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2010年1月

2010年1月31日 (日)

大相撲

朝青龍がまた土俵外で問題をおこしたり、貴乃花親方が理事選挙に出ることで相撲協会がもめていたりするが、大相撲というのはスポーツなのか興行なのか文化活動なのか、一体何なのだろうとの疑問が尽きない。

スポーツ性という面からみれば、7勝7敗の力士などではそれなりにアウンの呼吸で星の貸し借りくらいはあったであろうし、そういう気持ちでファンも了解している競技とも思える。広く大衆に根ざした興行という点からすれば、就業時間や登校時間である平日の昼日中に本場所が行われるのは何故なのだろうか。少なくとも他のスポーツの様に夕方7時とか8時以降に開催されるのが、娯楽としては良いと考えられる。文化活動として考えると、マス席に茶屋がついて独占的に利権を得ているのは誠に不自然で、野球やサッカーの様に普通のシートで試合を見て、飲食したい人は売店を利用すれば良いと思うが、観戦しやすい場所を占める升席と茶屋は利権で深く結びついていそうである。その利権は公益法人として優遇を得ている財団法人・相撲協会の存立と矛盾はしないのだろうか。

相撲はどうも神事と結びついた、スポーツ性をもった娯楽かつ興行という事になるのだろうが、その意味でオリンピックなどの競技にならなくて良かったのであろう。この曖昧模糊とした国内競技に、多数の外人力士が入り上位に君臨している姿は、今は目に慣れてしまってものの考えてみれば異様ではある。アメリカのすし屋で、金髪のおにいちゃんが素手で寿司を握っている様な感じと言ったらよいのであろうか。朝青龍の不祥事の続報、貴乃花親方の選挙などが、この相撲の特異性を今後浮き立たせてくれるかもしれない。ただし私としては外人力士はOKだが、相撲は柔道の様な国際的な”スポーツ”などには決してなって欲しくない、と思っている。

2010年1月30日 (土)

サリンジャー

アメリカの伝説の作家JDサリンジャーが亡くなった。91歳だそうだから私の父親の世代、戦中派といえよう。代表作「ライ麦畑でつかまえて」をかつて読んだ事があるが、いささか風変わりな主人公の世をすねた様な話だったと記憶する。内容的にはどうも興味を持てない作品であった事を思い出すのだが、私にとってサリンジャーといえば、映画”フィールド・オブ・ドリームス”でジェームス・アール・ジョーンズ扮するところの、テレンス・マンという名前で描かれたサリンジャーである。

”フィールド・オブ・ドリームス”の主人公のレイは、サリンジャーを支持するベビーブーマー世代でアイオワで農場を経営している。不思議な声に導かれ、トウモロコシ畑をつぶして作った彼の球場では、伝説のシューレス・ジョー・ジャクソンの無念が癒され、仲たがいをしたまま幽冥を分かった父親とレイがその球場で再会する、と云うストーリーで、夢の大切さと父子関係の相克を描いたファンタジーなのだが、そのなかでサリンジャーが重要な役割りを果たす。

彼はレイたちの年代のヒーローであり、新しい世代の思想的なバックボーンとして映画では描かれている。そのサリンジャーは世捨て人として隠遁生活しているが、主人公レイの情熱に背中を押され、アイオワのトウモロコシ畑の球場へやってくる。そこでサリンジャーは新しい世界への第一歩を踏み出す事になるのだが、新しい境地を目指して球場の向こうに育つトウモロコシ畑にテレンス・マン(サリンジャー)が一歩を踏み出すシーンは大変印象的だ。球場の向こうに何があるのか、映画制作者はサリンジャーに夢に挑む事で葛藤を止揚し、世捨て人から復活する様メッセージを送ったのではないかと感じるのである。

「ライ麦畑で捕まえて」は1951年出版以来、世界で6,000万部も売れ、いまだに売れ続けているそうだが、どうやらサリンジャーはアメリカのベビーブーマー世代では、我々が想像する以上に特別な存在である事を”フィールド・オブ・ドリームス”を見ていると感じる。ライ麦畑が発表された1951年といえば第二次大戦が終わって6年、ふっとあたりを見回す余裕がアメリカの若者にできた時期でもあり、かたや朝鮮戦争の時期でもある。サリンジャーの作品には、当時の若者が感じた斬新かつ微妙な息吹が凝集しているのだろう。

2010年1月29日 (金)

森田療法的 健康診断観

光文社から出た新刊、拓殖大学学長・渡辺利夫氏著 「 人間ドックが『病気』を生む 」 を読んだ。慶応病院の近藤誠医師の説も引用、人間が治せる病気はすでにおおむね克服され、現在検診の対象となる生活習慣病・ガンなどは老化が原因によるものなので、治るものではなく無駄な検診や治療・手術をするべきでないと説いている。私には医学的な見解は解らないので、示されたデータや著者の考え方に賛成とも反対とも云えないが、この本では日本で生み出された神経質症の森田療法に沿って、著者の健康についての考え方が展開されていて、医療の本と云うより中高年以降の人生観・死生観についての随想として読むと面白い。

文中に盛んに引き合いにされる森田療法は、森田正馬という精神科の臨床医によって大正時代にうみだされたの神経質症 ( いわゆるノイローゼ ) に対するわが国独特の治療法である。この神経質症は、生来のヒポコンデリー気質 ( 心配症 ) と強い生への欲望 ( 健康でありたい、試験に受かりたい、社会的に認められたい、充実した生活がしたい等などの前進の欲望 )を持っている人が、何かのきっかけで自己実現の達成に不安を感じた時に、その不安を心のやりくりで排除しようと焦りもがくあまり、より一層不安の泥沼にはまっていく為に起こるとされている。誰でも時と場合によって感じる不安や焦燥を、「 自分だけにある特別なもの 」 とみなし、いたずらに不安から逃れようと 「 はからい 」 を繰り返し、しまいには身動きがとれなくなってしまうのだが、これらの人々はこうした性格的特長に加えて、考え方が観念的で社会経験が少ないなどの未熟な面があるので、実社会に当たって自己の陶冶をはかる事が必要であると教え、その実践を計るのが森田療法である。

この療法は慈恵医大を中心に東大などに導入され、その顕著な効果は今では海外にも紹介されているのだが、心のやりくりを排し症状をそのまま認める”あるがまま”の基本精神は、禅などの考え方と相通じるものがあって、森田の講演や著作には禅や仏教から引用した箇所も多い。フロイトに代表される西欧の精神医学がノイローゼに対し、過去の性的経験などを中心に心の中を”分析”して対処するのに対し、森田では実社会に即して症状をやりくりせずに、あるがままに人間の成長をはかる事に主眼を置く点で大きな相違がある。 「人間ドックが病気を生む」では、検診で発見される人生の後半のほとんどの病気は、その人に本来内在するものなので敵視せず、あるがままに病気と折り合いをつけて静かにしているべしと、森田的アプローチで中高年の医療に対し警鐘を鳴らしている。

