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2010年5月

2010年5月31日 (月)

慶應優勝

優勝をかけた慶早3回戦は、慶應が6対4で早稲田を下し、11シーズンぶり32回目の優勝をとげた。リーグ戦前の下馬評では早・明・法が戦力的に有力だったが、慶應もかなりやれるのではないかと、50年近くリーグ戦を観戦してきた私は期待も込めてひそかに予想していた。世間では打の慶應と云われているが、まず今季は投手陣の踏ん張りが優勝へ貢献したのではないかと思われる。昨年のエース・中林が抜けて若い投手陣のなかで、2年生・竹内(中京大中京)が緒戦の東大戦でノーヒット・ノーランで勝ち、それに勢いを得て他の投手陣がリーグ戦を通じて育っていった様である。13試合で34失点(1試合平均失点2.61)のピッチャー陣が大崩せず、試合の形を作ったのが、優勝への大きな力であったとたたえたい。明治・安田生命監督だった竹内氏を投手コーチに迎えた成果が現れた様だ。

看板の打の方は、江藤新監督の指導・采配のたまものと考える。後藤監督以後、3代続いた監督は、バントを多用するスモールベースボール・スタイルを貫いたが、今季は各選手とも自信をもって振りぬくバッティングが目立った。その結果、長打で勝てる様になったのが、今シーズン躍進の鍵であろう。最近の野球を見ていると、ランナーがいない場面でも一球ごとにベンチのサインを伺う打者が多く、観客席から「サインなどみるな、サインはホームランだけだ」などと野次が飛ぶ事もあるほどで、大学野球こそアメリカンスタイルの打ち勝つ野球を見たい私は、新監督の打撃指導に期待したい。

さてこれで、慶應は大学野球選手権に駒を進める事になる。最近は地方のリーグとの差がなくなり、大学日本一の栄冠はどこに輝くのか予断はゆるされない。慶應が最後に大学選手権に優勝したのは1987年で、当時のエース志村(桐蔭学園)や鈴木哲(福島)の活躍が今でも目に浮かぶ。職場などで後輩との会話に「君はあの志村世代かい?」などと、とかく野球の話題が出るのだが、今の学生(塾生)たちは将来 「 あのハンカチを打ち砕いて優勝した世代かい 」と職場で問われるに違いない。

今日は禁酒の予定であったが、久しぶりの母校の優勝に、うまいビールを楽しんだ夕べであった。

<東大戦のベンチ入り選手>
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2010年5月27日 (木)

北京週報

北京週報という中国メディアの日本語ネット版にこんな記事があると友人が教えてくれた。少し長いが引用してみる。

『清朝末期、日本と中国はほぼ同じ時期に西洋化と維新が始まった。しかし中国は何千年という古い文化に包まれていたため、それを投げ出すのは難しく、それに加えて清の支配者は、維新運動は漢人が政権を奪う運動だと考えて強行に妨害した。そして中国の維新は日本に遅れをとり、その後、中国は西洋文化を受け入れるために日本に留学生を派遣することになった。 日本民族の特徴の一つは、模倣に長け、革新する勇気がある点だろう。西洋文化に現実的な利害を見ることは中国文化より勝っている。そのため少しも西洋化をためらわず、そのスピードも速かった。そしてわずか数十年間で西洋に追いつき、20世紀の日本強国の奇跡を成し遂げる。

中国は日本に近く、言語の面でも意思疎通がしやすいため、中国の目覚めた青年たちが次々と日本に留学し、清朝末から民国初めにかけて日本留学ブームが巻き起こった。これは中国にとって革命と維新(近代化)に大きな助けとなるが、日本への留学はもう一つの役割を担った。それは日本人が漢字に翻訳した大量の西洋の単語だ。これらの単語は中国に入り現代の中国の主要な部分となり、それは今に至っても変わらない。

中国文学と中日関係史の研究者である実藤恵秀の『中国人日本留学史』には、日本人が翻訳し中国が使った新語が詳細に語られ列挙されている。人道、人格、人権、文明、支持、人生観、生物学、病理学、経済学、化学、科学、財政学、景気、公債、公証人、社会、社団、目的、主筆、出版、企业、自由、自治、作品、定義、取締、保険、合作社、特殊、特徴、派出所、馬鈴薯、消火器、原子、唯心論、唯物論、処女作、参考書、舶来品、元素、財団、銀行、現実、仮説、執行、情報、温室、暖房、場所、単位、単元、温度、寒暑表、博士など非常に多く、現代中国語にはなくてはならないものだ。

青年という単語も疑わしい。中国の古い文献に青年という言葉はあまり見られず、少年という言葉は、少年游、少年夫妻、少年得志(若くして志を遂げる)、少年不識愁滋味(若い人は憂いを知らない)、英雄出少年(栴檀は双葉より芳し)、美少年、少年郎などが見られることから、青年という言葉は清末か民国初めに日本から入ってきたのかもしれない。また台湾地区の人がよく使う園遊会という言葉もおそらく日本からだろう。園遊を遊園と言わないのは日本語の文法で、中国では昆劇の「遊園驚夢」のように遊園としか使われていない。この数千年の間に中国の言語は常に変革を遂げてきた。しかしこの変革は一番大きかったに違いない。』

さて中国人や韓国人の日本嫌いは、もともと自分が教師であったと言う誇りによると云われるが、この例の様に中国自身も歴史の中では日本から学んだ事も多いのである。ただ、それまでの成功体験が長いと自らを変革するエネルギーが国内で湧き上がらないのは、ここに引用した通りであるが、ひるがえって19世紀半ばに中国で起こった事は、今の日本にも当てはまるのではないかと考える。わが日本は、第二次大戦後の成功の上にあぐらをかき、既得権に安住し格差拡大などと騒ぎ、社会主義的政策を推し進めて改革を怠っているが、こうした事が続けば次は日本が中国の二の舞を演ずるのは難くない。

2010年5月26日 (水)

運輸安全委員会

国交省・運輸安全委員会のホームページに発表される鉄道・船舶・航空の事故調査報告を時々読んでいる。人間の作った交通システムにはどういう欠陥があり、いかなる経緯をたどって事故に至るのか、巨大システムに内包する諸問題を考えるヒントになるので、この事故報告書は興味深い。

2009年2月27日早朝起きた近鉄大阪線・青山駅構内での下り電車の脱線事故などは、インフラの欠陥+うっかり事故の典型の様だ。この事故は東青山駅構内にある作業用車両を留置する側線に、早朝の一番電車が60キロほどのスピードで突っ込み、鉄製電柱をなぎ倒して2両編成の電車が脱線したものである。事故の原因は、夜間に電気工事を行った作業用車両を、本線から側線に引き込む際に使われる横取材と呼ばれる一種のカバーを、作業後も本線に設置したまま一番列車を運転させてしまった事によると云う。そのカバーに一番列車が乗り上げて、開通していないポイントの方向に電車が突っ込んで乗客2名が負傷している。

