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2009年8月29日 (土)

投票はどうするか

いよいよ選挙である。家の近所を自民党のよさの候補の選挙カーが通れば 「 自民党しっかりしろよ 」よ声をかけたくなるし、民主の海江田候補が通っても「期待してるぞ」とまたまた叫びたくなって、一体全体、あす日曜日はどうしようかとまだ思案中である。

今回は民主の大躍進が予想される様であるが、それは民主に期待するというより自民への懲罰的意識のあらわれであると報道されている。メディアは小泉改革の競争原理主義が、様々な格差を大きくしたその反動だと説明しているが、本当にそうであろうか。私はむしろその反対であると感じている。4年前の選挙で自民党が大躍進したのは、郵政民営化か否かそのものが争点ではなく、これにシンボリックに代表される「改革への期待」「前進への期待」「守旧刷新への期待」を国民が持ったからではなかったろうか。日本がサッチャー改革の様に前進するなら多少の痛みは国民は耐えましょうと思ったのではなかったか。

ところがその後自民党でおこった事は何だったか。2人の政権放り投げ首相と、「実は私は郵政民営化に必ずしも賛成ではなかった」発言が声高に聞こえてきた事が、いくら自民党は広い考え方からなる党だとしても酷すぎるという失望感を私に抱かせた。この際痛みはあっても、次の世代の子供達の為に競争力ある日本の産業を再生させる、その為には構造改革を徹底すると、この4年間自民党が言わなかった事が今回の窮地を招いたのではないだろうか。

まず政権放り投げ首相2人の罪は大変重いといえよう。安部氏も50歳も過ぎれば自分が重圧やストレスに強い人間かそうでないか、少しは判っていただろう。首相の器でなければ、最初から総裁になどならなかったら良いのである。福田氏などは論外、任期を全うする気がないならこれまた始めからやらなければ良い。逆風がないなどと当初は思っていたのだろうか。余りにもノー天気な話である。

地方の格差が広がったかどうかは統計の取り方、読み方によって随分解釈が違って見える様である。私が感じるのは、日本のどこでも、かつて東北の寒村と言われた地域でも、民家は立派になり一家に何台かクルマがあり、道はきれいに舗装されている光景である。農業廃れて小規模農家と農協が生き残り栄えるのが日本の農業と云われている。旧市街の駅前の寂れ方と、農地の減少・荒廃はわかるが、これこそ競争・改革を怠ったメルクマールとして認識されなければならないのではないだろうか。格差など広がっていない、と経済学者の少なからぬ人達が主張しているのに、どうやらメディアとポピュリズムの世界では格差が拡大したと云う説が定着してしまった様である。

自民党には改革を徹底しないなら退場を、中国の脅威が台頭する中、非核3原則の法制化を検討しようなどと非現実的な民主党も不安なものである。さて選択に困った投票日だ。

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