宮崎神宮
今年の初詣は合宿中の宮崎で宮崎神宮に行った。初めてお参りした宮崎神宮だったが、神武天皇をお祭りする格式の高そうな社殿と大変な人出にびっくりした。なんでも神宮と云うのはあまたの神社の中でもかなり特別な存在で、伊勢神宮を筆頭に全国で20数ヶ所しかないそうだから、そのたたずまいの立派さや人出が多いのもわかった気がする。そういえば神社には格式があったり、祀られているものが様々である様だが、一体それらはどういう事になっているのだろうか、などとお参りしながらもふと疑問が湧いてくる。私たちが手を合わせて二礼二拍一礼している対象は、キリスト経や仏教でいう神様とはやや違うようだが、身近に神社があちこちありすぎて、そんな事は今までは考えた事もなかった。
という訳で、にわか勉強であちこち検索してみると、どうやら神社と云うものは、もともと祖先や自然を崇拝し敬意を表す民間信仰のお祈りの場所に、雨露をしのぐ為に作られた参拝用の建物だと云う。アニミズム的な土着信仰が対象だったから、大昔は拝殿がないのが普通だったが、時代が下るにつれ寺院建築の影響も受けつつ社殿が整備され、国家の統制や天皇制などと関わりながら、様式や社格が体系化されていったらしい。教会や寺院と違い、そこに祀られているものを拝む為の建物なので、滝や山などが祭られている様な所では、かならずしも社殿が必要ではないようである。そういえば昨年夏に行った那智大社の飛瀧神社も瀧が祀られていて、神殿はなかったなあと改めて記憶の糸を手繰り寄せる。
格式と云う点では、古代律令制下で国家規模の神社(官幣)と地方ベースの神社(国幣)が別れ、それぞれに大国幣・中官幣などと大・中・小の区別をつけ、中世になると一宮・二宮など勢力によって分ける別の方法も導入された様だ。さらに穀物収穫の神様であるお稲荷さんや、菅原道真を祭った天神さん、明治時代になって英霊を祀るための招魂社(護国神社)なども加わっていったのだが、その多様さは一夜漬けでは到底わからない。様々な切り口から八百よろずの神様が日本を鎮守し、時には仏教とも混淆するあたりは、まさに日本的シンクレティズムの大らかさの象徴の様に思われる。信仰に対するこの様な融通無碍な対応というのが、日本人が地理的特性や歴史的条件から身につけた大きな美点ではないだろうか。
日本人として知っておいた方が良い、ちょっとしたこんな知識を授けてくれるきっかけになった宮崎神宮は、さすが由緒正しい神社、霊験あらたかだと春からちょっと嬉しい。
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