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2009年10月

2009年10月28日 (水)

護衛艦 くらま

先の日曜日に相模湾で行なわれた海上自衛隊の観艦式に参加した後、佐世保基地へ帰還中の護衛艦 ”くらま”が、関門海峡でコンテナ船と衝突した。実は、妻はその観艦式の 乗艦応募抽選に当たって、掃海母艦”ぶんご”艦上から観艦式の旗艦”くらま”に行き交ったばかりだから、今朝は興奮して衝突事故のTVニュースを喰いる様に見ている。

新聞報道によると、自衛艦の海難事故は平成11年から平成20年の間で8件と云うから、平均すると1年に1件弱か。私も永年フネの仕事をしてきたが、150隻という海自の保有艦数や特殊な任務・運用を考えれば、むしろこの事故件数は少ないと感じる。いずれにしても潮が速く、非常に狭い海峡での行き交いの事故、今後しかるべき機関での海難の調査を見守りたい。

先の観艦式の前日は、横浜沖で自衛艦の体験航海が行なわれて、私も運よく横浜・新港埠頭から護衛艦 "さわゆき”に乗って約3時間、各種兵装を始め艦内を見学する事ができた。当日は生憎の空模様であったが、ガスタービン艦の推力や振動の少なさ、護衛艦の機動性の良さなど、普段は体験できない事に触れる事ができて有意義な一日であった。それにしても乗艦した”さわゆき”の曹士クラスの居室は3段ベッドで大変狭いのには驚いた。ソマリアやインド洋で給油活動をする護衛艦は2段ベッドで、やや居住性は良いそうだが、それでもこの様に窮屈なアコモデーションに耐え任務に当たる自衛官には頭が下がる思いがする。 

民間船との事故が起きると、悪いのは自衛隊と云うのは報道の常套である。今回も無知・無恥なメディアは関門海峡の状況も知らず、その様な風潮を煽りそうである。海上で軍艦と行き交う際は、国旗など下げて敬意を表すのが国際的な海上の基本ルール、今回の関門海峡の事故についても、基本に立ち返って冷静な報道がされて欲しいものである。

写真は、観艦式の”くらま”
20091025

2009年10月27日 (火)

壮年パワー全開

毎年春・秋にグループの各社が集まって行う陸上競技大会に今年もOBで出場した。今年はどの位走れるのか、それまでのトレーニングのテストの様な気持ちでもあるし、学生時代に共に競技した仲間も集まるので同窓会の様な気持ちでもある。しかし今回は、春先からアキレス腱炎に悩まされた上、秋は父の死亡で忙しくて満足なトレーニングが積めていないので、どうしても記録や順番への熱意も冷めがち。まあ出場の壮年3000米競走で、昨年比10秒位記録が悪くてもしょうがないか、と云う消極的な気持ちでレースに臨む。

この週末は小雨模様だったが、中長距離走には涼しくて却って好コンディション、案の定、強い選手はスタートからペースも速く飛び出すが、こちらは平均ペースで走ろうとじっくり後方に待機する。それでも設定した予定タイムよりやや速く走るうちにいつの間にか上位になるが、先頭数人ははるか彼方である。結局設定タイムより4秒早く、大して汗もかかず、息も上がらずゴールしたので力を出し切ったとは到底云えず、順番は昨年より2つ落ちてゴールであった。自分の状態をやや過少評価したまま消極的なレースをした事になるが、体調や状況を考えるとやむなしとも思う。謙虚な私である(笑)。しかし、それにしても壮年の部50歳代は難しい。

20歳代から40歳代位までの年頃では、皆、仕事に接待にと忙しく体もメタボ気味になって、往年の名選手も年々記録が見る影もなく落ちて来るのが通例だが、50才位を境に一挙に時間の余裕ができるのか、出場するランナーは年々記録を伸ばしてくる。もっとも親会社で出世して役員などになった連中は、50歳代はまだまだ忙しいのだろうが、窓際族になったり子会社の適当なポストについた者、私の様に早期定年した者達はだいたい時間的にかなりの余裕が出てきて、「 この夏は月350キロから400キロは走ったよ 」などと、学生時代よりよっぽど熱心に練習している。

ことしも50歳代のトップは大会新、2位も50歳代自己新とか云っていたが、どうも諸君達、少しは仕事しているのか?自然の法則に逆らっているぞ、などと思わず後方を走りながら叫びたくなる。50歳代も後半のこちらであるが、毎年40歳代から新規参入はあるし、同じ年恰好の連中は閑にまかせて練習量を半端でなく積んでくるし、これは再び優勝するには並大抵の努力では足りないと思うのである。

閉会式で、整列しながらそんな事を愚痴るともなく漏らしていると、横に並んだ他社の60歳台のランナーにすかさず「 何言ってんの。60歳台は時間がもっとあるし、50歳代から活きの良いのが上がってくるし、もっとやってられないよ 」と返されたのであった。いやはや壮年パワーは全開である。

2009年10月26日 (月)

日本の製造業の強さ

船舶用グラブバケットメーカーの新工場竣工記念パーティーに出席した。船舶に貨物を積み込む際は、普通は陸上の荷役装置を使用するのだが、開発途上国など港湾設備の整っていない港では、本船に装備したクレーンやグラブで荷物の積み降ろしをする。このメーカーは、こうした舶用グラブバケットのわが国ナンバーワンメーカーで、国内ではほぼ独占的に製品を供給するのみならず、おそらく東半球全域でマーケットを圧倒しているのである。

