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2010年6月

2010年6月29日 (火)

伊予鉄道

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「坂の上の雲」を辿る松山旅行の2日目、松山のお城も見終わって帰りのフライトまで時間があるので、正岡子規や夏目漱石が乗下船した三津浜方面に伊予鉄道に乗って行く事にした。前日に松山市内の踏み切りで、京王線の旧5000系がまだ元気に走っているのを見て、旅の思い出にと伊予鉄の乗車を急遽決めたのである。京王5000系と云えば関東の通勤電車で初めて冷房装置を搭載した画期的な車両で、それまで路面電車の面影を残していた京王電鉄が、近代的な郊外電車に変わるきっかけになった名車である。昭和40年代前半の高校時代には、京王線沿線から通学してくる同級生が、「冷房つきの電車に乗ってくるんだぜ」と自慢げに話していたくらい、当時は時代の先端を行く車両であった。

先般、松江に旅行した際にも、一畑電鉄に売却された旧5000系に乗車する機会があったが、地方に行くとかつて東京や大阪で一世を風靡した私鉄の名車に再会できるのは嬉しいものである。車両だけでなく過疎化が進む地方で、中小私鉄がどの様に頑張っているのか、現場の営業や運転形態、保安状況などを垣間見るのも楽しい。という事で、松山市駅で三津方面高浜行き電車を待っていると、やってきたのはモハ710を先頭にした2両編成。この車両は銘板によると昭和38年東急車輛製造製で、さすがに少々くたびれてはいるものの、座席のモケットなどはきれいに整備されて感じが良い。

松山市から6キロ先の三津までは乗車時間約20分。運転台越しに見る線路はATSの地上子も配置された自動閉塞の様である。前方窓からは15分から20分ヘッドのダイヤで対向電車が近づくし、一部高架化されたりPC枕木が敷かれているのが見えて、田舎にしては立派な運転状態に驚く。それもそのはず、どうやら伊予鉄道は、地方私鉄としては歴史的に先進的な試みを採り入れると評判との事で、乗車券もIC化を進めていて各駅にはカード・リーダーが目新しい。そんな沿線風景を堪能するうち、三津で下車するのが惜しくなって終点の高浜まで乗ってしまったのである。       

終点・高浜駅はノスタルジックな駅舎でトイレはなぜか汲み取り式。さすがにトイレの近代化までは手が廻らないのかと、それなりに納得しつつも、最近とんと使わぬ和式汲み取り便所で、携帯などを落としたら取り返しがつかない事になる、と用心しつつ用を足したのであった。

2010年6月28日 (月)

坂の上の雲

経営破綻したJALの株主優待券を費消してしまおうと、妻に「どこか 旅行に行かない? 」と聞いたら「 坂の上の雲 」で話題になっている四国・松山に行ってみたいというので、この週末は松山に一泊旅行をした。妻は最近テレビで話題の「 坂の上の雲 」にたいそう刺激され、司馬遼太郎の原作を文庫本で一気に読破してからというもの、ぜひその小説の舞台となった松山を訪れて、主人公の秋山兄弟や正岡子規の足跡を訪ねたいのだそうである。

という事で梅雨空の下、昔の軽便鉄道を再現した”坊ちゃん列車”にゆられ松山市から道後温泉へ、温泉見学の後は秋山兄弟の生家を訪れ、新設の「坂の上の雲」ミュージアムへと小説ゆかりの地を廻る事となった。旅行など行き当たりばったり、気分次第で目的地が変わってしまう私に比べて、理科系の妻は事前勉強よろしくスケジュール管理ができているので、わたしなどは黙って妻のスケジュールに従う事にする。町のあちこちを訪れてみると、近年この町は「坂の上の雲」をテーマに、整備に気を配っている事を感じる。

「坂の上の雲」に沿って、市内に散らばる正岡子規や秋山兄弟ゆかりの地を訪れるうち、小さな国が迎えた開化期の胎動が身近に迫ってくる様な錯覚におちいり、そこに登場するこれら人物が、時代へ参画する鼓動が聞こえてくる気がしてくるから不思議だ。それは教科書的にもの事を俯瞰する歴史でなく、この古い城下町をたどる事によって、彼らと同じ目線にいる事から生じる感覚である様だ。こうしていると、あの時代の日本をリードした人間たちのドラマと、歴史の進展があざなえる縄のごとく絡みあって、日本近代化の息吹が身近に迫ってくるのだが、それは歴史が町の一部であるとでも云うべきコンパクトな松山ならではの体験であろうか。

