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2010年10月

2010年10月30日 (土)

TPPへ参加しよう

日本はこのまま座して退潮の道を歩むのであろうか。貿易に依存する割合が違うとは言え、つぎつぎと国家戦略を打ち出し貿易拡大・産業競争力強化を志向する韓国と、国内の既得権益に配慮して、衰退の道を歩む日本はあまりにも対照的である。デフレ経済と円高で預貯金を持つ高齢者世代には、日本経済の不振も痛みをそう感じないのかもしれないが、次の世代が社会の中心になる頃には日本はアジアの片隅の小国となってしまうのではないだろうか。

TPPなど自由貿易交渉の参加が議論になっているが、日本経済のこれ以上の沈下を防ぐ為に、これらへの積極的な参加をぜひ進めてもらいたいものである。小沢系の議員などはさっそく農業票欲しさに、各種自由貿易構想に反対の意向らしいが、何しろわが国は、たかだか総農業総算出額8.5兆円に満たない農業保護のために、国民や多くや企業の犠牲の上に輸出入のハードルを高くしてきたのである。パナソニック一社の売り上げは9兆円だそうだが、民間企業一社にも満たずGDPの1%にも満たない農業や農協の為に、日本の国力が蝕まれてきたとも云えるのである。(山下一仁著、宝島新書・「農業の大罪」による)

前原外相が「1.5%を守るために98.5%が犠牲になっている」言った通り、農業・農協保護の為に自由貿易協定に乗り遅れれば、日本の国力の衰えは取り返しのつかないものになるのではないか。世界の経済やわが国を取り巻く環境は、もの凄い勢いで変化している。戦後の日本の躍進を支えた55年体制や東西冷戦構造も過去のもの、非核三原則だとか武器禁輸だとかの平和ぼけの政策の見直しも含め、政治・経済ともガラガラ・ポンと大胆に見直さなければ、日本はやがて中国の属国になるのではないだろうか。

2010年10月28日 (木)

南武線快速運転復活

首都圏のJR南武線に来春から、快速が走ると報じられている。1978年に快速運転を止めて以来、32年ぶりの復活だそうだ。南武線といえば川崎市や稲城市、府中市、国立市などを経て立川に至る45キロの鉄道で、私の好きな路線の一つである。というのも、この路線は川崎で東海道線から別れ、武蔵小杉で東横線に、溝の口で田園都市線、登戸で小田急線、稲田堤で京王相模原線、府中本町でJR武蔵野線、分倍河原で京王線に接続し中央線の立川に至る大変便利な線だからである。

車両は山手線のおフルの205系が中心だが、もともと南武鉄道として貨物輸送を視野に開業した事もあり、歴史を感じさせる場所や昔のJRの雰囲気が漂っている箇所が多いのがとても良い。沿線には東京競馬場をはじめ競艇、競輪場なども多く、休日にはギャンブル電車と云われる車内の雰囲気も気さくで面白いし、多摩川や多摩丘陵の緑が間近いと云うのも風情がある。なによりいまだに電気機関車に引かれた貨物列車が時々トコトコと走ってくるのが鉄道好きにはたまらないのである。

都市化の波にさらされて朝晩などは大混雑する南武線も、これまではなぜか6両編成の各駅停車のみでのんびりと走っていたのだが、さすがに時代の要請で、快速列車が川崎-登戸間に復活する事になった。停車駅は鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口の5駅だそうで、緩急接続(急行と各停が同じホームに同時に到着してすぐに乗り換える事)はないが、各停の本数を増やして通過駅利用者には便利をはかると云う。

しかし、溝の口や武蔵中原ではスペースや線路配置から、わずかな手当てで、すぐにでも緩急接続が可能ではないだろうかとも思える。実際にはいろいろな制限があって、費用対効果から緩急接続運転を実現するのも困難なのであろうが、すべからく公共の交通機関は便利かつ早いというのが課せられた使命、そんな接続がどこでできるのか、ダイヤを頭の中で練って夢みるというのもファンの楽しみである。

(ニケ領用水を渡る南武線電車)
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2010年10月26日 (火)

アキレス腱炎

左足のアキレス腱炎がひどく、ここ数日はゆっくりとしたジョッグしかできない。なにしろ速く走るとアキレス腱に力がかかるのか、痛みが激しくなってしまうのである。来年の2月末の東京マラソンの抽選に夫婦して当たったので、元来フルマラソンは好きではないが、気持ちを切り替えてマラソン向きの練習をそろそろ始めようか、などと思っているが、その前にこの痛みがとれないと走れたものではない。