25年ほど昔この会社の社長と2人、新しいプロジェクトでフィリピンのパラワン島の鉱山に出張した事がある。マニラからフライトを乗り換え乗り換え、最後は鉱山会社のセスナが週に数便立ち寄るジャングルの中が目的地で、マラリアの予防薬を呑みながらの出張であった。町は鉱山の従業員宿舎以外は電気もなく、夜は真の闇に閉ざされて、おおとかげの鳴き声が聞こえる正に辺境の地であった。

当時このメーカーが新開発した装置を使い、新しい方法で最寄の港からの鉱石の船積みを行ったのだが、それを監督するのが出張の目的だった。私は最初の数日の間、順調に作業が行なわれば、後は現地の人に任せてさっさと次のセスナ便で文明地まで帰ろうと思っていたのだが、同行の社長は10日ほどかかる作業が全て無事終了するまでは見届けると、頑として現場を離れない。高額なセスナ便を何回も往復させるわけにもいかず、やむなく私もジャングルの中で社長と二人、マラリアの薬をのみつつ作業を見守り10日間を過ごした。しかしその時、彼の熱心な仕事ぶりに製造物メーカーの自社製品に対する責任と、自負の念をかいま見た気がした。

それ以来、現在に至るまで社長とは永い付き合いであるが、驚く事は常に自社製品を改良しよう、より良き製品を作ろうという彼の製造者魂である。材料から仕様に至るまで、グラブバケットなどという変哲もない様な産業用機械が、毎年少しづつ改良を加えられているのである。社長に会う度に「今度の製品は、ここをこう改良しましたよ、これで能率がこう良くなり、故障も減るのです。」と子供の様に目を輝かせて説明されると、じゃあまた新しいのを買ってみるか、と云う気になって一基1000万円もする新しいグラブバケットを多数購入したものだが、それらを後輩達が現在も使って仕事をしていると聞くと、会社を辞めた今も買って良かったなと思うのである。

今日の記念パーティーでは、例によって更に改良を施された新製品の披露もあり、カイゼンに対する社長の挨拶を聞くうち、日本の中小メーカーの技術力と製品への執念・製造者としての矜持を感じ、こういう機器メーカーの一つ一つの強さが日本の工業製品の強さの源泉であると改めて感じたのであった。
20091026

2009年10月21日 (水)

皇居ランの問題点

我々夫婦のホームコースである皇居のランニングがいまブームである。随分走っている人が増えたねと妻と話していたところ、「この2年で3~4倍」「東京マラソンがきっかけ」(本日付け日経新聞『皇居ランブーム』)だそうだ。以前は、ランナーたちは桜田門にある洗面所や近所の銭湯などで着替えていたのが、最近ではロッカーを用意した近くのスポーツクラブやスポーツ店も多く、さらにホテルも皇居ランナー向けの宿泊プランを開始したとの事で、こうなればジョッギングもビジネスになる。先日は、東京出張のついでに話題の皇居コースを走っていこうとするのだろうか、背広姿のサラリーマンからコースの様子を聞かれた。

たしかに、皇居のまわり一周5キロの歩道は信号がなく、適度な起伏やお堀の景色を楽しめ、警官が多いので治安も良好。夜間や休日は都心も排気ガスが減るのでなかなか走りやすいコースである。しかし一部には歩道が狭くなっている箇所もあり、ランナーも増えたので、私はいつか歩行者とランナーの接触事故が起きるのではないかと危惧している。休日にはこのコースを使って、レースや駅伝大会なども開催されるのだが、速いランナーは時速15キロから20キロで走って記録や順番を求めているから、乳母グルマやそぞろ歩きの観光客と安全に歩道を共有できるかという疑問が起きる。私も一周20分くらいで走る際は、歩行者優先という事が判っていても、ついつい人と人の間をすりぬけようとしてヒヤリとする事がある。

そこで先日、環境省の職員が桜田門の広場を巡回していたので、私の心配をぶつけて話してみた。特に大手町・大手門付近や、竹橋から乾門にかけては内外の観光客も多いので危ないし、千鳥ヶ淵近辺は歩道が狭すぎるので、歩道を広げるなり注意を呼びかけるなりした方が良いのではないかと、その職員に質問すると、そうなのだが予算もないのでと云う趣旨の返答。何でも桜田門前の広場は環境省管轄なのだが、道路は国交省やら東京都など様々な行政の管理で、環境省だけで歩道の拡幅などできない様である。趣味で走っている人達の為に予算を使って歩道を広げよ、と云うのもなかなかおこがましい要求だと云う事は承知だが、休日にもなれば数千人にも上ろうというランナーが走る歩道である。せめてごく狭い一部の歩道を拡幅し、ランニングコースと歩行者の安全の為に両者を分離するなどは大した費用はかからない。一日に耕運機が数台通る様な農道を整備する位なら、環境省でも国交省でも良いから皇居の廻りの歩道の整備をして欲しいと願うのである。

2009年10月19日 (月)