松山などはこれまで数えきれないほど来ていると、気軽な気持ちで妻と訪れた私だが、考えてみれば今まではすべて仕事やゴルフがらみの出張で、オフィスやゴルフ場、夜は料理屋さんと飲み屋位しか行っていなかった事に改めて気づいた。これまでに日本のすべての都道府県を訪れた事がある、というのが私の自慢であったが、仕事で行った所は実はあまりにワンパターンの訪問で、郷土の歴史などはほとんど勉強できずに来たのだが、こうしてテーマをもって国内旅行をするのもなかなか良いものだ、と感じたのである。

写真は小説の主人公の一人、秋山好古・陸軍大将像
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2010年6月26日 (土)

自主努力

参院選を前に、読売新聞(6月23日)にJAグループの提言と、農業政策に関する各政党のパネルディスカッションが大きく掲載されている。農業についてはまったく素人の私であるが、この討論を一読してみると、どうも農業関係者の主張は、私などの視座とは大きく違う様だ。

このディスカッションによると、JAも各政党も農業の食料安全保障機能や国土保全価値を基本に、所得の安定確保が実現できる様に、米や各農産物に対し政府補助を充実すべしと論点を展開している。しかし競争力がない産業が、まず行うべきコスト削減については、この討論ではほとんど触れていない事は理解に苦しむ。加えて肥料や農業資材の供給、農産物の流通に独占的にかかわるJA(農協)の見直しについても一切言及がない。どうやら国の補助金をもらう事を正当化するばかりで、肝心の産業競争力を高める事は関係者の眼中にない様に思えるのである。

米作については、給与所得を得ながら週末に高齢者だけで耕作をする兼業零細農家が、わが国の食料基盤を支えられるはずもなく、産業構造を大きく転換する事が要求されているのではないかと考える。食料の安全保障などと言いながら、大幅な減反を実施して高い米価を維持する一方、ミニマムアクセスで海外から米を輸入する農業政策などはどうみても支離滅裂に感じる。ここは民間企業の参入自由化や農地所有を促進し、規制緩和によるコスト削減と規模のメリットを追求する方向に農業政策を変える事が食糧の安全保障のために必要ではないのだろうか。加えて農協が独占的に担っている肥料などの供給や農作物の流通を抜本的に見直した上で、あらためて必要な部分は国による補助金を導入するのが筋だと思うのである。

日本航空の破綻を見るまでもなく、立ち行かなくなった産業はまずコストを下げ、従業員(従事者)を減らし(産業から退出させ)、しかる後に公的補助を要請するのが普通である。農業の特殊性ばかりを強調し、自主努力にまったく言及せず補助金の正当性ばかりを縷々解かれると、一体いつから日本人はそんなに”おもらい根性”になったのかね、と嘆きたくなってくる。その点では、小さな政府を標榜する「みんなの党」が”アジアを市場とする農業への転換””農業の競争力をつけ、農産物を聖域としないFTA推進””農業で儲かる仕組みを作る”と一番まっとうな主張を紙面では展開している様だが、「みんなの党」も外交や安全保障問題では首をかしげる主張が多く、来る参院選挙ではどこに投票しようかと、まだまだ悩みそうである。それにしても農業政策は、私の様な都市住民には魑魅魍魎の世界で、これが政治の行方に少なからぬ影響を及ぼすと思うと、なんとなくうんざりするのである。

2010年6月25日 (金)

実話のジョーズ

日曜日の夜、暇にまかせてディスカバリーチャンネルを何となく見ていたら、「 実話のジョーズ 」という番組にはまってしまい、寝るに寝れず最後まで見てしまった。人食いザメを描いたスピルバーグの映画”ジョーズ”は実に良く出来た作品だと思っていたが、実はこの映画のモチーフとなる事件が実際にあった事を、このディスカバリーチャンネルで初めて知ったのだった。

テレビに刺激されアメリカのウイキペディアなどを検索してみると、1916年7月ニュージャージーでサメによって4人が死亡、1人が重傷という”人食いザメ事件”がおきている事がわかった。それによると、まず事件は7月1日にリゾート海岸で遊泳中の海水浴客一人がサメに襲われ死亡した事から始まる。その5日後に40マイル離れたリゾート地でホテルの従業員が遊泳中にサメに襲われ死亡、7月12日には30マイル北にあるマタワン川の河口から16マイルさかのぼった上流で、水遊び中の少年がサメに水中に引きずりこまれ死んでいる。さらに少年を捜索中の青年も多くの人に前でサメに襲われ亡くなり、そのサメは近くで水遊び中の別の少年にも大怪我を負わせて消えている。

