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2011年2月

2011年2月28日 (月)

魔の30キロ・地獄の35キロ

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2月27日はいよいよ夫婦で東京マラソンである。レースが近づくにつれて天気予報もレース日和に変わり、私には25年ぶり(妻は一昨年以来)のフル・マラソンながら 「これはノー・エクスキューズだなあ 」とムードも盛り上がる。新宿・都庁前のスタート地点には36000名のランナーが集まり、石原都知事のスピーチに「(都知事を)もっと続けろ 」と野次が飛ぶと、出発前のランナーからどっと笑い声が起こるなどお祭りムードも漂う。それでも世界各国から集まったランナーと東京の街を駆け抜けるかと考えると、いつもとは違った高ぶりを感じるのであった。

9時10分・号砲一発ランナー達が新宿の街から、有明のビックサイトめがけて42.195キロの道にスタートする。私はスタート地点の大混雑と待機時間を考慮し、新宿の街を抜けてから早めにトイレに駆け込む作戦で、富久町のトイレに寄ってロス約2分するがこれは想定の範囲内である。そうこうするうちに5キロ地点辺りで3時間30分でゴールするペースメーカーに追いつき、これは良い目標とばかりしばらくついていく事にした。最近のマラソンは随分いろいろな配慮が施されているもので嬉しい事だ。

と言う事で、このペースメーカー達と一緒に日比谷・品川・日比谷・銀座・人形町と歩を刻むが、すいすいと至って調子良い。これなら35キロくらい迄ついていって余裕があったらスパートすれば・・・、などと虫の良い考えも頭にちらっと浮かぶ。しかし好事魔多しの例え通り、28キロ・浅草手前で突然足に来た。乳酸がたまって足が前に進まなくなったのである。「少し速度を落として様子を見るか」などという考えが浮かぶと、もういけない。ずるずるとペースメーカーたちに離されてしまい、そこからは足を引きずり一人旅である。

30キロを過ぎると足の疲労が著しくて、がっくりスピードが落ち「歩きたい」とか「棄権したい」とか悪魔のささやきが脳裏をかすめるのだが、沿道を埋めたぎっしりの応援に、とにかくジョッグをしながら前進しようと覚悟を決める。35キロからの臨海地区は、大小の橋の上り下りに加え、道幅が広くはるか先まで視界が効きすぎるのにうんざりし、まるで牛歩の歩み。3時間30分などという目標はどこかにすっかり消えうせて、何とかゴールさえできれば良いとひたすら歩を進めるのみである。”魔の30キロ・地獄の35キロ”とは正にこの事だと、マラソンの怖さをひしひしと感じたのだった。

考えてみれば、これまでの蓄積があるはずとばかり、今回は25キロ以上の長距離を練習しなかったのだが、市民ランナーがそれで走りきれるほどマラソンは甘くはない。言われている様に、30キロまでのレースとフル・マラソンは、まるで別の競技というくらい違う、と実感した。アマチュア・ランナーにとってはフルは陸上競技というより山登りなどの方に近い感覚だと私は思う。稜線でばててしまい、次の小屋に夕方までに辿りつかないと遭難してしまう状況で、とにかく足が前に出ないもどかしさ、とでも言った感じだろうか。

40キロすぎると僅かな傾斜でも両足に痙攣がおきるので、とにかく亀の様な足取りで何とかゴールにたどり着いたのだが、大失速の結果、時間は3時間50分ほど。今回はフルマラソンは侮ったらいけない、という事を改めて感じさせてくれたレースであった。などと考えていると、続いて妻が4時間を数分越えたタイムでよろけながら入ってきて「 腹筋がつった、嗚呼つらかった、もうしばらくフルマラソンはごめんだね 」と顔を見合わせて頷いたのであった。

さて四半世紀ぶりに走ったフルマラソンであったが、この東京マラソンは実に良くオーガナイズされたレースだと感じた。各30分刻みに配置されるペースメーカーなど昔にない工夫も多々あって、参加者が充分力を発揮できるように設定もされている。今までマラソンでゴールし走路に向かって一礼する有名選手の姿などが放送されると、なんとなく「あざといな」などと感じていたが、実は昨日、苦労の末辿りついたゴールで、回れ右して思わず今まで走ってきた走路にお辞儀をしてしまった。主催者・スポンサー・ボランテア・警察や消防、それに途切れる事ない沿道の応援に、「自分一人が走っているのでない」、「皆に走らせてもらっているのだ」と感謝の念が湧いた良い大会であった。

(二人の完走メダル)
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2011年2月26日 (土)

シャル・ウイ・ダンス?

「お試し」の1回を含めて妻と通った都合9回の社交ダンスの入門コース、ワンクールが何とか終了した。ブルーズ、ジルバにワルツの初歩を教わったのだが、とにかくステップを覚えるのに精一杯で、不得意科目を居残りで学習させられる生徒の様な気持ちで必死に通ったのだった。あまりに覚えが悪いので、人のいないのを見計らって、住んでいるマンションの駐車場などで妻と復習をしたのだが、時折通るマンションの住人とばったり合うと、いい年をしたカップルが何を抱き合っているのか、と怪訝な顔で見られる。


とりあえず入門コースを完了して、先生から「これで一応クルーズ船などで初歩は踊れます」と言われ、我ながら良くやったものだと今日は妻と周防監督の「シャル・ウイ・ダンス」のDVDを取り出してきて見る。あらためて「シャル・ウイ・ダンス」をじっくり見てみると、まるで自分のぎこちないステップを俳優たちが演じてくれている様であるし、トイレでステップを思い出している場面などは、ダンス初心者の生態をうまく描写しているものだと感心する。主役の役所広司の照れくさそうな仕草と何くそと思う揺れ動く気持ちも、「これってダンスを習う男性の気持ちだよ」と共感できて、よくできた映画だと改めてわかったのだった。


大体リードする男性の方が女性より3倍も大変だと言われる上、音感の鈍い私である。駐車場で練習しながら間違えて妻の足を踏んだりすると、腕を組んでいる妻は手っ取り早く「こっちの足だよ」と蹴って教えてくれるが、蹴られた時は思わず妻の顔が「シャル・ウイ・ダンス」の渡部えり子の顔と二重写しになったりするのである。などと四苦八苦しながらも、今日は「いよ!」と大向こうから声がかかりそそうなワルツのスローアウェイ・オーバースウェイとか言う形までたどり着き、やっとコースを終了できたのは万歳三唱ものだ。で、「これからどうします」と言う先生に、思わず「もうワン・クールやってみようかな」などと心にもない返事をしてしまい今になって後悔している私なのである。

