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2009年7月

2009年7月31日 (金)

駅前演説

朝、衆議院選挙に立候補するであろう、民主党の海江田万里氏が駅前で演説しているのを見た。大学同窓のよしみ、またこれまで、かつての「朝まで生テレビ」その他あちこちのテレビでの彼の発言に好感を持っていたから、いつも「頑張ってね」と声をかけてきた。彼はそのたび演説をやめ、歩み寄って来て「ありがとうございます」と握手を返してくれていたが、先の「郵政民営化」選挙の自民党圧勝のあおりで現在は浪人中の身、演説もより熱がこもっている様だ。


今回は朝の出勤時であったが、一言彼の姿を見たらどうしても言いたい事が思い浮かんだ。 「 海上自衛隊の洋上補給は民主が勝っても続けるのだろうね。あれをやめたら世界の笑われ者になるよ、本当は民主はどちらなの? 」と歩みを止めて彼に聞くと 「その通りです。私が当選すれば、なんとしてでも続けるようやってみます」と明確に答えていた。民主党でも、まっとうな候補者はやはり解っているのか、と少し安心したのだが、では選挙になってやっと現実的な対応も検討するいう事は、派遣が決まった時は現実を見ない党であったという事になる。私などは、ここいらで自民党が野党になって永年の膿、澱を一度出し尽くしてもらいたいものだと願っているのだが、そんな反対の為の反対をして国会の審議を伸ばした民主党しか受け皿がないかと思うと、急に情なくなる。ましてや社民党と連立を組む事を民主党は想定して、その為に自衛隊の扱いがあいまいだ、などとニュースで聞くと、やはりこの党に投票するのはどうしようかと思ってしまう。


悩ましい次回の選挙であるが、さて海江田氏はてっきり学校の後輩だと思って、街頭でも偉そうに口をきいてしまったところ、駅前で配られたビラを良くみるとほんの僅かだが彼が先輩だった事がわかってびっくり。かつてなら1年違えば身分は奴隷であったから大変生意気な注文の仕方をしてしまった、と反省。次回駅前で見かけたら「先輩、頑張って下さいね」と小声で応援する事にした。

2009年7月30日 (木)

からす

都心のビルにある事務所の窓ガラスを、こつこつ叩く音がする。何だろうと思って外を見るとカラスが一羽ガラス越しにこちらを見ている。窓ガラスに近寄ると逃げるでなく、こちらを見つめて相変わらず時折こつこつガラスをたたいては「かあー」と鳴く。不思議に思って観察していると体は大きいものの羽もまだ若々しく、どうやらまだ大人にはなっていないカラスが、母鳥とはぐれてしまったらしい。

どうも「寂しくてしょうがないからこのガラスを開けて中へ入れておくれよ」とさかんに訴えている様にみえる。しかし野生のカラスなどを入れても困るから、ほっておいて隣の部屋に移動すると、カラスも小さな窓枠を伝って隣のガラスの向こうを追いかけてくる。お腹がすいてるのかと考え、ピーナッツを窓の外においた処、くちばしに中に入れてみるのだが、まだ硬いピーナッツは食べられないらしく口から出してしまう。

かれこれ10分ほど、うろうろ窓ガラスの前を行ったり来たり、中を覗いてはこつこつガラスを叩いたりしていたが、仲間のカラスの鳴き声がすると急にそわそわし始めた。どうやら母親が、このはぐれた子供を見つけてらしい。一羽の大きなカラスが近くに飛んできたら、意を決したようにそのカラスも一緒に飛び立ってどこかへ行ってしまった。

カラスと言えばゴミをあさる害鳥の様におぞましく感じるものだが、都心の真ん中でカラスのこんな生態を見て、ほっと心が和んだ一時であった。

2009年7月29日 (水)

ラグビーワールドカップ

10年後、2019年ラグビーワールドカップの日本開催が決定したそうだ。最近はサッカーに押されて人気も低迷しているラグビーだが、10年という丁度良い強化期間と目標が出来たわけである。母校のラグビーの応援を中心に、永年秩父宮ラグビー場に通ってきた私も、ラグビーの人気がこれを契機に復活する事を願っている。

人気回復の為には、日本の力が国際レベルになる事が必須条件なのだが、ラグビーという競技は、まず8割方「強い」と云われるチームが勝つのであって、サッカーや野球の様に弱いほうが1点を取って守り切って逃げてしまう様な番狂わせの試合はあまりない。どうしても体が大きくかつ体力に優れたチームが勝つ様だが、最近のラグビールール改正の本旨、すなわち中断せず素早く展開するプレーを、今後の「ジャパン」がより徹底し実践する事で一矢報い、国際レベルに少しでも近づけられないだろうか。それにつけてもアジアでのワールドカップを機に、必ずしも体力勝負だけでは決まらないラグビーになる様に、ルールが抜本的に変わればよいのに、などと素人は思うのだが、それでは格闘技の要素もあるこの競技に根幹に響くだろうか?

もう一点、ラグビーの重要なポイント、オフサイドや密集の中での反則行為がもう少し観客に判りやすく、見るものとグラウンドがゲームの流れを共有できないと、なかなか大衆化しづらいのではないだそうか。審判の絶対的権限や陣取りゲームというラグビーの根っこに触れる点であろうが、反則が観客に広く理解できる様な「見るスポーツ・わかりやすいスポーツ」への改革も必要と思う。こういう点を変えてしまってはもはやラグビーではないと云う点まで抜本的に見直して、ワールドカップを日本でやるに際し人気回復の策をあらゆる点から検討してほしいものである。

それにしても、最近は人気の関東大学ラグビーの対抗戦グループの試合も、便利な秩父宮開催が減って熊谷など遠隔地で行われる事が多い。手短かな人気回復策の為に、なるべく都内の便利な場所で試合をして欲しいものである。競ったラグビーの試合を80分間見ると、日頃のストレスが癒される気がする。それほどラグビーの試合は面白いものだから、以前の様に東京のまん中でもっと多くの人が楽しめたら、と思うのである。

2009年7月27日 (月)

塾高 白村はどこへ行く?

