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2009年8月

2009年8月31日 (月)

マニフェスト・マッチ

選挙の前日まで、だれに投票してよいか候補者名が決まらなかった私に妻が「 こんなサイトがあるみたいよ 」と教えてくれたのが、YAHOOみんなの政治の"マニフェストマッチ"。これは各政党のマニフェストを、党名を隠して 1.子育て・教育 2.年金 3.地方分権 4.政治・行政改革 5.安全保証 6.農業の6項目に分け、項目毎にランダムに掲載し、どの政党が出したかわからぬままに、それぞれの項目で自分が一番共鳴できるマニフェストを選ぶクイズである。

例えば1の子育て・教育の画面では、A~Jまで10種類の各党のマニフェストが無記名で並んでいて、自分が一番だと思うものをクリックして選択すると、次に2.の年金の画面に進み、同じ様に10種類の年金問題マニフェストが出てきているので、その中の一つをクリックしていくのである。で、自分が共鳴した各項目ごとのマニフェストは、一体どの政党のものだったかが、最後に一覧表となって表れる仕組みになっている。クイズの途中では、各項目毎にずらり並んだマニフェストが一体どの政党のものかは判らないから、先入観なく自分の感覚で選ぶと、自分の考えがどの政党に一番近かったかを最後に検証できる事になる。

さて妻と二人、それぞれマニフェストマッチを試みて、最後の画面をクリックすると、私は6項目の中、自民党のマニフェスト1、民主が2、みんなの党2、改革クラブ1だった事が判明、妻はみんなの党が2つ、民主が1、改革クラブ3となって、どうやら我が家の床屋談義は、"改革クラブ”か”みんなの党”のマニフェストに接近している事がわかったのである。

という事で、選挙区は民主党の海江田万里氏に投票する一方、比例代表の"改革クラブ”は東京では候補がいないので、”みんなの党”にしようと言う事になり、新聞で比例区東京の”みんなの党”の候補者が柿沢未途氏である事を知って、あわてて柿沢氏の経歴などをチェックしたのだった。それにしても昨日の投票所の小学校は、これまでのどの選挙でも見た事のないほど多くの人で列が出来ていてびっくり。今回の選挙に対する関心の高さが実感できた。幸い私たちが投じた票は、死に票にならず当選に結びついたわけだが、これから国政の場でこれらの人がどういう活動をするのか良く見ていきたいものである。

バルクキャリアー 2009-09-01 20:39:48
まろんの父さん

今回は自民長期政権の自滅、ここらで交代が必要なのでしょう。

これから民主党が、政権政党としてどう既得権を持つ人達と戦って行くのか、折り合いをつけていくのか、一票を投じた者として見守るのが我々の責務ですね。


まろんの父 2009-09-01 00:51:52
党首の発言を見ていて、やはり鳩山氏の内容が今の日本の政治にかかわる問題の原因を見極めているように思え、それに対して一票を投じてきました。マニフェストの内容には実現できるか否か不透明なものがあるとはいえ、これまでのように信念を持った政治家であってもらいたいものだと思います。一方で日本の国力は、過去長きに渡るODAや海外協力、自衛隊派遣などで財政が厳しくなったり、技術面での競争が激化したりで、世界的に見て嘆かわしい状態にあるように思え、この際しばらくは国際舞台ではヘッドダウンして、内面の充実を図る時期なのではないかと感じたりもします。それにしても過去わずかな期間で、この国は良きにつけ悪しきにつけずいぶん大きく変化したものですね。

2009年8月29日 (土)

投票はどうするか

いよいよ選挙である。家の近所を自民党のよさの候補の選挙カーが通れば 「 自民党しっかりしろよ 」よ声をかけたくなるし、民主の海江田候補が通っても「期待してるぞ」とまたまた叫びたくなって、一体全体、あす日曜日はどうしようかとまだ思案中である。

今回は民主の大躍進が予想される様であるが、それは民主に期待するというより自民への懲罰的意識のあらわれであると報道されている。メディアは小泉改革の競争原理主義が、様々な格差を大きくしたその反動だと説明しているが、本当にそうであろうか。私はむしろその反対であると感じている。4年前の選挙で自民党が大躍進したのは、郵政民営化か否かそのものが争点ではなく、これにシンボリックに代表される「改革への期待」「前進への期待」「守旧刷新への期待」を国民が持ったからではなかったろうか。日本がサッチャー改革の様に前進するなら多少の痛みは国民は耐えましょうと思ったのではなかったか。

ところがその後自民党でおこった事は何だったか。2人の政権放り投げ首相と、「実は私は郵政民営化に必ずしも賛成ではなかった」発言が声高に聞こえてきた事が、いくら自民党は広い考え方からなる党だとしても酷すぎるという失望感を私に抱かせた。この際痛みはあっても、次の世代の子供達の為に競争力ある日本の産業を再生させる、その為には構造改革を徹底すると、この4年間自民党が言わなかった事が今回の窮地を招いたのではないだろうか。

まず政権放り投げ首相2人の罪は大変重いといえよう。安部氏も50歳も過ぎれば自分が重圧やストレスに強い人間かそうでないか、少しは判っていただろう。首相の器でなければ、最初から総裁になどならなかったら良いのである。福田氏などは論外、任期を全うする気がないならこれまた始めからやらなければ良い。逆風がないなどと当初は思っていたのだろうか。余りにもノー天気な話である。

地方の格差が広がったかどうかは統計の取り方、読み方によって随分解釈が違って見える様である。私が感じるのは、日本のどこでも、かつて東北の寒村と言われた地域でも、民家は立派になり一家に何台かクルマがあり、道はきれいに舗装されている光景である。農業廃れて小規模農家と農協が生き残り栄えるのが日本の農業と云われている。旧市街の駅前の寂れ方と、農地の減少・荒廃はわかるが、これこそ競争・改革を怠ったメルクマールとして認識されなければならないのではないだろうか。格差など広がっていない、と経済学者の少なからぬ人達が主張しているのに、どうやらメディアとポピュリズムの世界では格差が拡大したと云う説が定着してしまった様である。

自民党には改革を徹底しないなら退場を、中国の脅威が台頭する中、非核3原則の法制化を検討しようなどと非現実的な民主党も不安なものである。さて選択に困った投票日だ。

2009年8月28日 (金)

嗚呼なつかしの脱脂粉乳

随分前から妻がさかんに行ってみたいと言っていた上野御徒町のブラッスリー「給食当番」に行ってみた。「昔誰もが食べていた学校の給食!そんな懐かしい味を再現したのが『 給食当番 』です」とのホームページにつられて試してみる事にしたのだ。

仕事帰りに妻と待ち合わせて、おそるおそる木戸を開けると、店内は木の机が並び、様々な文房具や学習帳がデコレーションとして置いてある。中には懐かしい「 肝油 」の缶も。愛想の良い店の人に案内され席についた我々の最初の注文は、「給食でもビールを注文できますか?」「 はいここにメニューがあります 」と差し出されたのは黒い表紙の出席簿。そういえば、授業中に私語をしていて、この出席簿で教師にひっぱたかれたなあ、などと段々子供の頃の記憶が蘇ってくる。「もちろんビールもありますよ」と言う一言で安心して、出席簿のメニューを開けば、懐かしい鯨の竜田揚げや春雨サラダなどがずらーっと並んでいて一挙に半世紀前にタイムスリップした気持ちがしてくる。