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2011年2月24日 (木)

2011年東京マラソン受付

東京マラソンを控え、妻も私も今週は疲労をとるべく走る距離も走る速度も抑えているが、そんな試合の前に限って体の痛い箇所があちこち気になってくるものである。妻は左腿の外側が肉離れ気味で痛いとここ2~3日こぼしているし、私も右足の裏が1週間ばかり痛くて板の間などは裸足で歩けない。もっとも普段なら少々の痛みがあっても気にせず走っているのだから、試合の前だからと余計に慎重になるようで、今は一層痛みや不具合な箇所を意識しているのかもしれない。


これまでレースの直前や途中で足に酷い痛みが襲って来た事もあったが、そんな時は「えーいままよ、駄目になったらその時だ」と開き直って痛みのまま走ると、他の事に紛れて押し通せる事も多く、ゴールした後は「あれは一体何だったのか」と思うくらい痛みをすっかり忘れてしまう事も多くあった。そんな訳で筋肉の痛みなどはよほど重篤なものでない限り、結構心理的な要素もあるのかなあと感じる。


お祭りムードの東京マラソンなのに、学生時代の正式なレースより意識してしまうのも変なものだが、当時は走らされているという義務感の方が強くて走っていたものが、自由意志で走るという事、それも夫婦で出場しますと周囲に吹聴しまくっているので、却って意識するのだろうか。そんなお祭りもあと3日後に迫ってきたので今日は、ナンバーカードなど必要なものを貰いに、東京ビックサイトの東京マラソン受付まで妻と行ってきた。


受付会場の周囲には「東京マラソンEXPO」というイベントが同時に催され、平日というのに相変わらず多くの人で賑わっていた。この大勢の人達と今度の日曜日は一緒に東京の町を走り抜けるのかと思うと、「早く日曜にならないかなあ」と言う気持ちと「40キロ以上も走りたくないよなあ」という気持ちが交錯する。「まあできたら前半はゆっくり行ってせいぜい何十年ぶりかのフルマラソンを楽しんでやるか」と楽観的な気持ちが出てくると、次には「地獄の35キロだよな」と嫌な思いが浮かぶ複雑な一日である。せいぜい年寄りの冷や水にならない程度に、皆とエンジョイしてこようと思っているのである。


(ビック・サイトの東京マラソン受付会場)
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女性も理容店で顔そり

新聞には「女性も理容店で顔そり」「顔の産毛そりなど女性向けのサービスも広がっている」「一ヶ月に一回程度続けると肌に良い」などと女性の理容店利用が紹介されている。そういえば最近はユニ・セックス時代で男性も美容院で散髪をしているそうだから、特別な場合でなくとも女性が床屋に入ってきてもおかしくないのかもしれない。そういう私も一度だけ妻に連れられて美容院でカットした事がある。散髪を面倒くさがって髪を伸ばしていたら、妻の「若い女の子が調髪してくれるわよ」と言う一言にぐらっときて、土曜日の朝に予約した美容院に妻と行ったのだが、なにせ金曜日の夜にしこたま飲んでいたものだから当日は激しい二日酔い状態であった。

床屋なら予約などないから二日酔いの時などには散髪に行かないし、椅子に座って一言「普通に」と言って寝ていればすむものを、若い女性美容師は気を遣っていろいろ話しかけてくれるわ、髪を洗うのに席を移動させれるわの難行苦行の連続。シャンプーで「かゆい所はありませんか?」と問われても、口をパクパクさせながら「水、水が飲みたい」と言うのが精一杯である。床屋の倍ほどの時間もかかる散髪中に水を三杯お代わりし、結構良いお値段を払ってほうほうの体で逃げ帰ってきて、「もう美容院などには行くもんか」と思ったとても貴重な体験であった。

そう言えば近所の床屋は調髪に4000円もとるがいつもがらがら、町には1000円床屋も多数ある。私はおばちゃん達がやっている都心の2500円のなじみの床屋に普段行くのだが、平日の昼間に行くと自営業か第二の勤め先で働くオヤジばかりで、しゃべりたくなければ黙って座っていればちゃんと調髪してくれる。頭も洗って顔も剃って、この値段でやっていけるのかと心配になるが、特におばちゃん達に困った様子もない。昼間暇そうにしている4000円以上の床屋と、いつも満員の1000円床屋、その中間の2000円台の床屋、それぞれの営業方針や新規顧客の開拓などどうやってすみ分けているのか、とても興味があるところである。それにも増して疑問なのは、美容院では顔を剃ってはいけないのは免許なのだろうか? そんな垣根は講習や訓練でいかようにも自由化できそうだが・・・。さすがに新聞で紹介されている女性の行く理容店は4000円クラスなのだろうか?

2011年2月23日 (水)

上原ゆかりはどうしてる?

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久しぶりに明治のマーブルチョコレートを食べた。バレンタインデーに義理の妹がチョコレートを手配する時、小学生の娘(すなわち私の姪)に「どうする?」と聞いたところ「おじちゃまはマーブル・チョコレートが好きだよ」という一言で、チョコレートのノスタルジック・シリーズ詰め合わせをプレゼントしてくれたのだ。

さっそく目玉のマーブルチョコレートを開封すると、昔と変わらない色とりどりのチョコが円筒形の筒からこぼれ出る。最初は味を楽しむように一粒ずつ口の中に入れ、コーティングが溶けるまでしゃぶってから中身のチョコを食べるが、そのうち勢いがついてくると数粒まとめて放り込み、性急に噛み始めるのは子供の頃の食べ方と変わらない。マーブルチョコは1961年(昭和36年)に発売されたそうであるが、そうすると今年は発売50周年という事になる。

当時のお菓子は今であったら「懐かしの駄菓子やコーナー」などで売られていそうな中、マーブルチョコレートは現在でも通用する斬新な容器に入っていてチョコの色もきれい。何よりその頃は鉄腕アトムのシールが入っていて、そのシール欲しさに随分おやつにねだったものであった。当時は長さ・直径ともこの写真のものの半分くらいで、値段は30円だったが、その頃のおやつは10円くらいが相場だったから結構高いお菓子だったわけである。