慶応義塾高校(塾高)のエース白村が、「プロに行く事も視野」からどうやら慶応大学に進む方向になってきたと今日のスポーツ紙に報道されている。昨秋、明治神宮大会で日本一になったのをピークに、今春センバツ初戦の開星戦、選手権・神奈川大会の桐蔭学園戦の敗戦を見ていると、どこかピリッとしない投球内容であったから、こういう判断に傾いてきたのだろうか。これまで野球に限らず慶応の一貫教育高校のなかで運動に秀でたものは、大学の体育会で続けるのが当たり前だったので、最近の「プロ」云々の報道には少々違和感を感じてきたが、これで白村も一歩、大学野球部入部に近づいた様だ。

慶応義塾の各学校は、大学の付属ではなく、それぞれが学校法人・慶応義塾の独立した学校であって、一環教育校として位置付けられている。一環教育として幼稚舎(小学校)から各高校までのどこで慶応義塾に入学しようと、全員が大学のどこかの学部に進学する仕組みになっており、他大学などを受験すれば慶応大学へは推薦してもらえないから、二股などはかけられない。ましてプロ野球をやで、白村君はよほどプロでやって行く自信があったのだろうか。

かつて東京六大学野球で初めて完全試合を達成し、プロ野球でも活躍した渡辺泰輔投手も塾高から大学野球部に進んだし、少なくとも戦後は、高校から大学に進学せずプロに行った選手はいないはずである。もちろん実力があるならシュンのうちに、プロに入って大成するのも良いだろう、大学は回り道どころかそこでつぶれる危険性もある。しかし一騎当千でプロの門を叩いた者の内、活躍できるのはホンの一握り、毎年多くの若者がこの世界から去って行くのである。今回の報道が伝える事が事実なら、人生の可能性と云う面から考えて、彼も冷静な判断をする様になってきたのではないだろうか、喜ばしい事と思う。

2004年秋以来、六大学リーグ戦では優勝できない大学野球部である。白村には是非神宮のマウンドでKEIOのユニフォームを着て、久しぶりの優勝をもぎ取ってほしいのである。

2009年7月26日 (日)

本家あべやの親子丼

20090726
神楽坂・本家あべやの「名物とろっとろ親子丼」である。親子丼などは蕎麦屋の昼飯に気軽に食べるもので、名物もくそもあるかと思っていたが、人形町の「玉ひで」にお昼前になると長蛇の列が出来るのを見ると、最近は親子丼も出世したものである。

昨日は神楽坂祭り見物に繰り出したのだが、お祭り名物の阿波踊りをビール片手に見物しているうち、ビールとつまみで腹も軽くおさまったものの、そのまま帰って寝るにはちと寂しい気分。そんな時、以前雑誌に、この店の親子丼が載っていたのを思い出して、寄ってみたのであった。

名古屋コーチン、薩摩シャモと共に、日本三大地鶏と言われる比内地鶏を使ったとろとろの親子丼。臭みのない新鮮な焼き鳥を少しつまみ、普通のお茶碗程度の小ぶりの器に甘めに味付けしたタマゴは、祭りの〆にふさわしい味であった。

2009年7月25日 (土)

景気は早晩急回復する

北京で10年近く日本企業の代表を勤めていた元部下と先週昼飯を食べた。寿司をつまみながら中国通の彼から、この十年の実績や様々な苦労、今後の展望などを聞いた。彼に依れば、中国の近代化はもうどうにも止まらないから、この調子でインフラの整備は何が何でも行われるという。鉄鉱石、石炭、セメント始め資材の輸入は景気に関係なく今後も続くし、公共事業や民間のプロジェクトから生み出された金は、日本より遥かに直接に庶民の懐に直接波及して所得向上に結びつく。何より庶民は、税金や「第2の税」とでもいうべき年金や保険・福祉の為の拠出、教育・医療や公共料金の負担が少ないから、所得が上がれば可処分所得の増加に直結するので、自動車や高給家電などは今後も増産の一途であろう、と云う。

マーケットというのは、常にオーバーシュートするのが常であるから、今回の世界的景気悪化も行き過ぎであると私は感じていたが、最近の各種指標が景気の下げ止まりと回復を示唆しているのは当然の様に見える。米国が以前と同じ規模の過剰消費社会に戻るかは疑問であるが、今回の不況は丁度良い調整となって今後の長い世界経済成長に役立つと期待したい。中国の内情を聞くに連れ、生来の私の持論である景気の先行き楽観論に、より自信が出てきたのである。

となれば個人としては旅行に、耐久消費財の購入にと 「買いは今」 かと思うのだが、個人の消費になると急に慎重になり、妻に笑われているのである。

景気回復の兆しは結構な事であるが、最近は行き場を失ったお金が、自然災害のデリバティブ金融商品として世界中に売れ始めているなどと言うニュースを聞くに連れ、こういうものこそ各国の政府が協調してコントロールして欲しいものだと思っている。

2009年7月24日 (金)

さて何党に投票するか

総選挙である。しかし妻と「投票する政党がないよね」と言う会話をする。「 口当たりの好い政策だけをマニフェスト(政権公約)に掲げるのは有権者への背信 」(24日付け日経コラム選択衆院選)との新聞の指摘とおりである。

時代を変える為に、既得権を持つ世代を優遇してきた政治から、そうでない者へ予算を廻す様な政治への変更が、選挙のポイントだと思っている。具体的にはこれまで総じて優遇されてきた高齢者層から、子育て世代にお金が廻るようにあらゆる政策を切り替えて欲しい。そうでないと10年後の日本は経済的にも人口構成の面でも破綻した国家になってしまうだろう。また先日、北海道の高速道路を走って感じた事でもあるが、コンクリートの箱物で一杯の地方にこれ以上金をつぎ込むのはやめて、大都市のインフラ整備に予算を使ってほしいものである。老人福祉でなく若者への補助、地方でなく中央へ限られた予算を使う事が日本の競争力を保つ為に必要な事だと思うのである。

せっかく構造改革に重い腰を上げパラダイム変更を本気で考え始めたかに見えた自民党も、福田・麻生政権で元に戻った感がする。民主党の「こども手当て」は是非望む処であるが、この党の安全保障策やソマリア沖の海賊対処法の扱い(先ごろまで海自の派遣反対としながら、選挙用マニフェストでは現実路線に切り替える)などこれまでの主張を見ると、到底、現実に政権をとって政策を実行できるとも思えない。

恐れるのは、こんな時代に新興宗教や正体がわからない勢力が、勢力を伸ばしたりする事であろう。そう云えば第一次大戦後のワイマール体制下でドイツが窮迫していた時に、国会議員選挙を通じて民主主義によって選ばれ、勢力を伸ばしたがナチス党である。ヒットラーは国民投票と云う民主主義によって大統領(総統)になったのである。国が困難な時期に、大衆の受け皿になる既存政党が不在になると、極端な集団が選挙を通じて勢力を伸ばす事があるのは、歴史が示している。そういう意味では、やはり我々有権者は、真剣に候補者や政党の声に耳を傾けなければならないと思う。