実は、私も元来の心配性に加え、若い頃は傲慢な心と観念的で未熟な精神の為、神経質症的な症状にずいぶん悩まされ、森田療法の本を読んだり、高名な医師の訓話を拝聴したりした事がある。「人間ドックが病気を生む」の著者の渡辺利夫氏は、森田療法で命を救われた経験があり、その実体験を基に晩年に生きる覚悟をこの本では詳述しているが、私も久しぶりに森田の教えを復習する気持ちで共感を持って読んだのであった。それでも読後、「 心の問題を検診に敷衍してよいのだろうか 」とも思い、「 人間ドックはやめた 」 ともすっぱり言い切れない私は、相変わらず観念的で小人かつ凡人だと苦笑するのである。

2010年1月28日 (木)

確定申告

寒い日が続いたかと思うと、暖かい日がやってきて一日一日と陽が長くなっていくのが嬉しい頃である。と共にサラリーマンを辞めて以来、この季節は確定申告準備の季節でもあって気ぜわしい。昨年の領収書を整理し、税金・社会保険料・各種支払い証明書などを集めて税理士に提出するのだが、もらった領収書が何のものだったか、証明書などがきちんと準備されているのかなかなか大変な作業である。

こんな折り鳩山首相が母親から巨額の援助を受けておきながら、贈与税を申告していなかったとか、小沢幹事長が相続をしたと云われる何億もの資金が、家族名義であったり現金で金庫に保管されていたりと、政治家とカネに関するダーティーなニュースが流れている。「金持ちだから忘れていました」とあっけあかんとコメントし、数年後にばれたら後払いで贈与税を納付して済まされる鳩山首相の例などを見ると、一生懸命納税義務をはたしている我々の税金に対する意識は著しく挫かれる。民主党は彼らの行なった間違いを「形式犯」などとうそぶいているが、本当にそんな言葉でくくってよいのだろか?

若い頃、東京の大井コンテナ埠頭で、業務で訪れた外国航路のコンテナ船からおみやげのアイスクリームを貰った事を税関に申告しなかったばかりに、税関に一日拘束されこってり絞られた事があった。こちらは全く犯罪の意識などなかったのだが、東京税関に「船会社に勤務する者は関税の事など関係の法律を知っていて当然」と強く注意されたのである。「 船会社にいるといっても、本社で営業や企画をしているので、現場の細かい法律は知らなかった 」と言ってもまるで通じないのである。

同じ様に政治家は、税金や政治資金の事については、一般人より格段に注意もし、法も守らなければならない立場にあると云えよう。特に今回問題になった鳩山首相や小沢幹事長は、ベテラン中のベテランである。「忘れていました」の類とか形式犯にすぎないと云う弁明が通るなら、税金の法や民法・商法のほとんどの法律違反は形式犯という事になるのではないか。形式犯という言葉で彼らの罪を糊塗されたら、マジメに納税している市民はたまったものではない。

2010年1月27日 (水)

格差問題の本質

大和総研のチーフエコノミストである原田泰著 「日本はなぜ貧しい人が多いのか」(新潮選書)を書店で見て帯の ”巷に流布している都号の良い真実 それらはすべて誤りである” という宣伝につられて購読した。格差・年金・少子高齢化など普段メディアを通して云われている事が真実なのか、データを示しながら検証している内容に興味を惹かれた。

「格差問題の本質は何か」という章では、年代別のジニ係数を示して「 多くの統計的な検証によると、それは高齢化に伴う現象で、高齢化の影響を調整してみると、格差はそれほど広がっていない 」と、ちょうど私の理解と同じ事が述べられている。各年代別に見るとむしろ格差は縮んでいるのに、高齢者になるに従い経済的な境遇の格差が広まるから、高齢者の絶対数が増えると社会全体の格差が広まるように見えるだと説明している。

一方地方間の地域格差は2002年以降拡大しているものの1990年当時よりは小さい。格差拡大の要因は公共投資の削減と関係しているのか、それほど明確ではなくまだ確かめられていないと説明されている。むしろ地域格差が生じれば、人々はより良い地域を求めて移動すれば良いのであり、移動できない高齢者には福祉の問題として対処すべしと提言している。

小泉改革が格差を生み日本が悪くなったという一般受けしやすいプロパガンダが流布しているが、本当にそうなのか、ステレオタイプの見方を今一度検証し、データをどう読むのか考えさせられる本であった。

2010年1月26日 (火)

デパート

日本橋の三越でオーダーで作ったワイシャツの袖や襟が傷んできたので、余り布を持参して直しにいった。確か以前安く補修してくれた記憶があるので、代金は大した事あるまいとタカを括っていたら、襟・袖の修理で4300円かかる上、修繕するまで一ヶ月いる云う。注文した時は一万円ほどの布地だったと記憶しているが、4300円も出すなら既製のワイシャツがいくらでも手に入るので、修理はやめると共にもうデパートでワイシャツなどは作るまいと決めた。一万円というとデパートのオーダーでは高級品ではないのかもしれないが、幾らでも安くて良い製品が手に入るご時勢に”デパートの定価”で買ったものである。ボタンの付け方も既製品に比べるとヤワで取れ易く、着ていて特別に快適と云うわけでもない。いわばデパートの看板で売った様な商品の修理については、ごく安くかつ迅速にアフターサービスをしてくれるものと思っていたら、そんな期待は見事に裏切られてしまったわけだ。

デパートの経営が大変苦しいというが、今のデパートには買いたいものがない。服飾を始めちょっと良いものが欲しければ、今では専門店や直営ショップがどこにでもあるし、安いものが欲しければアウトレットや安売り店に行けば良い。私がデパートに行くのは、ギフトとして有名店の包装紙が欲しい時か、たまに百貨店共通商品券を貰った時ぐらいのものである。しかし貰った商品券を握り締めてデパートに行っても、特に欲しい物もないので、地下の食品売り場に行って普段買えないお惣菜をためらわずに買うくらいだ。それでも日本橋三越本店の車寄せで佇んでいると、ショーファー・ドリブンの高級車に乗った身なりの良いご夫人などが、係員にうやうやしく敬礼されて店内に入っていく姿などを良くみるのだが、こんなお帳場買いをする顧客層がいつまで存在するのであろうか。

どうやら今のデパートの業態は、時代に合わなくなっていると言えよう。良く利用する客に特典がつく三越カードなどは、結婚して女性の姓が変わると、これまで家族会員として認められていた女性の母親の家族カードが使えなくなる。同じ条件でも息子なら結婚しても姓が変わらないから、母親は家族会員としてそのまま認められるのだが、これなどは明らかに時代錯誤の規定である。その他、ひる日中、閑散とした売り場に正社員のバッジをつけた人件費の高そうな中高年の男性社員などが手持ち無沙汰に立っているのをみると、儲からないというのも当然だと感じるのである。

抜本的な見直しがこの業界には必要だろうが、目先の事としては、デパートの看板を背負って定価で売った商品については修理代を取らないとか、「 さすがデパートは買う時はちょっと高いけど、アフターサービスが良いね 」という様な、さまざまな工夫が求められる。

2010年1月25日 (月)

