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2010年9月

2010年9月29日 (水)

そうだ山に行こう

朝のNHKニュースで北アルプスの秋色が流されている。そういえば山に行かなくなって随分経つな、と山への郷愁が募ってきた。若い時分はその頃の多くの若者がそうした様に、奥多摩や奥武蔵、時には北アルプスなどに登山に出かけたものだ。週末になると運転される中央本線や東武鉄道の山岳夜行列車に、リュックを担いで乗った事を思い出す。海外旅行のついでに山道を歩く程度のトレッキングなら最近もやった経験があるが、本当の「山登り」らしき事をしたのは、30年前の奥穂高が最後だろうか。いつの日にか槍ヶ岳には登りたいと思っていたが、その夢も中断したままだったとテレビを見ながら考える。

おりしも高校時代から一緒に山を歩いた友人が、最近リストラにあって家でブラブラしている。大学を出て長期信用銀行に入った彼だが、長銀の破綻でその後の人生も随分変わってしまった様だ。こちらも最近の円高で仕事もどうもはかどらないし、暇である。長いつきあいで今でもよく酒を飲むのだが、最近は「会社員人生はお互い結局たいした事なく尻すぼみで終わったなあ」としたたかに酔っ払って慰めあう。妻に言わせれば、彼とよく行く神田の焼き鳥屋は「傷の舐めあい場所」なのだそうであるが、先日は焼き鳥をつまみながら、時間はたっぷりあるので、登山を再開しようかと機運が盛りあがったばかりだった。

そんなこんなで、今日は彼に電話をして「この前の話だけど、山歩きを本当に再開しようぜ」と云う事になった。といっても登山靴やウエアなどは、引越しなどの際にみんなどこかへ捨ててしまった。しかし最近はとても機能的で良い登山用具がある様なので、ここはちょっと奮発して昔買えなかったウエアーなどを”大人買い”してみようかなどと算段する。妻は「 収納場所に限りがあるのだから、1つ物を買ったら何か必ず1つ捨てるのよ 」となどと言うが、今朝の双六岳からNHK中継を見ていたら、今なら体力的にもまだ余裕があるので、今のうちだと秘かにファイトが湧いてくるのであった。

2010年9月27日 (月)

ステテコ・マラソン

先般亡くなった谷啓を偲んで、クレージーキャッツの代表的コスチューム、ステテコ姿でマラソン大会を走る決意である事は、今月14日の当ブログで宣言したとおりである。と思っていたら絶好のチャンスが思ったより早くやってきた。小学生の姪っ子仲間のお父さん・お母さんチームが、先週末に行われた12時間耐久リレーに出場するので、助っ人として走ってくれという依頼である。東京の真ん中、茗荷谷駅至近の1.2キロの周回コースを夕方6時から翌朝6時まで、1チーム10人の駅伝形式で12時間タスキをつないで走ろうというイベントだから、コスチュームをアピールするには恰好の舞台、かつ夜間なのでステテコ姿でも違和感が少なかろうというものである。

規則では12時間以内に登録されたメンバーが何回走ろうと、一人が何周しようと各チームが自由にタスキを継ぎ、12時間の周回の多さを競うという事で、私はスタートの夕方6時からまず6キロ(5周)、次に7時頃からまた6キロを普通のランパンで走った後、8時頃からいよいよ扮装で最後の3本目6キロ走に挑戦する事にしたのであった。まず最初の6キロ走を2本こなした後、メインイベントに備えて大急ぎでステテコにダボシャツを羽折り、おなかに茶色の腹巻、頭には禿げオヤジかつらをかぶり、ロイドの伊達めがねと鼻の下のチョビ髭で、”昭和のオヤジ”スタイルをきめる。そんな恰好で次のタスキを待つ間ぶらぶらしていると、あたりで応援する大勢の人達は、何か見てはいけないものを見てしまったかの様に、目をそらすのが楽しい。

などと人の視線を感じている中に、前走者が早くもやってきて3回目の6キロ走の為にタスキを貰う。夜とは云え東京の真ん中、沿道からは失笑と共に盛んに声援が飛ぶのが嬉しくて、その度に手を振ったりするのだが、どうも声援は「カトちゃーン頑張れ~」というのが多い。それもそのはず、我がチームでさえ私を除けば走者は小学生の父母だからアラフォー、その中でただ一人だけ私はアラカンだから、「これはドリフじゃないよ、クレージーだよ~」などと言っても通じるわけがないか。が、それでは、谷啓の追悼にはならぬと奮起して、「ひとつ山越しゃ、ほんだらだ、ホイホイ」とホンダラ行進曲を大声で歌いながら走り、声援には両手を体の前で大きくかきつつ走る。沿道からは「あのオヤジ、結構速くね~?」とか「加藤ちゃんまた周回してきたよ」などと言っているのが耳に入ると、なんだかいっそう嬉しくなるから変装ランには結構ハマリそうだ。

しかし幾ら何でも坂道が多いこのコースで、コスチュームランを含めて6キロ走X3本は、さすがに昔の陸上競技の練習を思い出して足が上がらなくなってくる。最後の方は「ひとつ山越しても、まだ、ほんだらだ~」などと罵りながら、あんなに途中で手を振ったり、大声で歌わなければ良かったとちょっぴり反省したのであった。自分の割り当て区間を何とか完走しタスキを次走者に渡してほっとしていると、姪っ子の仲間達がおそるおそる近寄ってきて、「おじさん、それ何の恰好なの?」とか「このお洋服はな~に?」などと眺めている。「そうか、クレージーもステテコオヤジも昭和は遠くなりにけりか」と一人ごちて、谷啓を偲びつつクールダウンをしたのであった。それにしてもこの安物のカツラ、かぶって走っていると中が蒸れまくって、本当の禿げオヤジになってしまうのではないかと気が気でなかった。

(ちなみに我がチームは約80チーム中、8位入賞をしたそうである。万歳!万歳!万歳!)
20100927

植木等 2010-09-28 23:37:56
院長先生

東京の真ん中で、禿げオヤジランの場を与えて頂きありがとうございました。ちょっと恥ずかしかったが、それにも増して楽しかったです。

子供たちに反教育効果を与えたかと心配でしたが、大人が楽しむのを見せるのも良いかもしれません。

それにつけても、皆さんの走力は大したものです。8位入賞おめでとう。


院長 2010-09-28 00:02:06
植木等先生!

