が攻撃された際に日本が米国を守る義務はない。

-集団的自衛権は憲法上の制約ではなく、政治的な問題である。

-18000名の海兵隊員が沖縄にいるが、その理由は施設がすでに存在している事と、地理上重要な位置だからである。
-在日米軍総司令部は横田にあり兵站を担っている。三沢は冷戦時代重要だったが今も対ロシアへの最短の米軍基地である。岩国は朝鮮半島に近く沖縄も地政学から重要な位置にある。
-沖縄はもともと独立した王国で中国に朝貢していたが中国の属国になった事はない。1972年まで米国の施政下にあった。

-沖縄の人々の怒りとフラストレーションは、米軍よりも日本国政府に向けられている。民主党政府は沖縄を理解していないし沖縄とのパイプもない。自分が沖縄と直接話したいと言った際、民主党は「どうぞ、どうぞ」と言うだけだった。自民党の方が民主党よりましである。
-1/3の人は軍隊がない方が世界が平和だと信じているが、これらの人々と話す事は不可能である。

-2009年の総選挙で初めて民主党が政権を握ったが、鳩山首相は左翼である。にもかかわらず我々は5月に2+2の日米会談を持てる事になった。
-米国は8000人の海兵隊を普天間からグアムへ移動させるが、地域の抑止力と安全保障は維持できる。
-この過程で日本は金銭面で実効的な協力をする。民主党政府はこの移動を遅らせたが、私は現計画が実行されると確信している。

-東京の政府は沖縄県知事に「金が欲しいなら普天間移設の現行プランに同意せよ」と言う必要がある。
-海兵隊の基地は他のどの府県にも代替移設場所は見つけられなかった。

-日本の文化の特徴は「和」(HARMONY)でコンセンサスを重視する。日本ではコンセンサスを得ることが重要である。コンセンサスはゆすり・強要(EXTORTION)を意味し、ゆする目的でコンセンサスを利用する。コンセンサスを探るふりをしてなるべく多くの金を得ようとする。沖縄はゆすり(EXTORTION)とごまかし(MANIPULATION)のMASTERである。

-沖縄の主要産業は観光である。ゴーヤも特産品だが沖縄はゴーヤを栽培するにはTOO LAZYでもっと生産している他の県もある。
-沖縄の離婚率、出生率、酒酔い運転率は高い。

-日本では「建前と本音」が違うので注意せよ。沖縄の政治家は地元と東京では言う事が違う。米国の外交官はこの「建前と本音」にしばしば悩まされる。普天間が特別危険だという事ではないというのは、本当は沖縄の人もわかっている。伊丹や福岡も同様である。
-米軍と自衛隊ではメンタリティーが違う。米国は実戦での展開に備えており自衛隊はそうではない。
-地元の人は夜間訓練に反対するが、実戦はしばしば夜間に行われるものである。

-憲法第9条は改正すべきとは思わないしこれは永久に実現しないだろう。但し改訂されれば米国の存在が必要なくなるので米国には不都合といえる。これまでの日本のサポートは米国に貢献し良いDEALをしてきた。

以上

2011年3月10日 (木)

やはり野に置け民主党

元社会党の現職ベテラン与党議員である土肥氏が、あろう事か韓国で竹島領有権主張中止の「共同宣言」文書にサインをした事が発覚した。テレビ報道を見ると、土肥議員は会場では韓国の民族衣装を着て韓国国旗を振っており、一体どこの国の国会議員なのかと激しい怒りを覚える。このアホ議員もそうだが、前原外相も外国籍の人から永年献金を受けてきた事がわかり辞任に追い込まれた通り、民主党の体質として半島の国に大変近く、彼の国の立場を日本で敷衍しようと云う目論みが、「外国人に参政権を与える」事だったと云う事がはっきりしてきた様だ。