条件反射

渋谷駅の駅ビルの一画、バスターミナルに面して、かつて公衆トイレがあった。そこは人通りが絶えぬ場所で、トイレを利用する人も多く、ただでさえ汚いトイレは始終、悪臭を放っていた。私も、若い頃は渋谷駅で乗り換えていたのだが、当時は深夜まで鯨飲する事が多く、随分とここのトイレにはお世話になった。深夜ともなれば、汚いトイレは酔っ払いの使用で一層臭くなり、用を済ませるやいなや最終電車の時間を気にして脱兎の如くホームに走ったものである。

ところが、数年前久しぶりに渋谷駅で下車して、そのトイレの前を通ると、なにやら様子がまったく変わっている。人目から隠れる様にして設置されていたトイレの場所は、明るくモダンなライトで照らされ、お菓子を売るスタンドになっている。そして店の前は、なんと女の子達が列をなしてお菓子の注文待ちしているではないか。酔っ払いのおじさん達がアルコールを大量摂取して、用事を足す順番を作ったのが、いまや若い子の注文待ちの列になってしまった。思わず絶句し「ここは汚いトイレの場所だったのに~。何と云う変わり方」と順番待ちのうら若き女の子達に聞こえぬ様にひとりごちてしまった。

若い女の子たちは、その場所がかつて汚いトイレなどと言うこと等つゆ知らず、嬉々として順番を待っている様だが、おじさんたちはあの場所を通ればトイレと、どうも条件反射の思考回路が出来ていて、いくらそのお店のお菓子が評判になっても、どうも立ち寄る気にはならない。そういえば、先日中学の友達で集まったら、女性陣も 「そうそう、あのトイレの場所で、今甘いもの売ってるのよねー。でもどうしてもトイレ思い出しちゃうよね~ 」と言うので、刻み込まれた思考回路は男女同じ様である。それにしても、食べ物やを開業する際は、そこが以前は何の場所だったかは調べてから開業した方が良さそうだ。幸い若者向きのお店だからここはわからなくて良い様なものの、これがおじさん相手の飲食店だったら、かつてを知っている人はきっと足が遠のくに違いない。
20091019

2009年10月17日 (土)

JAL 企業年金

JALが企業存亡の危機にあると云う。報道を見ると高コスト体質に、これまでの航空行政のツケが重なった事が主な原因とされている。その再建策の一項目に、企業年金債務の大幅カットとあり、これはOB達にとっては非常に辛い選択であろうと、かつてJALに就職した何人かの友達の顔が浮かんでくる。きっと会社に対する怨嗟の声がこれらOBの間で渦巻いているに違いないと思い「 日本航空の年金を考える会 」等と云うホームページを覗くと、案の定これまでの経営の失敗に対するOB達の声が満載されている。それらを読んでいるうち、調度四半世紀前に海運界が沈没しかけ、多くの仲間去るにあたり、同じ様な怒りがあった事を思い出す。当時は労働組合の役員をしていた事もあり、存亡の危機にあるJALのOB達の悲痛な叫びを読んでいると、その時分を思い出して、まるで自分達の事の様に身につまされる。

さてこれらによると、JALの企業年金は確定給付型企業年金と云うシステムらしく、私が数年前に海運会社を早期定年退職制度で辞めた際の、退職金・年金制度と同じものの様である。ただ問題は、JAL年金の運用の予定利率が4.5%などと高く設定されており、(年金を考える会のホームページでは高くない、とされているが)この予定利率を下廻った際は、その補填は企業が行わなければならない点にある。今は年金の4.5%の運用などできないから、約束した年金支給額と実際の運用との巨額の差をJALが負担しなければならないので、その予定運用率を下げてくれと会社がOBに提示しているらしい。

私が辞める際に会社から提示された年金額は、運用予定が3%を下回るものであったが、疑い深い私は、こんな利率でこの先5年も10年も運用できるはずはない、できない時は会社が補填するから大丈夫というが、未来の事は何が起こるか予想がつかないから会社などを信用などしない、と思っていた。当時、銀行や生保など金融機関の知人に「定期預金の利率がゼロコンマ数%の時に、本当に3%近い運用ができるのか?」と聞くと、皆一様に「年金基金の運用は、その位問題なし」と答え、「いざと云う時は会社が補填するし、年金は一番最後まで守られているのでほぼ信用して良い」との事。それでも性格の悪い私は「日産生命が倒産した際に、日立のOBは年金の減額があったはずだが、企業が倒産したり、年金を運用する金融機関がコケたら、同じ事が起こるのか?」と畳み掛けると、「それは、そういう可能性はなきにしもあらず」と呆れて彼らは答えたものである。

今回のJALの年金減額提案に対するOBの恨みの声を見ていると、退職時にそんな可能性もある事を疑う事なく、なるべく一時金でもらうなどせずに会社の提示する年金の案内を信じて来た人が多い様で、それだけ居心地の良い会社であったし絶対つぶれないと多くの退職者が思っていたのかと伺わせる。多くの国民が、厚生年金や国民年金などの社会保険は先行き不安だ、国のいう事は信用できないと考えているのに、原資が違うとは云え企業の確定給付型年金には、絶対の信頼をおいている事を根性曲がりの私などは不思議に感ずるのである。