一昨日は有難うございました&お疲れ様でした!地元の大学の学生が多く参加していた今大会。

植木先生が走って現れると「加藤茶、頑張れぇ~」と声援が飛んでいました。周回を重ねるごとに「加藤茶」から「禿げおやじぃ~」になり、最後は「おじさ~ん、がんばれぇ~」と女子大生たちから声援が集まっていましたよ!

手応え十分!これで東京マラソンは行けますね!

それにしても、植木先生の前半の力走ですっかり貯金&勢いを頂いた我が父母会チームは、午前6時まで勢いを止めることなく、8位入賞をすることが出来ました。

小生も、仮装ランナーになろうかなぁ・・・!でも、先ずは植木先生のように早く走れるようになることが必要ですね(笑)

これまた失礼いたしました・・・っと!!

2010年9月26日 (日)

ホワイトノイズ

先日無線受信機という新しい玩具を手に入れた妻は、週末になると無線の傍受にチャレンジしている。場所は東京港のお台場地区、羽田空港の管制塔も遠望できる絶好のエアチェックポジションである。エアチェックというのは、昔FM放送をテープに録音する事だったが、こんなのもエアチェックと云うらしい。当初の目的である「船舶無線」で、まず「国際VHF16ch」に周波数をあわせてみる。東京湾内を航行する船舶は常にVHF16ch(156.8MHz)をモニターすることが義務付けられており、16chで航路管制センターや他船と交信を開始、必要に応じ別チャンネルに移動し、16chをあけてその後の会話を行なう事になっている。なので傍受する方もまず16chにあわせておけば、どの通信も入って来ることになる。

「こちら○○丸、東京マーティス(東京湾管制センター)、感度は如何でしょうか」「こちら東京マーティス、感度良好です。18チャンネルに移動して下さい」「了解」のように航行する船舶から管制に呼びかけがあると、傍受する我々もチャンネルを18に切り換えれば引き続き通信が聞こえる訳である。管制から「こちら、東京マーティス、○○灯標を正横に見て浦賀水道を横断している船舶は応答して下さい」のように呼びかけがあったりするのも面白い。ただ船舶無線の交信はポツリ、ポツリと入って来る程度で無音期間と「ザー」というホワイトノイズばかりが聞こえ、今度は自然と羽田空港に離着陸する航空機に目が行くことになる。

無線傍受のHow To本には付録に簡易版周波数表が付いていたので、早速羽田の管制に周波数を変更すると、船舶とは打って変りひっきりなしに電波が飛び込んで来る。航路(空路?)、離陸、着陸、場内とそれぞれ管制が違うので聞く種類が多く、楽しむにはコツが入りそうだが、便名と行き先などの指示を聞くと旅情を誘う。英語の交信なのだがタワーと飛行機とは棒読みに近い専門用語の羅列で会話していて、これに慣れた日本人パイロットがシカゴやロスの輻輳する空域で、アメリカ人管制官が早口かつ余計な表現などを混ぜた時には、100%対応できるのだろうか、などと興味は尽きない。

しかし世に中にはいろいろなマニアがいるもので、航空機無線傍受は解説本も多いのに驚く。妻は会社帰りに参考書を買って来て、これはしばらく傍受熱も冷めそうにないが、音楽をゆっくり聴いたり風の音を楽しみたい私には、無線機から流れてくる音は「ホワイトノイズ」にしか聞こえないのである。
20100917


Bulkcarrier 2010-09-27 21:44:13

まろんの父さん

今晩は。そうですか、これをplane watchingと云うのですね。ヒースローは何でもFirst come, first serve方式でなく、空港の廻り4箇所で着陸機をホールディングさせ、間隔を最短にして効率良く着陸させるそうですね。いつも混んでるのはこんな理由なのでしょうか。

きっとplane watchingも面白かった事でしょう。羽田も時々アメリカ人などネーティブスピーカーらしきパイロットからの交信があると、「あらっ」と思いますが、今秋の国際化が楽しみです。

船舶watchは 「今、浦賀水道航路、観音崎を北航する船は、AIS(船舶識別装置)の表示が違うので、どこへ行くのですか?」などと管制から注意されている船があってこれまた面白いです。


まろんの父 2010-09-27 15:25:34

Bulkcarrier様

ご無沙汰いたしております。欧米では「plane watching」は、航空無線受信専用レシーバと高倍率双眼鏡を片手に、空港屋上で楽しむ趣味として確立しておりますのに、日本ではかような趣味は、まだまだの感がございます。かく申します私も、大昔のイギリス勤務時代、無線とちゃちな双眼鏡片手に週末になるとヒースローへ出向いて屋上で同好の志と、飽かず空を眺めておりました。ただでさえ各国の便が離着陸する中で、壁が壊れたばかりの旧東側の航空機の飛来の際など、みな大騒ぎしていたのを思い出します。船舶無線も受信できるとは、今日まで存じませんでした。ちなみに新千歳の屋上では、写真撮影(とくに冬期)が盛んですが、レシーバを持った方はみかけたことがございません。

2010年9月25日 (土)

小さな大投手

慶應・立教第1回戦に朝まだ寒風吹き荒れる神宮球場に行った。最近スポーツ推薦を再開して野球名門校の選手がずらりと並ぶ立教に、慶應は近年どうも分が悪く、優勝した春季リーグ戦も唯一立教だけに勝ち点を落としている。試合は序盤、立教新座高校を埼玉県大会の決勝まで引っ張った立教のエース岡部君と慶應のエース竹内君(中京大中京)の投手戦だったが、立教は岡部君のエラーなどで失点を重ね、結局8対4で慶應が勝った。東大以外の5校の戦力が拮抗している今シーズン、勝ち点4で優勝が決まるのではないかと私は予想するのだが、同勝ち点の場合は勝率で優勝が決まるので、まず1勝を挙げるというのは慶應が優勝争いに加わる為に大変良かったとホッとする。