鳥越俊太郎などの左翼ジャーナリストは「永年日本に居住し、税金も納めている」から日本に居住する外国人に参政権を付与すべし、と主張しているが、これも噴飯ものである。例えば我々がアメリカに年間183日以上居住すればアメリカで所得税などを支払う義務が生じるが、これを何年も続けてアメリカでいくら税金を払おうと、アメリカの選挙権などはもらえない。税金を払うと言う事は、その国で活動しその国のインフラなどサービスを受ける対価であって、その事と政治に参加する権利は直ちにリンクするわけでない。


報じられる様に土肥議員が、本当に「うかつ」だったと反省しているなら、今すぐ韓国に行って「共同宣言へのサインは取り消す」と文書にして提出すべきだと思うが、彼は口とは裏腹の確信犯であろうからそんな事は期待できない。とにかくどこまで行っても民主党の議員は野党気分、口では「国民の生活が大事」などと言っているが、その実やっている事は国益の毀損と自民党より酷い党内抗争ばかり。私も先の衆議院選挙では民主の海江田議員などに投票してしまったので、こんな政権を選んでしまった私の政治の関心・レベルがこれまでかと深く反省するのだが、とにかく民主党が政権政党である事が長引くほど、わが国の立場が損なわれて行く気がしてならない。まずは日教組とか旧社会党系の思想を持った人達がこの党の中枢からいなくなるだけでも、外交や安全保障の迷走が少しは是正されるのではないか。


総選挙がきたなら民主党に鉄槌を下すのは当然であるが、よほど慎重に次に期待できる政党を吟味しなければ、と私自身心するのである。最近読んだ大前研一の「知の衰退からいかに脱出するか?」(光文社知恵の森文庫)によると、小泉改革に賛成しながら先の衆院選で民主党に投票した有権者などは、何も考えていない、知の衰退の代表者として笑われている。自民党にお灸をすえる意味で民主党に衆議院選挙で一票を投じた私であるが、同じ考えで投票した人も多かったと思う。しかし政権を託してみたら、ここまで酷いとは想像がつかなかったというのが、大方の感想ではなかろうか。「やはり野に置け民主党」と言いたいところである。

2011年3月 8日 (火)

昼下がりの郵便局

お昼すぎに都内の住宅地の郵便局に用事があって行く。狭い局内だが表通りに面しているため、近所の商店街の人などが利用するのか結構混んでいる。用を足すのに10分ほど時間がかかるので、この局に来る人々をなんとなく観察する事になる。夫婦でやってきた高齢者は、待ち時間が10分ほどかかると言われて、自宅近所にもっと小さな局はないかと係員に聞いている。ところが係りが地図を出して来て最寄の郵便局を教えても、どうもピンとこない様で幾度も幾度も念を押している。その間に後ろの待ち人の列がどんどん長くなる。


順番待ちで立っている村山富一元首相ばりのひさし眉をしたお爺さんに、横を通った女性が接触する。女性は「あ、失礼!」と声をかけたのだが、この老人はそれに気が付かずまったく無言で微動だにせず立っている。女性はさらに「(お先に郵便の窓口へ)進んでいいですか?」とひさし爺さんに聞くが、まだ聞こえないらしく返事をしない。若者で言う処の「 ガン無視 」状態なのだが、相手が老人なら仕方がないと云う様にその女性はさっさと窓口に進んで行った。


窓口でもめている別の老人は、振込み入金があるので送金人に口座番号を教える必要があるらしいのだが、自分の口座番号はどこにかいてあるのか、と何やら印刷物を出して係員に説明を求めている。傍で聞いている私は彼の質問の意味が分からず、つい聞き耳をたててしまったのだが、郵便局の窓口の女性はこの手の質問を受け答えるするのに手馴れたもので、親切に銀行などの例を出して説明する。


そうこうするうちに狭い郵便局内は、待つ人で一杯になってしまったのだが、見るとそのほとんどが立派なご老人である。先日東京近郊の住宅街を昼間歩いた際には、退職して間もないまだ初老の男性が目立ったのだが、都心に近づくに連れ明らかに若手が減り、本当の年寄りが多くなるようである。たしかに都内の良い住宅地は戦中派で占められ、団塊世代はスプロール化で郊外に住居を求めたから、都心の住宅地ほど老齢化が進んでいるとも考えられる。