横取材とは線路のポイント部分に上からかぶせて、ポイントを変えずとも側線から本線に簡単に作業車両を出し入れするアダプターの様なもので、作業車両を側線に戻した後は、複数の作業員によって何箇所かのアダプターを撤去する必要があるそうだ。当夜は通常のルーティーンに加え、作業車両を入れ替えるという他の業務が加わった為、一箇所残ったこの横取材を一番近くに居た作業員が撤去せずに次作業に移ったものの、他の作業員は彼が撤去したと思い込んだのが事故の主因と報告書にある。さらに一番電車の前に安全を確認すべき駅の助役が、この横取材が撤去されている事を目視する必要があるものを、他の箇所の横取材が安全に撤去されていたので、すべて大丈夫だろうと思い込み、残ったものを見逃して列車を運行させたミスが重なった。

この事故の根本原因としては、横取材などの通常は線路にないものが設置された時は、信号がいかなる時も停止を示す様にフェールセーフのインフラを構築するべきであったが、現実はそうなっていない事であろう。幾つかのこのアダプターを結線して、線路に流れる電流が絶縁されるなど赤信号を表示させる事は技術的に難しいのだろうか、或いは実際の運用面で、その様なシステムの設置は簡単ではないだろうか。いずれにしても、こうしたハード面での問題が背景にあり、他作業が加わった際の作業手順が不備であった事が重なり、そして思い込みによる確認の不徹底がさらに生じて事故を招いた訳である。巨大システム事故は、それぞれ別個で生じる単独のミスが、たまたま一直線に連なり、破滅の方向にモメンタムが働く時に起こると云われる。これら事故例を勉強すると、日常のオフィスでの作業やプロジェクト構築などの際にも、ミスの連鎖から起きる重大な事故や過誤を防ぐには何が大切なのか、考えるヒントになると思うのである。

2010年5月25日 (火)

掲示板

YAHOOや2ちゃんねるなどネットにはあちこちに掲示板がある。私も興味があって、野球の応援やクルーズ情報の掲示板をのぞいてみたり、時々意見をかきこんだりもする。掲示板での生情報は役立つ事も多いのだが、一方その情報を適切に判断したり、上手に取り扱うのも結構難しいものでもある。

以前米国に住んでいた時に、日本から派遣された駐在員や現法日本人社員の親睦会があった。正式な登録人数は300人くらいだが、だいたい行事などに参加するのは100人位だったろうか。慣れぬ異国の地で暮らす日本人同士、企業の壁を超えて日常生活の情報交換をするので、その情報はありがたく貴重だった。グルメ情報やバーゲンなどの情報の他、治安の件や習俗・エチケットの事、交通情報など多岐に渡って情報をもらったものである。しかし、そこで得た知識を後になって現地に永年住むアメリカ人などに聞くと、同じ事をまったく違う側面から捉えている事が判って驚いた事があった。

例えば、ある場所で犯罪が続けて起きたと云うニュースがあると、日本人の間では治安が悪いから近寄るなという事になるが、ローカルの人によると、たまたまその場所で犯罪が起きただけで、元来その場所は安全であると言われた事があった。その他、酒気帯び運転の許容範囲(なにしろ体重60キロ程度の人は一時間にワイン1杯程度が許容範囲と運転免許教本には記載されている)とか、交通違反などの情報などは、話に尾ひれや伝言中の異聞が混ざって実にいろいろな情報が飛び交ったものだが、後日ローカルのアメリカ人に聞いてみると実態は随分違うという事も多々あった。

これら経験から感じたのは、分母が100人程度の社会でもたらされる情報、それも聞きかじりの知識の上に成り立ったものは、しばしばバイアスのかかった、あるいは時として間違ったものを伝えてしまう可能性があるという事である。誰かが言い出した事が検証される間もなく伝聞されるうちに、いつかそれが事実であるかの様になってしまう事もある。正確な情報を伝達する為には、なるべく多くの事例や意見が必要である事、分母が多い(情報提供者が多い)事が必要であるとその時に感じた。掲示板なども、いろいろな考え方の持ち主が、多くの視点からの書き込んだ方が、より実効的で正確な情報が伝達できるのだろうと考える。

2010年5月24日 (月)

東京都心で一番贅沢な空間

4月7日にアップした通り、千駄ヶ谷の国立競技場トレーニングセンターの良さを遅まきながら知ってから、時々ここへ行く様になったが、先日は受付で「 時々通うつもりなら会員証を作りましょうか 」と言われて、思わず「 はい 」と答えてしまう。スーパーやレストランなどで、会員証の作成をいくらすすめられても、カードが増えるだけと断ってしまう私であるが、今回は珍しく会員証を作成する素直さに我ながら驚く。

なにしろここは通うのに便利で、設備が素晴らしい。JRや地下鉄大江戸線の駅に近く、一回1200円の使用料を払えば、アベベやヘイズが駆け抜けたあのトラックだけでなく、雨天でも使えるスタンド下の650米の回廊も走れる。ウエイトトレーニングの機器も充実しており、ロッカーやサウナ付き浴室、駐車場まで完備している。自営業のメリットを活かして平日の昼間に行ってみたりすれば、すりばち型の大スタンドの底にある全天候型のトラックの中は、数えるほどの人しか使用していない時もあり、東京の真ん中でこの場所を独占的に使えるとは何と贅沢な事かと感動する。

ロッカーやサウナでは、リタイヤしたと見られる様な年恰好の常連がトレーニングをした後、リラックスして歓談している。運動好きなお年寄りなら、週に数回定期的に訪れて、汗を流しながら楽しく時間を過ごせるだろうな、と羨ましくなる。私も10年後は多分仕事はしていないだろうから、昼間から国立競技場で走っていたいものだが、その姿を頭に描きながら新しいカードを手にかざしてみるのだった。
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2010年5月23日 (日)

第89回関東学生陸上競技選手権大会

気にしていた関東学生陸上競技選手権(関東インカレ)が、4日間に亘る日程を終えて今日終了した。決勝1位8点、2位7点、3位6点、以下8位1点まで得点争いをして、関東の学生陸上の雌雄を決するのだが、関西など他にも強い選手がいるものの、総じてこの関東インカレは日本の学生陸上のトップクラスを競う事実上の学生選手権ともいえる。毎年後輩たちが2部落ちするのではないかとひやひやしている私なのだが、特に今年は中距離の日本記録保持者である前主将の卒業もあって、内心はらはらしながら注目していた。

という事で、会場の国立競技場に駆けつけたかったのだが、なにせインカレは100年一日の如く、4日間に亘って朝から夕方まで予選決勝を行っている。春のこの時期はいろいろ忙しくて、なかなか時間がさけないのだが、応援するもののために競技日程編成はもう少し何とかならないものかと例年思う。このあたりに学生陸上の人気が盛り上がらない原因の一端もあろうかと考えながら、今年もまたネットの速報のみに頼る事になってしまった