これを食べると子供の頃のいろいろな場面がつぎつぎと浮かんでくるから、食べ物にまつわる記憶とはすごいものだ。とにかく学校が終わると、自転車に乗って真っ暗になるまで外で遊び、そのまま友人の家に行くと「 おばさんちは何時までも居てもいいけど、もう夕ご飯の時間でおうちで心配するからそろそろ帰りなさい 」といつも言われていた事を思い出す。そういえばマーブル・チョコのCMに登場していた上原ゆかりも、すっかりオバサンになってしまったのかなあ、とふと気になった。

2011年2月22日 (火)

靖国に参拝する

会食で外出した際に九段を通ったので、ちょっと寄り道して靖国神社にお参りに行った。今年の元旦も石垣島に行って靖国神社には初詣に行かなかったので、新年初めての参拝である。うす曇で北風が吹き抜ける境内は、お参りする人もそう多くはないが、それが却って身が引き締まる様で気持ち良い。


本殿に赴いてお参りしようとしていると、私の前に立っていた白いワイシャツ姿の男性が、あまりにも見事に2礼2拍1礼で祈りを捧げている姿にしばしば見とれる。寒いのにワイシャツだけでジャケットも着ていないのは、昼休みを利用してきた近所のサラリーマンかもしれないが、年齢もまだ40歳くらいに見えるのに一人でやって来て、この様に礼儀正しく参拝するとは、この国もまだまだ見捨てたものではないと感動する。


彼に習って私もゆっくりと大きく手を打ち、しばしこうべを垂れていると国民の義務を果たした様な気持ちになるのは不思議である。色々議論のある事は承知の上であるが、「 靖国で会おう 」と言って散っていった我々の先達が、今の日本の礎を築いた事は間違いない事で、こうして靖国神社にお参りに来て英霊に思いを馳せると、何故かすがすがしい気持ちになるものである。

2011年2月21日 (月)

「デフレの正体」

20110220何でも50万部を売り上げて「日本人必読」と宣伝されている『デフレの正体』藻谷浩介著(角川ONEテーマ21)を読んでみた。著者が本の中で繰り返し述べているのだが、既存の経済学者の分析や理論が有効に効果を発揮しない日本の現状にあって、違う切り口からデフレスパイラルの分析と処方をこの本は提示している。私は昨年1月のブログでも取り上げたとおり、いわゆる格差問題の多くは日本の高齢化に伴うものだと感じていたので、わが意を得たりと一気に『デフレの正体』を読破した。


私も劣等生ながら経済学部を卒業した一人なのだが、今や経済学が学問として成り立つものなのか、かなり懐疑的な気持ちを持っている。「他の条件が同じであるならば」とか「こういうモデルでは」とか「人々が合理的に行動すれば」などと、これまでの経済学が前提としていたものが、現代社会ではあまりに多様化し、変数が多くなりすぎているのではないかと感じるのだ。例えば現在おこっているイスラム社会の騒乱によっては、ハンチントンが「文明の衝突」で指摘した「西欧」対「イスラム」の亀裂が、今後より一層大きくなり、20世紀の帝国主義の対立や東西冷戦を上回る深刻な事態が生じるかもしれない。その時に人々の行動は、経済合理性より宗教性を帯びた目的に変わる事も予想されるだろう。


これまで優秀な経済学者が分析し予想してきた経済政策の効果が上がらず、彼らが後付け解釈に終始しているのを見ると、経済学などよりこの世の現象をうまく説明できるのは、社会学や人類学、心理学さらには宗教学や文学なのではないかとさえ思えて来るのである。ネットで検索すると「『デフレの正体』に書いてある事はおかしい」とか「自己撞着である」かの如き批難をする専門家も多いが、学問的アプローチはさておき、私の実感としてはこの本は既存の経済学者が書いたものより、よりうまく日本の現状を表わし、良き処方箋を示していると思う。


最近、都内や近郊の住宅地を平日の昼間歩いて見ると、一昔前とは比較にならないほどの、現役を引退した多くの男性の姿を見る。引退世代の人口が今後一気に加速するのは確実なのだが、これはわが国史上初めて直面する生産年齢人口の減少なのだと云う。この引退した高齢者が持つ1400兆円もの金融資産を一向に消費に廻さず、将来への不安から死蔵している事がデフレの本質というこの本の指摘は、我々の周囲を見ると「そうだなあ」と実感として頷けるのである。これを見て横では妻が「だからクルーズにでも行こうよ」と言っているが、「うーん、先立つものが・・・」と絶句して躊躇する私こそ、この本がまさに問題にしている高齢者の消費行動そのものだ、と苦笑する。


旧ブログ・格差問題の本質(2010年1月27日)


2011年2月20日 (日)

鯨食文化

シー・シェパードの非合法な攻撃によって、南氷洋の調査捕鯨を今年は中止するそうで、正統な活動が暴力に屈した事は誠に不愉快で許せない。しかしその事は別として、この南氷洋の調査捕鯨なるものを、世界的な反論の中で強行するメリットがどこにあるのか今一つわからない。シー・シェパード船の旗国であるオーストラリアは、マグロ漁獲割り当てに反対なので、そちらで日本に応援してもらう為に、ここはひとまず引き下がるのだとか、日本捕鯨を攻撃対象とする事がシー・シェパードの恰好の資金源になるので、それを断つ為だとかネットでは色々な裏話が出ている。和歌山県や下関など鯨に関わりがある土地では、この問題の捉え方に私などとは随分温度差があるのだろうが、実態がわからないだけに、今年の唐突な南氷洋の調査捕鯨中断の原因は何なのだろうかと訝るのである。


テレビでは「日本の伝統的な食文化がなくなるのは残念」と町の声を採り上げているが、考えてみれば鯨などここ数年食べた事はないし、私などはあれを見ると、かの脱脂粉乳と大和煮や竜田揚げになった鯨肉の不味い給食を思い出すだけで、食文化と言われてもどうもピンと来ない。今年調査捕鯨を中止しても在庫があるのでしばらくは料理屋では困らないと言われるが、それも鯨が今や日本人に必須の食べ物でない証しではないか。お隣の韓国では犬を食う食文化も、ソウルオリンピックの際に世界中で批難されて以来、少なくとも表通りからは店が消えた様で、動物愛護の世界的潮流の中で伝統が消える事もやむなしという気もする。


