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2009年12月

2009年12月31日 (木)

おおみそか

という訳で、今年も好き勝手にづらづらとブログを書きなぐってきた。その道の専門家ではない事がらが多いので、ものごとを良く知りもしない上に幼稚な文章でブログを書いていると時々ひとり恥じ入ってしまう事も多い。

そんな2009年であったが、今年は父の成年後見人手続きと逝去という事件があった。高齢であった事やこれまでの経緯を考えると、父が亡くなった事はむしろ天命と感じるのだが、成年後見業務や諸手続きを進める中で、法務局や家庭裁判所、弁護士や司法書士、いろいろな金融機関との折衝が重なり、これまでの人生で初めて経験する事が今年はかず多くあった。法的手続きのほか有料老人ホーム入寮手続きや後期高齢者・終末医療の実際の場面、老人に対する行政への対応なども家族として参加する事になり、その実態を主体的に理解できた事が多々あった。公務員共済と厚生年金のデータが共有されていないなど年金の問題も実感として捉えられたし、社会保険事務所が極めて真摯に対応してくれた事も驚きであった。

これらの様々な手続きを通じて、一人の人間は生物的に生きると云う事のほかに、社会的な様々な仕組みによって生かされていて、そのデータはいささかバラバラで非効率的ではあるのだが、それぞれが何らかの形で補い合い、織物が紡がれるように一人の人間の存在が担保されている事を実感したのであった。私でも年齢を重ねるに従って「 人は一人で生きているのではない、周囲の人や家族、社会や天から生かさせてもらっている 」 と珠勝にも感じる事があるのだが、父の後見人業務や死亡に伴う諸手続きを契機に、倫理的な意味だけでなく現実的にも益々そう云った念を強くした一年であった。

明日から2010年代、社会への文句や注文はブログに留め、心穏やかに楽しく過ごしたいものである。

2009年12月30日 (水)

年の瀬の床屋政談

21世紀の最初の10年が終わった。考えてみるとこの10年間のほとんどは、新自由主義的な経済が世界の主流だった為に、日本もその影響を受けて大企業の収益は回復したものの、それが企業のバランス・シートの改善に寄与するだけで、従業員にあまり還元されなかった点はあった。その他コンプライアンス制度や企業ガバナンスなども西欧のスタイルがかなり取り入れられたが、ややもすると制度だけが先走って日本の企業文化に合っていない点があったと感じる。もし1980年代のジャパン・アズ・ナンバーワン時代であったら、こういった略奪的西欧経済に日本も席捲されなくてすんだかもしれないが、資本が世界的に瞬時に移動し、日本もその中に組み込まれている現在では、こういう”旬”の世界基準に合わせざるをえない。

こうした経済面での”行きすぎ”が日本に影響を与えた面はあったものの、10年間のうちの中核時期2001年から2006年までの小泉内閣を、私はやはり評価したいと思っている。シンボリックな意味での郵政改革で問うたのは、旧来の既得権益の打破と新しいシステムの構築であり、当然かなりの痛みを伴うものだが、国民は新しい時代を拓くものとして大いに期待したのではなかったか。国に何かを期待するのでなく、次世代の為に我々が改革していく、痛みを感じながら前進するのだと云うメッセージががあった様に思う。ところが小泉首相の後任の安部氏は郵政造反議員を復党させてしまい「 あらら 」と思っていたらあっさり退任、福田・麻生政権も「 実は小泉改革に反対だった 」などと今更ながら発言していた。サッチャー改革の様に苦しくともいま改革しなければ手遅れになるという決意が、少々の眼前の苦しさの前にいともあっさり覆されるを見て、私は自民党では改革できないとすっかり失望してしまったのである。

しかし国民の期待を載せて船出した民主党政権は予想以上に酷く、政権担当能力がない事がはっきりした様だ。消費税を上げる事は4年間やらず、このまま財源なきバラマキ政治をしていたら国債の引き受け手が国内からいなくなり、来年にはデフレ下の政策金利暴騰と云う想像を絶する事態がくる事を恐れる。一方外交面で何も決められない鳩山政権では米国からの信頼を失う事が必至であり、この機に乗じて中国は東シナ海の資源利権や尖閣諸島について露骨な軍事的恫喝を強めるであろう。そうなってからでは遅いのは米国のプレゼンスが低くなったフィリピンに対して、南沙諸島の軍事的支配を強めている中国のやり方を見れば自明の事であろう。連立を維持する為や参院選挙の為、どうも民主党の存続の目的に、国民生活が人質にとられた様な大きなピンチが来年は招来するのではないかと私は危惧している。

これまで新年を迎えるのに政治の先行きなどあまり考えた事がなかったが、今年はこんな事を考える年の瀬である。頼むから来年、外国人に参政権など与えないでよ、それから第2次大戦で占領された地域を「合意」した通り返却したのは、アメリカだと言う事実を鳩ポッポさんは忘れないで欲しい。

2009年12月29日 (火)

ラグビー大学選手権

2年ほどお正月の時期はグアム・サイパンクルーズに行っていたが、今年は久しぶりに国内に留まるのでお正月のラグビー大学選手権が楽しみである。「今年はどうだい」と元部下の早稲田のラグビー部OBに聞くと「やっぱり早稲田が強いですよ」「慶應はあんまり強くないですよ」と言う答えが返ってきた。OBと云っても彼は早明戦や早慶戦にも出た一本目中の一本目、最近はクラブチームでプレーしているらしいが、卒業後オール早稲田のメンバーだった程のホンチャンなので目も肥えていようと云うもの。いつも遠慮なく明快な答えをする男なので、「そうか、やっぱり早稲田か」と思っていた。サッカーや野球は弱いと云われていた方が、一点とって守りきって勝ってしまうなど、番狂わせも時々あるが、ラグビーは大体強いと言わているチームが勝つ場合が多いので、今年も早稲田の連覇を見るわけだ、などとなんとなく思っていた。

ところが先週の大学選手権2回戦では早稲田が帝京に負け、弱い弱いと云われた明治が関西王者の関西学院に圧勝で、ベスト4には慶應、東海大、帝京、明治と対抗戦グループ3校、リーグ戦グループ1校と云う事になった。どうも以前に比べると最近は、選手の素質や体力のほかに練習方法やコーチング技術の発達、データ分析などの点でラグビーの質が変わりシーズン当初に巷間伝えられた下馬評が覆る事も多い様だ。お正月明けに早稲田OBの元部下にあったら何て冷やかしてやろうか、などとちちょっと意地悪な考えが頭に浮かぶ。

大学選手権の準決勝に勝ち進んだ4校の実力は横1線のようであるが、シーズンに入ってからの伸び代が多い方が選手権では勝ち残って行くという傾向から考えると、東海大や帝京が強そうである。しかしラグビーに限らず学生のスポーツに、外国人の補強というのはどういう理由をつけようと私は馴染めず、外国人選手に頼る帝京や東海はやはり応援する気になれない。やはり50年近くラグビーを見続けたオールドファンにとっては、外国人に頼らない対抗戦グループの明治と慶應に勝ちあがって欲しいのである。

2009年12月28日 (月)

Beaujolais Vieux(ボジョレー・ヴィユー)

金曜日の夜、妻が嬉しそうに帰って来た。今年のボジョレー・ヌーボーは50年に一度の出来だという噂を聞き、解禁日から数日後にスーパーやコンビニに行った所、ワインはすっかり片付けられていて買いそびれた話を以前アップしたのだが、そのボジョレーに奇跡的に再び邂逅したと言う。職場近くのコンビニに何気なく入ったところ、クリスマス商品などが並んだ 「 こちらの商品はすべて半額 」 という棚に、ボジョレー・ヌーボーも二本並んでいたと云う。値段は半額なので1,000円、これは買うしかないと思ったそうだ。

