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2011年1月

2011年1月31日 (月)

君原選手を抜いた

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第9回新宿シティーハーフマラソンに参加した。千駄ヶ谷の国立競技場を発着点に、新宿区内の主な道路を交通規制して行う大掛かりな大会で、回を負う度に参加者も増え、今では申し込み開始当日に定員になるほどの人気レースである。何と行ってもアスリート憧れの国立競技場から都心の町を駆け抜けるので、交通に便利、トイレや更衣の設備も整っているのが多くの参加者を集める秘訣であろう。今年もハーフマラソンだけで5500人ほど、10キロや子供たちのレースの参加者応援の人達も入れると1万人を越える人で賑わった。

私たち夫婦も東京マラソンの前哨戦として、昨日のハーフマラソンに出場した。気温3度と寒いものの天気は晴れ、心配した風もほとんどなく、朝9時号砲一発ハーフマラソンがスタート。なにしろ5000人を超えるランナーが一斉スタートするので、スタート時の渋滞はすさまじいのだが、いつもはずうずうしく横入りしてちゃっかり2~3列目に並ぶ私も、今回はおとなしく1時間半くらいを目標とするランナーの区画からスタートすることにした。

で、後ろから行ったものだから競技場の周辺の混雑にまきこまれながら、何とか渋滞地区を切り抜けて前を追うと、1キロ過ぎ前方にどこかで見た事のある走りの初老のランナーが見える。「あれ?」と思ってナンバー・カードをみると、このレースに招待されている往年の名選手「君原健二」とナンバーカードに印刷されているではないか。「いやあ、あの憧れの君原さん」だと思うと抜いてしまうのが何だか恐れ多いし、一緒にしばらく伴走する喜びをかみ締めようと覚悟を決め、君原選手のすぐ後ろにつく。多くの世界のトップランナーが彼のこの後ろ姿を見ながら走り、後塵を拝したと思うと、結果は良いからこの位置に留まってずっと行ってしまいたい、との考えが一瞬浮かんでくる。

ボストンマラソン優勝・東京五輪8位・メキシコ五輪2位・ミュンヘン五輪5位の偉大なランナーも今年で70歳、若々しい走姿のため後ろから付いていくと普通の壮年ランナーの様だが、苦しそうに首を振る往年のフォームはさすがに見せないものの、テレビで見慣れたあの君原選手の走りである。それにあわせて歩を重ねていくと、高橋進コーチの指導でオリンピック選手と大成した事や、マラソン選手としての苦悩やスランプが綴ってあった彼の著書のいくつかを思い出し、さらにはビールが大好きな事とか奥さんとの馴れ初めまで、昔聞いた様々な伝説が脳裏に蘇る。「いやあ、こうやって君原選手の後ろについて走れただけで、今日この大会に参加した甲斐があった」との思いが湧いてきて、しばし感激しながら新宿の街を駆け抜けた。

しばらく伴走させてもらった後、一言何か声をかけて抜いていこうかとも思ったが、あの若い頃と変わらぬ真剣な眼差しで前を見つめる君原さんの姿をみると、市民レースとは云え試合中に声をかけるのも悪い様に思える。なにより、かつて尊敬していたあまりにも偉大な年長のランナーに声をかけて抜き去るのに気がひけて、「君原さん、がんばって下さい、お先に」と心の中で呟きながらゴールを目指したのであった。

2011年1月28日 (金)

「裸はいつから恥ずかしくなったか」

高校の修学旅行で北海道の温泉ホテルに宿泊した事があった。その地の一流と言われるホテルだったが、入り口・脱衣所は男女別々であるものの中は男女混浴で、外人の女性が知らずに入ってきて、扉をあけるなり絶句して飛び出して行った事があった。このように北海道や東北地方の温泉ではついこの前まで混浴風呂があちこちにあったし、他の地方でも山の温泉などでは混浴が普通だったはずである。さかのぼれば江戸時代には混浴が習俗として定着していたとされるが、一体どういう理由で日本から混浴の風呂がなくなったのか、大いに興味を引かれるところである。

という事で、本屋の店頭で新潮選書の2010年5月刊「裸はいつから恥ずかしくなったか」を発見しさっそく購読してみた。筆者の中野明氏はノンフィクションライターで明治維新前後に日本を訪問した多くの外国人の報告書を手がかりに、なかなか興味深い議論を展開している。それによると江戸時代の人々は、裸体を顔や手足と同じ様に体の一部として認識して、体を露出する事に羞恥や穢れ、エロチシズムを感じないという約束で世の中が成り立っていたと云う。もっとも儒学の思想から幕府は混浴を公には禁じていたが、それは建て前でわが国のほとんどの銭湯で混浴が行われるていたし、夏の暑い日には男は簡単なふんどし、女な腰巻だけという恰好が町中で見られたそうだ。

一方、幕末から明治初期に日本にやってきた外国人は、米国や欧州など主にプロテスタント系の人々が多く、彼らは日本人の裸同然の恰好や混浴に大変驚き、軽蔑した事が当時の文献に広く紹介されている。そこで明治政府は西洋化の一環として、外国人に恥ずかしい混浴や裸体同然で町を歩く事を固く禁じ、銭湯から混浴が一掃されたのだとされる。それでも人々の認識はそう急激に変化するはずもなく、明治20年ごろまでは裸体に対するタブーも江戸時代並であったし、女性の下着が普及するのはさらに時代も大分下ってからである。

その過程では、隠す事で逆に性に対するタブーや羞恥心が芽生え、男女の区別が強調されるという逆説的な文明化が起こっていると著書は指摘している。大体この種の本には有名な学者などの説を引用して、いささか牽強付会の類の持論を展開する作者も多いが、中野氏は外国人の報告書を多く引用しつつ帰納的に論理を展開し、資料の吟味も抑制が利いていて納得する箇所が多い秀作である。

ところで最近ウェブで読んだアメリカの新聞では、「人前で赤ちゃんにおっぱいをのませるのをどう思うか?」という社会調査に、アメリカでは「周りの人が不快だから好ましくない」と答えた人が半数近くいた事に驚いた。お母さん本人が恥ずかしいのでなく、電車の中の化粧の様に、周囲が眉をひそめると云う反応をみると、アメリカ人の倫理観はどうも我々といささか違う点がある様で驚くのである。そういえば海岸でトップレスで歩く女性もアメリカよりヨーロッパの方がはるかに多いが、戦後原理的なアメリカの風潮だけに染まってきた「 隠す文化 」敷衍して云えば「 プライバシーを尊重する文化 」も、個と個が分断されつつある現代社会では、やや修正した方が良いのではないかとの思いを読後にもった。

2011年1月26日 (水)

