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2009年6月

2009年6月30日 (火)

やたがらす

高校時代から、サッカー協会のシンボルマークがなぜカラスなのか不思議だったが、今回客船”にっぽん丸”のウィークエンド新宮・館山クルーズに乗船して、永年のその謎が解けた。新宮港からオプショナルツアーで熊野大社へ参拝すると、境内は3本足のカラスの絵やお守りだらけである。何でも神武東征の際、神武天皇を熊野・新宮から大和へ道案内したのがこのカラスだそうで、その功績でお祭りしていると云う。このカラスは八咫烏(やたがらす)と呼ばれていて、日本の近代サッカー導入に尽力した中村覚之助氏がこの近辺の出身なので、その中村氏に敬意を表してサッカー協会は八咫烏をシンボルにしたそうである。

神話上のカラスの話はさておき、新宮港から熊野大社へと進むと、歴史は海から開けたと云う思いが強くなる。神武東征は古代王権が九州から機内へ移動した事が神話化されたと云う説が有力の様であるが、黒潮の流れに乗って九州の勢力が紀伊半島の南部に上陸し、この地から畿内に進出したと言う可能性は地理的に容易に想像できる。ただし北九州の王権が大和に移動するには、瀬戸内海→大阪→生駒山越えの方が遥かに現実的なのだが、神武天皇は反対勢力によりこのルートをとれず、ようやく八咫烏の力で紀伊半島の先端から大和入りするとすると、神武天皇のオリジン・系統がいかなるものであったか、考古学のど素人ながら興味をそそられる。

さて今回のクルーズでは、新宮を出港した後にっぽん丸は、房総館山に寄港したのであるが、なんと安房館山の安房は徳島の阿波の人達が、大昔黒潮に乗って流れ着いて名付けた地であるとの事、いやはや地理は得意科目と自負していたが、こんな事も知らなかったのかと赤面する。「 目からうろこ 」とはこの事だ。

しかし神武東征にせよ安房国の由来にせよ、わが国の歴史が海から開かれてきた事は大変興味深い。瀬戸内海の大三島の大山祇神社などを訪れると、古代から水路が陸路より遥かに有力な交通手段であった良く事がわかるのだが、確かに陸路も未整備であった上代には、潮の流れや風力を利用した海上交通の方が、遥かに安全かつ効率的であったろう。

日本各地への陸路の整備は時代も大分下るし、鉄道の開通などは高々100余年の事である。クルーズ船やフェリーに乗って時間を掛けて港に着き、普段体験できない港を起点としたツアーを経験すると、上代の人達がなぜそこに辿りついたのか、そこから各地方の拠点や中央にどうアクセスしていったのか、中央から見たのとは違ったアングルで物事が考えられて面白い。その地でなぜ神話や文化が発展して来たのか、寺社・仏閣が建てられたのか、海から上陸すると陸路や航空機で辿りついた旅行と違った視点で見る事ができるのである。クルーズって本当に面白い。

日本サッカーの南ア・ワールドカップ勝利を祈念して買った熊野那智大社”勝ち守り”
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2009年6月29日 (月)

日本のタリバン

これまで気軽に、わが国の神仏混交の大らかさが良いなどと思い、そうブログにも書き綴ってきたのだが、日本の宗教の永い永い歴史の中には、色々な側面がある様である。

この週末は、客船”にっぽん丸”のウィークエンド新宮・館山クルーズに乗船して、オプショナルツアーで熊野那智大社に行って来た。日本一の落差を誇る那智の滝見物に続き、熊野那智大社に詣でたのだが、神社の一角に那智山青岸渡寺と云う古寺がある。神社に隣接してお寺があるのは何も珍しくないが、ここには寺の由来などを大書きした説明がない。お寺の前のお札などを売っている売店のおばちゃんが、威勢良く参拝客に話しかけているので、思わず「この寺は、天台宗なの?」と質問したのがおばちゃんのドツボにハマってしまった様だ。待ってましたとばかり「天台宗が開かれる前からの古いお寺です~」から始まり、この寺の故事来歴を流暢に話し出す。何でもこの地ではこの寺院が古くから権勢をふるっていて、神社をお寺が守って来たのだと云う。

どうやら日頃から参拝客に伝えたい話が、おばちゃんの頭の中には一杯詰まっていて、一旦堰を切って話し出したらどうにも止らない様である。熊野大社と青岸渡寺を中心に、古代~中世~近代に渡る全国の神社とお寺の関係から、神社建築や仏教建築様式の相違点などを流暢に講釈してくれるのだが、その話はかつて大学の一般教養課程で取った「宗教学」などの講義よりよっぽどおもしろい。話のクライマックスは明治維新の廃仏毀釈で、熊野本宮大社や熊野速玉大社などの仏堂が廃された際、ここ青岸渡寺がかろうじて生き残ったそうだが、そのくだりでは「日本にもタリバンの時代があった」と憤懣やる方ない口調である。

そういえば、今の日本では、普通にお寺と神社が棲み分けているが、僅か150年前には廃仏毀釈(神仏棄却)などと言う運動があって、国家神道に仏教が弾圧され仏像が破壊されたり、寺が廃されたりした時代があった事を日本史で習った。もっともその過激な運動も、僅か数年間で終わったと云うのが、わが国とタリバンの違うところであるが、歴史や宗教などは多面的なもので、数冊の本やネットなどからチョチョイと聞きかじった位で、日本の神仏の多様性などを軽々しく云々したりはできないものだ、とおばちゃんの話を聞いて反省したのであった。

それにしても旅と云うのは良い物である。若いときは寺社仏閣などにはとんと興味がなかったが、歳を取ってくるとだんだん日本の事や我らの先祖の事に興味が沸いてくる。お寺や神社を訪れるたびに、新たな発見や想いを新たにする事が見つかるものである。

那智山青岸渡寺
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2009年6月26日 (金)

社会保険庁の改ざんは悪いものだったか?

