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2010年12月

2010年12月30日 (木)

2010 きそ 小笠原クルーズ

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太平洋フェリーの”きそ”は、クルーズ誌などでトップ・クラスの評価を毎年得ている船で、全長200米・総トン数16000トン、通常は名古屋~仙台~苫小牧をサービスしている。もっとも内航フェリーは、税金の関係で車両甲板など大幅な減トン計算をしているので、本来このサイズなら外航船で云えば35000トンクラスの大型船といえよう。我々も数年前に、国内隋一のこの”きそ”に名古屋から苫小牧まで乗船した経験があるが、ゆったりした客室や仕様は、さすが評価ナンバーワン・フェリーと感じたのだった。

その”きそ”が、お正月恒例の東京発着4泊(丸5日)の小笠原クルーズに就航すると云うので、今朝写真を撮ってきた。フェリーの定航定時サービスを中断して30日早暁に東京港に入港した”きそ”は、30日午前10時にお正月の小笠原行きクルーズ船となって、多くのクルーズ客を乗せて東京晴海の桟橋を旅立って行った。しかしこのクルーズの料金は2人用の個室で20万円強からとかで、これは余りに高すぎる設定で、これまで幾度か検討すれど乗った事はない。飛鳥Ⅱなど純粋客船が一晩4万円~5万円の単価なので、それと”きそ”が同等なら、ハード面や食事、ホスピタリティーで雲泥の差があるクルーズ客船を正月休みには選ぼうと言うのものである。

日本にはお正月特別料金というシステムがあって、旅行業界ではこの時期バカ高い料金を徴収する事が許されるらしいが、通常は苫小牧~名古屋まで2泊の特等料金が朝食付きで2万4000円なのに比べ、このクルーズでは同じ特等が4泊5日で26万円以上と馬鹿げた料金設定である。日本のクルーズ船の良いところは、お盆や正月も普段とあまり料金設定が変わらない点なのだが、足元を見透かした様なこの正月特別料金はクルーズとして如何なものだろうか。さらに晴海の駐車場に車を駐めておけば5日で5000円なのに、フェリーに車を載せれば1万円を徴収すると云うから、思わず目が点になる。

という訳で、乗船する気はサラサラないのだが、東京港に一年に一度顔を見する”きそ”もまた良しかと、今朝はカメラを構えたのであった。日本人船長の国内のフェリーがH旗(パイロット・オン・ボード)を掲げて、東京港を出て行くのも普段はちょっと見られぬ場面だと、寒空にファインダーを覗くのであった。

2010年12月28日 (火)

随所に主となる

暮れの休みである。今日は何もしないでゆっくり休もうか、とも思った。しかし「 小人閑居して不善をなす 」と言われる処の典型的小人である私は、何もせずグータラする日が続くと、どうも気分的に落ち込む事が多い。英語で云えば”SPONTANEOUSLY"という感じで、いつの間にか自らマイナス思考のスパイラルに入って、過去の失敗や将来の不安など考えてもしょうがない事が、ふつふつと脳裏に浮かんでくるのである。そんな時は身辺を忙しくすると共に、家事を一生懸命やるのが手っ取り早い脱出法だと、永年の経験から心得ている。

という訳で、この正月休みも忙しくしようと色々考える。で、まず2月の東京マラソンに向けての走りこみ開始である。最近、アキレス腱痛やら腰の違和感で思い切って走れなかったが、最近は痛みも改善しているので、今日は皇居の廻りを20キロ走る事にした。街は暮れのラッシュで大渋滞だが、皇居周回コースは信号もなく穏やかな天気で快適。1キロ4分30秒ペースで20キロをちょうど1時間半で気持ちよく走れ、心配していたアキレス腱もどうやら大丈夫の様だ。この冬は走りこみと軽いジョッグを交互に組み合わせると共に、ストレッチを多めにしようなどと練習計画を考える。我々が現役の頃は「ストレッチをする時間があったら、1キロでも余分に走れ」と言われたものだが、さすがに我が年齢を考えると、体のケアは怠れないと柔軟に思える様になってきた。

午後の暇な時間は、洗濯とトイレ掃除、ガスレンジや台所ファンの油拭きをする事にする。妻は今日も会社だが私は家事、この「亭主元気で家事が良い」というのがちよっとシュールで素適な気もする。ガスレンジやファンの油汚れはけっこうな力仕事で、妻の帰ってきた時の喜ぶ顔が目に浮かび作業もはかどるが、家事というのは始めてみると次々に手をかけねばならない事が目に入るもので切りがない。なんだかんだで、ふと気がつけば外は暗くなり、「肴はさよりの干物をあぶってビールを飲むか」などと一人ごちていると夕食である。こんな調子で来年も一つ一つ、目の前の些細な事を喜んでこなして行きたいな、と洗濯した妻のブラジャーを畳みながら考えていたら 「 日々是好日」とか「 随所に主になる 」 などと禅の言葉が浮かんできたのだった。

2010年12月27日 (月)

