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2009年9月

2009年9月25日 (金)

クルーズとダンス

客船と云えば優雅なダンスである。なので日本のクルーズ船に乗るたびに昼に開かれる社交ダンス教室に通っている。おかげで初歩の初歩のステップはどうにか踏めるようになり、ダンス教室だけでなく、夜のダンス会場にもこわごわと顔を出して見るのであるが、こちらは独特な雰囲気でどうも敷居が高い。

会場は毎晩同じ様な顔ぶれが揃い、揃って皆さんマイダンスシューズ持参、正統派の社交ダンスを踊っている。適当にステップを踏んでいる人達や、ただ抱き合っている様なカップル、ゴーゴーをする人などはほとんどいないので、ダンスに少し興味があって会場を覗きに入ってきた人達も、遠巻きに眺めているだけで、そそくさと帰ってしまう。妻は「あなたの踊りなど誰も注目してないんだから、習ったステップを練習してみましょう」と後ろから飛び蹴りを加えて、ダンス会場に私を引っ張り出そうとするのであるが、自分の得意な分野でしか勝負しようとしない、見栄っ張りで気の弱い私は、どうにも夜のフロアーに出るのを躊躇してしまう。

外国船では適当にダンスをする人や、体をただリズムに乗せて楽しんでいる人など、いろいろな組がダンスフロアーに混在するのだが、どうも日本船では、正統派ダンス以外の”ダンス”というのは存在していないかの様でもある。丁度、明治時代に日本にベースボールが入って来た時、体育操練教育の一環としてベースボールが採り入れられ、”野球道”などと云う本場とは違った形で普及した事を髣髴とさせるが、どうも日本は外来の文化が入ってくると、それで「 楽しく遊ぶ 」事より「 正しく習う 」事に行きがちなのだろうか。

船上の社交ダンスは大いに魅力的で、私も「正しい」ダンスを早く身につけて格好良く踊りたいのであるが、毎夜毎夜、敷居の高い正統派社交ダンスだけでなく、合間にカントリーダンス(ラインダンス)やフォークダンス、はたまた皆で盆踊りなどを楽しみつつ日本のクルーズ船独自の”ダンスタイム”を盛り上げていったら、遠巻きに眺める人達も輪に加われるのになあ、といつも思うのである。

”ぱしふぃっくびいなす”のダンス教室
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2009年9月24日 (木)

クルーズでメタボになるか

”ぱしふぃっくびいなす”の、横浜発着5泊の屋久島・奄美クルーズに乗船したが、クルーズ船に乗って船内で飲み食いしていると太ってしまうのでは、という心配の声を良く聞く。

若いときに日本/カリブ海航路の貨物船に実習で乗った事がある。研修なので3ヶ月の航海中は特段の仕事があるわけではない。1万トンの小さな貨物船なので船上での運動などもできず、体を動かすといったら時々若い甲板員(セイラー)に混じっての貨物艙(カーゴホールド)の掃除くらい。しまいには司厨長(シチョージ)の手伝いでケーキを焼いたり、ご飯をといだりして時間をつぶす日々であった。航海中の食事も美味しかったので、太ってしまったかと思ったのだが、帰国後体重は変わっていなかった。元来、油断していると太りやすいたちだったので、これは何故かと考えた処、どうも船のゆれが原因ではないかと思いついた。船上で揺られ続けると、知らず知らずの内に体の各筋肉が、微妙にバランスを取るために調整を続けているのではないか。夜中にシケた翌日は首筋が痛かったのだが、これも寝ている間に首の筋肉が無意識につっぱって揺れに抵抗していた様だ。云ってみれば今はやりの筋トレの一種と考えられるかもしれない。

さて貨物船ほどではないが、大きなクルーズ船でフィンスタビライザーが装着されていても、フネである以上航海中はある程度は揺れるものである。そんな日は、少々のシケ遭遇はダイエット効果バツグンと思い、積極的に迎え入れるくらいにすると、荒天もさほど苦にならないのでは、と思うのである。

今回”ぱしふぃっくびいなす”のクルーズでは万歩計を持ち込んでみた。日課のジョギング中は万歩計をはずし、通常の船内活動と寄港地のオプショナルツアーなどでの歩数を計ったのだが、何と毎日1万2千から1万6千歩ほどは歩いている事がわかった。考えてみれば朝食・夕食を食べにダイニングに行くだけで数百メートルは移動する必要があるわけだ。デッキの散策・船内ツアー・各箇所で行なわれる催し物のイベント・ホッピングをするだけで、千米や2千米は優に歩く。それに寄港地のツアーでの歩行を加えれば、クルーズ中にはかなりの距離を歩いている勘定になる。こんな私の歩行数は、かなり特殊な方かと疑ってみたのだが、航海中に知り合った家族連れとお話をしていたら、そのご主人もやはり万歩計持参で、私と同じ様な歩数だと言われていた。船上での歩きは有酸素運動で脂肪を燃やす様な歩き方ではないが、どうやらクルーズの日々は、想像していたよりずっと歩いていてエネルギーを消費している様である。

結論を言えば、毎食を腹八分目にして、船内のイベントに積極的に参加し、夜食を取らなければクルーズではメタボにならない、と言えそうだ。

2009年9月17日 (木)