6月24日夜7時半からNHKクローズアップ現代”消えた年金を取り戻す救済、記録ミス”は、年金問題のその後の経過を報道していた。それによると、厚生年金の改ざん問題を調べてきた結果、その9割が事業者側に問題があり、いわゆる社会保険庁の改ざんや怠慢な作業に起因した事例は1割だと云う事が判明したと言う。実は6月5日付け当ブログで採り上げた郷原信郎著・講談社現代新書「思考停止社会」の中でも、本件の経緯がすでに詳述されているのだが、メディアのミスリードと、桝添厚生労働大臣のバイアスがかかった見当違いの発言により、問題の核心がすっかり社会保険庁たたきと言う方向に向かってしまったのが今回の厚生年金問題らしい。

昨日のこの報道番組によると、厚生年金の未納問題は社会保険事務所の改ざんや怠慢と言うよりは、厚生年金を支払うと経営が立ちいかなくなる多くの中小企業を前に、むしろ弥縫策として弱者の味方をした行政の姿勢が事の本質であった様である。大企業や中小企業の二重構造を配慮せず労使から一律に保険料を徴収したり、滞納している事業主も年金受給権は変わらないという制度上の問題点を考慮すると、社会保険庁の多くの「改ざん」は年金受給予定者への実質的な救済を目指したものであった様である。これには厚生年金を支払えない企業をおもんばかり配慮をする事によって、厚生年金の納付率が上がるという副次的なメリットも社会保険庁側にもあったであろうが、昨年来大々的に報道されて来た、社会保険事務所に問題の大半があると云う構図での報道は、大変な間違いであった様である。

台湾に対する日本の植民地経営などで、中国共産党の宣伝の様な番組を作ってしまい批難ごうごうのNHKであるが、今回のクローズアップ現代の様に、メディア全体のセンセーショナルかつ短視眼的報道を再検証する番組をもっと多く放送して欲しいと思う。

2009年6月24日 (水)

ワッパー

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バーガーキングと言えばWHOPPERである。アメリカに居た時フリーウエイの自宅最寄の出口を出ると、最初の四つ角にバーガーキングの大きな看板が見えて、ついつい土産にと立ち寄っているうち、すっかりWHOPPERのファンになってしまった。大きなバンズの中に、レタス・オニオン・トマト・ピクルス・サウザンアイランド風ソース、それにマックなどよりずっと厚手のハンバーグが挟まっていて、その分幾らか高かったがジューシーな味が美味しかった。

帰国してしばらくするとJT資本で日本にもバーガー・キングの店が出来たので、昼食に買ってきて窓際の自分の席で食べていると、若い者たちが「ヘー、窓際の人もバーガー・キングなんて買ってきて食べるんですか!」と動物園の猿山で老サルが珍しいものを食べているかの様にしげしげと眺めていたっけ。

その後マック等との競争に負けて2001年頃にバーガーキングは日本から撤退してしまったので、WHOPPERは外国に出張した時などにしか食べられず少し寂しい思いをしていたものだ。数年前、新宿西口の高層ビルの地下に、再びバーガーキングが開店したと聞き、さっそく地下鉄にわざわざ乗ってWHOPPERを買い求めに行った程である。さすがに日本のWHOPPERは値段も結構なものであるが、味は世界共通、大きく口を開けて頬張るとあの懐かしいファンキーな味が口いっぱい広がるのである。

私などは食べているうち、WHOPPERを包んだラップペーパーが、何故だかぐちゃぐちゃになって来て、子供の様に顔やら指などにソースがいっぱいついてしまうのだが、そんな様に無邪気に食べられるのがジャンキーフードの良い処などとEXCUSEをひとりごちる。最近でも時々このバーガーを求めて神田駅前の東京2号店についつい行ってしまうのである。辞書によると ”とてつもなくでかいもの、おおぼらふき ”をWHOPPPERと言うそうだが、ネーミングまた良しである。

2009年6月23日 (火)

アンチ・クライマー

ワシントン郊外の列車事故は立ち往生していた列車に、別の列車が追突して起きたと伝えられている。この線は自動運転で列車が接近した場合自動停止する仕組みになっていたというから、想定外の事が起こったのかシステムの故障なのか。

丁度、わが国でも国交省が福知山線の脱線事故を受け、6月22日までに側面からの衝撃に強い車体の強度基準をつくる方針を固めたという。洋の東西を問わず安全輸送の実現の為には、事故の徹底分析と安全対策が急務である。

ワシントンの事故を写真で見る限り、この両列車の先頭車の車両にアンチ・クライマーがついていたら、片方の列車がもう一方にせりあがる事もなく死傷者が少なかったのではないか、と感じた。アンチ・クライマーは電車の先頭車など運転席窓下の外板下部に金属のひさし条の突起(長さ数十センチ~1米位、高さ十センチほど)が水平に1本~数本とりつけられたもので、少し前に作られた電車や客車には良くみられた。