幸い後輩たちについて言えば、それぞれが力を発揮したようで1部16校のうち11位。総じて皆良く力を発揮して、今年も1部でもまずまずの成績を残してくれたものと感謝したい。先日のOB会では、ちょっと酔っ払って「OBは大抵、金ならもっとだしても良いと思っているはず」などと大言壮語してしまい、ない袖を気にしつつ酔うとつい調子よくなる自分を反省した。

第89回関東学生陸上競技選手権大会の成績:男子1部総合成績 1.東海大108点 2.筑波大99.2点 3.早 大88点 4.順 大83.2点 5.日 大79.2点 6.中 大64点 7.国士大 48.2点 8.東洋大 41点 9.明 大39点 10.法 大 35.2点 11.慶 大 32点 12.山梨学大 31点 13.国武大24点 14.城西大 22点 15.平成国大 22点 16.上武大  11点(15位16位は2部降格、2部1位日体大・ 2位大東大と入れ替え)

2010年5月21日 (金)

夏の日に思う事

今日は東京も快晴でゴージャスデイという言葉を思い出す。夏の様な太陽の陽にあたっていると、こんな環境で暮らしている我々も、気温が上にも下にも摂氏20度も違えば、生きてはいけない事に思いがいたる。あれだけ栄えた恐竜が絶滅したのは、ユカタン半島に落ちた隕石により地球環境が変化した為だと云うが、現在の人類が生きていける気候は、とても幽玄な自然のバランスの上に成り立っている事に気づく。

抜けるよう青空をながめていると、こんな絶妙な環境をもった星が、この宇宙には他にもあるのだろうか、と想像がたくましくなる。天文学者のホーキンスによると、広い宇宙には我々の様な知的生物が生存する可能性ある星が、どこかにもあるそうだが、仮にそうだとしても人類と時間を共有する様な生物がいるのだろうか。宇宙の歴史を一年に例えると、人類の出現などは、大晦日の”行く年来る年”の放送のごく最後の一瞬の事だというが、宇宙的な時間の拡がりの中でこの点の様な時間を共に生き、かつコンタクト可能な範囲に知的物体がいるのだろうか?

近代物理学では光速より速くは移動できないとされているが、アインシュタイン的物理学を超え、時間や空間を超越する他の物理法則が支配する科学や自然があれば、時間・空間の隘路を突破して、地球に他の天体から宇宙人がやってくる事もありえるのかもしれない。ただ、もしそんな超物理的世界からの飛来者ならば、人間に直ちに好奇の目で見られようなUFOなどという物体で来るはずもなく、我々の認知しえない洗練された方法で人類に接触したり影響を及ぼすのではないだろうか。いやそれはすでに、自然の恵みや災害という形で我々の知らない間に、すぐそこに入りこんでいるのかもしれないし、宗教や文化という形をとって人々に影響を及ぼしているのかもしれない。

今日の青空を見ていると、そんな科学的空想が湧いてきて、中学生時代に良く読んだブルーバックスの科学の本を、また読みたくなってきたのだが、その前に夏空と云えば生ビールという事で、ビアガーデンの探求を始めて宇宙の探求どこではなくなった私であった。

2010年5月19日 (水)

就活の季節

テレビを見ていると就職活動の学生が、スマートフォンを購入し「就活には情報が必要だから」と言っている。新聞の夕刊には就職試験を受けて落ちた会社から、「残念な結果だったが、今後もわが社の製品を宜しく」と荷物が届いたと言う記事がある。最近は親の為に就職情報の説明会などが開かれるというから、世の中変わったものである。そんな点からすると昭和40年代の高度成長期に就職した我々は、誠にのん気なものだった。丸の内仲通りを端から歩いて名前を聞いた事がある会社に入ってみよう、などという就職活動のノリで、人事の担当者と面接すると「この会社は上場してます?」などと、ぬけぬけと質問したのであって、会社の情報などはほとんど調べた事がなかった。

しかしこんなふざけた学生でも、就活でぞんざいな扱いをされると、後が恐ろしい事になる事もある。就職試験に落ちた学生に自社製品を届けるなんてのも、そんな学生を顧客として引き留めておきたいのだろうから企業も大変だ。私の場合は、船会社に就職してしばらくして大型船の輸送契約を担当する課に配属になったのだが、運賃受け取り口座を、就職試験でひどく不愉快な思いをしたある都市銀行から、裁量で許される範囲で他の銀行に変更した事が何度もあった。なにしろ大型船の用船契約は一航海で一億円ほどの運賃を年に8航海ほど受け取るので、銀行にとっても運賃の収受口座をもつ事は大切なはずである。「 あんな銀行は2度と使ってやるか 」とできるかぎり他の銀行を使う様に、用船契約を変更した時は溜飲が下がったものであるが、30年以上たった今から思うと、誠に幼稚な抵抗をしたものであった。金融機関に勤めている妻は、「そんな不遜なサラリーマンだったから出世しなかったのも当然ね。」と言うが、正にその通りと反省もする。

当時は企業の活動も大雑把なもので、コンプライアンスなんて言葉もまったくない時代である。随分むちゃくちゃもしたが、それが許されてきたのは、ひとえに大らかな上司と自由豁達な時代背景だと思っている。「就職には情報が大事です」などとメディアにのせられスマートフォンを購入する今の学生が可哀想だし、本当は就職活動は情報などでなく、学生の実績とセンスなのだと、面接をおこなった側からは言いたいところだ。例えて云えば「体育会系です」などと言うノリではなく「体育会に入っています」という実績と、学校や家庭での教育や、多くの本を読んだ中から身についたその人固有のセンスが面接試験では大事なのだと思っている。

2010年5月18日 (火)

早慶決戦

東京六大学野球春季リーグ戦は、先週末第5節の山場で勝ち点2同士の対戦になり、早稲田が法政に、慶応が明治にそれぞれ連勝で競り勝って勝ち点3を得た。これで早慶以外は、この後の試合で勝っても勝ち点3しかあげられないから、優勝は早慶の2校に絞られたわけで、5月29日・30日の早慶戦(慶応からすると慶早戦)で4つ目の勝ち点をあげた方が優勝となる。早稲田大学はこの4年間8回のリーグ戦で4回も優勝しているが、慶応は優勝となると2004年秋以来11シーズンぶりで、新入生などで賑わう春の早慶戦もおおいに盛り上がる事だろう。

リーグ戦前のマスコミ評では、法政・明治・早稲田の3校が優勝候補であったが、私は慶応も中林卒業後の投手陣にだれか軸ができれば、そこそこやるであろうと思っていたのは、ブログで書いていた通りである。プロ野球で選手・コーチをしていた江藤新監督の指導によるのか、打撃の方は社会人や東都大学各校などとのオープン戦からかなり力をつけてきたと感じていたので、この春のリーグ戦は心のなかでは楽しみであった。