仕事おさめ

外航海運会社はわが国ではかなり早く、たしか昭和49年頃から完全週休2日制を採用した。まだほとんどの業界が土曜日半ドンか隔週週休2日制の時代で、なかには週の間に休祭日があるとその週末は土曜日出勤などという会社もあった。我々が新入社員当時は「 給料は安いが、残業代が多いし週休2日だから仕方ないか」と月に60時間も100時間も残業したものである。船は休みなく世界中の海や港を駆け巡っているから、一旦なにか事がおこれば、ゴールデンウイークやお盆時期も毎日出勤などと云う年もあって残業が一挙に増加する。今と違って自宅でパソコンをモニター等と云う事はできず、通信はテレックスが主の時代だから、会社のテレックスマシンに張り付かなければ仕事にならなかった。

そんな状況でも12月が深まりクリスマス・お正月のシーズンになると、入電するテレックスや電報もめっきり減ってきて、今年も何とか終わるのかとほっと安堵の息をついたものである。世界中の港や代理店、荷主や官庁が休みに入るから、航海中の事故や冬の海の荒天遭遇を除いて面倒なテレックスもない。クリスマスに受信するテレックスと云えば世界中の支店や取引先から、器用に文字を配列したグリーティングメッセージばかりで、その芸術的仕上がりに驚いていた。今で云えばさしずめ2ちゃんねるのアスキー・アートの様なものだ。

お祭りムードの年末も、クリスマスが終わると、いよいよ我が休みの本番・正月に突入である。欧米でもクリスマス後はホリデー気分なので、クレイムなどの面倒なテレックスもなく、一刻も早く正月休みに突入したいと言うのが当時の心境だった。いよいよ12月29日の夕方になると会社の会議室に酒や簡単な肴が運び込まれ、乾杯の音頭で正月休みに入るのだが、その時の解放感は何ともいえず嬉しかった。今や毎日が日曜日とは云わないが金曜日くらいのセミ・リタイアの身では、あの毎年恒例の解放感も懐かしい思い出として蘇ってくる。人間は縛るものがなくなると、縛られていた時代が懐かしくなるらしく、12月29日が近づくとこの時期だけはサラリーマンに戻ってみたいという思いになるのである。

2010年12月26日 (日)

BERLITZ CRUISING 2011

ベルリッツ社の”CRUISING AND CRUISE SHIPS 2011"を25ドルでアマゾンから購入した。客船評論の第一人者であるダグラス・ワードが、26年にわたり世界中の客船を評価し格付けした本で、2008年度版に続き3年ぶりに買ったものである。この本の執筆にあたっては、ダグラス・ワード自身や彼のスタッフが実際にクルーズ船に訪船しているそうで、現に改装後の”にっぽん丸”が米国に寄港した際に、さっそくダグラス氏が視察に来た事が過日”世界の船旅”という番組で放送されていた。

ベルリッツ本のレーティングは、SHIP / ACCOMODATION / FOOD / SERVICE / ENTERTAINMENT /CRUISE の項目別の得点を合計し、満点2000点に対して各船が何点の評価を得るかを比較している。レーティングの他、各船の来歴・諸元データや「静かに旅を楽しみたい人には、この船をお薦めできない」などと解説も記載されていて、格づけや評価本が好きなアメリカ人気質ならこの本を結構重宝するだろうという感じがする。日本人に人気のハワイ諸島クルーズの”プライド・オブ・アメリカ”などは、「良いサービスを期待するな」「乗船は忍耐の練習だと心得よ」「悪い見本」などと記載され、同号にそんなに悪い印象をもたなかった鈍感な私などは「そこまで言うかよ」と驚くのである。

2008年度版と2011年度版を比較すると、各船の論評は大体同じものが使われている事に気づくが、経年劣化にともなって船体についてのレーティングは適宜得点が減少しているフネが多い。またサービス地域が変わったりなど大きく変化があった船は、かなり大幅に得点が見直されている処をみると、結構マジメに編纂されていると感じる。因みに”にっぽん丸”は、改装前(2008)が1390点だったが、最新号ではすべての項目で得点がアップして1503点となっている。巻末のサマリーによると、大型船でのトップは今年も”QE2”、 中型船では”クリスタル・セレニティ”と変わらず、日本船は”飛鳥Ⅱ”が1685点と世界の中型船の中で第3位、”ぱしふぃっくびいなす”は1548点で中型船の11位、にっぽん丸も小型船15位と健闘している。

ベルリッツ本は、格付けの他クルーズに関するチップ(小話)や動向、メジャークルーズキャリアーの解説など、アメリカ人を対象に書かれているものの、我々が読んでも結構楽しい本である。私自身はミシュランのレストランガイドなどの星の数にはほとんど興味がないし、このベルリッツ本が私の感覚と必ずしも一致しているとも考えていない。しかし海外クルーズに出かけて、寄港地で我々の知らない世界の客船に出会った時に、この本が手許にあれば一目でその船の詳細がわかって、クルーズの楽しみもまた増えようというものである。

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2010年12月25日 (土)

ぱしび、ゆったりワンナイトクルーズ

”ぱしいっく・びいなす”の東京発着「ゆったりワンナイトクルーズ」に乗船した。昨年乗船した事でゲットした割引クーポンの期限が迫り、年末に手軽に行けるクルーズという事で申し込んだのである。今回は東京・晴海発着なので駐車場は一晩1000円、ガソリン代も往復300円程度、一番安い部屋をクーポンを使ってブックしたので旅費の総額は2人で6万円強である。この値段で3食付きかつ非日常的空間を味わえるクリスマスクルーズなら、コストパーフォマンス良しと乗船を決めた。