彼ら老人の一挙一動を見ていると、我々がこれから経験する高齢化社会は前人未踏の領域で、これは大変な社会が到来する事になるぞ、という思いが脳裏をかすめる。私たちが後期高齢者と呼ばれる歳になった時、今日郵便局に来ている彼ら先輩老人も相当数存命で、そこに後輩老人が毎年毎年新規参入してくる訳である。社会の担い手である若者が少なくなる事を別にしても、老人だらけになった社会とはどんな光景なのだろうか。1400兆円という日本人の金融資産のほとんどがこれら老人によって所有され、国債購入などだけにこの金が使われているという事実をみると、老人が安心して生活し、さらに消費活動や投資活動を気軽に行える社会の仕組みを考える事は、喫緊の課題だと改めて認識したのである。

2011年3月 7日 (月)

情熱のタンゴ

悪戦苦闘しながらも夫婦で通っているダンスコースも、何とかワルツの基礎を覚えいよいよタンゴである。タンゴと云えばスロー・スロー・クイックなどとステップを踏む間に、顔の向きもくるっと進路に向けて変えなければならない様だ。ステップを覚えるのに誠一杯なのに、顔の向きにまで気を使えるものか、と内心ではおっかなびっくりなのだが、これをやると何となくそれらしい踊りになって、映画「シャル・ウイ・ダンス」の竹中直人のダンスシーンみたいである。教室の鏡に映るタンゴを踊る自分の姿を見ると、竹中直人のカツラ姿を思い出して、思わず噴きだしたくなってしまうのである。


それにしても社交ダンスは随分と密着して踊るもので、正式な組み方を習うと、妻以外の女性と踊る場合にこんなに密着して良いものかと感じる。タンゴはその中でも情熱的な踊りなのだそうで、かなりタイトな組み方をしなければならない。女性の足の間に自分の足を割って入れてコントロールしなさい、などと言われても、妻以外の女性にダンス初心者でそんな事ができるか、と後ずさりしそうだ。


もともと余計な事を考えずにすみ、あたかも体育の授業の延長感覚でレッスンが出来るだろうと考え、男性プロの先生に教えてもらっていたのだが、今日は先生の都合で途中から急に女の先生になったのには目が点になった。歳の頃40前のなかなか美人なのだが、タンゴの組み方はこうですなどと、心の準備ないまま女の先生と組み、彼女の顔が間近に迫ると、こちらは「そういえば今朝、俺はちゃんと顔を洗ったかな?」とか「鼻毛が伸びているんじゃないか?」「歯槽膿漏は無いって歯医者が言ってたよな」などとダンスどころでなくなって、この場を逃げ出したい気持ちになるのであった。


よほど、この行き詰る空間から早く解放されたかったのだろう、普段はレッスンが終わった後、しばらく妻とフロアーの片隅で復習するところを、今日は終わるやいなや脱兎の如く靴箱へ行って、さっさと自分の靴に履き替えて帰ろうとしていたそうである。まるで終業のベルが鳴り終わらぬのに、先生が授業をまだ続けているのを横目に、教科書を片付け始めるどこかの中学生の様だ、と妻は大笑いであった。


まあ中学校ではフォーク・ダンスさえ逃げ回っていた私が、タンゴを習っていると云うだけで、立派なものだと自分を誉めたくなるが、何でも手をつけて始めてみれば、それなりに興味も湧いてくるものだと分かった。それにつけても鏡に映る己のダンス姿を見ると、踊るという事はあまりに非日常的な世界の事ゆえ、これに嵌る人も多いと言う事も何となく理解できるこの頃である。

2011年3月 6日 (日)