おいしいチャーハンの作り方

昔、大学の試験で不勉強の為に何も答えられなかったら、答案用紙に「体育会○○部、△△大会優勝、XXXX」と書くか、「おいしいオムレツの作り方」を紙の裏までびっしり書けば良いといわれていた。教員によってはその運動部が好きだったり、長文書き賃のご苦労さん代としてぎりぎりの合格点を呉れる事がある、と誠しやかな噂が流れたものである。しかし友人の野球部員は「体育会野球部 XXXX」と書いたがまったく効果なく、あえなく単位を落としたとしょげていたし、オムレツの作り方を実際に書いて落第を免れた学生の話を聞いた事がないから、今で言う都市伝説のはしりであったのだろう。

閑話休題(それはさておき)、書くことがなく困った時の話題なら、やはり「おいしいチャーハンの作り方」であろう。2009年の5月5日にも概略アップしたが、久しぶりに今日我が家でこさえたチャーハン(2人前)は旨かったので、ちょっと紹介したい。

準備:まず大きめの中華なべにうすく油をひき予め熱く熱する。具はねぎ、チャーシュウと安いかまぼこのみで、やや大きめにみじん切りしておく。市販の中華スープの素、適量(多分大匙一杯くらい)を40CC位の水にとかし(①)、オイスターソース小さじ一杯とごま油少量を予めミックスして小皿に入れておく(②)。

調理:油をやや足し熱した鍋に溶いた卵2ケを入れ、すばやくかき混ぜ20秒以内に煎り卵状にする。レンジの火を全開にしてすばやくごはん250グラムを投入、卵とミックスするようにお玉で混ぜごはんをほぐす。刻んでおいた具を投入し、具が散らない様に気を配りながらも中華鍋を男らしく大胆に振る。最初からここまでは約1分で行える様に予め投入順に食材を並べ、シュミレーションをしておいて一刻の遅延も起きない様にしておく事が肝心。

ご飯と具材が混ざり始めた時点で、①の中華スープを溶かしておいた溶液を入れ、またご飯をほぐしつつ中華なべを数回振る。1分40秒位で②のオイスターソースとごま油を混ぜた調味料で風味を引き出す。2分で塩・胡椒を適宜入れまた鍋を一振りして味を調え終了。塩はからすぎると後戻りできないから、少なめにしておいて、お皿に盛る前に味を見てもう一度調整しても良い。ここまで調理開始から2分10秒から15秒、最強強火で炒める事がポイントである。

レシピーを見ないで作る私の男の料理に、時々「何これ?」と顔をしかめる妻も、いつもチャーハンだけは絶賛。「これはプロの味に近いよ」と言いつつ、食べる間もなく具材が飛び散ったレンジ周りを清掃し始めるのは毎度興ざめであるが、オイスターソースのちょっとした甘味とかまぼこのチープな風味が、あつあつのチャーハンを引きたてるのである。という話題のない日の即興ブログであった。お粗末!


Bulkcarrier 2011-01-27 22:33:59

まろんの父さん

奥様とレンジの掃除について諍いのなき範囲で是非お試し下さい。なおチャーハンをつくるにあたり、ご飯について妻は冷や飯が良いと言い、私は炊きたての方が良いと言っておりますが、幾分水分の蒸発したぬるくなったご飯あたりが丁度良いかもしれません。

きじ撃ちの件、私は必死の思いでしたが、妻が面白おかしく書いてくれました。実は子供の頃の事ですが、当時若いバスガイドが磐梯高原を案内中、トイレを我慢できずに藪でしゃがんだところマムシにかまれたが、野○○が恥ずかしくてすぐには言いだせず、結局亡くなったと言う実話を聞いた事がありました。その話を丁度思い出し、ハブが多い奄美のヤブに入れず、道端でうん十年ぶりにしたのでした。思い出深い奄美大島の森でした。


まろんの父 2011-01-27 17:23:09

Bulkcarrier様 是非近日中に、ご開示のレシピと調理方法(材料飛び散りを含め)で、作ってみようと思います。奥様のクルーズ乗船記も、テンポの良い文章と、ユーモアと時に専門的な視点、初めて知る土地の様子など、羨ましくもあり、大いに楽しみにさせていただいております。南方でのきじ撃ちは、当地ではさしずめクマ撃ちでしょうか、、怖いので試したことはありませんが。。

2011年1月25日 (火)

わかば の たいやき

という訳で文化部的活動に目覚めつつある私は、コントラクトブリッジの”いろは”を習おうと、先日妻と二人で四谷駅に程近い「日本コントラクトブリッジ連盟」の本部ビルでブリッジ体験講習を受けたのである。しかしこの講習、何しろ3時間と言う長丁場、初めての事にからきし弱い私には相当な知的緊張で、終わった時にはぐったりという感じがする。「面白かったけど疲れたね~」などと会話をしながらビルの玄関を出ると、妻はこの先にたい焼きの有名な店があるからちょっと行って見ないかと言う。

普段はたい焼きなど見ただけで何となく胸焼けしそうな私だが、さすがに久しくした事のない3時間余の頭脳労働に、脳内細胞が糖分を欲しているのだろうか、素直に「サウンズ・ナイス」などと軽く相槌を打ってしまうのは我ながらびっくりである。で、四谷駅から歩く事しばし、新宿通りを少し入った横丁の「わかばのたいやき」に立ち寄った。「わかば」はいかにも老舗の甘味屋さんという感じのこじんまりした店構え。土曜の午後というのに鯛焼きを待つ人が数人というのは、行列大嫌い人間の私にはとても好ましく感じる。

一尾140円也のたいやきは、薄皮にしっぽの先まで餡子が入っているのが特徴だそうで、何でも麻布の浪花家、人形町の柳家とならび東京のたいやき御三家の一つだとか。昭和28年営業開始の伝統の味を紙袋に入れてもらい、四谷駅にそぞろ歩く道々あたまから味わえば、餡子の糖分でほっと人心地がつく気がする。土曜日の薄暮の景色をのんびり眺め、たいやきの甘さを感じつつ通りを歩くと、子供の頃小遣いをためては通った近所の駄菓子屋の事を思い出したのであった。

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2011年1月23日 (日)

とび蹴り

碁・将棋など室内ゲームはまったく苦手でできない。マージャンも高校生で覚えたものの、大学に入って皆がやる様になると、男4人でタバコの煙が充満した狭い場所に集まる雰囲気に馴染めず早々にやめてしまい、以来現在に至るまでやっていない。会社員の時は、マージャンくらいやっておけば良かったなあ、と思う事もあったが、マージャン人口が減った今、下手に「やります」などと宣言すると常にひっぱりだされそうで、まあこのままで良いかと思っていた。一方、早期定年退職して人より早く自由時間が増えた身となっては、これからの時間を有意義に過ごすには、今までの屋外系・運動系の趣味から違う世界に、少しずつ視点を移していきたいと考えていた。