冬のクルーズは夕方出港してすぐ日が暮れ、外の景色が楽しめないのが欠点。かつ名にしおう冬の北太平洋の大しけも嫌なものだが、ワンナイトクルーズでは夜間は風を避ける相模灘でドリフティングするし、今航は特に2日目の東京帰港が14時と文字通りゆったりしているのが良い。我々夫婦は船舶ウオッチが好きなのだが、東京帰着クルーズは横浜に比べて、船舶が輻輳する中の瀬航路を1時間ほど余計に走るので、船旅の余韻をたっぷり楽しめる。

”ぱしふぃっく・びいなす”はわずか二度目の乗船だし、クルーズはその長さや航海海域によって雰囲気も変わるので大きな事は言えないが、この船は”フレンドシップ”という宣伝文句の通り、気取らずカジュアルな雰囲気なのが良い。殊にダンス会場はうまい人に混ざって、気楽にダンスを楽しもうというシニアーカップルが多くて楽しかった。日本船に乗ると夜のダンス会場は、ほとんどが正統派社交ダンスばかりで、妻に「ええかっこしい」と揶揄される初心者の私などは気後れして、ダンスの輪に入って行けないのだが、この船では勇気を奮って久しぶりにブルースとジルバを覚えている限りのステップで参加したのである。

ただ本船は親会社の新日本海フェリーのデザイナーが図面を引いたそうで、まるでフェリーの様な装飾や意匠がちょっと残念である。船内の手すりなどいたる箇所がピカピカの金属が使われ、もっと暗くかつシックにデザイン出来なかったものかと思う。ウインド・オブ・メコンと呼ばれるオープンバーやダイニングの前のパッセージは最近の長距離フェリーそのものだし、階段は狭い上に場所が解りにくい。メインホールはただ広く、これじゃまるで小学校の講堂である。7階まで通じる吹き抜けはなぜ8階まで貫通させなかったかとか、人気のベランダ付きキャビンを設置する場所はもっとあったのではないか等、日本船3船の中では一番新しいだけにファンとしてはやや残念なつくりではある。

それでもこのカジュアルな船は、ガラパゴス化する日本のクルーズ船を普通のクルーズに僅かずつでも推し進める恰好な存在で、日本にクルーズを定着させるにはこういう船がもっと増えて欲しいと思ったのが「ゆったりワンナイトクルーズ」下船後の感想である。

<長距離フェリーの様なダイニング前通路>
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バルクキャリアー 2010-12-30 23:50:50

ぽんこりんさん、

ぱしびいではお会い出来ずに残念でした。と云ってワンナイト・クルーズでオフ会の様に目印に集合というもの何か美的でないと思いました・・・・。また別の機会、いつかお会いできると思っております。

ぽんこりんさんの優しい視点と違って、私のブログは普段言えない事を、言いたい放題書き散らしているので、偏見も良いところ、曲学阿世の遠吠えと自嘲しております。ただ書けば書くほど、自分の欠点や未熟さを棚に上げて良く言うよ、と反省のきっかけにもなります。どこまでこのブログが続くか解りませんが、時々覗いて頂いて「勝手な事を吼えてるわ」とお笑い頂ければ、それもまたブログ掲載の喜びです。

私は飛行機も好きで、これまでも日本の翼をできるだけ利用してきました。外国を旅行して日本のエアーラインの機内に入った途端、ここは日本法が適用されて日本に半分以上戻ったとホットします。来年は日本の航空会社が真の競争力を付けて、もう一度世界を席捲する元年になって欲しいと切に願っております。


ぽんぽこりん 2010-12-30 17:43:24

バルクキャリアーさん こんばんは

同じ船に乗船していながらお会いできなくてとても残念でした。
この記事がアップされていたにもかかわらず、書き込みが遅くなってしまってすみませんでした。

ぱしふぃっくびいなす など国内客船が東京港を中心に頻繁にクルーズしてくれるようになると良いですね。
晴海到着時にレインボーブリッジをくぐる時に、「飛鳥Ⅱはこの橋を通れないから晴海は廃れている」というお話をしている方がいらっしゃいました。
真剣な面持ちでお話されていましたが、晴海が廃れている事以外は殆ど間違ったお話をしていらっしゃいました。
海、船、クルーズに関する知識はまだまだ一般的ではないという証だと思って聞いていました。

今年一年、こちらのブログでたくさんの色々なことを教えて頂きました。
本当にありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
そして、来年もよろしくお願いいたします。

2010年12月23日 (木)

いも菓子の年末

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サラリーマン時代の取引先から、年末になると変わらず「いも菓子」が届く。もうお付き合いがなくなって数年になるのに、ありがたい事である。その取引先の近くの愛媛県岩城島でつくられる「いもケンピ」なのだが、田舎の人の常で、贈答品はこれでもかというくらい量が多い。なにしろ「いもケンピ」がダンボールの箱に一杯、5キロも一遍に工場から直送されるから、毎年お歳暮を頂いた後はどうしようかと頭を抱えていたものだ。

油であげた菓子の常で、食べ始めるとなかなか止まられなくなるのだが、さすがに一回一人で食べられるのは100グラムほど。毎日、親の仇の様に食べ続けても、正月を越えた頃には油も酸化して食べ飽きてしまい、残ったダンボールの中を見てはため息をつくのであった。そこで妻が一計を案じ、数年前からジップロックを買ってきて、一人400グラム弱づつ小分けし、職場の同僚に配る事にした。