渋谷・表参道WOMEN'S RUN

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東京マラソンで42.195キロを走ってまだ一週間、足などにダメージが残るものの、妻が第一回渋谷表参道WOMEN'S RUNの10キロの部に参加した。渋谷のNHKホール横からスタートして、表参道・原宿・明治神宮や代々木公園の廻りを女性だけが走るという、それはそれはオサレなマラソン大会なのである。ゲストの高橋尚子(Qちゃん)やテニスの杉山愛選手などを迎え、好天気にも恵まれて4000人ほどのランナーが集まったのだが、すべてそれが女性だけと云うのは壮観だ。女子大の運動会を見学したらこんな感じなのかと、まだ行った事のない世界を思わず想像してしまう。


スタートを待つ間もシリアス・ランナーは本の一握りらしく、女性同士なごやかな雰囲気で強引な割り込みなどもあまりなし。何より普段あちこちから漂ってくるサロメチールの匂いなどがしないのがすがすがしい。そういえば機能性タイツの上に、ランスカと呼ばれる巻きスカートなどを重ね着するウエアが流行る様になってから、一挙に女性ランナーの数が増えた様な気がするが、スタート付近もピンクなどカラフルなウエアに身を包んだ女性ランナーで華やかである。


妻もフル・マラソンから僅か一週間だと言うのに、渋谷・原宿の急坂の多いコースを51分あまりで駆け抜けたが、女性専用レースが違うのはレースが終わってからだ。Tシャツ・手袋・青汁の素などの参加賞のほかにバナナ・飲料水・グレープフルーツ・オレンジ・金柑・ヨックモック・ラスク・マックコーヒー無料券・トートバッグ・バスタオルなどを、ゴールしてから妻はゲットして来たのだが、走った後によくそんなに色々な景品をもらえる元気が残っているものだ。女性に試供品を配れば、男性に配るより大きな効果が後日期待できるという目論みで、配布する方もここは一段と気合が入るのだろうか。


それにしても、かつて学生の頃に駒沢公園を走っていたら、当時はジョガーなどほとんどいなくて、やってくるランナーはほとんど日体大の男子学生ばかりであった。珠に女性が走って来たと思ってハッとすると、大体砲丸投げなどガタイのしっかりした本格的体育会女子学生のトレーニングばっかりで、途中で「エイヤ!」などと気合をいれたりしてびっくりしたものである。こんなに大勢の普通の女性が、老いも若きもカラフルな恰好で楽しそうに走っている時代が来るとは、正に隔世の感ありである。

2011年3月 4日 (金)

ピーター岡田

ウオーリー与那嶺氏が他界した。我々の世代の男性なら長島・王などと共にショート広岡・セカンド土谷・キャッチャー藤尾、外野はエンディー宮本とウオーリー与那嶺などと当時のジャイアンツの主力選手の名前がすらすらと出てくるのではないだろうか。そういえば後年、巨人のV10を阻止した時の中日監督も、与那嶺氏だったと訃報を見てあらためてプロ野球の歴史を思い出し、戦後の日本のスポーツ界は少なからず日系米人に支えられて来た事に気づくのである。新聞で日系二世の与那嶺氏の経歴などを見ているうち、私は戦後の日本のアメリカン・フットボール界に大きな貢献をした同じ二世のピーター岡田氏の事を思い出した。


1990年代初めアメリカ西海岸に、私は駐在を命じられ赴任したのだが、最初の数ヶ月は家族も来ず一人暮らし。当時、言葉も地理も不案内の上、慣れぬ単身での生活に苦労していたのだが、その時に知人を通じて紹介してもらったのがピーター岡田氏とそのファミリーである。ピーター岡田氏は戦後間もない頃、進駐軍の軍人として日本に駐留していた時に大阪の豊中中学(現・豊中高校)や池田中学(現・池田高校)でフットボールを教え、その指導で行われた豊中中学と池田中学のタッチ・フットゲームはわが国初めての「中等学校米式蹴球試合」として記録に残っていて、彼の貢献を称えて今でもアメリカンフットボールの全国大会にはピーター岡田氏のトロフィーがあるそうだ。


