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2010年12月14日 (火)

小田急物語

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1927年(昭和2年)新宿から小田原まで一挙に鉄道を開通させた小田急は、先進的な試みで現在の私鉄事業モデルの魁ともなった鉄道であった。その開業は当時の人々の話題になり、昭和4年に流行した東京行進曲で「いっそ小田急でにげましょか」と歌われたくらいである。早くから箱根湯本まで直通特急を運転し、昭和33年には特急用SE車が狭軌世界最高である時速145キロを記録するなど、車両もファンを魅了するものが多いのが小田急である。

東京の西南郊外に育った私は、子供の頃、電気機関車を見たい時は品鶴線(現在の横須賀線)の多摩川鉄橋、電車を見たい時は小田急線の梅が丘に自転車をこいで行ったものだ。青と黄色に塗り分けられた通勤用車両に混ざって、ミュージックホーンが遠くから聞こえて来ると、ロマンスカーが通過するという事でわくわくしながら線路際に佇んでいた事を思い出す。

そんな訳で私は小田急のファンなのだが、先日、職場の近所の図書館にぶらっと立ち寄ると「小田急物語」(多摩川新聞社刊)という本があり、さっそく借り出してみる事にした。そういえば以前「小田急よもやま話」という本を読んだ事があって、たしか小田急各駅の歴史が詳述されていたと記憶するが、「小田急物語」の方は生方良雄氏と云う小田急の元技術系職員の方の執筆により2000年に出版されている。

この本には小田急の歴史や車両の開発話、沿線旅情から運転の現場の事など、かなり幅広い話題が含まれていて、それぞれに著者が関わった出来事やその感想などが述べられている。戦争中や戦後の苦労話も面白いが、SE車開発の裏話などからは、昭和30年代初め戦後の日本の技術が一挙に花咲く勢いを感じ、当時の熱気が伝わってくる様である。またこの本が書かれた当時は、まだ登戸以東の複々線化が始まったばかりで、工事の促進と小田急の発展を願う気持ちが著書の処々ににじみ出ている事がわかり、著者の小田急への愛情が伝わってくるのが微笑ましい。

著者が願った様に小田急線の複々線化も、現在では大分進展しているが、今は沿線に住宅が建て込んで、ロマンスカーもミュージックホーンを鳴らさなくなってしまったのは残念な事だ。白に青帯の外観、アルストム台車をはき戸袋窓のある車体で、手すり付きの前面貫通扉だった小田急タイプ車両も今や世代交代の時期のようだ。最近はどの私鉄に乗っても同じような仕様のステンレス弁当箱の様な車両がくるのだが、試行錯誤しながらも生方氏らが奮闘して、独自の車両を作っていた時代の情熱が、この「小田急物語」から伝わってくる。

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