冷や中
今年初めての冷やし中華である。今日は日曜日、来週末は二人とも旅行で東京に居ないので、妻と都議選の不在者投票を済ませ、帰り道スーパーへ。で、「今晩何が食べたい?」と聞く彼女に「冷や中」と反射的に答える私。妻の実家伝来の冷や中レシピーはトマトが入っていないのだが、わたしにはトマトは必須のアイテムなので、トマト・ハム・卵・きゅうり・それに麺などを買って帰宅する。
冷やし中華というと、私は山中毅というスイマーを思い出す。その昔、今の国道246号線玉川通りと環状7号線(環7)の交差する上馬交差点辺りに野沢銀座という小さな商店街があった。環7が造られる際に近辺一体が整備されてしまったので、今ではその跡も判らなくなってしまったが、そのあたりが子供の頃よく買い物や、食事に来ていた場所である。当時は冷やし中華はどの中華料理店にもあった訳ではなかったと記憶しているが、野沢銀座の大衆食堂にはそのメニューがあって、夏の暑い日、冷やし中華を食べたいと言うと皆で野沢銀座に行ったものだった。
で、あれは今から思い起こすと、ローマオリンピックの実況中継かその録音放送だったであろう。夏の暑い日にいつものカウンターに座り、注文した冷やし中華を待っていると、山中と彼の因縁のライバル、マレー・ローズのオリンピックでの対決がラジオ放送で流れていた。なにしろ当時は「鬼に金棒、小野に鉄棒」の体操の小野と共に、「生まれる前から泳いでいた」と言われるほど人気の山中の放送である。コックもラジオ放送に気が行って中々注文した料理が出て来ない。山中は400米か1500米の長いレースを泳いでいたのだろう、漸く出てきた冷やし中華を前に、こちらも気もそぞろ、大人ぶって練り辛子を混ぜすぎてしまったのが拙かった。ラジオや店内の「山中がんばれ」の声援を聞きつつ、子供には辛すぎる冷や中を涙を出しつつ、ウンウン堪えて頬張った事が、ひどく印象に残っているが、思えばこれが私の冷やし中華の原点である。
今日の妻の冷やし中華はゴマだれ味。昔はゴマだれ味などはなかった処がいささか違うが、私の原点、ねり辛子だけは涙が出そうな位たっぷり添えて、山中の放送を思い出し出し食べたのであった。
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