たしかにこのJALの年金に関する会社提案は、最後の聖域を犯すもので、受給者や受給予定者には大変辛い選択であろうが、JALほどではないにせよ銀行や運輸省(当時)の思惑で翻弄され続け、資本の論理で最後は強引にねじ伏せられてきた業界から見ると、今回の再建策はやむを得ないかと思うのである。減額幅を小さくする条件闘争に力を入れられたい。 一方JALの株もいくらか保有しているが、株主とすれば今後減資などがあるべし、これも株主の責任・資本の論理と覚悟している。



バルクキャリアー 2010-03-26 23:28:22
甘えた日航は嫌いさま、JAL OBさま。

拙文をお読み頂き誠に恐縮です。

JAL OB様
もう一度良くお読みいただければ納得されるかと存じますが、私はJALの年金額が高いとか低いとか一切言っておりませんし、考えてもおりません。ただOBの方々が退職時に4.5%の年金運用をすると会社から言われた際に、ほとんどの方があまり疑問に思わずサインされた由、これまでのJALはとても居心地が良く皆さんあまり会社を疑っていなかったのだろうと推察し、その事を拙文にした次第です。

私の居た業界は合従連衡が日常だったため、私は基本的には会社を信じておりませんでしたので、退職時に企業年金は3%弱の運用予定と言われても、会社を信じず別の方法を選択しました。(親戚に日立製作所OBの者がいたので、日産生命の破綻で企業年金が引き下げられたのを身近に見た事もあり、企業年金を私は100%信頼していないのかも)

私も妻も株主としてJALの破綻で少なからぬ損害を蒙りましたが、友人や親戚にはJAL勤務者もおります。今はJALが立派に再建する事を臨んで応援しております。


甘えた日航は嫌い 2010-03-26 18:43:40
イチローや松井は、それ相応の活躍をしているのであれぐらいの年俸を貰うのは当然ですね。
倒産した会社に今までの給付率を維持しろって要求する事が、おかしいって思わないんですか。国民が嫌がったのは積み立て不足の解消の原資に税金が当てられる事なんですよ。給付率を維持したければどうやって解消するか具体的な提案をする義務が反対する側にはあるんじゃないんでしょうかね。一日航OB様


JAL OB 2010-03-22 17:50:12
最初に言っておくことは他人の芝生は青いということです。

年金額が高いとか低いとか言うのはその持ってきたbaseがわからないのでしょうね

別に国から優遇されてるわけではありません そのような契約に基づき支払ってきた対価に伴う当然の結果です。そんなsystemに恵まれなかった人はお気の毒様

たとえば貴方はいちろーや松井の年報をおかしといって問題にするのでしょうか

仮に世間レベルといわれるならそれは昔のお上にすがる姿勢に他なりません

失礼ですがTV評論は聞き飽きてます

2009年10月15日 (木)

社会保険事務所

母親が遺族年金の申請をするに当たり、とても一人では出来そうもないと言うので、準備を手伝い、申請に同行して社会保険事務所に行った。たまたま今日の東京は絶好の秋晴れ、こんな日はお年寄りも外出しやすいので、きっと混んでいる事だろう、雷雨でも来たら良いのになどという不埒な思いが頭をよぎりながら、生まれて初めて社会保険事務所のドアを開けた。事務所の中は小さな郵便局くらいの感じだろうか、申請窓口やら順番待ちのカードの機械、長椅子が並んでおり、案の定、ほとんどが初老以降と見られる多くの人が待っている。

これは一日仕事かとうんざりする間もなく、補助の職員が「 お客様、今日は何の御用ですか? 」と聞いてくる。俺達は客かい?と思いつつも来所の目的を説明すると、さっそく何種類かの記入用紙を渡され、その記入方法をマン・ツー・マンで丁寧に指導してくれる。普通、役所の窓口では申請用紙の判りにくさに苦労させられるものだが、さすが年金の役所、その指導はとても親切なのに驚く。ただ次々訪れる来訪者と職員との間では、「 以前この書類が足りないと言われたから持って来たのに、これでは駄目なのか」と云う様な会話があちこちで交わされている様である。

どうも社会保険事務所に年金の申請を来る年代の方達は、ネットで必要書類を事前にチェックしたり、電話で確かめたりせず、時間に余裕があるので徒手空拳、事務所に来てしまう人が多いと聞いており、それが混雑の一因だとも云われている。思わず「色々な人が来て大変ですね、皆さんあまり準備をしてこないのでしょうか?」と補助の職員に言葉をかけると、「そうなんです、なかなかスムースに行かない場合が多くて」と恐縮した顔で返事が返って来る。そうこうして申請用紙を準備して待つうち、思ったより早く順番が来て、男性の職員が直立不動で待つ申請窓口へ進むと、若い事務職員は口調穏やか、持参の戸籍謄本その他諸々の書類を確認し、目の前のパソコンとホストとの間でなにやらデータのやりとりをする。ほどなくこれまでの父の年金暦や金額、これからの遺族年金の受給額などが印刷されて出て来て、あっけないほど簡単に申請が終わってしまった。社会保険庁のデータベースの信頼性も、ここ数年の報道とは大違いで、とても信頼性の置ける立派なものだと拍子抜けするほどである。