2009年7月22日 (水)

フロリダの水

毎日1~2種類の果物は必ず摂る様にしているが、スーパーに並んでいる旬の果物は結構高い。そんな時は100円から150円、手ごろなお値段のグレープフルーツを買って来る。朝食時、2つに切ったグレープフルーツの果実を専用のナイフで袋から分け、先の尖ったスプーンですくう。一通り果実を楽しんでも、残ったジューシーな実がまだ奥に残されているので、もう一回り丁寧に袋の中を物色し、かき出して口に入れる。で、最後はグレープフルーツを手に持ってぎゅっとしぼれば、ジュースがあふれ出るので名残り惜しげにそれを飲むのである。

ジュースを飲むときにいつも感じる事がある。あ、このジュースは、カリフォルニアかフロリダの土の中の水分をグレープフルーツがこしとって、今こうして自分の口に入るのだと。そしてカリフォルニアやフロリダの水は、太平洋や大西洋の水蒸気が雲となって、大地に降り注いだものである事を。母なる地球の大きな営みの「果実」が、こうして自分の口に入っていくのをかみ締めていると、朝の一時、自然への感謝と共にちょっとフレッシュな気分がして、今日も一日仕事をしようか、という気持ちになれるのである。

2009年7月21日 (火)

いつでもアホでおりなはれ

20090721
外国の観光地などに行くと人生訓やちょっとウイットに富んだ小話などを書いたステッカーなどが店の片隅で売られていたりする。例えば、"Rule 1: The boss is always right. / Rule 2: When boss is wrong refer to rule 1."だったりboss がthe wifeに変わっていたりする例のものだが、同行者がみやげものをあれこれ見ている間、私はそんな寓話(fables)の中で簡単そうなのを見つけては「うまい事言うもんだな」と感心しながら、にやにや時間をよくつぶしている。

さて国内でも、人生訓を書いた様なおみやげ品が所々で売られているが、ユーモアというよりは、演歌調だったり暴走族風だったりで、ちょっと家に置いたり人前で出したりするのが気恥ずかしいものばかり。そんな土産はこれまで買った事もなかったが、先月、南紀新宮に行った際にみやげ物屋の店頭に、ちょっと目に留まった日本手ぬぐいがぶら下がっているのを見つけた。

印刷された文句は
”憎まれ口に泣き言に人の陰口 ぐち言わず他人のことはほめなはれ いつでもアホでおりなはれ”
”若いものには花もたせ 一歩さがっておることやいずれお世話になる身なら いつも感謝を忘れずに・・・”
”自慢話にわしらの時はなんて鼻もちならぬ忌言葉”
”ええ年寄りになりなはれ”  などなど

うーん、年寄りと呼ばれるのはまだ少し早いが、これは名言、まさに自分へのいましめの言葉だと直感したのだが、さすがにこんな手ぬぐいを買うには気がひけて、横目でにらみつつその場は通りすぎたのであった。

ところが、先週、北海道旅行で網走の原生花苑のドライブインに立ち寄ると、同じ手拭が売られているのを発見。特に自分へのみやげ物などを買う気はなかったし、北海道みやげでない事は明白なのだが、もしここで買いそびれたら二度とこの手拭には出会わないかもしれない、”思いたったが吉日”と決心して1000円ほどの手ぬぐいを買ったのである。

馬齢を重ねるに連れ、若い頃より、自分の至らなさや我が儘さを少しは自覚出来るようになって来たものの、”三つ子の魂百まで”、なかなか持って生まれた業からは解き放たれない。そんな自分に嫌気がさす事もあり、時々この手ぬぐいに印刷された句を思い出したりしている。それにしてもこんな”じじくさい手ぬぐい”一体どこに置いておこうか、とても家には置いておけないので、事務所のトイレにでも下げておくかと思案している毎日である。でも事務所の相棒は嫌がるだろうな。

2009年7月20日 (月)

海の日に思う

今日は「海の日」で国民の祝日である。なんでも明治天皇が東北巡幸の帰途、灯台視察船・明治丸で函館を経て横浜に帰着されたことにちなんで、7月20日を「海の記念日」と定めた事が始まりだそうだ。

そういえば国民の祝日になる前、7月20日の「海の記念日」は、一般の会社は営業日の中、海運会社・倉庫会社・海貨業者など海運関係の会社・機関は一斉にお休みだった。そのためこの日は首都圏・近畿圏のゴルフ場は、これら海運に関係した会社のコンペで賑わったものであるが、海運関係者が多い神奈川県では、7月20日は休日料金をちゃっかり徴収しているゴルフ場もあった。

会社勤めの頃は、例年、体もまだ暑さになれない中、鳴き始めたセミの声をうっとうしく感じながら、この日はゴルフ場で私もプレーした。自分達だけが休みなので、大体どこも社内コンペが主流で、ゴルフ場の食堂やパーティルームは普段のゴルフ場よりくだけた雰囲気だった事を思い出す。私などは、午前中の成績が少しでも良いと、汗かきながら昼の生ビールをしこたま飲み、午後の最初のホールが済んだあたりでトイレの場所を探すはめになるのだが、普通10番ホールのグリーン辺りにトイレがあるゴルフ場などはない。

さて、そんな海運業界の「海の記念日」も、日本船主協会あたりを中心に1990年代には国民の祝日にしようという動きになり、国民の祝日法制化に向けて署名運動用紙が廻ってきたものである。私はと云えば、特権的な休日を国民の祝日にしてゴルフ場は休日料金になり、交通機関も込む様な運動には賛成したくないと云うケチな考えで、いつも署名お断りを貫いたのだが、ごまめの歯ぎしり、1996年に国民の祝日「海の日」になり、その後2003年から7月の第3月曜日が祝日となっている。

あえてこの日を契機に言えば、日本人は国民の祝日が多すぎるではないか、と思っている。皆が一律に休むのでなく、法律で認められた有給休暇を100%取得し、またさせる事を労使に義務付ける事が先ではないだろうか。近年議論されているワークシェアリングの観点からも、国民の祝日を減らし有給休暇の完全取得を促進させた方がよろしいのでは?