これらの事件がおきるまでは海洋生物学者の間では、サメは温和な動物で温帯水域で人を襲うなどとは考えられないとされていたために、人食いザメ事件は全米中に大々的に報道され、映画で再現された様にリゾート海岸の経済は大打撃を受け、サメ退治に懸賞金が出たりと大変な一夏だったという。事件は7月14日に剥製業者の網にかかった凶暴なホオジロザメの胃の中から人のものと思われる骨が出てきて、このサメが一連の事件をおこした人食いザメとされたそうである。確かにその後は被害が出なくなったので、このホオジロザメが犯人という事で1916年の”人食いザメ事件”は落着したのだが、いまだに本当は1匹の凶暴ザメがひきおこしたのかどうか、マタワン川のサメはホオジロザメでなく、淡水域でも活動できるメジロザメではなかったかなど議論が尽きないのだそうだ。

私も海水浴をしていて岸から少し離れて泳いでいると、ふとえも云われぬ恐怖感にかられる事があるのだが、その恐さの一つがサメに襲われないかというのだから、映画”ジョーズ”も罪作りなものである。しかし実際にサメに襲われて命を落とす人はごくまれで、雷に打たれて死ぬ人よりはるかに少ないそうだから、サメを怖がるよりビーチに来るまでの交通事故でも心配した方が現実的であるらしい。さて人間は海というと開放的になって裸で入って行くが、そこは大自然の掟や海の生物が支配する世界であるという謙虚な気持ちが、水の事故を少なくする為に必要ではないだろうか。

2010年6月23日 (水)

箸とらば

箸とらば天地御代(あめつちみよ)の恩恵(おんめぐみ)み、父母や師匠の恩を忘るな


小学校は東京のごく普通の公立に通ったが、その3年・4年時の男性担任教諭は、給食の時間に、この言葉を唱えてから食べ始める様に指導してくれた。故郷、島根の出雲大社の自慢以外は、特に宗教であるとか神様であるとかは言わない先生だったが、給食の時は毎回「箸とらば・・・・」と教えられたので、今でも食事の際にふっとこの言葉を思い出す。

そういえば最近の若い世代でも、ごはんの際にお箸などをおしいただいて、食事に一礼するものもおり、日本の伝統は生きていて、同じような教育を受けたのだと嬉しくなる。考えてみれば目の前に供される食事はもちろんの事、生きていくうえのあらゆる事がらが、自然界から得たものや多くの人の労働の上に成り立っている事に気づく。私たちは一瞬たりとも、天の恵みや社会から離れては生きてはいけないという厳然とした事実に思いを至す時に、生きているのでなく生かされているのだという事を感じて、一瞬謙虚な気持ちになるのである。

小学校の道徳教育がどんな形で身についているのかは、よくわからないが、明瞭・簡潔な言葉で毎日聞いた話は、脳の細胞や体のすみずみに刷り込まれていて、私たちが生きていく上でなにがしかの力になっている様な気がする。そういう意味で、小学校の道徳の時間はやはり大事な科目である、と改めて感じている。

2010年6月21日 (月)

ルーチョンキ

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朝、ねぼけまなこで新聞を見ていると、なにやら目のスミに”あら!?”とばかり気をひくコピーが目に入る・・・・・・。

目がかすんだまま改めて読み返してみると "ルーチョンキ”である。 え!ルーチョンキといえば、かつて ”キンチョール、キンチョール、キンチョール”と皆が言っている処に、”ルーチョンキ、あら、私って馬鹿ね~!”と桜井センリが叫んだ殺虫剤のCMではないか? もう一度目をこすりながらじっくり紙面を見ると間違いない、”ルーチョンキはプイタコエ。ちもがな!”と逆さまに写った女の娘がにっこり微笑んでいる。あの一世を風靡したなつかしのCMが、臆面もなく再び朝刊の紙面にデカデカと掲載されると、あっけにとられた気持ちがして、”ハラホロヒレ、ハラホロヒレ!”と踊りたくなってくる。何となつかしい広告の再現なのだろうか。

ルーチョンキは昭和40年代の初めのCMだったろうか、あのクレージーキャッツがまだ絶頂期で、いろいろテレビに出ていた時代の頃のものである。そういえば当時やはり大受けだった植木等大先生の ”なんである、アイデアル、わかっとるね ”というのも、これまでのCM史上ベスト・テンに入るものだと私は確信しているのである。 あの高度成長期の候、ハナ肇とクレージー・キャッツの面々が演じた無責任サラリーマン像は、時代を象徴するキャラクターとして、多くの勤め人の願望を具現化したものだった。そのクレージー7人のうちすでに4人が他界し、もうルーチョンキの桜井ら3人しか残っていないと思うと、時代の変遷に愕然とするが、こんな広告が再び紙面を飾ると、「クレージーはすごかったな~」と改めて思い出すのである。

