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2010年8月

2010年8月31日 (火)

M/V SAGA RUBY

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ウェステルダム号が北アイルランドのベルファストに着岸すると、すぐ後ろに優雅な小型客船が停泊している。大きな船と小型船が並ぶと、普通は小さい方が貧弱に見えるものだが、この船は小柄な貴婦人のごとく粛々と停泊している。名前を見ると"SAGA RUBY"とあり、その優雅なシア・ライン(舷弧)とエンクローズされたキャビンから、北太西洋や北海の荒波を航海する為に造られた事が伺える。おもわずカメラを手に後ろの岸壁に写真を撮りに行く事にする。

それもそのはず"SAGA RUBY"はもともと1973年に就航したノルウエイ船であったが、キュナードが買収して"CARONIA"と改名し大西洋でクルーズを展開、2005年に改装され現在はSAGA CRUISESというイギリス人向けのクルーズ会社で運航されているそうである。24,492トンの美しい客船は、650名の乗客/380名のクルーを乗せたプレミアム船だとベルリッツには紹介されている。主に英国人を顧客とし、子供は乗せず、大型船があまり立ち寄らない古い英国を訪ね歩くオール・インクルーシブ料金のしっとりした船だと評されている。

アメリカ人にホテルの予約を取ってもらうと、近代的な大ホテルでなくクラシックな佇まいのファイアー・プレースがある様なインを取ってくれて、面食らう事が良くあるのだが、トラディショナルな雰囲気を好む西欧人は多く、この船の乗客もそんな人達であろうか。いずれにしてもカーニバル・RCI・NCLなど巨大資本傘下の近代船に我々の眼は捉われがちだが、世界には自国客用や特殊なトレードに特化した多くのクルーズがある様だ。おっかなびっくり、そんな船に数泊紛れ込んでみたい気持ちもあるが、それは外国人が日本船にいきなり乗ってくる様なものだろうか?

2010年8月30日 (月)

ホランド・アメリカ社ウエステルダム号・12泊の英国周遊の感想

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<ウエステルダム号のアコモデーション>


  1. プロムナード・デッキは木張りで広く本船を一周全通しているし、テンダーボート作業中も、通行止めにしておらず自由に行き来できる。往年のライナーボートからの伝統なのだろう。

  2. あらゆる処にクラシックな絵画や彫刻、模型などが展示されている。特に船首階段には歴代ウエステルダム号の絵画が掲げられ伝統を示している。船内の絵や置物をみてまわるだけでじっくり楽しめる。

  3. レセプション部の広く高い吹き抜け(アトリウム)はごく小さく、人々の集う場所ではなく出入り口であると割り切っている様である。船内デザインはオーソドックスで地味だが、時々ギンギラの壁面や青のドアノブがあったりとびっくりする箇所もある。

  4. 部屋は快適で収納場所も多かった。ただお湯の水圧が低くてシャワーがやや不便だったのは残念。トイレバキュームが流れないという不具合は一度もなかった。

<サービス>


  1. 食事はメイン・ブフェとも美味しかった。(というか私はどの船でも美味しいと感じるので評価する資格はない)。メキシカンフード・バーがあってタコスを自分で作って食べられるのは楽しい。サラダは昼以降はいつでも食べられるし、寿司(もどき)も一応ブフェにある。

  2. サービスクルーは皆元気できびきびと働き、よく気がついて仕事をしている。部屋掛りはいつのまにか手際よく部屋の清掃をしてくれたのは感心した。ターンダウンあり。

  3. 船内の催しものは、”ファンシップ”的要素が少なく、個人個人で静かに楽しんで下さいという方向と思われる。(そのためにアトリウムも小さいのかもしれない)。アクティビティの種類が少なく、また乗船者もあまり積極的に催し物に参加しない様で、ラインダンス教室などは参加者が少なく中止になったそうである。

  4. 今回は3回ほどショア・エクスカーションに参加したが、これらの手配は大変スムースで心地よかった。

<雰囲気>


  1. 今回乗客はオランダ人が1000名、アメリカ人が500名と船内のほとんどを占めていた。ヨーロッパ周遊と云う航路的な要素なのか、ヨーロッパ人が多いという事からか、今までの大型船とはかなり雰囲気が違う様だ。(ほとんどの乗客がカードホールダーに乗船カードを入れず、ポケットや財布にしまっていた)

  2. 米国船の乗客平均年齢の43歳より今回は乗船客の年齢が高く、家族連れや若者達だけのグループは少ない。朝・昼食にジャケット着用者も相当見受けられ、一瞬ここは日本船か?と錯覚するくらいである。

  3. ダンスは米国船の様に皆で楽しくという感じではなく、ステージの上手な人を遠巻きに眺めている人多く、ロックン・ロールやラインダンス、ディスコ音楽などは低調で、プールサイドの音楽は皆無。私たちは「音楽の少ない船だね」と同行者と話していた。

  4. 総じて高齢者の多い欧州調のゆっくり落ち着いた雰囲気、壮年以下にはちょっと硬いと感じる雰囲気といえよう。

<ツアー>

    今回私たちは、お盆の期間で航空券が取りづらい事、空港と上下船港が離れている事などから初めて添乗員同行のツアーに参加する事にした。そのため往復の手配や船内での諸予約などとても楽ができて、クルーズをゆっくり気軽に楽しめたし、同行者とのお話も楽しかった。これからも個人手配にしたりグループでクルーズをしたり、コースや季節によってケース・バイ・ケースで乗船していきたいと思った。(思わず修学旅行を思い出してしまった!)