東京マラソン・ボランティア枠

来年(2010)の東京マラソンは、すでに申し込み者が定員の8倍になっていると報道されている。今年(2009)の東京マラソンでは、妻が首尾よく抽選に受かり初マラソンに挑戦、堂々4時間少々で完走したのだが、私は抽選ではずれてしまい走れなかった。ただ負け惜しみではないが、人には向き不向きがあって、私は20キロ以上の距離がどうも苦手なので、正直ホッとしていたのも事実。20キロ以上になると、緊張が持続せず走るのが投げやりになってしまうのである。どうも私は飽きっぽい性格で、これは一生直らないのかと苦笑する。

さてそんな訳で、来年(2010)の東京マラソンのエントリーは、私はフルでなく10キロの部にしたのだが、その部も多くのランナーが申し込んでいて、果たして抽選の結果はどうなるのだろうか。10月中旬の発表が楽しみである。

ところで、仕事でつきあいのある東京在住のクロアチア人が、今年の東京マラソンを走ったのだが、彼が話すには、外人は抽選でまず落ちないと言う。たしかに今年の東京マラソンを観戦していたら、普段東京で見かける外人より、比率的に見て圧倒的に多くの外国人が走っていたように見えた。西洋人の他に中国や韓国のランナーも数多く走っているはずだけど、それらのランナーは日本人と区別できないから、実際は外国籍のランナーは、感じた以上に多かったのではないだろうか。主催者は公式に発表していないが、国際的な大会を標榜する上で、外人枠は日本人と別枠で合格率が高いままガラガラポンされている様で、8倍にもなる関門をくぐらなければならない日本人ランナーには、不公平感が募る。石原知事はこの辺り、明確に「 相対的に外国人を優先しています 」 と言うべきではないか? こういう事ならば、東京でフルマラソンを走りたい人は、中国人や韓国人になりすまして応募すれば、簡単に当選するのかもしれないと算段する。(しかし今年フルに当選した妻は、ナンバーカード受領の際にIDを提示しなけらばならないから、実際は無理!と言うが・・・・)

そんな抽選による不公平感を払拭するために、ロンドンマラソンで実施されているチャリテイ枠を作ったらどうであろうかと思う。その仕組みは、ランナーが 「大会の公式チャリテイ団体リストの中から支援した団体を選び、そこに申し込みをする。団体は難病の研究団体、環境保護団体、貧困者支援団体など約80に亘り、参加者は各団体に、参加権と引き換えに一定額の寄付をする約束をする。」(アゴラ7月号)のだそうだ。"一定額の寄付"なるものが、一体いくらなのかは良くわからないが、その資金は沿道の賛同者から募ったり、友人からカンパでまかなうケースなども多々あると云う。この制度は東京でも検討されているらしいから、数年後はこういう形のチャリティー枠が実現するかもしれない。自分で走る事が社会の益に少しでも役立つのであれば、フルマラソンの長さや辛さも少しは和らぐのではなかろうか。この制度が導入され寄付額が私が参加出来る範囲であれば、賛同者を何人か集めて、晴れてフルマラソンに数年後はチャレンジしてみたいものである。
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2009年9月16日 (水)

ミルキークイーン

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コシヒカリの産地、新潟県南魚沼産のミルキークイーン米である。先に神戸の進水式に出席した際、神戸の古くからの米問屋が精米したミルキークイーンをお土産に頂いた。なんでも 「 もっちりした食感。炊いてから時間がたっても劣化が少なく、冷えても固くならない魔法のお米 」 との事である。今日は夕食がカレーなのでその為に炊いたのだが、日本の家庭のカレーにそのもっちりした食感が合って大変おいしかった。贈答用だけあってお値段は判らないが、食べ終わってあちこちのホームページを検索すると、魚沼産のミルキークイーンは魚沼産コシヒカリと同じ位高価らしい。次に炊く時からは、もっと味わって食べる事にしよう。

昨日の米の減反の話で思い出すのであるが、こうした他の品種と差別化した美味しいお米は、贈答用など含め人気が高い様である。一律減反の農業政策などさっさとやめて、専業米作農家が大規模化によってコストを下げたお米とか、やる気のある農家が手間ひまかけて作った高く売れるお米などは、それぞれの市場でどんどん競争して欲しいものである。安い米や高くてもおいしい国産のお米は、その安全性もあって消費者の需要を喚起して消費を増やすし、輸出商品にもなりえると私は感じるのだが。

2009年9月15日 (火)

食糧自給力

伊藤忠商事の会長で政府の経済財政諮問委員会メンバーなどを務めた丹羽宇一郎氏が昨日の日経のインタービュー「 領空侵犯 」で農業の大切さを話し、わが国の農業は大規模化を目指すべし、そのために減反と農業土木に8000億円を投じている予算を次世代農業人材の育成にあてると共に、大規模生産を目指す専業農家に農地を貸し易くし自給力 ( 自給率ではない ) を確保すべしと提言している。