列車が衝突した際、車両の硬い台枠が相手車両の客室にせりあがって旅客に危害が及ぶ事があるので、台枠にこのひさし状の突起をつけて衝突車両の台枠同士が食い込む事によって、客室の保護をはかるごく簡単な装置である。ディスカバリーチャンネルで巨大システムの事故などを検証する番組を見ると、これを装着した列車の衝突実験では、せりあがりで客室が破壊される事故の対策として、効果がバツグンに様に見えた。

ただ車両が軽量化した現在は、こうしたせり上がり事故をあまり想定していないのか新型車両には典型的なアンチ・クライマーはついていない様である。今回のワシントン郊外の車両も新型のアルミ製であろうか、アンチ・クライマーらしきものは見えない。危急の際は原始的な装置が思わぬ効果を見せたりする事もままある。システムの安全に携わる人達はあらゆる可能性を検証して安全な車両・システムを構築して欲しいものである。

銀座線の先頭車両、連結器のすぐ上水平の二列のひさしの様な棒がアンチ・クライマー
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2009年6月22日 (月)

東門 明 君の事

全日本大学野球選手権も法政の優勝で終わったこの季節、次は第37回を迎える恒例の日米大学野球選手権大会である。この大会は毎年この時期、日本と米国で交互に開催されているが、今年は日本で開催の順番、梅雨空の下、両国の選手が日本各地の球場で凌ぎを削るのであろう。

この大会を知らせる新聞の記事を読む季節になると、今日の様な梅雨空で行われた第1回大会2回戦の悲しい出来事を思い出す。あれは昭和47年の7月、日米の大学野球のオールスターが初めて雌雄を決するという事で、神宮球場を中心にこのシリーズが鳴り物入りで始まった年である。日本チームは各地のリーグ戦で優勝したチームの主力を中心の選りすぐりのメンバー、特に関大の山口高志投手の豪速球などが話題になっていたが、東京六大学からは優勝した慶應のエース萩野(土佐→新日鐵八幡)サード吉沢(大宮工業→東京ガス)ショート山下(清水東→大洋ホエールズ)池田(習志野→日本石油)などが選出されていたので、母校・慶應の選手の活躍に大いに期待してこのシリーズを注目していたのだった。

この年昭和47年、早稲田大学は丁度有望選手の入れ替わりの時期でリーグ戦の成績も春5位と低迷していたのだが、その中にあって神奈川・武相高校から入った2年生の東門明君だけが一人日本代表チームに選抜されて気を吐いていた。初の日米シリーズの第1戦はたしか山口高志の力投で日本が勝利を収め、第2戦は7月9日、日曜日のナイターの試合に、私も神宮球場に勇躍応援に駆けつけたのだった。

その日は生憎の梅雨空、降り続ける冷たい雨に日本の投手陣は不調でアメリカ勢の長打の前に一方的な防戦の展開、負け試合の上あまりの梅雨寒で、すっかり観戦意欲をなくして、その日私は早々に6回で球場を後にしたのであった。ところが翌日の新聞を見ると、直後7回の日本チームの攻撃で代打東門がヒット、次打者藤波(後中日)の二塁ゴロで2塁に滑り込む際、アメリカの2塁手の1塁への送球を頭に受けて昏倒・慶應病院に入院したという記事を見て驚いた。その後何日か新聞で彼の容態が告げられていたのだが、遂に治療の功なく7月14日に亡くなったのは大変ショックで痛ましい出来事であった。

その試合を見ていて直前に球場を出たので悲劇を見ずに済んだという偶然、同年代のアスリートが試合中の事故で命を落とすという親近の気持ち、低迷した早稲田から一人選ばれたばかりにその場に遭遇したとういう巡りあわせなど、この出来事は私にとって、大変悲しく感じた事であった。それとともに、野球というゲームがはらむ危険性を改めて認識して、当たれば死んでしまう様なボールを投げ、打ち、走り、守る野球選手のすごさに改めて思いを致したのであった。

この季節、雨の中の野球になると、時々あの神宮での試合を思い出してしまうのだが、今年も日本代表として選ばれた学生選手達は、事故や怪我に充分気をつけてこんな歴史があった事を胸に刻みつつ精一杯プレーして欲しいものである。東門明君の背番号9は早稲田大学の永久欠番だそうである。

2009年6月21日 (日)

ジャンケンで勝つ方法

何も無い週末は、朝遅く起きて新聞2紙をゆっくり読む。一通り目を通して日経土曜版を読むと 「ジャンケンで勝つ方法」というコラムがあり思わず目を留める。

ジャンケンで勝つ方法は、「最初はグー!」と掛け声をかけながらパーを出し「勝った勝った!」と叫び、あっけに取られる相手を尻目に一気に戦列を離れる、と言う事しかないかなどと思いながらにやにや読んで見ると、そこはさすが経済新聞、数学者の統計に基づく確率のデータが掲載されている。

手の構造上一番出しにくいのはチョキだそうで、緊張したり意気込んだりするとグーを人間は出し易いらしい。なので最初はパーを出すのが勝つ確率が高いそうである。でパーで引き分けた際、人間は同じ手を出すのは心理的抵抗があるので、違う手を出すことが多いと記事はここまで書いてある。