2009年7月19日 (日)

封殺か否か

野球のルールは本当に面白い。一方で盗塁や隠し球など認めておきながら、インフィールドフライや振り逃げ( 1塁走者がいない時に限り、第三ストライクと宣告された投球を捕手が正規に捕球しなかった場合は打者は1塁に進塁できる、但し2死1塁の場合は進塁可) など封殺に関するインテンショナルなトリックプレーは許していない。ベースボール・ルールの由来を概観しただけで、アメリカ現代文化史が書けそうである。

さて先般、旅先でMLBのゲームを衛星放送で見ていたらこんな場面があった。マリナーズ対レンジャーズの一戦、1死または無死だったかレンジャーズの攻撃中で1塁に走者がいる。レンジャーズの次打者がセンター前にヒット性のフライを上げたので1塁走者は一旦2塁に進塁するも、マリナーズのセンターの守備位置が良くこれがアウトになりそうな気配となる。そこで走者は一旦2塁にタッチした後、1塁に戻りかけるが1・2塁間に走者が戻った時に結局マリナーズのセンターフィールダーの前に球がポトリと。で、あわててレンジャーズの走者は再び2塁に進塁しよう(あるいは戻ろう?)とするも、2塁に着く前にマリナーズの中堅手→2塁手へと球が中継され走者はアウト。ただその場面ではマリナーズの2塁手はタッチを走者にしていなかったので、レンジャーズのワシントン監督がタッチプレーが必要だと猛抗議を始めた。

この場面たしかに、走者が2塁を超えて2・3塁間に居れば、走者は2塁へ戻っても3塁に進塁しても良いわけだから、封殺でなくタッチプレーとなるが、一旦2塁に触れた走者が1塁方向に戻りかけた場合に、外野手の前に球が落ちたりあるいは故意に外野手が落球したらどうなるのだろうか。私は、インフィールドフライや振リ逃げのケースと同じく、守備側の故意落球で攻撃側が不利にならない為に、一旦2塁に触れた走者が1塁に戻る途中で打球が地面に触れた場合に、走者を殺す為にはタッチが必要だと思うのだが・・・・・・。すなわち走者は2塁に触れた時点で一旦は進塁した事になり、その後の離塁でタッチアウトになったと解釈するべきではないだろうか。テレビの解説者も何だか要領を得ない説明だった。

しかしレンジャーズの監督の抗議にも関わらず、最終裁定はセンターゴロによる2塁封殺で走者アウトになってしまった。誰か野球に詳しい方、この場面の解説をしてくれないだろうか。

2009年7月18日 (土)

北海道の思い出

札幌や苫小牧などは、仕事や遊びで最近訪れる機会も多かったが、道東・道央の帯広・川湯・網走・旭川などは、高校の修学旅行や大学の合宿で来て以来40年ぶりの訪問である。そんな旅先での若い日の思い出が、ドライブ旅行中次々と思い浮かんでくる。

今回、川湯の宿は、高校の修学旅行で宿泊したのと偶然同じところであった。そういえばその修学旅行では、川湯に泊まる前々夜の層雲峡、前夜の網走湖の宿で、冷蔵庫内のビールや日本酒を飲んでしまい、水などを詰めてそのまま冷蔵庫に戻す生徒が大勢いた。川湯のホテルにはそれらの旅館からクレームが続々届き、先生達が慌ててコースを逆走して謝罪と弁償をして廻った事を思い出した。川湯の宿の広間には我々生徒が集められ、残った引率の教師にこってり絞られたのだが、あれはどの部屋だったろうか? 修学旅行から帰った後、飲酒した生徒達は停学処分になったが、あまりに多数の者がやっていて数クラスは停学の期間中、事実上授業ができなかった。あの時の悪ガキ達が、今や企業の内部監査役やコンプライアンス関連の役員になっていたり、公認会計士だったりするのを聞くと笑ってしまうのである。因みに私と言えば、冷蔵庫の酒を飲むなど幼稚な事はせず、外にビールを飲みに行って門限直前にそのまま布団直行だったので、何もお咎めはなかったのである。

大学時代は旭川近郊で国鉄の列車を止めた事を思い出した。その時は宗谷本線の塩狩峠駅近くのユースホステルに仲間と泊まったのだが、朝、皆寝坊して一日に数本しか来ない列車の出発時間になってしまった。その時に駅からユースホステルに電話があって、列車が待っているからすぐ駅に駆けつけてくれと言う。慌てて身支度や精算をして列車に飛び乗ったのだが、前日ユースに泊まる客の数を覚えていた駅の配慮で乗り遅れずに済んだのだ。列車は我々の為に15分ほど遅れて塩狩駅を発車したのだが、何の事はない、次の和寒駅で急行列車の待ち合わせの為30分ほど停車したのだった。ローカル線ののんびりしたダイヤだったので、現場の判断で我々は救ってもらえたのだろうが、今では列車が定時になっても出発しなければ、列車無線で即指示が飛んでくる処だろう。旧国鉄ローカル線時代の良き思い出である。

当時は大きなリュックを担いだ"かに族”で賑わっていた北海道である。懐かしい宿がまだ健在なのは嬉しいが、今は若者もレンタカーで廻るのが主流なのか”わ”ナンバーで一杯の駐車場を見ると、時代が変わった事を実感したのだった。

写真は、原生花園駅に停車する釧網本線のディーゼル列車
20090718

2009年7月17日 (金)

北海道ドライブ雑感

20090717
早めの夏休みと云う事で往復フェリーで愛車を運び、北海道をドライブ旅行してきた。ドライブ距離1430キロ、平均時速53キロ、燃費は12.0キロで日頃東京の渋滞に中に巻き込まれているクルマも、快適なドライブでバッテリーなどの機器も息を吹き返した感がする。往路・大洗からのフェリーを下船した苫小牧で、ガソリンを補給しようとすると、スタンドの店員が「スピードには気をつけて下さいね、本州からドライブに来た方が随分捕まっていますから」といきなり注意をしてくれる。北海道では道路事情が良いのでついついスピードを出し過ぎてしまい、警察に捕まったという話をかねてから聞いていたので、気を引き締めつつ、他車がどんな速度で走っているのか、交通の流れを体感しようとしばらくは注意深く運転したのだった。

