練習ハ不可能ヲ可能ニス
母校から季刊の冊子「慶応SPIRIT」が届き、ぱらぱらと眺める。巻頭グラビア特集は「勝利を超えた瞬間・慶応スポーツ」とあり、思わず目をこらす。グラビアの副タイトルにある「練習ハ不可能ヲ可能ニス」と云う小泉信三元塾長の言葉が懐かしい。素質や体格で必ずしも優れていなくても、創意工夫をこらした猛練習で他校を凌ぐ事もできるというのが慶応義塾体育会のバックボーンである。
特集の各部歴史紹介の中でも、昭和42年春・野球部の東京六大学リーグ戦優勝の写真がひときわ印象に残る。この当時、法政は山本浩二・田渕・富田、早稲田に荒川・谷沢、明治は高田・星野仙一ら後年プロで活躍したそうそうたる選手が東京六大学野球に集まっていて、リーグ戦の結果はマスコミでも大きく報道されていた。そんな中、昭和42年春季リーグの慶應の優勝は、前年度の春6位(東大にも負け勝ち点0)、秋5位からの大躍進で注目された。若い近藤監督の猛練習の下、エース藤原真(西脇高)が獅子奮迅の活躍で、藤原は13試合に登板、11試合完投、チームの9勝の内8勝を挙げ121イニングスに登板したが、この登板回数は今も連盟記録である。
早稲田の八木沢や法政の山中などの大投手を向こうにして、がに股でもっさりとマウンドに上がり、来る試合も来る試合も投げていた藤原投手を今でも思い出す。冊子のグラビアの写真には優勝の瞬間、藤原ー寺尾のバッテリーに超満員のスタンドからテープや紙ふぶきが飛び交って、歓喜がはじけている光景が写し出されているのだが、そういえばあの頃は、優勝した学校の応援席からはフェンスを乗り越えてスタンドに学生がなだれ込み、球場係員とあちこちで小競り合いをしていたものだ。そんな熱狂した応援風景も今は昔の事である。
プロ野球ですぐに通用する様な他校の布陣に対して、慶應高校、慶應志木高校出などの選手が活躍してもぎとったこの年の春季リーグ戦優勝は、正に「練習は不可能を可能にす」を体現したものであった。
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