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2010年12月10日 (金)

斉明天皇陵

ニュースでは「奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳に隣接して、日本書紀の記述通り越塚御門(こしつかごもん)古墳が発見され、考古学的には両古墳が斉明(さいめい)天皇陵と孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓であるとほぼ確定した」と報じられている。しかし宮内庁は従来斉明陵とされていた別の古墳を、今回の発見でも変更しない方針だそうで、宮内庁の陵墓の指定や管理を巡り、見直しや国民的議論を求める声が学界から上がっているらしい。

私は若い頃、古代大和政権の成立に興味を抱き、関西への出張は好んで週末にかかる様に調整して、奈良や大和路を歩いたりサイクリングした時があった。その際、卑弥呼の墓と云われる箸墓を始めとする飛鳥・奈良地方の古墳群を前にして、その中の多くが宮内庁によって天皇及び皇族陵とされ、学問的な調査・発掘を拒んできた事を残念に思っていた。もしこれらの多くに学術的調査が入れば、日本の古代史や大和王権の研究が大いに進むであろうが、現実はごく一部の調査が極めて限定的に許可されているに過ぎない様だ。

墓を調査すると云うプライベートな問題、ましてや皇室の尊厳に関わる極めてセンシティブな問題であるのは理解できるし、私は、”開かれた皇室”などを望んでいない。しかし現在指定されている陵墓は、江戸時代から明治期にかけてさしたる基準もなく、伝承に基づいて陵墓と指定された場所がほとんどだと云う。その墓を、限られた専門家が調べる学術的調査さえ、ほとんど行われていない現状をみると、学問の発展のみならず日本人のルーツ発見という観点からも大変残念な気がする。宮内庁がこのままの姿勢を貫くならば、陵墓とされた場所が実はそうでなく、分譲地として掘り返される場所が、実は本当の天皇陵であったと云う様な事態が起こるのではないか。

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