さて初日、数時間経って交通事情にも慣れてくると、高速道路を必要としないほど交通量の少ない快適な道路に、運転も楽しくなってくる。広い道と雄大な景色に、どこか外国で運転している感覚になるのである。ちょど左側通行のイギリスかニュージーランドの田舎をドライブしている様な気分か。一般道のスピード制限は60キロだが、どうやら地元のナンバーは80キロプラスアルファー位で走っている様だ。ただ、どこでねずみ取りをしているかまったく知識がないので、車列の先頭に立った場合は路肩に車を止め、地元ナンバーの車を先に行かせ、その後を走る様にする。単独で走る場合は制限プラス10キロである70キロを目処に走っていたが、途中一箇所、道端の生垣に隠れて、ネズミ捕りを実施しているのを見た。

ただ感心しない道産子ドライブマナーもちらほら。国道も集落に入ると40キロ~50キロにスピードが制限されるが、地元の車もあまりスピードを落とさない。先進諸国でのカントリードライブでは、集落のない所では100キロ以上でカッ飛んでも、人家や学校がある場所ではピタと制限速度にスピードを落とすものである。それから雨の時も昼間あまりヘッドライトをつけないのはどうも感心できない。東京などでは最近、外国に倣って昼間でもヘッドライトをつける習慣が徐々に普及してきたが、田舎ではまだまだの様だ。

また右折車の距離感がやたら近くて、目の前で右折をされた事が数度あり、そのたびに肝を冷やしたものである。右折車がセンターライン際にクルマを寄せて対向車を待ったりせず、どうどうと車線を独占して後続車を待たせたまま、対向車線が途切れるのを待っているのも頂けない。道が広く車も少ないので右折が簡単な為だろうが、もう少し周囲の車に気を遣ったら如何、と言いたくなるのは都会人の習性だろうか。そういえば高速道路で追い越し車線を右(センターライン寄り)の方向指示器を出し続けながら、「先に行くので道を譲れ」と云う意志表示をする地元車が数台いたが、東名高速道路などではこの様な不躾なマナーをするトラックは、ここ10年ほど少なくなっただけに、普通のクルマがこんな悪いマナーをするのかと驚いた場面もあった。

これ以外は誠に快適であったが、まあ土地・土地による文化人類学的な運転方法の考察などを楽しみつつ、車内で地元ドライバーのマナーに悪態をつくのもカントリー・ドライブの醍醐味か。そんなこんなであったが、苫小牧・十勝川温泉・阿寒湖・摩周湖・川湯・網走・層雲峡・旭川・札幌・小樽と5日間で廻って、渋滞もなく大変楽しいドライブであった。いやクルマというのは、ゴーストップや渋滞がなければ、こんなに快適な移動手段かと再認識、次回はもっと人口の少ない稚内など道北に是非行ってみたいものだと思いつつ、小樽から帰りのフェリーに乗船したのだった。

2009年7月11日 (土)

老眼矯正

視力は子供の頃から良い方で、身体検査では大体2.0か1.5だったから、40才台後半で老眼を感じ始めた時は少々ショックだった。今まで視線を向けた先は、近くでも遠くでも見えないと云う経験がなかったから、「見えない」「ぼやける」と云う意味が判らなかった位である。それだけに老眼を感じた当初は、視力が落ちた事には焦ったし、いよいよ人並みに老化現象が来るのかと寂しく感じたのであった。

老眼は水晶体の厚みを調節する筋力が弱くなって、ピントを合わせる能力が低下する事により生じるそうである。大抵の人がなるものの様だが、先の人間ドックで視力検査をした時は、視力を測る機械が遠方と近くの2段になっていて、遠方は問題ないのだが、近くの視力が裸眼では0.2などと言われてこれは拙いと思っている。

そんな時、ある雑誌に太平洋戦争の「撃墜王」海軍航空隊の坂井三郎氏が実践した視力強化法が乗っていた。氏は生来目が特に良いわけではなかったが、歩行中にはるか遠くの看板を読む訓練と、夜空の星を見る努力を日々重ね、視力2.5を獲得したと語っている。この視力のおかげもあり、戦争中に64機も敵機を撃墜する事ができたそうである。

さてこの記事を書いた医事ジャーナリストも、この方法を真似して毎夜5~10分星を見ていたら、老眼の進行にブレーキがかかったと書いている。最近の私は、接待の場なども大幅に減ったから、夕方に家でビールを飲む日が多く、そんな日は8時頃からうたた寝ばかりしていて、グータラな夜を送っている。坂井氏の訓練に刺激され、これから夜毎遠くを毎日眺めて視力再向上にチャレンジしてみようかと思っている。

2009年7月10日 (金)

仕事術

経済誌を読んでいたら、「仕事術」と云う記事に参考になる事が出ている。「書類はどんどん捨てる」のだそうだ。

「雑誌や新聞で面白い記事があって、コピーしてファイルしておいても実際のところ二度と見ることはほとんどない。」そうだ。たしかにちょっと面白いなと思っていてもその時だけですぐに忘れてしまう事が多い。「書類は基本的にどんどん捨てる。ただし、あとで必要になることも、ときどきはあるので、ダンボール箱を用意し、いったんそこに捨てる。捨てた書類が必要になるとしても、その直後の数日間のことなので、1週間経ったら捨てても大丈夫」と記事は云う。

私は、一旦コピーしたりメモした書類が、なかなか捨てられない性質である。後で何か役に立ちそうな気がしてついついとって置くのだが、数ヶ月してそんな書類を参考にしたくなる事はごくごく稀である。ましてや、一年経っても見ないものは多分永久に見ないであろう。快適なオフィス環境のためにも「書類をどんどん捨てる」事は必要な事だと時々反省するのである。さっそく来週からダンボール箱をおいて、書類を捨て、一週間たっても見直さないものは捨てて見ようかと思っている。

2009年7月 9日 (木)

たばこ狩とイスラムの怒り

2日間の四国出張の往復で「たばこ狩り」(平凡社新書)と「イスラムの怒り」(集英社新書)の2冊の新刊新書を読んだ。私はタバコは吸わないし、レストランなどでタバコの煙が流れてくると嫌だなと思う方である。またイスラムの偏狭かつ原理主義的に見える教えは、少なくとも我々普通の日本人から理解しえないものと思っているのだが、逆の立場からタバコを吸う人達やイスラムの人達は、嫌煙派や西欧をどう感じているのかの興味があり出張を前に本屋の店頭で手にしたのである。

両書とも現在の大方の一般的流れに棹さし、「たばこ擁護」あるいは「プロ・イスラム」の視点から出された本であるので、いささかの気負いや我田引水的論調が目立つのは割り引くとして、両書を読み終わってみると、西欧合理主義が行き着いた先である現在社会への文明論的批判として内容が相似している事が大変面白く感じた。