その中から投手では竹内(中京大中京)と福谷(愛知・横須賀)の2年生コンビが完全に一本立ちして、これまで期待通りの頑張りをみせてくれている。左と右、頭脳的な投球と剛球の2本柱が活躍するのは、80年代後半の志村・鈴木哲時代を彷彿させてくれ頼もしい。打撃陣は長打が打てる選手が多く、中でも伊藤(中京大中京)や松尾(鳥栖)は高校時代より注目された潜在能力をこれまでのところよく発揮している。サプライズは8番キャッチャーの長崎(高志)で、これまでの処ホームランを含みリーグ4位の打撃成績にびっくり。捕手が良い時の慶応は見ていて面白いのだが、こんなバッターが8番にいるのは相手にとって脅威だろう。

対する早稲田はハンカチ齋藤(早実)が復調、福井(済美)や大石(福岡大大濠)も調子を上げてきている様だ。早稲田の投手陣を慶応の打者がとらえる事ができるかが優勝の行方をきめる事になると、誠に月並みな予想ではあるが、そうとしかいえないだろう。満員の神宮球場で大声援の中、早慶の野球部にすすんで良かったと思える様、選手諸君は溌剌とプレーして欲しいものである、などと連盟理事長の様な声援を陰ながらするのである。よし提灯行列になったら、神宮外苑から三田までついていってやるか、などとお祭り好きの私はわくわくする。

2010年5月16日 (日)

鮒ずし

宮本輝の長編小説で「 にぎやかな大地 」と云う作品がある。味噌・醤油・漬物などわが国伝統の発酵食品をテーマにしつつ、発酵という微生物の大いなる働きと人間の営みを重ねた展開で、人間が生きる意味を紡ぐ後味の良い小説である。その中では近江の鮒ずしが、発酵食品の代表として描かれているのだが 「 にぎやかな大地 」を読んで以来、私はいつかこの鮒ずしを食べてみたいと思っていた。そんな思いで、ある日滋賀県出身の義弟に鮒ずしを所望したところ、せんじつ帰郷した際に買ってきてくれたのが写真のものである。

鮒寿司(ふなずし)は、琵琶湖特産のニゴロブナを使って作られる熟れ寿司(なれずし)の一種で、乳酸菌が発酵の際に作用するとの事。臭気が強く腐ったチーズの様だと言う人もいるので、おそるおそるパックされた鮒すしのビニール包装をといてみると、現れたお寿司は食べ易くスライスされた鮒の切り身で、からすみの色を薄くした様にも見える。傍らで妻は「 クサー! 」と顔をしかめているが、幸いな事に私の嗅覚は妻の3分の1くらいらしく、東南アジアのドリアンなども苦も無く食べてしまうのである。伊豆名物”くさや”やノルウエイの乾燥発酵食品”ルート・フィスク”でも何でも来いなので、この鮒ずしくらいの臭いはまったく問題にならない。ニブイというのもたまには良い事もあるものだと、日頃妻に鈍感さを指摘されている私としてはしばし勝ち誇った気分でもある。

一口ほうばってみるとそこはかとなく臭気が漂い、いかにも健康に良さそうな食べ物だ。海がない近江では、昔から琵琶湖でとれた魚を長期間保存し、発酵作用によって旨みを引き出す手段として、鮒ずしを作り出したと云われているが、それら先人の知恵に感謝し、酒の肴にこれまた絶好と、半分ほど食べて明日に楽しみを残した夕べであった。
20100516

2010年5月15日 (土)

春の小川はどこにある

妻が会社帰りに”東京ぶらり暗渠探検”というMOOK本を買ってきた。都内を歩いていると、ここはかつて川が流れていたに違いないという場所が沢山あって、江戸時代や明治時代の地図を確かめたくなる事がよくある。例えば市ヶ谷の防衛省前あたりの靖国通りは、川底を通りにしたものに違いないと思われるし、文京区の千石通りは旧小石川に沿って通じたと考えられる。武蔵野台地が江戸前の海に注ぐ場所に発展した東京の町は、隅田川と多摩川の大河川に囲まれた地域に、かつて多数の中小河川が流れており、いまやそのかなりの部分が、コンクリートで蓋をされ暗渠化しているのである。

先にアップした事があるが、私は東京の地下に何が建設されているのか大変興味があって、例えば市ヶ谷と飯田橋の外堀の地下にあると云われるメトロの車庫も見てみたいし、霞ヶ関あたりの地下鉄の壁の向こう側に、どういう建築物があるのか調べられないものかと思っている。そういう興味の一環で、かつて東京を縦横に流れていた水系は、今どこへどう通じているのか、暗渠探検という本の題名に惹かる。

さっそくこのMOOK本を一覧してみると、やはりそうかと云う幾多の消えた河川と共に、あらたに目を見開かされる場所も多い。樋口一葉など多くの文人が住んだ本郷の菊坂は、東大から流れ出た小川のヘリに通じた坂であるとか、渋谷西武のA館とB館の間の井の頭通りも渋谷川支流の宇田川跡だったという記事にあらためて驚く。こうしてみると、日頃なにげなく通っていた場所のあちこちにかつては川がながれ、その多くが暗渠になっている事を認識するのである。

唱歌”春の小川”は、作詞家・高野辰之が渋谷区内で作ったと云われているが、これはどうやら代々木公園の西側をかつて流れていた河骨川( コウホネ川 )を舞台に書かれたらしい。コウホネが土手に咲いていたので川の名がついたとか、残念な事にコウホネ川は東京オリンピックの前に暗渠になってしまった。現在の東京は下水道も完備し、汚水は別系統で処理できるのではないだろうか。もう一度、暗渠になっていた中小河川を地上に導き、せせらぎの土手でそぞろ歩きできる様な、都市計画がたてられないものだろうか。”東京ぶらり暗渠探検”を眺めながら思った事である。
20100515

2010年5月14日 (金)

天王山

東京六大学野球は第5週を終了した時点で、東大以外の5校が勝ち点2で横並びとなり、大混戦になっている。開幕から2カードを連敗で落として、そうそうに優勝の目がなくなった立教が前田 (常葉菊川) 岡崎 (PL学園)らの活躍で、候補・明治を連勝で破り慶応も下してしまった。近年、積極的に補強をしてきた立教がやっとリーグ中盤になって勢いを盛り返して、戦国東都ならぬ戦国六大学になったのは喜ばしい。

さて今週末は慶-明、早-法の優勝の行方を決める対戦、次週の法ー明、最終週の早-慶と目が離せないビッグ・カードが続く。明治の野村(広陵)早稲田のハンカチ齋藤(早実)などが今一歩調子がでないだけに、まったくどこか勝つか予想のつかない展開である。