学者や関係者は、海洋資源の科学的調査の為に、南氷洋で固体を多数捕獲する事が必須だと主張するが、本当にその必要性が世界で共有されているなら、日本だけでなく世界の国が南氷洋や各地で調査に繰り出しているはずで、科学的調査論もどうも日本独自の牽強付会の感もする。ノルウエイやアメリカの沿岸捕鯨が攻撃の対象にならないのに、日本だけが批難の矢面に立つと言うのも、外交的なやり方が極めて拙いのと、鯨を捕獲する数があまりにも多い為であろうが、このあたりもう少しうまくやれないものか。シー・シェパードの暴力には、自衛隊の応援を頼みたいくらい腹が立つが、国の助成までついているこの調査捕鯨活動の実態と、科学的調査の成果やその評価こそ、賛否織り交ぜてもっと知りたいものである。

2011年2月19日 (土)

正しいギョウザの食べ方

妻が送別会とかで、昨晩の夕食は一人で摂る。この機会に、普段彼女が行きたがらない近所の大衆中華料理屋に今日は行くべし、と意気込んで北風の町に出る。この店ごく普通のラーメンとかチャーハンとか餃子などを出す町の中華料理屋だが、少々古めかしくておっさん達が好んで行きそうな店なので妻はあまり好きでない。厨房ではおやじ一人で鍋を振っているのだが、このおやじの体調によって日によってちょっと塩味がきつかったり反対にひと味薄かったりする。しかしそんな人間的かつ反マニュアル的な中華がなぜかノスタルジックで、一人で外食する時はごく近所のせいもあって良く足が向く。


まず何と行っても、スポーツ新聞がお客用にラックに常に置いてあるのが良い。それも先客のつけた醤油のシミが新聞紙の端にちょいとついていたりするのが、大衆料理屋らしくて粋である。いつも違った顔のパートのオバサンが接客をしているが、大体このおばさん達が気がきいていて言葉使いも適切。コンビニ風の気持ち悪いバカ丁寧な日本語などは使わないが、コップに水がなくなればさっとお代わりを継ぎ足し、一通り食べ終わった頃にそっと伝票を持って来たりと目利きが効いている。これを見るとファミレスやコンビニのこれでもかと云う慇懃なマニュアルとは違って、客がどうしたいのかおばちゃん達はちゃんと肌で感じているのだな、と気分が良い。


それから焼きそばを注文すると、皿に大盛の和カラシが沿えてあるのも良い。結構一流と云われる中華のレストランではカラシなど邪道とばかり、わざわざ頼まないと持って来てくれなかったりするが、スパゲッティー屋でタバスコがないのと同じで、「 店の流儀を客に押し付けるなよ、カラシ位黙って盛って来い 」などココロの中で舌打ちしなくて良いのが好感がもてる。


と一人で焼きそばを食べていると、残業食でも食べにきたのか若い男女がどやどやと入ってきて、餃子を注文している。出てきた餃子を前に一人が「 餃子ってラー油だけをかけて醤油につけないのが本当の食べ方なのよ」などと薀蓄をたれているのが聞こえる。こちらは「 ふん、焼き餃子などもともと中国にはほとんどなくて、戦後日本で流行っただけなのに、それの正しい食べ方などあるものか 」と心中思いつつ、どんな料理にも「正しい食べ方」だとか「通」はこうするなどと、それらしい解説ができるものだと感心しながら、一人残ったビールを飲みながら汚れたスポーツ新聞を眺めていたのだった。

2011年2月18日 (金)

みなさまのNHK

NHKの特集「無縁社会」で取材された出演者が、番組の意図に沿って勝手に「ネットに引きこもり、社会と無縁」という様に演出されたと憤っているそうだ。私も近頃NHKのこの種の特集番組の製作方法には、違和感を覚える事がある。先日も夕方6時台に、就職活動に苦労する大学生がどこも内定を得られない例を、何日にも亘って報道していたが、これも随分意図的な製作方針を感じた。旧ブログでも採り上げたとおり、かつて高度成長期で、なおかつ大学進学率が極めて低かった私の頃も大卒就職難の年があった訳で、今や同世代の約半数が大学生になり、その中には分数の足し算ができない者もいるという状況下で、これら卒業生全員に所謂「大卒」相当の職場が用意されるはずもない。

なかんずくNHKで採り上げられた例では、地方のあまり知られていない私立大学の学生、それもごく普通(らしい)の学生を主に採り上げて「内定がとれない」と強調するのだが、一方で私の知人の子息たちで東大や京大、一ツ橋大学などに通う学生は、昨年も今年もそれなりの有名企業に入っているのも現実なのである。社会のある現象を採り上げて、自分の考えた筋に沿って対象者を選び、意図的な編集をすれば検察の「にせ調書」の様に自分の思い描いたシナリオが描けるのだろうが、社会の本質と云うのは必ずしもNHKの番組の様にはなっていない。受験戦争を勝ち抜いた子供には、それなりの就職先を得るチャンスが多い事は、昔も今も変わらないのだと感じるが、その様に努力する者の事は報道せず、大衆迎合的に番組を編集するのが「皆様のNHK」なのだろうか。

「無縁社会」の出演者はネットを活用する事を肯定的に考えて出演したそうだが、放送されたNHKの番組では、実社会から逃避しネットに依存している生活者として編集をされたと怒っている。就活の問題で云えば社会全体の求人はなお新卒学生数より多く、ブランドさえ選ばなければ実際にはどこかの企業に就職できると云われている。また私がかつて面接した側から云えば、名前の知らない大学の学生でも、例えばTOEICで850点近い成績をとっている者なら「おや?」と注目するもので、努力すれば道も開ける事を本当は報道してほしいものである。昔も今もあまり変わらない現象や、事の本質は実は違う事をことさら採り上げ、自分の筋書きに沿って社会がおかしいと警鐘する様な番組を制作するのは如何なものであろうか。

旧ブログ→http://www.we-blog.jp/wave/seahawks/a0000290837.php

2011年2月17日 (木)

雑誌GOETHE・死ぬまでにはたしたい夢

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”GOETHE”と云う50才以上のシニアー向け雑誌がある。妻がどこかでもらって来たのかこの本の2月号がなぜかポンと家に置いてあった。その中に「死ぬまでに果たしたい人生50の夢リスト」という特集があって、例えば石原慎太郎が「ダイビングで巨大な魚を獲る」とか香山リカが「さかあがりができるようになる」など有名人の大小取り混ぜた夢が語られていて、「ははーん、こういう夢ってあるよね」と他人事ながら面白い。これを見て私も50とは云わないが、5つ位「死ぬまでに果たしたい夢」を挙げるとしたら何であろうかと自分で考えてみた。