「たばこ狩り」について骨子をまとめてみると、

1.人間の理性を盲目的に確信している人達が多くなり、タバコの有害性が「科学的」に明らかになっていると決め付け、それを絶滅する事が正しい事と信じている。従わない人に「正しさ」を押し付け、社会を管理しようとする。これに従わない者は魔女狩りする。

2. こういう人達は、健康や安全に対し絶対的な安心立命を求め、それが実現できないのは行政やルールの不備で、充分な対策が採られていないからだと主張する。

3.しかし人間が生きる以上、社会に「闇の部分」「あいまいな部分」があるのが必定で、これを完全に排除した社会はあり得ない。今の社会は世界中が「防疫化」してしまい、人間社会にはしばしば起きる不祥事や事件・事故・災害・疫病などに対し過剰反応しすぎる傾向がある。この様な陥穽に落ち云った現代文明は早晩つまづくであろう。

さて「イスラムの怒り」では、

1.元来、キリスト教とイスラムは仲が悪いわけではなかった。東方教会が支配する地域では共存していたし、今日の様な対立もイスラエル建国まで深刻ではなかった。但し西ヨーロッパのカソリックは排他的でイスラムを敵視しており、特に近世以降は神を捨てた西欧の近代化に対して、イスラムは神が絶対者として君臨しているので溝が広まった。

2.理性を重視して合理主義から近代科学を生み出した西欧に対し、神への絶対服従を主とするイスラムでは合理主義や科学的因果律が育たなかったが、イスラムでは家族を中心とする助け合いの社会は壊れなかった。

3.砂漠の民の共生の思想であるイスラムは、弱者を助けるのが神の意志であるから、米英などとの戦争で弱い者、特に子供・女性・老人などが被害に遭う事に敏感でこういう事態に反発する。近代の国家成立のベースとなる民族主義など欧米の考えの押しつけでなく、別の理念が働く社会がある事を認識し見直す時期ではないか。

さていずれの本も、まったく違うジャンルを扱ったものだが、ともに西欧が近代化以降押し進めてきた啓蒙思想に反省を求める点では、論点が似ている事に気づくのである。私は基本的にはその様には考えぬが、確かに理性や合理主義を敷衍する事で、必ずしも幸せな個人や社会が実現できる訳でもないとも思う。”理外の理”とか”人間のさが”、”ひとの弱さ”など人間の本質を広く受け入れる寛容性が、自分にも必要であると反省するのである。

2009年7月 8日 (水)

高速道路値下げの余波

今治に仕事で行った。最近はあの近辺に出張しても素通りする事が多かったが、今回は仕事の都合で一泊となった。今治で泊まるのは3年振り位だが、この間に町から活気が亡くなった事に驚いた。市の中心部の大丸デパートは閉店、ショッピングセンターもシャッターが閉められていて、朝夕も人通りがまばらである。

今治の主力産業の造船は、好況時の受注残があってまだフル操業、もう一つの産業であるタオル製造も、高級タオルに活路を見出して復活の兆しがあると先般NHKのニュースで聞いたばかりなのに、この衰退ぶりは何だろうか。

タクシーの運転手は、”しまなみ街道”が完成して、車で来た来訪者が寄れる場所だけ賑わっていると云う。クルマ社会から取り残された古い町の典型の様だ。そういえば町の玄関・今治港はかつて芸予諸島各島に向かうフェリーや高速船で賑わったものだが、本四架橋が出来た際にこれらの航路が次々廃止になり、今では数航路が細々と残るのみ。関西や九州を結ぶ長距離フェリーも今回の高速道路値下げがトドメで今治寄港を取りやめたという。海の玄関口の今治港から乗客が減った事も町の雰囲気を閑散とさせている一因かもしれない。

モーダル・シフトだとかエコとか喧伝されながら、政治家の人気取りの為の様に急遽大幅値下げされた高速道路。各道路会社には後から税金で多額の補填があるそうだが、この煽りで経営が成り立たないフェリーや渡船には今のところ何の補助も決定していない。産業の構造が変わって時代の要請に合わない産業が淘汰されるのは、自由主義経済の下、当然の成り行きであろうが、朝令暮改の様な人気取り政治の為に経営難に陥るフェリー業界に同情を禁じえない。

そもそも本州・四国間に需要を大幅に上回る3本もの連絡橋を造り、国民の金でその大赤字の穴埋めをしておいた上に、今回の人気取り大判振る舞いの差額はまた税金で補填すると云う。そのうちあっと気が付いた時は瀬戸内や東京湾などの生活航路やフェリーはもとより、長距離のフェリーも消えているかもしれない。ガソリンの価格が200円以上になる時代も又すぐ来るかもしれないが、その時は後の祭りだろう。

写真は高速道路値下げが最後のパンチになり航路を廃止した、波方・竹原フェリーの桟橋。使われなくなった可動橋だけが寂しく残る。
20090708

2009年7月 5日 (日)

冷や中

20090705
今年初めての冷やし中華である。今日は日曜日、来週末は二人とも旅行で東京に居ないので、妻と都議選の不在者投票を済ませ、帰り道スーパーへ。で、「今晩何が食べたい?」と聞く彼女に「冷や中」と反射的に答える私。妻の実家伝来の冷や中レシピーはトマトが入っていないのだが、わたしにはトマトは必須のアイテムなので、トマト・ハム・卵・きゅうり・それに麺などを買って帰宅する。

冷やし中華というと、私は山中毅というスイマーを思い出す。その昔、今の国道246号線玉川通りと環状7号線(環7)の交差する上馬交差点辺りに野沢銀座という小さな商店街があった。環7が造られる際に近辺一体が整備されてしまったので、今ではその跡も判らなくなってしまったが、そのあたりが子供の頃よく買い物や、食事に来ていた場所である。当時は冷やし中華はどの中華料理店にもあった訳ではなかったと記憶しているが、野沢銀座の大衆食堂にはそのメニューがあって、夏の暑い日、冷やし中華を食べたいと言うと皆で野沢銀座に行ったものだった。