そういえば母校慶応は、2000年秋に優勝した際も、対東大○○・法政●○○・立教○●●と今季とまったく同じ展開であった。あの頃はたしか投手が、現在オリックスで活躍している山本省吾(星陵)と阪神に入った中村(郡山)の2枚看板だったが、立教戦に負けた後に明治を大接戦の末に下し、慶早戦で優勝したのだった。時々プロ野球ニュースでちょっと太った山本の活躍を見ると、10年などはあっという間で、年月の立つのは早いものだと感じる。

2010年5月13日 (木)

プロダクツ・オブ・チャイナ

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クルーズ船”レジェンド・オブ・ザ・シーズ”に乗って上海のクルーズターミナルに到着すると、ショアエクスカーションで、乗客を観光に連れて行くバスが岸壁に集合している。20年前に初めて中国に来た時には、毛沢東や文革を連想させる時代もののトレーラーバスが町中に溢れていたが、今回はエアロ・ダイナミクスを追求したような格好良いバスが並んでいて 「 ああ中国も変わったなあ 」 と感心したのだった。

上海の半日観光を申し込んであったので、そのバスの一台に乗り込んだところ、エアコンが効いて新しくきれいな車内である。ところがバスが岸壁を離れて、上海の町に入って行くと、いきなり、がたがたと中国の悪路から来る震動が座席に伝わってくるので、「 あれ、乗り心地が悪いな 」と違和感を覚える。ちょうど一昔前の日本の路線バスに乗った時の様に、路面の震動が座席に直接伝わってくるのだが、最新の形をしたバスが、日本の昔のバス並のサスペンションなのかと驚く。観光のために降車地で止まった際、さっそくボディの下を覗き込んでみると、やはり前輪・後輪とも旧来のリジッド・リーフバネのシャシーである事が解ったのだった。

日本では20年ほど前から観光バスは空気バネを採用し、鋼板を逆山形に重ねた様なリーフバネは、今はトラックにしか使われていない。しかし中国では外皮は最新の観光バスに、まだトラック並のサスペンションを装備している事に、なるほどと妙に納得を覚える。外観こそとてもモダンな装いだが、目に見えない所は、トラック並のシャシーに載ったバスだという事に、中国製プロダクツの現状を見た気がした。

上海周辺には、両岸ぎっしりと造船所が立ち並び、大型の新造船が建造されている。今でも中古船市場では、日本の造船所で作られた船舶には、プレミアムがつくのだが、これら中国で出来た船舶が何年か後に中古マーケットに出てきた時はどうだろうか。その時も、やはり日本製とは何億円かの違いがあるのだろう、という事をこのバスに乗って感じたのであった。


バルクキャリアー 2010-05-13 23:37:59
ぽんぽこりんさん

車など輸送機器は微妙なテイスト・質感が乗り心地に結びつくのだと思います。そこに至るまでには、材質の吟味・下請けとの打ち合わせ・永年の蓄積などがインテグレートされているはずです。かつての日本車も幼稚なものだっでしょうが、中国の車は外観は素晴しいが我々が買う対象にはまだ当分ならないでしょうね。

ところで中国は民間機や軍用機の開発に熱心なようですが。この面では国の総合力をどう活かしてくるのでしょう。単純な技術面の話だけなら日本も民間機の製造はできるのでしょうか?航空機開発には技術だけでなく、マーケティング力・営業力・資金力・軍用との共用など問題は多々あるのでしょうが、日本製の民間機が再び飛んで欲しいと思っています。


ぽんぽこりん 2010-05-13 23:13:01
今回のバスのお話はとても興味深いお話でした。
表面を繕うことだけに気を取られている現状をとても良くあらわしている出来ごとだと思いました。

そしてそれは、我が日本が数十年前に経験していた事だと思うと、笑っていられないのかもしれません。

2010年5月12日 (水)

日本の不思議

夏も近づくこの頃、あさ明けるのが早くなり、東京で今朝の日の出は4時39分だそうである。一方、日の入りは午後6時36分だそうで、朝はやたら早くから明るくなるのに対し、夜はかなり早く暗くなるわけである。北半球のほとんどの先進国で実施されている夏時間が、なぜ日本で実施されないのか、以前にもこのブログで疑問を呈した通り、これは我が国の不思議の一つである。時計を一時間、いや二時間ほど進めて夕方は陽の光を浴び、明るい夜を楽しむ事をなぜ日本人はしないのだろうか。そうすれば西日本では仕事の後に、ゴルフのラウンドもできるというものである。

日本の不思議と言えば、ギリシャよりもひどい財政赤字を抱えながら、国家経済が破綻しないのも不思議の一つであろう。この件に関して先週末の読売新聞「地球を読む」に伊藤元重東大教授が面白い解説をよせている。ラーナーという英国人経済学者が唱えた説で、日本の様に国債が国内で購入されている限り、いくら国の借金が積みあがっても将来の世代の負担にはならない、という事だそうだ。それは国債など国が国民に借りている債務は、いずれ税金を徴収して返済するわけだから、その時点では税金を払う国民から、国債を持っている国民へお金が移動するだけで、国家としては将来世代に負担が移転するわけではない、という事らしい。

なるほどそれも一理あると納得するが、するとその時点で国債を持つ者と持たぬ者では不公平である事は明白である。そして現在の借金の証しである国債を持つのは今の世代で、将来の世代は国債をもたない国民だから、やはり我々の借金は次の世代の負担に肩代わりされるとも伊藤氏は述べている。将来の世代が、親の世代の借金を増税で返済する事を容認しなければ、ギリシャどころの騒ぎではなくなるだろう。国家への信頼がなくなり、通貨は暴落し、輸入品が暴騰、インフレがおこり、年金や福祉は崩壊する事が予想される。

民主党のこども手当てや高校教育無償化に賛同する人達の中には、このばらまきが支出に使われず貯蓄に廻っても、子供たちの教育や成長の過程で使われれば効果も上がるというが、それまで国家財政が混乱をせずにもつ保証はないのである。財政再建と増税は一刻を争う喫緊の要事だと思うのだが、こんな巨額の財政赤字を垂れ流しながら、先進国中もっとも低い消費税率で国民が安心をしているのは、夏時間を採用しない以上に日本の不思議だと私は思っている。

2010年5月11日 (火)

東西線15000系

今朝、出勤の地下鉄で、いつもと違った形の電車がホームに入ってくる。あれっと思っていると、この春から運用を開始したメトロ東西線の15000系の新車ではないか。さっそくピカピカのアルミ製ボディの電車に飛び乗って、車両端の妻板をみると2010・HITACHIと書かれた銘板も嬉しいブランド・ニュー・カーである。