さて神宮球場のネット裏で観戦していると、時々OBであるプロ野球の有名選手やかつての名選手と隣あわせになる事がある。そんな時は昔の選手の話題や最近の野球界の裏話などが漏れ聞こえてきて、思わず聞き耳をたててしまうのである。今日はたまたますぐ近くに、あの江川でさえ抜けなかった神宮48勝という金字塔を打ち立てた”小さな大投手”法政OBの山中正竹氏が友人と座っていた。テレビで見るとおりの端正な顔立ちと落ち着いた声ですぐに山中氏だとわかったのだが、かつてキャッチャー田淵のミットめがけて球を投げた指は、そう大きくもごつくもないきれいなものである。

かつて中学・高校時代に六大学野球を観戦に神宮球場に来ると、小柄でやさ男の山中投手と大きな田淵捕手のでこぼこバッテリーが、後年プロで活躍する谷沢や高田などそうそうたる大打者を打ちとっているのを見たのだが、そのひょうひょうたるスリークオーター左腕の山中投手になんともいえない憧れを抱いたものであった。球場のシートのそばを通りかかる他校の大先輩や後輩たちも、皆一様に山中氏に一礼をして行くのをみると、彼の記録があらためて偉大なものであるのを感じるのであった。さて神宮球場で耳慣れた6校の校歌や応援歌を聞きながら学生たちの野球を観戦していると、浮世のいろいろな悩みもいつしか遠くなり、心が軽くなった気がするのが常なのである。

2010年9月21日 (火)

ウッドコーンスピーカー

大学生の頃にアルバイトで貯めたお金をすべてつぎ込んで、コンポーネントステレオを買った。専門誌を読んでは機器同士の相性だとか、ワウ・フラッター率だとか、S/N比がどうだなど、今から思えばそれで訳が分ってたのか、聞き分ける耳があったのかはなはだ怪しいものだが、まだオーディオなどという言葉が世間に広まる前に、それなりに音に凝ってステレオの各機器を買い集めたのであった。まだFM東京が東海大学FM実験放送局などと云っていた時代の事である。それが社会人になってからはゆっくり音楽を聴くという時間もなくなり、いつの間にかメーカーお仕着せの安いミニコンポなどで満足する様になって、オーディオなどに興味も失っていた。

しかし最近は家でゆっくり音楽を聞く時間も出来て、先日アップした様に古いレコードを引っ張り出してみようという事になった。で、秋葉原の電気店を数箇所廻ってみたところ、どこも最近発売したビクターのウッドコーンスピーカーを使ったミニコンポセットを薦める。高級スピーカーと遜色ない音がでるというので、試聴コーナーでいくつかのスピーカーと聞き比べたのだが、もう錆付いた私の耳ではどれほど違うのかがよくわからない。よほどメーカーの販売促進奨励策があるのかといぶかりながらも、特段電器店の薦めを断るほどのものはないのと、品の良いデザインが気にいって、ウッドコーンスピーカーつきのビクターのミニコンポとオーディオテクニカ社のレコードプレーヤーを8万円ばかりで購入した。

値段もこんなだし、まあまともに音が鳴れば良い位に思って、ミニコンポやプレーヤーを接続して古いレコードを久しぶりに聴くと、これが何とも言えない良い響きなのにびっくりしてしまった。これまでスピーカーは大きくなくては音が悪いと思いこんでいたのだが、ビクターが研究を重ねて開発したという木製の小さなフルレンジ・スピーカーからは、弦楽器の響きが厚く低音も良く出ている。紙の様なこもった感じもないしシャープでとんがった感じもなくて、ナチュラルな音がスピーカーから流れ、目をつぶると前にオーケストラがいる様である。昔は何万円ものカートリッジをあれこれ交換し、30センチのウーファーが欲しいだとか何とか言いながら良い音を求めていたのが、いまや8万円でこんなに妙なる調べをレコードから再現してくれるとは技術も進歩したものである。こうなると若い頃の情熱が蘇ってきて、ウッドコーンスピーカーのもっと上級機種が欲しくなってくるから、人間の欲望はおそろしいものだと感じている。

2010年9月17日 (金)

大人の社会見学

小学校4年生の時の都内見学は、羽田空港以外どこへ行ったかさっぱり覚えていないが、最近は時間もできて様々な見学会に行けるのが嬉しい。旅行社などでも自動車工場見学や観光地を組み合わせた熟年向けツアーが盛況だというが、普段身近にありながら意外と知らない場所を見聞きできるチャンスを活かしてみたいものである。という訳で、先日は我が区の土木部公園科が主催する”荒川を見学しよう!”という半日ツアーに参加してみた。これは国交省の河川巡視船に乗って荒川の水質調査や荒川の歴史を学ぼうという催しで、昼過ぎに新宿駅西口から貸切バスに乗って、荒川の赤羽近く岩淵から河口に近い小松川までを巡視艇で下り、またバスで新宿駅まで戻る無料アウティングなのである。

さて当日は都バスの路線バスでも貸切って往復するのかと思って集合場所に向かうと、なんと立派な新車の”いすずガーラ”観光バスではないか。ツアー参加者は定年退職夫婦から子供連れ母子までさまざま約20名くらいで、一同都内の渋滞をぬけ1時間で岩淵水門近くのリバー・ステーションに到着し、そこに待っていた巡視艇”あらかわ”に乗り込んだのだった。ここから船で川下りに出発するのだが、このツアーの目的はあくまで”お勉強”、まず船内で荒川の水をビーカーに入れて水質検査を皆でおこなう。そんな段取りがいかにも教育的なツアーっぽくて行政の催しなのだと納得する。なにやら子供の頃の化学実験の様に、試薬やら機器を使って川の水のPHとか水中酸素量などを測定すると、今では荒川も魚が充分すめるほどきれいになっている事がわかる。