その岡田氏に初めてお会いしたのは、彼が70歳前後の頃だろうか。材木の取引で成功し子供たちも立派に独立した後、岡田氏は大きな湖に面した広いアパートで悠々自適の生活を夫婦二人で送っておられた。日本語も大分あやしくなっていたが、日系二世に良くある様に、父母の母国である日本から来て、慣れぬ米国生活に戸惑っている日本人には、身内同様に親身になって世話をしてくれたのである。感謝祭の休暇で時間を持て余した時などは、彼のファミリーと一緒に七面鳥をご馳走になったし、近辺の美味しいレストランなども随分教えてもらった。1998年の全米プロゴルフ選手権の舞台となったサハリ・カントリークラブなど、一介の駐在員ではなかなかプレイできない名門ゴルフ場にも連れて行ってもらうなど、アメリカ生活の基礎は彼に導いてもらった部分が大きいと今でもとても感謝している。


岡田氏の口からは「日本人の魂」などという言葉がよく飛び出してきたが、普段そんな事をあまり意識していない私などは、その言葉や武士道的な彼の精神に却ってびっくりしたものである。与那嶺氏にしろ岡田氏にしろ、日系人は戦争中は不幸な境遇を味わったに違いないが、我々が忘れた日本人の「魂」を、彼らはどこか心のよりどころにして、人生を生き抜いて来た様に感じる。与那嶺氏のかつての果敢なプレーを称える新聞記事を読むにつけ、戦後戦勝国の人間として日本に来て、敗戦で打ちひしがれた日本人に敢闘精神を思い出させ、日本人が忘れた「SAMURAI」精神を鼓舞してくれたのが、彼ら日系人のスポーツ関係者ではないかとあらためて認識するのである。


残念ながらピーター岡田氏は2004年に84歳で亡くなったが、豊中高校の中庭には彼の贈った石碑が埋め込まれていおり、そこには
「不幸な戦争が終わり、それに続く数々の混乱のなかで、私は高校生達に生きる活力を与えるため、1946年10月1日、この豊中に“タツチフットボール”の種を蒔いた。これが日本の高校アメリカン・フツトボールの発祥となった。」と彫られているそうだ。


2011年3月 3日 (木)

早稲田大学オープンカレッジ

20110303

仕事も一休みで時間もあるが 云われる処の「 小人閑居して不善を成す 」 の代表格の様な私であるから、あまりノンビリしているとロクな事はないと心得ている。という事で、通うのに便利な早稲田大学オープンカレッジの英語会話講座に1月から週1回行っていた。慶応から見ると天敵の早稲田、まして最近は”所沢体育大学”などと揶揄される様に、見境いなくスポーツ選手を入学させ、慶早戦ではほとんどの種目で負け越しているので、本当は「都の西北」などには近寄りたくもないのが事実。しかしなにせ家が近い上に、慶応の社会人講座がMBA仕様というか、かなり専門的で時間も費用もかかるのに対して、気軽に通える講座を社会人向けに多数開講している早稲田大学の方へ足が向いたのであった。


以前ちょっと早稲田大学オープンカレッジの上級英語会話講座に通った事があるのだのだが、この時は受講者がかなりマニアックな中高年女性たちで占められ、彼女たちが教室の最前列に陣取って、余りに真摯かつ熱心に英語でやりとりするのにちょっと辟易として、仕事が多忙になったのを良いことに途中でリタイアしてしまった。そういう経験があったので、今度は違う教師で楽しくやろうという事で英語会話中級を選び、週1回各1時間半X計8回の講座に出席したのだった。