2010年6月18日 (金)

血圧は気から

数年に一度診てもらっている検査のため一泊の入院をした。日ごろピンピンしていても病院の服に着替え、腕に点滴のチューブなどをとりつけられ、スリッパで病院のリノリウムの床をペタペタ歩くと、急に病人になった気がするから不思議なものだ。禅では「 外相整えば内相自ずから熟す」という言葉があるが、その反対にさっきまで元気だった者も、ちょっと環境が変わると「 青菜に塩 」の心持ちになる事を実感する。

さて点滴をしながらベッドに横になっていると、数時間おきに看護婦 ( 女性は看護婦で良いのに、看護士って変な言葉である ) が検温や血圧を測定しに来る。退屈している処に若い女性の話し相手が来たとばかり喜んで、体温計をはさみ腕に血圧計の帯を巻いてもらう。血圧と言えば日ごろ検診の際 「ちょっと高いですね 」と言われているのを気にするあまり、最近はわが家で血圧をはかる時も心臓がドキドキしてしまうくらい臆病な私である。家の中での測定でも、そんな時は脈拍が上がって高血圧の表示がよくでてしまうので、深呼吸してもう一度はかると、血圧もさっきより20以上も低くなる。最初から2回目と思ってやれば良いじゃないか、とも思うのだが、そうはいかないのが人知を超えた人間性の不思議と云うもので、何とも心理的プレッシャーに弱いのである。

さてそんな私も、入院でもしていると正にマナイタの上の鯉、「どうにでもしてくれ」とばかり看護婦との会話を楽しみつつ、ベッドでじっと測定されていると、血圧は「 少し低いですね 」などと思わぬ事を言われる。なにしろ一日で一番血圧が高くなる早朝でも、今回は上が100で下が60位にしかならず、「 いつも心配して減塩を心がけているのはどこのどいつだ~い? 私だよ! 」と自問自答してしまう様な状況だ。これを考察すると、どうも私の場合「 血圧を測るぞ、測るぞ」と考えただけで、数値は20も30も上がるのだが、入院中はジタバタせず、血圧の事より検査の事に気をとられているから低くなっているだろう。なんと暗示にかかりやすいのかと、おもわず自分の情けなさに笑ってしまう。

そんな訳でこの2日間で血圧の点ではすっかり自信を取り戻して帰宅し、試しにいつもの様に家で測ってみると、あら不思議、脈も上がらず初回から上が110で下が60と全然問題ない。「 ほーら見ろ、血圧が高めなんてのは、やっぱり精神的なものだった事が実証された 」と一人ほくそ笑んでいると、妻は傍らで「 本当に複雑なような単純な人ね、測定に自信がついただけで実際に血圧が低くなるなんて 」とゲラゲラ大笑いをするのであった。

2010年6月17日 (木)

新技術

日本の探査機”はやぶさ”が小惑星イトカワから帰還した事は感動もので、このプロジェクトを遂行した科学者や技術者の努力と執念に頭が下がるばかりである。「世界で一番でなければ駄目なんですか?、2番では何で駄目なんですか?」などと事業仕分けで、したり顔のモデルあがりの政治家には到底わかるまいが、世界一になる位の真剣な努力と工夫がなければ、科学や技術の世界でブレークスルーはなしえない。日本が優位に立てる見込みがある科学技術や研究分野では世界一を目指して大いに予算を組んでほしいものである。

技術といえば最近の自動車の電子工学に注目したい。前方に人が歩いているとそれを感知してドライバーに警告を出す装置とか、高速のレーンをはみ出さない様に走る技術、居眠り運転を感知するシステムや追突を避ける為に車が急ブレーキをかける車などが商品化されている。こういう技術はもちろん有料で良いから各社は情報を広く公開し、その情報を共有してなるべく安全な車の普及を願いたいものである。

さて私が自動車の世界で、こんながのあったら良いなと思う事は、高速道路の一車線が100キロで移動するコンベアの様な装置である。たとえば東京のインターチェンジから高速道路に乗って、あるレーンに車線移動してスイッチを押すと、どの車もそのまま100キロほどで目的地近くのインターまで、何の操作をしなくて到達する仕組みである。ちょうど動く歩道に横から入り、そのまま自動的に移動できる装置とでも言ったら良い。運転手は高速に入った直後のインターチェンジと出る直前のインターチェンジで運転操作をすれば良いのだが、高速に乗ったら寝ていても目的地まで到達する様な設備はできないだろうか?乗降する部分がゆっくりで、途中が速いエスカレーターなども開発されているそうで、こんなシステムも夢ではないかもしれない。