閑にまかせてその先を推論してみると・・・・・。まずパーで引き分けた相手は、同じ手を出すには抵抗あるそうなのでグーかチョキを出す事が多いから、相手がグーを出したとする場合→こちらがパーをだせば勝ち。もし相手がチョキを出した場合→こちらがグーをだせば勝ちと確率的にはパーかグーか選択肢が2つに分かれる。この時相手が手の構造上グーを出す確率が2度目でも高いと仮定すれば、こちらがパーを出すと勝ちで終わるが、仮にチョキを相手が選択すれば負けが決定してしまう。なのでリスクを避けるためには、初戦パーであいこの場合は2度目でグーをだせば、引き分けか勝つ確率が高いと言えるのではないだろうか。

結論を言えば、ジャンケンをする時は、直前に相手に何らかの心理的プレッシャーを与えておき、最初はパー、それであいこならグーを出すのが勝つ要素が高い様である。ただ相手もこの法則を知っていたり、あいこが二回続いた際などはどうすれば良いのだろう。そこまでは新聞にも書いてない。閑な人は良く考えて欲しい。

2009年6月20日 (土)

東京体育館陸上競技場

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これは東京都が運営している東京体育館の陸上競技場で千駄ヶ谷駅前にあり、年中一般公開され夜間照明もあるので、私はよく走りに行く。料金はなんと200円ぽっきりである。

かつてメキシコオリンピックで世界で初めて全天候型トラック (タータン) で競技が行われる事が決まった時、わが国でもそれまであったアンツーカーやシンダーの走路から、全天候型の走路の建設を急ぐべしという事になって、日本で最初にタータンを敷いたのがこの東京体育館の300米のトラックであった。昭和43年の7月である。

メキシコオリンピックは、100米競走でジム・ハインズが人類初の9秒9を出したのを始め、”鳥人”ビーモンの幅跳び8米90、フォスベリーの驚異の背面飛びなどによって全天候トラックで記録が出る事が明らかになり、以後は燎原の火の如く、世界中のトラックが全天候型になったのだ。

あれは昭和43年秋か44年の春だったろうか、それまで学校単位で行われた陸上競技を横断的に展開しようというJAC (JUNIOR ATHLETIC CLUB)という組織が誕生し、ここ東京体育館の新しい全天候型トラックでその記録会に参加したのが、私の全天候型トラックとの出会いである。日本唯一のタータントラックで走れるという事はとても貴重だったので、その日の記録は覚えていないがタータンで走ったと云う記憶は鮮明に覚えている。それまでのトラックに比べて接地した感じが、弾力性に富んでいると感じたのだった。以後、社会人になってからも駅前の便利な場所に位置して、シャワーも完備するこの施設は、”千駄ヶ谷のタータントラック”として重宝してきた。

ただ大変残念な事は、当初1周300米のトラックであったのが、十数年前の改装の際に200米になった事である。場所柄なかなかスペースを取るのは難しいのだろうが、200米のトラックでは小学生の運動会の様にバランスを取りながら走る必要があるほどカーブが急で、満足な陸上の練習にはならない。私は仕方なく一番外側のコースが一周242米あるのでこのレーンをいつも走るのだが、これでもまだ急カーブだし距離が中途半端で各種計測がしにくい。

1000米のラップは4週してから約30米行った地点だなどと意識していても、そもそも年齢でユルミ始めた頭脳が、酸素不足で意識もうろうとしてくるから、何週だか判らなくなってしばしばラップを間違えるのである。少なくとも昔の様に300米トラックに次回改装の際はぜひとも戻して欲しいものである。

2009年6月19日 (金)

雑餉隈

最近は一般誌でも鉄道が頻繁に特集される。そんな特集本の中に「駅名ドリル」なんてページがあり日本全国の難読駅名のクイズがあった。面白いので詳しく読んでると雑餉隈という懐かしい地名がある。福岡出身のタモリが良く引き合いに出す場所でザッショノクマと読む。雑餉と言う言葉はもともと供応の酒食の事を指したとか、ここらあたりは大宰府参拝客の飲食店が昔から多かった事からこの名がついたのだろうか。かつては国鉄の大きな車庫があったので、北九州や下関方面から「雑餉隈行き」電車が多かった為、子供の頃から良く知っていた地名であるが、いつの間にか「南福岡」などと味もそっけもない駅名になってしまい、今では西鉄電車に其の名が残るのみである。

取引先などによく福岡出身の人が居て「で、福岡の南の方のご出身だと雑餉隈の方ですか?」などと会話をすると、それまでビジネスライクだった相手が「どうしてそんなローカルの地名がわかるのですか?」と話が急に弾み始めたりする。そんな風に初対面の相手とのビジネスの際、近辺のローカル地名を織り交ぜたりすると相手も警戒心を緩めてくれる事が多い。

同様に地方でのビジネスや酒席で、手っ取り早く打ち解けるのは、高校野球の話題。「この町の高校は、何年か前にセンバツに出たけど、最近はどうなんですか」などと聞くと「東京の方なのに、なんで知ってるのですか、親戚でもいるのでは?」などと会話が俄然弾みだす。何の事はない、神宮球場の六大学野球観戦で選手紹介のアナウンスやメンバー表から、出身高校がいつの間にか頭に入るので、夏になると選手権大会の各県の予選で、そういう馴染みの高校を中心にチェックしておけば良いだけである。その学校が負けても対戦相手やベスト8くらいの大抵の様子を観ておけば、出張に行く可能性のある町の高校の勝ち進み方くらいは自然に頭にインプットされるのである。