食器は定番のアルマイト、スプーンが妻の世代の先割れしたもので、我々の時代のレンゲタイプでないのはご愛嬌か。しかし出てくる料理はどれも相応に美味しくて、どうやったらこんなに不味く作れるのだろうと言われた我々世代の給食とは随分違う。

実は「給食当番」に入る前に、どうしても試してみたいと思っていたのが、あのまずい脱脂粉乳で、東京都ではなんと中学3年生まで強制的に飲まされた代物である。あの頃は「給食を残した子供は班ごと居残り」等と云う、甲子園も真っ青の連帯責任式人権蹂躙の教師が多くて、皆目をつむったり鼻をつまんだりして、ほうほうの体で流し込んだものだ。おそらく当時の子供は100人中99人が見るのも嫌だという飲みもの、なんでもアメリカでアイスクリームなどの原料に脂肪をとった後の食品で、戦後の栄養失調時にガリロア・エロア援助で輸入され、日本の学校で給食に出されていた。

意を決して40数年ぶりにご対面した脱脂粉乳は、店の人が私の会話を聞いていて「それでは濃い目にしましょう」と言って調整した特注品。あの頃と同じ様に目をつぶっておそるおそるごくりと飲むと、予想に反して飲めないものではない。というより、まあこれなら加工食品としてケーキの材料くらいにはなろうか、という味である。で、「これ、昔のと同じもの?」と店長らしき人に尋ねると「あの当時ほどひどいのはもう食品として売っていません。あれは本来牛や豚の飼料用でしたから。今日のは相当美味しくなっているはずです」との事。

そうだろうそうだろう、我々は牛や豚のエサを与えられて育てられた世代なのだ。だから今でも世界中どこへ行っても何を食べても、食事に注文がないのは、あの給食の教育的成果だと不思議に納得しつつ、おみやげの揚げパンを手にしたであった。

これが、あの脱脂粉乳。容器はお約束のアルマイト!
20090828

バルクキャリアー 2009-08-29 09:12:13
ぽんぽこりんさん

おはようございます。「給食当番」の1階はブラスリーですが2階はパーティールームで4人から予約できるそうです。黒板があり、学校の机で食べます。お店の人は割烹着で、本当に給食当番の雰囲気です。JR御徒町駅から10分、又は大江戸線・新御徒町前です。若い人の利用が多い様ですが、同窓会などで結構シニアーのお客さんもいます、との事です。

ところで我々も、来年のゴールデンウイークにはRCIのレジェンド・オブ・ザ・シーズの横浜発クルーズに予約を入れております。RCIのアラスカクルーズレポート素敵ですね。


ぽんぽこりん 2009-08-29 07:23:57
バルクキャリアーさん おはようございます

何だか顔を出してみたくなるようなお店ですね。
今度行ってみよう~!
貴重なお話ありがとうございました。

2009年8月27日 (木)

バカ丁寧化する日本語

最近グルメ情報番組などで 「 この地方の名物料理をいただく 」 とレポーターがしゃべっていたり、料理番組で 「 この料理は充分温めてからいただく 」 と 「 いただく 」 が多用されているのを聞くにつけ、私は 「 いただく 」 という言い回しに違和感を感じていた。本来 「 食べる 」 とか 「 食する 」 と言う場面なのに 「 いただく 」 と言う表現が使われているのを聞くと、これは子供にお小遣い等を 「 やる 」 と言わねばならない処を 「 上げる 」 と言うのと同じで、間違った表現ではないかと感じるのである。

そんな訳で 「 バカ丁寧化する日本語 」 光文社新書の8月新刊が、店頭にあるのを早速購読して読んでみた。著者の野口恵子氏は仏語のエクスパート、外国人に日本語を教えている大学の先生との事である。この本によると 「 いただく 」 は 「 ありがたくもらう 」 「 感謝して食べる 」 「 礼を言って飲む 」 「 大切なものをうやうやしくささげもつ 」時に使う言葉だそうである。とすると、テレビのレポーターが画面の向こうの一般視聴者に向かって、単に料理を紹介する場面で 「こうして食べる 」 でなく 「 こうしていただく 」 と言ったり、調理番組で作り手がテレビカメラに向かって料理を 「 召し上がって 」 でなく 「 いただいて」 と言うのは、やはり謙譲語としておかしな表現ではないかと認識した次第だ。

著者は、最近の日本語は必要以上に丁寧な使い方になって 「 させていただく 」 的な表現が多すぎるとしている。その結果、尊敬語や謙譲語の使い方に不統一が生じる混乱が良く見られるし、相手と距離を置く意思の表れがあちこちで感じられると云う。また言葉だけ丁寧になって、実際は却って慇懃無礼なケースが見られる事が多いとも氏は指摘している。ではこの様な誤用・混乱を防ぐにはどうしたら良いか、ずばり 「 敬語を使いすぎないことだ 」 と氏は指摘する。バスの車内で 「車 内では高額紙幣(五千円、一万円)は、ご両替できません 」と言うおかしな”お知らせ”は、「 バスの車内では五千円札と一万円の両替はできません 」 と簡潔に表現する方が良いそうだ。

本書最後のテストでは、朝一番の食品市場の試食で、観光客に市場のおばさんが 1.どうぞよろしかったら召し上がって下さい 2.おいしいですよ、食べてって下さい 3 ほれ、うめえから、食ってけ と声をかけているが敬語はどれが正しいかと問うている。その答えは「どれも正しい」のだそうだ。周囲の状況に気を配り会話相手と自分の関係を良く考え、コミュニケーションをとる事を心がければ、場面に応じておのずと適切な敬語が身に付くと著者は論を展開している。

それにしても、敬語や謙譲語を優雅に話すのは、いやはや難しいものである。きれいな言葉を話す年配の婦人などを見ると、その一角だけ涼やかな空気が漂っている感じがする。

2009年8月26日 (水)

スーダラ節

若い頃は、夕方の7時頃になると、すでに”一杯”終わって、赤いご機嫌な顔で電車に乗ってくる初老のおじさん達を見て、そう云う年代の暇そうなな人たちを羨ましく思ったものだが、最近はこちらがそういう宵の口族になっている。「ちょっと軽く一杯やって行かない?」などと友人に電話をするにも、5時頃までに連絡をつけておかないと帰ってしまう者も多くて、すぐに手遅れになって困る。

飲み会も大抵は8時頃になるとお腹も一杯、適度に酔っ払ってお開きになるのであるが、たまに気分が乗って行き足がついてしまうと大変である。世間はこれから飲もうかという時間に突入していて、ついつい2軒目に入ったお店の賑やかな雰囲気につられて、飲むピッチも早くなり、はっと気が付くと帰りの電車の心配をしなければ行けない時間になっている事が多い。何しろ我々は、5時過ぎから飲み続けているので、その時間になるとアルコールがすっかり体中に廻って酔眼朦朧。スーダラ節の「ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒 」とはなるほど言い得えて妙、酒飲みの実態を描いた名曲だと改めて思い出しつつフラフラと家路につくのである。