「走る事は歯を磨く様なもの」と考えて習慣化しているが、それでも夏の暑い日や疲れている日は、さぼってしまいたいな、と良く思う。これから冬になると、暖房の効いた部屋や暖かいフトンから、寒風の中に一歩踏み出すのも結構気合がいる。しかし人間は不思議なもので、怪我をしていて走れないと、痛切にそれが口惜しくて早く走りたいと切望するものだ。そういう時は、少し休んで痛みが和らぐと、焦って練習を再開して却ってこじらせてしまうのが、大体のパターンではないどろうか。

まあ一流の競技者じゃないんだから、一週間くらい走らなくても、その間に暴飲暴食で体重が増えたりしなければ、大して結果は変わらないものだ、痛みが引いてからまた走ればよいさ、とおおらかに行きたいものである。しかし妻と一緒のレースに出ると、行き道では「今日はコーチをしながら伴走してやるよ」などと言っておきながら、着替えてスタートの列に並ぶと、いつの間にか前の方へ移動していて、「何よ、結局レース中は一度も口などはきけないじゃない」と言われている。どうも走る事になると、前へ前へと急ぐ様に私の脳内プログラミングはパターン化していて、なかなかゆったりとは出来ない性分の様である。

2010年10月24日 (日)

がてまら丸

クルーズで知り合いになった方から連絡があった。ご主人が作成してご自宅に飾ってある船舶模型を譲って下さると言う。そんな大事なものを頂いて良いものかと迷うが、先方は模型が自宅に幾つかあるので遠慮せず貰ってくれと言われるし、ちょうどこちらも事務所の飾りにそんな模型があったら良いなと思っていた処なので渡りに舟と譲って頂く事にした。昨日は車で先方のお宅まで行って模型に対面したが、これが見てびっくり、実に精密で立派な模型で、一隻をつくるのに数ヶ月かかったそうである。

博物館などに飾ってあるこういう船舶模型は専門の業者が作るのだが、普通の貨物船でも1隻200万円位する。というのも模型業者は造船所で作成した船舶の本物の設計図から模型用の図を起こし、木を削り金属の部品を作るのでとても手間ひまがかかる。そういえばかつて海運会社に勤務していた頃、営業活動の一環として大口の荷主に船舶模型を贈答したらどうかと考えて、模型業者に見積もりを依頼した事があった。その時は、模型の値段の高さにびっくりし、4隻注文するから1隻あたりの金額を半額にしろと話を進めたのだった。その時贈呈した模型が、今でも荷主の会社のロビーや応接間に飾ってあるのを見ると、とても懐かしくてうれしくなるのだが、模型というものは船舶に限らずなにか心をときめかせてくれる。本物をもてないモノへの所有欲というヤツだろうか。

で、これが昨日いただいた貨物船である。コンテナ化や専用船化が始まる前の60年代後半の9000トン在来型定期船がてまら丸で、カリブ海や中南米へ重量物を含めて各種雑貨を運び、帰りは米国から肥料や石炭を運んで来た。ブリッジの前の4対のポストに林立するデリックブームの精密な復元模型を見ると、作り手の船への愛情を感じるとともに、高度成長期のわが国の輸出入を支えた在来型貨物船の昔日の活躍を思い出すのであった。
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バルクキャリアー 2010-10-24 22:51:48
のすけさん

そうなんです。グアテマラ丸でなく”がてまら丸”です。でも何かグアテマラには縁がありますね。


のすけ 2010-10-24 22:30:39
なんと!

がてまら??

2010年10月23日 (土)

宮本輝 「錦繍」

書店で宮本輝の「錦繍」(新潮文庫)をふと手にして、購読してみた。長編が多い宮本輝の作品の中では、比較的コンパクトで読み易いと思い、週末に読むには手頃かと考えたのだった。「錦繍」は、不倫相手の心中に巻き込まれて瀕死の重傷を負った男と、その事件によって別れた妻が長い年月を経て偶然再会し、その後二人の間で往復する手紙が作品になった書簡体の小説である。書簡体の小説の代表作といえば、たしか夏目漱石の「こころ」がそうだったと記憶するが、事件を巡って真相を明かしつつ、一人称で物語を展開する事によって、ダイレクトに読者を納得させながら心の内面を表現していくのに、手紙を使うというのはなかなかうまいやり方である。

幾度も往復する二人の手紙のなかでは、心中事件の経緯や過去のバックグラウンド、そしてその事件で離婚した二人が、その後どう生きて来たかが縷々語られる。事件により堕落しデカダンスの人生を送る男と、再婚相手との間に生まれた子供が障害をもつ女、二人が手紙で人生を振り返る中で、人間のエゴや孤独、もって生まれた「業」や生と死の問題が語られて行き、読み手にいつの間にか生きる意味を考えさせる展開となっていく。週末用に買った本を金曜日の夜に読み始めたら、一気に作品に引きずり込まれ、土曜日を待たずして読了してしまった。