けつ面着陸

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姪っ子と一緒に明治神宮のスケート場に行った。子供の頃は随分スケート場に通ったから、バックとかクロスとか教えてあげるよなどと大言壮語して、意気揚々と週末で込み合うリンクに乗り込んだのだ。さて靴を履き替えて氷に一足おりたら、格好良く滑り始める”はず”であった。ところがである、さっそうと滑っているのは頭の中のイメージばかりで、30年ぶりに足をつけた氷上の感触はおぼつかないかぎりで、ツルツルの氷に足をとられていきなりお尻から転倒してしまう。なにしろうまく滑れるつもりで無防備で飛び出したからいけない。大勢のスケーターの前で足を上げての見事な転び方で、頭が真っ白になる。

「 これはヤバイ 」と手すりに掴まり掴まりして、まるで初心者の様にリンクをやっと一周すると、緊張で上半身が凝り固まっている。かたわらをみるとこれで2度目だと言う姪っ子の方がスイスイとリンクの中央を滑走していく。「 大きな事を言うものではなかった 」とも思ったがいまさら仕方ない、せっかく入場したからには楽しもうと、さっそく頭を切り替え、よちよちと2周3週とリンクを廻るうち、おぼろげに過去のスケートの記憶が蘇って来るから不思議である。丁度パソコンの記憶メモリーに電源を入れると、過去のデータがゆっくりと画面に表示されて来る様に、一周ごとに若い頃の記憶が体内の運動神経に伝達していく様にも感じる。こんな時、人間は運動ができる精密な情報処理機関なんだと改めて実感する。

という事で一時間ほどすると、週末で込み合ったリンクでもなんとか流れに乗って滑れる様になってきたのだが、そろそろ帰ろうかと云う時に、コースをいきなり斜めに横切るスケーターと交錯してしまった。まだ氷上で他人を軽くいなすほど、復活したわけではないし、若いときより筋力も運動神経も衰えて咄嗟の反応は難しい。その人と絡まったまま”あああッ”と声を上げながら、視野は氷から壁へ、そして天井へとゆっくり90度回転して見事にお尻から落ちてしまった。またしてもケツ面着陸をしてしまったが、その痛いの痛くないの。相手が「 すみません、大丈夫ですか?」と心配そうに覗き込むのを、やせ我慢で「 ははは、大丈夫 」と笑ってごまかしつつ、天井を睨みながら唸っていると 「 良い歳してスケートして尾骶骨骨折か 」 とニヤニヤする仕事仲間の嘲笑が聞こえた様な感じがしたのである。

幸い尻の骨は異常ない様だが、今日は肩やら肘やらあちこち痛くてたまらない。久しぶりのスケートはよほど力が入っていたのだろう。気が若いのもほどほどにしておけ、という天の声か。

2010年1月23日 (土)

尾道の楽しみ

尾道に出張する際には、時間を割いて街の裏手の千光寺山を駆け上がり、尾道水道の対岸にある向島やその向こうに点在する瀬戸内の島影を眺める。日中仕事の関係で時間がとれない時は、朝早く起きて朝食前に千光寺に行く事もある。眼下の尾道水道には通勤・通学の客をのせたフェリーが行き交い、対岸の造船所からクレーンや重機械の音が聞こえてくる。こんな時は遠くに浮かぶ瀬戸内の島々を望みながら、山の上で小柳ルミ子の”瀬戸の花嫁”を自然に口ずさんでいる。

地方の都市が疲弊しているという時、尾道はウオーターフロントが再開発され、千光寺周辺の文学関係の史跡を目当てに観光客が増加していると云う。私などもせっせと石畳の山道を登って行くと地元の人と思われるのだろうか、地図片手の観光客に道を尋ねられる事が多くなった。しまなみ街道と瀬戸内海、お寺や史跡などの観光資源を活かして町を活性化させようという尾道の意気込みが感じられる。

そんな尾道出張のもう一つの楽しみは尾道駅である。尾道はかつては東京や大阪と九州を結ぶブルートレインが停車する主要な駅だったが、新幹線が市の山側を通る様になってからは、山陽本線の各駅列車だけが停まるローカルな駅になってしまった。尾道駅の北側の引き込み側線も錆つき、山陽本線の上り・下り列車用の2線路2ホームだけの駅だが、私はこの駅の上り線用の列車接近案内放送が好きで、尾道駅から電車に乗る際は出来る限り早くホームに行く事にしている。幸い山陽筋はJR貨物の幹線でもあり、電車列車の合間をぬって貨物列車が上りホームを通過する際もこの案内が流れてくるので、少し早めにホームに行って通過する貨物列車に対する案内メロディを聞くことができるのである。

日本全国あまたの駅に列車接近チャイムがあるが、海と山に挟まれた尾道駅にふさわしい”我は海の子”のメロディーは日本一だと確信している。

<<尾道駅のアナウンス>>

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2010年1月22日 (金)

輿石 東 WHO ?

参議院の民主党のドンらしき老人の言動がえらくピントはずれな上、表情や物腰も落語家の様で、ちょっと我々ビジネスの世界にいる人と違うと感じ、一体この人の名前は何と云うのかと難しい苗字を検索したらコシイシというらしい。いわく云い難い興味をもってネットで略歴を見ると、やはり旧社会党系の日教組どっぷりの政治家だとわかり、”やはり”と納得する。

そういえば中学の時、日教組の活動家がいて、国政選挙で自民党が勝った翌日の授業中「 僕は君たちのお父さん、お母さんに失望した 」と授業もせず、左翼がいかに素晴しいかの説教や組合のプロパガンダを始めたのにはびっくりした。ひねくれものの私などは「ケッ」と思ってニヤニヤして聞いていたが、そんな教師の言動に触発されたマジメな生徒も結構いたものである。そのうちの何人かは当時流行した学生運動に染まり、高校進学後に学校を辞めたり消息不明になったのだが、そんな責任の一旦は日教組の扇動にあったと今でも私は信じている。こんな経験から、私は日教組が戦後の日本教育を悪くさせた最大の要因だと信じてやまない。

日教組出の民主党ドンなどをみるにつけ、この党の母体には、私などの生活感覚と違うイデオロギーの人が多数いるのだと改めて気づくのだが、どうも岡田外相や前原国交相の様な普段メディアに露出する顔に私はすっかり騙されて、党の本当の基盤はそういうイデオロジカルな人達も含めて成り立っている事を忘れていた。前世紀の遺物の様な教条主義の老人がおり、それを支持する基盤が党の底流をなすとなれば、安全保障問題で社民党の主張に従うこの政権の下地もあろうものだ、と妙に納得してしまう。どうも私は先の衆議院選挙で自民党にお灸を据えたいばかりに、彼らの市民政党的な表面の顔に騙されてしまい、海江田民主党候補に投票してしまった様で大いに反省するのである。