2010年6月14日 (月)

港のジョギングロード

海辺の道をジョギングするのは気持ち良い。海岸線に沿って走るコースは起伏がなく、目の前に開ける海原を眺めつつ規則正しく体を動かしていると、いつか日頃のストレスなどは霧消してしまう気がする。

そういえば出張や旅行するたびに感じるのが、世界の港町のウオーターフロントがこの10年間で、すっかり整備された事である。私の馴染みの場所では、シアトル港のエリオットベイに面した海岸線がクルーズターミナルなどになってすっかりきれいになったし、バンクーバーもダウンタウンからスタンリーパークまで鉄道の操車場が、コンドミニアムやホテルになってすっかり変わってしまった。ともにゆっくり潮風をあびながらジョギングや散歩をすると気持ちよい。最近クルーズ船で訪れた場所を思い出すと、上海の外灘やブサンもひと昔前から見ると随分整備された事を感じる。世界的に開発のメダマはダウンタウンに近く、かつて倉庫や荷物置き場だった港頭地区である様だ。

東京港もお台場・有明地区を中心に見違える様になって、まるで未来の人工都市にいる感じがする。最近はそんなお台場を港に沿って時々ジョギングする機会が多い。都心にいながら、別世界にリゾートに来たようで走る足も軽くなるようだ。

(お台場・青海地区の公園)
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第1区 2010-06-16 22:21:15
海辺といえば箱根の3区、8区を思い出し・・・・・何て試走もした事ないけど。

ステップのお兄ちゃんが確か3区走ったはず。「 海外線に出ると急に風に吹かれてブレーキするやつがいるよね 」って言ったら、「 そうなんです、1000が3分2秒台に落ちて 」と言ったのに唖然!上には上が・・・・!


院長 2010-06-15 00:03:35
私も先週末は、伊豆伊東の海岸線をジョギングしておりました。普段は気になる向かい風も、潮風となると気分も爽快…。

ただ、しばらく走っていると「宮崎合宿」の海岸線を思い出してしまい、急に足取りが重くなってしまいました!

近いうちに、お台場のジョギングコースをご案内下さい。

2010年6月12日 (土)

落合監督がブラウン監督にキレた

アメリカのベースボールでは自軍が大量リードを奪って勝敗の大勢が決した試合で、盗塁やバントをするのは相手に対する侮辱、スポーツマンシップに欠ける行為としてブーイングの対象になる。そんなプレーの後は、打者に向かってビーン・ボール(ブラッシュバックまたはノックダウンピッチ)が飛んで来る事が多い。一昨日の楽天・中日戦で、中日・大島が6点リードの8回にバント安打した場面、続く森野が初球をインハイに投げ込まれたそうである。落合監督は「あれで森野にぶつけられたら大乱闘になる」と一触即発をにおわせ、楽天ブラウン監督のアメリカ流を批難したと報道されている。

日本の野球では「勝負は下駄を履くまでわからない」と言われるほど、終盤になってもダメ押しにダメを押す様な攻撃をしばしば見られるが、同じルールで行うゲームでも、どうやら野球とベースボールには根本的な違いがあるようだ。私が理解するベースボールは”遊び”から発達したもので、今回のバント攻撃の様に遊びをつまらなくする行為にはブーイングが出る。球場も日本の様な体育施設として左右両翼対称なものでなく、町の空き地(サンドロット)から発展した四角いフィールドが基本、という事で大リーグのボールパークは変則的な形をしている。ベースボールは投手が投げた球を”打って楽しむ”ものと考えられてきたから、バントはせっかく打てるチャンスを相手に一死を与えるだけ、とあまり好まれない。

対して学校教育の一環として発展した野球は、練習で向上する要素が大きい守備から入るとされるのは、以前にも当ブログで書いたとおりである。さてかつては、毎年数試合は必ずMLBのゲームを観戦していた私は、言うまでもなくアメリカンスタイルのベースボールが好きである。ボールパークに横溢するがやがやと楽しい雰囲気や野次、セブンスイニングストレッチ、ピーナッツ売りの妙技、フィールドに目を移せばカーンというバット音で白球が、外野席(ブリーチャーズ)に向かってぐんぐん弧を描くさまや、当たってナンボとでも云うバッターの大きなスイング。ひとつひとつが遊び(プレイ)の要素を含んでいるアメリカ流のベースボールを見ると、昨日の楽天・中日の騒動は、べースボールの本質と云う点からブラウン監督を応援したくなったのであった。