メトロによると、15000系はすべてのドアをワイドドアとし、駅での乗降時間の短縮をはかり、ラッシュ時の輸送改善を目的として導入しているとの事。快適性や使い易さの向上・火災対策の強化・車体強度の向上・省メンテナンスなどをコンセプトとし、完成度が高く最新の技術を用いた機器を積極的に採用し、バリアフリーに配慮した通勤車両だと云う。

この電車、最近の通勤車両で採用されてきたクッション性のないペラペラの座席を、やや柔らかくしたという事で、メトロもやっと客を客として扱い始めたのかと思われる。今日は朝のラッシュで混雑していたが、次回は着席して座り心地の改善具合を実感したいものだ。さらにメトロは中目黒脱線事故で懲りたのか、この15000系車両でも台車はボルスタ付きに戻している。そう思うとカーブの多い東西線でも走りが少し重厚か、などとすぐ暗示に乗り易い私なのである。

連休が終わって朝のラッシュがまた始まり、通勤が苦痛に感ずるこの頃、新車に乗れて「こいつは朝から縁起がいいや」とやや重かった足もスムースに職場に向かったのであった。
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2010年5月10日 (月)

レジェンド・オブ・ザ・シーズに乗船して

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これまで日本のクルーズマケットは、日本船の独壇場であったのは周知の事。かつて西日本にはスター・クルーズが定期的に来航していたが、時宜をえず撤退、日本人が外国船に乗船するとなると、遠くフライ・アンド・クルーズか、外国船の世界一周などの区間乗船を利用するのが実情であった。そのため日本のクルーズは、飛鳥やにっぽん丸など日本船の日本人による、世界的に見て特殊かつきわめて高価なマーケットとなったのである。

ここにアメリカの大手の一角ロイヤル・カリビアン・インターナショナル社が本格進出してきた。同社はここ数年シンガポールや中国でクルーズ事業を展開してきたが、このゴールデンウイークを利用して横浜発着、上海・済州島・釜山を廻る8泊のクルーズを2本行い、それぞれ1,500人づつ、計3000人の日本人客を乗船させる事になった。飛鳥Ⅱをはるかに上回る大型船で、豪華なデザインのフネではあるが、船内は基本的に英語、キャビンもシャワーのみが大半、食事はアメリカ並み、すべて米国スタンダード船での日本市場殴りこみである。このクルーズ船が日本人にどう受け入れられるのか、今回の乗船がとても楽しみであると共に、私は船内の雰囲気がどうなのか興味津津であった。

といっても乗船してみると、国内の販売総代理店や各旅行社の添乗員などが船内各所に控え、船内で日本語で通そうと思えばナントカなる様だし、アナウンスやショウには日本語の解説も付いている事がわかった。食事もそれなりではあるがコメや味噌汁が出されており、相当な準備を船側もした事が判る。外国船にしばしば乗船する人からクルーズは初めてという人まで、さまざまな人達で賑わう船内は、おおむね楽しさに満ちていて、イベント会場などのノリは、日本船のなんとなくスマシタ雰囲気と、外国のファンシップの中間位の盛り上がりに感じる。食事などもこの料金ならこんなものと割り切って、むしろ外国船の雰囲気を楽しもうという乗客が多い様だ。

大半の乗客は、この船のクルーズを楽しんでいる様子だったが、残念な光景もいくつか見た。ある夕方、船内ビュフェで大声が聞こえるので思わず振り返ると、初老の男性が取材か何かで乗り組んだ日本人女性に「ばかやろう」と怒鳴っている。どんな理由があるのかは知らないが、理由の如何を問わず、人前で女性を「ばかやろう」と罵っているのをみると、同じ日本人としてこちらが恥ずかしくなってくる。その他スリッパでバーをうろつく男性、説明会の開始や下船予定時間が10分でも過ぎると「何やっているんだ」と係員に詰め寄る男女もいる。こういう事をするのは若い人達でなく、概ね思慮分別をわきまえているハズの初老の人達で、せっかくゆったりとクルーズを楽しんでいる他人を不愉快にさせる事に気がつかないのだろうか。

クルーズ大衆化時代に入るとこれも一つの現象かと悲しくなるが、若い人達の乗船で、もっともっと若く楽しい雰囲気が日本のクルーズ界にも横溢して欲しいものである。

Verbally abuse or offensive language directed toward anyone, including guests, crew members, governmental officials or others is not permitted.(船内の禁止事項のブッックレットより)

バルクキャリアー 2010-05-15 10:24:23
guy92さん

コメントありがとうございます。私は、概して若い世代の方が、老人よりマナーが良いと感じています。日本人のクルーズ船に乗船する平均年齢がアメリカ並に40歳台前半になれば、また新しい展開も期待できますね。


guy92 2010-05-14 21:38:00
ほんとうに、歳行って居心地いいクルーズであると同時に、若い人が乗れ
るクルーズであって欲しいですね。


バルクキャリアー 2010-05-11 23:59:46
ぽんぽこりんさん、

船上でお会いできるかもしれなかったのに、大変残念でした。いつかご一緒したいですね。飛行機のお話を沢山うかがいたいです。

RCIは初めてですが、私はとても居心地が良くて気にいりました。RCIには、この日本人向けクルーズを、この後も是非続けて欲しいと思います。 日本のクルーズ界、日本船のサービスや価格にも一石を投じる事間違いなしと確信しました。


ぽんぽこりん 2010-05-11 20:31:12
バルクキャリアーさん こんばんは

今回のクルーズには私も乗船予定でしたので、乗船された方からのコメントを
とても楽しみにしておりました。
クルーズのベテランでいらっしゃるバルクキャリアーさんのお話には、何度も
頷きながら読ませていただいておりました。
続報を楽しみにしております。

2010年5月 9日 (日)

クルーズの最終日

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8泊のクルーズは最終夜を迎えて、例によって夜の内に荷物は部屋の外に出してガランとした部屋にいる事になる。クルーズの一番わくわくする時は、乗船して一歩キャビンに踏み入れた時。これからどんな旅が始まるのかと期待に胸をふくらます。逆に寂しいのは下船前夜、明日からまた現実の生活が始まるのである。

下船のルーティーンは内外のどの船もあまり変わらないが、下船前日のフェアウエルパーティは、クルーズ会社によって、ベイクド・アラスカが出たりクルーの紹介があったり様々。明日早朝横浜に着くレジェンド・オブ・ザ・シーズ号は、ロイヤル・カリビアン社の売り物、ダイニングのクルーがナプキンをくるくる振り回しながらのパレードである。ダイニングクルー入場の後、一言アナウンスがあり、定番「オ・ソーレ・ミーオ」に続き、海援隊の「贈る言葉」をダイニングのクルーが総出で日本語で歌ってくれた。