2010年8月29日 (日)

フォースブリッジ

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ウエステルダム号のエジンバラの入港地は市内から少し離れたフェリー乗り場近く、フォースブリッジというそれは立派な鉄道橋のたもとであった。それもそのはず、この橋はガイドブックにもエジンバラ名物として載っているほどで、カンチ・レバー(片もち式)のトラス構造 (三角型を基本にした構造で建造物の重さを柔軟に受け止める 方法)としては、完成当時世界一、現在でも世界第二位の長さだそうだ(東京ゲートブリッジも同じ構造)。驚くべき事はこの橋が完成したのが1890年3月(明治23年)で、わが国では伊予鉄道が日本で初の軽便鉄道を開通させたのが明治21年、箱根が越えられず東海道線が御殿場経由で沼津までやっと通じたのが明治22年だから、その頃にイギリスではこんな鉄道用の長大橋が造られていたのである


エジンバラの北に広がるフォース湾を横切るこの鉄道橋は長さ2530米、51000トンの鋼鉄を使って造られており搭の高さ104米・海面から鉄橋までは46米、線路は非電化だが複線で、今でも轟音をあげてひっきりなしに通勤のディーゼル列車(気動車)や長距離の客車列車が通過していく。アメリカの鉄道橋は概して簡便に造られている様で、いまだに橋脚に絡んだ脱線事故などが時々起こるのに対し、イギリスの橋脚はと見ると頑丈かつ立派で、さすが鉄道発祥の地と感心するとともに、日本もイギリスから鉄道を学んで良かったとフォース橋の威容を眼前に認識を新たにする。


今回は橋のたもとのDALMENY駅からEDINBURGH駅まで、スコットレイルの列車で往復してみたところ、いずれも時間通りで清潔な車内であった。このクルーズの最後にニューキャッスル・アポンタイン郊外でもメトロ(郊外電車)に乗って港から町の中心まで行ってみる機会があったが、田舎町に反して鉄道の設備や車両が整えられているだけでなく、保線状態も良く定時発車をしていて、僅かばかりの乗車時間ではあったが、英国伝統の鉄道技術はいまだ衰えていないとを感じたのである。


さてこの橋は建造されてから120年も経ち始終修理が行われているそうで、メンテナンスも大変なものだと想像するが、英国では"Painting the Forth Bridge"という言いまわしがあって、これはいつまでも終わらない作業の事を言うそうである。ちょうど「 シジフォスの石 」か「 賽の河原 」の英語版と云うニュアンスのようで、我々も停泊した船から、作業をしている保線・修繕の人を遠く望遠鏡でのぞめたのであった。世の中には”橋おたく”と云う人がいるらしいが、どうやらここは結構そういう”おたく”が世界中から集まってくる名所の様でもある。

2010年8月28日 (土)

ロスト・バゲージ

昨日、成田空港のバゲージ・クレイムの回転台カウンターで、預けた荷物を待っていると、係員が私の名前を読んでいる。何事かと思って聞くと、ロンドン・ヒースロー空港で私の荷物の一つを積み残してきてしまったと云う。今回、アムステルダム・スキポールからヒースロー乗り換えで成田まで戻る途中、乗り継ぎのロンドンでのトランジット時間が短い上に、例によって空のトラフィック・コントロールでヒースロー到着が遅れた。EU域内からヒースローで乗り換える時は、これまでも何度かフライトが遅れて乗り継ぎに苦労した経験から、ここは鬼門だと思っており、事実バケージの遅れがヒースローでは多発していると聞いていたので、これもしょうがないかと諦める。それにしても、預けたもう一つのトランクは無事に出てきているので、まったく積み替えに時間がなかった訳でもなかろうから、一体どうした事だろう。

そういえば、これまでも海外出張で乗り継ぎの際に、荷物の積み替えが間に合わず大変な思いをした事が数度ある。スーツ・ネクタイをトランクに入れておいたら、これが出てこないので、しかたなくジーンズにポロシャツで大事な顧客との契約に赴いた事もあった。そんな経験から、一人旅の際はなるべく荷物は預けないですむ程度にしているのだが、さすがにクルーズとなるとそうもいかない。北ヨーロッパでは夏といえどもセーターや雨具がいるし、船ではドレスコードがフォーマルの日もあるのでそれなりに衣装も必要である。しかし、今回は積み残しがヒースローにあるという事がわかっただけでもまず安心で、翌日の同じ便で成田まで運んでくるからという事で、係員の作成する書類に届け先を明記して、自宅まで戻ったのである。

さて今日、その積み残しトランクのステータスがウエブでチェックできるというので、昨日成田で貰った照会コードをパソコンで検索すると、たしかに私のバッグの特徴や自宅の住所・電話番号など記載された当該バケッジの情報が画面でチェックでき、一日遅れの便で成田向けに積まれた事が判る。航空会社の着陸情報では朝9時過ぎにその便は成田に到着しているから、そろそろ税関を通っている頃かと考えていると、もうさっき送りましたと航空会社から電話があり、昼前には業者が成田から配送してくれた。一日遅れとはいえその便利で手早い事、搭乗客が成田の駐車場業者で車をピックアップしたり、電車を待ったりするよりよほど早く荷物が無事届いたのである。積み残しは仕方ないが、コンピューターの発達でその荷物の状態を追跡したりするシステムは、本当によく機能してすばやい対応をしてくれるものだ、と改めて感心したのであった。

2010年8月27日 (金)

クルーズログ

オランダのロッテルダムでウエステルダム号の12泊クルーズも終了し、アムステルダム・スキポール空港からロンドン・ヒースロー空港経由で帰国する。ぐるっと廻った英国にまた一旦寄って日本に帰ってきたのだが、夏休みで成田行きの便がこれしか空いてないというから、長旅もやむをえない。下船から約20時間かかってやっと暑い東京に到着した。

英国周遊クルーズの2週間はすばらしい旅であったが、さすがに毎日のように船上の洋食ばかりだと、しょうゆの味つけや白米が恋しくなってくる。ウエステルダム号のビュッフェでは一応、巻き寿司らしきものがあり、それを時々食べてはみたものの、これはちょっと寿司とは似て非なるもの、あくまで別の食べ物だと感じた。先般乗船したP&Oオーストラリアのパシフィック・ドーン号では日本人は我々2人だけで、船も日本の客などは想定外らしく醤油や米がまったくなかった。この時はブリスベーンで下船後、その足で町のフードコートに突進し、韓国人が経営するオリエンタルフード屋で巻き寿司を買って食べたが、その美味しかった事は忘れられない。