で、ダンスとコントラクト・ブリッジである。ダンスはクルーズ船のダンス教室に幾度か参加した事があるものの、船内ダンス教室は大勢の参加者の中の一人で、わからない処はそのまま過ぎてしまうし、大体音感が悪くて踊りが苦手な私は、揺れる船内のダンス講習などではなかなか覚えられない。かといって日本船の夜のダンスパーティはあまりにも「それっぽい」社交ダンスムード。逆に外国船は「何でもあり」と云う事で、適度に正統かつ適度に楽しいと云うダンス会場がなかなかない。という事で、やはり陸上でプロに初歩は習おうという事になって、妻と社交ダンスの個人レッスンに通い始めた。はてさてどこまで続くのか、下手すりゃ行進で手と足が一緒に出てしまうほどリズム感のない私である、週1回~2回頭が真っ白になりながら、ぎこちなくイントラクターにフロアーを引き摺りまわされる有様が目に浮かぶのである。中学の時、フォークダンスと云うと、気恥ずかしくてトイレに隠れていたツケが、今になって廻ってきたかと苦笑するのである。

コントラクト・ブリッジは昨日、日本コントラクトブリッジ協会の「体験教室」に行って、初めてブリッジの何たるかに触れた。3時間に亘る本格的教室で、初めて方対象と言うが、クルーズ船の初心者ダンス教室などは結構中級者などが出てきてしまい、先生が安心してどんどん先に進めてしまうので、ブリッジ教室もそんなものかと、おっかなびっくりの参加であった。案に相違してブリッジの歴史や初歩の遊び方からゆっくり解説してくれ、教室参加者もほとんどが本当の初心者、皆でゲームをしながらブリッジの基本を感じたのであった。教室参加者は年配の婦人が多かったが、皆かなり上品な雰囲気なのに驚き、こんな仲間たちの集いなら私も将来ちょっとゲームができたら良いな、と興味をもった。インストラクターの話によれば、コントラクト・ブリッジをやっているシニアーは痴呆になる人がとても少ないという事で、すでにボケはじめているわたしには丁度良いかもしれない。

いずれにしても、人生後半はこれまでと違うテイストで、日々生活を活性化させたいと思っているのだが、元来の内弁慶・引っ込み思案である。毎回うじうじと「やってみたいが、どうしようかな~」と逡巡していると、妻の「興味あるなら、まずやってみなさいよ」という強引な”とび蹴り”と”おくり出し”でリングにひっぱりだされるのである。家を出るときは「コンチクショー!」と思うものの、一つ新しい事を覚えて帰ってくると、それはそれで嬉しいもので、”とび蹴り”が効いたなあと感謝するのである。

2011年1月20日 (木)

カップヌードルごはん

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日清食品の”CUP NOODLEごはん”と云うインスタントご飯を、関西に帰省していた義弟から貰った。関西でしか販売していないのは、もともと大阪で創業した日清食品が、まず地元での反応を見るため近畿地区で先行販売をしているとの事だが、あちらでは品切れになるほどの大人気だと云う。義弟は正月にクルマで帰った際、大量に買いこんで来たそうで「これ、うまいから是非食べてみて下さい」という事でおすそ分けにあずかった。

で、さっそく表示の量の水を入れ、電子レンジでチンする事5分半+蒸らし1分。カップヌードルよりやや時間がかかるのが難だが、こういうチープな味を堪能するには、待つことも食事のうちと心得て、時計の針とにらめっこ。ようやく規定の時間が来て、勇躍箱の上を開けると、プーンと良い匂いが漂う。炊き上がったご飯を指示通りかき混ぜて、一口食せばカップヌードルのスープにも似て程よく味がついたややスパイシーなご飯がとても旨く、カップヌードルのライス版という期待通りのチープな味がたまりません。しかしながら、初代の日清チキンラーメンなどの単純かつ工業製品的な味でなく、馥郁とした香りと食感もなかなかのもので、これなら私もはまりそうである。

関西での小売価格はケース6個入りで1500円だそうで1つが250円。カップヌードルよりやや高いものの、この味と手軽さなら関東で発売してもバカ売れするのではないだろうか。インスタントラーメンやカップヌードルは日本人が生み出した食べ物、世界中で食べられる新しいジャンルの食品を創りだし、つぎつぎと消費者を引きつけるそれの改良製品を発売する日本の食品産業おそるべし、というところである。

2011年1月19日 (水)

東京一区有権者の憤り

東京一区で自民党から出馬して敗れ、比例区で当選した与謝野馨衆議院議員が、民主党の内閣に参加したのには呆れてしまった。といっても先の衆議院選挙では、与謝野氏は健康問題に加え地元での評判があまりにも悪いので、東京一区の有権者である私は、民主党の海江田候補に投票をしてしまったから、与謝野氏に裏切られたという訳ではない。しかしあの時は大いに迷って自民党にお灸をすえる意味で、選挙区では民主党に投票したわけだから、あわや間違えば与謝野氏に投票していたかもしれない。

選挙が終わって、与謝野氏を破って選挙区で当選した海江田議員だが、さっそく小沢幹事長(当時)率いる中国への大遠足に同行して笑顔を振りまき、媚中外交を展開しているのがテレビで大写しになってからは、なんてヤツに投票をしてしまったのかと大いに悔しい思いをしたものだ。一方の与謝野議員は自民党を離党して「たちあがれ日本」のリーダーの一人となったところまでは理解できるものの、今度の民主党内閣入りにはのけぞる他ない。「たちあがれ日本」は保守の再生を目指しているのかと思ったら、そんな主義主張は彼にはどうでも良いようだ。やはり地元・新宿では評判がさっぱり、というのもこういう人物なら当然か、と理由がわかった。

要はこんな機会主義者の二人の議員を、東京一区から輩出してしまったわけで、きたるべき次回総選挙には一体誰に投票したら良いのか、と有権者としては大いに憤るのである。こうなればこの二人が懸案の消費税を上げ、TPPに参加し、日米安保の深化を強力に推進する原動力になる様に、獅子奮迅の仕事をして貰う事を期待するしかないが、現在の政権のていたらくでは結局何も決められず、日本の再生が遠のくばかりかと大いに危惧するのである。そんな危惧は無用だったと思わせる様な、狂った様な働きを二人がしてくれれば、その時は民主党も少しは見直しても良いかと地元民としてちらっと思ったりもするのである。

2011年1月18日 (火)

確定申告の準備

住民税の4回目の支払い期限が1月31日なので、今日今年度最後の住民税を払ってきた。これが済むと今年度の納税が一応終了、諸税の納付は次年度4月以降の分からとなり、何故だが今年度の分を支払い終えた感じでちょっとホッとする。何しろ4月の固定資産税に始まり、自動車税・所得税の予定納税・住民税・個人事業税に加え、国民健康保険の納付などなど、国民の義務とは云えよくもこれだけ納めるものが次から次へと来るものだとうんざりする。