数年これを続けている中に、彼女の職場の仲間もすっかり新鮮ないも菓子のファンになり、12月になると「今年はいもケンピはないんですか?」などと話題になるらしい。実は、もうその会社との関係が無くなってかなりの年数になるので、今年も頂けるものか内心ちょっと危惧していたのだが、暮れも押し迫った先日、待望のいも菓子が届いた。さっそく妻は、ビニールに小分けした「いもケンピ」を大きな買い物袋に詰め込み、朝の地下鉄に乗り込むのであった。これをすると「今年ももう年の瀬だな」と感じる近年である。

2010年12月21日 (火)

日米同盟 VS 中国・北朝鮮

文春新書の12月新刊『 日米同盟 VS 中国・北朝鮮 』(アーミテージ・ナイ緊急提言)が大変面白い。ポパイを彷彿とさせる風貌で海軍の出身、共和党の国防の専門家リチャード・アーミテージと、外見もスマートならリベラルを代表する民主党のジョセフ・ナイという、”しゅん”の二人の知日派の安全保障の専門家に、ワシントン駐在暦が長い日経新聞の春原剛が絡んだ座談形式の新書で、東アジア情勢が風雲急を告げる今、まことに時宜を得た発刊といえよう。

一読して感じる事は、中国が台頭し北朝鮮が行き詰っているこの時期に、鳩山や小沢など民主党政権が出した数々の媚中サインが、予想以上に東アジアの混乱に拍車をかけているという事である。この事は日本のメディアでも縷々述べられてきたのだが、世界の国防の大御所二人が第二次大戦後の歴史を踏まえ、東アジア以外の世界の趨勢も重ねあわせて、我々の知らない中国の本音なども交え、様々な角度から解説する座談を読むと、なるほど事態は容易な事ではないと云う認識が深まる。

ともすれば日本のメディアは国防問題と云うと必要以上に卑屈であったり、逆に大げさであったりすると私はしばしば感じるのだが、安全保障は我々素人が考える以上に様々な要素がもつれ合い、心理戦の側面が強いものの様である。特に混乱時には国家の意志と覚悟がその国に盛衰を決めるものである事が、今更ながら思い起こされるが、戦後体制の中で国防という事を棚上げにして、日本の独立の意味を問う事をおろそかにしたつけが、尖閣の中国漁船問題や普天間の混乱につながっているのであろう。

この本の1頁1頁を繰る度に「そうだよな、アメリカは日本をこう見ているに違いない」と妙に納得し、「世界の常識が日本の非常識だよな」とあらためて気づかされる。ついこの前まで中国人民解放軍は、日本の軍備拡大が最大の懸念事項であったと本書には記されているが、日本の平和ぼけした政治家がもたもたしている中に、中国は軍備や安全保障に次々手を打っていて、わが国は後手後手に廻っている様だ。在日米軍に対する 「 思いやり予算 」などと、さも人に施しを与える様な表現はやめにして、「わが国の国防、アジアの安全保障の為の予算」と言いなおし,地域の公共財である日米同盟をよく日本人一人一人が見つめ直して欲しいものだ。

2010年12月20日 (月)

神宮外苑 EKIDEN

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昨年に引き続き、国立競技場を舞台に明治神宮外苑を周回する、神宮外苑駅伝に出場した。一人5キロX4人の20キロ、距離も適当ならば場所も便利という事で、今年も1600チーム余、選手だけで総勢6000数百人の参加、応援の人たちや同じ日に行われたトラック種目の参加者もあって、冬空にもかかわらず国立競技場は多くの人で盛り上がった。

男女混成の部にエンタリーしたわがチームは、義妹夫婦と我々夫婦4人で、それぞれ練習不足を大いなるエクスキューズにして出走するも、結果は昨年を2分余り上回る快走で、皆その”三味線弾き”ぶりが遺憾なく発揮されたのだった。忘年会や故障による練習不足も、アドレナリンの効果で相殺された訳だが、絶好調と云いながら大ブレーキをして、後で”言い訳大会”をするよりまだましかと慶ぶ。オネスト・ジョンなら大罰金ものだが「結果、いいよ!」ですむのが良い。(この辺り義妹のブログ参照)

しかし高校生や、ばりばりの社会人チームも出てくる一方、職場の仲間やジョギング仲間で組んだ「なんちゃってチーム」までが一緒に競技できるのも駅伝の面白さで、記録を追うのも良いが、仲間で楽しみながら和気藹々と大人の運動会を楽しむのも楽しそうだ。殊に最近はどの大会も女性の参加者が多くて、一昔前のサロメチールの匂いと競争意識でぴりぴりした雰囲気とは雲泥の差である。

スポーツとしてタイムを争うのも良いが、こうなれば出場の4人ランナーの総年齢を出して、年齢別にハンディをつけたネットタイムを作るのも励みになって面白いかもしれない。ゴルフの様に、ハンディを加味したら50歳のチームが高校生と同着であった等と云うのも市民駅伝の面白さになるか等とも考える。そうなればオジサン・オバサンの我がチームはググーッと上位に行くのは間違いない。

それにしても昨日レース中に場内放送で 「落し物のご案内です。○○番のたすきが走路に落ちていました。該当のチームは至急取りに来て下さい」とあったのはのけぞった。たすきを落としたまま気づかずに走り続けるとは、何と言う粗忽なランナーか、はたまた大物か。中継地点で気がついた時のランナーの慌てぶりを想像すると、気の毒というよりはひどく笑えるのであった。きっとたすきを落とした彼(彼女?)は当分の間、学校か職場で話題の中心になるに違いない。

義妹の駅伝参加記。<ブログ>


監督 2010-12-21 19:33:48

皆さんお疲れさまでした。

さすが基礎体力があると、5キロくらいはカバーする事がわかりました。学生時代からの蓄積なのか?