という訳で、今日は帰宅して真っ先にお湯を沸かしてカップの日本そばと、インスタントやきそばを食べた。チープな味ながらジャンク和食も良く工夫されていて、なかなか美味しいものである。わが家について、やっと醤油やウスターソースを味わい、ほっと一息ついた時は、ああ日本人なのだな、としみじみ感じたのである。

<我々の12泊クルーズ・ログ>
ビール消費量:缶ビール24本+グローシュ(ダッチビアー)6本、ワインボトル:7本、スパークリングワイン:1本、マティーニ:2杯、ジントニック4杯、スコッチ水割り1杯、カクテル1杯であった。これを12で割って二人分なので2で割ると純アルコール量は一人一日あたり60mlであった。まあこんなものか、でも飲みすぎだよな。

(写真はウエステルダム号の寿司もどき)
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2010年8月25日 (水)

おりえんと・びいなす再会

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数日前ウエステルダム号がエジンバラに入港する際に、反航して出港していく白い客船を発見する。どこかで見たような船だなと目をこらしていると、どうやらかつてびーなす・クルーズにいた旧”おりえんと・びーなす”の様に見える。両船が次第に近づくにつれ、親会社新日本フェリーの各船に似たシップデザインから、元”おりえんとびーなす”である事が鮮明になってきた。

”おりえんと・びーなす”は1990年、ふじ丸など日本船が外航客船事業を再開した頃に造られた船で、珍しくIHI石川島播磨重工で建造されている。21,900トンの小型船ながら、初期の外国クルーズ船で流行した、ラウンジつきの特徴あるファンネルを採用しているので良く覚えている。バブル崩壊後の経済で、後から出来た”ぱしふぃっく・びーなす”と2隻体制では、さすがにキャパシティが多すぎたためか、2006年に外国のクルーズ会社に売却されたのは知っていたが、まさかスコットランドの港で再会するとは思わなかった。

持参の双眼鏡で船名を確かめると、”DELPHIN(独語いるか) VOYAGER"とありファンネルにはいるかのマークが描かれているので、どうやらドイツの会社に売られた様だ。ファンネル中段にあるラウンジも改造が施されているが、往時と一番変わったのはスポーツデッキなど後部のハウスまわりが、最近流行のベランダつきのキャビンに変わっている点であろう。かつては船体後部がちょっとフェリーチックだったが、こうして改造されると随分印象が変わって、立派なクルーズ船に変身したのにびっくりする。デッキには相当のクルーズ客が乗船している様で、かつての日本船が第二の人生をヨーロッパでみつけて活躍してくれているのを見てうれしくなった。

オールド・エンジニア

ウエステルダム号は今日8月24日、イングランドのニューキャッスルに入港した。そういえばここは、家並みもどことなくアイルランドやスコットランドと違って見える気もする。本船が着岸した最寄りのタイン川ポートからニューキャッスル市街まではバスと郊外鉄道で30分ほどで、このクルーズ最後の寄港地をのんびり散策しながら楽しむ事とした。

そんな中、電車の車中でちょっと年配のオランダ人の夫人に席を譲ったところから、そのご主人と会話をすることになった。オランダでもかつては老人に席を譲ったものだが、最近はそんな事もなくなった、いや日本もそうだという話から、長崎・出島でオランダだけが交易を許されていた事、ワールドカップで日本がオランダに負けた話まで、結構日本とオランダの接点をつむいで行くだけで会話が弾む。

何でもご主人は、ホーランドアメリカラインの元エンジニアだったそうで、同社の本社はすでにアメリカに移ったが、ノスタルジックツアーで友人夫妻とともにウエステルダム号に乗船したのだと云う。本船には発電機が5台あってアジポットで推進するため俊敏な操船が可能だと、元エンジニアーとしてはちょっと鼻が高そうである。何でも5代目のロッテルダム号までは、タービン駆動で振動も少なかったがそれなりに人手がかかりメンテナンスも大変で、ディーゼル推進時代になってエンジニアーとしては楽になったと教えてくれる。

その元機関士は、航海の最後にて航走距離や燃料消費量が記載されたクルーズ・ログが配られるから、それを良く読んでくれと言っていた。ニューキャッスル港からは、デンマークのコペンハーゲン行きのフェリーが先ほど出港していったが、北海やバルト海でつながった西欧諸国は極東以上に一衣帯水、英国やノルウェーだけでなくオランダやドイツなど西欧諸国も昔からの伝統ある大海運国であった事を、彼の落ち着いた言葉から改めて思い起こしたのであった。

写真はタイン川入港の様子
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2010年8月24日 (火)

ミリタリー・タトゥ2010

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今日8月23日は、午後9時から始まるミリタリータトゥを見るために早めに夕食を済ませ、夕方エジンバラ沖に停泊するウエステルダム号のテンダーボートにとび乗る。なにしろ2000名の乗船客のうち半数ちかくがミリタリータトゥを見物するそうで、今回はこのイベントが、クルーズ最大の目玉といえよう。テンダーボートとバスにのってエジンバラ城前に造られた会場に到着し開場を待つが、あいにくの朝からの雨で気温は15度くらいだろうか。

エジンバラ城の入り口駐車場に、夏の間仮設される観客席はちょうど阿波踊りの会場の様に路面を観客席が囲むのだが、8月の日曜日を除く約3週間、8000名収容するこの仮設席が、マーチングバンドを見るために世界から集まった観客で一杯になるのである。タトゥのチケットは前年12月に売り出すといい席はすぐ完売になり当日券などはないとの事で、これは聞きしに優る一大イベントである。

あたりが暗くなった9時頃からいよいよ軍楽隊のバグパイプとバンドのパレードが始まる。本場スコットランドの連隊のほか毎年世界各地のバンドがミリタリータトゥに参加するそうで、今年はアメリカ、ニュージーランド、インドのグルカ兵、ヨルダンなどの軍楽隊が会場せましとパーフォーマンスを繰り広げる。演奏の合間にはハイランドダンスやオートバイの曲乗りなども披露され、なかなか凝った演出で観客を魅了させながらショウが進行する。