丹羽氏と言えば、田園都市線の遠方から青山まで電車通勤し、社員と同じ食堂で昼食を取るなど清廉な経営者として評判だ。以前、伊藤忠商事の部長さんらに丹羽氏の事を聞いた処、異口同音に 「 それは本当で、とても勉強家です 」と社内の評判もすこぶる良いらしい。 食料畑出身なので農業の事も幅広い知識を持たれているのだろうが、氏の提言にさすがとうなづく。

たまたま最近読んだ宝島新書 「 農協の大罪 」 (山下一仁著)にも日本の農業を衰退させてしまった原因として、政治・官僚・農協のトライアングルよる高米価政策、兼業農家保護政策をあげている。戦後の農地改革で地主の犠牲の上にただ同然で手に入れた農地を、宅地やパチンコ屋に売ってもうけつつ、手厚い保護政策で守られてきたのがこれまでの米作だと云う。本来ならば米作事業主は集約して規模を大きく拡大し、コストを下げる事で自立すべきであって、それにより国際的な農業自由化圧力にも抵抗できたはずであるが、戦後一貫して保守政治・農政がやって来たことは、高米価政策とその結果による減反であると指摘する。そしてこういう農業利権で生きてきたのが農協と政治家なのだが、この産業モデルはもはや機能しないので、農業の担い手も高齢化するばかりと云う。

私が、しばしば疑問に思う事が食料自給率である。飽食のかぎりをつくし日本中のスーパーや食料品店、レストランや家庭から出る膨大な食料の残滓が出るが、そんな食生活を前提にしたカロリー計算って何だろうかと疑問に感ずる。 非常の際に最低限生活に必要な食料が満たされる状態を100とすれば、米を「主食」に据える事が食料安全保障の上で必須だから、農地確保が大切だと思うのだが、現実には減反や耕作放棄地が増えるばかりらしい。国土保全の点からも食の安全の観点からも、農政は転換期に来ているのは明白な様である。民主党になって少しでも農政は変わるのだろうか? 丹羽氏の提言を読んで考えさせられた。

2009年9月14日 (月)

まつたけ

韓国に出張に行っていた同僚のおみやげ、まつたけ。広島県産などより少し淡白な香りだけど、食感はそう変わらない。昼は陽射しがまだきつくても、夜間は涼しくなってきたこの頃、虫の音を聞きながら、焼いたマツタケにスダチとお醤油、日本酒など一献傾けると、秋も良いなあ、としみじみ感じる。
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2009年9月13日 (日)

スポーツの秋

スポーツの秋は忙しい。先週は日本学生陸上競技選手権(全日本インターカレッジ)で後輩の応援に行こうかと思っていたが、どうも陸上は一日がかりの観戦になるのでネットでの応援。後輩達も頑張って400米、800米で優勝、その他100米や投擲などで入賞して総合成績は10位。日本中で何百の大学に陸上競技部があるのか各学連の登録学校数を調べた事はないが全国で10位は今の環境からして立派と云えよう。最近は長距離にもぼつぼつ人材が集まる様になってきた様なので、後は箱根駅伝の関東学連チームで誰か走って欲しいものである。

今日は野球の対立教戦、ラグビーの対筑波戦、高校野球部の対横浜隼人戦と注目のカードが3つ重なる。どれも応援に行きたいのだがなにせ体は一つだし、妻の冷たい視線を背に一日中スポーツ観戦三昧という訳にもいかない。ラグビーはケーブルテレビで今晩中継録画があるし、高校野球はどの駅からも不便な保土ヶ谷球場なので、一番手っ取り早くいつもの神宮球場に向かう。

慶應の先発は、左腕・期待の一年生・竹内(中京大中京)。対する立教は二年生の丸山(桐光学園)。そういえば丸山は2007年夏の選手権大会神奈川大会準決勝で、慶應高校に勝利し甲子園に出たピッチャーだった。テレビ神奈川で彼の投球を見てから2年ぶりになるが、高校の時からどの様に選手が成長しているのかをこの目で見られるのも、神宮球場での観戦の楽しみだ。竹内はさすがにリーグ戦初登板が、秋の初カード第2戦の先発という大舞台でやや緊張気味に見える。肘や手首が柔らかそうな投げ方で練習では、打者の手許で伸びるような素晴らしい球を投げていたのだが、一回の表は死球後の一死1塁、立教3番の五十嵐君(新潟明訓)にあっさり一発をあびる。カウント2-3で明らかにストライクを取りに来た球を打たれてしまった。その後もあまりピリっとした内容ではなかったが、なんとか凌いだあたりはさすが甲子園でならした高校時代の豊かなマウンド経験だろう。

対する丸山は、変化球が決まってカウントを稼ぎ、今日は初先発初勝利をかざった。なかなか頭脳的な投球で今後立教のエース格になっていくのだろう。もう少し筋肉・体重がついてストレートが速くなればとても良いピッチャーになりそうだ。圧巻は慶應3番手のピッチャー福谷(愛知横須賀)。プロ希望だったがドラフト指名がなく、やむなく慶應に入学したという近年ない形での入学。そういえば春のリーグ戦を観戦していた時、隣の席にやけにおっさんぽい下級生が座っているな、と思ったのが彼だったのだが、いかにも野球少年というごっつい風貌・体型で慶應には珍しいタイプである。今日の初登板で彼の力のありそうなストレートとスライダーには立教の打者が完全に力負けしていた。このまま4年間順調に伸びていって欲しい逸材である。

今日の大学野球の試合は負けてしまったが、これら1.2年生の若い力の台頭で期待も大きく楽しい2時間余だった。高校野球は強豪横浜隼人に勝利、ラグビーも筑波大に勝利でこの週末は2勝1敗という事になった。それにしても秋の週末は忙しい。

福谷君のリーグ戦初マウンド。江川や川上憲伸を彷彿とさせる逸材か。
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2009年9月12日 (土)

JALに明日はあるか?