「今、メイジの3年の○○君は、控えだけどブルペンで良い球投げてるね。彼はこの町の県立高校の出身らしいけど高校時代はどうでした?」「ワセダの新人に隣町の子がいるよね」などとちょっとツウらしい質問をすると、会話はドツボにはまった様に、その選手たちがその地方でいかに知られて人気者であったか、などを相手が説明してくれるものである。ここはプロに行った偉大な選手より、東京の大学へ期待されて出ていったまだ若い大学生選手あたりが会話もホットになる様である。

そんなこんなで、鉄道の駅名だとか野球の出身校などローカルの話題が、随分地方でのビジネスに役立ったものである。ただ酒席ではこんな話題で大いに盛り上がってみたものの、今思うとそれだけで終わってしまった商談も随分多かったのだが・・・・!。

2009年6月18日 (木)

乗り物体験ツアー

17日の新聞朝刊に「あこがれの乗り物 運転体験」として、大型バスや列車など普通は運転できない乗り物を、実際に動かしてみるツアーや観光施設が紹介されている。過日行った観光バス運転体験ツアーは山梨県内の滑走路を使って、実際に12米の日野自動車の大型バスを運転したそうで、甲府市内の集合場所には全国から57名が集まったという。

バスやトラックは大型免許がないと乗れないが、滑走路は公道ではないので普通免許でOKだとの事。私も一度は最新の大型バスなどを運転してみたいと常々思っているので、新聞社系の旅行社が催行したこのツアーの次の募集に注目してみたい。

さて最近はありきたりの観光地めぐりでなく、自動車工場や製鉄所、飛行機の整備工場見学などを組み合わせたツアーが人気だそうである。かつて商売柄、国内・海外の色々な工場を随分見学させてもらったが、各国・各業種・各工場によって、随所に様々な工夫が凝らしてあり工場見学は興味がつきない。

自動車工場では真っ新な鉄板一枚が半日後に完成車になって行く工程を観た後、「自動車はコンピューター管理で数十秒に一台づつ完成するが、それを輸出する船は半日くらい平気で遅れて困る」などと言う担当者の話を聞くと、船の遅れが大変な事態を招く事などを実感したものである。

体験型旅行として、先年「碓井峠鉄道文化むら」で電気機関車の講習と運転を体験したが、新聞によるとバス以外にも北海道や茨城県でディーゼルカーが運転できる施設があるそうである。まだ知らない現場、例えば旅客機の格納庫見学などと共に、こういう運転体験施設に是非行ってみたいものである。

写真は日野自動車の最新型セレガ。
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2009年6月17日 (水)

高野山と比叡山

年令と共に、宗教的に対する関心も僅かずつだが高まって来るが、私は所詮日本人、一神教の神との契約や原罪などと言う考えには、どうにも付いて行けないし布教などもしたくない。寺社仏閣を観光するにつけ、やはり仏教や神道の事をもう少し知っておきたいと常日頃思っている程度である。

おりしも最近のニュースでは、真言宗・高野山開創1200年記念大法会に天台宗・比叡山の座主が正式に参列したと伝えられるが、この両派が公式に同席するのは空海と最澄時代以来1200年ぶりのエポックメーキングな事なのだそうである。天台宗と真言宗は、最澄と空海と言う同時代の僧によって日本に伝えられたもので、両派共に密教の流れをくみつつ大乗仏教を広めようと導入されたと云うが、長い間ライバル関係であったと云う。天台宗と真言宗の違いは何かなどは参考書やネットで調べても、凡夫の私では簡単にはわからない事だらけであるが、今までこの両方は教義の違いで絶縁状態にあったらしい。

わが国の宗教でいつも思う事は寺の山門の中に、神社の鳥居がある神仏混交の大らかさである。長い間、協調してこなかった天台宗と真言宗の接近のニュースを聞くに付け、西欧の原理主義的な宗教は、もう少しお互いを認め合い争いの火種が少なくならないかと感じたのであった。

2009年6月16日 (火)

HISTORY LESSONS

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社会人大学の英語講座の教材として、アメリカの”HISTORY LESSONS"と言う4200円もする英語のハードカバー本を購入するはめになった。しかし2回ほど受講した後、急に業務多忙になり、結局それっきりとなってしまったため、もうこの本は読む事もないだろうと、しばらくは書棚のこやしになっていた。が「文明の衝突」を一年がかりでやっと読破した数ヶ月前から、暇をみては、元をとりかえさねばと、ちょこちょこ読む様になっている。 と言うのも”世界の他の国はアメリカの歴史をどう記載しているか”という本の副題にちょっと興味を覚えたのである。

副題の通り、この本はアメリカ建国以来この国が関わってきた大きな出来事、新大陸発見から最近の北朝鮮問題まで、日本を含む西欧先進国の教科書だけでなくロシア、キューバ、イラン、北朝鮮などの教科書がそれぞれどうアメリカを自国の若者に教えているか、各国の高校の歴史教科書を英語に翻訳した本である。翻訳された英文文章も教科書の抜粋だけあってそれほど難解ではない。

北朝鮮の教科書が1990年代に米国と行った核問題の駆け引きについては、”最終勝者は金正日だった”と記載しているあたりは、当然の事であろうが苦笑してしまうし、ノルウエーやカナダの教科書は、コロンブスの新大陸発見のはるか前に、ニューファンドランドには北欧のバイキングが来ていたと詳しく書かれていて読んでいて面白い。広島、長崎原爆投下では、アメリカ人は「多くの連合軍将兵の命を救い、戦争を早く終わらせる為」と教えられているのだろうが、日本やイタリアの教科書には「ソ連の参戦を控え、戦後の冷戦に備えアメリカの優位を確立しておく為に原爆が投下された」と紹介されている。

