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2009年6月30日 (火)

やたがらす

高校時代から、サッカー協会のシンボルマークがなぜカラスなのか不思議だったが、今回客船”にっぽん丸”のウィークエンド新宮・館山クルーズに乗船して、永年のその謎が解けた。新宮港からオプショナルツアーで熊野大社へ参拝すると、境内は3本足のカラスの絵やお守りだらけである。何でも神武東征の際、神武天皇を熊野・新宮から大和へ道案内したのがこのカラスだそうで、その功績でお祭りしていると云う。このカラスは八咫烏(やたがらす)と呼ばれていて、日本の近代サッカー導入に尽力した中村覚之助氏がこの近辺の出身なので、その中村氏に敬意を表してサッカー協会は八咫烏をシンボルにしたそうである。

神話上のカラスの話はさておき、新宮港から熊野大社へと進むと、歴史は海から開けたと云う思いが強くなる。神武東征は古代王権が九州から機内へ移動した事が神話化されたと云う説が有力の様であるが、黒潮の流れに乗って九州の勢力が紀伊半島の南部に上陸し、この地から畿内に進出したと言う可能性は地理的に容易に想像できる。ただし北九州の王権が大和に移動するには、瀬戸内海→大阪→生駒山越えの方が遥かに現実的なのだが、神武天皇は反対勢力によりこのルートをとれず、ようやく八咫烏の力で紀伊半島の先端から大和入りするとすると、神武天皇のオリジン・系統がいかなるものであったか、考古学のど素人ながら興味をそそられる。

さて今回のクルーズでは、新宮を出港した後にっぽん丸は、房総館山に寄港したのであるが、なんと安房館山の安房は徳島の阿波の人達が、大昔黒潮に乗って流れ着いて名付けた地であるとの事、いやはや地理は得意科目と自負していたが、こんな事も知らなかったのかと赤面する。「 目からうろこ 」とはこの事だ。

しかし神武東征にせよ安房国の由来にせよ、わが国の歴史が海から開かれてきた事は大変興味深い。瀬戸内海の大三島の大山祇神社などを訪れると、古代から水路が陸路より遥かに有力な交通手段であった良く事がわかるのだが、確かに陸路も未整備であった上代には、潮の流れや風力を利用した海上交通の方が、遥かに安全かつ効率的であったろう。

日本各地への陸路の整備は時代も大分下るし、鉄道の開通などは高々100余年の事である。クルーズ船やフェリーに乗って時間を掛けて港に着き、普段体験できない港を起点としたツアーを経験すると、上代の人達がなぜそこに辿りついたのか、そこから各地方の拠点や中央にどうアクセスしていったのか、中央から見たのとは違ったアングルで物事が考えられて面白い。その地でなぜ神話や文化が発展して来たのか、寺社・仏閣が建てられたのか、海から上陸すると陸路や航空機で辿りついた旅行と違った視点で見る事ができるのである。クルーズって本当に面白い。

日本サッカーの南ア・ワールドカップ勝利を祈念して買った熊野那智大社”勝ち守り”
20090630

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