サラリーマン時代は組織人としてのストレスはあったが、税金や保険、年金業務などを会社が代行してやってくれたので、思えばこれらの業務がなく何と楽だったのかと、しみじみその時代を懐かしく思い出す。自営業になると働く時間や働きかたも自己責任、組織の圧力や「報告・連絡・相談」、それにやたら長い無駄なミーティングがなくなって自由で良いものの、納税などの申告は自己責任で、考えてみればこの世の中の負担の配分は、どこか一方だけが楽という事はないのだと感じる。

毎年この時期になると、住民税の完納でホッとするのもつかの間、2月15日から始まる確定申告の為の資料作成で、昨年度の経費の伝票をチェックしたり、保険会社や年金の支払い証明書を探したり、医療費がどの位かかったのか病院の領収書を引っ張り出してきたりで忙しくなる。長い間サラリーマン生活をしていたから、こういう事務は大の苦手で、金融機関に勤めている妻には 「そんなに難しい事でもないのに、何をいらいらしているの? 私がやってあげようか」と笑われるのである。いっそ彼女に助けを求めようかと思うが、税理士に提出する書類や伝票くらい自分でやらねば一人前ではない、などと見栄を張って冬の夜は一人寂しく伝票整理に暮れるのである。

2011年1月17日 (月)

日本ハム・齋藤フィーバー

ハンカチ王子・齋藤が入った日本ハムの鎌ヶ谷グランド周辺は、連日の様に彼目当てのファンで大混雑だと云う。プロに入った途端にそんなに注目されるのなら、神宮球場の東京六大学リーグ戦に、もっと人が押しかけても良かったのにと思うが、優勝のかかった早慶戦などごく一部の試合を除いて、齋藤が登板しても観衆がそれほど増えた訳ではなかった。ファンの熱気などというのは所詮そんな程度で、彼がプロで今後いかに実績を挙げるか如何で、一年後にこのフィーバーもどうなっているのか、そちらの方がちょっと楽しみではある、などと云うのはひねくれ者の感慨である。

齋藤は早実時代は夏の甲子園で優勝、大学4年秋には早稲田の主将としてリーグ戦と明治神宮大会で優勝と、たしかに「何か持っている」のだろうが、それだけで通用するほどプロは甘くないだろう。東京六大学野球では30勝以上した投手が大投手として称えられる中、彼は31勝しているが直近のリーグ戦30勝投手である平成20年卒の加藤(慶応)が、ヤクルトで今年やっと1勝したのを見ると、プロというのは厳しい世界である事がわかる。そういえば加藤と同期で、鳴り物入りでダイエーに入った東洋大学の大場も陰をひそめたままのようだ。

私は東京六大学リーグ戦は、来る年も来る年も春・秋と50年近く観戦してきたが、野球に関してはずぶの素人である。であるので独断に過ぎないが、齋藤はとても良い投手の一人ではあるものの、近年まれに見る大投手である、とまでは言い切れない気がする。すばらしい速球があるわけでなく、大学では決め球である右打者の外角低めに決まる変化球が、百戦練磨のプロの猛者にいつまで通用するのだろうかと危惧する。一方かつて石田(取出二)、大越(仙台育英)と甲子園で優勝・準優勝した投手が、その厳しいスタイルに合わず退部した早稲田の野球部で、100代目の主将を務めて優勝する当たり、精神的には相当タフでふところ深いものを持っているのだろう事も想像がつく。そんな彼がプロでどう身を処していくのかは、人間ドラマとして見るとちょっと魅力的である。

そんなこんなで、齋藤も日本ハムではスターとして大事に使われ、最初は良い場面で登板もできるであろうから、そこそこの勝ち星は挙げる事ができるだろう。ただそれ以上の活躍が出来る大投手になれるか、というと今のままでは?というのが勝手な見立てである。そこで私の予想は、ずばりプロ初年度は齋藤は7勝4敗くらいかと思っているのだが、岡目八目になるかならぬか彼のプロ登板に注目してみたい。

2011年1月16日 (日)

改装 にっぽん丸

大規模に改装した”にっぽん丸”に、改装後初めて乗船して「新春の瀬戸内海・宮崎クルーズ」に参加した。”にっぽん丸”としては今までなかったベランダ付きの部屋が出来、プレミアムダイニングである「春日」や展望ホールの様なホライズンラウンジが新設され、リドデッキのプール廻りの改装など精一杯の改造が施された様だ。いくら「食のにっぽん丸」と気張ってみても、それなりの料金を支払う小型高級船の分野で、これまでのハードでは世界の新鋭船に比べてお粗末だった事は歴然で、やっとこれで僅かながらも一矢を報いる事ができようか、という感じである。

その”食”の方は、ミシュラン3つ星の京都「菊乃井」の和食懐石料理が出されるのが今航海の目玉だったが、同店の板前が途中で7~8人も乗り込んできたのを見て、その気合の入れ方と本格的なサービスの提供ぶりには、さすがと感心した。また下船日の4日目は”にっぽん丸”は瀬戸内を航行して、新春の陽光を楽しみながら14時神戸港に着くというスケジュールで、改めて瀬戸内海の観光資源としての価値に目を見開かされた。特に新設されたホライズンラウンジから、移り行く島々や行き交う船舶を眺めていると、同じ瀬戸内海でもフェリーや連絡船から見る景色と、クルーズ船でゆったりと過ごすのでは風景が違う事に気づいたのである。

さてこうして見ると、瀬戸内を始めとする日本の島々は、世界的に見てもクルーズの好適地としての要件を備えているのではないだろうかとあらためて認識する。しかし日本のクルーズ産業は、まだ”おっかなびっくり”、親会社の業績に大きく影響を与えない程度に営業しているだけで、なぜもっとこの観光資源や食の旨さを活用して、大々的にクルーズ船に投資をしないのであろうかと私は考える。”飛鳥Ⅱ””にっぽん丸””ぱしふぃっくびいなす”と日本には3船のクルーズ船があるが、飛鳥が設備的にやや優れていても、世界の新鋭船から比べればハード面でのお粗末を、ソフトや食事でカバーしているのは3船とも大同小異である。

折りしも帰宅すると、クレジットカード会社の月刊誌が送られてきて、一作年乗船した”サファイア・プリンセス”のメキシカン・リビエラクルーズが特集で大きく取り上げられていた。最近の新聞広告などを見ても、日本でもクルーズに関する関心は、かつてスタークルーズ”や”おせあにっくぐれいす”が撤退した時代とは変わってきている事を感じる。団塊の世代を中心にリタイアする人が増える一方、日本のどこでも中国人や韓国人の観光客だけでなく、オーストラリア人の観光客が目につく時代である。改装したとは云え、にっぽん丸に乗船すると、どうみてもキャパシティーや構造的に限界であるこの船をだましだまし使って、あと何年この設備で営業できるであろうかと疑問に思う。