旧田中派の手法を引き継ぐ小沢幹事長を筆頭に古い体質の面々、日教組や元マルキストなどを混ぜあわせ、ちょっと近代政党風の甘いチョコレートコーティングをかぶせただけのごちゃまぜ集団が民主党の本質である事が、やっと露呈してきた様である。であればこそ、シンボルとしての過剰な小沢擁護の挙党体制も理解できようというものだ。そして都会の市民的感覚を持った部分と自民党よりも古い部分を引き摺った部分が、本質的に融合できない事が鳩山政権の迷走に現れているのだと云えよう。今回の金権スキャンダルで小沢幹事長が起訴されなくても、しょせん化けの皮がはがれるのは時間の問題だとコシイシ議員の映像を見て感じた。参院選では、小さな政府を目指す、都会のまっとうな市民社会代表の政党が出現しないものであろうか。

2010年1月21日 (木)

皇居ランナー向け施設

アディダスジャパンが千代田区平河町2丁目の森タワーに皇居ランナー向け施設を作ると報道されている。着替えロッカーやシャワーの他、専門のスタッフからランニングの助言も受けられると云う。料金は700円だそうだが、都内の銭湯の料金が450円であるから、この料金はリーズナブルといえそうだ。場所を調べてみると皇居を望む平河町の最高裁判所の裏らしく、地下鉄駅にも近くコースまで400米もない好立地で、スポーツ用品メーカーが自社製品の販促も兼ねて施設をつくるのも理解できる。

最近、皇居コースのランナーの数は大きく増えているが、その中でも女性のランナーの比率が顕著に増加している様だ。彼女らは概して新しいスポーツウエアーに身を包んでいるから、アディダスなどスポーツ用品販売業者はここでサービスを展開すれば、女性向けの製品のプロモーションにもなると目論んでいるのだろう。

この様に益々皇居ランニングはますます盛んになっているのだが、以前にも指摘した通り問題はコースの整備。休日にもなると数千人のランナーが駆け抜ける歩道は狭く、場所によっては観光客と交錯してしばしばヒヤっとする事がある。このあたりの歩道の管理については国交省や環境省、自治体など関係する官庁が多数ある様だが、歩道の拡幅・整備でランナーと歩行者の安全な分離対策を一刻も早く行なって欲しいものだ。スポーツを楽しむ者と観光する者が整然と分離されている道こそ、首都の玄関の道路として相応しいと考える。

2010年1月20日 (水)

定通確認

広島の尾道にまた出張した。往路は破綻応援の意味もこめて空路JALで広島空港へ。午後からの仕事なので、空港から最寄の山陽本線白市駅までバスで出て山陽本線の上り列車で尾道へ向かう事にする。瀬戸内海近くを走る山陽本線も三原ー広島間は急勾配が続く山の中の難所を通るのだが、そんなローカルな車窓を楽しもうと115系電車の運転士席背後のガラス窓(かぶりつき)に陣取る。

白市から三原までは沼田川沿いに下りカーブが連続する30キロあまりの山下り。白市を出ると線路は山の間や川沿いを蛇行しながら300R(半径300 米)曲線、10パーミル(1000分の10)の下り勾配を抑速発電ブレーキを使いながら下っていく。都市部で電車の運転を背後から眺めるのも楽しいが、こんな山川の迫った勾配線区で運転を見られるのは出張の役得でもある。

山間部なので前方の信号もカーブの彼方にあって中継信号機が多数設置されている中、信号喚呼をしつつマスコンとブレーキハンドルを操作しながら、ショックもなく制限速度ぎりぎりに定時運転をする電車運転士が頼もしい。山間部のカーブを曲がって駅に接近すると、こんな標識が線路際の電柱にかかっているのだが、良く通り慣れた線路でもこんなに一遍に標識が掲示されていると、スピードや信号に注意している運転士は注意を分散しなければならず大変な仕事だなと想像する。

左から赤と緑の定通票(正式の名前は不明だが停車駅やダイヤの確認を促す標識)、赤の横線は架線区分票(架線の切れ目)、緑丸は徐行解除票、その向こう黄色に赤横線はセクション(給電設備の切れ目でここでは停車禁止)を示す票
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2010年1月19日 (火)

フロストバイト・マラソン

東京マラソンを1ヶ月後に控え、前哨戦としてハーフ・マラソンに挑戦する義弟妹に付き合って、先週の日曜日は我々夫婦もハーフマラソンを走ることにした。最近は全国あちこちでフルマラソンやハーフマラソンが開催されているが、この大会は普段入ることができない米軍横田基地の滑走路を走るユニークなマラソンで、東京にいながらにして異国情緒を味わえるのがミソなのである。横田基地は一空軍基地にとどまらず在日米軍の司令部があるそうで、先日訪れた横須賀の海軍基地との違いや基地内の施設がどうなのかの見学も楽しみで遠足気分である。大会名のフロスト・バイトは、しもやけの事だそうだが、この時期のマラソンにこういうネーミングをするのもなんだかアメリカっぽく格好よい。

当日は心配した風もなく絶好のマラソン日和で、さあ今日は気合を入れて走ろうかなどと考えながら基地のゲートをくぐると、いきなり「 本日のハーフマラソンスタートは30分繰り上げます 」 との場内アナウンスに思わずのけぞる。それじゃ着替えてナンバーカードなどとつけたらトイレに行く時間もなくなってしまうと焦るが、騒いでもしょうがない。スタートに少々遅れても靴に装着したICチップでスタート~ゴール間のネットの時間を計ってくれるからと覚悟を決め、長蛇のトイレの列に並んで小用をすませたのだった。普通の大会では小用なぞその辺りの木陰ですませてしまうのだが、なにせここは日本のアメリカである。下手な事をするのは日本人の名折れと心得て、きちんと列を作って順番を待つのも小心ものの面目躍如なのだが、かなたではスタートの号砲が聞こえてくる。妻や義弟妹はどうしたかと気をもみつつも、こういう時こそ焦った顔を見せずと自分に言い聞かせ、心はひきつりそうになりうながらも涼しい顔でトイレをすませて3分後に漸くスタートラインをまたいだのだった。

試合の方はウォームアップをしなかったのが良かったのか悪かったのか、私は予定のネット1時間30分を少しオーバーしてゴール。妻や義弟妹もほぼ予定どおりで完走し、その後は、基地の従業員の提供する特製のアメリカっぽいハンバーガーやホットドッグを楽しんだのであった。さて天候にも恵まれたこのイベントの唯一の問題点でったスタート時間の繰上げは、どうもランナーが滑走路を横切る時間と到着機の着陸時間が重なったためマラソンのスタートを早めた様であるが、この辺りは軍事優先の基地を使用する以上しょうがない。それにしても自衛隊の基地の中を毎年開放して開かれる大きなマラソン大会などはないのに、米軍は多くのボランティアーを動員して毎年基地でスポーツイベントを開催している。在日米軍と近隣住民と云うと、とかく交通事故や暴行事件などの悪い面で注目を浴びがちだが、こういうイベントを通じて住民との共生を計っている姿勢が垣間見えたのでった。
20100119

鬼コーチ 2010-01-20 20:18:50
テント設営管理様者へ。競技場のテントとサロメチールと云うと何だか青春の思い出が・・・・。高校時代の競技場を思い出し感激でした。

さて走っている間、尿意と便意はどちらが我慢できるか、私が40年間もかけて自らの体を使って実験してきた壮大なテーマ。尿意も発汗で和らぐし、便意も走る苦しさに紛れる事もあり・・・・。まあ出る物なんとかところ構わずという事か。

ポイントはレース前日お鍋など植物繊維の野菜を取らない事。前日は消化の良いものとかスパゲッティイなど炭水化物を摂って、当日朝はお餅。これで行こう。


テント管理人 2010-01-19 23:18:04
ハーフマラソン、お疲れ様でした!マラソン大会初出場(駅伝大会は経験していましたが…)の小生も、スタート前は緊張で尿意が断続的にありました。が、スタートした後は基地内を色々と走りまわるコースに少々戸惑いつつも楽しく21キロを走ることが出来ました!