一度は諦めた2009年のボジョレー・ヌーボーを思いがけず飲めることになったが、新酒はやはり年内に飲むしかない、と早速土曜日に飲むことにした。そういえば以前一緒に四国をレンタカーで旅行した際、街道沿いで売っていた伯方島のしお饅頭を買いたがっていた妻を、駐車するのが面倒なので「空港にでもあるよ、そこで買おう」と言って通り過ぎてしまったが、広島空港には愛媛県の伯方島の特産品は置いていなかった事がある。あの時に買っておけば良かったと、その後何年言われた事か。いや妻の一旦取りそこなった食べ物への執念は凄いものがある。

待望の今年のボジョレー・ヌーボーだが、このお酒はその年のブドウの出来を見るために「とりあえず出来たので早く飲んでみる」という性格のワインであると云う。過度の期待は禁物、とばかりボトルキャップの蓋を開けて飲んでみたところ、予想通り軽い味。これはじっくり味わうと言うよりは、ブドウの収穫を祝い、旬でお酒の誕生を楽しむためのものであろう。あっと云う間に二人で開けてしまうのは、ボジョレーの軽さゆえか、妻の父が生前ボジョレの事を「プロモーションが成功して皆が有り難がるようになった」と言っていたそうだが、早飲みワインもそれはそれで良いものである。
20091228

2009年12月26日 (土)

数字のウソを見破る

飲酒なりストレスなりある生活習慣を続けたり、何かをしたり或いはしなかったりすると死亡率が○○パーセント上がる(下がる)などと言う記事をみると困惑する。人間はいつか100%死ねのに、死亡率が上がる(下がる)とはどういう事なのだろうか。そういう説明の際は、少なくとも、母集団がどういう人達で何歳の時点である行動をとったら、そうでないと明らかに区別される人達と、○○年後に統計的にどの位意味のある差が出たという事が同時に解説されなければ納得ができない。統計の設定方法、分析や意味というのは大変難しいものだと思う。またメタボ検診や糖尿病検診でひっかかる人が日本人の多数を占めていると云われているが、それでいて世界で最も長寿国の一つであると云う事の意味は解説されていないのはなぜだろう。毎日健康にかんする様々な情報が、あらゆる媒体を通して我々に降り注いでいるが、本当の処は一体どうなのであろうか、私などはメディアなどで放送されたデータを前に首を傾げる事もしばしばである。

そんな疑問を常々持っていたので、PHP新書の新刊「数字のウソを見破る」を早速買ってみた。この本は2部構成になっていて、医療・健康パートをテレビでおなじみの中原英臣医師が、社会・経済のパートを科学評論の佐川峻氏が執筆しているが、呼んでみて「なるほど」と得心する部分が多い。医療の部分では健康診断の問題点や、医師不足(実は医師の偏在)、医師国家試験の合格率など、日頃 「 そうだろうな 」と思う事が統計データと共に解説されている。我々は、健康診断の産業医の視点も実際の臨床医の視点も区別がつかないから、出てきた数値に一喜一憂するばかりだが、昨今の毎日メディアーから流される健康キャンペーンを見ると、各自それぞれ違う素因や環境の中で、本当に適切な予防・医療をうけるにはどうデータを捉えたら良いかと考えさせられる。

社会・経済の部では統計誤差がもつ意味を始め、アンケート調査の質問の設定で答えが変わる、設問者に都合の良い様なアンケートの結果が発表されるなどと数字のマジックが指摘される。地球温暖化が本当であるのか、テレビの視聴率は正しいのか、「子供手当て」が有効かなど日頃気になるテーマがデータと共に批評されていて興味深い。なかんづく、ニヤっとうなづいたのは郵便局の衰退の理由である。アンケート調査によって導かれた民営化云々の問題でなく、9時からしか開かない郵便局に対し、今や銀行業務も集配業務も24時間行うコンビニが、郵便局の真のライバルだと云うデータ指摘を、民営化反対などとあさっての方向を向いている民主党や亀井に見せてやりたいものだ。

2009年12月25日 (金)

ノスタルジー

先週はボーイング787の初飛行の模様がテレビから放映されていた。初飛行はエバレットのペイン・フィールドから飛び立ち、シアトルのボーイングフィールドに着陸したのだが、離着陸の画面の中で滑走路の向こうに杉木立などが映っていると、ああアメリカのNORTH PACIFICの景色だなとシアトル郊外に住んでいた時代が懐かしくなる。

そういえば787が離陸したペイン・フィールドは、以前住んでいた家から405号というフリーウエイを15マイルほど北西にまっすぐ突き進んだ所にあった。405号はやがてマキルテオ・スピードウエイという名前になって、右側にボーイング社の工場が見えてくるのだが、その工場の中の空港がペイン・フィールドだったと記憶の糸をたぐりだす。その滑走路が見えるモールに、あの近辺では一番おいしいと言われていたてんぷらの”佐久間”という店があり、最初はたしか近所のゴルフ場の帰り道に、土地の顔役みたいな人に連れていってもらったのだったが、アメリカには珍しいパリっと揚がったテンプラはうまかった。そんな思いをかみしめていると、ペイン・フィールドの西にあるハーバー・ポイントゴルフ場を思い出し、あそこは距離があって複雑で閉口した事などと様々な場面がチェーンの様に脳裏に蘇る。ゴルフ場から見るピュージェットサウンド(湾)の夕陽の眺めは素晴らしかったのだが、島流しの様な一人駐在員事務所でルーティンワークも特段なく、こんな所で夕陽をみながら俺はなんでゴルフをしているのだろうか、などという往時の感傷まで蘇り胸がキュンとなる。

787が数時間の初飛行を終えて降り立ったボーイング・フィールドはシアトル市街地のすぐ南にあって、ボーイング社の試験飛行機などが高層ビルの西側をかすめて着陸する姿が事務所から良く見えたものだった。そういえばここで開かれたエアーショーに、空軍で戦闘機に乗っていた退役将校に連れて行ってもらった事があった。軍用機が展示されているところで彼が係りの現役軍人に何かささやくと、その係りの言葉遣いがさっと変わり「イエス・サー」になるのだが、その時の彼のちょっと自慢そうだった顔が懐かしい。洋の東西を問わず退役しても先輩は偉いんだ、と妙なところで感心したものである。

ボーイング787の初飛行の映像をみていると、鮮やかな場面が次々と目に浮かぶのだが、あれからもう10数年たっている。あの時の退役将校の彼は今も元気なのか?、あちこち行った日本料理やのオヤジやおかみさん、世話になったアメリカ人や現地の日本人の人達はどうしているのだろうなどと急に懐かしくなってきた。

2009年12月24日 (木)

第九演奏会

ついこの前ウイーンからの衛星中継で、ウイーンフィルの新年のワルツを聞いたかと思っていたら、町ははや恒例の第九の季節になってしまった。何でも年末に第九をこれほど演奏するのはわが国だけの習慣らしいが、それはそれ、お約束の行事なので今年は久しぶりに第九の演奏会に妻と出かける。場所は池袋の東京芸術劇場、日フィルに錦織 健ら豪華歌手陣、東京音楽大学の合唱というラインナップが楽しみだ。おまけに当日、最初に演奏されるのがハイドンのトランペット協奏曲という夫婦揃って好きな曲なのはなおさら良い。

夕方、珍しく忙しくなった仕事を切り上げ池袋に駆けつけるが、駅のラッシュアワーの人の多さにびっくりしつつ、久しぶりの東京芸術劇場に辿りつく。それにしても駅からの案内の少なさに閉口したのだが、芸術劇場はもう少しわかりやすく表示が欲しいものである。しかし何とか定刻に席に着き、久しぶりのクラシック音楽のコンサートを聞き始めると来て良かったと云う思いがしてくる。指揮者が入場して拍手がやみタクトが振り上げられる一瞬の緊張感、そこから場内に流れ出すオーケストラの調べに、演奏者と観客が次第にこん然と溶け合っていく一体感は、クラシックの演奏会独特のもの。私などは演奏が始まってピアニッシモの部分になると、喉がむず痒くなって咳がでそうになったりするのだが、今年はインフルエンザの大流行も抑えられて、この季節特有の咳で苦しそうな人も少ないのも良い。

さて当夜の指揮者の広上淳一氏は、弦楽器のフォルテの部分で彼の気合の唸りが客席まで聞こえてくるパーフォーマンス。丁度マウンドで投げるたび”ほいさ”とか””どうだ”と気合を入れているピッチャーとか、卓球の愛ちゃんの”サー”ばりなのだが、スポーツを観戦に来ているのでないっつーのと首をかしげる。彼の気合の入れ方は賛否両論だろうが、私は空調設備の一部でも壊れたかと思って驚いたのであった。何でも日フィルの先輩の小林研一もそう云うパーフォーマンスをするそうなので、これを目当ての聴衆もいるのだろうか?