翌日は久しぶりの深酒に、朝も吐息からアルコール臭が消えず妻にはむっとされ、やっとたどり着いた仕事場では水やお茶ばかり飲んで半日ぼーっとするばかり。昼食の熱いお蕎麦に唐辛子をたっぷり振りかけ、昼寝をするまで使いものにならないのは、本当に困った中年のおじさんの実態なのである。

2009年8月25日 (火)

スポーツ英語

先日の関西オープンの初日、注目の石川遼がティーショットをOBゾーン近辺に打ち込んだ処、ギャラリーの「セーフだ」の声に競技役員も良く確認しないまま「セーフ」の判定した処、後で球は0Bにあった事が判り物議をかもしたケースがあった。この騒ぎを報道で見ているうち、かつてアメリカ人とプレー中に、OBか否かの判定を巡って私が「球はセーフだった」と言った処、その米人がいきなりげらげら笑い出した事を思い出した。彼は「日本ではOBかどうか判定する時にセーフという表現をするのか」とさも可笑しそうにアメリカ人独特の”ひゃひゃっひゃ”と云う笑い声ではしゃいだ挙句、以後彼のショットが少しでも脇にそれると「セーフ・セーフ」と言って喜んでいた。

その時から、どうもOBのエリアに入ったかどうかの時の「セーフ」と言う言い回しは和製英語ではないか、と気になっていたが最近はアメリカ人とゴルフをする機会もなくなってそんな事は忘却の彼方だった。今回、石川選手の件でこの事をふと思い出し、日本のルールの解説書を色々見ると、あちこちに「OBがセーフか否か」などと言う表現がある。一方アメリカのゴルフルールを解説したサイトには少なくとも「アウト・オブ・バウンズ」に関して”セーフ”云々の表現はない様である。いつかアメリカ人とプレーする機会があったら、今度は”セーフ”と言う用語をOBに関して使うか聞いてみようと思う。

さて事ほど左様に、スポーツに関してはそれらしい和製英語が大賑わいである。ゴルフのパットの”OKボール”は、まず世界中で通じない。”Gimmie"である。日本に欧米起源のスポーツが入ってほぼ100年がたつ。この間わが国独自の習慣や用語が定着してしまったのを、今一度見直しても良いのではないか、と私は感じている。

もう15年以上前、アメリカに駐在していた頃、中央大学の野球部が遠征して来て、地元の大学と試合をしたのを観戦した事がある。日本の野球では攻撃側も2死になると、大抵ピッチャーが次イニングに備えてベンチ前で肩慣らしのキャッチボールを始めるが、アメリカにはそんな習慣はない。主審に「そこでキャッチボールをするな」と注意され中央大の選手が驚いていた光景を思い出す。デッドボール(ヒット・バイ・ピッチ)やフォアーボール(ウォーク)も良く出来た和製英語だが、エンタイトルド・ツーべース(グラウンド・ルール・ダブル)などなんと素晴らしい感性の造語かと驚き、きっと「OBセーフ」の様にアメリカ人に聞かせたら受けるのでないかとも思う。

ただ、せっかくこれだけ人が交流し共にプレーヤーとして交わったり、ビール片手に仲良く観戦する機会も増えている昨今である。共通のスポーツ用語や慣習を知っていたら、よりプレーや会話もスムースに楽しくなるのではないだろうか。本当は何と呼ぶプレーなのか、目の前の競技の状況を横文字では何と表現したら良いか、今一度スポーツ英語・米語を見直して見ると国際交流ももっと楽しいかもしれない。

2009年8月24日 (月)

ママの教え

先週は神戸で進水式と、その船主の会社創立40周年記念パーティーが開かれたので行ってきた。神戸港のウオーターフロントにある大きなホテルで開かれた記念パーティは400名ほど出席の大宴会で、料理もおいしく楽しいひと時であったが、ふとパーティ会場を見回すと、船主が東京に来た際に良く利用する、なじみの銀座のクラブのママさんが、艶やかな和装で会場に呼ばれている。パーティの出席者には彼女の馴染みの顔も多い様で、ここぞばかりと愛嬌を振りまいている様だ。たまたま私は、数年前に船主と2度ほどそのクラブに行った事があるだけで、ママの顔はその船主とのお付き合いの記憶を断片的につなぎあわせ、連想ゲームの様にやっと思い出したのだが、まあ数年前の事で向こうは禄に覚えていないであろうと思っていた。

立食パーティもたけなわ、人ごみの中あちこちで会話が弾む中、たまたまばったりと彼女とすれ違ったら、「あら○○さん、最近はお元気」と声をかけてくる。「いやあ、久しぶり。押尾容疑者の出入りしてたお店ってお宅じゃないの?」などといい加減な返事をすると「あらやだ、あれは○○って店でみんな知ってるわよ」などとしばし馬鹿話をしたのだが、驚いたのはその記憶の良さ。予期せず数年ぶりに現れた私の様な末端の業者の名前がすっと出てくるのは、間違いなく永年鍛えられたプロの技に違いない。

仕事の途中、目の前の相手の名前がなかなか出て来なくて、苦労している私にしてみると、毎晩何十人も応対している客の事をどう整理し、記憶の引き出しに収めておくのか、プロの生活力に感嘆してしまった。さて物覚えの悪い私であるが、会社の応接室で初対面の相手を紹介された際は、さすがに名刺をテーブルの上に並べて置けるので問題ないが、2度目だったり会食になってアルコールが入ったりすると、とたんに相手の名前が出てこなくて始終困っている。

そんな時は苦肉の策、トイレに行った際、咄嗟に名刺入れなどを再チェックして、度忘れしてしまった相手の名前と同姓の有名な野球選手や俳優などを思い浮かべて、両者を結びつけ印象付ける様にしてみたりする。例えばその相手の名前が松井さんなら、ヤンキースの松井選手の顔を思い浮かべる様にしてみるのだ。しかしこれもうまく行かなくなる事が多くて、しばらくすると結びつけた相手が、レッドソックスの松坂だったかヤンキースの松井だったかわからなくなってくる有様である。奥の手としては、左手の手の平に黒のペンなどで相手の名前とその特徴”メガネ”とか、”はげ”とかを小さく書き付け、会話の途中でちらっとその手の平を盗み見する事もある。ただこの手を使うとトイレから戻っておしぼりなどで手をぬぐってしまうと、また相手の名前がわからなくなってしまうと云う一大欠点もある。

まあ他人の名前を覚えるのは才能と努力がいる様だが、外国人は小さい頃からこういう訓練をされているのだろうか、我々日本人より会った人の名前を良く記憶している様だ。それと下の者は目上の名前を良く覚えているものだが、先輩や上司など上位の者は、下に対する記憶があいまいな傾向がある。できれば私は、年齢を経るにしたがって下の人に注意を払い、気易く後輩に声をかける様な中高年になっていきたいとは思っているのだが・・・・・。この際、人の顔の思い出し方の秘訣などを、ママに伝授して貰いたい処だが、お店に行くだけで高額な教授料になりそうなので、これはまた次の機会と云う事にしよう。