で、あれは今から思い起こすと、ローマオリンピックの実況中継かその録音放送だったであろう。夏の暑い日にいつものカウンターに座り、注文した冷やし中華を待っていると、山中と彼の因縁のライバル、マレー・ローズのオリンピックでの対決がラジオ放送で流れていた。なにしろ当時は「鬼に金棒、小野に鉄棒」の体操の小野と共に、「生まれる前から泳いでいた」と言われるほど人気の山中の放送である。コックもラジオ放送に気が行って中々注文した料理が出て来ない。山中は400米か1500米の長いレースを泳いでいたのだろう、漸く出てきた冷やし中華を前に、こちらも気もそぞろ、大人ぶって練り辛子を混ぜすぎてしまったのが拙かった。ラジオや店内の「山中がんばれ」の声援を聞きつつ、子供には辛すぎる冷や中を涙を出しつつ、ウンウン堪えて頬張った事が、ひどく印象に残っているが、思えばこれが私の冷やし中華の原点である。

今日の妻の冷やし中華はゴマだれ味。昔はゴマだれ味などはなかった処がいささか違うが、私の原点、ねり辛子だけは涙が出そうな位たっぷり添えて、山中の放送を思い出し出し食べたのであった。

2009年7月 4日 (土)

成年後見人

90歳も超え老人性認知症になった父の成年後見人になった。認知症になって年老いた母一人では介護もできなくなったので、有料老人ホームへの入所が必要になったが、その入居金の工面で、父が持っていた株や投資信託など金融商品を解約する必要が出てきた。しかし今の金融機関のシステムでは、本人以外が纏まったお金を動かす事は出来ない。実はこうなる事を予感して、数年前から代理人申請を各種金融機関に出すなどを父に提案したのだが、頑迷な父に一蹴されていた。

銀行や司法書士などに相談した結果、今話題になっている成年後見制度を利用して金の工面をするのが良いという事で、半年前から準備にとりかかった。しかし準備を始めてみるとこの制度、新聞などで利用を奨めるほど簡単なものでは無い。まず一族の戸籍関係書類の取り寄せ、不動産の謄本、その他の資料取り寄せであちこちの区役所、登記所、法務局などを廻る必要がある。普通の人間では慣れぬ事も多く、資料が不十分だったり適当でなかったりで場合によっては2度3度役所に取りに行く必要もある。

ついで後見を受ける本人の財産目録を作るのだが、何しろ親子と言えども他人の資産。何がどうなっているやらさっぱり判らぬ。父の現在の株や投資信託一覧を各金融機関や証券会社に依頼しても、個人情報保護法とやらでガードが固く必要な資料の取り寄せに難儀する。さらに医師の診断書やら鑑定書を用意し東京家庭裁判所に提出する分厚い申立書を作成しただけで、期末試験でノートのコピー集めを終了したら試験が終わった様な気になった学生時代を思い出す。

さてそうして半年かけて漸く成年後見人の審判が下され登記がなされたのだが、この瞬間から父は選挙権もなくなり、印鑑証明も無効になり、いくら税金を納めていようが、社会人としての権利を失うのである。一方後見人となった私は、家裁が指定した後見監督人の弁護士の下、父の財産の善管義務を負う事になったが、これがそう簡単なものでは無い事を実感しつつある。資産目録や父の家計収支表の定期的報告、父が証券会社などと契約した各種商品の管理・記録は勿論、株の配当金の換金・記録など結構な量の事務がある。

更にこの後見人になった瞬間、仮に今まで親子間で行われていた援助や無償の便宜供与があっても、それらがすべて監視の対象になり家庭裁判所に報告しなければならなくなる様だ。例えば株主優待券などをおじいちゃんが子供や孫に配っていたとしても、おじいちゃんが被後見人になった瞬間に、それは後見人が金券ショップで換金して被後見人の口座に入金しなければならないとの事である。すべからく被後見人の資産をあらゆる可能性から守る趣旨なのはわかるが、通常の範囲の親子間の融通なども大幅に制約されてルールが一人歩きしそうである。

何よりこの半年間のペーパワーク準備や家庭裁判所・弁護士との打ち合わせなど、働き盛りの普通のサラリーマンには到底無理なほど事務量である。新聞の相談欄などには「便利な制度」としてこの制度利用を奨めているがとんでもないと言いたい。一族に遺産相続などで揉め事が起こる可能性がない様な人は、生半可な気持ちで後見人制度など利用しない方が良いと思うと言うのが今の実感。もし家族に老人がいたら、金融機関に早めに代理人届けを出す事の方をおすすめしたい。これで老人が認知症になっても当面ほとんどの事は済むはずである。

私と言えばサラリーマン生活の最後の方は、管理職で一般事務から離れていたので、これは「 そういう事で苦労しなさい」という天の配剤か、時間の自由もある程度効くので親孝行みたいなものかと思いやっているのである。

2009年7月 3日 (金)

マイケルジャクソンの報道

ついこの前までは、その奇行などから変人、時には幼児虐待など犯罪者扱いされていたマイケル・ジャクソンであるが、死んで見れば偉大なアーチストとの報道やコメントばかりが圧倒的に多く、いつもながらマスコミのいい加減さに辟易とする。そういえば横山ノックが死んだ時も、それまでは変態扱いだったマスコミは”ノックさん”とさん付けになって、急に哀悼モードのなったのには大いに違和感を覚えた。持ち上げて落とす、落として持ち上げるマスコミの面目躍如である。

一方、麻生内閣の支持率が低下、と毎度の事ながら勝手な支持率なるものがマスコミで発表されるが、麻生総理は就任してからまだ一年もたっていないではないか。この間、予算や自衛隊のソマリア関連の法案など重要な事項もあったものの、まだ鼎の軽重を問われるほどの決定的な事態に遭遇したわけではないと思う。指導力不足などと党内のコップの中の争い事をさも大事な事の様に取り上げて、解散・解散と騒いでいるのは、一部の政治家とマスコミくらいではなかろうか。少なくとも政権を途中で投げ出した前2人の総理より麻生氏の方が余程立派と私は思うし、ここはもう少し彼のやりかたを見ているのが大人の対応ではないか。ころころ首相が変わる日本の姿は、世界の人から見てどう見られるのであろうか。内閣人事などの問題ではなく、足が地に着いたわかり易く地道な報道を期待したい。

ある事件がおきても、そこに至る経緯・全体像・背景などを総合的に報道するのでなく、”ある事件がおきた”と言う特異な一面のみを取り上げ馬鹿騒ぎをするがメディア報道の特徴である。「 マイケル・ジャクソンの昨年の報道の80%は、奇行や奇人ぶりの報道で、死んだらヒーロー扱いはいかがなものか 」位コメンテーターの誰かが発言して彼の死を報道しない位見識をもった番組などはないのだろうか。第2の権力、それも世間相場ではトップ中のトップの高給をもらいながら、ろくなチェック機能をもたないメディアが垂れ流す報道に、我々は常に批判的に斜に構えて接する方が得策ではないだろうか。太平洋戦争に国民を駆り立てたのは、軍部と共に当時の報道機関だった様だが、馬鹿騒ぎニュースを見る度に、少なくともその轍はもう踏まない様に注意しなければならないと思う。