宮本輝の作品で最近読んだものは「にぎやかな大地」についで、これが2作品目である。若い頃、彼の作品を読んだ事があったものの、当時は平板に思え余り印象に残らなかった。それが数年前、たまたまNHK教育テレビで「人間の業」について語る氏のインタービュー録画を見て興味を持ったのが、「にぎやかな大地」を読むきっかけだった。予想にたがわず彼の心の遍歴からつむぎだされるこれらの作品は、”時間”が持つさまざま側面を語りつつ、過去が現在にどう反映し未来に投影されるのか、”実存的”とも云える人間の根源を説いている様に感じさせられる。その”実存”という問題が、おだやかなストーリー展開の中に様々に散りばめられていて、読んでいると作中の人物がわが身に重なったりして、ちょっと考えさせられるのが宮本輝の秀逸なところではないだろうか。若い頃には感じなかった宮本作品のキモが少し理解できたかもしれず、「ああ俺も無駄に馬齢を重ねてはいないのか」とちょっと安心するのであった。

2010年10月20日 (水)

味噌バーグ

コンビニのハンバーグ弁当を買う。割り箸と共に定番、ビニール小袋の一人前ウスターソースがセロテープでお弁当箱にくっついてくる。最近はコンビニ弁当に醤油やマヨネーズなど小分けされた調味料がビニールの小袋でついて来るが、程よい分量をかけるだけでどこでも美味しく食事が楽しめ、何とも便利な世の中になったものだと思う。いさんでソースをハンバーグとソーセージの上にかけチンして待つ事約2分、いよいよほっかほかのハンバーグにかじりつくが・・・。

ウッ! 一口このハンバーグをほおばると、やけに塩辛いのである。おかしい!と思いソーセージをかじると、やはりこれもひどく塩辛い。ムムこれは異な事だ!と感じつつ、シゲシゲとかじった跡を見ると、どうやらソースをかけた部分がやたらめったら辛~い様である。ウーム、これはソースを作った業者が塩の按配でも間違えたに違いないと思ったのだが、今更コンビニに文句を言いに行くのも面倒だし、毒が入っていたり腐っているわけでもないから、その塩辛~いソースのまま完食してしまった。

で、食べ終わって空になった箱を捨てようと、先ほどのウスターソースの小袋を手にとって見て思わず絶句。その袋には”お味噌汁”と印刷されている。という事はさきほどハンバーグやソーセージにかけたのはソースでなく、インスタント味噌汁の元であったのだ。ちょっと暗くてお味噌の色とソースの色が区別つかなかったのも不覚だが、ハナからハンバーグ弁当=ソースをかけるはずと決めてかかり、良く袋を確かめずにかけたのは、いつもながらおっちょこちょいの面目躍如と言えるか。

名古屋名物の味噌カツならまだ食えるが、味噌汁の元をかけたハンバーグなら塩辛いわけだ、と妙に納得しつつも、味噌って本当に塩分が沢山入っていて、これを一日に何杯ものめば血圧が上がるので控えよと云われるのはこの事かと、改めて生みそを食べて実感したのである。

バルクキャリアー 2010-10-21 22:02:11
のすけさん、こんにちは

今度は、味噌かけでなく味噌入りのハンバーグを食べてみたいです。


のすけ 2010-10-20 22:27:21
我が家の昨晩の夕食もハンバーグでした。

「味噌を少し入れると美味しくなる」と聞いたので試してみたら本当においしかったです(他にも水を入れた、蒸し焼きにした、よくこねた、など別の美味しい理由はありますが)。

あら、ここでも味噌バーグの話?と思ったら全然違った・・。

みんな「ちょっとそれどうなのよ・・」って思ってると思う(笑)。

2010年10月18日 (月)

数年後の居場所

お互い今日負けると優勝の目がなくなる明治・慶應第3回戦を秋晴れの神宮球場で観戦する。最近の慶應・明治のカードはもつれる試合が多いと記憶するが、今季も16日(土)は明治がエース野村(広陵)の好投で先勝、17日(日)は慶應の打撃が奮いタイとなり、今日の3回戦で勝った方が優勝争いに残れるという大事なゲームになる。試合は序盤、慶應のタイムリーエラーなどで明治が3点リード、野村も完璧な立ち上がりでこのまま一方的な試合になろうかという展開であった。

しかし4回の慶應の攻撃は、執念とも云うべき連続安打に犠牲フライなどで一挙に同点、5回には足を絡めた攻撃に相手キャッチャーの後逸も重なり逆転に成功。慶應は投手を竹内(中京大中京)から福谷(横須賀)へリレーして、そのまま4対3で逃げ切った。それにしても終盤の福谷に対し明治の左打者はタイミングが完璧に合っていて、あわやという当たりもあり、最後まで気の抜けないゲームであった。