約1時間半のショウのフィナーレは、イギリス国歌の斉唱に続きスコットランド民謡”ほたるの光”を会場全体で歌い、最後は参加バンド総員ブラスバンドが400名にバグパイプ200名ほどの合同演奏で、スコットランドの国歌 "SCOTLAND THE BRAVE" "高地の若者"(HIGHLAND LADDIE) "THE BLACK BEAR"とお約束の曲目メドレーで会場が盛り上がるのである。このころには雨もすっかりあがったものの、気温は10度くらいだろうか、観客は皆「寒い寒い」と言いながらも、各国の軍服を着用した600名の大バンド演奏の迫力に圧倒されたのであった。東京の暑さに比べれば、この感動があれば少々の寒さなど全然問題なし、ここに来られて良かったと感激したのであった。


スコットランドヤード 2010-08-25 00:47:47
初イングランド旅行を終えて2日。連日23~24度ぐらいのロンドンから、残暑厳しい日本はまさに熱帯!

更に北のスコットランドの寒さは、いわんや・・・でしょう!

バッキンガム宮殿の衛兵交代式の楽隊だけでも感動してしまった小生、そんな祭りを観戦したら涙が止まらないことでしょう!!

帰国されましたら、お土産話を楽しみにしております。

残りのクルーズを楽しんで、元気にご帰国下さい!

って、一体いつ帰国されるんですか・・・?(笑)

2010年8月23日 (月)

クルーズとミリタリータトゥ

ウエステルダム号は、今日はスコットランドの首都であるエジンバラに入港した。クルーズと言うとカリブ海や地中海が本場と思われるが、北ヨーロッパのクルーズではエジンバラも穴場の寄港地の様だ。エジンバラは町自体が世界遺産に登録されている上、夏場はミリタリータトゥという軍楽隊のデモンストレーションがエディンバラ城で毎夜行われ、世界中から観光客がこれを楽しみに集まってくるそうだ。かねてからブラスの本場イギリスで行われるタトゥが見たかったのだが、チケット入手や交通手段を考えると夢の実現も難かしいもの。ところが本船の英国クルーズでは、船のオプショナルツアーで見物に行ける事がわかり思い切って乗船する事にしたのだった。


さて私が初めて英国のマーチングバンドの素晴らしさに打たれたのは、1970年代に放送されていたNHK・FM放送の「 ブラスの響き 」だった。この中で1957年ロンドンハイドパークで行われたクイーンエリザベス二世の公式誕生日式典(Trooping the Colour) における近衛砲兵隊バンド (Royal Artillery Band) の 実況録音が放送され、その時代を感じさせない新鮮な録音と、圧倒的なマーチングバンドの演奏に驚いたのだった。その後映画「ブラス」などを通じてこの国のブラスバンドの伝統を知るにつれ、いつか機会があったら本場でミリタリー・タトゥを見たいと思っていたのだが、そんな夢が明日実現できるのもクルーズのおかげといえる。


今朝ほどウエステルダム号がエジンバラに入港する際、ホーランド・アメリカラインの僚船ユーロダム号が出港して行ったが、デッキに鈴なりでこちらに手を振っていたユーロダムの乗客は、我々よりちょっと早く夏の夜の祭典を楽しんだ事だろう。クルーズ船が連夜寄港するほどのお祭りとあって、本船からも多くの乗客が明晩は見物に出かけるみたいである。日本で言えば阿波踊りの様なものかもしれないが、エジンバラのフェスティバル人気とは、やはり相当なものだと明日のミリタリータトゥ見物にワクワクしているところなのである

1957年Trooping the Colourの録音

写真はフェスティバルの停泊を楽しみ出港して行く僚船「ユーロダム」
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2010年8月22日 (日)

ネッシーより怖いもの

ウエステルダム号は今日はイギリスの北部インバーゴードンに着いて、半日のネス湖ツアーに参加した。地元のガイドの案内によれば、ネス湖は大陸から続く断層帯に出来た湖のため対岸の地層がまったく違うのだそうで、そんな由来から太古に他の世界から切り離された神秘の湖、怪物が生息している場所としてクローズ・アップされたのである。

さて港から一時間半くらいバスに揺られて到着したネス湖は、天気も良くあっけらかんとしたたたずまいで、北海道の屈斜路湖くらいの感じがする。というよりも、ネッシーは、実はオマケの様なもので、ここの本当のウリは湖面にたたずむアーカート城の遺跡。ここは昨日のブログに書いた英国戦乱の歴史を今に残す城跡で、湖畔のビジター・センターでこの遺跡についての簡単な映画を見た。

それによると6世紀のキリスト教布教の時代から始まったアーカート城の歴史は、宗教改革やイングランド・スコットランドの争いの歴史でもあった様で、この城は幾度も戦乱に遭っている。ビジターセンターに再現された巨大な石を遠心力で飛ばすパチンコの様な古代兵器を見ると、ネッシーなどより人間の方がよほど脅威の存在である事を実感したのだった。

写真はアーカート城にある古代投石兵器
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2010年8月21日 (土)

大陸の西から

ウエステルダム号は、英領カンジー島、アイルランド共和国の首都ダブリン、北アイルランドのベルファスト、スコットランドのグリノックと周遊し、今日はスコットランド沖に浮かぶスカイ島に入港する。スカイ島は地図上では英国の左上にある人口1万弱の島で、1745年国王に反旗を翻したチャールズ一世が、命からがら大陸へ亡命する際に足がかりにした場所だそうである。これまでロンドンには仕事などで何回か来た事もあるが、イングランド以外の小都市を回っていると、普段われわれが考えている国民国家イギリスとは違った国の成り立ちを肌で感じる。アイルランドやスコットランドのケルト人の末裔は、背格好も我々アジア人とさして違わないし、それぞれが歴史や民族的背景に大変な誇りを持っていて、ラグビーの各地域代表戦がなぜ五カ国対抗という名前で呼ばれるのか良くわかる気がしてくる。