その①は東海道線を走る電気機関車の運転台に乗って東京から熱海まで行ってみたい、である。電車ではなく、機械室でブロアーの唸りが聞こえる様なごつい電気機関車のキャブである。これに添乗して釣り掛けモーターの音も重厚に、東海道本線の貨物列車の先頭に立ってみたい。

②次は北アルプスを縦走してみたい。若い頃に奥穂高から前穂高までは歩いた事があるが、その時以来いつの日か槍ヶ岳に登りたいと思っていた。でこの際、夢として槍にとどまらず上高地から穂高・槍・大天井・燕と北アルプス表銀座を一挙に縦走してみたい。

③毎年、元日にウイーン楽友協会大ホールで行われる恒例のウイーンフィル・ニューイヤーコンサートを実際に聞きに行きたい。席はどこでも良いがお正月に衛星放送でニューイヤーコンサートが中継されているのを見ていると、いつの日か和服を着てあのホールでウインナワルツを聞きたくなる。

④後輩達が久しぶりに箱根駅伝に出て、あろう事か第13回大会以来の2度目の優勝をする瞬間を見てみたい。日本橋三越の特別食堂を借り切って、大祝勝会を開き勝利の美酒を死ぬほど飲み、声が枯れるまで応援歌を歌ってみたい。

⑤日頃、メールやレターで苦労する海外とのトラブルだが、英語の論争能力がものすごく上達して、インド人だとかオランダ人など世界中で名だたる手ごわい相手と、臆する事なく係争事件を闘い、仲裁所で彼らの屁理屈を完膚なきまで英語で論破してみたい。

などなどが浮かんでくる。しかしこんな事を考えていたら、もっと本当に果たしたい夢は、自分の周りの人が「この人と一緒にいて良かった」と言われる様に我がへそ曲がりの性格を変える事なのだが、これが一番難しい夢じゃないか、と云う気がする。

2011年2月15日 (火)

引越し

ブログを引越す事にした。ブログを開設して3年、最初はこんなに続くとも思わなかったが、仕事が暇になるに連れて、小言幸兵衛の如く言いたい事が次々湧いてきて、勝手な事を書いてきた。特に民主党政権になってからの政治の迷走ぶりは、恰好のブログネタで随分批判させてもらった。しかしこの政権を選んだのは我々国民であって、もし菅首相が、現実的な安全保障策にのっとった上で、死ぬ気で財政改革を実施しTPPに参加して「第二の開国」をするつもりなら、自民党ではできぬ改革を成し遂げようという事になり、各論においては応援をしてみようと云う気持ちもある。

例えば平成23年度税制改正大網では、相続税の基礎控除枠を縮小させた点では「金持ち狙い撃ち」の社会主義的政策と云える一方、贈与税の税率を緩和するなど一部の年寄りに片寄った資産を若い世代に還流させようとの思惑も見えるのは理解できる。しかし一方で予算法案の為にまたまた苦し紛れに社民党に近寄ったり、日教組あがりの社会主義者が党の重鎮であったりと批判されるべき材料が多い事も事実。とにかく空想的理念主義・エセ平和主義を脱し、現実を見据えて改革を実行して欲しいものである。それができぬならさっさと解散・総選挙で国民の信を再度問うて欲しいところだ。

個人的にはここ数年従事してきた仕事が一段落して、人生の踊り場としてしばしこれからの来し方・行き先を模索する期間となった。考えてみるとこれまでは随分とんがった生き方をしてきてものだが、少し方向転換もしたいと思っていろいろ今までと違った実践を始めているところでもある。数年後にこの3年間の駄文を読み返してみたら、多分赤面の至りとなるのだろうが、また新しいサイトで時に応じて恥をかいてみようとも思っている。

新しいブログのアドレス
http://sonics.air-nifty.com/

【注】この記事までが旧サイト
旧Ocean Boulevard (http://www.we-blog.jp/wave/seahawks/) に投稿されたものです。

2011年2月13日 (日)

東京マラソン試走

低気圧も通り過ぎ、今日は久しぶりに晴れたので、東京マラソンの試走に妻と出かけた。東京のコースは普段クルマを運転している中、ほとんど地理は頭の中に入っているので、下手に詳細を知ってしまうと却って疲れるかとも考えるが、一昨年にも出場した妻は、後半の橋を渡るアップダウンで思いのほかがっくりくるので、是非もう一度コースを頭に入れるために試走したいと云う。という事で妻と共に今日は27キロ地点の蔵前から浅草・浜町・茅場町・銀座・新富町・豊洲を経由して有明のゴールまでの15キロをゆっくりジョッグした。

コースを走ると連休を利用して、多分全国から集まったであろう多くのランナー達がコースの下見をしているのに出会うのだが、学生時代と違って彼らは競走相手でなく共にゴールを目指す仲間と感じるのが市民マラソンの良いところである。それとともに2週間後に同じ場所が本番として、大河の如きランナー達の流れで埋め尽くされるのかと想像すると、何となくアドレナリンが出てくる様な気がして、そわそわワクワクもする。ポイントの交差点を通ると、当日この場所に来る時にはどの位の疲労と残ったエネルギーがあるのかなどと想像すると、試走といえども臨場感も湧いてくる。

大学時代は皆が勉強していた時に運動ばかりしていたのだから、市民マラソンの大会では上位の5%以内に入るのが当然だと思っていたのだが、加齢と云うのは悲しいかな最近は年代別順位はさておき綜合では上位10%がやっとである。ましてや20キロ以上走ると途端にレース途中で棄権したくなるのが常で、東京マラソンも完走が第一、最初の5キロはウォームアップ、前半20キロまでは鼻歌まじりで行けたら良いな~などとレース展開を考えるのだが、35キロ位でとぼとぼ歩いていると「お先に~」などとポンと肩を叩き妻が先に行ってしまう悪い夢を時々見るこの頃である。

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2011年2月12日 (土)

春は名のみの

昨日・今日は寒い日で「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯歌を覚えど」と云う唱歌を思い出すのだが、陽の長さは確実に伸びて春が近づいている気配がする。因みに2010年の冬至の日から数えて今日は52日目に当たるが、これを冬至の日から逆に52日間遡ると2010年11月1日になる。そこで冬至を境に今日の日の日中の長さは多分11月1日とほぼ同じであろうかと、ネットで暦のページを検索してみる事と面白い事がわかった。