JALが経営再建のためデルタ航空の資本参加を得るべく交渉中との報道である。まだJAL自身が発表したわけではなく流動的と云うが、金曜日の夕方の情報リークなど国交省の思惑などが色濃くでているのだろうか? いずれにしても僅かではあるが妻も私もJALの株を保有しているし、マイレージ会員の特典などにも影響して来るのだろうから、株主として利用者として今後の展開を注視しなければならない。

設備産業の宿命で一旦保有した資産(機材や施設)のコストはあまり下げられないので、収益が損益分岐点を下回ると巨額の赤字が垂れ流される。高い資産を持たない(不況でマーケットが底の時に機材を購入するなど)のが経営の基本であろうが、客商売の場合はそうも云っていられないのかもしれない。日本人も最近は「日本の翼」でなければ困ると言う客は減っているから、邦人に対する日本の航空会社というアドバンテージは段々に発揮できなくなるだろう。とするとコストの安さが決め手になってくる。コストが国際的に低いレベルになっていれば、不況時には他の競争相手が先にギブアップするから、サバイバルレースに生き残れる可能性が高い、というのが世界単一市場で競争する産業の生き方ではないだろうか。

世界単一市場での競争という点については、海運会社がこれまで多年に亘って経験した事である。30年前は6社あった大手海運会社は今は3社、日本人乗り組み員数では10分の1以下程になっているだろう。コストを世界レベルに下げつつ自己資本の毀損を避けて首をすくめていれば、たまの大ブームに乗れるのである。10年ほど前だったか、大手の国内エアーラインが、海運会社に労務対策などを尋ねてきたと聞いたが、合併を繰り返した海運会社は、産別である海員組合を除き組合は速やかに統合されているし、乗り組み員の融通も進んでいる。

報道を聞くと、組合がまだ多数あるなどJALは合理化努力がまだ足りないと見られても仕方ないのではないだろうか。いくら自分達の理屈を言っても、資本の論理はそんなにやさしくないのである。この際JALは、外資=黒船の力を借りて、大会社チック・国策会社気質の膿を吐き出し、再生に向けて頑張ってもらいたいものである。

2009年9月11日 (金)

都市対抗野球に明日はあるか

「都市対抗野球に明日はあるか」ダイヤモンド社刊・横尾弘一著を読んだ。普段、あまり注目を浴びない社会人野球の本が、書店の店頭に積まれているので思わず買ってしまったのである。

少し前の高度成長期は各高炉製鉄会社(ミル)が野球チームを持っていて、多くのミルチームが予選を勝ち抜いて、後楽園球場で開かれる都市対抗野球大会に出ていた。私が海運会社に入って最初に配属になった部署は製鉄原料船であったから、顧客である製鉄ミルの要請で応援に駆り出され、毎夏の様に後楽園球場に通った事を思い出した。

都市対抗野球に参加するチームは産業盛衰の見本市、最盛期は6~7の製鉄ミルチームが10日間あまりの大会に後楽園に結集して雌雄を決していた。応援する方は毎日の動員が大変、部長が新日鐵の応援に行けば、次長は対戦相手の日本鋼管の応援席に行くなどと言う事もしばしばで、都市対抗野球が終わる頃には、机の周りは応援歌が印刷されている各ミルの団扇だらけだった事を思いだす。

そんな訳で若い頃からずいぶん社会人野球観戦に親しんできたから、昨今の経済情勢の下、ミルを始め名門企業チームが次々消え行くのに寂しさを感じところである。この本はそんな社会人野球の歴史を振り返り、現在の状況を色々な角度から捉えて、今後に向けての方策を提案をしている。一読してみると、これまで何気なく観戦してきた都市対抗野球が、関係者の大変な努力で運営されてきた事がわかった。

例えば、毎年、後楽園(現在ではドーム)球場の応援席に入場の際は、入場券を買った事がなかったが、その負担は一体誰がしていたのか。各チームの経費はどの位かかるのか等、疑問に思っていた事がこの本を読んで初めてわかったのである。その他都市対抗ファンなら知っていそうで案外知らない大事な事が、いろいろ列記されている。なかんづく景気の低迷とスポーツの多様化、社会人野球の存在意義など、現在の問題点を幅広く掘り起こし、独自の考察を加えている点は、筆者の社会人野球に対する深い愛情を感じた。