次の新宿ハーフ目指して、石垣合宿では30キロ走を一回やりましょう。レッツ・ラ・ゴー!


のすけ 2010-12-20 23:30:15

皆さまお疲れ様でした。

昨日は「練習不足が理由で遅いのはいかん」と妙な気負いがあって最初にどうやら飛ばしすぎました。後半はガンガン抜かれるのも悔しくてまた息があがって大変なことに。絵画館の前のカメラマンに笑顔を見せることもままならぬ私。らしくない。

さらに最後の100mダッシュ。このまま死んでしまうのではないかというほど心拍数が上がりました。

でも気持ちよかったー。国立競技場の100mラインですもん。

石垣島合宿は観光も忙しいけど、1月のハーフに向けてちょっとだけ頑張ります。

これからもよろしくー!!


院長 2010-12-20 22:48:51

昨日はお疲れ様でした。皆それぞれ言い訳を言い合い颯爽と走り出して行く様は、こんな楽しい大会でも「レース=試合」と感じてしまう体育会魂のなせる業か・・・?

私は東京マラソンの落選が決まってから、走る意欲が少し落ちたものの、いつでもピンチランナーになる準備をしておこう!、そしてその時はサブ3.5を狙おう!と、心に秘めて昨年よりも練習の頻度は落ちてるものの、質を高めるようにしているつもりです・・・。

一応、昨日レースでは目標以上の走りが出来たかな・・・と、ホットしています。

年末年始の合宿ではサポートにまわりつつ、年明けの新宿ハーフの準備をしたいと思っております。監督!宜しくお願いしま~す!!

2010年12月19日 (日)

大学の運動部

大学の競走部で長い間監督を御願いしていた後輩が、先月病気で急逝した。後輩は大学体育研究所の教員をしていたから、体の点検はおさおさ怠りないのだろうと思っていたが、話を聞くと昔どおりの暢気さで、自分の事はまったく気にかけていなかったと言う。そんな彼を「偲ぶ会」が先週末に行われ、彼と直接関わった前後7年のOB約30名が集まった。

大事な試合の日に階段から落ちて足の怪我をしたり、卒業しても合宿所から退寮せず気がつくと隣のスキー部の合宿所に居候していたりと、当時の彼のエピソードが席上次々と披露されると、「ああ、そうだったな、その調子で体の異変にも気づかず天国に行ったのかな 」と残念な気持ちがこみ上げてくる。

それにしても、彼を偲ぶ会に参加した30名のリストを見ると、オリンピック選手こそいないもののインターハイ・国体・インカレなどの優勝者、上位入賞者が多数いる事にあらためて驚く。いずれも当時、その道ではちょっとならした有名人も、今はただのおじさんになって、私などと大して変わず普通の生活をしているのがちょっと不思議で面白い。

僅か4年だが、大学で運動をした経験は高校時代のそれと違って、とても思い出深い。全国から集まった選手と競技だけでなく一緒に生活したり、その友人の他校の有名選手と知り合いになったりすると、運動に対する視点が変わった気がしたものだ。私の様に練習について行くのが精一杯という駄馬も、レベルの高い人たちと日々接触するうち、彼らの競技に対する真摯な態度に啓発される一方、競技以外では皆と変わらない人間であるという共感で視野が広がったものだ。

その様な経験からすると、高校まで運動部にいた人は、下積みで良いから大学の体育会で4年間苦労しなさい、といつも思う。選手になれなくても高校まででは知らなかった、より高いレベルの世界に触れるという事は、何らか後の人生に影響を与えると信じるのである。

「偲ぶ会」の席上、現助監督からすでにAO入試などで決まった来年の新入部員が読み上げられた。インターハイや国体で優秀な成績を収めた選手が、来年もかなり入ってくる様だ。彼らと混ざって、私の様に一般の部員として入った普通の選手も、何かを得て卒業していけば元監督の供養になろうというものである。

2010年12月16日 (木)

峠の走り屋

最近良く寝ている。夕食を終えて夜9時頃になると、テレビの前で寝てしまう。「そんな所で寝ると風邪をひくわよ」と妻は都度注意してくれているそうだが、そんな言葉もまったく記憶にない。夜中の12時頃ふと目が覚めて、あわててシャワーを浴び歯を磨いてベッドにもぐりこむと、また睡魔が襲ってきて朝7時頃までぐっすり眠る。おまけに翌日、昼食を食べた後は事務所のソファでごろっと横になると、そのまま寝込んでしまい午後2時頃まで気がつかない日もある。今や自営業だから良い様なものの、サラリーマン時代なら「 あいつ、まだ寝ているのか、叩きおこせ 」と怒られたところである。