約1時間の川下りの後半は国交省・河川事務所の係員が、荒川の概要や歴史を船内で説明してくれる。それに依ると、現在の荒川の下流は隅田川の治水対策として、明治44年から昭和5年にかけて田んぼの中を掘った人工の川(放水路)なのだそうだ。道理で荒川下流は川幅も広く真っ直ぐ流れている事がわかったのだが、途中で綾瀬川や旧中川を横切って川を掘削したので、現在でも川の十字路が見られるのが珍しい。もともと昔の荒川は現在の中川に沿って流れていたとの事で、江戸時代になって東京湾に注いでいた利根川を銚子方面に付け替えたり(利根川東遷)、荒川を旧入間川の経路に変更したりと幕府の治水対策により、関東平野の川は昔とだいぶ様相が違う事になったそうである。今では堤防で囲まれ管理される河川であるが、縄文時代は海であったという低地の関東平野の河川は、時代時代によって縦横無尽に流路を変え、洪水をおこしたり土地を潤したりして来たのだろう。荒川河川敷の広大な葦の群生を見ていると、思わずいにしえの関東平野が想像される大人の都内見学であった。

写真や国交省の巡視艇”あらかわ”
20100918

2010年9月16日 (木)

アキバオタク


最近はヒートアイランドを避けて、週末をよくお台場の青海や有明で過ごす。都内から隅田川を越えて東京湾に面した辺りに来ると、海風もさわやかで「子供のころの東京は夏でもこのくらい風が吹き抜けたなあ」と昔を思い出す。お台場地区の南の方は、東京港の大井コンテナターミナルが目と鼻の先、羽田空港とも直線距離で5~6kmとまさに東京の玄関口である。

夏の夕方に、ひっきりなしに羽田のランウェイ16L にアプローチする旅客機や、荷役を終え17時過ぎに一斉に出港するコンテナ船を見ていると、ふと「この様子は無線を聞けばわかるのかな」と思う。そんな話を妻にすると、待ってましたとばかりに彼女はネットで情報収集を始め、あっと言う間に無線受信に関する入門書を購入してきた。

それによると機器が高価だった昔に比べ、今は航空無線や船舶無線を傍受できる小型の万能受信機が2~3万円で手に入るようである。自ら発信するのは免許がいるが、趣味で聞くだけなら特別の許可も要らないそうで、さっそく妻は秋葉原で受信機を売ってそうな店の場所をチェックしている。何でも無線受信はいずれは踏み込みたいと思っていた領域であるが、どうしても「オタク」のイメージが付きまとうし、ハマったらのめり込みそうだったので意図的に距離を置いていたそうである。

きょうだい達から「昔は元祖アキバ系オタクだった」と今でもからかわれている妻だが、今回は私が興味を示したのを大義名分に、大手をふって無線の道にも突き進んで行けると言う訳で、これはちょとやそっとでは止められないかと覚悟する。「クルーズの時に受信機があれば、パイロットやタグと本船の交信も聞けるし、離着岸プロセスなんかも楽しさ倍増じゃない?」と目を輝かしている妻を横目に、この受信機はオレが買うことになるのかもしれないな、とぼんやり考えたのだった。

と、数日前に思っていたのだが、飲んで帰宅すると小型無線機、アイコムの「IC-R6」が床に無造作に置いてあるではないか。今日いきなり会社帰りに一人で秋葉原に寄って買って来たようだ。「入門本には”インターネット通販ではなく、店舗に行って実機をさわり、店に人に色々教わると良い”と書いてあったので行ったけど、店の人はとても親切だった。外付けアンテナ分オマケしてもらっちゃった」そうである。

20100916

2010年9月14日 (火)

がちょーん!

クレージーキャッツの谷啓が亡くなった。思い起こせば視聴覚教育という名の下、昭和30年代に小学校の教室にテレビ受像機の導入が始まった頃、私はお昼休みにクレージーキャッツの「おとなの漫画」を見たくてしょうがなかった。そこで担任の教諭に教育テレビ以外に「おとなの漫画」だけは是非見たいと願い出たところ、担任は話のわかる先生で、クラスみんなで給食の後に「おとなの漫画」を見て笑ったわけだから、谷啓を見始めてもう50年以上になるか。

当時は、友人との手紙のやりとりに、たいてい一箇所は、谷の ”ガチョーン”とか”ビローン”とか云う一世を風靡した台詞が書かれていたし、”谷だ~””青島だ~”と開き直るギャグも好きだったなあ。思いおこせば小学校の学芸会ではクレージーキャッツをまねたコミックを演じたり、都内のホテルで行われた”シャボン球ホリデー”のロケを見学に行ったりと、彼らには随分と楽しませてもらったものだが、そんなクレージーも残るのは犬塚弘と桜井センリ2人になってしまったのは何とも寂しい。

そこで9月末に行われる今度のマラソン大会では、亡くなった植木等大先生や谷啓を偲んで、ステテコに腹巻・ダボシャツにロイドメガネの仮装で勇躍出場する事を決心した私であった。雪駄や下駄をはきたいところだが、さすがにこれでは走れないので、白いシューズを買ってマジックで雪駄ふうに色取ってみようか、はげオヤジのかつらをかぶっていこうかなどなど、クレージーの面々を思い出しながら準備に余念がない。いくぞー熟年行進曲!

2010年9月13日 (月)

新聞休刊日

新聞休刊日である。私はこの新聞休刊日がくるたびにマスコミのインチキさを感じる。日頃あれだけ社会の談合がけしからんと糾弾するのに、自分たちの業界の事ではしれっとほとんどの新聞が一斉に休むのである。記者や新聞社に休みが必要だというなら、そもそも報道の世界などに入らなければ良いので、鉄道や飛行機などに休養日があるのかと云いたくなる。メディアの世界なら人や機械も交代で休みを取るなどして、新聞は24時間体制・休日なしが当たり前ではないだろうか。

新聞販売店や流通の問題で一斉休暇だと云うのも、まったく説得力に乏しい。メジャーな新聞社別に販売店など流通経路が分かれているのだから、全社が一斉に休む必要もないし、駅やコンビニでは幾らでもそれぞれが独自に販売できるはずである。どうやら新聞休刊日というのは、休刊に名を借りた談合による実質値上げで、本来的にメディアが忌避すべきものではないかと私は考えている。身内に甘い業界の体質ここに極まれりか。