バルクキャリアー 2009-08-27 21:25:36
まろんの父さん

たしかに給与体系や文化の相違など、チップ制導入には賛否両論ありますね。もともとホスピタリティやサービスの水準が、日本は相当高いのを前提にした上で、チップ制を「少し」導入したら良いのでは、と私は考えています。

アメリカ人に、「レストランのサービスに不満だったらチップはどうするの?」と聞いたら、「1セントとか5セントのミニマムの小銭を置いていく」のだそうです。これはチップを渡す事は忘れていないよ、ただあなたのサービスは全然良くなかったと言う意志表示も兼ねるとの事。なかなか面白いなと感じました。


まろんの父 2009-08-27 10:14:02
確かに「ただいま伺います」の一言があればいいのにと感じることが多々ありますね。スタッフの教育訓練、本人の資質などいろいろな要素が絡んで、コスト削減にみな悩む中簡単には解決できない問題かもしれません。ご指摘のようにチップ制を導入して各自のプロ意識の向上を促すのも方法だと感じます。海外ではほぼ当たり前と思えるチップについては、サービスに対する感謝とサービス向上に向けての奨励のためと思えるのですが、そういう意識や慣習のない国内では、こちらもサービスを受けて当然と思ってしまっているような気がします。われわれの意識を変え慣習を変えていくには時間とエネルギーがかかりそうで、各社各人の訓練実践と企業連盟、組合などの取り組みなども必要なのかもしれませんね。


バルクキャリアー 2009-08-26 00:30:29
マロンの父さん、コメントありがとうございます。接客サービスで私が時々気になるのは、レストランで客が「すみません、注文を」などと店員を呼んでいるのに、忙しさのあまり目があっても無視する店員がいる事です。気がつかねば仕方ないところですが、気づいて無視されるのは何とも不愉快なものです。「わかりました。今手が離せませんのですぐ参ります」と言えば良いのにと、思ってしまいます。マニュアルを教える事も大切ですが、客が何を求めているのか咄嗟の判断が出来るウエイター・ウエイトレスには拍手したくなります。私は日本にもチップ制度が少しは存在して、気の効いた飲み屋やレストランには心付けを置き、サービスの優れた従業員は報われる習慣があったら良いのにと思っていますが如何でしょう?


まろんの父 2009-08-25 17:58:56
家の近くに小さなクリーニング屋があります。いつもは家内が行くのですが、先日たまたま受け取りに私が行くことになりました。店先にいたのは髪を染めてネールアートもカラフルな若い女性でしたが、「○○です」と名乗ると「あ、奥様が来られてましたね、できてますよ」と、明細を見ることもなく奥からささっと持ってきてくれました。外見に一瞬偏見を持った自分を恥じると同時に、おそらくアルバイトであろう彼女の特技と努力を見た気がしました。お話にある銀座のママにせよ、地方の町のアルバイトの女性にせよ、あるいは200メートルを19秒少々で走り切ってしまうランナーにせよ、特技や才能に努力が加わったときの「プロ」のすごさを感じてしまいます。

2009年8月21日 (金)

総選挙

いよいよ総選挙である。しかし自民も民主もバラマキのマニフェストばかりで、財源についてはあいまい、このままで良いのだろうか。 700兆円の国債残高と1000兆円を越えると云われる財政赤字と聞いても、額が大きすぎて誰もが”ぴん”と来ないのを良い事に、どちらが与党になっても、このままバラマキ政策を続けて行ってしまいそうだ。一方で国内の個人金融資産は約1500兆円との事で、借金と資産の額はかなり近づいている。たしか国家財政が赤字でも、個人資産と対外収支の黒字で日本は大丈夫とこれまで聞いてきた覚えがあるが、資産より財政赤字が巨額になればいよいよ後がないのだろう。

財政赤字については、どの程度まで許されるのか、そもそも財政赤字が家計や企業と同様に論じられて良いのかと云う点にはいろいろな論があって、経済学者や政治家によって意見が異なる様だ。自民党と民主党のマニフェストを読んでも、一体どちらが日本の将来のために正しい処方箋なのか、はっきり言って私には判別できない。ただ国債をばらまくだけばらまいた後に、引き受け手がいなくなれば、金利を上げて海外の投資家に買ってもらうしかなくなるのだろう。

そうなれば巨額の金利負担がやって来て、たちまちのうちに放漫経営はできなくなる。その結果は弱者に最初にしわ寄せが行くし、実態の経済が悪化し失業も増える事は必定。目先の人気取りは、将来の大きな痛手の第一歩ともいえる。あまりに近視眼的でノー天気な目先のばらまきを、このまま両党は公言していて良いのだろうか。

おりしも出張先の神戸で今朝読んだ新聞では、インフルエンザと高速道路無料化の影響で、近畿地方の鉄道、バスなどの事業者の採算が急速に悪化していると報じている。以前から何回もアップしているが、どう考えても辻褄が合わない高速道路無料化 (あとで税金で補填) などの思いつきをやめて、国民は我慢して欲しいと云う正直な政党が出てきたらそこに一票を投じたいと、私は思っている。ここはどちらの政党が、徹底的な無駄使いの検証をし、バラマキをやめて多くの苦しさを国民に訴えていくのか、残りの選挙戦を通じて、苦しみと我慢を正直に訴える政党を見極めたいと私は思っている。

2009年8月19日 (水)

クルーズ三昧

あとしばらく勤めれば、割り増し退職金の出る早期定年退職制度に応募する事を決めている妻は、最近は仕事の悩みもすっかり吹っ切れた様で、日々の主な関心事はリゾートに休暇にと、ぶっ飛んでいる様である。毎日会社の帰りには、旅行社のパンフレットをもらってくるわ、旅行雑誌を買ってくるわで、よくもまあ先々の行事まで考えるものだと感心する。

彼女は「 旅行なんて1年位前から考えておかないと、旅程が組み上がった時には予約で一杯だったりするんだからね 」と言うが、半年も一年も先の事など想像もできない”場当たり派”の私は、いつも「 それも良いね ~」などとあさっての事の様な生返事。特に妻は大好きなクルーズについて、あれこれ思いを巡らしている様で、連休を利用してのクルーズの予約を入れている。この9月のシルバウイーク連休には、日本船”ぱしふぃっく・びぃなす”で屋久島・奄美大島クルーズ、来年5月のゴールデンウイークにはロイヤル・カリビアン社の”レジェンド・オブ・ザ・シーズ”で横浜から中国へと行くことを既に決めているが、私はいつそんなクルーズの相談を受けたかも覚えていない有様である。

さらに妻の職場は半期に一度、半強制的に連続5営業日の休暇を費消しなければいけないそうだが、その休みもクルーズ乗船と考えている様で、最近は色々なフネの研究に余念がない。この休暇は丁度冬場にあたるので、クルーズだとなると南半球が良いのだが、残念ながら南半球で定点的にクルーズを展開している場所は少ない様だ。