私も、しばらくドーム球場の都市対抗野球から足が遠ざかっている。しかし神宮球場で見ていた大学生の選手がちょっと貫禄がついて、社会人として大人のベースボールをしているのを見るのも良いものだし、応援席もドラムやらエレキギターなどが加わって一味違うのも楽しい。この本を読んだらまた、”♫ 新日鐵、新日鐵、新日鐵、ニッポンスチール、ゴー!ゴー!ゴー!♫”などと言う応援歌が頭の中で鳴り始め、来年はドームの都市対抗野球の好カードに足を運んでみようか、と思ってしまった。

2009年9月10日 (木)

所信表明

民主党は、安全保障や郵政見直しで社民党や国民新党の主張を採り入れすぎてしまい、私は、この政権が始まる前からどうも失望の念を深く抱いてしまう。こんな事なら海江田氏に一票など入れなければ良かったかな、などと思うものの、我々が選んだ政権だからしばらく見守っていくしかないか、と云うのが今の心境である。国民は社民党に代表されるイデオロギーの変化など望んでいないと思うのだが・・・・・。こんな新政府の決意は、臨時国会の所信表明演説で行なわれるが、これまで自民党の歴代総理大臣の所信表明演説を、新鮮味や華がないなどと批判してきた鳩山氏であるから、さぞかし立派な所信表明が聞けるものと期待したい。

今日はオバマ大統領が、医療保険改革で就任後最大の危機にあっている。そんな時、真っ先に思いついたのは、今年始めに行なわれたオバマ大統領の就任演説である。理想と現実がどう変質して行くか、日米両国の今後の展開を注視したいのだが、その手がかりとしてオバマ演説を聴きたくなってきた。もちろんネットで彼の演説をただ聞いただけでは、私の聞き取り能力では充分理解できない様なのでスクリプトも読みながらである。 

ネットでやっとオバマ就任演説のサイトを見つけ、10分ほどのそれを聞いたのだが、演説は大統領のリーダーたる心意気を発露し、国民を鼓舞する内容である事がわかる。建国の苦悩や理想から説き起こし、最近の金融危機の経緯や国民の過剰消費を戒めつつ、60年前、彼の父が食堂で白人と一緒に食事もできなかったものが、いま息子が大統領になっていると云うアメリカの強さ・多様さを確認し、もう一度未来を作ろうとスピーチは続く。ポイント・ポイントでは演説の声にもひときわ力が入り、さすがスピーチなれしていると感心すると共に、日本の新首相もこの位のリーダーシップを発揮した所信表明演説をしてもらいと感じてくる。

まあ国の成り立ちが日米では違うのだが、これまで散々自民党をこきおろして来た民主党から出た総理だ。さかんにアジテートしていた自民党のスピーチに対抗して「華のある」リーダーシップは発揮した、こんな所信表明演説くらいしてほしいものだ。

”日本人の祖先は、平和を求めてこの列島に移り住んで来た。二度の大陸の侵略(元寇)では勇敢にも中国からの侵略者を打ち破り、日本が徳川幕府によって統一された後には、鎖国によって欧米の植民地主義に巻き込まれずに平和国家を追求し、アジア諸国が欧米の植民地になる中、唯一、貨幣経済・市場経済を発展させ国内の資本蓄積、文化・教育向上を計った。明治以降こういう基盤があったから、近代化にいち早く成功したのは日本人の英知である。一時不幸な戦争という時代はあったが、戦後日米同盟を基軸に平和国家としてここまで発展してきた。中国にGDPで抜かれるのは残念であるが、わが国の過去の素晴らしい歴史をもう一度振り返り、新しいビジョンと、経済だけではない新しい価値観に基づく国家を共につくろう。その変革には、かなりの犠牲を国民にお願いしなければならない。政治家と官は誰よりも率先して痛みを負うから、国民も勇気をもって、厳しい時代を迎えてほしい。これは次の国家100年の大計のためだ。60年前、食うや食わずであった日本が、こんな飽食の時代を迎えられるも我らの先輩の勇気と実行力による。今日でなく明日の為にたちあがろう”

こんな所信表明があったら、ちょっぴり民主党新政権に失望している私などは、「ようしやってやろう」などと思うのだが、鳩山氏はこんな所信演説はしねーだろうな。

2009年9月 8日 (火)

どけちの手下

以前から少し気になっていたまま、何となくやりすごしてきた事がある。OUTLOOK EXPRESSでパソコンからE-MAILを送る際、アドレス帳から持ってきたアドレスを、相手の宛先欄にクリックして挿入・送信したとする。その際相手(受け手)のパソコンは「受信者」(受け手自身)の名前に、こちらのアドレス帳に登録されているままの名前が画面表示されるのか、と言う疑問である。

たまたま昨晩、家でメールを発信していたら、ふとその疑問が再燃してきた。さっそく我が家に2台あるパソコンを使って、妻に私のニックネームを思いついたまま彼女のアドレス帳に作ってもらい、そちらのパソコンからメールをしてもらった。で、届いたメールのあて先(私の名前)は、な、なんと、”ぷっつん大魔王”。「えー、これをアドレス帳の私の名前にしたの?」とのけぞりながら聞いたら、妻はとても嬉しそうににやにや笑っている。うまい事を言うもんだと思いつつ、やはりアドレス帳で登録した名前は、メイル受け手のパソコン画面に、そのまま表示される事がわかり納得する。