それはさておき総勢200数名の東京音楽大学の学生の合唱はさすが大迫力、年末の恒例演奏を楽しんだのだった。それにしてもフル編成のオーケストラと大合唱をこうして聴けるのは、何とぜいたくな事だろうかという思いがする。ここに出てくるまでの演奏者の才能と多くの努力、それにこれまでに費やされたお金と時間をこの一瞬に味わえるのである。クラシック音楽は、やはり総合芸術だなと感慨を深めて家路を急いだのであった。

2009年12月23日 (水)

箱根駅伝ミュージアム

先週末は、箱根の温泉に妻の実家の人々と宿泊に行ったが、ついでに箱根駅伝ミュージアムに立ち寄った。各大会の名シーン・往年の名選手のユニフォーム・大会のエピソードなどが展示されているこじんまりした博物館は、箱根町芦ノ湖湖畔にある駅伝の往路ゴール・復路スタート地点の傍らに2005年開設されたそうである。私も昭和40年代に箱根駅伝の本番を走った事があるのだが、その後昭和50年代にテレビ中継が始まってからの駅伝人気は大変な事になってしまい、トップクラスはもちろん、我々が競っていた予選会のボーダーラインのレベルが、その後飛躍的に上がった。私が走った当時は、高校時代少しならした長距離ランナーはほとんど実業団に行くか、一部の強い大学に行くくらいだったから、箱根駅伝の予選会も今とは随分雰囲気が違っていて、予選会はまず20キロを走れるランナーを10人揃えるのが大変な時代でもあった。

私と言えば何という事のない、誉められる様な事とは反対の方のランナーで、学校の伝統の力だけで箱根路の本番に出場させてもらったから、今も学校に向かって足を向けて寝られないし、OB会などに行くと小さくなっているのである。そんな訳で義弟妹たちと一緒に始めて駅伝博物館に行っても、館内に展示された名ランナーの軌跡を見るたび、「オレはそんなんじゃないよ 」と言いたい処だが、今の全国中継を見慣れている彼らの目には、すごいイベントに出場したと映るようだ。

しかし関東の大学だけの、いわばローカルレースの箱根駅伝がテーマで博物館ができるとは、この駅伝人気は少し異常でもある。ある宗教系の学校法人の関係者に聞いたのだが、その学校は、宣伝の為に箱根出場に向け2億円の予算を組み、寮の整備はもちろん入試の配慮・学費無料などをしたのだが、それでもなかなか人材が集まらないと云う。関東学連では駅伝ばかり力を入れる弊害を危惧して、インカレのポイントによって予選会でアドバンテージを得られる様にしているし、参加校を昔の様に15校に少なくして、学校の宣伝にならない様にする策も考えていると云う。あまりに商業主義とメディアにのって、長距離走が駅伝に始まり駅伝に終わる様な位置づけになった事が、近年ふらふらになって棄権する選手が多くなった所以ではないだろうか。

さてそんな弊害も指摘される箱根駅伝だが、今回初めてミュージアムに立ち寄ってみて、一生に一度くらいは全国紙に名前が出ればこれ以上の思い出はない、と思って走っていた私の様なものでも、まだあの時代だからこそ走れたのだと改めて感謝の念を抱いたのだった。それと、もう延べ1万人ほどのランナーがこの大会を走った事になるのだろうが、私の記録は遅くとも、長い長い歴史の中で、その年その日その場所に参加したものだけしか残せない”ただ一つの記録” だと云う実感も、博物館を訪ねて改めて感じたのであった。

箱根駅伝ミュージアムみやげの 「あしあとまんじゅう」
20091223

2009年12月22日 (火)

小沢る

ジャインツに入りたいばかりに、ごり押しをしてわがままを通した江川投手をさして 「 江川る」という言葉があった。そのデンで行くと昨今の政治家はこうなるだろう。
鳩山る


  1. 「何も決めない」と云う事を決める事

  2. 決める人が別にいるのに「最醜的な結論は私が判断して決めます」と云う事

小沢る

  1. 自分のミスを恫喝と間違った解釈で押し切る事

  2. 権力欲で一杯なので院政を敷いて好き勝手する事

福島る
  • 誰にも期待されていなのにひたすらに信念を貫く事

亀井る
  • 広島県三原市地方だけで通用する論理を国政に持ち込む事

どうも私は、社会民主主義的大きな政府が嫌いな様である。小泉ー竹中路線が大都市に働くまっとうな勤労者には一番良いと今でも思うのだ。

2009年12月21日 (月)

お礼状

この季節、私の様に会社を早期退職して数年たった者にも、昔のつながりで幾つかのお歳暮をいただく。誠にありがたい限りで、自営となった今では、こういう義理固い会社に良い案件をなるべく紹介しようと思うのである。さてお歳暮やお中元を頂くと、いま私はハガキに自筆でつたないお礼状を出す。忙しい時にはちょと面倒でもあるが、なに一枚書くのにものの5分もあれば充分だ。

それはそうと、お中元やお歳暮を取引先に送った際、よく相手の奥様からお礼状が来るのがちょっと違和感を覚える。取引先へのお届けものは、ふつう相手の役職・立場に対して送っているので、ファミリーの事をそう念頭にはおいているわけではない。もちろん贈答品の実際の受益者は、相手の奥方や家族であろうが、会社から一律に贈答品名簿順に業者に注文する際は、ふつう取引先のタイトルや地位に応じて物を選んでいるのではないだろうか。で、私は仕事の関係先からの贈答に対して、家人に礼状を書かせた事がない。

そんな訳で、現役時代は忙しい中、贈答品のお礼状は妻はもとより私からもほとんど出さなかったので、送り主には随分失礼をしたものだが、礼状を出さない私を相手が非礼なヤツだと思ったら、それも含めて私の仕事のキャパシティーだと割り切る事にしていた。まあこの偏屈な性質のゆえか、さして出世もしなかったのだが、この季節は夫のお歳暮への礼状書きで、年末の忙中いらいらがつのる奥様方も世の中にはおられるだろうな、と同情するのである。

横では妻が、パソコンで印刷する最近の年賀状は私が全部やっているのよ、とニヤニヤして見ているのだが・・・・・。

2009年12月18日 (金)

2冊の手帳

手帳やカレンダーの切替の時期が来た。もっとも来年のカレンダーは今年の12月分が印刷されているのもあるので、そのまま換えてしまえばよいが、手帳となると結構大変である。まず今年の手帳に書き込んであった新年度の予定を、来年の手帳に移しかえなければならない。そういえば数年前には新年の歯医者の予約を新しい手帳に書き換えるのを忘れて、当日歯医者から、来ないけどどうなっているのか電話がかかってきた事もあったなあ。

その他、新年の予定以外でも今年の手帳に書いてあった必要な事項を、新しい手帳に書き換えなければならない。特に今年は父の後見人手続きで色々メモを書いたのだが、父の逝去後も新しい手帳に書き写さねばならない事は多そうだ。ところがである、写し換えようと思っても、以前自分で書いた字が汚なすぎて何と書いてあるかわからない事がしばしばある。何度読み返しても何を書いたかわからず、書いた当時の状況を思い起そうとするのだが、その試みはほとんどの場合は駄目である。もっと丁寧に書いておくべきだったと毎年の様に思うのだが、しかたないので年末・年始はしばらく安心の為に新旧2冊の手帳を持ち歩く羽目になる。