「Good job!」という沿道の声援も新鮮で気持ち良かったです。贅沢を言えばもう少し航空機(戦闘機など)が展示してあったら…と思いましたが、それでも十分楽しむことが出来ました。

東京マラソンは、都内の観光名所をギュッと詰め込んだコースで、更にギャラリーの数も半端ない…と思うと、ほんとワクワクしてきますが、フロストバイトの2倍の距離を走らないといけない…と思うと、かなりブルーになります。

が、我々には経験豊富な名伯楽がいらっしゃるので、とても心強いです。

残り6週間弱、ご指導の程、宜しくお願い致します!

2010年1月16日 (土)

中国市場

GOOGLEが中国から撤退するという。言論の自由がなく報道が検閲されるという事は、インターネットの基本精神と反する訳だから、この分野のサービスを展開するGOOGLEが撤退するのは当然だろう。それにしても資本主義経済を採りいれながら、共産党独裁の中国の体制は一体いつまで続くのだろう。資本主義・自由主義・民主主義はバランスをとりながら機能し合う事が我々の生きている社会の存立基盤であろう。自立した個人の自由意思による経済活動が資本主義の根本であるし、個人の自由が保証され機能するのは報道の自由、言論の自由が保証されていなければならない。言論や報道の自由がなく選挙が行なわれない社会に基盤を置いた中国型の資本主義経済は短期的には成功しても長いスパンで見るとうまく機能するのだろうか。

正月になって米国の台湾へのミサイル輸出問題で、米中間がきしみ始めていると云う。米中がぎくしゃくする今こそ、普天間移動に関する2006年の合意を速やかに再確認する事が、日本の政府に求められている事ではなかろうか。しかしハイチで大地震が起きても、中国などは早速救援部隊を送っているのに、首相はそんな事にはほとんど関心がない様である。外交や国防にはまったくノー感で、ひたすら内向きの衆愚政治と仲間のかばい合いをする今の政権にほとほと嫌気がさすのである。

2010年1月15日 (金)

株主責任?うーん?

JALが会社更生法を申請するに当たり株は100%減資されると云う。私も妻も僅かだがJALの株を持っているので、これまでどうなる事か気をもんでいた。昨年末までは更生法適用でなく、銀行の債権放棄をメインにした私的再生で行くと云われ、いわゆる株主責任はほとんど報道されていなかったから半額減資くらいか、と思ってのんびり構えていたのが実情。ところが先の3連休を挟んで裁判所管理下で再生かつ100%減資の方向に大きく方針が代わり、ぼんやりしていたら売る機を逃してしまった。どうやら”先送り・迷走”が代名詞になった民主党政権ならではの再建策の日替わりダッチ・ロールに災いされてしまった様だ。

これがいわゆる株主責任だという事は、資本主義経済の中で活動する人間として所与の事として受け止めるが、”言葉の問題として”我々の様な末端の個人株主まで”株主責任”という言葉でくくられるのはいささか違和感を感ずる。所有する株が紙屑になってしまうのは仕方ないが、株主責任と言われると何の責任があるのだい?とも開き直りたい。我々株主優待目当ての様な少数株個人株主には、”株主責任”などといわず”自己責任”で株が紙屑になってしまった、と云われる方がぴったり来る気がする。民主党の政権が、JAL再建に関わった時から来るべき迷走を予感して、早めに株などを売っておくべきだった、そういう意味で先読みできなかった点では自己責任である。

実際問題として少数株を保有する個人株主には経営者を選任したり監視する事などできないのだから、今回の会社の破綻に少数株主などは実質なんら責任はない。「株主責任として100%減資」と表現されるより”100%減資のツケは自己責任”と云ってもらった方が自分の愚かさが却ってはっきりしてすっきりする。

2010年1月14日 (木)

ハイチ地震

ハイチの地震は巨大地震が都会近くの浅い場所でおこった様で、我々には阪神大震災を思い出させる悲劇である。地震国日本なら被災した人たちになる事や瓦礫の下の人を助ける様々なノウハウが蓄積されていると思うが、なにせ地球の裏側の出来事である。いたずらに出て行って混乱に拍車をかけても拙いのだろうか、まだ積極的な救援の手段は日本から発表されていない。

さて地震のおこり得る地域は世界中にあるのだが、日本の耐震構造の設計・建築などのノウハウをもっと世界的に利用してもらえないのだろうか。さらに世界的に高速鉄道が見直されているらしいが、ヨーロッパのメーカーとの熾烈な競争の中で、地震に強い日本の新幹線システムがもっと評価される様になって欲しいとも思う。激烈な災害にしばしば見舞われる我が国の知恵や経験が、もっと世界の安全の為に利用される事を望みたい。

2010年1月12日 (火)

お宝映像その2

お正月のマラソン合宿中も我々は本当の選手ではないから、宮崎神宮に初詣に参ったり、宮崎地鶏を食べに行ったりと適宜お楽しみイベントも散りばめて義弟・妹にフラストレーションがたまらない様に工夫する。肝心の東京マラソンの前に、走るのはもう懲り懲りと思われてはコーチとしては辛いものがあるので、ここはアメと鞭作戦なのである。という事で1月2日は、皆が走っていた間ちょっと退屈していた小学一年生の姪の為に午後の練習はお休みにして、皆で宮崎フェニックス動物園へ出かける事にした。

フェニックス動物園は宿泊地のシーガイアからクルマで5分ほどの至近地、田舎の動物園なのでジャイアントパンダの様な超”目玉”動物もいないが、折りしもお正月には恒例の”ゾウの書初め ”と云うイベントがあるそうで結構人が出ている。これはゾウが鼻に筆を持って、ゾウ使いの指示で画用紙に字を書くのだが、どうやらこの”ゾウの書初め”は全国的に有名な新春恒例イベントらしくNHKと民放のテレビ局クルーがスタンバっていた。

正月風物詩のゾウの芸の場面では、子供が喜んでいる姿を映像に流すのが普通だから、ゾウの書初めが終わったあとちょっと色気を出し、カメラクルーと視線が合うような適度な距離を置いて姪とその場に佇んでいると、やはりやって来ました民放テレビの方のクルー。こんな時あまり物欲しげに目立ったりするのもナニだが、かと云って遠慮などしていてはテレビは他の子供を映しに行ってしまうものである。撮影クルーに適度に呼吸をあわせつつ微妙な目線と雰囲気で彼らがさらに近づくのを待っていると「ちょっとお子さんに伺って良いですか?」とインタービューの申し込みが。 ”ほーら来た、待ってました”とばかり余りにも露骨に反応するのも嫌なので、やや平気を装いつつ「私たちで良いのかしら?」などと心にもない素振りで「ハイ」と絶妙のタイミングをはかりながら答えるのが難しい。