三陸海岸や九州の西海国立公園、瀬戸内でも尾道水道などを周遊できる、小型ラグジュアリーのブティック船を志向するも良し、豪州人もターゲットとして誘致しウエスターンスタイルの大型船を新造しても良し、そろそろ”おっかなびっくり”から脱して、打って出る本格的会社が出てこないものだろうか。たたみの部屋の旅館に西欧の観光客が宿泊する時代である。世界でも有数の、長く美しい海岸線を有する我が観光資源を使って、チャレンジするクルーズ会社の出現に期待したい。

(新しく出来たにっぽん丸のホライズンラウンジ)
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バルクキャリアー 2011-01-18 00:38:10

クルーズ大好きさん

こんにちは。クルーズ大好きさんも新年から”ぱしびい””飛鳥Ⅱ”に乗船されている由、お元気にご活躍の事と存じます。

改装後の”にっぽん丸”は良くなりましたよ。特にリドプール廻りの改装と新設のホライズンラウンジはとっても良い感じでした。このクルーズの4日目(最終日)は14時下船で余裕あるスケジュール、朝おきたら燧灘付近でした。それから備讃瀬戸、瀬戸大橋、小豆島、淡路海峡大橋とずっとホライズンラウンジに入り浸りで、瀬戸内海の景色を楽しみました。(途中、マンボのダンス教室だけドルフィンホールへ行ってましたが・・・・)

その時に思ったのが、やはりゆったりした設備から眺める景色は、フェリーから見るのとはまた違う、クルーズはソフトだけでなくハード(船体、内装、設備)が大きな楽しみの要素だと云う事でした。飛鳥やにっぽん丸の親会社は、昔と違って大きな利益を出しているし、造船船価も一時より大幅に下落している今、是非次の手を実行してもらいたいと思っています。

今年もどこかでご一緒しましょう。

クルーズ大好き 2011-01-17 23:32:45

こんにちは!

改装にっぽん丸結構良かったでしょうか?
日本船3隻ともそれぞれに特徴がありますね。
私にはやっぱり飛鳥Ⅱが合っています♪

ところでにっぽん丸と飛鳥Ⅱに新造船の話が出ています。
どちらも3万トン以下で28,000トン位の船を考えているようです。
この不景気!まだまだ先の話(4・5年先?)でしょうが・・・
これだけ毎年日本に楽しくって格安の外国船が来たらその時期は日本船には乗らないですよね~

過去にスタークルーズ(トーラスとエーリス)が日本発着でありましたがRCIやコスタと違って全然楽しくないし客が集まらないのも当たり前と思っていました。
一度乗船して「タダでもお断り!」と友人が話していました。私も同感でした。

ズバズバと人の掲示板に書き込んでスミマセン(-_-;)

今年も宜しくお願いします。

2011年1月12日 (水)

夢想

1月9日のブログで「がんばれ広島電鉄」とアップした処、札幌の方から路面電車について「世の中の趨勢から見直しがされていて、以前あった路線を復活させる等の検討もされ、・・・・・広島や富山、或いは海外のLRTのように、うまく他の交通手段と共存できる方法(むしろ投資、でしょうか)ができると良いのになあと感じます。」とコメントを頂いた。それを読んでいる内に、公共輸送機関の再整備、以前から交通ファン的な視点で考えていた幾つかのアイデアがふつふつと湧いてきた。

まず都電荒川線の南の端が早稲田で途切れている点だが、これを(新)目白通り沿いに飯田橋まで、道路脇を専用軌道で再延長できぬかと云う夢想である。この区間は道幅も広い上、神田川の河川の一部も軌道に利用できそうだと、いつもここを通る度に考えている。僅か3キロ~4キロの区間だが、目白通りに近い既存の地下鉄・東西線や丸の内線とはけっこう距離があり、お年寄りが多い事、かつ多数の事業所もある事などライトレイルへの需要は多いのではないだろうか。早稲田から戸塚町・鶴巻町・江戸川橋・水道町・西五軒町・大曲と電停を設け、いまや地下鉄4線にJR線が集まる大ステーション・飯田橋に可能な限り接近したターミナルがつくれぬものか、などと再開発した姿を勝手に考える。ここに低床式で最新の連接車などを走らせ荒川線と直通させたら、環境の面でもバリアフリーの点でもダンディーだなと思うのである。

次に新装なって国際化した羽田空港アクセスだが、せっかく東京モノレールがJRの傘下になったのだから、何も浜松町で終点にせずJRの線路上を東京まで、少なくとも新橋まで延長できないものか。浜松町のモノレールとJRの不便な乗り換え口を荷物を抱えて通る度に、モノレールが新橋まで行けば銀座線や大江戸線、ゆりかもめなどへの乗り換えが楽になるのにと感じる。浜松町と新橋の間はJRの線路が何往復も平行して走っているのだから、モノレールの橋脚を立てる位の余地は充分あるのではないだろうか。

その他、羽田空港のアクセスでは、鉄道では極めて利便が悪い川崎市や府中など東京西部は、今やバス便に圧倒されているが、JR南武線の支線を改良して立川方面からの列車を直通させられないか。この問題は何の事はない、南武線から既存の東海道貨物線を通って、すでに羽田空港の下まで貨物の線路は延びているのである。空港敷地内で地上に出て、ターミナルに向かって旅客線を延伸すれば、大した建設コストもかからないのではないだろうか。

先般、お台場の東京テレポート駅から渋谷駅に行こうと思い、埼京線直通のりんかい線に乗車したら、わずか20分で渋谷に着いてびっくりしたものである。トンネルを掘ったりする建設技術は最近長足の進歩を遂げている様で、思わぬ新しい線路ができて、海の向こうだと思っていた地区と既存の繁華街の距離感が一挙に縮まるのである。素人の勝手な夢も、何年かしたら実現していたなんて事が起こるかもしれない。


Bulk carrier 2011-01-14 23:17:39

まろんの父さん

身にあまるコメントをありがとうございます。公共輸送機関は確かに地方財政や都市の規模に影響される事が多い事と思います。東京にいるとなかなか実感できない視点を教えて頂き、なるほどそうだなあと感じます。

私の知っているアメリカの西海岸では、ロスやサンフランシスコ、シアトルなどより早くオレゴン州ポートランドがストリート・カーを復活させ、各都市が後を追ってライトレイル(ストリート・カー)を研究・導入しました。アメリカと日本では自治体のあり方が大きく違いますが、札幌などの都市は自動車社会という点ではアメリカ的な感じではないでしょうか。もみじマークをつけた自家用車の増加を見るにつけ、人口の高齢化に伴い、もう一度、公共輸送機関の存在とその経済性(採算性)が見直されても良いのではないかと考えています。