で、日程や料金をあれこれパソコンで毎晩検索しているうち、P&O Australia社が豪州を基点に南太平洋クルーズをやっている事を発見。さっそくあちこちのサイトや、国内代理店に電話を入れたのだが、このクルーズは日本ではあまり知られていないらしくほとんど情報がない。いろいろ調べた挙句、私の職場の近くにこのクルーズ会社の代理店がある事を発見したと思ったら、あれよ、あれよという間に来年2月のブリスベーン~ニューカレドニア~バヌアツ往復のクルーズを予約してしまった。いや~女性は決断が早い。

代理店によればおそらくこのクルーズは、私たち以外はオーストラリア人のファミリーだろうとの事。と、言うことは、一旦乗船すれば外国人への配慮などはなく、手加減なしの、あのわかり辛いオーストラリア英語を聞き取らなければならないのか。オージー英語などでまくし立てられると、私は「単語や文章が理解できないのか、相手がなまってわからないのか」が判らず、パニックになるので、本音はオージー社会ど真中など御免蒙りたいのだが「大丈夫、大丈夫、私は耳がいいから」と楽天的な妻。

こんな時は、「駐在員としてたった一人で赴任したら、とにかく何とか生活して仕事をこなさなければならないが、それに比べれば所詮遊び、間違ってもどうと言う事はないさ、それにニューカレドニアやバヌアツは行った事がないので興味ある 」と思い直し「 楽しそうだね」とまた生返事で妻に付き合う事にしたのである。

2009年8月18日 (火)

遠藤周作の沈黙

遠藤周作の「沈黙」(新潮社文庫)を読んだ。若い頃は遠藤周作の「狸狐庵先生」=与太話もののファンであったが、同時に「深い河」など遠藤文学のもう一つのジャンル、宗教をテーマにした作品も何冊か読んだ記憶がある。最近、たまたま立寄った本屋の店頭で、かつての話題作「沈黙」の文庫本が平積みされているのを見て、この本は今まで読んでいなかったと改めて手にしたのであった。

「神は何故沈黙するのか」という事が小説のテーマであるのは予てから知っていたのだが、今回本書を読んでみて、遠藤周作のキリスト教に対する思索と、それをドラマチックな文章にして読者に訴えかけて行く、一直線のストーリー展開に心が動かされた。時は江戸時代初期、キリシタン禁制の長崎に布教に来たポルトガル人の神父が、弾圧や拷問の末、遂に棄教するまでの壮絶な体験をこの小説は描いているのだが、その中で神は本当に存在するのか、神の愛とは何なのか、神学的な神と現実の悪の存在をどう考えるのかなどの根源的な問いが小説に凝縮されている。その筋の進み具合は、第一級の推理小説に負けない、息もつがせぬ見事な展開だ。

遠藤周作は「日本人とキリスト教の相克」と云う事について終生考えていたと云うが、「沈黙」は神を裏切ると云う行為を通じて、愛とは何か、普段我々が考える愛とキリストの愛は違うのか、という命題を追求している。 それにつけても、若い頃に遠藤の純文学作品を読んでも、それほど心に響く事はなかったのだが、年齢を重ねた今「沈黙」を読んでみると、アガペー(神の愛)や宗教について改めて考えさせられる大変な小説であった事に気づく。

そういう意味において、この夏は若い頃に読んだ夏目漱石などの名作を再び読んでみようか、と思っている。きっと年齢を重ねる事に依って、若い頃と違った視点や、自分の生きる”よすが”の変化が名作を読む事から実感できるかもしれない。

2009年8月17日 (月)

青ガエル

20090817
渋谷駅の前を通りかかると、懐かしい東横線の5000系車両が展示されている。塗装も美しく内部には昔の写真が展示されていて、夏休みの若者の待ち合わせ場所として賑わっていたが、どうもこの種の鉄道車両を使った展示は、個人的にはあまり好きになれない。鉄道車両は、線路を走って”なんぼ”のものと思っているで、現役を引退した後に、解体されないとしたら、動態保存(いつでも走れる様な状態での保存)されるのが理想である。しかしそれは無理な注文ならば、少なくとも博物館の様な場所で、しっかり管理されていて欲しいと思うのである。

かつて鉄路を驀進したD51やC57の様なSLが、公園の片隅で塗装もはげて錆だらけになり、子供達が泥足でカマの上を駆け回っていたりすると、なぜだかとても惨めな気分になってくる。同様に、かつて子供心に胸を踊らされたスマートな名車5000系が、18.5米の全長もここではカットされて、まるでチョロQの様なぶざまな格好で駅前に佇む。名台車TS301も今はなく、路上でデートの待ち合わせ場所だけになっているのを見るのも複雑な気持ちだ。

昭和29年東急車輛製造で完成したこのデハ5001は、自重28.6トン(従来の3分の2 )張かく構造に、直角カルダンドライブ、当時はやりの湘南型前面2枚ガラスの最新鋭車両であった。当初は3両編成で急行に運用されていたが、私が子供の頃はたしか急行は4両編成で、よく自転車で東横線までこの車両を見に遠征に行ったものである。特に丸子の多摩川鉄橋を渡る際は、丸まった特徴ある緑の車体と、プレス構造の独特なTS301台車のシルエットが遠くからでも一目で判り心を躍らせたものである。

地方の私鉄に移籍して行った5000系も、今やほとんどが解体されたと云うから、ここ渋谷での展示も貴重なものなのだろうが、どこかで動態保存の声などがおきないだろうか。そう言えば九州の肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)では車両オーナーを一口1万円から募っている。生きたマイ車両が鉄路を走るのを見るのは、楽しいかもしれない、駅前のデハ5001を見てそんな気持ちが湧いてきた。

2009年8月15日 (土)

世界陸上始まる

真夏の戦い世界陸上が始まったが、今回はこれまでと違って注目して見ている。それは競走部の後輩が選手としてこの大会に出るからである。かつて東京オリンピックまでの五輪大会では、競走部現役やOB が日本の代表選手として選ばれていたものの、昭和40年以降はオリンピックへの出場選手はたしか無し。納会や激励会で大先輩達の「最近はオリンピックはおろか、新聞で話題になる者もいない」などと云うお説教を、耳にタコが出来るほど聞いたものである。

しかし少子化で私大の生き残りもいよいよ本番か、最近は人数は限られているもののA/O推薦や指定校推薦などで、高校時代に優秀な競技成績を残した選手も入学する様になっている様である。すっかり大学の陸上競技の試合の応援もご無沙汰であるが、時折日本選手権のテレビ中継などで後輩達の活躍を見られる様になったのも嬉しい。メディアに登場する様な選手達だけでなく、下積みの選手達が一人一人が自己新など高校時代の記録を塗り替えて頑張っているのを、最近は便利になったメールで逐次配信してくれるので、現況を知るのも楽しみである。