それによると2010年11月1日は東京で日の出が6時2分・日の入りが16時47分で日中は10時間45分であるのに対し、今日2月12日は日の出が6時31分・日の入り17時19分・日中の長さは10時間48分である。つまり日の出から日没までの日中の時間はほぼ同じなのだが、日の出も日没も秋の方が30分も早く、「秋の夕陽はつるべ落とし」とはこういう事から云われていたのかと改めて認識するのである。因みに今日と同じ17時19分の日の入りは2010年10月6日まで戻る事になるので、2月のこの時期は気温は別として「陽が長くなったなあ」と実感するわけである。

大学で大気物理学を専攻したはずの妻に「なぜ日の長さが同じなのに日の出と日没の時間が30分も違うの?」と問うと「さあ?」と言って首を捻るばかり。「一体大学で何を習ったんだい」とからかうと、どうもいたく面子を刺激したのか彼女はムキなってその理由を調べ始めた。色々調べて説明してくれたところによると、地軸が傾いているのと地球が太陽の周りを楕円軌道で周回している事が重なり合ってこういう現象になっているそうであるが、どうも理科系の人は物をごく簡単に説明するのは不得手の様で判ったような判らない様な解説である。

ネットによると、時々私の様な疑問を持つ人がいてその人に解説するのは結構難しい事を述べなければならない、とあるので良く判らないのは妻の責任ではないのだが、我々は天体の動きから派生した基本的かつ日常的な歳時の由来に結構疎いものだと思ったのであった。

2011年2月11日 (金)

前原外相の訪露

前原外務大臣が訪露して北方4島の問題を話し合ったそうだが、議論は平行線で進展をみなかったと報道されている。かつて根室に旅行した際に訪ねた納沙布岬からは、ロシアが占拠している水晶島が目の前に見えて、領土問題がこんなに目の前に存在する事に驚いた事がある。歴史の経緯を見ればロシア(ソ連)が終戦時のどさくさに紛れて不法に占拠した事は明らかなのだが、北方領土問題というのは東京にいる我々にはどうも本当の処がわかりにくい問題である。

これまでの報道を見ると、ロシアも数年前までは歯舞・色丹の2島返還なら条件付でテーブルに載せても良いかと考えていたフシもあった様だが、日本が国後・択捉を含む北方領土4島の完全返還を主張しているうちに、近年の資源ブームにより財政的な余裕ができたロシアは4島ともロシア領で交渉の余地なしという事になった、というのが私の大筋の理解なのだが・・・・。

詳しい交渉内容を知る由もないが、実効的に支配している場所を歴史的経緯を持ち出して返せと言っても、そんな事に耳を貸すようなロシア人ではない事はあきらかだろう。戦後一旦占領した土地を約束通りわが国に返却したのは、原理原則の国アメリカだけであって、ロシアがそんな「話せばわかる」様な国でない事は、西洋史を紐解けば自明ではないだろうか。

日本にも取りあえず2島を返還してもらう事をおし進めるべしという政治家もいる様だが、常に北方領土は固有の領土だという原則論が通って、一向にこの問題は進展しない様に見える。武力で取り返す事はできないとなると、まず現実的な対応として歯舞・色丹2島を返してもらい、国後・択捉には日本の資本を大々的に導入できる様にロシアに図ったらどうなのであろうか。日本の観光客や企業が大挙して国後・択捉に押し寄せ、経済的に実効支配してしまえば、また末代にでも取り返すチャンスも来ると素人の私には思えるのだが。東京にいるとこの問題の本質はどうも良くわからない。

2011年2月 9日 (水)

にっぽん全国たのしい船旅

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妻が何かパソコンをいじっていたかと思うと、「ネットでまたこんな物を買っちゃった」と嬉々として報告してくる。大抵はアマゾンでCDや書籍などを注文している様で、数日後に宅配便で品物が届くのだが、最近は私の方が家に居る時間が長いので、何か家事でもしようとしていると 「ピンポーン!」 とドアのベルがよくなる。また妻のつまらない買い物で煩わされるのかと、大した手間でもないが、「ちぇ」と舌打ちしながら宅配便の業者から荷物を受け取るのである。

などと考えていたが、先日届いた「にっぽん全国たのしい船旅」2010-2011年版(瀬戸内海、縦横無尽の船旅)=イカロス出版という雑誌をそれとなく眺めているうちに、こちらの方がこの本に嵌ってしまった。この種の案内本の例に漏れずフェリーや国内のクルーズ客船案内かと思ってパラパラと頁をめくっていたら、往年の阪神ー別府航路の関西汽船観光船や加藤汽船の名船 「ぐれいす」など、かつてあこがれた懐かしい瀬戸内の客船の写真や解説が詳しく載っている。さらに四国連絡架橋ができた後も残る瀬戸内の生活航路に就航する小型フェリーなどの記事が、美しいカラー写真ともにテンコ盛だ。

特に広島と愛媛間に点在する芸予諸島で活躍した小型フェリー達の特集は、この雑誌の編者のフェリーへの愛着を深く感じさせ、とても読み応えのある記事であった。私もかつては仕事で随分と芸予諸島の船主さんを廻ったものだが、そこを行き交う小さなフェリー達の特徴や来歴をこの本で知ると、改めてあのローカルの何の変哲もない小型船の一隻一隻がそれぞれ歴史を持ち、人々の生活を陰で深く支えてきた事がわかる。本に網羅された瀬戸内の新旧の船達の記事を読むと、編者のフネに対する大変な知識と洞察が感じられるのである。

妻によると、この本は趣味の専門店で見た事があるが、近所の本屋には置いていないのでネットで購入したそうだ。日頃、ネット購入の品物の宅配業者が来る度にいらいらしていた私も、「 たまにはネットで良い買い物もするじゃない 」などと妻の行動をちょっと見直す気がしてきた。

2011年2月 8日 (火)

東京駅のドーム

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東京の話題と云えば最近はスカイ・ツリーばかりなのだが、東京駅でも丸の内の駅舎の復元工事が行われている。今日たまたま丸の内を歩いていたところ、南口工事現場の覆いの上部がはずされ、写真でしか見た事がない丸いドーム型の屋根が一部見えた。戦災で焼け落ちた旧ドームを復元する工事と云う事だが、ベールをはいだドームは我々にとっては初めて見る建物と云え、”デジャブ”と云うか何だか不思議な感覚を覚える。