「年を取ると寝るにも体力が要って、なかなか寝坊ができないものだ」と云われる通り、40歳代から50代になった頃は寝坊しようにも眠れず困ったものだった。当時夏の週末などは、朝の5時頃に目が覚めるともう眠る事ができず、東京から箱根まで一人でよく愛車を駆ってドライブに出かけた。早朝の山道を駆け抜け、渋滞も始まる前に家に帰り着いて朝食を採ると、やっと峠の運転の緊張から弛緩して、うとうとと朝寝できたのだった。休日はそれで良いが、会社に行く日はさすがに箱根をドライブという訳にもいかず、朝まで眠りが続く様に医者から睡眠薬の処方箋を貰っていたほどだ。

その頃からの習慣で、未だに睡眠薬は時々医師に処方してもらうのだが、妻に言わせると「 薬はまったく必要ないじゃない 」「 薬を飲まない日も布団に入るとあっという間に寝息を立ててるよ 」と言い「 あかつきの峠の走り屋はどこへ行ったのよ」とにやにや笑う。自覚と実際が違うのが睡眠だと良く云われるが、妻が指摘する様に自分で考えているよりもっと早く眠っているのなら、最近は眠りすぎるくらい眠っているのかもしれない。

さて年齢を重ねるに従い、寝坊できる様になった秘訣は何かと考えると、やはり運動なのであろう。現在2ヵ月後の東京マラソンを目指して月200キロ強走っているのだが、同じ距離をこなしても若い頃より疲労が抜けなくなるのは当然の事と身にしみる。同じ運動量でも40代ではどうという事なかった負荷が今ではきつくなって、それがひいては睡眠に結びつく様だ。フルマラソンのためにはもっと走りこみが必要なのだが、朝起きるたびに、あちこち痛む筋肉や関節を、やっとの思い出で慣らし慣らししていると、「 もうこれ以上走って疲れると、もっと眠ってしまって生活に響くし・・・」 などとトレーニングへのエクスキューズを考え始めるのである。

2010年12月14日 (火)

小田急物語

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1927年(昭和2年)新宿から小田原まで一挙に鉄道を開通させた小田急は、先進的な試みで現在の私鉄事業モデルの魁ともなった鉄道であった。その開業は当時の人々の話題になり、昭和4年に流行した東京行進曲で「いっそ小田急でにげましょか」と歌われたくらいである。早くから箱根湯本まで直通特急を運転し、昭和33年には特急用SE車が狭軌世界最高である時速145キロを記録するなど、車両もファンを魅了するものが多いのが小田急である。

東京の西南郊外に育った私は、子供の頃、電気機関車を見たい時は品鶴線(現在の横須賀線)の多摩川鉄橋、電車を見たい時は小田急線の梅が丘に自転車をこいで行ったものだ。青と黄色に塗り分けられた通勤用車両に混ざって、ミュージックホーンが遠くから聞こえて来ると、ロマンスカーが通過するという事でわくわくしながら線路際に佇んでいた事を思い出す。

そんな訳で私は小田急のファンなのだが、先日、職場の近所の図書館にぶらっと立ち寄ると「小田急物語」(多摩川新聞社刊)という本があり、さっそく借り出してみる事にした。そういえば以前「小田急よもやま話」という本を読んだ事があって、たしか小田急各駅の歴史が詳述されていたと記憶するが、「小田急物語」の方は生方良雄氏と云う小田急の元技術系職員の方の執筆により2000年に出版されている。

この本には小田急の歴史や車両の開発話、沿線旅情から運転の現場の事など、かなり幅広い話題が含まれていて、それぞれに著者が関わった出来事やその感想などが述べられている。戦争中や戦後の苦労話も面白いが、SE車開発の裏話などからは、昭和30年代初め戦後の日本の技術が一挙に花咲く勢いを感じ、当時の熱気が伝わってくる様である。またこの本が書かれた当時は、まだ登戸以東の複々線化が始まったばかりで、工事の促進と小田急の発展を願う気持ちが著書の処々ににじみ出ている事がわかり、著者の小田急への愛情が伝わってくるのが微笑ましい。

著者が願った様に小田急線の複々線化も、現在では大分進展しているが、今は沿線に住宅が建て込んで、ロマンスカーもミュージックホーンを鳴らさなくなってしまったのは残念な事だ。白に青帯の外観、アルストム台車をはき戸袋窓のある車体で、手すり付きの前面貫通扉だった小田急タイプ車両も今や世代交代の時期のようだ。最近はどの私鉄に乗っても同じような仕様のステンレス弁当箱の様な車両がくるのだが、試行錯誤しながらも生方氏らが奮闘して、独自の車両を作っていた時代の情熱が、この「小田急物語」から伝わってくる。

2010年12月11日 (土)

民主党断末魔

「国会で決めれば出て行って説明する」と言ってきた小沢議員に対し、国会の場に出る様に岡田幹事長が段取りをつけるべく動き出した。このまま政治と金の問題で進展がなければ、この後の地方選挙で民主党は大敗する事が必至なので、執行部としてはこの辺りで”けり”をつけなければならないのだろう。この動きに対し、すかさず小沢氏側からは党を割って新党を結成する話が出ている様だ。「司法の場で裁かれるから国会で説明する必要がない」というのが今度の屁理屈らしいが、国政を託された議員がみずからの政治資金に対して国会で説明する政治責任は、裁判での解明とは別の事であるのが彼らにはわからないらしい。