一方、父が以前に加入していた国家公務員共済年金と厚生年金は、データベースシステムがまったく分かれている様だが、共済年金の申請用紙を持参して色々なアドバイスを求めると、社会保険事務所の職員は、大変親切かつ真剣にあちこち調べて、受け答えしてくれた事も付け加えたい。以前にもこのブログで指摘した通り、メディアで報じられた社会保険庁の様々な不正については、本当の不正は実はごく僅かに過ぎず、年金システムの不備から生まれた構造上の欠陥に起因するものであって、現場は加入者の為に士気も規律も高く業務に従事しているのだと感じた。

今回の厚生年金の遺族年金申請で感じた事は


  1. 書類を万端準備して行けば、普通は、手続き自体はそう難しいものではない事。

  2. メディアで報じられた、社会保険庁の怠慢や懈怠は、例によってメディアが作った嘘である事。

  3. 各種年金のシステムがばらばらで、データベースの相互共有が未整備という制度的かつ致命的欠陥が存在する事。

  4. それにも拘らず、現場の社会保険事務所は年金受給者の視線で業務を遂行している事。

  5. 日本にもアメリカのソシアル・セキュリティー番号の様な納税・年金の為の統一された国民背番号の制度整備が必要な事。

以上である。

2009年10月14日 (水)

No matter which side you are rooting for .

高校生プロ・石川遼選手の活躍で、これまでゴルフ場に縁のなかったファンが会場に足を運ぶ様になり、観戦のマナーが乱れてきたと報道されている。ライバルがパットを外すとギャラリーから拍手がおきたり、携帯電話やデジカメの音で選手がプレーを妨害される事もしばしばなのだと云う。我々素人でも、他のプレーヤーがショットやパットをする際はおしゃべりはやめるものだが、人気者の登場で急造ファンが増えると、今まで考えられなかった現象も起こる様だ。

もう一つの紳士のスポーツ、ラグビーでも相手のミスに際して拍手はしないものだったが、最近ではジャッジの笛にスタンドから文句が飛んだりするぐらいで、応援マナーも悪くなっていると聞く。最もラグビー会場でチアガールが登場したりする時代だから、観客席の変化も当然と云えば当然なのかもしれないが、往時を知るファンとしては昔日のラグビー場の雰囲気が懐かしい。

一方、にぎやかな応援が楽しい東京六大学野球で先日こんな応援風景を見た。慶応対東大戦で慶応のキャッチャーが負傷をし、治療の為にベンチに戻ろうとした瞬間、攻撃中の東大のブラスバンドやチアーの応援がたちまち止んで、完全な静寂が神宮球場に訪れたのである。以前から負傷治療中の選手が居る時は、両軍応援合戦をやめようと云う申し合わせになっていたが、攻撃側はグラウンドの出来事に気づかず応援を続けてしまう事が良くあった。そんな中、東大応援団はいち早く相手選手の異常に気づき、即座に応援をやめた上、治療を終えた慶応の選手がグラウンドに戻って来るなり、大きな拍手で相手をたたえたのだった。試合再開を待つ間の球場を取りまく沈黙、その後、敵・味方問わない大きな拍手がこだます中、応援合戦が再開したのを聞くと、これぞ学生野球と久しぶりに清清しい気分になり、たそがれ迫る神宮球場の秋風にしばし吹かれて感傷に耽っていたのである。

2009年10月13日 (火)

ブサン・タクシー考

韓国のブサンに行っていた。宿泊したホテルは東京で云えばお台場の様な所にあり、新しい埋立地にリゾート風ホテルやコンベンションセンターなどが出来ている。おりしもブサン国際映画祭が開催されていて、各国からのスター達と共に日本からもキムタクが来ていたらしく、とても華やかな雰囲気だった。韓国も昨年来の世界経済危機の影響を強く受けているはずだが、不況どこ吹く風という活気、この国も近代化が着々と進んでいるのを肌で感じたのだった。ただそんな中、唯一昔の日本を思い起こさせるのがタクシーである。

どうも外国に来ると感じるのだが、その国の文化の成熟度とタクシーなどのプロのドライバーの運転の乱暴さは反比例するのではないだろうか。中国やインドネシア、フィリピンなどアジア圏でクルマに乗ると感じるのは、運転手たるもの前のクルマを抜かなければ男ではない、と云う信念にでも駆られている様で、憑かれた様に目一杯アクセルを踏むドライバーが多い事。また、シンガポール出張の帰途に香港に立ち寄った時の事だが、高層ビル立ち並ぶ町の感じが似ているという安心感から、シンガポール並みに横断歩道を渡ろうとしたら、車優先の香港で危うく轢かれそうになっった事があって肝を冷やした。同じ中国人社会でも一人当たりの国民所得が高く、規則も厳しい国は、車の運転マナーも変わる様だ。

一方アメリカの田舎に行けば、大変な高齢者も運転している為か、時々一方通行を逆に走ったりウインカー(ターニング・フラッシャー)をつけたまま走っているクルマがあるが、そんな時に周囲のクルマはたいてい安全の為に止ったり見守っていたりする。またイギリスなどでは横断歩道で人が立っているだけで、通行のクルマがピタっと止る光景などを良く見る。アウトバーンに代表される都市間の高速道路や田舎の国道は、巡航速度が大変高いが、一旦町中に入って学校の表示などがあると、スーと皆速度を落とすのも見慣れた風景である。