世界のヒノキ舞台で大いに才能を発揮するも良し、選手になれなくてもコツコツ下積みで4年間をまっとうするも良し。後輩たちがそれぞれベストを尽くしていると知ると、何となくこちらもアドレナリンが出てきて、暑い夏の日のジョギングも精一杯走ろうと勇気をもらった気がする。それにこれだけ後輩達が活躍してくれれば、口うるさい大OB達も最近は満足であろう。叱責も減って和やかだろうから、久しく出席しなかったOB総会などにも珠には顔を出そうか、と言う気持ちになってくるのである。

2009年8月14日 (金)

私の履歴書

日経新聞の「私の履歴書」は、人生で「上がり」、世間で言われる処の成功者が一ヶ月に亘って自伝を連載するものである。企業の創業者・経営者・政治家・役人はもとより医者やスポーツ選手、芸術家など各界の著名人が、これまでの半生を回顧する永年続く企画である。

いろいろな分野の多士済々の自伝のなか、企業の経営者の「私の履歴書」は概して面白くない、とは良く言われている処である。確かに企業の優秀な経営者は、その人のたゆまない努力や持って生まれた資質があるにせよ、多分に周囲の引き立てや、巡って来た運などに依ってここまで来た部分が多いはずで、同じサラリーマン出身者としては、読んでいて「自慢高慢、何とかのうち」と言うフレーズが脳裏に浮かんで来る事が多い。ましてや創業者社長や同族企業の社長の成功物語などを読んでいると、「あんたの陰で一体どれだけの人が泣いてきたか」と、却って想像が逞しくなってくるものだ。

その点では、スポーツ選手や芸能人、芸術家の「私の履歴書」の方が読んでいてはるかに面白い。先月の加山雄三の波乱万丈の人生も面白かったが、今月の婦人服デザイナー・芦田淳も面白い。長兄や次兄が帝大出で、3男が早稲田だと家では相手にもされなかった下りなど、戦前の進学・教育に関する世間の本当の見方などが垣間見える。今日の芦田氏が奥さんと婚約する場面の回顧は、この連載では滅多にお目にかかれない男女愛の光景、人間味あふれる記述で共感する。「妹の様に思っていたあの友子が他人のものになってしまう。」「これは絶対に受け入れられない事態だぞ!」と云う芦田氏の思いや決意は、概してひどくあっさりした経済人などの結婚話よりほのぼのとした感じが伝わり、思わず今日の「私の履歴書」は面白いと膝を打つ。

成功の秘訣より、有名人のこういう恋愛物語や、日常の些事の記述の方が余程心に響くのは「私の履歴書」を読んで常々感じている事である。まあ自伝と言うものは、自分の思い出したくないものには目をつぶり、適当に半生を修飾しながら書いているものだろう、とは思いつつも、加山雄三の浮き沈みや芦田氏の純朴な結婚譚を見ると、出勤前の一時、ほっと心がなごみ、朝食の味も美味しくなるというものである。

2009年8月13日 (木)

お受験専用父兄スーツ

都心の某有名私立女子校の小学校の教師をやっている、子供の頃からの友達と久しぶりに飲んだ。2008年11月3日のブログに書いたのだが都内の私立校のお受験面接の当日、どの親もまるでそっくり同じ様なスーツを着ている光景がひどく異様に見えていた。面接する側からすると、一体あの状態をどう見ているのか是非聞きたかったので、丁度良いチャンスとその話を切り出す。

「 そうなんだよね、困ったものだよね 」と彼も苦笑しながら酒を酌み交わす。なんでも都心の有名デパートに行くと、○○学園用の母親用スーツとか、□□小学校に好まれるスーツ等と云うコーナーまで細分化して売られているそうである。「一体誰がそんな事を考え出すのかね~」と彼もあきれ顔。

「で、当然そんなスーツによって子供の合否は関係ないよね?」と聞くと「あったり前じゃない」と言う。「父親もブレザー着てこようが、セーターだろうがネクタイしていようがいまいが一切関係なし」と極めて明快な返事である。

「そんな事言うけど、じゃあ一人だけピンクのワンピース着てきた母親がいたら、君はどうする?」とこちらも面白がって突っ込んだ質問をすると「あくまで受験した本人次第で親の服装は一切関係なし」だそうだ。そんな華やかなお母さんがいたら、学校が明るくなって楽しいから、私が面接官だったらプラスの評点をしてしまうのに、などと相変わらずへそ曲がりの感想を抱きながら、にやにやと酒を酌み交わした中年のおっさん達なのであった。

親が少しでも目立った格好をして、子供が不利になったらいけないと云う気持ちは判らないでもないが、常識的に考えるとそんな事関係あるわけがない。出る釘大いに結構、受験生のお父さん、お母さんはここぞとばかり大いにおしゃれをして、個性を発揮して面接に望んで欲しいものだ。

2009年8月11日 (火)

ブルーマウンテンうなぎ蒲焼

ネットサーフィンをしていたら、市販うなぎ蒲焼の美味しい食べ方という動画付きコラムに目が留まる。そういえば土用の候になると、「うなぎ、うなぎ」と騒ぐ妻も、今年はゴールデンウイークに南千住「尾花」のうなぎに連れて行ったら、その後はうなぎの”う”の字も言わない。なんでもあの分厚い尾花のうなぎが、これでもかこれでもかと出てきたから、3年位はスーパーで蒲焼パックを見るだけで、ゲップが出てきそうだと言っている。(5月6日にアップの通り)

そういう私は、かつてサラリーマンだった頃、昼の会議のお弁当が、幕の内弁当・ちらし・うな重の三大ローテーションで正直うなぎに辟易としていた時代もあったのだが、最近は昼の会議など皆無。妻のうなぎ渇望の声も今年は「尾花」以来ないので、うな重がそろそろ懐かしくなっていた処である。

さてネットのコラムによれば、市販のうなぎ蒲焼両面に、インスタントコーヒーの粉を小匙半分ほど振りかけてチンせよ、との事である。何でもコーヒーの粉には豆を炒り込んだ香ばしさが凝縮されているので、これをまぶしてチンする事でぐんと炭焼き風の香りが引き立ち、お店で焼いたうなぎそっくりの風味になるとある。

パソコンを見ている内によだれが出そうになり、さっそく仕事の帰りに近所のスーパーに立ち寄り1000円以上もする国産うなぎ蒲焼パックを購入。帰宅するやいなやネットの情報通り、インスタントコーヒーを両面にまぶして、規定の時間チンをしてみた。ところが、ところが・・・・・・である。電子レンジから取り出したうなぎ蒲焼は、両面が黒いコーヒー色にそまり、炭焼き風に香ばしいのは醤油だれではなく、コーヒーの香りだけがあたり一体に漂っているのである。折りしも帰宅した妻は、ブルーマウンテン風うなぎ蒲焼に絶句し「一体何を作っているの」と傍らでのけぞっている。