9回1点ビハインドの明治の攻撃は、2死一塁で代走の4年生の山口(春日部共栄)がイチかバチか2盗を試みるも憤死でゲームセット。ベース上で泣き崩れて起き上がれない山口君の姿を見ていると、この試合にかける明治の意気込みを感じてジーンとしたのだった。島岡御大が率いていた頃のかつての明治は、猛練習のひたむきなチームだったが、最近はプロ顔負けのラインナップで泥臭さから遠くなったものの、このファイトぶりなら天国の島岡御大も許してくれるだろうか、などと思えてくる。

それにしても今日は平日の昼間なのに、結構多くのファンでスタンドが賑わっている。学生や関係者を除くとそのほとんどが年配の男性なのだが、定年になってゆったりした時間をスタンドで過ごしている様に見受けられる人が多い。私ももう少ししたら彼らと同じ様に、神宮球場や秩父宮ラグビー場、それに国立競技場の試合日程をつぶさにチェックして、弁当片手にひがな一日スポーツ観戦する高齢者の仲間入りをしそうだと、数年後の自分を見ている様な気持ちがした。

2010年10月15日 (金)

銀座の踏み切り

数ある鉄道趣味の中に、廃線跡めぐりと云うジャンルがある。旧国鉄や地方私鉄の廃線になった区間を地図を片手に訪ね歩き、線路の配置やプラットフォーム跡から往時の賑わいや運行状況を想像して楽しむのだそうである。私も新宿花園神社脇の都電専用軌道跡や、桜新町から用賀に降りる玉電の坂道跡を通りかかる事があるが、そんな時は角筈行きや二子玉川園前行きの路面電車が走っていた頃を思い出し、懐かしい気分がこみ上げてくる。

東京のど真ん中、銀座8丁目にも鉄道廃線跡があって、ここはなぜか踏み切りの警報機が記念に残されている。場所は海岸通りが昭和通りと交わる蓬莱橋交差点の南、海岸通りを銀座方面から歩いて来ると、歩道脇に忽然と警報機が立っているのに驚かされる。警報機の土台につけられた銘板には、昭和6年から昭和62年までここに国鉄の汐留駅(貨物駅)から築地の卸売り市場に直接連絡する貨物線が敷かれていて、最盛期には多くの貨車が通過した、と記載されている。

今の様な道路網が整備される前、国内の物流はほとんどが国鉄に依って行われ、汐留や吹田を始め主な都市には大きな貨物列車の操車場があったが、今では貨物操車場が再開発されたり空き地になってしまい、貨車の入れ替え作業なども目にする事がなくなった。当時は宅配便などという便利なシステムもなかったから、大きな荷物はチッキと呼ばれる駅留め便で送られてきたので、国鉄の駅には良く荷物受け取りに行ったものだった。銀座8丁目の廃線跡を見ていると、国鉄による貨物輸送が全盛期だった頃を思い出し、時代の変遷を強く感じたのであった。
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2010年10月14日 (木)

パンツは短く

ケーブルテレビで大学ラグビーの試合を放映している。見ていると今年はロール・アウエイをまた厳しく取るのかいと思ったり、ラックのオフサイドをオフ・ザ・ゲートと解説が言ったりで、ラグビー界は相変わらず毎年ルールの運用や呼び方を変更をしているのかと戸惑うが、今年は選手のパンツ丈がやや短くなった様で、これはとても清々しくて良い。昔の選手と違い、今はラグビーパンツの下にスパッツを着用しているものの、10年前に流行した膝まであるラグビーパンツ丈が、今シーズンは膝と股の真ん中より少し上あたりの長さになっていて好感がもてる。

あの膝までのパンツを見ている頃は、バスケットボール選手のぞろっとした長いパンツを思い出したものだが、膝丈パンツは2米もある黒人のMLBのプレーヤーが着てこそサマになるのであって、日本人のラグビーやバスケットボール選手が膝上までの長いパンツをはいていると、ステテコを着てやっているのかいと嘲笑したくなってくる。

同様に奇異に感じるのが野球選手のユニフォームである。かつて野球選手は皆ストッキングを長く出して、そのストッキングの色や柄でチームカラーを示していたものだが、最近のプロ野球では、ほとんどの選手がユニフォームのズボンをくるぶしまで伸ばし、ストッキングが見えない着こなしをしている。この長いダボっとした野球ズボンを見ていると、小学校の白い安トレパンを思わず連想してしまうが、イチロー選手などは昔スタイルのこだわりのストッキング姿で、一流はやっぱり違うなと声援したくなる。

そういえば、ボクシングではパンツから下はロー・ブローとして打ってはいけないというルールを悪用して、胸から膝下までの超デカパンでリングに登るボクサーをドリフターズがコントでやっていたのを思い出したが、すべからくスポーツ選手は短めかつ最小の服装できりっとグランドやリングで戦うのが恰好良いとオジサンは思うのである。

2010年10月12日 (火)

東京マラソン2011 当選!