さて昭和の30年代東京や大阪などのタクシーは、とにかく運転が荒くカミカゼタクシーと呼ばれて恐れられていた。マナーも悪く近距離の客は乗車拒否をするし、返事はろくすっぽしないなどタクシーに乗るには、客の方で勇気が必要だった時代である。日本では自由化でタクシーの台数が大幅に増えたり、業界の努力・教育などで最近は随分良くなったものであるが、ブサンのタクシーはまだ日本の数十年前並みの様だ。どのタクシーも飛ばすわ、赤信号は無視するわ、前車に超接近して走るはと運転は乱暴、大体ブスっとして笑顔もなく、20分も乗ると客の方が緊張と恐怖でこわばってしまう位である。今回の旅でも、タクシーに乗るとシートベルトもしない運転手の横で、私はシートベルトで身を硬直させ、同乗者はタクシーを降りるなり「運転が荒くて気持ち悪くなった」と青い顔をしていたものだが、客にクルマ酔いをおこさせる様な韓国のタクシーを見ると、まだ運転文化の成熟度が低いのではないのか、この国では20年後にタクシーのマナーは日本並みになっているいるのだろうか、などと云う思いが旅空によぎった。

2009年10月 9日 (金)

ラーメンのご作法

昼食時にうら若き女性などが、麺をズルズルと音を立ててすするのは日本独自の風習と云われていて、確かに欧米人と麺類の食事を共にする時、彼らはスープを飲むが如く音を立てない様にしているのがわかる。スープの飲み方は、飲むのでなく、スプーンの中の液体を食べる様にして、音を出さないのが欧米のマナーとむかし習ったが、彼らはラーメンなどの際も身についた習慣で自然にそうして食べるらしい。

私は、そんな時に「 日本では麺を食べるとき、ズルズルと音をたてて飲む ( SLURP ) のがエチケットだよ」などと、かなりいい加減な事を教えるのだが、その外人が次にあった時に一生懸命に音を立てて麺をすすろうと努力しているのを見ると、かつて高校の頃、外国からの留学生に、日本の悪い言葉ばかりを面白がって教えた事を思い出してしまい、僅かに胸がいたくなる。

それはそうと、そうやってスープを啜った後には、たいてい背広やズボンに、ラーメンなどの汁が飛びはねてできた”しみ”がついていて、いつも「 またか 」と私はうんざりするのだが、妻はそんな私を見て「 注意力散漫なのね 」などと笑っている。

そんな妻が昨日の昼メールをして来た。いわく「 広東麺 」と題して「細心の注意を払って、汁飛びと辣油ハネを回避。味はなかなかだったので、無事何事もなく食べ終わって大満足。ほっと一息、デザートのブルーベリーヨーグルトのフタを開けた瞬間、紫のヨーグルトがこちらに向かって飛び出してきた。油断してて避ける間もなし。今日は真っ白いシャツだから紫のポツポツが格好悪い。残念、昨日だったら紫のシャツで保護色になったのにぃ」との事である。

日頃、さんざん注意されている妻のたまの失敗に、「 ほ~れ見ろ、自分だってやるじゃないか 」と僅かに溜飲を下げ、「 災難は思わぬ処からやって来る、ラーメンは思わぬ処に飛んでいる 」とメールの返事をしたのであった。

2009年10月 7日 (水)

チャリティーマラソン

この前の日曜日は、皇居で開かれたグローバルフェスタ・チャリティーラン ( リレーの部 ) に中学の同級生とチームを造って出場した。この大会は10月6日の「 国際協力の日 」に因んで、国際協力への理解を深める為に日比谷公園で開かれるイベント、グローバルフェスタ ( 外務省やJICAなどが主催 ) の一環として毎年開催されている。場所は便利な皇居周回コースで、5キロ・10キロマラソンなどの他に、我々が参加したリレーの部 ( 5KM X 3人 ) もある。

大会のミソは、運営がほとんどボランティアで行われていて、参加費1500円のうち1000円あまりが様々な国際協力団体に寄付されると云う点だろう。その為レースもアットホームな雰囲気で、記録も自己で録って楽しく走りましょうというのが良い。皇居の周回コースは歩道を走るので、交通規制もなく和気藹々とした手作りマラソンの気分が横溢している。

実は数年前に中学校の同級生たちで飲んでいた時、昔の事を肴にしながら集うのも良いが、たまには少しは世の中のお役に立って、かつ健康的な事もしようじゃないの、という酒席の盛り上がりで参加する事を決めたものだ。そのときはアルコールの勢いも手伝って気勢大いに上がり、少なくともリレーの部は2チーム・6人は参加しようという事だったのだが、現実にエントリーの段になると、3人1チーム参加が精一杯というのがおじさん・おばさん達の現実。ただリレー組の他に、5キロの部などに参加する仲間もいるほか、毎年元紅顔の美少年?美少女?の応援団 ( 別名:ただの酒飲み?)が選手の2倍くらい集まって声援してくれるのは心強い。