そんな私を見て、妻は以前、システム手帳を推奨してくれた事があったが、なんとなく永年やりなれた方式にこだわって、その時は素直にシステム手帳を購入しなかった事が悔やまれる。年末になるとあの時システム手帳にしていれば、この時期手帳を2冊も持ち歩く事もないし、この厄介な作業もなくなっていたのにと反省しきりである。

2009年12月17日 (木)

みぞれ鍋

近所に住む妻の母が夕食に招待してくれる。「 ご飯は何が良い? 」とメールで聞かれた私は迷わず「 お鍋類にしていただけたら 」と返事する。そう言えば会社員時分、12月といえば忘年会のシーズンでいそがしかった。会社に接待用の寮があって、この季節は週に何回もここで顧客を招いて宴会をしたのだが、会社の施設なのでメニューは鍋を中心にごく限られていて、ホスト側の当方は毎日同じ様な鍋料理にうんざりしたものだった。それでも会社を辞め数年し忘年会などがなくなると、不思議な事に年末になると鍋のぬくもりが恋しくなってくるのは日本人ゆえか。

さて、岳母の家で土鍋のフタをあけてみるとなんだかいつもと鍋の中の雰囲気が違う。鍋料理独特の匂いがあまりしない代わりに、一面積もった雪が溶けている様なスープだ。なんでも「みぞれ鍋」と云うもので、塩味スープに大根1本半分の大根おろしが入っているそうで、この日は持ち込みの白ワインを飲みながら「みぞれ鍋」を楽しむ事になった。大量の大根おろしでさっぱりしたスープには、骨付き鶏肉や揚げなす、なめこが満載で、その食感が独特、いくらでもお腹に入りそうな料理である。チビチビとワインで一通りお鍋を楽しんだ後は、お約束どおり残ったスープのお仕事、料理のエキスで飽和したスープにおもちを入れて〆にすると、しばし満足感で心身がほかほかしてくるのが鍋料理の嬉しいところである。

日本の鍋料理と云えば、寄せ鍋・ちゃんこ・キムチ鍋など多種多彩、どれもおいしいものだが、年末・年始の疲れた胃腸にやさしい大根おろし一杯のみぞれ鍋は、季節感一杯の料理であった。それにしても大根を1本半もするのは大変な仕事であったろうと感謝するのである。
20091212

2009年12月16日 (水)

グルメの嘘

むかし丸の内帝劇近くに古くからある有名な中華料理店があった。昼食時は近辺のサラリーマンで大賑わいだったが、パートのおばちゃん達のサービスが酷かった。サービス業にまるで素人なのだろう、キャパシティーを超えた注文や要求が来ると、まったく無視して見猿、聞か猿に変身してしまう。彼女らの視界内で客が呼んでも見えぬふり、注文をしても聞こえぬふり、「すぐに参りますので、少々お待ち下さい」と言えない。当時はあまりなかったレストランガイドでは「 味もひどいが、サービスはもっとひどい」と酷評を受けていたのだが、その事もあってかその後数年で老舗は閉店してしまった。数少ないレストラン評論などは良い事しか書かなかった時代、的確な批評に感心したものだった。

さてグルメ・ライター友里征耶の書いた新潮新書の「グルメの嘘」が面白い。お店から何らかの見返りを貰ってヨイショする記事や、やらせテレビ番組が多い中、どうやってそんな嘘のグルメ情報に騙されないかが書かれている。例えば「一人客お断り」とか「コース料理事前選択」のレストラン、「黙って食え」とばかり威張っているすし屋などは行くべきでない、店の論理に客が合わせる必要なしと誠に痛快である。ミシュランの日本版などは信用できないとか、クレジットカードを受け付けておきながら手数料を上乗せするのは詐欺まがいと飲食業界にとっては痛い点が次々とこの本では指摘される。松・竹・梅と三種類のコースがあれば梅が客にとってコストパーフォマンスが高いので梅をたのむべしと云うアドバイスなどは実際に役にたつ。

友里氏によると、行くべきでない悪い店はメディアの露出が多く次々と支店を出す店、丸の内や六本木の再開発地区の賃料の高いビルに出店した店だそうで、反対に良い店は支店を出さない店、そこそこの立地条件の店、そして何より主人(シェフ)が目の届く範囲で陣頭指揮する店だと云う。今後のレストラン選びに参考にしてみよう。

2009年12月15日 (火)

YOU TUBE

かつて録音したアメリカのオールデイズ専門ラジオ局のカセットテープを、最近ときどき取り出しては聞いている。耳に馴染んだものも多いが、曲名が判らないまま聞いている曲がこのテープには随分ある。まあオールデイズのロックンロールは、聞き流していても別段構わないので、特に気にせず今までそのままにしていた。でも中には何という曲か無性に知りたくなるものもあるのだが、とにかく録音されているディスクジョッキーのおしゃべりが早口すぎて、曲名などを聞き分けるのがなかなか大変である。

最近ひまな日はこれらの曲が何なのか、YOU TUBEで検索しながら少しづつ解き起しているのだが、これが結構面白い。カセットテープの聞き取れない箇所を幾度か繰り返し聴いて、歌手名や曲名をなんとか探し出し、その固有名詞をYOU TUBEで検索すると、スペルミスなどの幾度かの試行はあるものの、大抵はなんとかお目当ての曲に到達するものである。時々ディスクジョッキーの会話についていけなくて、私より英語のヒヤリングの良い妻に「 ちょっと、ここ何て言っているの ?」と聞く。

さて曲名が判るとパソコンに”LYLICS”と入れれば、たちどころにその歌詞が出てくるのもインターネットの便利なところ。今まで何て歌っているか判らず”ラーメンピープル シックスガン”などと適当に口ずさんでいた曲が、実は”ROBBING PEOPLE WITH A SIX GUN”だったなどと解るのは正に目からウロコ。やっと探し出したYOU TUBEに合わせ、嬉々として覚えたての歌詞を歌っている夜長である。と云うわけで今晩は1970年のヒットソング、NEIL DAIMONDの " CRACKLIN'  ROSIE "を探し出す事ができて気分が良い。いやYOU TUBEは便利なものだ。

2009年12月14日 (月)

加藤陽子著 それでも日本人は「戦争」を選んだ

たまたま本屋の店頭でこの本に目が留まり、面白そうなので購入してみたところ、ベスト・セラーであると新聞で紹介されている。なにせ出版が朝日出版社とあるので偏向した内容かと警戒しつつ読み始めたが、この会社は朝日新聞とは何も関係ない事がわかり、著者・加藤陽子氏も真摯な歴史学者である様なので安心して読み進む事にした。

冒頭、歴史を学ぶ意義などが解説してあって、歴史は一回しかない特殊な出来事の連続だから、歴史から普遍性を学べる事があるのか? などと学問的アプローチで読者を近代史の世界に引きずり込んでいく。著者によると、歴史は特殊なものに内包される一般を探り出すもので、ある事件は次の事件に影響を与えるのだそうである。例えばアメリカは、第1次大戦の講和が中途半端だった為にその後20年たらずで第2次大戦になったと言う教訓から、日本に原爆を落とし無条件降伏するまで徹底的に追い込んだのだと説明する。

さて本書は、日清戦争から太平洋戦争終結までの日本の出来事と、当時の世界情勢をいろいろな側面から分析しているのだが、その間イギリス、ドイツ、ロシア、アメリカなど世界の列強は、昨日の敵は今日の友、敵の敵は味方とでも云うべき権謀術数、右顧左眄の世界を繰り広げる。そこに中国の混乱やロシア革命などが絡み、とても教科書やメディアには描き切れないパズルの様な、激動の世界情勢が戦前の世界の姿である事を教えてくれる。

これを読むと日本は主体的にその世界に飛び込んでいった面と、列強の思惑に巻き込まれていった両面があって、一部メディアが示す教条的な日本帝国主義=悪と云う判断だけでは歴史を計れない事があらためて分かるのである。近・現代史の裏には、複雑な背景と様々な事実が隠されており、それを勧善懲悪で割り切る事に無理があろうと云うものである。ただ欧米的列強より遅れて出発したアジアの唯一の帝国主義国としての日本は、様々な面でもう少しうまくやっていれば歴史も変わっていたのでは、と云う読後感をもった。

さて先日、民主党の小沢幹事長が韓国へ行って、日本の植民地支配をあやまったそうだが、この本によっても朝鮮半島の近代史は大国である中国やロシア、日本に翻弄され続けたものである事が描かれている。日本の植民地支配だけが格別”悪”で、これを直ちに謝罪に結びつけるのは、いかがなものかと考えるが、私の考えは牽強付会に過ぎるだろうか?