アメリカに住んでいた時には、地元のメジャーな日刊紙を宅配で取っていたが、休刊日などは一切なかった。日本は全国紙が中心で、宅配をベースにしているから販売店の休養に全国一斉休刊が必要だと云うなら、正に供給者だけの理屈による談合をベースにした集団サボタージュといえよう。こんなインチキはいい加減にやめて、休みたければそれぞれのリスクで別々にお休みになったら如何か、さもなければ休刊日の分は値引きしなさいと言いたいところだ。

2010年9月12日 (日)

慶東1回戦

東京六大学野球・秋のリーグ戦の開幕試合・慶應対東大1回戦を夏の日差しが残る神宮球場に見に行った。第2試合に早法戦というビッグカードがあるので、観客も結構入った中、試合は慶應が21安打・15得点の一方的展開で東大を圧倒した。勝敗の行方は早々に決まってしまったのだが、そんな日の楽しみは普段スターティング・ラインアップで出場しない控えの選手や新人選手が見られる事である。

後半、守備で出てきたのは日大三高出身の宮寺君。2浪しているので24才とチーム最年長である。甲子園にしばしば出場する名門の日大三高だが、彼は高校時代にレギュラー選手として甲子園には出場していない様だ。そんな彼が多分慶應で野球をやりたく初志貫徹、2浪して入学し上級生になり控えとはいえベンチ入りしている姿を見ると、陰ながら応援したくなってくる。慶應野球部の良さは有名選手と内部進学組、県立高校などからの受験組に浪人も混ざって切磋琢磨するところで、浪人選手が活躍する時は、チームが強い事が多い。そういえば今年の都市対抗で優勝した東芝の印出監督も、土浦日大高から2浪して慶應に入って大活躍した選手だった。ベンチでいつも溌剌と声を出し他の選手を鼓舞している宮寺君は、大勝の試合とは言え数少ないリーグ戦出場のチャンス、きっと一瞬一瞬に人生の輝きのを感じてプレイしているのだろうな、と微笑ましく観戦する。

8回からはマウンドに期待の一年生投手・白村君(慶應)があがる。彼を見たのは昨年のセンバツ甲子園での島根・開星高校戦以来だが、持病の腰痛も回復したのか元気が良い。マックス150キロの快速球が低めに決まり6人の打者に対し5三振と圧巻の投球にスタンドが湧いたのだった。相変わらず鶴の様に線の細い体格だが、大学4年間で筋力を増して順調に伸びて欲しいものである。その他甲子園で活躍した塾高組の控えの選手も次々交代で出場、一回り体が大きくなり大人の顔つきになった選手たちがプレーするのを楽しませてもらった。それにしても下級生の戦力は近年になく充実している様で、この後が楽しみになってくる。

夏の太陽の下で始まった秋のリーグ戦だが、週を重ねるにつれつるべ落としの秋の夕ぐれが早まり、そのうちセーターを着て観戦する日も出てくる事だろう。秋の暮れなずむ神宮外苑は風情があって私のお気に入りの場所の一つだが、負けた東大の選手もまきなおしてリーグ戦を盛り上げて欲しいものである。

2010年9月11日 (土)

スミソニアン博物館

クレジットカード会社から毎月送られてくる冊子に、米国ワシントンDCにあるスミソニアン博物館が特集されている。冊子によるとスミソニアンは航空・宇宙関連をはじめとする輸送機器や、アメリカの歴史を展示した19の博物館と動物園や研究センターからなり、年間3000万人が訪れる世界最大級の展示組織であると云う。数年越しの希望であったエジンバラのミリタリー・タトゥをこの夏に見る事ができ、さて来年から海外旅行はどこに行ってみようか等と、現実逃避の夢を考えていたのだが、冊子に吹き込まれた形でスミソニアンを訪れたくなってきた。

実はスミソニアン博物館は10年ほど前に行った事がある。当時アメリカのジョージア州サバンナから日本向けの仕事を担当してしばしば出張していたのだが、ジョージアの田舎から日本に帰るには幾つかの経路があって、毎回さまざまなやり方を試していた。ハブ空港がいつも混雑しているアメリカだから、もっとも混雑に巻き込まれないためにはどうしたら良いかという事を主眼に、シカゴ・オヘアやダラス・フォートワースなど巨大空港を避け、この時はワシントン・ダレス乗り継ぎを選んだのである。しかし何が起きるか判らないアメリカの乗り継ぎなので、サバンナから乗り換え空港であるダレスに到着する早めの便を選んだら、この時ばかりは予定通りきっかりフライトが到着し、日本に帰る便まで4時間以上の時間が出来てしまった。

という事で、ワシントンDC市内をタクシーでグルッと廻る事を思いつき、拾ったタクシーの運転手といわゆる”エントツ”をしないかネゴを開始。2時間ほどメーター外で国会議事堂やホワイトハウスの廻りをぐるっと廻り空港まで戻るルートで、チップ込みで幾らで廻るかの交渉をして、そこそこの料金で合意したのだった。たしかレバノンかどこかの中東移民の運転手だったが、ニュースでお馴染みであるワシントンの政治中枢を駆け足で案内してくれ、最後にクルマはスミソニアンの前に停車。入館料は無料だから荷物はここに置いてちょっと見て来いと運転手が勧めてくれたのだが、さすがに膨大な数の展示物を見始めると次の日本向けフライトには間に合わないので、いつの日にかじっくり見学に来ようと、断念して空港に戻ったのであった。

そんな訳で、クレジットカード会社の冊子を見ていたら当時の残念だった気持ちがにわかに蘇り、是非とも時間をたっぷりとってスミソニアンを再訪したくなってきた。そういえば空港の混雑やセキュリティチェックの長い列がいやで、西海岸から先のアメリカには最近行っていない。来年の夏は久しぶりにアメリカでゆっくりしてみようかなどと、地図を開いて机上の旅行案を考える休日の朝である。