今回も初めてクルーズに参加したという若い女性が、上陸して船に帰って来ると我が家にたどり着いた気持ちになると喋っているのを聞いた。いくらクルーズ船は大きくて安全とはいえ、ひとつの共同体という意識が9日間も一緒にいると芽生えるのも船旅の良さである。贈る言葉の歌詞は一週間かかって覚えたとテーブル担当のウエイターは言っていたが、こんな旅はそうあるものではない、次は何の船に乗ろうかと考えながら寂しさを紛らわしている最終夜である。


バルクキャリアー 2010-05-10 23:31:09
guy92さん

コメントありがとうございます。今日にっぽん丸が横浜港大桟橋に着いているのを見て、guyさんの見学の事を思い出しました。

ヨーロッパのほうでは、朝をふつうに過ごし好きな時に下船できるホテルのような船もあるとの事、いつかヨーロッパでクルーズの旅をして見たいと思っています。

今日は昼間仕事をして今帰宅しましたが、クルーズが遠い昔の様で哀しいです。

guy92 2010-05-10 12:38:56
RCI初の横浜発着クルーズ、レポートありがとうございました。

1600人もの日本人が乗船したことが、サービスの面でいい方向に作用したことが文面から感じ取れます。

ほんとうによかったですね。

最終日の寂しさは僕も何度も経験しました。

ヨーロッパのほうでは、朝をふつうに過ごし好きな時に下船できるホテルのような船もありますよ。

2010年5月 7日 (金)

ロッククライミング

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今回乗船している”レジェンド・オブ・ザ・シーズ”は本社がマイアミにあるロイヤル・カリビアン社の運航で、この会社は1968年からクルーズを始めたこの業界の先駆者である。客船が国際旅客輸送の表舞台から姿を消していた時代に、船による新しい周遊旅行を提案し、これを実現させた嚆矢的会社の一つなのである。道具となる客船はそれまでの大型定期旅客船の様なスピードを求めず、どちらかといえばずんぐりむっくりの船型を採用し、従来は厳格に分かていた等級制を廃止して、原則だれもが同じレストランやパブリック・スペースを共有するモノ・クラスの新しいジャンルの船旅を開拓し、現在の世界のクルーズ標準スタイルを確立させた会社でもある。そんな先駆けの意地であろうか、この会社は意欲的に大型船を新造し、いまや22万トンという世界一の大きさを誇るクルーズ船 ”オエイシス・オブ・ザ・シーズ”を就航させている。

ロイヤル・カリビアン社は船旅を楽しく過ごす要素を、船のハード面にも積極的に採り入れ、ファンネル(煙突)構造物の中に作った見晴らしの良いラウンジを初期から造った他、最上階のオープンデッキにジョギングやウォーキングのスペースをゆったりと採るなど、明るさに溢れたシップデザインを採用している。そんな同社の最近のウリは、船上でのロック・クライミングやジェット水流によるサーフィンなのだが、このレジェンド号はロック・クライミングの設備を備えており、乗船すれば無料でチャレンジできるとあって、「一度トライしてやろう」と意欲満々で乗船したのだった。

さて我々夫婦は乗船5日目の午後、ロッククライミング場が空いているのを見計らって、インストラクターの女性にチャレンジしたいと申し出る。インストラクターが提示した「自分の意思でこの登攀を選びました」「何かあっても自己の責任とします」「酔っぱらっていません」などと免責条項が羅列してある誓約書にサインをすると、なにやら大変な冒険にこれから挑戦する様な気持ちがして胸が高まる。足のサイズに合った専用の靴を借り、ヘルメットをかぶり、腰にハーネスを装着すると、そのハーネスにインストラクターが滑落の際にホールドしてくれるザイルを結びつけて、いよいよ準備が完了する。

さあ登るぞと、壁に埋め込まれた足掛かり・手掛かりを頼りに身体を引き上げるが、この突起は思ったより小さくて、そう簡単には登れない事がすぐにわかる。高さ8米ほどの壁を2~3米よじ登ると、「えらい事を始めてしまった」とも後悔し始めたが、ここでくじけては隣の壁をやはり登っている妻に笑われそうだ。とにかく一歩づつ手の届く足掛かりを探してよじ登ること数分、オーバーハングも乗り越え、やっと登頂成功者が鳴らす鐘が手の届くところに来たので、高らかに”カン・カン”と鐘を鳴らして、ハイポーズ、下から写真を一枚取ってもらってから一気に下降したのであった。この壁、係員は20フィート(6米)と言っていたと記憶するが、今日、再び下から見るとどう見ても8から10米はありそうだ。ハーネスとロープで安全とは云え、壁に張り付いて上から眺めた海面ははるか下の方に遠くで、結構スリルを味わえる施設であった。船の上での登山もオツな趣向だが、妻はちょうど良い突起がなくて困ったとぶつぶつこぼしており、しかも翌日は上半身の筋肉痛がひどいそうで、もうこの船では再チャレンジしないと、先ほどから宣言している。

2010年5月 6日 (木)

プチ・カルシャーショック

今日クルーズ船は午後2時に上海出港予定、午前中は上海の外灘(ブンド)に散歩に行ってみた。ブンドの川べりは見事に整備され、表通りである中山路に沿った旧租界の建物である銀行やホテルはすっかりきれいなブティックなどに変身している。一応この川沿いの再開発された道をぶらっと散策してもみたのだが、船の出帆までまだ時間もあるので、裏道を探索しようかという事になった。

中山路の大通りを渡って、何気ない町の一画に足を踏み入れると、そこはかつて魔宮とも云われた中国の町がそのまま残っている感じがするたたずまい。物干しから空中に突き出された竿には洗濯物がひらめき、コンクリートの古い長屋の奥は陽が届かず、なにやら上海バンスキングとか、男装の麗人・川島芳子とかが、今にも横丁から顔を出して来そうである。中国に初めて来た妻はおっかなびっくり、そんな古い町並をこわごわ覗き込んでいるのを横目にあちこち横丁を回って見た。

さて2時間ほど旧来の上海の町を散策して船に戻ると、妻はお尻の筋肉が痛いと唸っている。どうしたのかと聞いてみると、異様な町の様子と何より街中の交通が怖くてすっかり緊張して疲れてしまったのだと言う。緊張するとお尻の筋肉に力が入るというのは、私には良くわからない現象なのだが、どうやら信号を全く無視して交差点に突っ込んでくるクルマやバイクに即座に対処するために、左右どちらにも瞬時に動けるようにとお尻のあたりの筋肉に力を入れていたらしい。異文化交流には思わぬ副作用もあるものである。

妻は子供の頃ブラジルで過ごし、大概の事には動じないのだが、今回は耳では聞いていた異文化と実際の体験のギャップにひどく驚いて、思わずお尻の筋肉に影響を及ぼしたのは笑える。上海と言えば中国ではもっとも洗練された交通マナーの町であろう、こんな事で驚いては彼女の夢である原生地の奥地でパンダ抱っこ等はとうてい無理だね、とパンダなどに興味ない私はほっと笑ったのであった。