バルクキャリアー 2009-12-15 23:33:28
エリア88さま

コメントありがとうございます。私は日本のクルーズ船に乗るたび、船側が私達よりもまだ上の世代をサービスの対象にしている事に違和感を感じています。確かに日本船の乗客の平均年齢は高いのですが、本場アメリカでは乗客の平均年齢は44歳で船内の雰囲気もかなり違います。日本船も、もう少し働く世代が乗りやすい航路や料金、日程、それに船内の雰囲気になって欲しいといつも思っております。そういう意味でエリア88様などの働き盛りのクルーズファンが増え船内でお会いできたらと思っているところです。

さて私は元来ひねくれ者でして、人が右といえば本当にそうか? と思い、左と言えば右を向くたちでした。ですから私のブログなどは変わり者の独り言として受け取っていただきたいとも思います。ただ日本の近・現代史はあまりにもステレオ・タイプの考え方に染まりすぎて、歴史というのはそんなに単純化できるのか、という疑問を常に感じておりました。歴史に正解などはなく、どういう見方を自分の基軸に置くかという事が大事だと思っております。もっとも歳とともに私もいささか保守化し頑迷になり、反対側の考え方を捨象しがちなのは良く自覚する処です。この本は歴史のいろいろな捉え方を教えてくれた一冊だと思いました。


エリア88 2009-12-15 21:16:12
初めまして、Monchackの夫です。このたびはMonchackが大変失礼しました。妻から紹介されてこちらに飛んできましたが、記事を読み、非常に考えさせられたのでぜひ感想を書かせてください。

今私は37歳です。ものごごろついたころから、戦争=かっこいいという考えしかなく、いろいろな本(歴史書まではいきませんが)を読んで自分なりに日本の過去について考えてきたところです。しかし正直いまだになにが正しいのか、なにが間違っていたのかまでの結論には達していません。今後も自分なりに、熟考していこうと思っています。今回の記事を読んでさっそく加藤氏の本を読んでみたいと思いました。これからもストレートな感想でさまざまな本を紹介されることを楽しみにしております。


バルクキャリアー 2009-12-14 23:32:08
Monchackさん

あれ、投稿はどこかへ消えちゃったかな、と思いましたが確認されて良かったです。クルーズの乗船記は妻のホーム・ページにまかせて、もっぱら私は思った事を書き散らしているだけです。これも会社を早期定年で辞めて、自営業で糊口を凌いでいるので時間ができた為でしょう。会社に勤めていた頃は、とてもクルーズに行く時間的の余裕がなかったのですが、収入が不定期になった分、時間ができて良かったかなと思っております。反対に忙しい妻は、乗船記のバックログをかかえて唸っております。

次は新装なったにっぽん丸にでもチャレンジして下さいね。ご夫婦のやりとりが面白いブログの乗船記を楽しみにしております。


Monchack 2009-12-14 22:11:41
こんばんは。

先日、ご訪問、コメントをいただいていたのですが、大変失礼をしておりました。

お恥ずかしいことにコメントの確認方法がわからないまま、今日まで至ってしまいました。

本当に申し訳ありませんでした。ご無礼をお許しください。

コメント欄からこちらに飛んできました。

こちらの記事には本当に広い見識がうかがわれます。

ニュースをただ取り上げるだけでなく、ご自身の見解を必ず加えていらっしゃいますね。

こういった不特定多数が閲覧するウェブの世界でご自身の意見をはっきり述べることは、勇気のいることと思いますが、深い思慮が感じられます。

今後も訪問させていただきます。よろしくお願いいたします。

このたびは本当に失礼いたしました。

2009年12月13日 (日)

We are going to miss it.

20091213
ウエンディーズ・ハンバーガーが日本から撤退する事になった。もうあのチリ(ビーンズ)が食べられないと思うといてもたってもいられず、BC級グルメファンの私達は、義妹夫婦を誘って近所のウエンディーズで名残りを惜しむ事にした。思えばもう20年位になるだろうか、銀座2丁目の一等地にガラス張りのウエンディーズ西銀座店が大々的にオープンした時は、そのおしゃれなたたずまいが、結構注目を浴びたものであった。そのお店は今でも健在で、見ていると随分人が入っている様だが、なにせ厳しいハンバーガー業界ゆえ全体では事業性に問題があるのか、米国の本社とフランチャイズ契約する国内の肉屋のチェーンが、契約を今年限りとして全国の店を閉じるそうである。

と言う事で、わが家の近所にあるウエンディーズに入った我々は、最後のお別れにと定番セットのハンバーガー、サラダ、ポテトなどの他、チリ、チキンナゲット、ドーナッツなど詰め込むだけ腹にいれた上、仕上げにサンデーを頼み、もうこれ以上もう食えないというまでトップ・オフしたのであった。そういえばこの店はもう何年も内装が変わっていなくて、お客のわりにとてもゆったりとした店内、普段は高校生などがハンバーガー一つで延々と席を占領していたものである。近所の学生にはとても便利だったであろうが、そんなゆったりしたあたりも事業が立ち行かなかった原因か。

それにしても、ハンバーガーショップで一人1500円も詰め込めばお腹も一杯。思わずゲップをすれば、”ウエンディーズ・バープ”だねなどと冗談を言いつつ最後のウエンディーズを楽しんだのであった。ウエンディーズよ、またいつか帰って来いよ。(一旦撤退した)バーガー・キングも戻って来たんだからな~。

2009年12月12日 (土)

幼稚園並み

大切な国会の会期延長を拒否している最中、143人もの衆参議員を連れて小沢民主党が中国ツアーに出かけたのには驚いた。次々に胡錦涛主席と握手をして写真におさまっている議員をみると、まるで幼稚園児が遠足に行ってパンダか何かとツーショットの写真を撮られてよろこんでいるみたいだ。いつから日本の国会議員は幼稚園児並になったのかと爆笑するが、笑ってばかりいられないのは、日米安保の根幹が揺らいでアメリカ側の不信感が高まっているこの時に、何を大げさに中国に行く必要があるのかと云う事。まるでアメリカをソデにして中国に朝貢外交を始める様に映り誠に不愉快である。

その上、小沢や民主党は中国のナンバー2習副主席が訪日するに際し、ルールを破り「特例措置」で天皇との会見を宮内庁に強く要請し、これを実現させてしまった。ルールを遵守することで、どの国のどんな相手とも分け隔てなく会見するという皇室外交の基本原則を力で捻じ曲げた訳で、天皇の政治利用であろう。小沢の権勢や中国の力を見せる為に天皇が利用された様で、これは国民として許しがたいと思う。

社民党の福島や国民新党の亀井に国民は信任を与えたのではないのに、今や彼らの政策に政府は振り回されてばかりだが、その裏には小沢の影がチラチラしている。テレビの前の大パーフォマンスでやった事業仕訳けで出てきた金額はわずか6000億円。ばらまきマニフェストの穴埋めで国債大増刷が必死なのに、まだなにやら44兆円が”上限”だか”目標”だとか何だとか訳の判らない事をむにゃむにゃ鳩山は言っている。秘書が政治資金の問題で逮捕されれば、議員を辞職しろと他人に迫っていた鳩山は、自分の事になるとだんまり、で言うに事欠き「恵まれた家庭に育ったから」。