2010年6月11日 (金)

日枝神社まつり

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昼過ぎ、仕事場の窓の外で金や太鼓の音がうるさい。珍しくちんどん屋でも練り歩いているのかと思って、外を見るとお祭りの行列が通過していく。何台ものお神輿の他、神馬にまたがった神官も通って都心を大変なパレードである。”こりゃ見にいかなきゃ”とお祭り人間の私は仕事をほっぽりだして表通りに飛び出すと、赤坂山王・日枝神社のお祭りの行列だという。赤坂から丸の内・八丁堀を経由して茅場町の日枝神社まで行って、帰りは銀座通り・新橋経由で都心を練り歩き赤坂に戻るのだそうだ。

それにしても赤坂から茅場町までは直線で4キロ。田園地帯ならいざ知らず都心の一番にぎやかな場所に、広大な氏子区域を日枝神社が有している事にびっくりする。今まで日枝神社には何回か行った事があったが、このお宮が東京の中心部の守り神とはまったく知らなかった。さっそく神社のホーム・ページなどを見ると、日枝神社はもともと徳川家康が江戸居城の際に、城内鎮守の神様として建立したものだと記されている。その後お堀の西側、現在の国立劇場付近に移設されたが、明暦の大火で焼失したため、赤坂山王の現在地に移ったとされる。明治以降、もっとも社格の高い官幣大社に指定されているが、東京でこのほかに官幣大社とされているのは明治神宮だけというから、大変由緒正しい大宮であるらしい。

日枝神社のお祭り行列は、神田明神のお祭りと隔年交代で都心を練り歩くそうで、東京に何十年住んでいても今まで知らなかったものを初めて見て驚いた。それとともに、日枝神社の氏子地域の中には、大小多くの神社があるのだが、その地域の鎮守さまの縄張りというか、氏子の基準は一体どうやって決めるのだろうかと気になった。仮に銀座近辺に住んでいたら、日枝神社に行ったら良いのか、ごく近所の神社にお参りに行くべきなのだろうか。農村などでは村の鎮守の神様というのが決まっているのかもしれないが、都会の神社というのは身近にあるものの、何にも実際については知らないのだ、という事を改めて実感した。


スーパーブルー 2010-06-14 20:23:22
チンドン屋も一緒にお祭りに入っていたかも、・・・・・・・・・・な訳ないか!

それにしても日枝神社は、由緒正しい神社ですね。毎朝、神社に向かって礼拝してから就業しましょうね。商売繁盛。


5キロ減 2010-06-14 16:18:01
日枝神社のまさしく隣で働いているのに、そんな練り歩きが出かけていったとはまったく気がつきませんでした。

そして、このオフィスに来てから5年近くがたちますが、そんなお祭りがあったことすら初めて知りました。改めて、何も知らないことに気がつきます、まさしく。

先週、ビルの地下に新しくできたお店がちんどん屋さん呼んで日枝神社の境内まであがっていかんばかりの勢いでしたが、それじゃないもんねえ・・。いやびっくり。

2010年6月10日 (木)

隅田川ルネッサンス

江戸は隅田川の舟運で発展した。古い地図や歴史をみてみると、現在の東京の姿とは違う江戸がみられるのだが、江戸の都は今よりずっと多くの水路に覆われていて、縦横に巡らされた堀や運河によって町が発展していた事がわかる。鉄道が新橋まで開通するまでは、人形町から神田・浅草あたり、隅田川を中心として、今よりずっと地理的には東が江戸の物流や人の流れの中心だった。

新聞報道によると、東京都はその隅田川に設置されている9箇所ある防災用の船着き場を、民間に開放して屋形船や釣り船など舟遊びに開放すると云う。隅田川べりを歩いていると、防災用だけでなく警察などのボートの船着場もあって、かねてからこういう施設を遊覧船やボート遊びに使える様にしたらよいのに、と私は思っていたから、この東京都の発表はうれしい。

一方、日本はこれだけ長い海岸線を持つ海洋国家なのに、プレジャーボートやヨットの数が諸外国に比べ極端に少ないのはいつも奇異に感じる。海岸線や主要河川が国交省や農水省、自治体などの役人の管理下におかれ、個人が船で遊ぶと云う文化や環境が育って来なかったからだろう。隅田川の防災船着場は、個人のモーターボートや小さな業者の貸しボートなどに開放して、水辺のレジャーに大いに活用してほしいと思う。押上には新しくスカイツリーも建つが、これを起爆剤に、隅田川を中心として江戸の舟運文化に倣った新たな水辺のルネッサンスが起きないか、東京っ子の私などは期待してしまうのである。