まろんの父 2011-01-13 23:25:02

Bulkcarrier様  小生のコメントを踏まえたお考えをご開示くださり、ありがとうございます。Bulkcarrier様のブログの内容には、いつもわが意を得たりの感を抱かせていただいており、本来は自分でブログ等で考えを表すべきとも思いつつ、気ままにコメントさせていただいております。今回のお考えを読ませていただくと、21世紀型の公共交通機関の在り方の一つが見えるような気がいたします。先日のコメントに投資と書かせていただきましたが、やはり首都圏は利用者の多さに加えて、当然自治体としての税収のケタが違うため、北海道や札幌市におけるインフラの整備に対する予算とは比較しようもないことを改めて考えさせられます。学校を出てから10年余、東京と海外で生活した後、地元に戻りますと、一層その感は強いのですが、慣れてしまうと、今のままではいけないと思う感性そのものが鈍っているようにも思います。まして、地元を離れない若者が増えてもいる状況では、どうやって社会を良い方向に向かわせるかを学ぶきっかけもつかみづらいのが、地方都市の悩みかも知れません。今後とも、いろいろなお考えなどを拝読させていただきたく、よろしくお願いいたします。

2011年1月10日 (月)

にっぽん丸・新春瀬戸内海・宮崎クルーズ

にっぽん丸の「新春の瀬戸内海・宮崎クルーズ」で今日は宮崎港に寄港した。宮崎は昨年の正月に義妹夫婦の東京マラソン強化合宿を行うために、港から目と鼻の先にあるシーガイアに四日ほど宿を取り、練習したり観光したり名物の地鶏をたらふく食べたりした場所である。その宮崎に一年ぶりに今度はフネでやって来られるとは思ってもみなかったが、それもクルーズのおかげだなあ、と感じる。ただし今年は、東京マラソンの抽選に当たったのが義妹夫婦でなく我々夫婦の番になって、一年前の状況とちょっと違うのである。

で、今回は特段観光の予定を入れず、足の赴くままシーガイア方面でゆっくり夫婦でジョギングをする事にした。港からシーガイアまでは、ジョギングで10分もかからない。昨年はこの広大なリゾート地域を縦横に走り回ったから、地理は勝手知ったるものだ。防風・防砂の林からなるシーガイアの森を通じる道路は風もなく、降りそそぐ太陽にジョギングも気持ち良い。松林の間の小道に入れば、木漏れ陽に鳥の鳴き声の下、走る足も自然と軽くなり、結局2時間ほどゆっくり走って気持ちよい汗を流したのだった。途中、江田神社と云うイザナギとイザナミの尊が祭ってある由緒正しい神社にお参りに寄ったが、地元の人しか行かない様な隠れた名所を発見できるのもジョギングの余禄と言える。

そういえば昨夏乗船したウエステルダム号のイギリス一周のクルーズ(「スコットランドのセレナーデ」クルーズ)でも二人で各寄港地をゆっくり走って回ったが、観光もあまりせずに船が港に着くとウエアに身を包み、近所を走り出すと云うクルーズ客も珍しいかもしれない。「クルーズ船て乗ったら何をするの?」という質問を良く聞くが、何をするのも自由、しないのも自由。美味しい三食の食事に様々なイベントがついた動くホテルが、目的地まで連れて行ってくれる旅が”クルーズ”で、寄港地に着いたら走リ出すと云う我々の様なちょっと変わったクルーズ客がいても良いであろう。
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2011年1月 9日 (日)

がんばれ広島電鉄

3連休を利用し、久しぶりに「にっぽん丸」の神戸~広島~宮崎~神戸クルーズに乗船して、今日は広島市に寄港した。妻は広島市訪問が初めてで、宮島の厳島神社詣では外せないと張り切っている。私は宮島に程近い廿日市の大きな材木屋さんを何度か仕事で訪問した事があるので、厳島神社も訪れた事があるが、妻と行くのもまた一興、特に今日は妻の誕生日でもあるので、逆らう訳にはいかない。

という事で、にっぽん丸が接岸した広島港・宇品のバースから徒歩7~8分のところの広島電鉄の停留所から、市内電車に乗って広島湾をぐるっと反時計周りに宮島口まで乗車し厳島神社に行くことにした。かつて出張で地方都市を訪ねる際は、代理店の車でホテルから顧客の事務所に直行する事がほとんどだったが、最近妻とめぐる観光旅行では地元の交通機関、特にローカル私鉄に乗る事で旅の楽しみも以前と変わり、それはそれで興味が尽きない。

この広島電鉄は、広島市内では完全な路面電車として運行されて、市内中心部を8系統の路線が結び、各500~700米毎に電停があって、日曜の午前中なのに各線とも結構乗客が乗っているのは頼もしい。運行電車の一部は市内軌道の終点・西広島から宮島口までの専用軌道区間に直行し、広島市西部の郊外鉄道の役割も負っている。専用軌道区間は地方鉄道法による鉄道線の免許と云う事だが、駅は町からひょいとホームに来れる路面電車スタイル、運賃も終点の宮島を除き車内精算である。もっともこの区間は自動閉塞でATSの地上子が設置されているし、今日乗った3800形はアルナ工機製でVVVF制御のモーター音が高らかに床下から響いていたから、そうとう本格的な鉄道のスタイルでもある。国産の新型の低床連接車のほかドイツから輸入した新型車両も活躍していて、「お、広電やるじゃない」と思わず声をかけたくなる進取の精神に富んだ電車である。

宮島線は西広島から宮島口までの16キロの間に中間駅が19箇所もあるので、さすがに俊足という訳ではないが、市内を走る路面電車が郊外に直行するというのは、欧米でも最近再び見直されてきた交通手段である。広島市内の中心部では、次に来る電車がどこ行きで何分後に到着するかという電車接近表示もあって、利用者の利便も図っているし、なにしろ市内全域150円、宮島口まで乗りとおしても270円の料金という安さだから、市民の足として定着しているのだろう。昭和30年代には廃止計画もあったというが、渋滞解消という面でもエコという点でも、宮島と云う観光資源を持ち、広島という政令指定都市ならではの利用者も多いのだろうから、こういう伝統の地方私鉄に頑張ってもらいたいものだと感じた。

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Bulkcarrier 2011-01-12 22:12:04

まろんの父さん

コメントありがとうございます。私もかつて札幌市電に乗った事があります。最近札幌を訪問する際はもっぱら地下鉄やバス・タクシーを利用しているので、あまり大きな事は言えませんが、路面電車を見ると何かホっとした気持ちになるものですね。特に広島の様に最新型の電車が走っていると、その乗り心地やシステムを是非体験したくなります。自動車の運転手にすれば、右折の際などに軌道を横切る箇所があって厄介な存在でもあるし、定時運行への関係者の努力も大変なものがあろうと想像されます。積雪地なら一層大変な事があるのですね。

都電荒川線に何度か乗車しましたが、道路上の乗降客の保護や、自動車と軌道の分離もかなり行き届いている様で、全国の路面電車の事業体が良い所を研究しあって、やさしい乗り物を残していって欲しいものです。いやそれどころか私は、荒川線が終点の早稲田から神田川沿いに路線を伸ばして飯田橋くらいまで再び延長したら、結構乗客が多いのではないかと勝手に想像しています。