とすると、自分のアドレス帳に誰かの名前を登録する時に、いい加減な名前を登録しておくとエライ事になるわけだ。日本人に多い名前の鈴木さんなど、鈴木Aだとか鈴木Bなどと言う識別符号をつけて、アドレス帳の”名前欄”に登録すると、自動的に受け手の画面は鈴木Aになり、相手(受け手)にもそれがわかる。Aなら良いが”鈴木の中でも何番目”などのランクが判る様な文字・数字を入れていたら、人によっては面倒な事になりかねない。○○兄・弟だとかはまだしも、最近はやりの中性的名前に、XX(男)だとかXX女などの男女識別文字を加えていたら、受け手は不愉快になるかもしれない。OUTOLOOK EXPRESSでは、そういう場合はアドレス帳に好きな名前を登録した後に、”表示名”欄を、差し障りのないものに手動で訂正しておく必要があるのである。

今までこんな基本的な事を失念していたが、この様にITの世界で「知らない」と言うのは、場合に依っては恐ろしい事態を招く事もある。 おっちょこちょいの私であるから、こんな事を知らなければ調子にのって、例えば支払いに厳しい顧客に 「どけち 」とか、その会社の人に 「 けちの部下 」 などと、ふざけたアドレス帳を作っていた可能性さえある。自分だけのジョークのつもりが、メールをしてみたら、その表示のまま相手にわかっていたりして・・・・・・・。 今日は会社に来て、朝一番あわてて仕事用パソコンのアドレス帳を開き、失礼な識別文字をつけたまま ”表示欄”に登録している人はいないだろうなとあわててチェックしたのだった。

2009年9月 7日 (月)

めじろのサンマ

きのうの日曜日、朝から妻がそわそわしている。「 夕食はサンマの塩焼きがどうしても食べたい 」のだそうである。2005年8月の”にっぽん丸の道東と平泉クルーズ”でとりたてで新鮮な焼きサンマの味を覚えて以来、この季節になると、妻はどうもサンマの銀色の姿が頭にちらちらして仕方ないと言う。

さっそく、二人でサンマを買出しに行く事にしたのだが、なにしろ家のそばのスーパーは町の中の小さな店なので、新鮮なサンマを売っているのか今一つ不安が残る。で、こんな時に利用する、このあたりには珍しく駐車場に余裕のある目白のスーパー、”よしや”にクルマで行ってみたのだった。 お目当ての鮮魚売り場に来ると、”北海道とりたての新鮮サンマ”と大きな表示があり、見るからに生きの良さそうな大ぶりのサンマが一匹100円で並んでいて、傍らで思わず妻がにんまりとしているのが判る。で、さっそくサンマ2匹、スダチやおろし用大根なども買って、目白までガソリン代を使って買出しに来た甲斐があったものだねと、いそいそと帰宅したのであった。

夕方、妻はいそいそとサンマを焼き始める。さんまの塩焼きといえば、白いご飯が定番。先だっての神戸の進水式の際に、おみやげとして貰った新潟県魚沼産の”ミルキークイーン”をふっくら炊いて準備おさおさ怠りない。妻はさかんにグリルを覗き込んでは、サンマの焼き加減のチェックに余念がない様だ。イヤー旨いものに対する女性の執念には毎度の事ながら圧倒される。こうして待つこと10分、ようやく香ばしい魚の匂いと共に、待望のサンマが焼き上がった。

テーブルには、スダチと大根おろし。ビールと共にサンマをほおばると、あぶらが適度に乗った新サンマの旨い事。ものも言わずあっという間に、二人とも一匹づつ食べてしまい、お皿に残ったのは背骨と尻尾だけであったのだ。

うーん、サンマは目白に限る~!
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バルクキャリアー 2009-09-08 22:22:08
ぽんぽこりんさん、こんにちは

4年前、根室・花咲港では、にっぽん丸が着いた岸壁で、地元の方々が炭火でサンマを焼き、日本酒を無料で振舞って下さいました。その時の捕りたてサンマの美味しかった事。いや日本人に生まれて良かったと思う瞬間でした。クルーズの料金は、確かに安くはないですが、いつも新しい発見や喜びがありますよね。


ぽんぽこりん 2009-09-08 20:24:11
秋刀魚 う~ん、さんま いやいや サンマ
どう書くのが一番美味しそうに感じられますかね~

今の時期のさんま、白いご飯と大根おろしだけで、それはもう最高のお料理です。
日本に住んでいて良かった!!と思えたりもします!