ガンジー島からして「英国王室には従うが、英国議会には必ずしも従わない」のが伝統だそうで、アイルランドやスコットランドのケルト人の歴史、バイキングなどノルマン人の進入、カソリックとプロテスタントの根深い対立など幾多の相克を経て、現在のイギリスが成り立つまで、この国は血塗られた歴史を重ねて来ているのである。その点からすると縄文人と弥生人の平和的混交、シナとの適度な距離感や長い鎖国を経て近代に入った日本は、なんと平和な歴史を刻んでこれたのかと、改めて彼我の違いを認識する。各地のケルト人の遺跡や博物館で宗教の対立、王室の確執などの展示や資料を見るうち、したたかな歴史の上に成立する西欧諸国には、外交や安全保障面でやはり日本は敵わないのかと感じるのである。

この旅行中に、日本はGDPで中国に抜かれて世界第3位になったとBBCでも報道されている。覇権国家であるアメリカとは、広大な太平洋と東西冷戦という格好の地政上の特典を生かしてこれまで付き合ってこれたが、もう一方の覇権国家・中国がすぐ隣で急成長するにつけ、わが国は大変な時代に突入しつつあるのをあらためて感じる。政権が変わったとたんに、多くの国会議員を連れて朝貢外交をしているのんきな政治家達や、韓国に謝る事に意味があるというナイーブな首相を見るにつけ、この先一体わが国はどうなっていくのだろう、と大陸の西の端の島国から東の端の日本に思いをはせるのである。旅というのは、普段気づかない事を思い起こさせるという事で、やっぱりよいものだ。

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2010年8月19日 (木)

英国周遊クルーズ

伝統あるホランド・アメリカ・ラインの「ウエステルダム」号(82000トン)の英国周遊クルーズにロッテルダムから乗船して夏休みを楽しんでいる。この会社のクルーズ船は落ち着いた雰囲気だとかねてから聞いていたが、これまでのところ正にその通りと感じる。発着地の関係からオランダ人始めヨーロッパの乗客が多いのは当然として、アメリカ人もかなり多数乗船しているものの、こんなに静かなアメリカ人のクルーズ客と言うのは初めてだ。ちょっとしたヨーロッパ社会に来ると、彼らは上品に振舞おうとするのか、それともこの会社のフネを選ぶのはそういうアメリカ人が多いのか、とかく夏のクルーズにありがちな子供や若者がドタドタと船内を走り回る事が皆無である。乗客の平均年齢も日本船なみに高そうだが、それに合わせて普通にぎやかなプール・サイドのバンドや音楽もないし、服装も堅めである。

イギリスといえば、ウインド・オーケストラやブラス・バンドの本場、以前から一度はスコットランドのエジンバラで開催される「エジンバラ・ミリタリー・タトゥー(行進)」というバグパイプの祭典を見てみたと思っていたところ、このクルーズなら船のオプショナル・ツアーで簡単にそれにも行けるということで、いつもよりちょっと長いクルーズながら思い切って乗船したのである。ロッテルダムを出て、シェルブールに程近い英領ガンジー島、アイルランド共和国のダブリン、北アイルランドのベルファストと自分では観光に行かない様な場所を、フネでは簡単に回ってくれるのでゆったりエンジョイできて興味深い。今日は、奇岩の世界遺産ジャイアンツ・コーズウエイに行ったが、これまでは天気も良く北国の夏を楽しんでいる。

シップデザインの点からは、ウエステルダム号は広いプロムナードデッキがチーク材張りで全通している他、船内の装飾などがとても豊かで、客船らしい演出をしているのがとても好感がもてる。エンターテイメントの催しやそのためのクルーが少ない分、船内の掃除や真鍮磨きのサービスクルーが多い様であるし、部屋係のカートを廊下で見ないのも驚く。部屋は目立たぬ様に、いつに間にかきれいになっているのである。どうやら大型船でも他社とは一味違う路線を進んでいるのが、この会社のクルーズなのだろうか。船内が静かなのは良いが、あまりに静か過ぎてノリノリの場面もまだ来ず、ちょっと拍子抜けといえば云えなくもないクルーズ序盤である。

ガーンジー島のウエステルダム号
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2010年8月12日 (木)

世代ギャップ

古巣の会社の後輩である現役執行役員と、昨日は夕食を一緒に食べた。日ごろ温厚な彼だが昨日はビールやワインなど飲むうち、珍しく若手社員への憤懣をぶちまけ始めた。海運会社も、最近は業績が良いので私たちの時代と違って、かなり優秀な人材が集まって来るという。語学については帰国子女も多く能力が高いとの事で、英語で電話がかかってくると、トイレに逃げたりした我々の新入社員時代とは隔世の感がある。

「 しかし聞いてくださいよ、彼らは会議中もお互いテッドだとか、トムとかニックネームで呼び合うんですよ。ここは日本の会社だから、○○さん、○○君と呼びなさい と言う事から生活指導しなきゃならないんですよ 」と現役の執行役員はこぼす。そういえば私も時々彼ら若手の書いたメールが廻ってきて読む事があるのだが、英語としてはこなれていても、海運の商習慣における慣用句や法律用語が乏しく、これではビジネスの駆け引きにならないと驚く事がある。かつてはどんな会社にも先任伍長の様な怖い課長代理や掛長がいて、新入社員などは商業英語を徹底的に鍛えられたものだが、同じやり方を今の若手にしたら「パワハラだ!」と訴えられそうである。

「 中途入社で入ってくる人材も、驚くような立派な会社から入ってくるが、彼らは自分のキャリア育成が第一で営業は2年・企画が2年・その後は海外勤務などと人生設計を自分で作り、その設計通りに行かないと文句を言ってくるんですよ 」「 自分より英語が下手な者が、先に海外勤務になるのは許せない、などと本気で思ってるんですよ」「 会社はお前のキャリア養成の為にあるんじゃない、って説教しなきゃいけないんですかね~ 」と酔いも手伝い後輩役員は大いに嘆く。どうやら日本のサラリーマン社会が永年培ってきた、暗黙の様々な了解、例えば上司は理不尽なものでそれを堪えていくのも給料の一部などという規範が音を立てて壊れている様である。