毎年「どうせ当たりやしないけど・・・」と妻が申し込む東京マラソンだが、一昨年は妻が、昨年は妻の妹夫婦2人が当選して「結構身近じゃん」などと思ってはいた。それでも今年も10倍近い当選倍率だと聞くと、「まあ当たるわけないから、申し込みたければ2人分やったら」などと例によって無責任に妻に任せていた。そんな事も忘れていたら、先ほど妻が「たたた大変!ダ、ダブル当選」とパソコンを見ながら騒いでいる。画面には「・・・、定員を大幅に超える申し込みがあり、厳正なる抽選を行いましたところ、当選とさせていただきました」と確かに2人分表示されているではないか。二人で同時に当選するとは倍率的には100人に1人くらいだから、「冗談の類い」だろうと思ったり、こんな処で、人生の”運”を使ってしまうのは勿体無い、などとちょっと複雑な気持ちである。

というのも私にとって、フルマラソンは長すぎてどうも苦手な種目なのである。そもそも現役時代は、フルマラソンといえば今の様な市民マラソンがなく、陸連の登記登録者だけの競技であったから、だいたい長距離を卒業した走者が次のステップで走るものであった。私などは中距離走者だったが1500米で3分台などは遠い夢、インカレには死んでも出られそうもなかったから、大学では都合上、駅伝チームに組み入れられたに過ぎない。なので長距離と云っても、体力だけで押し切れる20キロまでが精一杯で、当時はフルマラソンを走る人を尊敬の目で見ていたものだ。その頃、伊豆大島に体協の合宿所があって、大島一周50キロ走などという練習もあったが、大体その日は都合よく風邪になったり肉離れをしたりで、とうとう4年間一度も走らずシメシメなどと思った方である。

30代半ばに人生の記念に、一度フルマラソンを走ってやろうとレースに出た事もあったが、当時は仕事も忙しい頃で3時間10分台が精一杯。「まっとうなサラリーマンがサブ・スリー(3時間を切る事)なんて出せるわけないや」などと負け惜しみを言って、それ以来フルには興味もなかったのが実情である。だいたい3時間以上同じ運動などを続けると、心のどこかから「もういいよ、やめちゃえよ」と悪魔のささやきが必ず聞こえ、性格的にどうも向いていない様だ。最近は妻や親戚が東京マラソンに出場するのを見て「フル・マラソンは走るもんじゃあないね、見て楽しむものだね」などと、おちゃらけていたが、まさかこの年で又ひっぱり出される事になり、まさに「シェー!」と叫びたくなってくる。

さっそく妻は、親戚中にメールでダブル出場を触れ回って浮かれているが、私は傍らで、うまい具合に20キロくらいですーっとコースから消えようかとか、「妻の伴走」という事にしてコーチを優先してゆっくり走ろうかなどと、今から様々なエクスキューズを考える。いやいやそれでは抽選に漏れた人に申し訳がない、やはり少しはマジメに走りこみをするかなど、先ほどから色々な思惑が心の中で渦巻く20数年ぶりのフルマラソンである。

当たったランナー 2010-10-14 19:23:02
いっそQちゃんも合宿したコロラドのボ-ルダーなどが良いとおもわれ・・・・。


院長 2010-10-13 17:21:02
やったー!!すごいぞ!ダブル当選!!

応援しますよぉ!

さぁ、今年も合宿だ!指宿?宮崎?・・・いっそ、沖縄かぁ~?!

2010年10月11日 (月)

トイレの掃除

妻が休日出勤になったため、久しぶりに一人で音楽などを聞きながらのんびり過ごす。といっても1時間くらいCDを聞いてごろごろしていると退屈してくるので、風呂掃除とトイレ掃除くらいはしておくか、と腰をあげる。お風呂は永年使っているうちに黒かびがあちこちに付着してくるが、これがこすっても中々きれいにならないので、タワシを使ったり細かい所はカビ取りの洗剤を歯ブラシに塗ってこすったりと、なかなか体力がいる仕事である。大体、一回の掃除で重点的に攻める場所を決めておいて、そこを集中的にきれいにすると、その部分だけ黒カビやヌメリがなくなって気持ちが良い。で、次の掃除の時はあそこを綺麗にしてやるか、などと思うのだが、大抵次がいつになるのかわからないから、男の家事は困ったものである。