東京駅丸の内本屋は辰野金吾によって設計され、1914年に東京の中央駅として開業したのだが、1945年の空襲で南北両端にあった旧ドームが焼け落ちた。戦後は直線的な面で構成された塔屋に改築され東京駅は営業されてきたのだが、この戦後の駅舎に馴染んだ私たちの目には、復元されたドーム屋根が却って新鮮にも写る。子供の頃は、丸の内南口は「乗車口」で北口が「降車口」と呼ばれ、優等列車に乗る際は南口から「赤帽」さんに荷物を列車の座席まで運んで貰うのが旅人のならいで、東京駅から旅行というと丸の内の旧駅舎が真っ先に頭に浮かんだものである。

そんな馴染みの旧駅舎も、今回の復元工事ですっかり戦前の姿に戻る上、耐震などの最新の防災構造が施されるのだと云う。目を地下に転じれば東京駅から皇居に通ずる「行幸通り」の下にもきれいな通路が完成して気持ちよい。これら工事が完成されたところで、我々の生活が直ちに変わる訳ではないが、東京の玄関口である丸の内が復元・整備されていくと都市の「成熟」を肌で感じる。

2011年2月 7日 (月)

下見

東京の町をクルマで走ると、今まであまり人が走っていなかった道路を、ジョガーがグループで通るのをここ一月くらい見る様になった。先日は靖国通りを新宿の方から都心に向けて男女数人が駆け抜けていくのを見たし、新富町でも佃大橋を豊洲の方にランナーがグループで通りすぎていった。一人や二人なら珍しくもないが、大勢で走っていると人目に付き易いもので、東京の町もジョガーだらけになりつつあるのかと思ったら、彼らは東京マラソンのコース沿いに走っている様でどうやら試走に精を出しているらしい。

試走といえば起伏に富む箱根駅伝では、かつては年末になると各校が試走を繰り返していたが、1956年には箱根山中で専修大学の選手が練習中に交通事故で亡くなって以来、試走が禁止されていた。しかし箱根山中の山道はもとより、湘南海岸の風や遊行寺や権太坂の急坂など、一人20キロを超える箱根駅伝のコースは、地理を知らないととても走れるものではない。各校とも休日の早朝に個人的に車などからコースの下見をしていたらしいが、今はどういう規定になっているのだろうか。箱根に限らずランナーにとってコースを知っておく事は、かなり心強いものである事はたしかである。

東京マラソンも、スタートの新宿から前半10キロは下る一方、ここで調子にのってオーバーペースになると、3時間以内で走るような選手は良いが、我々の様なそれ以外の大勢は、後半の下町河川にかかる幾多の橋で足に来てしまって一気に減速しそうである。起伏の状況を頭に入れておく事は、自重すべき所やスパートして良い所などの良き判断材料になる事な間違いない。このようにマラソンはコースを事前に下見する事によって、土地勘が芽生え自分の持久力と相談できて安心感が芽生えるとも云えるが、その一方でバテててしまった時などは残行程の地理を知っているだけに疲労も厭戦感も倍増するものである。20数年ぶりのフルマラソンまで後3週間もない。我々も次の週末はコースの良く知らない場所を試走してみて、土地に馴染んで置こうかと妻と相談するのである。

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2011年2月 4日 (金)

ブラタモリ

NHKには言いたい事が沢山あるが、それはさておき民放の毒にも薬にもならないバラエティー路線と違って、少しは大人が見ても楽しめる番組やスポーツ中継があるので、受信料を支払うのもしょうがないかと云う気になる。その中でも面白いと思ってみているのが、”ブラタモリ”で、この番組は東京の町の思わぬ地理情報や隠された歴史を紹介してくれて、改めて東京の町について目からウロコの発見が多い。

昨日の「外堀」については、日頃見慣れた場所であるだけに、とても楽しく番組を見る事ができた。上智大学のグランドになっている真田濠に水がまだ張られていた頃の写真も珍しかったが、何と行っても幻の「市ヶ谷濠地下の地下鉄車庫」を初めて放送でみることができたのは興味深かった。もっと大掛かりな車両基地がお堀の地下に整備されているのかと想像していたところ、留置線が僅か3本分という事で些か拍子抜けの感ありだが、東京の都市伝説でも筆頭格の「お濠の下の車庫」が電波で放送されたのにはびっくりしたものだ。

昨日は、番組のかなりの部分が、外堀に沿って作られた甲武鉄道(現在の中央線)の線路や建築に割かれていたのは、鉄道ファンであるタモリの面目躍如だが、現在も残る高架線下の石垣や1904年製の鉄橋などが紹介されて、こんな明治の遺構がまだ現役で使用されているのに感心する。また現在、飯田橋駅の脇にある何という事もない商店が、一時甲武鉄道の起点だった「牛込駅」の跡地だったと云う事をこの番組で初めて知って、こんな所にターミナルがあったのかと歴史に思いを馳せる。あらためて調べてみると牛込駅はお隣の飯田町ターミナル完成とともに、短期間で消滅した様だが、甲武鉄道のターミナルだった飯田町駅も今ではすっかり再開発されて無くなってしまった。

そういえば飯田町駅は、中央線の本線から大きく都心方向にカーブした場所に作られたが、それから想像すると甲武鉄道は都心方面への延長とか、市電との乗り換えが便利になる事を意図したのではないだろうか。あるいは軍部の要請で演習所や工兵廠の為に、わざわざ線路をカーブさせたのだろうか。しかし飯田町駅開業の1895年からわずか5年後には、新宿から伸びてきた線路を真っ直ぐ延長して、万世橋までの路線開設を申請、1904年には御茶ノ水方面へ線路は直進してしまった。おかげで飯田町ターミナルはすっかり盲腸の様な存在になって後年貨物駅になるのだが、なぜせっかく作った飯田町ターミナルを見捨てる様な事にしたのか、このあたりの経緯は調べたらさぞ面白かろう。”ブラタモリ”を見ていると、番組に触発されて次々と周辺の地理や歴史に興味や疑問が湧いてきて、それを解明すべく現場を探訪したくなるのだ。

<という事でさっそく行って来た牛込ターミナル跡地に建つ薬局とレストラン>
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2011年2月 3日 (木)

わが身をつねって人の痛さを知る

妻と一緒に通うダンスの初心者個人レッスンも、ジルバは何とか基礎のキが出来たらしく、先生は今日はワルツを教えて呉れると言う。いよいよワルツかと勇躍心の準備をし、先生のステップを見ると、彼は何と右足からスタートする。「あれ?社交ダンスで男はすべて左からではないですか?」と思っていると、「最初の左足は捨て足で」などとわからない説明で、クルーズ船でかじったダンスとは違った難しいステップを先生が踊り、「これを今日はやりましょう」と言う。「アチャー、こんなに難しいステップを始めからやるのですか?」と聞くと、「貴方が今まで習ったのは、スクエアワルツと言って、小さいスペースで四角く踊るものでこちらを覚えた方が楽しいです」などと容赦ない。