「そんな質問には『馬鹿!』と答えておけ」という私の突っ込みに、「そうもいかないんですよ、彼らは直訴のメールコピーを社長などに直接送ってしまうんですよ」と言って「今日は愚痴ばかりこぼしてすみませんでした、つい先輩だと気を許してしまって」などとと詫びつつ、とぼとぼと彼は家路についたのだった。我々も若い時は先輩から見たら新人類と云われてぶっ飛んでいたのであろうが、いやはやIT時代の管理職は大変なカルチャーギャップに悩まされている様だ。

2010年8月11日 (水)

土下座外交

やはり菅政権は日韓併合100年にあたり「痛切な反省」などと談話を発表した。かつて村山・小泉と同じ様な談話を2度も出しているのに、一体いつまで反省を繰り返さなければならないのか。さらに8月15日には首相をはじめ閣僚は靖国神社に参拝しない事にしたと云う。私はこれらの偽善的行為に反対し、こんな政府が我々の代表である事をとても悲しく思うのだが、この件については桜井よしこ氏はじめとする各界の論客たちが、理路整然と批難の嵐を浴びせるであろうから、私が駄文を書くまでもないであろう。

戦争に於ける善とか悪とか云う概念は相対的なもので、そんなものは戦勝国の都合で変わるものだから、今の視点で遠い過去を裁くなどという事は、神でもない限りできないと私は常々考える。A級戦犯が合祀されていようといまいと、私は近々靖国神社にお参りに行って政府の対応にささやかながら抗議したい。それと共に桜井氏らの(私からみたら)まともな批評家が書いた月刊誌などを、今度のクルーズ旅行の際はなるべく多く購入・持参する事で、微力ながら彼らの支援に役立てばと願っている。

大英博物館は、エジプトから奪ったロゼッタストーンなどを、どんなに抗議があろうと返さない。アヘン戦争で英国の植民地になった香港は、植民地として不平等な支配を永年うけたが、返還されるに当たってイギリスが謝罪したという事を私は寡聞にして知らないし、オランダやフランス然りであろう。こうしてみると日本の対中国や韓国への謝罪や反省の裏には、なにか卑しい下心が隠されているに違いないと私はいぶかるのである。ここで譲歩しても、次の一手を先方が繰り出して来るだろうから、日本は政権が変わるたびに謝罪を行い、賠償問題が蒸し返されるのであろう。

2010年8月10日 (火)

ホランド・アメリカ・ライン

クルーズの楽しみと云うと、普通は食事だとかショアー・エクスカーションだとかと答える人が多い中、私たちは船ウオッチであるから船客のなかでは、かなり少数派であろう。日本の船は別にして、ふつう外国船では食事などに高望みをする事もないから裏切られもしない。むしろビュッフェで好きな食材をチョイスして、デッキやベランダで潮風に吹かれてビールでも飲んでいれば至極ごきげんであるから、スナックやらチーズが美味しかったりポップコーンが無料だったりする船が好きである、などと言うとクルーズファンの顰蹙を買いそうだ。

シンガポール発着のスター・バーゴ号などは、中国人やインド人のマナーを嫌う日本人も多いが、このクルーズ船はブリッジ上のラウンジに電子海図やAIS(自動船舶識別装置)のモニターがあって、世界でも最も混雑するマラッカ海峡を行き交う大小さまざまな船や自船の操船状況が判り、まるでフネの博物館にいる様で楽しい。そんな中でも船マニアとして眺めてうっとりするのが、行き交うクルーズ客船の美しさであろう。世界でもクルーズ船が集中する海域は決まっていて、例えばカリブ海や地中海、夏のアラスカ、冬のメキシコ太平洋岸などでは、どの港へ入ってもわが国には滅多に寄港しない優雅な客船に合えるのが嬉しい。

各地で見た主なクルーズ船のうち、特に船体のデザインがきれいで憧れてきたのがホランド・アメリカ・ラインである。このホランド・アメリカラインは、名前の通りもともとは大西洋横断の伝統ある定期船会社だったが、現在はアメリカに本社を置きもっぱらクルーズ事業を営んでいる大手だ。この会社の特徴としては船の大きさを5万トンから8万トンに限定して、乗客定員を抑えて上質のサービスを提供している事であろう。私はクルーズ船は、船の美しさという点でも設備という観点からも7万トンから8万トンクラスの船が最も良いと思っており、この会社の各船の大きさ、青を基調としたシンプルな船体の配色、地味な外観などが伝統を感じさせ好ましい。船名もすべてオランダ由来の”ダム”と命名されているのも格好よい。

さてこの夏休みは、かねてから憧れていたそのホランド・アメリカラインのウエステルダム号(8万2千トン)にオランダから乗船できる事になった。伝統の会社の船内はどんな意匠が凝らされ、どんな作りになっているだろうか。どうも食事などはそれほど評判が高くはなさそうだが、それは初めから期待せず、それより船内の雰囲気などを大いに楽しんできたいと思っている。妻は早くも乗船日に届けられるビールセットやワインセットをオンラインで購入して、パソコンの前ではしゃいでいる。ただオランダのバーなどのトイレはやたら男子用が大柄な人の為に高い場所にすえつけられ、私などはつま先立ちしないと用もたせないのだが、その伝統だけはゴメンこうむりたいものである。

写真は、メキシコ・カボ・サンルーカスのラインダム号
20090402_112349


バルクキャリアー 2010-08-10 23:50:26
おー、ぽんぽこりんさん、今日は。 一ヶ月を切ると、乗船日が急に近づいてきますね。今回はいつもよりちょっと長いクルーズなので、仕事の引継ぎなどもちょこっとやっています。

ぽんぽこりんさんも気をつけて、メキシカンリビエラ+αを楽しんでください。


ぽんぽこりん 2010-08-10 20:30:22
もうすぐ出発ですね~
楽しんでいらしてください!!
すれ違う客船を見ると嬉しくなりますよね~!

我家は来月です!