写真は信号のある交差点であらゆる方向に突っ込む自転車と乗用車
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2010年5月 5日 (水)

上海トイレ事情

ゴールデンウィークを利用し、クルーズ船に乗って上海・韓国の旅に来た。

中国旅行と言うと、頭に真っ先に浮かぶのはトイレ事情である。初めて中国に出張した20年ほど前、南京郊外の地場のセメント工場を訪れた際、せっかく来たのだから昼飯を社員食堂で食べていけと盛んにすすめられるので、こわごわ従業員が昼食を取る食堂に行ってみた。その食堂棟のあまりに古臭いたたずまいや、調理場の汚さにも閉口したが、何が驚いたかというと、トイレを拝借した時のことである。なにせ中国での商談と言うと、連日「○○先生の光臨にカンペー、カンペー」との杯の交換で、お腹の具合も緩み気味のところ、昼食の前にすっきりしておこうかという事だったのだが、そのもくろみが甘かった。

トイレらしき場所に入ると、小用をたす場所の他は片隅に溝が掘ってあるだけで、個室らしきドアがどこを見渡してもない。むむ、これはどうしたものかとしばし考えているうち、その溝のそばのあちこちに古新聞紙が置いてあるのが目にはいる。こ、これはどうやらこの溝をまたいで、衆人環視の中で用を足せという事かとの思いにようやく至った時には、もう用を足す気持ちも引っ込んでしまい、こんな所でするよりはホテルまで何として我慢しようと決心したのであった。西欧の公衆トイレのように上下が大胆にオープンなトイレはまったく気にならない私でも、ドアない・紙ない・きたないの中国トイレにはさすがに閉口し、以後中国に出張してオフィスやホテルを離れる可能性があるときは、なるべく食べない・飲まないを実践して危機回避に努めてきたのが実情なのだ。

さて今回6年ぶりに上海に来てみて、予想してきた事とは云えその変貌ぶりに驚く。埃っぽい町は少なくとも表通りに関しては大変きれいになり、歩道を走るバイクや道を逆走するクルマも見かけない。万博を開いて、この町も世界標準に近づいたのが良くわかる。さすが中国で一番開けた都市というのが実感できたのだが、問題はトイレ、なのである。今回、朝からの観光にやや疲れた昼前に入ったのは、上海観光名所である豫園そばのお茶博物館のトイレ。そのあたりで少々モヨオシて来たので、思い切ってそのビルのトイレに入ってみたところ、なんとそこは洋式でトイレットペーパーも完備し、ごみや汚水、悪臭の類も一切ない事を発見した。先進国同様の設備に、この国もやっとトイレを改善して、近代化の証を示そうと一部では実践されてきた事がわかった。まだまだこんな清潔なトイレは例外的であろうが、中国の公衆トイレで不快な気持ちをしなかたった初めての体験は印象深い。

ただ個室内の便器脇にバスケットの様な大きなかごがあるのだが、使用済みの紙は流さずにそのかごに入れるはずと主張する妻と、いや使用後の紙は流して良いのでは?と考える私の論争がクルーズ船のキャビンで深夜になるまで尽きないのである。
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バルクキャリアー 2010-05-11 00:14:58
院長先生、こんにちは。

そうなんですか、中南米もカミはバスケットに入れるのですか。下痢気味で沢山ペーパを使ってしまった時とか、紙の反対までしみている時はちょっと恥ずかしい、かな?

でも他人に見えるまま溝をまたいで用をたすより、はるかに進歩していた中国でした。

院長 2010-05-08 00:00:15
以前住んでいた中米のとある国では、紙は流さずかごへ捨てていました!

初めて目の当たりにした感動がよみがえってきました・・・。

慣れるまでがねぇ・・・。

2010年5月 2日 (日)

ピアノ発表会

姪っこのピアノ演奏発表会に、近所の区民ホールに出かけた。ハレの衣装に身を包んだ子供たちが集まり、きれいなスーツなどを着込んだ父兄はビデオカメラを廻し、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんと見られる人が観客席に座って演奏を聞いているのは、いつもと変わらない風景である。

私にとっては、子供達の演奏会場に来るのは、とても久しぶりなので、しばし姪っ子の演奏だけでなく、他の子供の熱演にも耳を傾ける。ステージの袖から入場してくる子供たちは、一様にはにかんだ様な顔で緊張している様子。中には右手と右足が同時に出て歩いてくる子供もいる。それでも長い時間をかけて練習した曲を、うまく演奏し終えた子供もちょっとつっかえた子供も、無事終了して再び観客席に向かってお辞儀をする時は、みな満足そうなとても良い顔をしている。

子供たちは、こういう場面を一つづつ乗り越える事によって、小さな成功体験を積み上げ、大人になっていく自信を少しづつ身につけて行くのだなあ、という事を感じながら、久しぶりのピアノの発表会を微笑ましく観賞していた。

2010年5月 1日 (土)

ゴールデンウイーク

ゴールデンウイークだ。冷雨つづきだった天気もやっと気温が上がり、今週は好天が続く様でうれしい。せっかくの晴天の朝、寝坊しているのも勿体無いので、仕事のある日と同じ時間にごそごそ起き出す。そういえば過去のゴールデンウイークは何をしていたのだろうか、と昔の日記や手帳を取り出してチェックしてみる。

60年代は4月28日が左翼の反戦デーか何かで、この日は過激派による投石などで良く国鉄の電車が止まった記憶があるが、あれも遠い昔の話になってしまった。新入社員時代は、5月1日は代々木公園で開かれたメーデー中央集会にかりだされたっけ。メーデー参加者は「出社扱い」だったので、会社に行くよりは新緑の下、メーデーのデモ行進に参加だった。代々木から渋谷まで形ばかりの行進をして、渋谷でお昼に解散、皆マージャンに行ったりビールを飲みに行ったものだ。当時生ビールは、ビア・ガーデンでしか飲めなかったが、メーデーの日は渋谷のビア・ガーデンは季節的にもいち早く開店していた事が記憶に鮮明である。

メーデーといえば、共産主義の本場モスクワで5月の声を聞くと、一斉に花が開き労働者も開放的になるので、5月1日を「労働者のお祭り」の日にしたと聞いた事がある。東京では、今年は4月29日に中央集会を行ってしまったそうだから、もうメーデーと呼ぶのにふさわしくないのでは、などと考える。

6年前まで住んでいた東京郊外では、この季節になると農家の大きな鯉のぼりが、あちこちの空に泳いでいたものだ。昔ながらの何メートルもの棹からロープに結び付けられた大きな鯉のぼりが、口をあけて青空に舞っていると”イラカの波と雲の波”という歌が自然に脳裏に浮かんだ。都心ではあんな大きな鯉のぼりが見られないのがちょっと残念だが、これから梅雨まで初夏の一ヶ月強、とても過ごし易い季節がたのしみだ。

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