最近私が見るのは、ニュースなどより東京12チャンネルの”温泉2泊の旅”など人畜無害のご当地番組の方が多い。ご当地番組に取り上げられる施設や町からは、番組に何らかの見返りもあるだろうが、そんな事はわかった上でも楽しめるものである。

2009年7月 2日 (木)

お弁当

部内異動によって、最近は妻も以前より随分早く帰れる様になったが、それでも原則9時~5時勤務の私の方が、家に先に到着する事が圧倒的に多い。仕方ないので、日によって外食したり、お惣菜を買ってきたり、気が向けば料理を作って先に食べている日もある。

主婦ではないが、永年こういう生活をしていると、毎晩毎晩何を食べるか考えるのが面倒になって来るものだ。それでも朝、冷蔵庫の中の在庫をチェックして夕食は何を食べようかなどと考えていると、はたと食べたいものが浮かんでくる日もあって、そういう時は帰りに近所のスーパーに寄って材料を買って来る。

で、昨日はなぜか、冷蔵庫のキャベツの残りを見ているうち、中学生時代に母親が作ってくれた典型的なお弁当が食べたくなってきた。キャベツの炒めもの、ソーセージ、卵焼き、それに海苔かふりかけがのっかったご飯の弁当である。

ただこういう時の容器は、子供の時の様にアルマイトでなければならない、というのがややひねくれた中年のコダワリである。ドカチンのお兄さんが使っている底の深いアルマイトにご飯を盛ってフタを開けると、フタにくっついた水滴が2粒3粒冷えた海苔ご飯に落ちてくる様な素朴なお弁当が良い。容器がタッパーのお弁当では、どうも中が蒸れている感じがするのだが、アルマイトにごはんを盛ると、米粒が冷えていそうで、いかにも”残り物のべんとう”を食べている素朴な雰囲気がしてくる。これこそ昔の味だ。

さっそく出勤前の妻に「 今夜は弁当を作りたいけど、弁当箱ある 」と聞くと「 そこにあるでしょう 」と答えが返ってくる。「 タッパーじゃないよ、アルマイトのドカベンみたいなの 」と云うとさすがに「 そんなのあるわけないじゃない 」とにべもない。なので昨日は会社の近所で食器などを売ってそうな店を覗いてみたが、さすがに都心ではそんな古めかしい安物弁当箱は見当たらない。アルマイトは次回のお楽しみである。おかずのソーセージも、子供の頃良く食べた色素の入っていそうな赤いソーセージが近所のお店にはないので、その店の中では一番安くて健康に悪そうな毒毒しいのを買う。

という事で、昨日の夕食は写真の通り、冷や飯をタッパーに盛り、卵焼きにキャベツ、ソーセージ炒め、それに前夜の残りハムをつめた自作”冷や飯”弁当。ビールを飲みつつ、テレビを見ながら、一人手弁当でテレビを眺めていると、これはこれで結構いけるのであった。因みに「同じ弁当をこさえてあげようか」と妻に言ったが、妻はやんわりと「いらない」との事であった。

でも写真にして見ると、結構不味そうである。
20090702

2009年7月 1日 (水)

出物腫物、所かまわず

JALの副操縦士がホノルルで立ち小便の現行犯でつかまり、2晩警察に拘束されたためフライトが欠航したという。このパイロットはビールなどをかなり飲んで、散歩中に急に尿意を催し我慢できなくなった為、立ちションをした処を州法違反で捕まったとの事。欠航した便の搭乗客は怒り心頭だろうが、問題のパイロットには誠にお気の毒と同情を覚えてしまう。飲酒運転で拘留されても、事故などを起こしていなければアメリカでは普通1晩のブタ箱行きで済むのに、何か手違い・行き違いでもあったのだろうか。

そういえば、海外出張などで時差ぼけの時、飛行機に乗ってちょっとアルコールを飲んだだけで、やけにトイレが近くて困る事がある。そんな時に限って席はエコノミーの窓際だったりするので、通路側の席の人を煩わせるのに気を遣う。「すみません」とトイレに行こうとすると、通路側の客が「さっき行ったばかりだろう」と心の中で思っているに違いないなど気を遣っていると、何故だか尿意をより強く感じたりするものだ。ことほどビールを飲んだ後の利尿効果は、効果バツグンである。

大学時代、山中湖で合宿をし、打ち上げの開放感でビールをしこたま飲んで、帰路の新宿行きのバスに仲間と乗った事があった。血気盛んな頃である、其の日はもう練習もない、という開放感で皆で相当飲んだのだろう。バスが山中湖を発車すると、次の河口湖のインターにつく前に一人が 「運転手さん、次のインターの手前のトイレでちょっと止って」。しばらく走るとまた他のものが、「運転手さん、我慢できない、次のレストエリアで止って」と切羽つまって言うありさま。皆それぞれ尿意のインターバルが違う為、新宿まで何回臨時停車した事か。トイレにつぎつぎ駆け込む学ラン姿の学生を、バスの車窓から他の乗客が呆れて眺めていたであろう、今考えても恥ずかしい。

やはり大学時代、単線でトイレもついていない大糸線の電車に松本から乗った事があるが、松本駅で缶ビールを飲んだのが拙かった。松本・北松本・島内と各駅に停車している内、先ほどのビールの利尿作用が急速に効いてきた。4両編成くらいの車内にはトイレがない事が乗ってから判ったのだが、後の祭り、もうどうにもならない。目的地の信濃大町までまだ1時間もあるし、途中下車してトイレに駆け込もうにも1時間に1本程度しか電車が走らないローカル線である。一旦降りるとその後のスケジュールが大きく狂ってしまうので、心の中でウンウン唸りつつトイレを我慢したのだった。しかし松本から行程の約半分、”穂高”と云う駅で、同行の友人に「 いかん、トイレ 」と告げて一緒に降りてもらって駅のトイレに駆け込んだのだった。田舎の古いトイレで用を足しながら観た北アルプスの山並みは、それはそれは雄大で40年近く経過した今でも印象に残っているのである。

そんな失敗があるのでJALの副操縦士の件は、同情に堪えない。ビールを飲んだ後の尿意は「 出物腫物、所かまわずず」ってやつである。

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