まろんの父 2011-01-12 16:16:53

Bulkcarrier様お久しぶりです。昨年末神戸でいつものようにドイツ人技師と仕事をしたおり、広島の平和公園と宮島を見てくるというので、行き方などを案内したところでしたので、何やら偶然(と勝手に思わせていただきました)の記事を拝読し、書き込みをさせていただきました。ご存じの通り当地札幌にも路面電車があって、市の交通局が路線沿線のバス経路を少なくしていることから、住民の足としては、重宝がられております。しかし、冬場になりますと、除雪された雪が路肩に積まれ、2車線が1.3車線くらいになってしまい、また線路に雪が乗るとスリップしやすく、車を運転する側からは別の声も聞かれています。ただ、世の中の趨勢から見直しがされていて、以前あった路線を復活させる等の検討もされているようです。広島や富山、或いは海外のLRTのように、うまく他の交通手段と共存できる方法(むしろ投資、でしょうか)ができると良いのになあと感じます。ここ数日日中も雪が降っており、「ささら電車」も日中から間合いを縫って出動しているようです。

2011年1月 7日 (金)

石ばしのうなぎ

井の頭公園を水源とする神田川は、高田馬場付近で妙正寺川と合流した後、首都高5号線が高架で川面を覆うあたりでは、かつて江戸川と云う名前で呼ばれていた。護国寺の参道が神田川とぶつかる交差点が江戸川橋と言われ、地下鉄有楽町線の駅名にもなっている由縁である。かつて江戸川岸には桜の並木が美しく、神楽坂芸者が花見にそぞろ歩いたそうであるが、江戸時代にはこの江戸川で天然のうなぎが捕れたと云う。

そんな時代の名残りを残す江戸川橋のうなぎの老舗が、文京区水道の「はし本」と「石ばし」で、過日この江戸川橋うなぎを食べに「石ばし」の暖簾をくぐってみた。「石ばし」の店構えは、しもた屋風のいかにも名店という感じで、ひっそりと川から少し入った路地に佇んでいる。引き戸を開けて脇の椅子席に座ると、そこはわずか3卓ほどのこじんまりとした土間で、客の顔をみてからさばき始めると云う「うな重」は、注文してから料理が出て来るまで小一時間ほどかかる。

昼ではあるがビールや日本酒を頼んで、連れと談笑しつつ待つ事しばし、待望の”うな重特上”3800円也が運ばれて来た。この店のうなぎは静岡県吉田町産で、”特上”以外の”上”も”並”も、すべて目方の違いだけで産地は変わらないとお品書きに説明がある。そうはいうものの、奮発して頼んだ”特上”であるから、お重の蓋を開けて、まず蒲焼のぷーんという香りを楽しみ、静岡産のうなぎに敬意を表して山椒を振る前に一口食べてみると、ふんわりした香ばしいうなぎの味と食感が口一杯に広がる。”特上”であるから蒲焼にかじりついても、うなぎの残りがまだ沢山お重に残っていて、お米ばかり焦って口にほおばる必要がないのは幸せな気分である。

「石ばし」のうな重は、うなぎもご飯も他のうなぎの名店に比べ、ふっくらと調理してある様に感じ、やさしいが贅沢な食感に満足して江戸川を渡って帰って来たのだった。 先年、南千住の 「 尾花 」で一生分のうなぎを食べて、「 しばらくうなぎは結構 」と言っていた妻に 「 このやさしい味なら大丈夫だろう,今度行こう 」 とまたリップサービスをする私であった。

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2011年1月 6日 (木)

たった一つの記録

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箱根駅伝のナマ中継は全国版かと思っていたら、昨年のお正月を過ごした宮崎ではレースの途中からの放送だったし、今年のお正月にいた石垣島ではまったく中継がなかった。日本のテレビはいつも関東を軸にして流れている訳ではない、と改めて認識した次第である。であるからして、帰京して撮り溜めしていていた年末・年始の娯楽番組と共に、昨晩は箱根駅伝の録画を要所だけ早回しして妻と二人で見た。

妻は東洋大・柏原君の山上りや、早稲田の山下り・高野君の転倒、国学院の10区の寺田君の道間違いなど、もっぱらミーハー的場面だけを早回しして喜んで見ていたのだが、6区復路のスタート地点では、私が出場した昔の画面が昨年に引き続き流されるのではと、早回しをやめて丁寧に画面を見てくれている。最近は過去の駅伝のエピソードを集めた「箱根駅伝今昔物語」と云うコーナーもなくなったから、CMの前に数秒間流される過去のフィルムに注目しなければならないが、早回しをしないでチェックすると駅伝の中継は冗長で結構時間がかかる。

「去年放送したフィルムを又連続して使うかなあ」などと二人で話しながら、画面をチェックしていると、6区の選手がスタートし終わった後に流されるCMの前に、勇ましいファンファーレ風の音楽と共に、見覚えあるちょっと色あせた過去の駅伝回想場面が今年も出て来た。そこには、昨年も見た40年近く前の私が、一斉スタートの他校の選手と競り合いながら走り出していくシーンが映っている。「あ、今年もまた放送された」と新年早々ちょっと嬉しい気分になって、「復路一斉スタート最後の年」にたまたま山下りを走らせてもらった自分の姿を、気恥ずかしい様な奇妙な感覚で眺める。

テレビ中継もなく、箱根駅伝がまだ牧歌的な雰囲気の中で行われていた当時のレース、その中でも私の記録などは高校生でも簡単に出せる様な凡庸なタイムである。しかし伝統の力とか先輩や同僚の応援など、何かの縁があって90年近く続くこの駅伝の一区間を走る事が出来、過去に箱根駅伝を走ったのべ一万人以上になる諸ランナーの、ホンの一すみを穢す事ができた訳である。テレビから流れる一瞬の映像を見ると、永い永い歴史の間に走った一万数千のランナーに混じって、記録は遅くとも、他のだれでもない「私だけの記録」が残っている事がちょっと嬉しくなる正月である。

2011年1月 5日 (水)

カヤックでマングローブ探検

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今回の石垣旅行では、カヤックを操ってさんご礁の海岸やマングローブの林を体験するツアーに参加した。ガイド夫婦は地元の人かと思ったら、こういう仕事をしている人達に良くある例で東京出身者である。話を聞くと沖縄の海が好きでやってきた自然派の様だ。そういえば宿泊したホテルのボーイも、東京から石垣島に魅せられて移住して来たという事で、島の若者は外に行き、都会のエコ志向の若者が島にやって来るのだろう。