2010年6月 8日 (火)

第59回全日本大学野球選手権大会

全日本大学野球選手権大会が今日から神宮球場を中心にして開催されている。慶応の大学選手権出場は久しぶりだし、明日の2回戦は幸いにして夕方のゲームなので、仕事の後に神宮球場に応援に行ってみようかと思っている。記録を見ると慶応が前回大学野球選手権に出場したのは1997年で、高橋由信(巨人)が主将の頃だが、この時の思い出が私にはまったくないのは、一度も観戦に行かなかったからだろうか。当時はまだ会社員の第一線現役バリバリだったから、仕事やらゴルフやらで球場に行く時間が取れないまま、あっと気がつけば準決勝で敗退していたのかなあと記憶の糸をたどるのである。

そういえば慶応は91年のこの大会にも小桧山・大久保の桐蔭学園バッテリーで優勝しているし、87年も志村・鈴木哲の2枚看板で優勝しているのだが、その頃も仕事が忙しかった上、ネットなどはない時代だったから、夜遅く帰宅してテレビのスポーツニュースで結果が放送されるのが待ち遠しかった事だけを思い出す。逆にもっとも印象に残っているのは、やはり学生時代の1972年の大会だろう。関西大学は山口高志(市神港)、慶応は萩野友康(土佐)や長谷部(岸和田)らがチームを引っ張り、のち阪急ブレーブスで活躍した山口の剛速球で、関大が1-0で慶応を完封した場面は目にやきついている。

その年の日米大学野球選手権は、優勝・準優勝の関大や慶応の選手が多く日本代表として選出された中、ただ一人早稲田から代表入りした東門 明君(武相)の事故などがあって、ひときわ印象に残る大学野球の初夏であった。こうしてみると神宮球場に長いこと通って大学生の野球を見ていると、自分の人生のそれぞれの場面がフラッシュ・バックしてきて、この古色蒼然とした球場に限りない郷愁を覚えるのである。さて今年はどんな思い出ができるだろうかと期待に胸をふくらませつつ、各校選手の健闘を祈りたい。

2010年6月 6日 (日)

横田基地駅伝大会

きょう在日米軍の総司令部が置かれる横田基地で第26回横田駅伝大会が開かれ、好天の下で広大な基地の中を走る事ができた。横田基地では1月にもフロスト・バイトと呼ばれるハーフ・マラソン大会が開かれるが、これらの大会では基地のMPや従業員が大勢で大会の運営に当たっている。普天間問題でもとりあげられたとおり、在日米軍は近隣住民の理解がなければ基地を維持できないと言っており、横田でも一般公開の他マラソン大会などを開催して地域の融和を図っている事を実感する。

私などは東京都の福生市に在日米軍の総司令部、東京湾口に第7艦隊の横須賀基地がある事で、首都防衛のために米軍の近衛師団がいる様で大変心強く思うし、日本が憲法の制約で正規軍や核兵器をもてない以上、在日米軍にわが国の防衛やアジア有事の際の展開を依頼せねばならない事は自明で、在日米軍基地の重要性を常々考えるのである。 「思いやり予算」などは、何かもったいぶった名前で、米軍に「施す」語感がするが、本来は日本が自前でまかなわなければならない国防予算の一部と云えよう。わが国の事情によってできない事を米軍に肩代わりしてもらっているものを、「思いやり」とは何と不遜な言葉かと思う。

普天間問題では、辺野古の基地に賛成する多くの沖縄の声があるそうだが、そんな声はまったく報道されなかったし、基地が迷惑であるとの一方的視点ばかり強調されすぎていたと感じる。沖縄の歴史的経緯や多大な基地負担をお願いしている事は判るし、将来的には全国平準化が望ましいものの、基地経済やそれに伴う財政依存をやたらに過少評価した声ばかりがメディアで報じられるには首をひねるのである。安全保障や国防問題をやっかいもの扱いし、福祉や老人問題ばかりを採り上げるのが、あたかも善人の証しであるかのごとき政治は誠に卑怯で、「命を守る政治」などとはとても云えないと思いながら、横田基地の駅伝大会に参加したのだった。