この本の裏表紙に日本人として初めてアメリカ歴史学会会長を務めたハーバード大学の入江昭教授が ”自国特有の歴史と思われても、世界では同様の出来事があり、一国の歴史は人類全体の歴史でもある”と云うコメントを載せているが、どこかの民族だけが特別なのではなく、歴史には様々な見方があり、それぞれの出来事や世界の情勢が複雑に絡み合い、歴史を織り成していると複眼的に見る事を教えられる様である。

日本の自虐史観は大いに問題とすべき事象であるが、米国の唯我独尊もまた大きな問題である。そんな米国の読者を対象に他国の教科書が自分達をどう見ているか、と問う歴史の本は貴重であり、こういう本が存在するのも民主主義、自由主義の多様性である。

2009年6月15日 (月)

レクサス IS 250C

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もう1年半もの間コンバーティブルに買い換えようかと迷って、ディーラーなどを冷やかしているが、高価なクルマの買い換えも時の勢いで、”エイヤッ”と決心しなけらばなかなかできるものではない。特に今乗っているクルマの調子も良く、まだ6年で4万キロも走っていないので、もったいないと躊躇してしまう。

また国産車は2+2のハードトップコンバーティブルと云うラインアップがほとんどないのでプジョー、ボルボ、フォルクスワーゲンなどの外車が候補になってしまうのだが、クルマは住んでいる国の製品が一番と思っている私には、どうしてもこれら外車を購入する踏ん切りがつかない。仕方が無いので来年日本でも発売が予想されるスカイラインのコンバーティブルが出るまで待ってみようか、などと思うのであるが、このクルマは、来年日本で本当に発売するのかも決まっていない。

などなど思案していたら、最近レクサスからIS 250 Cというコンバーティブルが出たので少し気になっていた。とにかく日本人好みの品質、仕上がりという点ではトヨタはぴか一、そつなく出来上がっているであろうし、私の最大の心配事、にわか雨などの時に電動ハードトップがこわれたらどうするかという点も、国産車の方が信頼性がありそうだ。

という事で、今日は近所のレクサス店をひやかしに訪れてみた。レクサスと言えば、以前ジョギングの最中にぶらっと訪れた際、いかにも場違いな私達夫婦に対し慇懃だがあまり誠意を持った対応でもなかったので、やや構えながら今日はシャツにズボン姿でクルマで乗りつけてみると、店内には白と紫の2台のIS250が展示してありさっそくいろいろ触ったり屋根を開閉したりしてみる。

一見してオープンカー独特の開放感に、トヨタ車らしく各部かっちり造りこんである印象はある。ダッシュボードやシフトレバー周りなどの木目の内装は、三河のお殿様的やぼったさを感じ、このあたりはボルボの洗練されたそれにはるかに及ばないが、それ以外は良い感じではある。オープンカーなのでクルマの剛性とかハーシュネスなどと言う点より、楽しく乗るためのギミックな装置がいろいろ標準装備になっているのもポイント。タイヤ空気ウォーニング・サイド+ニーエアバッグ・オートライトシステム・雨滴感応式オートワイパー・クルーズコントロール・パドルシフトなどなどギミックな装置だがついていると便利なものが満載である。何にもまして感心したのは、最近の外車にはないMDの再生装置。昔ドライブ中に楽しんでいたカセットテープを再生するカーステレオが最近の新車にはついていないので、今乗っている車を購入した6年前にカセットをMDにやっとこさ録音し直したのだが、今度クルマを買い換えたらMDからiPodにまたダビングしなくては、と少し気が重かったのも事実である。このMD標準装備のあたり、レクサス購買対象者の年齢・嗜好をトヨタは良くつかんでいるのだろうか。

これらをフル装備・2.5L・V6・FRで5年保証、そしてお値段は直列5気筒・2.4L・FFのボルボとほぼ同じ値段。こんな小物の装置に心を動かされてしまうのは、正にトヨタの戦略のドツボに嵌った様だが、アラカン(アラウンド・還暦)には赤いベストなどを着てオープンカのドライバーズシートに乗っている自分を想像するとちょっと楽しい。さて何にしようか楽しい選択である。

2009年6月14日 (日)

九十九島せんぺい

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東証株価平均が1万円を超え、塩漬けにしていた僅かな持ち株もようやく含み損が消えようか、というレベルになってきた。時あたかも株主総会の季節で、企業の決算報告書と共に、株主優待のチケットや商品などもぼつぼつ届いてくる。

おりしもJASDAQ上場の、山陰地方のあるお菓子メーカーから株主優待の宅配便が来た。この会社は自社製品の他、日本全国いくつかの銘菓の製造元となっていて、各地の駅や空港で売られている有名なお菓子の本当の製造者は、実はこの会社であったという位手広く商売をしている。私はお菓子業界の事はまったく判らないのだが、株主優待品が美味しそうという妻の一言で、数年前この会社の株主になったのである。

で今年の株主優待品は何のお菓子かとさっそく宅配便を開封してみると、全国の有名なお菓子と共に佐世保の銘菓「九十九島せんぺい」が入っている。「九十九島せんぺい」は甘めのパリっとした生地に西海国定公園の名所・九十九島を見立てたピーナッツがまぶされており、私の子供の頃からの好物であったが、このせんべいも近年はここで生産されていた事に驚く。「名物にうまいものなし」とは良く言われる名言だが、「九十九島せんぺい」はもらって嬉しく、子供の頃はいつも家族で最後まで食べてしまうお菓子であった。今では出張や観光に行ってもみやげ物などほとんど買わない私だが、昨年11月に佐世保に行った際は、お土産の他、自分が食べるためにこの九十九島せんべいだけは買ってしまったほどである。