「いやネットで見た通り」などと弁解して、ポータルサイトのそのコラムを妻に見せようとするが、その部分はすでに過去のものとなって、再検索にも手間がかかりそう。何か悪い夢でも見たんじゃないのとでも言いたそうな妻を横目に、黒ずんだ”うなぎブルーマウンテン”を意地になって「うまい、うまい」と平らげたのだが、味はやっぱりコーヒーの風味、せっかく高いパックを奮発したのにもったいなかったと後悔の念しきりである。きっと小匙半分と云う指示を多く振り掛けすぎてしまったのだろうが、「人の言う事は聞きすぎて悪し、聞かなくて悪し」と云う昔からの言葉を思い出したのであった。
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2009年8月10日 (月)

行列のできるドーナツ屋

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有楽町で映画を見た帰り、駅に向かう途中妻が急にそわそわしだし、「5分だけ待ってて」と2年前にオープンした新しいビル「ITOCiA」に吸い込まれて行った。何事かと思って付いて行くと、いくつかの飲食店のある地下1階に「Krispy Kreme DOUGHNUTS」というドーナツ屋があり、ドーナツを買う人々の行列が出来ている。

「5分じゃムリかもしれない、10分待っててね」などと人の返事も聞かず、妻はやおらその列に加わってしまった。何もすることはないのだから一緒に並べばいいのだが、そこは生来の「行列嫌い」、食べ物の為に待つなどできず、どうしても身体が行列を拒否してしまう。仕方なく10分程ぶらぶらと外で待っていると、大きなドーナツの箱を抱えて嬉々として妻が戻って来た。何でもこのドーナツ屋が3年前に新宿のサザンテラスに本邦初出店した時には、1時間から2時間もの行列が出来たそうで、妻もそんなに並んでまで買って食べたいとは思わなかったが、機会があれば一度は食べてみたいとひそかに考えていたそうだ。

映画の後、たまたま近くを通りかかり、列の長さをチェックした所「私を待たせられるギリギリの長さ」と閃いたらしく、これ幸いと18個入りアソーテッドを1箱(1,800円)ゲットしてきた。中味のドーナツはチョコやら砂糖やらが多めにかかっていて、いかにもアメリカという感じであるが、ホームページによると1937年から続く老舗らしい。

日曜の朝、試しに一つ食べてみたところ、私の選んだのは普通のドーナツにチョコがかかったシンプルなもので、まぁ見た目通り予想の範囲内。妻が最初に食べてみた「チョコレートオレンジマカダミア」は見た所ドーナツの上にチョココーティングとナッツ、名称の「オレンジ」の部分は生地に「オレンジピール」でも入っているのだろうとの予想に反し、ドロっとオレンジジャムが中から出て来たのにはたまげた様だ。アメリカ人好みの甘味のダブル・パンチとでも形容したら良いか。

妻は「美味しいんだけど朝からちょっと甘過ぎるよね…」とジャム部分を残して早々にギブアップ。残った16個のドーナツはラップに包まれて冷凍庫に眠っており、これから朝食の際1~2個づつ解凍して行くそうだが、無難なものと強烈なものが混在しているので、毎朝ちょっとしたロシアンルーレット気分が味わえそうである。

2009年8月 9日 (日)

HACHI 約束の犬

映画”HACHI”(約束の犬)を有楽町の映画館で鑑賞した。夏休みの土曜日、ロードショウの初日だが観客は定員の半分ほど、最近の劇場は席もゆったりしていて快適、久しぶりの映画鑑賞である。

映画は「ハチ公物語」のハリウッド製リメイクで、我々日本人にとっては衆智のストーリー。予定通りの筋書きで話が進んで行くに連れ、一体どういう盛り上げ方で終わらせるのか、却って見ている方が製作者の苦心にハラハラする様な感じ。そこは主演のリチャード・ギアの格好よさでカバーしつつ、所々スパイスを効かせて観客を飽きさせない様な展開になっているのだが、ハチが最初日本のお寺からアメリカに売られていったり、リチャード・ギアの同僚の日本人教授がどうみても日本人顔に見えなかったり、我々から見るとハリウッドから見たステレオタイプの日本人像が描写されているのもご愛嬌。

また、リチャードギア扮する教授が倒れる場面は、マーチ王スーザの感性について講義している際中なのだが、音楽家の感性などがこの映画作品とどう関わっているのか、製作者がここで何か訴えたいのか、このあたり単純な筋に何かサムシングを製作者は盛り込みたいのだろうが、どうもその意図が最後までわからず唐突感が否めなかった。またハチが永年駅に通う月日の流れがいかにも大雑把に描かれているが、このあたり犬が主人公の映画ではやむなしか。

それでもハチの亡き主人に対する献身的な出迎え姿に胸を打たれ、映画が最後を迎えるあたりはお約束通りの感動的展開になっていて、予定通りというか、忠臣蔵や水戸黄門と同じで、お決まりの結末に皆が等しく感動を覚える納得のエンディングである。50才を超えていると夫婦2人で2000円と云う割引もあって、気軽に安心して涙を流せる夏休みの映画であった。


写真は以前、国立科学博物館で買ったハチ公のフィギュアー
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2009年8月 7日 (金)

JR四国消滅

1000円高速道路のあおりを喰って長距離フェリーが苦境に陥り、九州や北海道からはフェリー支援の計画が立てられていると云う。選挙目当て政党の人気取りの為に、こんな無謀な施策が恒久化してしまえば、数年後には長距離フェリーや本州や四国・九州を結ぶ生活航路フェリーも絶えてしまうだろう。いやそれだけではない、クルマに乗客をとられてすでにJR各社が減益となっており、数年後にはJR四国やJR九州、北海道は経営が成り立たなくなると云う危惧の声が挙がっている。

最近、休みの日に高速道路を走れば、レンタカーが大幅に増え渋滞が増した事に気付くが、もともとクルマ移動派でない人達が、今回の値下げにより高速道路を利用している様に感じる。モーダルシフトとか環境に易しい移動手段とか、エコの観点は一体どこに行ったのであろうか。さらに高速道路各会社がこの値下げで赤字になったら、税金など国民の金で補填すると云われている。

先般、北海道をドライブ旅行した際に感じたが、北海道では従来の国道を利用してもさして到達時間が変わらない高速道路が多い。さらに一部は利用促進の為か、なんと高速道路無料区間まである。人気取りの高速道路無料化の前に、地方の高速道路整備計画を見なおし、都市の利用料を地方に廻す現在のやり方を改めて、都市近郊の高速利用料を下げる事が道路行政では優先事項ではないのか? お盆休暇を前に、昨年にも増して渋滞が予想される道路情報を聞くにつけ、この愚策にあきれると同時に、日本全体の交通プランを政党はどう考えているのかと聞きたい。 このままではフェリーと地方のJRは数年後無くなってしまうだろう。

2009年8月 6日 (木)

練習ハ不可能ヲ可能ニス

母校から季刊の冊子「慶応SPIRIT」が届き、ぱらぱらと眺める。巻頭グラビア特集は「勝利を超えた瞬間・慶応スポーツ」とあり、思わず目をこらす。グラビアの副タイトルにある「練習ハ不可能ヲ可能ニス」と云う小泉信三元塾長の言葉が懐かしい。素質や体格で必ずしも優れていなくても、創意工夫をこらした猛練習で他校を凌ぐ事もできるというのが慶応義塾体育会のバックボーンである。