そのガイドさんの案内で、海に乗り出す前に2人乗りカヤックの漕ぎかたを、ちょっと練習する。以前、北海道の釧路川で2度ほどカヌーに乗った事があるので、今回も「楽勝・楽勝」などと思っていざ漕ぎ出してみたら、このカヤックは川下り用より平底で、漕ぎかたが難しい上に水がジャブジャブ入ってくる事に気づく。川下りは基本的に流れに身を任せれば下流に連れて行ってくれるが、海の上やマングローブの林の中は、自分で決めた方向に艇を向け一生懸命パドルを漕がなければならないのである。

その上、さんご礁の中の海は遠浅の箇所が多く、進路を正しく選ばないとすぐカヤックが座礁して、その度に一人が降りて引っ張って歩かねばならない。他の艇が先へ先へと進むのに、わがカヤックは幾度も座礁して遅れるので、同乗した妻は「ちゃんと進路通りに漕がないから、すぐ浅瀬に行くのよ」と私の漕ぎ方に文句を言い、私は「舳先に乗っているお前の体重が多いから、すぐ座礁するんだ」と新年早々、海の上で罵りあいである。かなり先を行っていたガイドさんが心配して近くの義妹に「あの艇は何かもめているようだけど見に戻った方がいいでしょうか 」「 いえ、あそこはいつもあんな感じだから放っておいて大丈夫です」と言われる始末。マングローブの林の中に漕ぎ入ると、行き止まりでカヤックがUターンできない場所もあって、そのまま広い場所までバックして漕がねばならないとあって、パドルさばきはなかなか難しい。

平底で手すりもないカヤックには、容赦なく水が入ってくるので、下半身はずくずくに濡れ、その上浅瀬でカヤックを押す際に、砂に足をとられて転んでしまった私は、全身ずぶ濡れである。亜熱帯といえどもこの日は気温も20度はなく、びしょびしょの衣服に震えながらのカヤック体験であった。それでも珊瑚の海では青いきれいな海蛇が泳いで行くのに出合い、この海蛇は猛毒だというガイドの説明にびっくりしたり、普段見る事がないマングローブの林の生態に感動したりと、本土では味わえない亜熱帯のお正月を楽しむ事ができた。

2011年1月 3日 (月)

石垣牛合宿

義妹夫婦達と正月合宿である。合宿といえば、我々の若い頃は、朝は牛乳に生卵のどんぶり飯、昼は冷水入りのコップに突っ込まれて出されるスプーンとカレーライス、夜は薄い豚肉入りの肉じゃがに味噌汁とどんぶり飯というのが定番。ご飯だけで腹一杯になっても、きつい練習で胃が受け付けず吐いてしまって、夜は腹が減って眠れない、なんてのが合宿のメシの思い出である。しかし東京マラソンの為のこの石垣島合宿は、大人の合宿だから昔と違って食事は豪華である。高校生や大学生よ、ざまあ見ろ、と言いたいところだが、今の学生は栄養の行き届いた素晴らしい合宿飯を食べているのだろう。

一応練習の方も、初日はジョギング1時間、2日目は3300米のクロカン・コースをほぼ全力走X2セット、途中は15分休みという昔で云えばレペティション。3日目は宿から川平湾までLSD(ロング・スロー・ディスタンス)約2時間、今日は余興で午前がカヤック、午後は自然探訪路めぐりとつつがなくこなしている。もちろん朝は早く起きて、朝食前に各自体操や軽いジョギングをおこない、夕方はホテルの温水プールで1時間ほど身体をほぐしているから、本格的な合宿気分満点でトレーニング効果は充分であろう。

で、夜のお楽しみは、石垣牛の焼き肉。なにせ2000年の九州・沖縄サミット晩餐ディナーのメインになった肉の産地であるから、我々も気合が入るというものである。一日酷使した身体にオリオンビールと共に流し込まれる石垣牛は、そのまま筋肉の補修やスタミナ増強になる様に感じて、胃袋の欲するままに味わう。東京の焼肉と違い肉があまりタレに浸かっておらず、薄く塩をふってある程度なのは、素材で勝負という事なのだろう。キムチやクッパと共に焼肉をたらふく食べても、夜に喉が渇く事もなく、次の日のトイレでお尻が唐辛子で熱くもならない。調子にのって特上ロースやらカルビを頼んで、おそるおそる勘定を見ると東京より2~3割引きで、これでは練習しにきたのか、うまいものを食いにきたのかわからない合宿である。

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2011年1月 2日 (日)

石垣島にて

お正月は石垣島に来ている。東京マラソンの為の走りこみ合宿などと言っているが、暖かい南の島でのリラックスが主で、走った以上に石垣牛の焼肉を食べたりしているから、あまり合宿の効果は期待できない。それに天気も日本列島大荒れの余波で、ここでも気温は14度、地元の人が「寒い、寒い」と言っている気候はちょっと残念である。それでも東京から直行便で3時間半のフライトだから、わが国の領土も実は随分大きいと云う事を実感する。くるまの走る速さや人々の仕事ぶりも、すべてのんびりしたペースで、紅い瓦の南国風の家をみると、一瞬ここは東南アジアかと錯覚するくらいだ。

そんな具合で、走ったり食べたりしている間に石垣島がある先島諸島の事を調べていると、なるほど沖縄の歴史や先島・八重山諸島などこの辺りは、日本本土とはまったく違った歴史を重ねて来た事がわかった。先史時代には台湾やフィリピンとの関係が深かった様だし、中世以降は琉球王国の支配に入ったものの、石垣島の按司(領主)が反乱をおこしたり、台湾国境の島である与那国島では伝説の女酋長が支配したりとなかなか興味深い。琉球王国も大昔は中国と君臣関係があったものの、やはり日本の文化圏・勢力圏にあった事、江戸時代の島津藩の統治や、明治以降は先島諸島などをめぐって日本と清との間に確執があった事など、東京にいてはあまり接する事ができない話がわかった。更に沖縄戦で敗れた後は、先島諸島はしばらく無秩序状態に陥っていた事など、歴史認識で人々が微妙な思いを持っているだろう事は容易に想像がつく。

タクシーの運転手によると、島の人口は住民票では7万余りだが、実際には4万数千人しかいないと言う。昨晩の地元民謡ショウの歌手も、普段は東京で活動していると言っていた。多くの若者が、出稼ぎに他の場所に行っているのだろうが、この美しいのんびりした島に人が住まなくなった時の事を考えるると、離島振興はもとより西南地域の自衛隊部隊駐屯などが必要な事が良くわかる。与那国島の上空は米軍統治時代の名残りで、島にかかる形で台湾と日本の防空識別圏があったが、実効的には台湾が島を避ける形で防空を考えているそうで、これを見ると主義主張より実効支配がいかに大切な事かがわかる。ここ石垣は台湾から中国へ直行できない船が、一旦立ち寄ってクリアランスを書き換える国境の港でもある。日本西南にある国境の海辺に来て、領土問題の事に思いを馳せる新年である。

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