というわけで、今年も我々リレーチーム一組3人(男2+女1)のほか、5キロの部の参加者が1名、その他は応援の男女多数と言う事で、秋晴れの一日は大人の運動会を楽しみつつ、4000円ほど国際協力の団体(NGO)に寄付もできたのであった。成績はリレー参加50チーム中の真ん中くらいだろうか。 レース後は、お楽しみ、走って消費したカロリーの倍くらいビールを日比谷公園のビアガーデンで飲みながら、来年は、かねてからのお約束どおり2チームは出走してたすきを繋ごうね、と固く誓いながら酔っ払いの中年オジサン・オバサン達は別れたのであった。

2009年10月 6日 (火)

スマトラ沖地震で思う事

スマトラ沖地震の、その後の悲惨な情報がニュースで流されている。今日はパダンの倒壊したビルの光景が放映されていたが、この町は日本向けの石炭の積み出し港としても有名なところで、被災地の状況が気にかかる。インドネシアと云えば、他の幾つかの東南アジアの開発途上国の様に、いまだに役人の賄賂や不正が横行していて、私も幾度か目を疑う様な場面にあった事がある。

数年前、ジャワ島のある町で仕事で関わった税関の職員は、ビジネスの後に制服・ピストル携帯のまま、日本から予約をしていたホテルまで我々とともに同行してくる。まるで行動が監視されているのかと思う様な密着マークなのだが、ホテルの駐車場に着くや否や彼らは 「 ここで待ってろ 」 と言ってロビーに消えて行った。やむなくそこで待つ事しばし、その税関吏らが出てきて曰く「 残念でした。今日はこのホテルは、満員だそうだが、私たちが知っている良いホテルがあるから案内しよう 」と言う。「 嘘をつけ、こちらはホテルのコンファメーションを持っているぞ 」と云いたかったのだが、現地人運転手は、仕方がないから従えと言うようにただ笑っている。やや離れた場所にある別のホテルに連れて行かれたところ、幸いそのホテルもそれなりに信頼できそうで、値段もまあリーズナブルだったから、結局税関あっせんのホテルに投宿した。しかしこの国ではこうやって官吏がコミッションを当たり前の様に、不正に得ているのだろうなと、えらく納得した覚えがる。

パダンの倒壊したビルの建築確認や、設計・施行などもこういう賄賂や、手抜きの建築確認の下で建てられたのだろうか。日本でも最近、偽装設計事件などがあったばかりだが、インドネシアの惨状を見るにつけ日本の耐震設計のレベルと比較してしまう。米国がイラクやアフガニスタンで軍事力をふるった後、これらの国で日本の様に民主主義や国土の統一ができないと言って苦慮しているが、我々は世界の歴史上まれにみる1国家1文明の国民国家を背景に、(いろいろ意見はあろうが)立派な国を作り上げた事を誇りに思うのである。

2009年10月 5日 (月)

聞くは一時の恥

20091005

最近は地下鉄ばかり乗るので、JRを利用する機会が少ないのだが、総武線(黄色の電車)の駅のホームに見慣れぬ表示があるのが気になっていた。このサインがそれで、大抵はホームの中程やや後部にあり、プラットホーム上に直接表示されていたり屋根から下がった形式で掲示されていたりする。非常用の列車停止ボタンではないし、何か特殊な装置がこの場所に設置されているのかと、とても気になってネットであちこち検索したのだが、どこにも参考になる様なサイトがない。普段良く乗る私鉄や地下鉄にもこのサインがあるかと、それらのホームできょろきょろするのだが、どうもJR特有の表示の様だ。

鉄道に乗ると車窓の標識を確認しつつ線路の様子を見たり、架線の構造や継ぎ目などを観察するのが好きなのだが、気になっていくら調べても判らない表示というのは、どうも気持ちが悪い。で、先日、最寄のJR駅で電車を待っている際、意を決して少し手持ち無沙汰にしていた駅員に、このサインは何を表わすのか聞いてみたのだった。「あ、これはホームの限界というか、電車がホームを行き過ぎた時に、運転の都合でここを過ぎたら、いろいろやらなければいけない所の・・・・」なんて答えが、そのベテランらしい駅員さんから返ってきて、ハッと気がついた。

鉄道の安全運転の基本中の基本は、閉塞というシステムで、一つの区間 ( 閉塞区間と云う ) には一つの列車しか入れないことで、安全が確保されている。前の閉塞区間に列車が留まっている限り、後続の列車には赤信号が現示され、前方の閉塞区間に進入する事ができない仕組みなのである。ただ都市近郊の列車が過密に走る線路では、先行列車との距離を極力詰めて運転できるように、安全に止まれる範囲内で各閉塞区間がごく短く設定されている箇所が多い。総武線の様な路線で、もし電車が停止位置目標を大きく行き過ぎてしまい、次の閉塞区間に差し掛かって止まってしまった場合、客扱いの為にバックする事は、後続の電車との衝突と云う大変危険な事態を招くであろう事は容易に想像がつく。

どうやらこの標識は車掌や駅係員に対して、所定の位置に止まれず電車の最後尾が標識の地点を越えていた際にバックする時、その電車は閉塞区間をまたいで戻る事になるので危険だ、という地点を示している様だ。実際に電車が過走し、その位置を越えて止まった様な事態になったら、多分列車指令に連絡の上、後続電車が完全に停止した事を確認してからバックするのではないだろうか。

ウーム、これは目からウロコ、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、思い切って駅員さんに聞いただけで、また鉄道の旅の知識が少し広まったと、嬉しくなったのである。

Bulkcarrier 2009-10-06 20:23:43
第4走(女)さん

みんなが、勉強したりヨットに乗ったりしている時?ひたすら走っていたからですが・・・・・。でも皇居の周囲を走っている女性たちは、皆きれいというか、活き活きとしていていいですね。 これってオヤジ・・・?