風呂が終わると次はトイレの掃除である。トイレの掃除をするようになって気がついた事だが、便器の内側や便座の裏側はかなり汚れているものだ。普段手の届かぬ所をトイレ掃除用の流せる紙でぎゅっと拭くと、1週間でこんなに汚れたのかとびっくりする。それにも増して驚くのは、男性が立って小用をたした場合の飛沫の跡である。昔はこんな汚れを気にした事もなかったが、トイレの掃除をする様になると、男性用トイレの周囲はなんて汚れているのかと、びっくりする。私の場合で言えば、いくら足が短いとはいえ、股下地上70数センチの所から30センチほどの水面まで、小さな滝が流れる様なものだから、滝つぼにスプラッシュが出来て当然といえばそうである。若い頃は、高飛び込み選手の着水の様に、この滝も勢い良くまっすぐに入水していて跳ね返りも少なかったのであろうが、年齢を重ねるとスプラッシュマウンテンも結構盛大、高飛び込みなら予選敗退という感じである。

そうやって便器やその周辺をふき取って、やっときれいにし終わると、なぜだかトイレを汚すのが惜しくなってくる。以前、男の子やお父さんが小用の際に座らされる家庭もあるというのを聞いた時、「てやんでえ、男もそうなっちゃオシメーよ」などと嘘ぶいたものだが、トイレ掃除を自分でした後は、誰に言われたのでもなく、暫くは小用の時も便座をおろして座る様になるから、我ながらその変わりように笑ってしまうのである。ただ生まれてからこのかた、トイレで座るのは大が目的であるというのが身についているから、ズボンを全部下げた瞬間に便意も催すというのも困ったものである。

2010年10月10日 (日)

今日の「私の履歴書」

清酒「月桂冠」相談役の大倉敬一氏が、日経新聞の「私の履歴書」の今月の執筆者で、自分が京都の「ぼん」である事を前面に打ち出していてとても面白い。最近の「私の履歴書」は、自分の才能と努力を披露したいのをオブラートに包みつつ、妙に謙虚な筆致で執筆している様な人が多く、かえって読み手の方が「あの人の普段の言動からしたら、もっと自慢たらたらの方が似合っているのに」と違和感を感じるのだが、大倉氏は「ぼん」の上に「ばか」がつく様な境遇を臆面もなくさらけ出して、本当の金持ちの大らかさを感じさせてくれる。

今日の「私の履歴書」では、「1952年第一勧業銀行に入行した。堂々と書くのははばかれるけれど、コネ入行である」「本店を抜け出して赤坂・溜池にあった・・・ゴルフ練習場に良く通った。ある日、のんびりボールを打っていると、ゴルフ好きの役員に見つかってしまった。まずい、と慌てたが、役員氏はにこにこしながら『そろそろ戻ろうか』。車に同乗させてもらっって本店に帰った。おおらかな時代だった。」とあり、思わずそうだろうなと、にやりとしながら読んでしまう。その他父親にすすめられて祇園で舞妓と遊んだ事など、「ぼん」の面目躍如と云える少年・青年期がつづられていて、苦労物語や成功物語を聞かせられるより余程面白い。

そういえば、以前芝公園にゴルフ練習場があって、若い頃に私も仕事をさぼってよく練習に行ったりしたが、隣の部の部長があちらの打席で球を打っていて、お互い何となく気まずいながら、にっこりと会釈した事を「私の履歴書」を読んだら思い出した。会社の近くに全員超ミニスカの女性理容師ばかりの床屋があって、これまた午後三時頃のんびりと髪を切ってもらっていたら、隣で我が課長が鼻の下を伸ばして、髭を剃り鼻毛を切ってもらっていて、思わず吹き出しそうになった事もあった。たしかにおおらかな時代であったが、大倉氏と違って平民の私は、結局たいして出世もしなかったなどと妙に納得しつつ、コーヒーを飲みながら休日の朝をすごすのであった。

2010年10月 8日 (金)

運動会といえば

体育の日も近づき、ようやく朝晩は涼しくなって秋の訪れを実感する。秋の空といえば、運動会である。当時水泳があまり得意でなく、夏休み明けの校内水泳大会ではよく最下位になるなどして恥ずかしい思いをしたから、秋になって走る方で名誉挽回という気持ちがあったのだろう。子供の頃から走るのだけは速かったから、運動会が近づいてくると何だか嬉しくて、この季節は浮き浮きしていた事を思い出す。

という事で、運動会といえば徒競走、徒競走といえば”バン”と云う号砲と共に、スピーカーから流れる運動会独特の音楽である。最近は「ポニョ」だとか、「トトロ」の音楽など随分いろいろな曲が運動会で使われている様だが、我々の頃は「 クシコクス・ポスト 」に「 天国と地獄 」それに「 道化師のギャロップ 」など数曲が壊れたレコードの様に際限なく繰り返されていたものだ。これらのアップテンポな曲を何度も何度も聞いている内、アドレナリンとかドーパミンが脳内に拡散してきてハイな気分になり、運動会の一日を楽しく過ごしたなあと、とても懐かしい。

そういえば「 オクラホマ・ミキサー 」とか「 マイム・マイム 」が鳴っってフォークダンスの時間になると、”おくて”の私は女の子と手を握るのが恥ずかしくて、参加したいが照れくさく、なんとなく遠巻きにしてなかなか参加できなかったもんだ。道理で大人になって社交ダンスを少しかじりかけても、すぐ頭が真っ白になって、手足がばらばらになるのかと妙に納得する。

