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2010年11月 1日 (月)

50年ぶり早慶優勝決定戦

よもやと思われていたが、早大のドラフト一位三投手を連勝で打ち崩して、慶應が早慶戦で早稲田に勝ち点を挙げた。これで早慶とも8勝4敗の勝ち点4で並び、11月3日は早慶による優勝決定戦となったが、早慶で決定戦を戦うのは昭和35年以来50年ぶりの事だそうである。その昭和35年の早慶戦と云えばあの伝説の早慶6連戦になるのだが、改めて早慶によるその死闘を思い起こす。

昭和35年(1960年)の秋のリーグ戦は、早慶戦前に慶應が8勝2敗の勝ち点4、早稲田が7勝3敗の勝ち点3、慶應が早慶戦で2勝1敗でも勝ち点を挙げれば優勝という状況であった。慶應投手陣は清沢(岐阜商)角谷(宇治山田高)三浦(秋田商)丹羽(北野高)と揃い、早稲田は安藤元博(坂出商)と金沢(岩国)の2枚看板で投手の数では慶應が有利、打撃では慶應が後に阪神監督になった安藤統夫(土浦一)や渡海(芦屋)巨人に行った大橋(土佐)、早稲田は国鉄で活躍した徳武(早実)などで、戦力からすると慶應が1敗しても勝ち点を挙げるであろうというのが大方の下馬評であった。

ところが早慶戦は弱い方が勝つという伝説通り、安藤元の活躍で2勝1敗で早稲田が早慶戦を制し、ともに9勝3敗の勝ち点4ことなり優勝決定戦を行う事になる。優勝決定戦は11月9日に行われ、安藤-角谷の投げあいで延長11回引き分け。当時の神宮球場は夜間照明設備がなく、日没で試合続行不可能になったのだった。優勝決定戦再試合は11月11日に行われ、角谷・清沢とつないだ慶應に対し、早稲田はまた安藤が投げて延長11回まで0対0の投手戦が続いた。延長11回裏の慶應は無死満塁のチャンスで渡海が外野フライを打つものの、弱肩と云われた早稲田の井田の信じられない様な奇跡の好返球で安藤統が憤死してまたも引き分け。

当時はプロ野球より強いと云われ、連日超満員の神宮球場で行われた早慶戦だが、もつれにもつれた通算第6戦は翌12日に安藤元博の超人的な連投により、遂に早稲田が優勝したのが「伝説の早慶六連戦」である。こう見てくると50年前の早慶決戦と何やら状況が似てくるではないか。何しろプロから一位指名された3人の投手を擁して強いと云われた早稲田、それにくらいついた慶應、夜間照明が整い、日没引き分けこそなくなったが、50年前の早稲田と今の慶應の状況がダブって逆転優勝の予兆を感じるのは慶應サイドの戯言だろうか。優勝決定戦が予定される11月3日の天気もよさそうだし、満員になるかもしれない神宮球場の切符を、早くも手配する夕方であった。

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