Bulkcarrier 2010-09-13 20:07:34
まろんの父さん

高校時代にアメリカ留学はすごいですね、尊敬してしまいます。大学までは純国内派で、会社に入り仕事で英語が必須になった時に、泣きたい気持ちで 「学生時代にもっと英語をやっておけばよかった」 と反省した私でした。 
さて今でも、海外旅行の際は博物館があると電子辞書を持って入ります。先日はダブリンでアイルランド国立博物館を見てきました。ケルト人の先史やノルマン人・ローマ人・アングロサクソンの侵入など、かつて世界史で習っておぼろげに覚えていた事を初めて実感した気持ちでした。スミソニアンには是非行ってみたいと思います。


まろんの父 2010-09-13 09:38:27
Bulkcarrier様

お久しぶりです。夏のクルーズから無事御戻りで何よりです。小生、今から30数年前、メリーランド州の高校に留学しておりました。ワシントンDCとは近かったので、バスの路線を教えてもらい、週末に一人でスミソニアンインスティテュートを見て回った記憶がございます。おそらく14,5回は行ったでしょうか。一つ一つがあまりに大きく充実していて、すべて見終えることはできなかったと記憶しておりますが、あれだけの内容を無料で拝観できること自体、驚きでした。Buldcarrier様には是非、ゆっくりと(これが一番たいへんでしょうが)訪問していただいて、またご感想をお聞かせいただきたいと願っております。

2010年9月 9日 (木)

S/S FRANCE

ベルファストで”SAGA RUBY”号をみたり、エジンバラで旧”おりえんと・びいなす”に再会したりすると、思わず船の一生と云う事に思いをはせる様になる。世界大戦中は多くの船舶が沈められたが、それは別としても数奇な運命を辿る船に出会うと、その歴史につい興味を抱いてしまう。2005年12月に”スター・バーゴ”号でマレーシアのポート・クランに入港する際に、港外にブルーの船体も美しい優雅な客船を見つけ、それがかつての名船”フランス”号であった事がすぐ分り、以来この船の事が気になっていた。今回イギリス周遊クルーズの際、町の本屋で"SHIPPING"という雑誌を立ち読みしていたら、たまたま”フランス”号の一生が特集されていたので早速購入してみた。

SHIPPING誌によると”フランス”号は7万5千トン、ドゴール大統領が国の威信をかけて建造し、大西洋横断の高速ライナーとして1962年に竣工したそうだ。17万5千馬力のタービンエンジンで最高35ノットで航走するために、長さ316米の細長い船型( 現在の同サイズのクルーズ船は260米くらい )を採用したので、背の低い伸び伸びとした優雅な姿である。子供の頃に読んだ船の本などでは、その特徴的なファンネルと美しい船型ぶりがよく記事になっていたので、とても印象深いフネである。

しかし時はあたかも旅客輸送が航空機に変わる時代、加えてオイルショックで燃料を大量に消費するタービン船は採算がとれず、”フランス”号は74年にライナーサービスから撤退。NCL(ノルウエイジャン・クルーズ・ライン)に売却されクルーズ船に改装の上、タービンエンジンもディーゼルに乗せ換えられ、クルーズ船”ノルウエー”号として再出発する事になる。この頃は現在のクルーズ産業もまだ端緒についたばかり、クルーズ船といっても2万~3万トン型が主流の時代に、世界最大のクルーズ船としてカリブ海で人気を誇ったのである。

ところが”ノルウエー”号は2003年5月マイアミで修理が不可能な程のボイラーの大爆発事故を起こす。調査の結果クルーズ船としてはもはや再起不能とわかった同船は、NCLの親会社マレーシアのスター・クルーズ社によってアジアに回航される事になる。この間、スクラップにするか浮かぶホテルやカジノとして生き残るか、様々な使い道が検討された様である。結局2005年夏からポート・クラン沖のマラッカ海峡の一角で、”ノルウエー”号は碇を下ろして、自らの行く末を待つ事になるのだが、私たちがこの船を見たのは丁度この時期である。その時、望遠鏡で”バーゴ”の船上から観察すると、青く美しい船は電気も灯され、今にもクルーズに出かけられる様に見えたものであった。

同船のその結末が心に些かひっかかっていたのだが、SHIPPING誌によると結局2007年に解撤業者に売られてインドの海岸に乗り上げ、スクラップ処分になったとの事。アスベストスの処理を巡って船主と環境保護団体との係争が最後まで続き、争動の上にその一生を終えたそうである。大統領に祝福された竣工したフランス号であるが、その最後はあまり幸福な終末を迎えたとは言えないであろう。

フランス号を特集したSHIPPING誌9月号(表紙が旧フランス号)
20100909

2010年9月 8日 (水)

レコード盤復活

引越しの際に古いレコードプレーヤーを捨ててしまったが、レコードは整理して段ボール箱に入れ押入れにしまっておいた。最近久しぶりにさる古いレコードアルバムが聴きたくなって、コンパクトなコンポとレコードプレーヤーを買おうかと算段している。何でもイコライザーなるものが内臓されているレコードプレイヤーなら、コンパクトコンポにそのまま接続でき、往年のレコードが再生できるそうである。

ハードの購入の前に、肝心のレコードの方はどうなっていたかと押入れを点検すると、お目当てのレコードも処分してしまったのか見当たらない。たしか200枚くらいLPレコード持っていたはずだが、見事に30枚くらいに整理されていて大きな箱はがらんどうである。われながら思い切って処分したものだと苦笑する。普通、戸棚や机の整理をする際に1年~2年使わないものは、その後まず必要ないもので、極力捨てる様に努力しているのだが、こうしてみるとレコードや気に入った本などは、捨てずに持っていた方が良いかと考えなおす。

それにしても技術の進歩か知らぬが、メーカーの勝手な戦略のために、レコードからカセット、CD、MD、ハードディスクと次々にハードが変わって行って使う方はついて行けず大変だ。7年前に買い換えたクルマにはカセットデッキがなかったから、それまで車の中でカセットを聴いていた私は、仕方なくたくさんのカセットを一生懸命MDにダビングしなおしたものだ。しかし最近クルマのディーラーを冷やかすと、このごろの新車はMDデッキなどを装着する設定はないらしく「MDはもう作らないんですよねー?」などと前世紀の遺物でも扱う様な冷たい返事である。売るだけ売っておいてソフトが多くなったと思ったら新しい方式で、古いものは使えないとは不便な世の中になったものだ。