昨日このシリーズが終了したが、結果は大変気持ちよく英語会話を楽しんだと思える。実は”中級”とはどの位を指すのかという指標が講座のガイドブックにあって、それによると「 通常会話であれば要点を理解し、応答にもそれほど不自由しない方 」「 TOEIC500点台 」「 英検準2級~2級程度 」という様に記載されているのだが、以前「上級」をかじり今回「中級」で感じた事は、この基準にはあまり意味がなく、中級も上級も講師のやり方や教材の内容次第で講義のレベルや雰囲気が、いかようにも変わりうるという事であった。


今回のシリーズでは毎週トピック ( 例えばスポーツとか芸術など ) を決め、クラスの約10人の受講者がそのサブジェクトに関する意見を発表し、それに対する質疑応答を講師がリードすると云う形式なのだが、アメリカ人講師の意図的な脱線講座がとても面白く、受講者が自由なリラックスした雰囲気で、毎回1時間半の制限時間内に終わらないほど会話が弾んだのだった。それもそのはず、どうも受講者の半数以上が外地で駐在や勤務経験があったり、留学をした事がある様だし、ボランティアで英語を企業人に教えている人とかTOEICが900点とかの受講者も含まれていて、彼ら彼女らが臆する事なく英語で意見を発表しているのを見ると、気が弱く見栄っ張りの私などは大いに見習うべしと活性化されるのである。


そもそも受講者は社会の一線を退いていたり、生活する上で英語が必要という訳ではないのに趣味でしゃべろうという人達の様だから、皆それなりの素養もあり、それが講座が盛り上がるポイントなのだろう。「 好きこそものの上手なれ 」である。連続して同じ米人講師の講座に出ている年配の男性は、受講者のチーフ役で教材を補う印刷物などを率先用意して「学級委員」と皆に呼ばれていたし、いつも完璧にホームワークをこなして周到に準備して来る女性がいるかと思うと、反対に長いアメリカ生活を活かしてほとんどアドリブで講座を楽しむシニアー男性もいて人それぞれのスタイル、今までの経験や個性を活かし講座を楽しもうとするのが、オープンカレッジの良いところだと実感したのだった。

2011年3月 2日 (水)

入試ネット投稿事件

かつて綜合商社を訪問した際には、10階の食糧本部でその日の主な用事を済ませた後、9階の鉄鋼本部に知人を訪ね、8階の建設本部で話をしたら7階の機械本部に寄って、6階の運輸部と生活資材部でまた雑談をするといった具合に、知っている部門を次々と訪れたものである。その過程で様々な情報を仕入れる事ができたし、「え、あの部ではそんな事言ってたの? 悪いけどもう一度その部に行って、情報を聞いてくれない?」などと社内ブローカーまがいの事をするのも度々であった。そうしている内に「生の情報」や「事の真相」を探る事もできたものだが、今やどの会社も各部のドアに施錠してあるばかりか、アポイントを予めとって受付を通さないと担当にも会えないのが実情で、「人と会って情報を得る」という商売の根本が揺らいでいる気がする。


私に言わせれば、それほどの秘密がどのセクションにもあるわけもなく、かつての様に、訪問客などは担当者のデスクまでいつでも行ける様にしておけば良いと思うのだが、昨今の性悪説に基づく行き過ぎた管理主義や、コンプライアンス至上主義が企業の活力を削いでる様な気がしてならない。これと正反対の極地にあるのが教育界で、携帯電話による入試問題投稿事件は、教育界では基礎的な管理もされていなかったと云う事のようで、改めて驚かされたのである。私にはこれまで試験会場に携帯電話を自由に持ち込めたという事自体が、受験生の性善説に依存する実にいい加減な対応であった様に思える。


どんな昔からもある様に(そして私も行った様に)、試験と言えばカンニングがあるべし、というのは人の世の常である。であるからこそ試験官が会場を見回りをし、カンニングが発覚した者は、失格や落第を課すという厳しい罰則がとられてきたのである。ましてや入試という人生の大事な関門であるなら、不正防止の為には予め想定しうる最大限の予防策を練っておくのが、試験を監督する側の最低限の責務ではないだろうか。辞書持込可能という試験でさえ、辞書に最大限の工夫をしてヒントを得ようというのが受験生の心境である。会場という密閉された空間で行われる事に意義のある大学入試において、携帯電話は外部と繋がる唯一の手段であり、まして写真撮影など様々な機能を備えた最近の携帯電話ならば、「試験会場入り口で預かる」というのがごく普通の措置である様に思えるのである。