各国から評価も高く安全なインド洋海上補給を止めて、アフガン国内で民生支援するなどと狂気の案を民主党は提案しているが、つい先日イエメンで民間の邦人が誘拐された様に、アフガン領土で活動すればこれから何人の犠牲者が出て、何件の誘拐事件がおきるのだろうか。どうも政権をとって数ヶ月で民主党が政権を担う能力がない事がはっきりした様である。私としては、中国へ行ってニコニコにている海江田議員に投票してしまった自分を恥じ、二度と彼には投票しない事を心に決め、日本が中国の属国になる様な外交だけは金輪際ゴメン蒙りたい、と思っている。おじさんは、久しぶりに本気で怒っているぞ。

2009年12月11日 (金)

雨天練習場

以前にもアップした通り、東京の地下には地図にない第二の東京とでも云う別の街が広がっているらしいが、その大部分は一般に開放されていない。東京地下地図などが売り出されたら、我々の知らぬ地底にこんな秘密の迷路があったのかと、さぞかし興味深いと思う 所以である。しかし一部ではあるが、銀座や新宿では主に地下鉄に連絡した長い公共の地下通路が公開されているので、夏・冬の気候が厳しい日に私は良く利用する。

今日は、東京も朝から氷雨の寒い一日。さすがにこんな日にジョギングをする気はないが、悲しいかな運動癖がついている人間が少しでもサボった場合は、運動をしない人より適面にリバウンドが早いのは、科学的に確かめられている事実の様だ。しょうがないので、半ば強迫観念に突き動かされた様に運動のメニューを考える時、便利なのが都心の長い地下通路を利用する事である。

銀座・丸の内地区で言えば、南は三原橋から始まり晴海通りの下を有楽町・日比谷まで地下を使って濡れずに歩け、さらに日比谷通りの下を大手町まで歩ける。大手町からは永代通り下を呉服橋までの地下通路があり、大手町から東京駅の構内や八重洲の地価ショッピング街もつながっている。いわば東京駅をぐるっと大きく囲む形で、6~10キロほどの大地下通路網が広がっているのである。そんな地下通路の地図を頭にえがきつつ寒い冬の雨の日は、昼休みなどに気軽に, さっさと速足でこの通路を歩くと、今日の様な日でもうっすらと汗がでる位の運動になって気持ちが良い。そしてこの地区全体の地下通路の構成は、よほど積極的に歩く人以外、丸の内などに永く務めた人なども知らない事に、東京人としてちょっと優越感を感じてしまう。

2009年12月10日 (木)

内相整って外相自ら熟す

妻が会社から帰ってから、師走の夜の街にジョギングにでかけた。今年は冬になっても雨の日が多く明日の天気予報が雨なので、今日中に走っておきたいと言って飛び出していった。もう少しで年間ジョギング距離2000キロという目標を達成できそうな自分を叱咤激励している様な感じである。

さて、こういう天候要因に加え、社会人は思わぬ夜の酒席へのお誘いや残業などで、夜間に走ろうと思っていても走れない日がある。そんな時、私は早朝のひと時、事務所に行く前に走るのだが、この季節フトンを跳ね除け、寒風へ飛び出すにはよほどの勇気がいる。明け方の寝床で、うつらうつらフトンの温もりを感じていると「今日はやめてしまおうか」「少し疲れ気味だし」「雨が降ってないかな」と言う悪魔のささやきが頭をよぎるのだ。そんな時はその声を聞きがらも、ガバとばかりフトンを蹴ってとにかく起きてしまう。すると不思議と悪魔のササヤキが消えて、まあ走っても良いかという方に気持ちが少し変わる。

この機を逃がさじとばかり何も考えず体が動くままに、ランパンやTシャツ、ウインドブレーカーなど目に付いたものからかたっぱしに身につけて、寒風の師走の町に飛び出すのである。しかしそうして悲壮な覚悟で走り始めて数分すると、足は自然に前に向かってステップを刻み、「 うん今日も調子は悪くないな 」などと感ずるから不思議なものだ。

そういえば、仏語に「 外相整って内相自ら熟す 」と言うのがあった。仏の前で両手を合わせ深く頭を垂れると、おのずと敬虔な心持が沸いてくる事を云うのだが、この言葉の教えに従って、まず形をよくする事につとめれば、心は次第に形にふさわしいものに変化する様だ。寒い朝でもふとんを跳ね除けて着替えてとにかく走り始めると、いつの間にか無我で走っている事を感じると、この仏語の意味するところが体感でき、お釈迦さんはうまい事をいうものだと感心する。

バルクキャリアー 2009-12-11 22:43:35
まず4時間を切るカタチですよ。昔、高級なスキー板を買ったら急にスキーがうまくなった記憶が。カタチは大事ですね。


院長 2009-12-11 00:11:11
久しぶりに書き込みさせて頂きます!

私目も月間200キロを目指して今宵も皇居警備に行って参りました。先日、家内にロングタイツを購入してあげようとショップに赴き、ついつい自分もロンタイを購入し、今月のモチベーションにしております。

先ずは「形から!」を実践している我々夫婦は、ウェアーだけはサブフォーな二人!

年末年始の走こみ、そして初フルの東京・・・、それまでにどのくらいのランナーズGEARが揃っていることか・・・、モチベーション維持も大変です!

はろー!!!(←酔って帰ってきた妻が打ち込んで床に就きました・・・)

2009年12月 9日 (水)

通勤電車試乗記

毎日、通勤の為に電車を利用するが、利用者の立場からすると通勤電車は進歩しているのだろうか、と疑問に感じる事が多い。確かにエレクトロスの進歩などで、省エネや省メンテの面では大きく電車は変わっているのだが、乗り心地の面ではそうとも云えない。特に最近登場する新しい形式の車両の座席の硬さは問題である。以前は通勤電車といえども座席のクッションはある程度弾力があって、座るとホッとしたものだが、70年代初めの大阪市営地下鉄に導入されたFRP製のシートあたりからだろうか、通勤電車のシートがむやみにかたくなってきた。最近の通勤車両は足元にヒーターがなくすっきりとはしているが、せんべい布団よりも硬い座席の車両が増えて、概してたいそう座り心地が悪い。これは短時間の乗車時間なので座っている時間が短い上、ふかふかだと寝込む乗客などがいるし、メンテの都合でも板の様な座席が世話しらずの為であろうと思われるのだが、まるで「 座るな 」とでもいう様な固いシートを見ると、鉄道事業者のサービス精神の欠如を感じる。

私が良く見るサイトに「 通勤電車試乗記 」というのがあって、通勤電車の乗り心地を外観・内装・座席・走り・手入れの5項目について採点しているが、最近の新型車両の座席の評価は総じて低い。利用者からするとやはり固い座席は嫌われている様である。

それから日頃電車に乗っていて気になるのが、電車の走行音。この20年間で技術ははるかに進んだのに、逆に通勤電車の走行音は大きく不快になっているのではないか。昭和30年代、カルダンドライブという新しい駆動方式が採用された当時の車両は、加速・減速につれてモーター音がリニアーに高く又は低くなっていったのに対し、VVVFと云う回路を使い、電車が交流モータで駆動される様になってからは、加速・減速につれてモーター音が変調・上下を繰り返して、スピードの変化と走行音が人間の五感にマッチしていない。VVVFが普及してからもう20年も経っているのだから、通勤車両といえども京浜急行で採用されているドレミファ電車(音階の如くにモーター音が変化する)の様に、人間の感性に合った車両の導入を望みたい。

日本も人口が減っていよいよ成熟社会を迎える。供給側の論理ばかりでなく、座って気持ち良く、感性的に心地よい通勤車両の開発を望みたい処である。

写真は、「 通勤電車試乗記 」でも評価の高い阪急電車。
20091209

2009年12月 8日 (火)