Bulkcarrier 2009-10-06 20:10:15
まろんの父様

表示は首都圏でも一部路線にしかないので、大変気になっていました。交通運輸だけでなく、製鉄所など巨大システムの現場は、先人の知恵や歴史、経験の積み重ねが凝縮されており、いつも感心しています。工場見学は何時間あっても足りないくらい好きで、機会があれば参加しています。こういう裏方の小さなステップが重なって日本の現場が成り立っている事は日本の誇りだと思います。


まろんの父 2009-10-06 01:01:05
「閉塞境界標識」がプラットホーム上にあるのは首都圏ならではと拝読しました。以前小田急沿線に10年ほど住んでいた頃には見かけなかったなぁと思い返しております。設置理由はともあれ安全のためには重要ですね。


第4走(女) 2009-10-05 23:33:07
聞かなくても恥はかかないようなオタク要素たっぷりの知識じゃないかなあと思ったのは私だけではないでしょう。

むしろ知ってるほうが鉄男っぽくてなんだかねぇ・・。

今日は雨の中5キロ走ってきました!でもタイムは縮まらないす。(噂によるとBulkcarrierさんはまたすごいタイムをはじき出したとか。すごーい。安泰ですね!)

夫はホモっぽい格好で走ってて、あれで一人で走ってたら勘違いされるわな、という感じでした。

2009年10月 2日 (金)

友はありがたいもの

父が90歳で亡くなった。70歳で現役を退いてすでに長いので、ごく近親者のみで葬儀を行なったのだが、父と仲が良かった友人にも一応声をかけたところ、90歳とは思えぬ、かくしゃくとした大柄のご老人2人が、告別式に来て下さった。聞くところによると二人とも、元日本を代表する様な大変なスポーツマンで、うち一人はまだそのスポーツ協会の要職にあるとの事。いや世の中には元気な老人がいるものだと、びっくりする。

この偉丈夫の二人が、通夜の席で隣り合ってお話をしだした。「おい故人の名前は、『○三』と言うが、葬儀の供花には『×一、△二』なんてのもあるから、上がまだ生きているのかい 」などとあたり憚らず、いささかトンチンカンな事をしゃべりだす。「 そういや故人の妹は、大変な家に嫁に行ったけど、苦労したのか? 今はどうしているのかな? 」などと存命の葬儀参列者がひやひやする様な昔話も始める。当人たちはひそひそ話しをしているつもりなのだろうがだが、いかんせん二人とも耳が遠くなっていて内輪話は周囲に筒抜け、老人特有の遠慮なしの会話は一瞬とも止る事がない。話をしているうちに、彼ら2人の間では、段々青春時代の出来事が蘇って来る様で、「故人は大学に入るのに浪人して大変な苦労だったんだよな」などと、家族も良く知らない話も飛び出してくる。二人の掛け合いは、まるで志村けんが、おばあさん役でやる寸劇の様で、そのうちお坊さんの読経より二人の会話の声の方が大きくなってしまい、周囲はおかしくて吹き出したいのをこらえつつ、今にお坊さんが怒りだすのではないかと気が気でない。

そんな、はらはらした気分で通夜のお経をこらえて聞いた為だろうか、40分の読経の時間は思ったより早く終わった様に感じたのだった。いやはや老人の無手勝流は、向かうところ敵なしである事を改めて認識した次第である。それにしても皆で笑いをこらえるのに必死、通夜の席が湿っぽくならなくて良かったし、死しても持つべきものは、良き友人であると感じた葬儀であった。

火葬場では、お隣の扉がたまたまジャイアンツの故土井昭三氏で、大の巨人ファンだった父は、お隣の土井選手に別れを告げながら旅立ったのかと思うと、これまでのいろいろな出来事が走馬灯の様に脳裏に去来して、なぜかしばしほっとした父の葬儀でった。

Bulkcarrier 2009-10-05 20:36:00
まろんの父さま

わざわざご丁寧にお言葉を頂きまして誠にありがとうございます。父はなにぶん高齢でしたし、これまでにも幾度も大病を乗り越えて参りましたから、天からさずかった命をまっとうしたのではないかと、私達は考えております。

今年は、北の大地に2度ほどお邪魔をしました。雄大な大地でのドライブや、おいしい食事を堪能いたしました。これから寒さ増す折り、風邪など召しませぬ様ご自愛下さいますよう。


まろんの父 2009-10-04 20:11:32
Bulkcarrier様

こうしてコメントを書かせていただくだけの身ではありますが、御尊父ご逝去とのこと、お悔やみ申し上げます。最近は友人のご両親様の訃報に接することも多く、改めて自らの年齢を感じたりもいたします。こちら(トワイライトエクスプレスの北の終着駅所在地)は、まもなく紅葉が見ごろを迎えます。元気で今年も紅葉狩りができることをありがたく感じたことでした。

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