いや~ ごちそうさまでした。

2009年9月 5日 (土)

ローエングリンと大根味噌汁

妻が美容院に行くついでに実家に寄って来るというので、今日の日中は我が家に一人。久しぶりにのんびりと、ステレオでクラシック音楽を聴いていた。音楽というのは不思議なもので、気合いを入れて聞き始めると、次々に聞きたい音楽が浮かんできて、あのCDはどこにあったか、次は何を聞こうかなどと時間の経つのが極めて早くなる。そんな中で、今日は選んだ中にベルリーニの”オーボエ協奏曲 変ホ長調 ”と ジェミニアーニの”合奏協奏曲ホ短調”があった。

などと言うと、相当コアなクラシックファンの様に聞こえるが何の事はない、この2年くらいコンサートにも足を運んでいないし、普段もバロックの中でも明るい感じの曲とモーツアルト・ベートーベン辺りの楽曲が好きな、ごく軽いクラシックファンだと思っている。今日選んだこの2曲は、実は30年ほど前に、NHK-FMで土曜日の午後に放送されていた、”FMリクエストアワー”のスタートとエンディングのテーマ曲なのである。

当時はFMと言ってもNHKとFM東海(現在のFM東京)の2局しかなかったから、いつもこの2局の番組を交互に聞いていたのだが、土曜日の午後のNHK-FMは、3時間位の大きな枠でクラシック放送のリクエスト番組”FMリクエストアワー”を放送していた。担当の川上アナウンサーの落ち着いた上品な語りで、土曜の午後は、残業続きの仕事から解放されてクラシックの名曲をゆっくり聴いたのだが、そのひと時は、とてももんびりできていた事を思い出す。 テレビやラジオ番組のテーマ曲とは、とても不思議なもので、その曲を聴くと誰もが当時の思い出が蘇ってくるのではないだろうか。ベルリーニとジェミニアーニのこれらの曲は、私にしばしの幸福感を思い起こさせてくれる音楽なのである。

さて、そんな事を考えて音楽を聴いている内、ワグナーの”ローエングリン第3幕への前奏曲”が、かつて民放の朝8時頃のテレビニュースの導入部に使われていた事を思い出した。毎朝このニュースを見ていた当時、母はなぜか毎日お味噌汁に卵と大根の千切りが入れた朝食を作ってくれていたので、今でもローエングリーンの前奏曲を聴くと、大根の味噌汁を思い出してしまうのである。アーリア人至上主義を掲げた変人ワグナーにそぐわない大根味噌汁の連想だが、子供の頃のすり込みは一生消えないだろうなあと思い苦笑するのである。

2009年9月 4日 (金)

民主党政権始動

民主党は、マニフェスト上とかく批判の多かった外交・安全保障に対して、いよいよ政権を発足させるに際し、現実路線に少しづつ転換する事を試みている様である。それはそれで大変結構な事であり、今後どこまで現実にあった方向に舵を切れるかで、民主党が今後政権を担う能力があるのかが試される事になるだろう。

諸外国でも連立政権を作る際には、選挙前の主張を現実に適合させるため、マニフェストを変更している事が多いと報道されている。しかし、もしそれがそうだとすると、一体マニフェストとは何だろうかという疑問も同時に感じる。あれは遠い将来の理想であると言う事なら、任期期間中に到底達せられない様な理想でも、なるべく耳障りの良い項目を多く述べた方が有利になろう、と言う事になる。その偏差と言うのはどの辺までが許容範囲なのか、どうやって投票時の期待と現実の乖離に橋を架けていくのか、マニフェストとは何なのかを考えさせられる。

それはさておき、これまでのやり方を始めから見直して、政治家主導で政治を行うと言う民主党の意気込みは大いに期待したい一方、折角国際的に評価も高く安全面からも有意義なインド洋での給油をやめ、多くの死者がまだ出ているアフガン国内で、何ができるかもう一度原点から考えるなどと、民主党は本気で考えているのであろうか。却って危険地帯に飛び込んで行く様な、自殺行為ものではないだろうか。安全保障問題は、社民党に遠慮した姿勢が見えすぎるのだが、連立政権では社民党を閣内に入れ、先の村山社会党の時の様に彼らに踏み絵を踏ませて、解体→取り込みを狙う深謀遠慮があるのかと思ってしまうのである。まあ社民党をうまく使いつつ、民主党が生き延びる位のしたたかさを政権党としては持って欲しいというのが、私の期待である。

2009年9月 3日 (木)

三菱ふそう、日産ディーゼルのバス統合

三菱ふそうと日産ディーゼルのバス部門が統合されるという。すでに数年前から、日野といすゞは実質的に同じバスを製造してきたから、今後国内のメーカーは日野・いすゞ連合と三菱・日産連合の2グループ体制になるわけである。年々狭まる国内の大型車市場で4社が凌ぎを削って競争する方が無理であるから、この集約は当然の成り行きと思うが、バスファンとしては、これまで各社が工夫を凝らして開発してきた様々な車種をエンジョイできたものが、そのチャンスが減る事になって寂しいものである。

バスと言えば、黄金時代は昭和30年代から40年代にかけての高度成長期ではないか。各社それぞれ創意工夫をこらした、エンジン・シャシーやボディーでメーカー毎におもむきが異なっていて、バスに乗るたびにわくわくしたものである。

昭和30年代で私が一番好きだったバスは、日野のアンダーフロアーエンジン型バス(ブルーリボンシリーズ)。ボンネット型バスの時代が終わり、他のメーカーがリアエンジン車を製造するなか、日野は、後部の座席の居住性向上や騒音に気をつかったのだろうか、バス中央の床下にエンジンを置いていた。ことに日野のディーゼルエンジンのサウンドが秀逸で、このバス音に魅せられた私は、日野のバスが来るまで、何台でも他のバスをパスして停留所で待ったものである。ところが当時、いすゞバスも日野と同じ帝国ボディを架装するモデルがあって、日野が来たと勇んで飛び乗ると、実はいすゞ車だったりして、ひどくがっかりだった事を思い出す。