開戦記念日に米が重大通告

今日は帝国海軍が真珠湾に奇襲攻撃をしてから63年目の開戦記念日。毎年この日が来るたびに、日本はなぜあの無謀な戦争に突入したのかとの思いが募るのだが、今年は鳩山首相の迷走外交ぶりを目のあたりにし、”読み違え”が大きなツケとなったあの戦争開始の事を想いだし、鳩山政権のチョンボが将来に禍根を残さない事を祈る12月8日である。

歴史の教科書によれば1941年(昭和16年)7月、日本は南部仏印(南ベトナム)に進駐したが、宗主国フランスはナチスドイツに降伏しており、親ドイツのウ"ィシー政権下にあった。日本はこのウ"ィシー政権の合意を得た上で進駐したのだが、当時アメリカがこの政府を承認していた事もあって、日本軍の進駐を米国側は大した事と考えないのでは、という楽観的な”読み違え”をわが国の政府や軍部がしていたと云う。ところが、この南部仏印進駐がきっかけになって、アメリカの対日政策が一段と強硬となり、石油禁輸の発令からハルノートの手交へと日本は戦争への道へ転げ落ちていった。

振り返り現在の状況を見ると、すでに両者で合意された普天間移転の約束を一方的に翻し、のらりくらりと先伸ばしする鳩山首相は、アメリカに民主党の苦境を話せば、相手は忍耐強く理解してくれるとでも思っている様だ。しかしアメリカがそんな説明を聞いて、妥協策をまともに模索してくれる等と考えているとすれば、”読み違い”も甚だしい、まさに噴飯ものの考えであろう。多民族国家アメリカは原理原則の国、仲間うちのごちゃごちゃが通じる相手ではない。国の根幹に関わる安全保障などの問題で、一旦合意した事柄を一方的に覆す提案をするなら、いかなる事態が起きても甘受する覚悟がこちらにいる。私の予想では、エクスキューズを続ける鳩山政権のどんなコメントもアメリカは受け付けないばかりか、最後は日米関係に亀裂を生じる位の、大きなリパーカッションがアメリカから飛んで来るのでは、と危惧している。

などとここまで書いていたら、読売新聞の夕刊では、”米 同盟協議を延期 ”で”日米同盟に深刻な悪影響を及ぼしはじめた”と一面で大きく告げている。いわんこっちゃない、鳩山は早く目覚めて欲しい。12月8日に亀裂が深刻になったでは、しゃれにもならない。読売の夕刊を見て先を越されたとばかり、あわてて本稿をアップする私である。

2009年12月 7日 (月)

成年後見人終了

父が死亡して2ヶ月以内に提出しなければならない諸書類を漸く取りまとめ、家庭裁判所に提出する為、後見監督人の弁護士に託した。新聞などでは、高齢者が痴呆などになった際の便利な制度として、盛んに「 成年後見制度 」の利用を奨めているが、そう簡単なものでない事がわかった。勤め人などをしていたら、後見制度の事務手続きで本業がおろそかになるほどの面倒くささである。今回の場合、最初は専門家に依頼しようかと、紹介された司法書士に相談したところ「ご自分でもできますよ」などと体よく断られた理由が良くわかった。労多いのである。

痴呆になった高齢者によっては、その資産を不当に取得しようしたり、利用しようとする人が居る場合もあって、そういう厄介な時はこの制度が有効なのかもしれない。しかしそんな悪いケースをも想定したがんじがらめの制度は、痴呆を抱えるごく普通の高齢者家族にとって見ると、まるで制度のための制度の様な窮屈さがある。痴呆老人をトラブルや詐欺まがいのケースから守ると云う趣旨はわかるも、もう少し想定ケースを細分化し、トラブル絡みのケースと通常のケースで運用を変えた方がよいのではないだろうか。普通の老人家庭では、この制度の求める事務手続きの要求が高すぎる気がする。制度ができてまだ日が浅く、いろいろ問題が在るという事は法律関係者も認識している様なので、改善を望みたい。

2009年12月 6日 (日)

ポーク・スペアリブ

アメリカの空港に降り立ち入国審査などを終えて国内線のフライトを待つ間、最初に探すのが空港内のピザ屋さん。ピザハットとかゴッドファーザーピザなど全米どこにでもあるチェーン店で良いのだが、その分厚いパン生地のピザを一口ほおばるとアメリカに来たなあと感慨がこみ上げてくる。次に口にしたいのが、タコタイムとかタコベルなどのメキシカンジャンク料理で、コーラなどのポップとブリトーセットなどで腹が膨れると、旅の疲れや時差ボケなども、ひとごこちがつくから不思議なものである。コーラやマックなどのジャンク・フードは、食べた人に忘れさせない様にする何か特殊な物質が入っているのか、といつも食べる度に考えてしまう。

昨日の米軍横須賀一般公開に際して、空母”ジョージ・ワシントン”見学も楽しみだったが、基地内で売られているアメリカンフードをトライするのも楽しみの一つ。好物のオレゴン州ケトルチップス社のポテトチップスなどは、明治屋では確か300円以上して日頃食品の日米格差に驚くのだが、基地内では普段手に入らないアメリカンフードがどの位の値段で売られているのかも大いに気になるところ。妻はさっそく目ざとく"GOOBERS"という、日本ではあまりお目にかからないチョコレート菓子を$2.50で見つけてきて歩きながらほうばっている。

私はホットドッグを$2.00でまず試食、塩味の濃いアメリカンソーセージのチープな味に、ドライなアメリカのパンがたまらない。さらに見ていると225グラムのプライムリブセット(スープ、ブラウニーにビールつき)が1500円、日本ではLサイズのピザが1000円から1500円と基地内は正に価格破壊状態。これはおなかが幾つあっても足らないのだが、そうもいかないので指をくわえて通りすぎるのはうらめしい限り。で、基地の中をあれこれ歩き回り、最後に何かお土産を買わねばと仮設テントの売店で見つけたのが、ポーク・スペアーリブ WITH ポーク・ビーンズである。写真の様なビッグサイズの容器一杯の肉は、これぞアメリカBBQというハニー・ロースト味で$8.00(700円)。これは買うしかないと我が家に持ち帰り、ビールと共にそのチープな味を楽しんだのであった。それにしても普段、仕事は円高で苦しめられている昨今、基地の一角だけは円の威力を見せ付けられた複雑な気持ちであった。  
20091206

2009年12月 5日 (土)

横須賀基地公開日

20091205
米軍・横須賀基地の公開(グランド・イルミネーション・オープンイベント)があるというので、雨模様の中を横須賀までドライブした。日本各地にある基地の中は、一体どんな世界が開けているのだろうか?そこは我々にとって非日常の世界で、アメリカ社会が広がっているのだろうかなど興味は尽きない。京急汐入駅に程近いベースの入り口は思ったより簡素で、入場のセキュリティーチェックも実質ないに等しい程度。こんなに簡単で良いのだろうか、とこちらが危惧するほどあっけなく基地に入ってしまう。

基地の中は紛れもなくアメリカであったが、旧日本海軍の建物らしき施設も一部残り、施設は思ったよりシャビー。ちょうど日本の大手造船所構内の様な雰囲気で、こんなもので極東アジアから有事にはインド洋まで米軍は作戦を展開させているのかと少々驚く。それはさておき、軍事オタクらしき人達のほかに、多くの市民 ( 2万人と発表されていた )がこのイベントに来場したそうで、その目玉は国内では売られていないピザチェーンや特製ホットドッグの様だ。皆、特大サイズの四角いピザの箱を大事そうに抱えているのだが、その値段は1000円から1500円。どう見ても町のピザより1000円以上安くて、近くの市民がこの日を待ちピザを購入している事が判った。 コンサートや構内食堂の営業もあって、横須賀市の人には”米軍の文化祭”の様な感じなのだろうか。

さてこの日は、横須賀基地に常駐する原子力空母”ジョージ・ワシントン”と海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦”ひゅうが”の一般公開もあわせ行われた。といっても両艦とも公開されるのは格納庫や飛行甲板だけなのだが、普段見ることができない空母に乗れるとあってその人気はすごい。両艦とも航空機を昇降させるエレベーターで、乗艦客を上げ下げするところが公開のメダマで、”ジョージ・ワシントン”の米国製のものより、"ひゅうが"の方がショックもなくてスムースに感るのは、日本お得意の微調整によるスムースネスかと苦笑する。