特集の各部歴史紹介の中でも、昭和42年春・野球部の東京六大学リーグ戦優勝の写真がひときわ印象に残る。この当時、法政は山本浩二・田渕・富田、早稲田に荒川・谷沢、明治は高田・星野仙一ら後年プロで活躍したそうそうたる選手が東京六大学野球に集まっていて、リーグ戦の結果はマスコミでも大きく報道されていた。そんな中、昭和42年春季リーグの慶應の優勝は、前年度の春6位(東大にも負け勝ち点0)、秋5位からの大躍進で注目された。若い近藤監督の猛練習の下、エース藤原真(西脇高)が獅子奮迅の活躍で、藤原は13試合に登板、11試合完投、チームの9勝の内8勝を挙げ121イニングスに登板したが、この登板回数は今も連盟記録である。

早稲田の八木沢や法政の山中などの大投手を向こうにして、がに股でもっさりとマウンドに上がり、来る試合も来る試合も投げていた藤原投手を今でも思い出す。冊子のグラビアの写真には優勝の瞬間、藤原ー寺尾のバッテリーに超満員のスタンドからテープや紙ふぶきが飛び交って、歓喜がはじけている光景が写し出されているのだが、そういえばあの頃は、優勝した学校の応援席からはフェンスを乗り越えてスタンドに学生がなだれ込み、球場係員とあちこちで小競り合いをしていたものだ。そんな熱狂した応援風景も今は昔の事である。

プロ野球ですぐに通用する様な他校の布陣に対して、慶應高校、慶應志木高校出などの選手が活躍してもぎとったこの年の春季リーグ戦優勝は、正に「練習は不可能を可能にす」を体現したものであった。

2009年8月 4日 (火)

カラス再登場

20090803
7月30日にアップしたのと同じカラスがまた窓の外にやってきた。また窓をこつこつ叩いて、事務所の中の注目を引いたりしてしばらく遊んでいる。この前はピーナッツが食べられなかったので、チョコレートを窓の外に置いてみたのだが、やはり食べない。

でもなぜか窓の外をあっち行ったり、こっち行ったり、ばさばさと羽を羽ばたかせたりして遊んでいる様だ。余程この場所が気にいったのか。 今回は写メールで写真をとってみたら、なにやら白いものが見えるが、怪我をしているのだろうか。でもそのうち元気にどこかへまた飛んでいってしまった。きっと大丈夫なのだろう。

2009年8月 3日 (月)

人生相談

新聞の人生相談欄は面白い。読む気がなくてもつい全部読んでしまう。紙面に掲載される前に、読者から来た手紙はポイントだけを判りやすく編集されているのであろうが、相談する人はきっと真剣に悩み、色々書き連ねて投書してくるのではないだろうか。それにしても紙面で展開される相談/回答は、すぐに警察、病院や関係諸機関に行った方が良い、といったシリアスなものは少なくて、誰にでも日常起こりうる「生きていく悩み」が多く、自分なら読者の質問にどう答えているかなどと想像するのも楽しい。

因みにこの5日間の相談を並べてみると
7月30日(相談)30代の娘二人が結婚しない
    (回答)親の価値観をおしつけないで
7月31日(相談)手相が気になり毎日が不安
    (回答)趣味など生活を忙しくして
8月 1日(相談)相手の顔色ばかり見て社交的でない
    (回答)その性格が長所なのだ
8月 2日(相談)50代の夫が町で若い娘に視点が行く
    (回答)元気な証拠、その位は大目に
8月 3日(相談)指の皮をかむ癖で困っている
    (回答)噛む時の習慣を変えなさい

みんなこんな事で真剣に困っているのだと思うと、人間の悩みというのは尽きないものだと思うと共に、なぜか人間同士似た様な悩みを持っているのだなあと共感を覚える事もある。私も、結構つまらない事をいつもくよくよしているし、視点を変えてみたら良い解決方法があるかも、と思っているので、人生相談を見ると結構参考になる考えがあるのである。

2009年8月 2日 (日)

ああ、やってしまった

遠い親戚に呼び出されて、昨日は夕方5時半から居酒屋で妻や妻の母と飲んだ。メニューを見るとビール以外は日本酒しかなく、ちょっと嫌な予感がしていた。濃さを調整できる焼酎や、ゆっくり飲めるワインと違って、日本酒はどうしてもピッチが早くなりがちで、案の定食事と共にビールの他日本酒を3~4合飲んでしまったようだ。

最近は外で飲む機会も減ったし、仲間と飲めばもほとんど皆が第2の職場に入っていて、夕方6時前から飲み始めると夜も8時頃にはお開きだし、飲むのも気心が知れた同士、マイペースと自分のキャパシティ内でゆったり飲むのが普通なのだが、昨日はすきっ腹に最初から飲みすぎたか。1軒目でアルコールもお腹も充分だったが、おつきあいでしぶしぶ2軒目のバーに入った時はある程度、酔っていた様だ。

さて時計は夜11時を廻っても、年配の親戚の男性は、まだ飲み足りない様子。私はかなりの酔いと疲れで眠気をこらえていたが、彼は興に乗って好調になっている様である。同席の妻の母や妻もそろそろ帰りたいそぶりなのだが、酔っ払いの常、これを飲んでからにしようとなかなか尻をあげない。

こういう際は強めに帰路を促す方が効果的と思っていたので、私は「そろそろ帰りませんか?」とやや強く彼に勧めた【つもり】だったのだがが、後で妻に聞くと「もう(飲むのも)良いだろう」とけんか腰で言ったらしい。水をさされた相手は「最後まで飲め」と気色ばんで返した様だが「もう皆帰りたがっている」「ずいぶん偉そうだね、年をとっているとえらいのかね」と言わなくても良い科白を私は吐いてしまった様である。それまでの会話の中で、お年寄りがよくする「自分の業界の話」や「若いものが中途半端」と言う話を聞かされていたから、どうもそのあたりで私はプッツンしてしまったらしい。で数言、言葉を交わして「じゃあ先に帰りますわ、サヨウナラ」と怒って、妻らを置いて店を出てしまったのは我ながら大人気ない。

時々感じるのだが、体調やアルコール濃度によって、私は言葉が感情的・攻撃的になる事があるらしい。単に「帰りませんか」と言いたかっただけで、会話は適当にうっちゃっと置けば良いものを、【つもり】と【実際に口に出した言葉】は相当トーンが違うようである。アルコールのせいにしたくはない、こういう処で適当に会話を合わせるなり寝てしまうなり、外の空気を吸うなりして感情的にならずに処せる様に気をつけねばならない、と肝に銘じたのであった。

何歳になっても性格の至らない部分は陶冶する努力をしたいと思うのだが、思わぬ処から伏兵の様な状況が訪れて、それに対して自分がどう対処していくのか、どう働きかけて行くのか心の器量の大きさが問われている様だ。若い時なら会社に行って「昨日は酔って言い過ぎました。すみませんでした」で済んだ事も、年をとると誠に大人気ない行為として見えるだろう。幾つになっても未熟な自分とキャパの小さい心に嫌気がさしている日曜日の朝である。

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