という事で、小沢議員の国会招致問題は進めば地獄、留まっても地獄という事で、ここにきてもはや民主党は崩壊の予感がする。そもそも保守自由主義者から日教組や旧社会党のマルキストまでを包括した民主党という政党は、政策面で党が一枚岩になるはずもなく、自民党政治を変えるという点でしか期待されていなかったのではないか。長く続いた自民党政権を倒したという事で、民主党政権の存在意義は終わったというべきで、これ以上国政、特に安全保障や外交問題で国を混乱させて欲しくない、というのが多くの国民の心境ではなかろうか。

中国の軍事力台頭や北朝鮮の暴走を前にして、コスト的にも同盟国との共同運用の為にも、武器開発は他国との協力体勢をとらなければいけない事は、誰もが指摘するとおりである。過去の閣議で決まった武器輸出三原則などは、時代が変わり国家予算が危機的状況にある現在、見直さなければいけない事は明らかなのに、国会運営に苦慮する菅政権は、あろう事かまた社民党に歩み寄って三原則の見直しを延期をするそうである。民主党は党利党略の為には国民の安全保障を危険に陥れて良いのだろうか。

菅総理は社民党の福島瑞穂に「私をぶちきれさせないで」と言われたそうだが、時代遅れの原理主義者のおばさんが、ぶち切れようが発狂しようが一向にかまわない。国民がぶちきれる前に社民党との接近を絶って、苦労しながらでも丁寧に国会運営をおやりなさいと言いたい。国民は社民党などに国政、なかんづく安全保障問題を託したわけではないのである。あれやこれや見ていると、もう民主党政権は崩壊へ断末魔の叫び上げ始めている様だ。私の周りは民主党に二度と投票しないという人間も多いのだが、民主党は、日教組などを切り離して解散総選挙したらどうであろうか。

2010年12月10日 (金)

斉明天皇陵

ニュースでは「奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳に隣接して、日本書紀の記述通り越塚御門(こしつかごもん)古墳が発見され、考古学的には両古墳が斉明(さいめい)天皇陵と孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓であるとほぼ確定した」と報じられている。しかし宮内庁は従来斉明陵とされていた別の古墳を、今回の発見でも変更しない方針だそうで、宮内庁の陵墓の指定や管理を巡り、見直しや国民的議論を求める声が学界から上がっているらしい。

私は若い頃、古代大和政権の成立に興味を抱き、関西への出張は好んで週末にかかる様に調整して、奈良や大和路を歩いたりサイクリングした時があった。その際、卑弥呼の墓と云われる箸墓を始めとする飛鳥・奈良地方の古墳群を前にして、その中の多くが宮内庁によって天皇及び皇族陵とされ、学問的な調査・発掘を拒んできた事を残念に思っていた。もしこれらの多くに学術的調査が入れば、日本の古代史や大和王権の研究が大いに進むであろうが、現実はごく一部の調査が極めて限定的に許可されているに過ぎない様だ。

墓を調査すると云うプライベートな問題、ましてや皇室の尊厳に関わる極めてセンシティブな問題であるのは理解できるし、私は、”開かれた皇室”などを望んでいない。しかし現在指定されている陵墓は、江戸時代から明治期にかけてさしたる基準もなく、伝承に基づいて陵墓と指定された場所がほとんどだと云う。その墓を、限られた専門家が調べる学術的調査さえ、ほとんど行われていない現状をみると、学問の発展のみならず日本人のルーツ発見という観点からも大変残念な気がする。宮内庁がこのままの姿勢を貫くならば、陵墓とされた場所が実はそうでなく、分譲地として掘り返される場所が、実は本当の天皇陵であったと云う様な事態が起こるのではないか。

2010年12月 9日 (木)

正しい師走の過ごし方

12月である。現役サラリーマンの頃はこの季節は毎日の様に忘年会の連続だったが、今年などは2~3回立食式のパーティがあるだけである。寂しいなどと思うよりも、体が楽でとても良い。30歳の頃から、毎年の検診で「飲みすぎ」と注意されたきた肝臓も、最近はA(異常なし)で、おのずと飲む量が減ってきたのかと改めて認識する。

それでも黄昏時になると、たまに携帯に「最近、全然顔を見せてくれないじゃない、お店が暇だから助けてよ」などとかつて行った飲み屋から電話がかかる事もある。「もう接待費も使えないから、キャッシュでOB割引してくれよ」などとかわすのだが、実際行った試しがない。大体、仕事がなければ6時には家に帰って食事をしているから、都心のバーやクラブが開く9時にはテレビを見ながらうつらうつらしている毎日である。

「6時からお店をやるなら寄っても良いよ」などと、からかい半分に言おうものなら、「それなら6時から食事を驕って。それで9時にお店に行けば良いでしょ」などと敵の思う壷にはまるから、「ああ、わかった、まあ年内に顔を出すよ」などといい加減な事を言って過ごすここ数年の師走である。こうやって段々第一線から遠ざかって行くのが、法人営業職サラリーマンの正しいリタイアの仕方かなあ、などと一人言をつぶやく。

2010年12月 7日 (火)

12月第一日曜日

12月第一週の日曜日と言えば、毎年恒例の福岡国際マラソンとラグビー早明戦である。西も東も列島は小春日和でスポーツ観戦に絶好の天気になった昨日、そういう訳でお昼からテレビの前に座って各地の熱戦に応援を送る事にする。国際マラソンは気温が高すぎる上、ペースメーカーの暴走もあって記録への興味も薄れたので、ゴールを待たずして早々にNHKのラグビー早明戦にチャンネルを変える。