「ゾウの書初めはどうでした?」とお約束の質問に、7歳の姪は「書けると思わなかったし、何か可愛かった」とはっきりと答えたのだが、こんな場面でテレビ受けする答えが咄嗟に出るとは、これから入試や就職の面接でも大丈夫だと我が姪ながらひそかに誇らしい。丸の内などでインタビューされると、わざと世の中の人が考えているのと反対の答えをして、何度もボツになった伯父(すなわち私の事)とは大違いだ。映像が採用されるかどうかはわからないが、さっそく宿に帰ってローカルニュースの時間を今や遅しと待ち受けていると、正月名物として象の書き初めがニュースでも大きく採り上げられ、姪のインタビュー画像も流された。そして驚いた事にはこの取材画面は宮崎地方だけではなく、全国ネットの東京キー局のニュースでも流れていたのであった。

実際テレビの影響とはすごいもので、姪たちは帰京後「テレビ見ましたよ」と早速マンションの管理人に声をかけられたそうである。箱根駅伝と云い、ゾウの書初めと云い今年は春からメディアづいている様である。

ゾウを眺める我々観客が映ったテレビ画面
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2010年1月11日 (月)

お宝映像

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最近は母校も箱根駅伝の本選に出られないので、お正月も熱心にテレビで駅伝を観戦する事もなかったが、昨年は新しいHDDレコーダーを買ったので、妻が興味半分にお正月番組を録画している。で、正月3が日は宮崎で合宿だったので、この3連休は駅伝中継などそんな録りだめした番組を少しずつ見て見ていた。なにしろ昨年の妻に続き、今年は義弟・義妹夫婦が東京マラソンの抽選を突破したので、にわかにわが家周辺はランニングブームなのである。

画面の山登りの東洋大学の柏原君の快走などを見て 「 凄いね~ 」 などと妻と語り合っていたら、コマーシャルの前に例によってかつての箱根駅伝の名場面などが流される。何と云う事もなくボーっと画面を眺めていると、何だか見たことのある情景の中を見たことのある様な選手が走って行く。一瞬、目が点になり 「 アレー!これはオレだ ! 」 と思わずテレビの前で大きな声を上げ、あわててディスクを戻して画面を食い入る様にチェックすると、そこには紛れもない40年近く前の私が走っていく姿が・・・。 僅か数秒だがカメラの前をかなり大写しで通過していくのを何度もスローにしたりコマ送りしたりして見直し、”ソリャー見たことある選手だよ、これは自分だからな”と、もうわが目を疑う事もなく妙に納得する。

それにしても当時は、随分カメラのクルーがあちこちでフィルムを撮っていた記憶はあるのだが、駅伝中継はラジオのみでビデオなんて便利なものはない時代である。正月明けに学校に行くと、クラスメートから 「 映画を見にいったらおまけの読売新聞ニュースでオマエの走っているのが映っていたのでびっくりしたよ 」 などと言われたので、どこかに映像は残っている事はわかっていたのだが、特段探す事もなく気にもしていなかった。しかしこうして何十年かの時を経て、昔の自分が映ったフィルムがテレビから流れてくると、何十年ぶりのかつての自分と茶の間で対面したようで、何だか春から縁起が良いやという気分にもなってくる。

昨年、親戚と行った箱根駅伝博物館では、妻の妹たちが 「 おにいさんの映像があったら、きっとセピア色の縦に模様が入っているフィルムじゃない? 」など笑っていたが、「 見ろ妹達よ、セピア色じゃないぞ、総天然色だぞ、カラーだぞ 」と言ってやりたいものだ。

リーダー 2010-01-12 19:20:09
足袋は戦前だよ。でも当時はまだ良いシューズがなくてオニツカ・タイガー(現アシックス)か、新大塚にあったハリマヤという長距離シューズ専門店のどちらかを関東の選手はよくはいていたよ。ステップの山梨学院OBのお兄ちゃんに聞いたら、「ハリマヤの名前は知ってます。もう閉店しましたけど伝説の店ですよね」って。今の若い子も知っているんだ。

今週は絶食してハーフマラソンに挑戦?


妹① 2010-01-11 23:53:27
すごい!

早く映像を見たいです。

セピア色もそうだけど妹②からは「お兄さんのときは何を履いて走ってたの?足袋?」とも聞かれてましたよね・・。

私は明日から本格的ダイエットに入ります。夫や娘のような風邪の腹痛による自然ダイエットを待っていたけど波がこないので。

膝痛軽減に向けたウェイトコントロールっつか、重過ぎて痛いらしい。ふぅ。

2010年1月 9日 (土)

祭日より有給休暇を

この週末は成人の日があってお正月が終わったと思ったらまた連休だ。「 エ、また3連休? 」などとつぶやいていると「 緩い労働をしている人は、曜日も気にならないのね、気楽でいいわね 」などと妻からちくっとイヤミを言われる。それにしても日本は休みが多すぎるのではないか。アメリカ人は日本人よりもっとバケーションを楽しむが、こんなに国民全体で休む日はなかったと駐在時代のカレンダーを取り出してみる。皆が有給休暇を活用してもっと自由に長い休みを取得していたし、ヨーロッパではアメリカより長期連続休暇をとる人がもっと多いそうである。

報道によると、観光庁は自治体ごとに学校や企業が休暇をずらして取得する実験を始める事を決めたそうだ。この実験では参加自治体の小中学校の夏休みを短くする代わりに秋休みをつくり、地元企業にも秋休みの設定を要請して家族単位での休暇の分散化をはかるという。これによってゴールデンウイークやお正月など特定の時期と閑散期の旅行客の差を少なくし、観光産業の安定に役立てると云う。これも有意義な実験であるとは思うが、それよりまず私は日本で有給休暇の100%消化運動を国民的に推進したらどうであろうか、と考える。

企業の終身雇用制度もすでに曲がり角を迎えた今、これまでの様な滅私奉公的な考え方を持つ労働者もあまりいないであろうし、有給100%消化運動は、老若男女で仕事をシェアーする事にもつながるのではないか。それでも休まない人や休ませない企業には制度的にペナルティーを課す様にしたらどうだろう。そういえば有給休暇を取った日、同僚が一生懸命に働いている事を思うとちょっと後ろめたい気もしたものだが、朝ゆっくり起きて朝食を楽しみ、空いている博物館・公園や買い物などに出かけるととても得をした様な気分で、普通の休祭日の休みより有意義な気がしたものだったが、そんなサラリーマン時代もちょっと懐かしい。

2010年1月 7日 (木)