運動会となると、スペリオアパイプの鼓笛隊演奏を聞きながら、のり巻き・たこウインナー・卵焼などが詰め込まれた弁当を青空の下で食べたなあ、などと懐かしそうに言っていたら、小学生の姪の運動会に義妹が写真の弁当をこさえて招待してくれ、思いきり昔を思い出したのだった。
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2010年10月 6日 (水)

明治神宮野球場

先に2勝を挙げた方が勝ち点を奪う東京六大学野球リーグ戦で、立教ー慶応戦が5回戦までもつれ込み、延長14回の死闘の末に慶応が2つ目の勝ち点を挙げ優勝に望みを残した。一方、立教はこの敗戦で優勝の可能性がほぼ消えた事になる。慶立戦は先々週の25日(土)に1回戦を行い慶応先勝、26日(日)は引き分け、27日(月)が雨天順延、28日(火)が延長12回引き分け、29日(水)が立教の勝ちでタイとなり、1週空けた10月5日(火)の5回戦でようやく決着がついたわけだ。歴史上は早慶6連戦があるものの、これはナイトゲーム設備がない当時、日没引き分けの優勝決定戦を含んでおり、5回戦まで戦ったのがこれまでリーグ戦では最長記録で、今回は1990年以来12度目との事である。

それにつけても、慶立2回戦の9月26日は神宮球場プロ野球併用日にあたり、六大学リーグ戦が2試合ある際は9回で学生は引き分け打ち切り、28日は連盟規定で12回引き分け、10月5日はプロ併用日だが六大学が1試合のため14回までと日によって条件が違うのに戸惑う。せっかく点数の競った六大学の好試合でも、プロ野球がある週末は学生野球は9回で打ち切りとなるのは誠に興ざめで、何とかならないものかと毎シーズンの様に思う。一方いくら東京六大学野球に優先使用権があるとはいえ、同じ神宮球場を使用する東都大学野球リーグは、六大学野球の決着がつかない場合は木曜と金曜しか占有権がなく、リーグ日程が毎シーズンの様に六大学の結果に左右されるのもいかにも可哀想にといつも思う。

明治神宮野球場は建設された時のみならず、改装する際にも東京六大学野球連盟が建設費ほか様々な面で支援・協力をしてきた結果、現在の様な使用形態になっているのだが、東都大学野球連盟はこの際、神宮球場にこだわらずドーム球場に移るか、神宮第2球場を全面改装してホームにするなど抜本策を講じては如何であろうか。人気の六大学と実力の東都が、神宮の隣同士で同じ日にリーグ戦を行うというのもファンにとっては興味深く、私などは両方観戦して行こうかという気になるだろう。

かたやヤクルト球団としても、古色蒼然たる旧式の神宮球場をいつまでも本拠地にしておくのであろうか。アメリカではデトロイトのタイガースタジアムやシカゴのコミスキーパークはもちろんの事、ヤンキースタジアムまで新しくなるなど、球場は明るく家族連れで楽しむ広い空間という意識が広まっている。国内でも広島球場が新装なり、テレビで見るとお隣の韓国のプロ野球球場もきれいになっている様である。いくら青山の便利な場所に位置するとは言え、現在の神宮球場の設備が高い金を払ってプロ野球観戦するのに相応しい場であるとは、私には思えないのだのだが。プロ野球併用日に神宮球場に来ると、いつもこんな事を考える。

2010年10月 5日 (火)

長屋の花見

昨日は休肝日であった。しかし先日ネットで見たエリンギのオイスター炒めがやけに食べたくなって、スーパーで活きがよさそうなエリンギを買ってきてしまった。フライパンに油をしき、縦に切ったエリンギにオイスターソースをからめ、醤油少々と最後にごま油をたらすと完成。いとも簡単な料理だが、エリンギの食感に甘辛いオイスターソースがよく似合って、得もいわれぬ中華風炒め物である。

食べ始めてみるとこれがビールのつまみに最高で、刹那に琥珀色の液体と白い泡が頭に浮かんで来る。すると「 まあ今日の禁酒は明日に延期するか 」とか「 週2日を心がけている禁酒だが今週は1回で良いか」などと悪魔のささやきが頭をよぎる。「いかんいかん、初志貫徹するか」などと幾度も自問自答するのだが、その葛藤の方が却ってストレスフルだっつーの!、と笑ってしまう。