横須賀港ではひときわ威容を誇る” ジョージ・ワシントン”だが、近くで見るとそれほど大きく感じないのが不思議。なぜかと考えてみると、最近は10万トン以上のクルーズ船をしばしば見ているので、飛行甲板までの高さがそれほどない空母は威圧感と云う点では思った程でないためか。それでも海上で航空機を搭載し作戦を展開中の空母は、どんなであろうと思わず想像をたくましくする。そんな”ジョージ・ワシントン”の広い飛行甲板から、すぐ近くに接岸した海自の新造艦”ひゅうが”の空母を思わせる艦影を見る時、歴史的に正規空母を建造し作戦に投入しえたのは、日本とアメリカの海軍だけという事を思い出し、その伝統が”ひゅうが”に受け継がれる事を願ったのであった。 

頭が狂っているとしか思えぬ外交面での鳩山の迷走ぶりを見るにつけ、中国や北朝鮮の脅威の前に、経済・文化だけでなく日米両国の軍事的な結びつきを強化しなければならない、との思いを胸に雨降る基地を去ったのである。

2009年12月 3日 (木)

秘伝のタレ

新しいPCを持って神戸に出張の夜は、海岸通りに程近い最近評判の神戸ステーキ店に現地の人と一緒に入った。この辺りは震災後、見違えるばかりに綺麗になりブティックや有名ブランド店が軒を並べる様になっている。その一角は旧居留地地区などと呼ばれていて、ステーキ屋さんはその街のビルの中にあった。お客は定番とおり目の前に置かれた大きな鉄板で焼かれるステーキを食べるのだが、料理長はこの道30数年とかで、調理と共に彼の神戸牛に関する薀蓄を聞きながら料理を楽しむのである。

調理長のコダワリがひしひしと伝わってくる話を聞きながらステーキを楽しんでいると、たまたま燻製つくりが趣味だと云う我が同僚は、口も段々滑らかになり、鉄板を挟んで調理長と同僚は肉の話題で盛り上がる。料理長は燻製話ついでに、メニューにない自家製のスモークビーフなどをおまけで出してくれたのだが、興にのった我が同僚はこの店の牛コンフィ(漬け汁につけた保存食)の作り方などを聞きたくなった様で、調理長に「秘密だと思うがコンフィの液のポイントなどを教えていただけます?」とおずおずと切り出した。どういう事になるかと聞いていると、これに対する料理長の言や良し、「 全然構いませんよ、お教えしたって僕らはプロですから、手間ひまも設備も違うのでそれは家庭とは違った味を出せるのです 」と躊躇なくノウハウを教えてくれる。こんな事まで教えていいのかなと思うのだが、これを聞いて私は「うーむ、さすがプロ」と感心した。

そういえば最近では、ちょっとした店が ”門外不出の秘伝のたれ”などと看板を掲げていて、客寄せのジョークとしてならまだご愛嬌だが、出来て数年のラーメン屋チェーン店やら焼肉チェーンのタレが、門外不出だの秘伝だのと云うと、へそで茶を沸かす様な気がしてくる。 帝国ホテルでもホテル・オークラでもレストランのレシピーは昔から公開されているが、そう簡単に素人にはホテルと同じ様な本当の味はだせないと自信があるから、平気なのだろう。プロなら時間や設備はもちろんの事、ベースとなる経験や技量が違うのだから、ちょっとした店なら、門外不出などと言わず 「 レシピーは公開ですよ。でも他ではこの味は出せません 」 と言う位の自負をもって欲しいものである。神戸牛の晩は調理長のレシピー話で、料理だけでなくプロの調理人の矜持を見た様で、一層料理が旨く感じたのであった。

2009年12月 2日 (水)

新幹線車内インターネットサービス

我が家の IT 主任である妻の薦めで、出張などに使うノート型のパソコンを買った。何でもソリッド・ステート・ドライブとかで反応が速く、かつ700gの軽さなので持ち運びに困らない。で、さっそく今週月曜日に神戸に出張した際に持参してみる事にした。特に今回は東海道新幹線のN700系で始めた車内インターネット接続サービスもトライしてみようと言う軽いノリで、N700を指定して”のぞみ”に勇躍乗り込んだのであった。

と言ってもアナログ派の私は、どうやったら車内の無線LANに接続できるのかなど皆目わからないクチ、前日に我が家の IT 主任に教えを請うたのだが、こういう際に生返事で「 わかったわかった 」などと適当にやっていると、後で「 聞いてなかったでしょ 」と言って厳しいお叱りを受けるのが必定。今回は新幹線の中から「 この先、わからないからどうしたら良いの? 」などと妻に携帯で聞かなくても良いように、丁寧にメモを取って新幹線に持参した。

さて東京駅を発車するまもなく、新しいパソコンをとりだし電源を投入。昨日のメモを傍らに置いて言われた通りの接続操作を進めていく。途中 ”事前に契約した公衆無線LANサービスにログイン ”などという画面があって、WEPキーを2回入れると言う箇所で1回だけしかいれず失敗しちょっと焦ったものの、まあなんとかスムースに作業が完了したのであった。接続したインターネットは地上のそれと変わらず、明瞭・高速でトライアルは大成功、今後もN700に乗ったら必ず接続してみようと思った。

今回はLANやインターネットに接続しなければならない用事が車内であったわけではないので、頭の体操程度の軽い気持ちで仕事のメールをチェックしてみたのだったが、新幹線の中で車内無線LANに繋げている人はまだまだ少数派だと思うと、なぜか時代の先端を走っている中年の様な気がして、通路の人が注目しているかも、などとちょっと鼻高々になるとは我ながら恐ろしく単純な性格だ。

それにしても、昔は出張で一旦会社を出れば帰ってくるまで連絡もできなかったから、日常を離れた開放感を味わえたものだが、携帯に続いて新幹線でメールチェックなんて事が普通になると、どこまでも仕事に追いかけられそうで、これからのビジネスマンは大変なものだ、とおおいに同情するのである。
20091202pc

2009年12月 1日 (火)

大学をでてからでも遅くない

今日の日経朝刊ではサッカー解説の水沼貴史が 「 大学サッカーの効能 」 というテーマでコラムを執筆している。高校からサッカーのプロになるプレーヤーが多数の中 「 大学に進んでサッカーを続けることは、遠回りでない 」 「 4年をかけて人間形成に励むメリットもある 」 と評価している。駅伝やラグビーの様にアマチュアがその競技のトップの場合は(ラブビーには一部プロもいるが)、大学レベルでの競技が盛んだが、プロが頂点である野球やサッカーでは高卒でプロ志向のプレーヤーが多く、大学のリーグは人気面で空疎化しているようだ。刹那的な社会を表すかの様に、自分の評価が最も端的に表現される金銭の多寡を、プレーヤー自身も周囲も競うからであろうか。

しかし高校を出てトップレベルで活躍できる選手はごく一握りで、大多数は普通の社会人になるのが現実。よほどの才能に恵まれたものでなければ、私は水沼氏が推奨するように、野球やサッカーの選手も大学に進学してからプロに進んでも遅くはないと思う。もちろんアスリートとして自らの競技力の向上・促成という面では、高卒でプロに入った方が有利なのだろうが、与えられた制限付きの条件の中で、自ら創意工夫する事を学べるのが大学のスポーツ。特に周囲の一般学生と交流する事や、若い時分に競技と共に思索を極めたり学問にいそしむ経験は、どういう職業に進もうと無駄にはならないと思う。

大学の全入も可という今、ラグビーや駅伝だけでなく野球やサッカーの大学リーグ戦がもっと盛り上がり、多くの球児やサッカー少年が大学リーグ戦に入って観衆を沸かす様になり、再び学生スポーツが興隆を迎える事を望むのは、大学の運動部の卒業名簿の末端をけがした私ののぞみである。

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