調査捕鯨

シー・シェパードの高速船が日本の調査捕鯨の船にぶつかって大破・沈没した。国際捕鯨取締条約で認められている調査捕鯨に対し大変危険な行為で、わが国がその高速船の旗国であるニュージーランドや、ベース基地のオーストラリアに抗議をするのは当然の事であろう。しかしそれはそうとして国際条約でどの国にも認められている調査捕鯨なのに、なぜ日本だけが世界的な反感を買うのであろうか。今朝のテレビニュースで豪州の関係閣僚も「 シー・シェパードの危険な行為は許されないが、豪州は捕鯨には反対 」と言う趣旨のコメントしており、この問題はどうも今一つわからぬ。

国際捕鯨委員会では、伝統的な沿岸漁業や先住民には捕鯨を認めると共に、各国に調査捕鯨をする権利を与えているものの、日本の調査捕鯨には自粛を求めていると云う。憲法では認めているが、あんたのやっている事は、憲法の基本精神から逸脱した行為じゃないか、と言われている様な感じでもある。これは、日本の調査捕鯨が、調査の結果しだいで商業行為を始める為に行なわれている、とみなされているからだと云う。つまり「増えているなら捕鯨を再開してもいいはずだ」という文脈で日本が調査捕鯨を行っているのに対し、捕鯨委員会の大勢は鯨が生態的に増えても捕鯨は『悪』で、調査捕鯨の結果に関わらず商業捕鯨は許可しないと、双方のスタンスに根本的違いがあるらしい。ベースが違うから、反捕鯨国は日本の調査捕鯨に対する敵対意識が強く、我が国が年間約1000頭と云う調査サンプルが必要と主張しても、彼らは「 それは捕りすぎ、すでに商業ベースの捕獲ではないか 」と批判する様である。

これに対し日本側は日本の食文化などを持ち出して反論するのだが、我々の世代でも給食でおなじみだった鯨肉の味は、すっかり過去のものになり忘れてしまった。「鯨肉」と云えばたいがいは、飲み屋の珍味などになっている事実をみると、どうも調査捕鯨が”商業ベース”と外国から見られるのも仕方ないかな、とも思ってしまう。そもそも調査の結果、商業捕鯨に充分な鯨がいると判っても、世界的な反捕鯨のうねりの中で日本の大手水産会社などは、評判を気にしてとても船団を外洋で展開できないのではないか? また他の水産資源を鯨が捕食してしまうという問題も、人間が本格的な商業捕鯨をしていたのはここ数百年に過ぎず、それ以前は鯨の個体数は自然に任されていた訳だからあまり理屈にならない。世界から嫌われてまで捕鯨を続けようとする本当の理由は、一体何なのだろう?

ルールの問題として捉える日本に対し、捕鯨の是非の問題とする欧米が相容れないのが、現在の深刻な対立の原因の様である。 シー・シェパードの妨害は強く批難されるべきものだが、そもそも米の輸入など農業分野では我が国に入ってくる農産物のガードを上げ、水産の分野では世界から自由に鯨や魚を獲って来ようとしている農林水産行政は、我々部外者から見るとどうもそのポイントが分からないのである。

2010年1月 6日 (水)

宮崎神宮

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今年の初詣は合宿中の宮崎で宮崎神宮に行った。初めてお参りした宮崎神宮だったが、神武天皇をお祭りする格式の高そうな社殿と大変な人出にびっくりした。なんでも神宮と云うのはあまたの神社の中でもかなり特別な存在で、伊勢神宮を筆頭に全国で20数ヶ所しかないそうだから、そのたたずまいの立派さや人出が多いのもわかった気がする。そういえば神社には格式があったり、祀られているものが様々である様だが、一体それらはどういう事になっているのだろうか、などとお参りしながらもふと疑問が湧いてくる。私たちが手を合わせて二礼二拍一礼している対象は、キリスト経や仏教でいう神様とはやや違うようだが、身近に神社があちこちありすぎて、そんな事は今までは考えた事もなかった。

という訳で、にわか勉強であちこち検索してみると、どうやら神社と云うものは、もともと祖先や自然を崇拝し敬意を表す民間信仰のお祈りの場所に、雨露をしのぐ為に作られた参拝用の建物だと云う。アニミズム的な土着信仰が対象だったから、大昔は拝殿がないのが普通だったが、時代が下るにつれ寺院建築の影響も受けつつ社殿が整備され、国家の統制や天皇制などと関わりながら、様式や社格が体系化されていったらしい。教会や寺院と違い、そこに祀られているものを拝む為の建物なので、滝や山などが祭られている様な所では、かならずしも社殿が必要ではないようである。そういえば昨年夏に行った那智大社の飛瀧神社も瀧が祀られていて、神殿はなかったなあと改めて記憶の糸を手繰り寄せる。

格式と云う点では、古代律令制下で国家規模の神社(官幣)と地方ベースの神社(国幣)が別れ、それぞれに大国幣・中官幣などと大・中・小の区別をつけ、中世になると一宮・二宮など勢力によって分ける別の方法も導入された様だ。さらに穀物収穫の神様であるお稲荷さんや、菅原道真を祭った天神さん、明治時代になって英霊を祀るための招魂社(護国神社)なども加わっていったのだが、その多様さは一夜漬けでは到底わからない。様々な切り口から八百よろずの神様が日本を鎮守し、時には仏教とも混淆するあたりは、まさに日本的シンクレティズムの大らかさの象徴の様に思われる。信仰に対するこの様な融通無碍な対応というのが、日本人が地理的特性や歴史的条件から身につけた大きな美点ではないだろうか。

日本人として知っておいた方が良い、ちょっとしたこんな知識を授けてくれるきっかけになった宮崎神宮は、さすが由緒正しい神社、霊験あらたかだと春からちょっと嬉しい。

2010年1月 4日 (月)

年寄りの冷や水

東京マラソンに備えた義妹夫妻との3泊4日の宮崎合宿は、ひとまず昨日無事終わった、と書きたいところだが、そうはいかなかった。まずリーダーの私が風邪を引いて最終日の練習をパス、ようやく帰った東京で、昨晩妻がなんだか寒気がすると言って体温計を当てると8度の熱、続いて元気に練習をこなし、レンタカーのドライバー役も引き受けてくれた義弟が帰宅早々倒れたそうで、昨夜は9度の熱を出したと朝から携帯メールが親戚間で飛び回っている。

幸い皆インフルエンザでなく、疲労で風邪を誘発した様だが、そういえば一流のマラソン選手も冬場の走りこみの際には、風邪を引き易くなると言う。合宿して風邪を次々引くとなると、その面では我々も一流並と言えようか? 考えてみると一番張り切って予定の練習約65キロをこなした義弟が9度の熱、60キロ程走った妻が8度、45キロでリタイアした私が7度5分の熱をだし、マイペースで40キロあまりを走った義妹は何も起こらなかった事になるが、練習量とでた熱が反比例するあたり、これは明らかに何とかの冷や水だ、と言う声が外野から聞こえてきそううである。

それにしても、東京マラソンに備えてマラソン合宿でもしなければね、と冗談まじりで言っていたのが、こうしてあっと云う間にホテル・フライト・レンタカーなどの手配をして合宿を実現させたのは義弟夫婦の行動力の賜物。二人とも中学・高校・大学とホンチャン運動部に所属していただけの事はある。この”のり”は体育会”系”ではない、体育会なのである。ほうほうの体で終わった合宿だが、夕飯で宮崎名物の地鶏料理や宮崎牛の焼肉を食べ過ぎて、走るのはあんなに辛かったのに一向に体重が減らないのは一体どうした事だろう。

宮崎名物、地鶏の炭火焼き
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リーダー 2010-01-07 20:20:56
禊池で、生血をいけにえに捧げた為?