でも昨日はあまりに喉がビールを欲するので、随分前にどこかでもらったカロリーゼロのノンアルコールビールを、冷蔵庫の奥から引っ張り出し飲んでみた。普段「あんなもの飲むくらいならコーラでも飲んだ方が良いや」と豪語しているのも忘れ、シュワーとした喉越しの苦味に、なんとなく心が満たされる様で、「プハー、今日のビールはうめーや」と漏らすとなんだか本物を飲んでいる気持ちがしてくる。「これなら幾ら飲んでも酔っ払わなくて良いや」と思っていると、思わず落語の「長屋の花見」の気分になってくるのである。


ノンアルコール&糖質ゼロビール
20101004

2010年10月 4日 (月)

ごまめのはぎしり

尖閣諸島を巡る中国の子供じみた対応で、やっと中国という国の本性が露わになってきた様である。根っからの中国嫌いの私であるから、数年来このブログで何度も中国警戒論を採り上げ、最後は8月10日に反中国の事を記したところ、その後尖閣問題が勃発して、最近メディアの論調も彼の国について懐疑的になってきた事は結果として喜ばしい事だ。願わくばもっとこの問題が行き詰まって、日本国民に中国の実態が判り、反中国運動がもっと盛り上がって欲しいほどである。それでも先日行われた渋谷での反中国デモは、海外で広く報道されているのに、日本ではまったく報道されていないと云うが、ここに至ってもまだメディアは偏向報道を続けるつもりらしい。

そういえば昭和40年代初頭、毛沢東が指導者だった頃に、高校の社会科で、岩波新書か何かの毛沢東の本について感想文を書かされた。当時は、親中国で左翼寄りでなければ”まとも”でない、とみなされる風潮の中、クラスの中でただ二人、中国共産党と毛沢東の批判文を読み上げ、左寄りの教師が唖然としていた事を昨日の様に思いだす。私は日本人が、これまでなぜ中国に対し、ノスタルジックかつ素朴な親近感を持ってきたのか、いつも不思議に思うのだが、我々が近寄るべき相手は米国であり、反中国包囲網を形勢するインドやフィリピンともっと協調する必要がある事が、やっと認識されてきた様だ。 究極の選択として、中国の属国となるかアメリカの属国になるか迫られたら、どちらも不愉快な事であろうが、私は断固アメリカを選ぶのである。

尖閣事件以来、個人としては中国製品不買運動を続けており、例えばスーパーで100円の中国製野菜と200円の国産野菜があれば、必ず中国製を避ける事としている。ごまめの歯軋りと云うヤツだが、経団連などもオロオロして政府の足を引っ張るような早期解決の要望を出していないで、ここはグッと踏ん張って欲しいものだ。資本投下の相手としても投資にしても販売市場としても、中国離れをする事が、長い目でみれば国益にかなっていたという事になるに違いない。機を見るに敏な彼の国の政府は、日本の反中国世論の高まりや国際世論の警戒観が強まるや、必ずや懐柔策を行使してくる事は火を見るより明らかである。

2010年10月 1日 (金)

シルバー・シャドー

日本ではクルーズというと高価かつ高齢者のレジャーの様に思われているが、クルーズの先進国アメリカでは乗船者の年齢が40歳台だという。今年の初めに乗船したオーストラリアのクルーズでも若者たちのグループが多くて、平均年齢は40歳を切っていたのではなかろうか。それほど欧米ではクルーズが、一般的に普及しているバケーションであり、数千トンの小さな船やリバー・クルーズから20万トンを越える超大型船まで、値段的にも雰囲気も各種のジャンルがある。

こういうマーケットにあって、どうも日本船は高級料亭の様なガラパゴス的特異な進化を遂げており、特に一泊あたりの乗船料4万円~5万円以上という値段設定が、クルーズの普及を妨げているともいえよう。この値段なら、海外ではプレミアム船のスイート以上のキャビンに泊まれるというものである。そうした概念に悪乗りして、欧米の所謂”カジュアル”船と分類される大型船まで”豪華客船”という事で、一括りにしてわが国では宣伝されているのには、少々違和感を覚える。周囲を海で囲まれた海洋国家としては、憂うべき状況とも云えよう。

そんな中、昨日は東京の晴海埠頭に、本当の”豪華客船”シルバー・シャドーがやってきた。イタリア籍で全室スイート、船型を28000トンと小型に抑えているのは乗客400人にクルーが300人というフル・アテンドの為、アルコールやチップもすべて乗船料金に含まれるオール・インクルーシブのラグジュアリークラスのクルーズ船で、こういう船こそが”豪華客船”と云う名にふさわしい。それでも飛鳥などと比べればびっくりするほどの料金ではない処が、日本船のガラパゴス的存在のゆえんともいえようか。東京での短い滞在を終えて、レインボーブリッジをアンダーパスして出港するシルバー・シャドウのイルミネーションを見ていたら、いつの日にかこんなラグジュアリー船に乗船してみたいものだと思った。

<写真は東京港を出港するシルバー・シャド-のイルミネーション>
20100930

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