国際的な競争にさらされている企業などでは行き過ぎた管理・監督が行われ、コンプライスやらガバナンス等と言う、一昔前には考えられなかった(ほとんどの部門では)おおよそ無意味な概念が導入される一方、教育に関係する部門では、やたら人権やら個人の自由が尊重され、行き過ぎた性善説によって「本人を信頼」する事を前提に、必要な対応が為されていないのではないか、と今回の大騒ぎを見て感じたのであった。 因みに「宅建」などの国家試験ではもうかなり前から、携帯電話は別の封筒に入れて試験中は封印されているのである。日本の社会に巣くう行き過ぎた性善説と性悪説、企業と学校では違うと云う反論もあろうが、どちらももう一度見直してはいかがだろうか?

2011年3月 1日 (火)

オネスト・ジョン

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「 で、お義兄さんは東京マラソンをどの位で走るの? 」と義理の妹が尋ねた。「 そうだな、30キロ以上は苦手だから4時間くらいかかるかもね 」と私。「 またまた・・・。姉が4時間で走る予定で、普段1キロで1分くらいは差がつくのだから3時間20分は固いでしょう? 」「 本当に30キロ以上の長距離は性格的にも弱いんだよ 」などと私は彼女をいなす。たしかにハーフマラソンの記録からすると理論的には3時間20分くらいで走っても良さそうなのだが、そこはそれ、過去のフルマラソンでも失速して満足に走れていないのは、マラソンは魔物と言われる所以である。


多分、人それぞれ固有の運動リズムがあって、1キロを4分で走ると気持ち良い人が5分で走ると遅すぎてリズムが崩れ、却ってエネルギーを消耗すると云う事なのであろう。ゆっくり行けば良いものを、そうできずに結局スタミナ切れするのは、走った事がある人なら判ってくれるだろう。もっとも試験前に「 勉強していない、いない 」と言いつつ、家ではガリ勉していたような人間には思われたくないから、「 よし分かった。俺が三味線を弾いていると疑うなら、3時間半を切ったら、家族ぐるみ皆で銀座4丁目の高級イタリアン・レストランに連れて行ってやる 」と豪語してスタート地点に立ったのであった。


さて昨日のレース前半はすこぶる調子良く、3時間半をゆうゆうクリアーするペースで展開する。「 そうか、このまま行けば皆を招待する事になるけど、予算はどの位かかるのかなあ 」などと余裕の思いをかましつつ、中間点の銀座の交差点では、くだんのレストランを横目に見ながら鼻歌交じりに通過したまでは良かったのだが・・・・・。その後は昨ブログ通りの大失速で、ほうほうの態でゴールに辿りついたのであった。なにしろ35キロから40キロまでの5キロが37分もかかっているが、これは早足で歩くのとあまり変わらない速さで、わが人生で最悪のペースダウンである。


「さあ、 これで散財しなくても済んだ 」と悔し紛れにちょっと考えたものの、「 いや、今日は絶好のレース日和。ドバっと金を遣っても良いから、3時間半切りたかった~ 」とか「 高級イタリアンの期待を裏切って残念~ 」などと朦朧とする頭のなかで色々な考えが交錯する。それでもここで途中棄権でもしようものなら、数年間は彼女たちの酒の肴にされるのは必至だから、なんとか完走だけは果たしたいと必死でゴールしたのである。「 ほらやっぱり嘘はつかなかったでしょう、オネスト・ジョンなら一人勝ちの様なものだ 」とゴール後に放言してウさを晴らしたが、オネストじゃなくても良いから3時間半以内で走りたかったとも思うのである。


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