今年も仕事頑張って!


40キロ 2010-01-06 22:31:22
そして私は昨日、娘を連れてお医者に行ったときに「たぶん私もうつってるので、お腹の薬をください」と言ってもらってきたのにまだ兆候なし。

家族の体調に合わせて体に優しい食事をしているにも関わらず体重も維持。

本当に最後の一人になるやもしれぬ。

これも禊池で穢れを落としてきたおかげか。だとすると、いつまでも風呂に入るたびに痛い膝小僧の怪我も愛らしく思えてくる・・。


リーダー 2010-01-06 21:27:07
ハンドル・キーパーさん

ハンドルご苦労様でした。ただハンドルを握っている間でなく良かったかも。

電車の各駅の構内配置図は、一応頭に入れておいた方が何かと切迫した時に役立つかも・・・・・。


ハンドルキーパー 2010-01-06 16:50:27
ようやく回復の兆しが見えてまいりました。昨日より仕事始め。二日目の今朝は寝過ごし、更に、発熱の為に緩んだお腹をかばい、途中下車すること2回。幸い本日は半ドンだったので助かりました。

合宿後遺症はボディーブローの如く、お腹に響いております。

皆様、ご自愛下さい!


リーダー 2010-01-04 23:12:05
地球最後の一人になっても生き延びる。


40キロ 2010-01-04 22:43:36
マイペースで走り、食事もモリモリ。

熱を出さないどころか体重1.5キロ増。

どうしよう・・・

2010年1月 3日 (日)

日高義樹のワシントン・レポート

東京12チャンネルで日高義樹のワシントン・レポートという番組がある。日曜日の午後4時から1時間以上の枠の不定期番組で、諸外国の高官へのインタビューを通じて国際政治・経済の潮流や展望を分析する硬派の番組で、もう20年くらいも続いているだろうか大変な長寿番組でもある。保守派の観点から国際関係に切り込む視点が大変興味深いのと、永年ワシントンで勤務しながらいわゆる日本人的な英語を駆使しつつ、インタービュー番組を構成する日高氏の姿勢に大変好感がもてて、私は永年この番組のある週は、日曜日の午後4時にテレビの前に座るか、録画のセットをするのである。

その中でもう15年ほど前になろうか、日高氏とアメリカの元国務長官のキッシンジャーとの対談で、キッシンジャー氏が 「 覇権国家である中国の台頭で、21世紀の早い時代に米国と中国が太平洋の覇権をめぐって大変危険な状態になる 」と言っていた。当時は中国といってもまだこれから徐々に伸びつつある国で、まさかアメリカと覇権を競う様な国に高々10年少々でなる訳がない、と私はキッシンジャー氏の大胆な予想にびっくりしたのだが、事態はまさにその方向に進展している様で、彼の卓見に改めて脱帽する。先年、太平洋の東半分をアメリカが、西半分を中国で管理しようという類の中国首脳のコメントがあって物議を醸したが、昨年末のCOP15でみせたしたたかな中国のやり方をみると、鳩山政権の”友愛”などはまるでおままごとの様に思える。

さてキッシンジャー氏が予測したように、いよいよ中国の本質が露呈されようというこの時期に、民主党の言う「東アジアの友好」などは必要なのだろうか。世界の中心の国という意識をもつ中国だが、その覇権国家の周辺に位置する諸国が、歴史上一体どれだけの苦痛と脅威を味わってきた事だろうか。反対に日本は、中世・近世を通じて中国に様々な影響を受けつつも決して属国にはならず、適度な距離を置いたり鎖国をして独自の文化を創った賢さはハンチントンの「文明の衝突」でも紹介されている通りである。さらに中国において、共産党は「抗日戦で日帝」を破った事が国民支配のレーゾンデートルにもなっているので、反日思想のプロパガンダを簡単にやめるとは考えられない。

我々は、何も「東アジアの友好」などと声高らかに言うのでなく、ただひたすら日本製の良い製品や立派な社会のシステムをつくり、これらの国から訪れた人たちに日本流の良いサービスを行い、音楽や芸能・アニメなどの文化で発信し続ければ良いだけではないだろうか。低姿勢で近づくのはやめ、そのために経済的なデメリットがあっても甘受し、ちょうど米国文化がハリウッドを通じて世界標準になった様に、日本文化の先進性が東アジアに理解される様、次世代に期待するのである。またインドやベトナムなど中国を地政学的に包囲する国との交流を深めるべきではないだろうか。

何より太平洋という適度な距離の自然の防波堤があり、この65年間”トラスト”できたアメリカとの友好と信頼をより深める事が一層求められているのではないだろうか。同じアジア人であるとか、東アジアに住む人々との友隣関係など、耳障りの良い言葉に躍らされていないで、かつての日英同盟がどういう役割を果たしたのか、アメリカの精神や長所・短所は何なのかなど、もっと知っておいた方が良いのではないかと私は思うのだ。軍事予算だけでなく、いよいよ国際政治にもその存在を示そうとする中国の脅威を感じる2010年初頭に、いささか極論とは知りつつ、私はこんな新脱亜入欧の感想をもつのである。

2010年1月 2日 (土)

宮崎合宿

お正月は東京を離れて宮崎でランニングの合宿をしている。義妹夫婦がそろって2月の東京マラソンの出場抽選で当たったので暖かい宮崎で走りこみをしようという新春特別企画である。合宿場所のシーガイアリゾートではこの時期に東京では見られないツバメが飛んでいるのだが、残念ながら今年はそれほど温暖ではなかった。しかし松林に囲まれた林間の道は適度な起伏があって外国のリゾートにいるようで走っていても気持ちが良い。

それにしてもシーガイアリゾートの施設は、不景気のためにネット対応やウオシュレットの投資ができないのだろう、少々くたびれていてバブル期の象徴である豪華な施設は元旦を除いて人もまばらである。近場のジャスコとイオンの入った新しいショッピングセンターが家族・親子連れで大変な賑わいであるのと好対照で地方の活性化の難しさというのを感じる。

31日から始まった走りこみももう3日目が過ぎて、体はあちこち痛くおまけに風邪まで引いていて、新年早々もうがたがたである。しかし合宿などは20歳台以来のイベント、当時は朝は生卵にドンブリメシ、昼はカレーライス、夜は揚げ物程度の食べ物で始終腹をすかして運動していたが、今回は宮崎の地鶏や牛肉を食べながらの合宿である。たまには朝起き抜けに、ああもう走りたくないと痛切に思いながら目覚めるのもまた良しかな、練習が終わればうまい宮崎のご飯が待っているし。新年からYOUNG AT HEARTである。

ホテルの部屋から見た日向灘の初日の出
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