バルクキャリアー 2010-08-10 19:53:37
まろんの父さん様

はーい、ありがとうございます。いろいろ見て来ますね。詳しい乗船記を書くのは妻なので、ハッパをかけておきますね。(笑)


まろんの父 2010-08-10 09:23:29
Bulkcarrier 様  いってらっしゃいませ。道中お気をつけて。ご帰国後のレポート楽しみにしております。

2010年8月 8日 (日)

花火特等席

20100808
妻の親戚が多摩川べりのマンションに住んでいて、先日開かれた花火大会に招かれた。人混みとか並んで待つという事が年とともに嫌いになってきたので、花火大会ももう永らく近くで見ていなかったが、会場の目の前のマンションから見物できると云う事で、いそいそと出かける。 マンション高層階住居のベランダから会場を見下ろしつつ、今や遅しと打ち上げ開始を待っていると、夜のとばりに黒々と横たわる多摩丘陵を渡ってくる風も秋の気配で、ほっと心が解放される気分がする。

いよいよ7時半からは目の前で花火がシュルシュルと打ちあがる。ビールに枝豆をつまみつつ、まるで我々のために花火を上げてくれている様な特等席で見学とは天国のようだ。ちょっと角度を間違えたらこの家めがけて打ち込まれるのではないか、というくらい眼前で花火を見ていると、音響のほうも迫力満点でシュルシュル、ドーンに続いて、火薬が飛び散るのかパラパラという音が聞こえてくる。何千発もの様々な花火は、日本の花火職人の技術の高さを見せてくれている様で、たっぷり一時間ほどの打ち上げを堪能したのであった。

ふとマンションの下を見下ろすと、消防署員が懐中電灯を手に、草むらに火事の火種が降って来てはいないかと、丁寧に監視している。消防だけでなく多くの人の影の尽力があって、花火大会が無事に開催されている事を改めて実感した。


夢でも? 2010-08-09 22:07:51
花火さん、夢でもみているの?写真がブレブレって?きれいに撮れているではないですか。

なんちゃって、ホストに提供していただいた写真にリプレースさせていただきました。ありがとうございました。


花火 2010-08-08 23:31:16
写真、ブレブレじゃないですか・・・あんなにきれいだったのに。

なんて、私はまったく撮っていませんでしたが。。

2010年8月 6日 (金)

新しいトラブル

日本人観光客が一人なくなったスイス氷河特急に脱線転覆事故は、列車の速度超過が主因と当局から発表されたが、列車が35キロ制限の箇所を55キロで通過した事だけが原因でなく、一部評論家が指摘する様に、日比谷線中目黒脱線事故で起こった輪重管理の問題や不完全な保線作業の影響もあったのではないだろうか。鉄道先進国のスイスで起こった事故なので徹底的な調査と発表をお願いしたいものだ。

この事故の報道をみるにつけ、鉄道は出来てからすでに200年近く経っていても、いまだに安全への不断の積み重ねと挑戦がなければ成り立たない産業である事が思いおこされる。このような従来型の事故にもまして近年目立つのは、エレクトロニクスの進歩で今まで考えられなかった様なトラブルが起きている事である。ちょうどトヨタのレクサス車が、コンピューターソフトの不具合でアメリカで大騒ぎになった様な事が鉄道でも起こっているといえよう。

2008年には東北・上越新幹線で信号システムを制御するハード・ディスクの故障とソフトウエアーの欠陥が重複して、列車が多数運休した事は記憶に新しい。新たなテクノロジーの導入に伴い、経験工学とも云えるシステムの安全な稼動について、たゆまない検証と新しい調整が求められているのであろう。

最近の国交省・運輸安全委員会の報告書を読むと、2008年に起きた湘南モノレールの事故は、最新鋭機器ならではの問題が露呈した新しいケースと云えよう。この事故は、大船駅発・湘南江ノ島行きのモノレールがモーターの制御ができなくなり暴走、非常ブレーキをかけるも駅に止まらず、単線区間のポイントを冒進してあわや対向のモノレールと正面衝突しかけたものである。原因調査の結果、車両の電気配線の不具合により電気ノイズが発生し、制御コンピューターがこのノイズを信号と間違えた上、ソフトの欠陥も相俟ってシステムがモーターに「力行」(動力オン)と指示したままフリーズした事が原因だと云う。なぜかレクサス車の暴走問題を彷彿とさせるような事故である。

コンピューターや通信技術の発達は、我々をますます便利にさせる一方、あらたなトラブルの火種をつくる事も周知の通り。そういえば、3年ほど前に禁酒を断行し何日も健康食を続け、自信満々いさんで人間ドックに行ったら 「 今日は人間ドックシステムのハードディスクが破損して、復旧に時間がかかるので後日改めて来てください 」と言われがっくりした事があった。有給休暇を取ってドックに来たのだし、その日まで努力した節制も肩すかしを喰い、当日の昼は思いっきり酒を喰らったものである。で、再度行った日の結果は・・・・・・・?!!! 社会の隅々までコンピューターがいきわたり、一旦これが止まると、従来おこなっていたアナログ・マニュアル操作では業務ができない困った時代になってしまった様だ。

2010年8月 4日 (水)

巨人・阪神首位攻防戦

久しぶりにプロ野球を見に行った。ドーム球場のカードはおりしも首位攻防の巨人ー阪神戦、満員のドームは阪神の首位奪還ゲームに大いに盛り上がったのだった。さて野球のナイト・ゲームといえば、お約束は生ビールにおつまみである。球場では生ビールの大きなステンレスの容器を背中に背負いミニスカートの若い女性達が、笑顔をふりまきながら飲み物の販売をしている。生ビールなど大体どのメーカーのものも味は同じ様なものだし、値段も一杯800円と変わらないので、どうせなら可愛い女の子から買ってやろうなどと考えるのは、我ながら中年オヤジ根性まるだしである。

しかしこのアルバイト女性たち、「 うっせえよ、このババア 」などと、家では悪態をついていそうな娘もいるのに、全員こぼれんばかりの愛想を振りまき、懸命にビールを売り歩いている。これをみると百万遍の道徳教育よりカネの力、資本主義の威力の方が即効的な教育効果を持っているのか、とつくづく感じるのである。試合は終盤一方的展開になったこともあり、けなげにビールを売り歩く彼女たちの声が聞きたくなり、足しげく近くに売りに来る女の子に注文かたがた話しかける。