Bulkcarrier 2010-09-09 21:50:51
あらまきさん

コメントありがとうございます。かつてビデオデッキはベータマックスから買ってしまった私なので、一層メーカーの勝手に腹がたっているのかもしれません。ワードも大分使い易くなりましたが、一太郎のアナログ的な自由さも良かったなんて思ってしまいます。どうも技術の進歩が早すぎて、私などは追いついていないのかもしれませんね。


あらまき 2010-09-09 11:51:51
私も同じ経験をしました。ドライブに音楽があると気持ちが落ち着くので
LPからせっせとカセットを作りました、その後CDが出来て音も良く、頭出しが
出来るので車のオーディオはCDになりMDの出現て取り扱いが楽なMDなり、
今度はHD!
なんだか電気屋さんに貢いでいるようです。
処分してしまったLPのジャケットを思い出す今日この頃です。

2010年9月 6日 (月)

にわかスコッチファン

ウエステルダム号の英国周遊クルーズは、その名称を「Scottish Serenade (スコットランドのセレナーデ)」と言うだけあって、陸路や空路では行きづらいスコットランドの観光地をあちこち効率良く回ることが出来た。またアイルランド共和国のダブリンや、北アイルランドのベルファストも合わせて行けたのはクルーズならではの便利さである。そのスコットランドやアイルランドでは現地のガイドの話題にもウイスキーがしばしば登場して、やはりお酒が彼の地の特産品である事をあらためて認識する。

というわけで、すっかりウイスキーに興味を持った妻は、昨晩、外で夕食を終えた後「 ちゃんとしたバーに行って話に聞いてきたディスティラリーの銘柄を試飲してみたい 」と言う。耳に覚えたウィスキーの銘柄に我が国で再会したい、と思ったそうだ。で、ホテルのバーに行って、妻がまず注文したのは「タリスカー」。これは上陸中ずっと雨で水びたしのイメージが強いスカイ島に唯一ある蒸留所のものだそうである。あのような辺境の地からウイスキーが日本に運ばれ、こうして都心のバーで飲めるとはちょっと感慨深い。

私には「ほら、ベルファストからジャイアンツ・コーズウェイ(柱状節理の岩場)に行った時に通った小さな街があったでしょ、あそこのウイスキーを飲んだら」ということで「ブッシュミルズ」をロックで注文する。私達の会話を聞いていた若いバーテンダーは目を丸くして「僕たちのような職業の者としては、そんな蒸留所のある田舎町に行けるだけでも無茶苦茶うらやましいです!」ということで、彼はスコッチウィスキーの産地や成分についてコースターに描かれた地図で説明してくれたのだった。

お互いに一杯ずつウイスキーを飲んだものの、スコッチの余韻にまだ浸っていたい妻はもう一杯、「ボウモア」を注文した。ブッシュミルズの街からほど近い海岸から遥か彼方に「あそこはもうスコットランド」と説明された島で製造されたウイスキーで、正露丸の様な独特の味がするのだが、これはバーテン氏によるとこの島特有のピート香であると云う。妻の2杯目を半分分けてもらい、普段飲んだことがない変わった味を飲んで帰宅した私はすっかり良い気持ちになって、良く覚えていないが「またスコットランドに行くか」などと大言壮語して9時には轟沈して爆睡してしまったのであった。
20100905



私もやせたい 2010-09-06 20:48:17
地球の反対側のお近くにいたのに合えずに残念でした。でも楽しそうで良かったですね。この日本の炎暑から逃れられただけでも、値千金。また戻りたいよ~。

痩せたい。 2010-09-06 10:22:50
いいなー!

タリスカーもボウモアも大好き。あとはアイラ、ラガブーリン、ラフロイグも大好き。

そうか、アイルランドに行ってたんだ。いいなー!

インバネスと聞いて、「祖父はそういうのを着ていただろうなあ」と想像するぐらいしかしなかった。そうか、ウィスキーだー!!

2010年9月 5日 (日)

健闘を祈る

ついこの前クリーンな政治をすると退いたはずの小沢一郎が、また表舞台に出てきて民主党代表戦の選挙を戦っている。その自己顕示欲にも驚くが、彼が総理になればマキャベリズムと数は力なりの論理で、政策よりもポピュリズムだけの、とんでもない政治を行うであろう。このところテレビでそんな彼の主張をじっくり聞くが、どう見ても実現不可能な政策を、無理に作ったひきつった笑いとともにしゃあしゃあと述べているのを見ると、なにやらおぞましい気分がしてくる。

先般はニュースショーで、財源を地方に渡せば無駄が省けるとして、福井県の道路とスキー場の例を揚げてとうとうと自慢げに喋っていたが、皆が知らない一部の極端な例を挙げて、あたかもそれがすべてに敷衍できるかの様に喋る野党根性丸出しの発言には失笑させられた。無利子国債を発行せよと小沢は言っているらしいいが、相続税を支払わなくて良い無利子国債を発行すれば金持ち老人は競ってこれを購入し、日本中で相続逃れがおきるだろう。また国有財産を証券化して売り出せとの主張だが、その配当や償還には一体どういう財源を充てるつもりだろう。沖縄には海兵隊がいらないというが、専門家はこぞってそんな事はないという。そもそも欧州に駐在する海兵隊とアフガンなどにも派兵する沖縄では戦略上の性質がまったく違うのだが、この男は人が知らないとみると、そこでちょっとした知識をひけらかし、それが全体にも適用できる素晴らしいアイデアであると言う癖がある様だ。 (先の天皇が中国の要人と会う際に入れた横槍の問題では、記者の質問を恫喝したが却って馬脚を現したのが良い例)

そういえば、そういう困った輩はどこの会社にもいて、会議の際には本当に邪魔なものなのだが、小沢の発言を見ているとそういうお馬鹿な、会社のだれかれを思い出してしまう。 さて民主党代表戦は、そんな小沢にがんばって総理になってもらい、国会運営や行政がにっちもさっちも行かず早々に解散総選挙になってほしものだ。混乱の間、経済は一時的にがたがたになるであろうが、一度底を見て社会の旧勢力が一掃され、新しい日本を作る為には長い目で見れはそれが一番良いのではないだろうか。がんばれ小沢!

