ブラタモリ
NHKには言いたい事が沢山あるが、それはさておき民放の毒にも薬にもならないバラエティー路線と違って、少しは大人が見ても楽しめる番組やスポーツ中継があるので、受信料を支払うのもしょうがないかと云う気になる。その中でも面白いと思ってみているのが、”ブラタモリ”で、この番組は東京の町の思わぬ地理情報や隠された歴史を紹介してくれて、改めて東京の町について目からウロコの発見が多い。
昨日の「外堀」については、日頃見慣れた場所であるだけに、とても楽しく番組を見る事ができた。上智大学のグランドになっている真田濠に水がまだ張られていた頃の写真も珍しかったが、何と行っても幻の「市ヶ谷濠地下の地下鉄車庫」を初めて放送でみることができたのは興味深かった。もっと大掛かりな車両基地がお堀の地下に整備されているのかと想像していたところ、留置線が僅か3本分という事で些か拍子抜けの感ありだが、東京の都市伝説でも筆頭格の「お濠の下の車庫」が電波で放送されたのにはびっくりしたものだ。
昨日は、番組のかなりの部分が、外堀に沿って作られた甲武鉄道(現在の中央線)の線路や建築に割かれていたのは、鉄道ファンであるタモリの面目躍如だが、現在も残る高架線下の石垣や1904年製の鉄橋などが紹介されて、こんな明治の遺構がまだ現役で使用されているのに感心する。また現在、飯田橋駅の脇にある何という事もない商店が、一時甲武鉄道の起点だった「牛込駅」の跡地だったと云う事をこの番組で初めて知って、こんな所にターミナルがあったのかと歴史に思いを馳せる。あらためて調べてみると牛込駅はお隣の飯田町ターミナル完成とともに、短期間で消滅した様だが、甲武鉄道のターミナルだった飯田町駅も今ではすっかり再開発されて無くなってしまった。
そういえば飯田町駅は、中央線の本線から大きく都心方向にカーブした場所に作られたが、それから想像すると甲武鉄道は都心方面への延長とか、市電との乗り換えが便利になる事を意図したのではないだろうか。あるいは軍部の要請で演習所や工兵廠の為に、わざわざ線路をカーブさせたのだろうか。しかし飯田町駅開業の1895年からわずか5年後には、新宿から伸びてきた線路を真っ直ぐ延長して、万世橋までの路線開設を申請、1904年には御茶ノ水方面へ線路は直進してしまった。おかげで飯田町ターミナルはすっかり盲腸の様な存在になって後年貨物駅になるのだが、なぜせっかく作った飯田町ターミナルを見捨てる様な事にしたのか、このあたりの経緯は調べたらさぞ面白かろう。”ブラタモリ”を見ていると、番組に触発されて次々と周辺の地理や歴史に興味や疑問が湧いてきて、それを解明すべく現場を探訪したくなるのだ。
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