<横田基地のハンバーガーとホットドッグ、走った後には堪えられない美味しさ>
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監督 2010-06-09 23:24:35
いやいや院長先生、ケチャップも彩り良かったですよ。あの芝生が気持ち良かったです。また皆で走りましょう。


院長 2010-06-08 23:56:47
ランニングチーム監督兼トップランナー殿

駅伝大会はお疲れ様でした!天候にも恵まれ、楽しかったですね。メンバーも増えて、これからますます監督の仕事が増えていきそうな感じですが、今後ともよろしくお願い致します。

さて、添付された写真のホットドックですが、ケチャップとマスタードのかけ方があまりにも見映えが悪く、振りかけた本人としましては反省いたしております・・・。

でも、青空のもと、青々とした芝生の上で食べたハンバーガーとホットドックは美味しかったですね!また走りましょう!

2010年6月 5日 (土)

さよならルーピー

最近はあまりの馬鹿さかげんに、ブログにするのもあほらしいと考えを述べるのを控えてきたが、やっと"ルーピー鳩山とそのお子ちゃま内閣ズ”も終わって、ほっとしているのは私だけではなかろう。民主党の菅内閣が後継として続くが、この政党は実際のところサヨクの旧社会党や、日教組の力が強い事が歴然と判って私などは参議院選挙では到底支持などできない。その参院選ではサヨク日教組の象徴、コシイシ氏などは是非落選して欲しいものだ。

さてこの8ヶ月の混乱ぶりを思いつくままに書き連ねてみると、云われている政治とカネの問題や普天間は当然として、いかに酷い政策ばかりしてきた事がわかる。
1 ばらまき子供手当てや高校無償化、農家補助などの財源なき人気取り
2 国債大増発で財政危機の深刻化
3 安全かつ国際貢献できていたインド洋の海自の給油活動中止
4 天下り廃止といいながら日本郵政社長へ元官僚を起用
5 産業界の意見も聞かず25%のCO2削減目標発表
6 高速道路無料かと思えば実質値上げで道路建設費用の復活
7 ハツ場ダムの一方的中止
8 だまし討ち的JAL倒産への政策誘導
9 郵政の改悪・逆行化法案の推進
10何より国家戦略・経済戦略・安全保障などの国家の基本ポリシーの欠如

などなどちょっと思い出しても戦後の憲政史上、最悪の部類の内閣であったと私などは思うのである。最後は「 政治資金規正法の元秘書をかかえていたなどとは、想像していなかった 」と自分は被害者気取り、「国民の皆さんが徐々に聞く耳ををもたなくなった」とか「宇宙人と言われるのは5年10年20年後の姿を申し上げているから」などと正しいのは常に自分で、それを理解しない国民が愚かと退陣表明演説をだしている。この”上から目線”の演説には、この8ヶ月の衆愚政治の本音として、愚かな民には愛とか友とかのきれいな言葉で糊塗した餌をまいておけば良い、民は所詮何もわからないのだと言うおごりが滲みでている様だ。

ああ”巧言令色 少なし仁”

2010年6月 2日 (水)

新幹線の保線

先週金曜は広島県の福山に出張した。”のぞみ”の停車する福山駅近くで用事があった為、今回は往復とも新幹線を利用する。”のぞみ”に初めて乗った10数年前には、車窓の景色が速すぎて目が疲れる様な気がしたが、最近は早く到達する”のぞみ”にためらわずに乗ってしまうのは、慣れというものの恐ろしさであろう。福山に停車する”のぞみ”は、そのほとんどが博多始発の最新型N700系なのは良い。

広島と言うといつも飛行機で行くか新幹線にするか迷うのだが、この季節の新幹線の車窓からは、水をたたえた田んぼに映る青い空や白い雲がとてもきれいで、窓に陽が当たってもブラインドをおろさず移り行く景色に見とれてしまう。沿線の新緑や農家の屋敷森は目にも鮮やかだし、遠くの山の端は霞がかかり、日本の原風景をあらわしている様に感じるが、この景色を見ると飛行機でなく列車にして良かったと思う。

ところで今回、往復とも対向線路が見える窓際に座って発見した事だが、レールが列車の車輪によって銀色に磨かれている部分は、在来線だと平行する二本のレールの内側部分が多いのに、新幹線ではほとんどがレールの外縁部(外側)が光っている。新幹線レールの保線や台車車輪の踏面(線路と車輪の接点)形状・研磨にも、高速で安全・快適に走るために在来線と違う様々な知恵や工夫がこめられているのだろうが、列車の旅はこういう発見をする事もあってちょっと嬉しい。

<レールの外縁部が光る新幹線レール>
20100529_103700

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