2010年9月 3日 (金)

時差ぼけ

ウエステルダム号の英国周遊クルーズから帰って一週間経つのに、まだ時差ぼけが直らない。今回はまる2週間といつもより長めの旅だったので、向こうの時間に体が合ってしまったのだろうか。ちょっと前のサラリーマン時代は、アメリカから出張で帰ってきて次の日に中国に行ったりした事もあったし、大体時差ぼけは2日もあれば元にもどったが、段々年齢をとって来ると自律神経の調整作用が鈍くなってくるのだろうか。

普段は夜眠りにつくと、4~5時間ぐっすり寝て明け方ウトウトとし、朝はだいたい時間通りに起きるのだが、今週は夜寝ても一時間くらいでバッチリ目がさめてしまう。東京の夏が寝苦しい事もあるのだろうが、代わりに夕方の仕事中にやたらと眠い。それより時差ぼけだとはっきり意識するのはトイレの時間。朝はまったく便意がない代わりに夕方4時か5時、すなわちヨーロッパの朝8時頃になるとトイレに行きたくなる。食べたものの消化時間は同じはずだから、腸のセンサーが未だヨーロッパ時間になっているとしか思えない。

それに加えて記録的な東京の暑さである。アイルランドやスコットランドは大体気温17度くらいだったから一挙に20度近く温度が違う。時差ぼけに加えてここ数日は風邪をひいてしまい何とも冴えない日である。またヨーロッパにでも行きたくなって、新聞やチラシの旅行案内ばかり目につき 「今度はここに行きたいね」と妻と話す毎日なのだ。

2010年9月 2日 (木)

タコス・バー

クルーズ船の船内は原則無料で食事を摂れるが、通勤もないのに三度もしっかり食べるのはちょっとヘビーである。そんな訳で船内では食事を朝・晩二回にして昼食を抜く事が多いが、デッキで運動をしたりイベントに参加したりすると、昼過ぎにちょっとお腹がすく日もある。小腹がすくというヤツである。そんな時つなぎの食事に何があるのか、と船内を探検するのは乗船後の楽しみの一つでもある。日本船では飛鳥のたこ焼なんてのがすぐ思い出すところだが、外国船での定番は大体ホットドッグとかハンバーガーであろう。プライド・オブ・アメリカ号ではポップ・コーンが24時間無料で食べられて、毎日夕方になるとポップコーンを部屋に持ち込んでは、ベランダでビールを飲んだものだった。

さてウエステルダム号では、タコスである。アメリカに駐在時代にメキシカン料理に嵌った私は、幾度もこのブログでアップした様に、”タコ・タイム”か”タコ・ベル”の日本でのフランチャイズ店をやってみたいほどであるが、残念ながらわが国ではタコスやブリトーはそんなにポピュラーではない。それがこの船内ではプールサイドにタコスバーが設置されているのを見つけて、乗船翌日の昼過ぎにさっそく試食しにやってきた。

このタコス・バーはハードタコシェルを持って、テーブルに並んだひき肉、チョップされた玉ねぎやトマトの野菜類、アボカドのサルサなどを自分の好みで挟むセルフサービス。お約束の一つサワー・クリームがないのが残念だが、その代わりにメキシカン・ライスの皿があるのは、オランダ風メキシカンのご愛嬌か? まあアメリカのメキシカンフードも本場のものとは違う様だし、料理は各地で変わるというのも旅の楽しみである。妻が大きなハンバーガーを持ってきたのを横目に、メキシカンライスも挟んだちょっと変わったタコスは味も美味しく、天気晴朗でクルーズの気分がいやが上にも盛り上がったのであった。

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2010年9月 1日 (水)

ニューカッスル・メトロ

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イングランド北部ニューカッスル市郊外を走るメトロの電車である。タイン川の両岸にループ線を含むメトロ鉄道網が敷設されているが、そのうちウエステルダム号が着岸したタインマス港からニューカッスル市街地まで13キロ余り、約20分の往復車窓を今回のクルーズでは楽しんだ。ニューカッスル地区は昔は英国の一大重工業地帯で、明治初期の帝国海軍の戦艦「八島」「初瀬」などはこの地で建造されて輸入されたものであるが、今は周辺一帯は静かな海岸の住宅地なので、そこを走る電車や施設も相当古びたものかと予想していた。日本で言えばちょうど地方の中小私鉄ぐらいのイメージで、タインマス駅のクラシックな駅舎で電車を待ったのである。

15分に一本くらいの間隔でやってきたのは、一両が15米位で2扉、クロスシート、ワンマン運転の4両編成の電車である。ごく普通のカルダンドライブの車両で、外国の鉄道にありがちな落書きも一部見られたが、車内は予想以上にきれいである。先頭車はタイヤフラットでややごとごと音がするが、それ以外は車両は良く整備され、日本の大都市郊外の私鉄と雰囲気は大差ない。線路は当然1435ミリの標準軌で枕木はコンクリート化され、線路の規格も日本の中小私鉄より高そうである。信号機は赤、橙兼用の2灯式で自動閉塞、線路に多数敷設された信号用の地上子からはATSの様な安全設備が完備している事が伺え、予想外の先進ぶりにさすが鉄道発祥の地の事はある、と感心したのであった。メトロはニューカッスル市内は地下鉄になるが、どの駅も清潔である。

帰り道にタインマス駅に掲示された駅舎の由来に依ると、この鉄道は1882年に開業した後1904年に電化されたが、これは世界初の郊外電車であり、その後の電車輸送のさきがけであったと誇らしげに記されている。そういえば、ちょうど日本では甲武鉄道(現中央線)が飯田町(現飯田橋)と中野間に、わが国初の市街電車を運転したのが1904年である事を思い起こす。この甲武鉄道の電車は、部品は輸入したもの乍ら車両は自社製で、戦艦を英国からやっと輸入したわが国が、郊外電車では世界のトップと同じ頃に製作・開業している事はちょっとした驚きでもある。

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