2時キックオフの前から放送が始まった早明戦は、両校の試合前の校歌交換が映る。鳴り物を使わず黙々と応援するのが大学ラグビーだが、試合前に校歌を演奏する様になったのは10年くらい前頃だろうか。満員の国立競技場にまず「白雲なびく」と明治の校歌が流れると、地鳴りの様にスタンドのファンが大合唱する声がテレビから聞こえる。明治の関係者が世界三大校歌と自負するこの歌の3番に「刻苦研鑽多念なり」と云う下りがあるが、この10年の低迷のうっぷんを晴らすべく、全勝で明治がこの日を迎えられた事を考えると、選手・ファンにとっても正に刻苦研鑽の日々だったろうと、他校の事ながらジーンとくる。

試合は予想どおり、開始直後の明治フォワードの猛攻をしのいだ早稲田が、パスと突破力でトライを繰り返し勝利したのだが、前半の明治のフォワード勝負は昔日の早明戦を彷彿とさせ、人気に翳りの見える大学ラグビーの復活を予感させてくれる様な試合だった。これで対抗戦グループは1位早稲田、2位慶応、3位明治と順位が決まり大学選手権を迎える事になった。

試合後は両校の学生・OBがスタンドで「都の西北」「おお明治」とそれぞれ校歌を大合唱する音がテレビから流れ、それをほほえましく聞いていた。それにつけても早稲田・明治に限らず、卒業して何年たっても、母校の試合に行っては勝っても負けても校歌・応援歌を肩を組んで歌い、同窓生の結婚式やOB会の行事でもまた歌い、一生のうちで一番皆で歌う回数の多いのは、大学の校歌や第一応援歌である事は間違いない。

2010年12月 5日 (日)

町おこし

初めて尾道を訪ねたのは80年代の半ばであった。造船所に出張で行ったのだが、当時は町は寂しく、繁華街の人通りも少なかった記憶がある。しかしこの町は、そのもてる観光資源を活かして町興しを次々と成し遂げ、ここ数年ですっかりきれいになった。町を訪れる観光客も年間600万人以上にのぼり広島県では広島市に次ぎ第2位だそうだ。この数字は平成18年の県の調査だが、最近はもっと増えている事は間違いない。

造船所の斜陽に加えて、しまなみ街道の開通で尾道港から出ていた四国連絡の高速船もなくなり、普通なら過疎化が進むこの町の健闘ぶりは見事である。そういえばご当地出身の映画監督である大林宣彦の尾道を舞台にした映画で、町が脚光を浴び始めたのが80年代中ごろであった。そうしているうち、魚でスープを取った尾道ラーメンは90年代にメジャーになった。町のすぐ裏に控える千光寺山には、志賀直哉の旧家があり、林芙美子の歌碑が立ち、訪れる度に散歩道が整備されている事に気がつく。この前までは造船所の構内を使った「男たちのYAMATO」の大和艦上の大きなセットが駅前から見えていたし、今はNHKの朝の連ドラ「てっぱん」で尾道が舞台になっている通りである。

尾道に出張すると、時間を作って必ず千光寺山に登る事にしている。標高144米の小高い千光寺山は、駅前から小一時間もあれば往復可能でちょうど良い散歩道である。登る時間が朝だと、目の前の尾道水道を行き交う小フェリーから通勤通学客の息吹が伝わってくる様だし、夕方に登ると遠く瀬戸内海の島々の向こうに夕陽がかかって何とも云えぬ風情がある。かつては瀬戸内の潮待ち風待ち港として賑わった尾道が、往年の繁栄を取り戻しつつあるのを見ると、市役所や商工会議所の努力や町の人々の創意工夫が地方活性化にいかに大切かを感じる。

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2010年12月 4日 (土)

ハイパーエコ

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地球温暖化の原因が、二酸化炭素の排出によるかどうかは、まだ科学的に立証された訳でないと云われている。中国やアメリカが排出抑制の義務を負っていない京都議定書の実行力には疑問が残るものの、世はあげて省エネの気風である。私も省エネは努力・達成すべき課題と考えるが、それは環境の問題というより、化石燃料資源をもたない日本のエネルギー戦略や技術競争力の問題として捉えたいと思っている。

さてそんな中、尾道のドックで一隻の新しい内航の貨物船が繋留されていたが、その姿を見て目が点になった。”ハイパー・エコ”と船名が描かれたその船体にはエントツがどこにもなく、後部のハウス上のデッキがのっぺらぼうで、なんとも奇異な外観をしている。最近はマストに似せたスマートなファンネル(船舶の煙突)の船も多いが、原子力潜水艦や空母ではない普通の貨物船にファンネルがないのは、いかにもフネとして間抜けなデザインで、思わず「画竜点睛を欠く」と云う言葉が脳裏に浮かぶ。

世界の二酸化炭素の排出量の5%くらいは船舶から出されているそうで、この数字自体が正しいものか私は疑問を持っているのだが、内航船の世界では外航より一足早く電気推進の貨物船の実用化が進んでいる。電気を起す発電機から出た排気ガスは、普通はファンネルを通って排出されるはずだが、一体このフネはどういう構造で、発電機の排気ガスを外に逃がしているのだろうか。

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