そんな伝統のお菓子が、何時の頃からか全国展開する菓子メーカーで作られていた事はちょっと寂しい気もするが、長期株主としては馴染みのお菓子をいつまでもおいしく衛生的にこさえて欲しいとも思ったのである。

2009年6月13日 (土)

神田お玉が池

子供の頃、熱狂した漫画・赤胴鈴之助の師匠、千葉周作の道場は「神田お玉が池」にあり、人形佐七も「お玉が池」の親分であったから、「お玉が池」というのは少なくとも江戸時代当時は、実在する池だと思っていた。江戸から東京になって、大きな川や堀は次々埋められ、中小河川は暗渠になっていったから、かつて江戸市内や東京市内を縦横に流れた水路は、時代と共に見る影もなく目に入らなくなっている。「お玉が池」もそんな近代になって消えた池かと思っていた。

「お玉が池」は、かつては桜が綺麗な大きな池で、池の端にあった御茶屋の娘、器量良しのお玉が二人の男に言い寄られて悩んだ挙句、池に身を投げたのでこの名が付いたという実在の大きな池だった様である。しかしながらこの大池は江戸時代のごく初期・1610年頃までに、埋め立てられたか干上がったかしたらしく、江戸時代の地図には池の記載がない。千葉周作の実在の道場はごく小さくなった「お玉が池」か、シンボルとして地名に残る”お玉が池”にあったというのが事実の様である。

池の源流としては東京の西郊、小平市あたりに端を発する石神井川と思われるが、石神井川は現在、王子駅東方近辺で隅田川に注いでいる。しかしかつてこの川は王子の飛鳥山付近から南にその流れを変え、上野不忍池の池に流れ込んでいたらしい。この流れは其の後さらに神田お玉が池近辺を潤し東京湾に注いでいたのではないか、と私は推測しているが、このあたり石神井川の流路の変更などについては、北区飛鳥山博物館に詳しく展示・説明がされていて興味深い。

さて例によって梅雨の合間の昼休み、東京名所旧跡めぐりの散歩をして、神田岩本町あたりを歩いていると、”お玉が池種痘所跡”という石碑に出会う。近辺には当時の繁華街・人形町があり江戸で最も古い”石町・時の鐘”などもあって、江戸の香りが幾らか残っている感じでもある。種痘所は安政5年(1858年)5月7日蘭学者らがこの地に開設し、これが後に東京大学医学部になったと説明の碑にある。

お玉が池がなぜ江戸のごく初期に消失してしまったのか、自然のなせる事だったか人工的なものだったか大変興味がそそられるのだが、少なくとも明治になるまでは、このあたりが”お玉が池”と云われ、近辺が江戸の生活や市民文化の重要な位置を占めていた様が伺える。そういえば祖父も東大医学部の教授であったから、何がしかのご縁がこの石碑にもあろうか、と云う思いがちょっと胸をかすめた昼休みであった。

写真は、お玉が池種痘所跡の石碑
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2009年6月11日 (木)

ご馳走プレート

先週末は、大阪駅を土曜日のお昼12時3分に出発する”トワイライト・エクスプレス”に乗るべく大阪で前泊する事にし、金曜日仕事が終わってから妻と東京駅で待ち合わせ、新幹線”のぞみ”に乗る事にした。大阪に土曜日の11時頃到着すれば、充分”トワイライト・エクスプレス”に乗車できるので当日朝に東京の自宅を出ても良いのだが、それでは週末の恒例ジョギングをする時間があまりとれない。なので金曜の晩は、大阪駅近くのホテルに泊まり、土曜日午前中に淀川堤防をゆっくりジョギングして腹をすかせ、そのまま”トワイライト・エクスプレス”の食堂車を楽しもう、という作戦である。

で、金曜日の夕方は、先に勤務を終了した妻が、東京駅地下、定番の大丸のお弁当売り場で”のぞみ”車内で食べる夕食を見繕って、ホームで待ち合わせる事にした。私は食い意地が張っていて何でも飲み食いする方なので、妻も特段食べ物の注文を聞かず、金曜日朝は、それぞれの会社に向かったのであった。

さて発車間際、嬉しそうにお弁当の入ったビニール袋を提げてホームにやって来た妻は、開口一番「ほら、お待ちかねの崎陽軒のシウマイ」と言う。そう東海道新幹線と言えば「崎陽軒のシウマイ」が定番中の定番。最近シウマイ15個入りが550円から580円になったのはちょっと残念だが、子供の頃から食べ続けたこのチープな味!これが無ければ東海道の旅は始まらない。

「これが美味しそうだった」とにこにこしながらビニール袋から次に出す弁当は、柿安ダイニングの”ごちそうプレート”1150円、なんでも同じ様なサンプラー風弁当がいくつかあったので、吟味に吟味を重ねた処、品数や野菜の量などで「これっきゃない」のだそうである。 で、酒はというと、最近缶入りのワインとしてちょっと話題になっていると云うバロークスのオージーワイン缶を買って来た。従来、缶の臭気でワインの缶詰は商品にならなかったのだが、改良を重ねて商品として売りだしたらしい。 