問)一塁(巨人)と三塁(阪神)ではどっちが売れるの?
 答)大体勝っている側が売れます。
問)そんな時、反対側に行って売れないの?
 答)持ち場が決まっていてできません。
問)どのチームの時が一番売れるの?
 答)阪神の勝っている時がスゴいです。
問)負けている時は
 答)さっぱりです
問)巨人側もそうなの
 答)阪神ほど極端ではありません。
問)一杯売ると少しコミッションが貰えるの?
 答)そうです。
問い)どの位?
  答)ほんのちょびっとですけど、同じお客さんから声がかかるとやはり嬉しいです。

などと気持ちよく会話をした後、彼女は近くに来るとにっこり微笑むので、目があうと一杯、また一杯と注文して、すっかり彼女の術中に嵌って大量に飲んでしまったのであった。で、気持ち良く試合終了まで見ていたら、トイレに立った横のオヤジが前席背もたれのカップホルダーに置いてあった私の生ビールを蹴飛ばしてしまい、あたりは大洪水、いやはや大変な観戦であった。
20100804


アンチ・巨人 2010-08-06 22:48:02
ドームは飲み物持ち込み可能とわかったので、次回からはビールは買っていく事に。

それにしてもタイガースの選手は、ものすごい応援で幸せですね。


トラッキー 2010-08-05 09:07:06
愛すべき阪神ファンだなあ。

勝ってるときはバカ売れ、負けているときはさっぱり。

勝っても負けても一定の売れ行きというジャイアンツとはまったく違った趣。

首位攻防。まだまだエキサイティングな日々が続きます。

2010年8月 2日 (月)

政権支持調査

相続税の申告額の平均は7500万円と聞いて、世の中はそんなにお金持ちばかりなのかと驚くと、実は100件のうち相続税を払う必要のある人は4件で、その平均がこれだと云う。では残りの96件はどうなのかと見ると、相続税を申告していないので公表されたデータはないらしい。

7月29日のYAHOO WEB25によると、勤労者世帯の平均貯蓄額は1250万円だそうだが、これも実態とはかけ離れた数字だと解説されている。何億も貯金を持っている人がいるから、平均値を求めるとそうなるのであって、サンプルのちょうど真ん中(100人のうち50番目)の世帯の貯蓄額は750万円なのだそうである。さらに貯蓄額200万円以下の世帯が最頻値、すなわち数的には最も数が多いと云うから、”平均”1250万円の貯金を国民が持っているという数字はいわゆる庶民感覚とは相当離れている。

この様に統計数字にはマジックがあって、世の中に発表されている数字は、発表する側の都合の良い様に丸められている事が多いようだ。いわく小泉改革で格差が広まった、地球温暖化はCO2による、日本は食料自給率が低いなどと云われているのは、ほとんどが発表する側がデータを我田引水的に使用したものではないか、と私は思っている。

その感覚からすると新聞やテレビによる「政権支持率」などというものも、かなりいかがわしい。先の参議院選挙の前にわが家にも、某大手新聞から電話での調査がかかってきたが、先方の用意した質問形式にはにはマル・バツの二者択一の答えしかないので、こちらの投票への微妙な気持ちが伝わる術もない。そんな空気の様な答えが、政権や政党支持率となって一人歩きするのを見ると、実にいい加減な調査だという気がする。数字を発表する際には、なるべく設問方法やサンプル採取の前提・足きり基準・データの有意性などを含めて報道して欲しいし、データの採りかたを変えれば違う見方ができるという点まで付記してもらえばより良いのではないか。

2010年8月 1日 (日)

百田尚樹 永遠の0(ゼロ)

久しぶりに後味のさわやかな小説を読んだ。百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」講談社文庫である。「2009年最高に面白い本大賞第1位」との帯もあながち誇大広告とはいえないと感じた。物語はゼロ戦を操って先の大戦を生きぬいたものの、終戦直前に特攻で亡くなったパイロットの孫である姉弟が、多くの戦友を訪ね祖父の生きざまを聞き出すという設定になっている。今まで何も知らなかった祖父の事を探るにつれその驚くべき実像が徐々に明らかになるのだが、読者も毀誉褒貶の差が激しい主人公である祖父の、本当の姿を知りたくて物語の展開にぐいぐい引き込まれていく。

超人的な操縦技術を持ちながら「生きて帰る事が大事」と広言し、戦場では不要な戦いを避け、当時の理不尽な軍隊のやり方に時には批判的であった主人公は臆病者であったのか。彼が守ろうとしたものは何なのか、戦友たちの証言にその伏線がちりばめられ、物語の終盤に仕掛けられた展開に読者はあっと驚くのである。作者は戦友の証言という形をとって、兵隊を消耗品としてしか扱わずロジスティックを無視した旧軍隊を痛烈に批判する一方、朝日新聞の記者と想定される姉の恋人を登場させ、散々戦争をあおったあげく戦後は手のひらを返した大新聞や、戦後の薄っぺらい平和主義に強く不快の念を示している。

私が常々感じている事は、現在の視点で旧軍隊や明治憲法下のさまざまな行動を批判するだけにとどまらず、近隣の国に謝罪をすべしと主張する人たちの心の貧しさや想像力の欠如である。帝国主義の時代に日本があの道をとらなければ一体その後の日本はどうなっていたのであろうか。もちろんその過程で不足したり行き過ぎの行為が多々あったであろうから、その事を検証する事は日本人としては大切であろうが、中国や韓国を念頭において謝罪と反省を迫る自虐史観をもったメディアや政治家には驚くばかりである。

「永遠のゼロ」は戦争の不条理を描きつつ、われわれの祖父や親の代が今の人となんら変わらないセンチメントを持っていた、いやそれ以上の”愛”を持っていた事を示そうとしている様だ。我々と同じ心を持ったかつての日本人一人一人の兵士がいかに戦ったのか、下手なドキュメントより命の重さを浮き立たせてくれる素晴らしい小説であった。この作者に注目だ。

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