エンジンサウンドという点では、日産ディーゼルの2サイクルエンジンの音が独特であった。調度アメリカのバスの様な排気音で、いち早く採用した前面ガラス上にひさしがついた富士重工製の斬新なボディとも相俟って、当時の日本のバス標準から数歩抜けているかのような気分がしたものである。

三菱ふそうのバスは、今のエアロ・クイーン、エアロ・キングシリーズの排気音にも似た乾いた音で、呉羽製のボデイも上品なデザイン、日野が来ない時は三菱で我慢しようか、などと良く思ったものである。東京では都バスにふそう車が多かったと記憶しているので、山手線の内側はふそう、というイメージであった。

昭和30年代は、バス事業者によってもメーカーによっても様々な仕様の路線バスが活躍していたが、三菱ふそうと日産ディーゼルのバス製造の統合ニュースを聞いているうち、バスにまつわる当時の懐かしい思い出が蘇って来た。それにつけても、いま路線バスに次々導入されるノン・ステップバスは、どれも同じ様な仕様に同じエンジン音。OEM供給やら経営統合が今後もっと行われると、バスのロマンなどは遠い昔の出来事になってしまいそうだ。

久しぶりに書いたバスの絵は 昭和30年代の日野のアンダーフロアエンジン式バス、”ブルーリボン”
20090903

院長 2009-09-05 01:31:03
実に細かい部分までこだわりが・・・。

参りましたm(_ _)m


バルクキャリアー 2009-09-04 21:33:29
院長先生

バスの前方側面から出た、左折の方向指示器がしぶいでしょ・・・。


院長 2009-09-04 00:31:31
むむむ・・・

兄上、さすがはオタク・・・いえ、乗り物好き!

是非とも、美容室の矢野さんとバス談義をしてみてください!

2009年9月 2日 (水)

新潮選書 零式艦上戦闘機

新潮選書の8月新刊” 零式艦上戦闘機” 清水政彦著を読んだ。

零戦は、先の大戦初期に卓越した性能を持つ海軍戦闘機だったが、米軍が馬力に優れた戦闘機を開発して戦争に投入すると劣勢となった上、非力なエンジンでスペックを稼ぐ為に防弾をおろそかにしたので、多くのパイロットが犠牲になった、というのがこれまでこの機種に対するステレオタイプの見方であった。この本では、大戦の経過を踏まえつつ、他の「零戦」ものの様なスペック中心、ないしはマニアックな兵器ものとは一線を画し、戦術面から日米の海軍艦上機がどう奮闘し、勝敗を分けたかを詳細に検証している。

最初は無敵であったと云う神話も、実は開戦へき頭では欧米の最新の軍用機は欧州戦線に張り付いていて、太平洋の戦場には敵は旧式機ばかりであった事。零戦の馬力が小さい事や防弾が不十分という事も、設計する時点での設計思想からすると世界標準で、必ずしもパイロットを犠牲にしていたとは云えない事。大戦末期には敵の新鋭機や、日本の紫電改にも性能的に劣ったとされるが、戦史を分析すると必ずしもそうでもなく、終戦まで良く奮闘している事。20ミリ機銃は云われているほど優秀でも有効でもなかった事など、今までの評価を覆す目からウロコの事例が本書で次々に紹介される。

著者は金融関連の弁護士であるが、航空機と戦史のエキスパートらしく、実際のドッグファイト(空中戦)の戦術解説などは、実戦的で臨場感を感じる展開である。執筆に当たっては、大変な研究に加え、実際に旧パイロット達への聞き込みを相当行ったのだろうと推測される。

著者によると、日米の艦上戦闘機の性能の差は、大戦を通じて云われているほど絶対的なものではなく、パイロットの技量や経験も双方そう大して変わらなかったと云う。ただ「 日本海軍の航空部隊は、『素人を、素人のまま戦力化する』ための有効な集団戦術をもたなかった」事が、物量や技術力の差と共に、日本海軍敗因の一つだとしている。パイロットの名人芸にこだわり、運動性を損なう防御力の強化や重火器の搭載を、戦争突入後もかなり後回しにした日本に対し、いち早く損耗を減らす事に着目し、チームで攻撃する戦法を採りいれ、防御を強化した米軍との差が、太平洋の各作戦の帰趨に結びついていると指摘している。

この著書が信頼できるのは、日本軍の問題点は、万国共通に見られる事であって、米軍も同じ様な戦術や用兵の罠にしばしば陥っていた事、勝敗はとりもなおさず時の”幸運・不運”の要素が多分にあって、相対的なものである事を描いている点であろう。後の時代から見た、勝者が敗者を裁くかの如くの、後だしの一方的判断をしていない事が、大変清清しい読後感を与えてくれる。

「戦争から60年以上。恨みも面識もない大昔の軍人を見下してふんぞり返る前に、当時の日本が戦争を有利に進めるための努力・工夫として何が出来たのか・・・今一度考え直してみても良い・・・」と云う著者の結びの言葉は印象的である。

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