準備して行った予習箇所がまるで外れた受験生の様な気持ちで、冷や汗をかきつつ仕方なしに先生の指示通りステップを踏むのだが、左足を続けてステップしたりスキップの様な処もあって、これがなかなか難しい。先生は「ヘジテーション何とか」とか「これがシャッセです」などと言うのだが、そんな事より日常しないダンスの動きを覚えるのに精一杯。「そう、上手です、それでいいです」などとおだてられながら部分部分をなんとか覚えると、「さあ最初から通してやってみましょう」という事になるのだが、そうすると最初に習ったステップを忘れていたりで、もう頭が真っ白である。

子供の頃、鉄棒など体育の教師が教えてくれる事は大体人より早くできたのだが、社交ダンスでぎこちなく”たたら”を踏んでばかりいると、運動音痴の子供はきっとこんな試練に堪えながら大人になったのだろうかと、遅まきながら昔の事を思い出す。自分ができないという経験をして、人間は初めて人の痛みが分かるのかと、妙な処で勉強した気にさえなる単純な私である。やっとの思いで今日のレッスンを切り抜け、日課のジョギングをした後、妻と今日習ったダンスを駐車場で復習すると、ステップがジョギングリズムの2拍子ばかりになって、一向に3拍子のワルツステップにならない苦闘の日であった。

2011年2月 2日 (水)

本音と建前

相撲の八百長問題が、またぞろメディアを賑わせている。何年たっても同じことを大相撲界はやっている様だが、ニュースで大騒ぎするほどのものなのか。そもそも相撲は神事であり興行であって純粋なスポーツとは云えないのではないか。今まで巷間この種の噂は散々飛び交っていたし、すべての大相撲が100%真剣勝負だと思っている人は多くはあるまい。スポーツとして国際競技化に大相撲がこれまで関わってこなかった事も、相撲が純粋な運動競技ではなく、祭事の側面があったからであろう。今回云われるところの八百長も、そういう事も含めての大相撲という暗黙の了解で関係者はやってきたのではないか。だとすれば、問題になっている星の貸し借り(金銭を含む)も当然行われていたであろう事は想像に難くない。

むしろそういう体質を黙認しながら、表向きはフェアプレイであるかの様に扱い、広報してきた管轄の文部省やNHKの方に 「 何を今更、正義ぶって」 と嘲笑の矛先を向けたくなる。まず相撲協会からは財団法人としての様々な社会的恩恵を剥奪して、興行団体として扱うなど行政も対応を変えたらどうであろうか。株式会社なり普通の興行団体なら、賭博罪など法律に触れない限り、興行として内部でどう星の配分をしようと犯罪にはならない。一方NHKも皆が働いている平日の昼ひなかに長々と相撲を中継するなどはこの際やめたら如何だろうか。私の周囲に「相撲の中継が楽しみだ」等と言う人は今やほとんどいない。先のラグビー・トップリーグのプレーオフ中継などは行わないのに、大相撲は全日放送を垂れ流すなどNHKのスポーツ放送基準はずいぶん疑問点が多い。

大相撲で枡席に座るとそこの担当のお茶屋がやってきて、飲み食いの物やお土産の説明を始める。枡席とお茶屋の関係などをみると、野球やサッカーなどの他のスポーツの観戦スタイルとの違いに驚く。相撲の観戦は雰囲気も、観客の勝負に対する執着も他のスポーツとはいささか違うのである。 それが大相撲の文化・土壌で、それはそれで大いに結構であって、文部省の管轄などに入らず、時々観客にわからぬ様に八百長も混ぜながら、国民に伝統的なエンターテイメントを提供してくれれば良い。それでこそ大相撲の存在意義もあろうというもので、NHKもフェアプレイなどと建前を述べず、そういう娯楽として扱ったらいかがであろうか。

そもそも今回の八百長報道のねたは、警察のリークなのだろうか。先の賭博事件の捜査関係者しかわからぬ情報が、なぜこれほど明確に出てくるのか。昨日、最高裁で八百長報道をした週刊誌が相撲協会に敗訴したが、それととあまりにタイミングが合っていて、誰が何の目的で秘密を漏らしたのか、そちらの方が興味深い。

2011年2月 1日 (火)

驢馬にひかれて

コントラクトブリッジに続き、人生方向転換の第2部はダンスである。クルーズ船の中のダンス教室でステップの初歩は学んだものの、そこは大勢で教わる場なので分からない部分はそのままだし、自己流で間違って覚えているかも、と危惧していたのは既にアップした通り。かねてから専門のプロにちゃんと学んでおきたいとは思っていたものの、どうも社交ダンスというものは、男性として妙に敷居が高い事も幾度か書いてきた通りの事実。

そんな折、今年になって夫婦とも仕事が暇になり時間ができたので、妻に尻を蹴飛ばされる恰好で近所のダンス教室に二人で通い始めた。教室の先生は何でも学生時代に選手権で優勝した事もあるとかの男性プロで、夫婦二人での個人レッスンである。これなら音感の悪い私でも他の受講者の進み具合に焦る事もなく、分からない箇所は何度でも聞けるから、まあそこまで妻が勧めるのならやってみようかと決断したのであった。

レッスンも今日で3回目、ブルースとジルバを習っているが、家で練習して行ってもスタジオに行くと、ぎこちなくステップが合わなくなるのは相変わらず。それでも相手も商売上手なプロ 「 何か、音楽やってらしゃいました?とても音感が良いですね 」 などと生まれて初めて聞く様なお世辞が満更でもない。客船で習った初歩が効いているのか、「予定より早く次の段階に行けますね」などとおだてられ、まるで歯医者に行く様な気分で始めたレッスンも、慣れてしまえばそれほどでもなくなってくるのは不思議なものだ。

それでもダンスのレッスンが終わりホッとして「やっと解放された」 などと感じるていると、「 最初は週に2回くらい詰めて覚えて方が上達が早いですよ」 という先生の言葉に素直に従って、妻は週2回やると言う。で、しかたなく私も週に2回付き合う事にしたのだが「今に見てろ、クルーズ船の社交ダンスで、華麗にステップが踏んでやる」と遠い夢を見つつ、再試験で不得意科目を履修しなきゃならない学生の様な心もちでダンスを習う日々である。

ここが歯医者ならぬダンススタジオ
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