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2011年1月28日 (金)

「裸はいつから恥ずかしくなったか」

高校の修学旅行で北海道の温泉ホテルに宿泊した事があった。その地の一流と言われるホテルだったが、入り口・脱衣所は男女別々であるものの中は男女混浴で、外人の女性が知らずに入ってきて、扉をあけるなり絶句して飛び出して行った事があった。このように北海道や東北地方の温泉ではついこの前まで混浴風呂があちこちにあったし、他の地方でも山の温泉などでは混浴が普通だったはずである。さかのぼれば江戸時代には混浴が習俗として定着していたとされるが、一体どういう理由で日本から混浴の風呂がなくなったのか、大いに興味を引かれるところである。

という事で、本屋の店頭で新潮選書の2010年5月刊「裸はいつから恥ずかしくなったか」を発見しさっそく購読してみた。筆者の中野明氏はノンフィクションライターで明治維新前後に日本を訪問した多くの外国人の報告書を手がかりに、なかなか興味深い議論を展開している。それによると江戸時代の人々は、裸体を顔や手足と同じ様に体の一部として認識して、体を露出する事に羞恥や穢れ、エロチシズムを感じないという約束で世の中が成り立っていたと云う。もっとも儒学の思想から幕府は混浴を公には禁じていたが、それは建て前でわが国のほとんどの銭湯で混浴が行われるていたし、夏の暑い日には男は簡単なふんどし、女な腰巻だけという恰好が町中で見られたそうだ。

一方、幕末から明治初期に日本にやってきた外国人は、米国や欧州など主にプロテスタント系の人々が多く、彼らは日本人の裸同然の恰好や混浴に大変驚き、軽蔑した事が当時の文献に広く紹介されている。そこで明治政府は西洋化の一環として、外国人に恥ずかしい混浴や裸体同然で町を歩く事を固く禁じ、銭湯から混浴が一掃されたのだとされる。それでも人々の認識はそう急激に変化するはずもなく、明治20年ごろまでは裸体に対するタブーも江戸時代並であったし、女性の下着が普及するのはさらに時代も大分下ってからである。

その過程では、隠す事で逆に性に対するタブーや羞恥心が芽生え、男女の区別が強調されるという逆説的な文明化が起こっていると著書は指摘している。大体この種の本には有名な学者などの説を引用して、いささか牽強付会の類の持論を展開する作者も多いが、中野氏は外国人の報告書を多く引用しつつ帰納的に論理を展開し、資料の吟味も抑制が利いていて納得する箇所が多い秀作である。

ところで最近ウェブで読んだアメリカの新聞では、「人前で赤ちゃんにおっぱいをのませるのをどう思うか?」という社会調査に、アメリカでは「周りの人が不快だから好ましくない」と答えた人が半数近くいた事に驚いた。お母さん本人が恥ずかしいのでなく、電車の中の化粧の様に、周囲が眉をひそめると云う反応をみると、アメリカ人の倫理観はどうも我々といささか違う点がある様で驚くのである。そういえば海岸でトップレスで歩く女性もアメリカよりヨーロッパの方がはるかに多いが、戦後原理的なアメリカの風潮だけに染まってきた「 隠す文化 」敷衍して云えば「 プライバシーを尊重する文化 」も、個と個が分断されつつある現代社会では、やや修正した方が良いのではないかとの思いを読後にもった。

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