其の他に、買い込んだメインのお弁当、”松阪牛 牛めし”X2、それに定番の缶ビールを各自1本づつを、入線した”のぞみ”の二人がけシートのテーブルにてんこもりに置いて、今や遅しと発車を待ったのであった。ご馳走を目の前にしているものの「発車までは駅弁は食べない」と言うのが我が家の家訓、発車までの時間がひどく待ち遠しかったのであるが、そのお陰でこれら飲み食いが終了したのは、もう浜松付近であった。新大阪までの行程の半分も過ぎていて、残り半分の乗車時間は満腹で熟睡していたからあっという間の新大阪であった。ビジネスライクでシーンと静まりかえった夕方の東海道新幹線車内で食べると、我々の席だけ遠足気分で浮かれているせいもあり、弁当の味もまたひとしおであった。
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2009年6月10日 (水)

インフレかデフレか?

高校・大学共通の友人3人で飲んでいた時、5月22日にアップしたランドバンクの会社に再就職した友人が、「今回の経済危機が終わったらハイパー・インフレが来るから土地を買っておけ」と言う。私は 「 むしろデフレではないか」 と反論したら、医者の友人は「同じ経済学部を出て経済人として活動していても、これほど意見が正反対なのか」と、にやにやしながら傍らで飲んでいる。医学部や理科系の学部を出た人にすれば、経済学など学問の中に入らないという感じである。

今般の経済危機は実際の処大したものではなく、早晩、急回復すると私は海運相場に関してあちこちで聞かれると大言しているのだが、問題は回復後の世界がどうなっているかである。デフレ・インフレ両方のシナリオがあって、そのどちらも起こりそうなのが悩ましい処だと思っていた処、今日の日経新聞の夕刊コラムで野村證券アセットマネジメント経済調査部長 榊 茂樹氏が 「 インフレかデフレか 」と書いている。

インフレ懸念としては、世界経済が回復する中、原料や商品の需要が回復する上、各国が財政刺激策を打ち出して世界的に流動性が増大しインフレを招くという考え方がある一方、かたや世界的な雇用や生産の供給過多、実需不足が大きなデフレ要因になると云う考え方もあると云う。で、そこからこれら現象をどう考えるかが、経済学が”占い”の類に堕するのか否かの境目なのだが、榊氏によると「インフレか、デフレか。状況は二者択一でなく、インフレとデフレの混在が続く」とうまい事を言っている。

榊氏によると、「エネルギーや原材料の価格上昇は最終製品や賃金には転嫁されず、全体的な物価水準を押し上げるには至らない」「日本経済にとってはコスト上昇による企業収益の圧迫と家計の実質購買力の低下を意味し内需抑制要因 」になるという。これによると、経済はインフレにもデフレにもならず、じわじわと閉塞的に停滞する様なものか、と想像されるのだが、こういう状態は我々の様な企業から卒業しかけているセミ・リタイヤ世代には大変過ごし易い状態ではないか、とも思う。退職金や年金の価値は減損しないし、アセットを持っているとすれば価値もあまり変わらないのである、要は金利収入や配当の収益を期待しなければ、年金老人にとっては計算し易い、都合の良い社会が来る様でもある。

この説を読んで少し安堵も感じるのであるが、それにしてもいつもながら感じるのは、我々より上のシニアー世代は、各世代の中では大変恵まれた境遇にいる訳である。であるからシニアー世代は「 先が不安だ 」 と老人の繰言をやめて、どんどん世の中の為にお金を使い、目の肥えた成熟した消費者になりたい。そうすれば若者などにターゲットを絞っているテレビのCMや民放の番組なども、もっと大人が見て堪えるものに変わっていく現象も生まれてくるのではないだろうか。

2009年6月 9日 (火)

旅情

トワイライトエクスプレスに乗って、久しぶりに昼と夜に亘り在来線の車窓景色を楽しんだ。そういえばちょっと前までは、航空機や高速道路・新幹線なども無かったから、長距離の移動と言えば汽車の旅。夏場は窓を大きく開けて新鮮な空気を取り入れようとすると、前方車両の垂れ流しトイレから飛散してきたし尿が、ちょと窓から出していた肘などにぺシャと付着した。「エンガチョ」などと思ったものの皆大して気にもしていない時代だった。(ところで”えんがちょ”は、東京方言なのだろうか?)

そう云えば、あの頃は線路に向かって、”ケンシ・ポマード”とか”管公の学生服””禁鳥の蚊取り線香”などと言う大きな宣伝の看板が至る所に立ててあったが、今や在来線でもそんな看板がほとんど見あたらない。現在の旅は飛行機やクルマなので、沿線に大きな看板を立てても宣伝効果が無くなったのだろう。新幹線は速すぎるのか、僅かに”727コスメティック”とか云う化粧品の広告看板を沿線に見る位である。

当時は食事時になると、駅弁やお茶を買える駅が待ち遠しかった。名物の駅弁を買える駅では、限られた停車時間中に手際よく買わねばならないので、列車が到着するやいなや売り子や販売所のある場所までホームを走ったものだ。発車のベルがなり始めてからようやく駅弁を買え、お釣りなどをやりとりするあのスリリングな気持ち。走り始めた列車の窓から、歩調を合わせながらお弁当とおつりを渡す売り子などもいて、手際の良さを見ては感心したものである。あの駅弁売りの呼吸はメジャー・リーグ球場のピーナッツ売りに匹敵するのではないかと今では思う。

夜のとばりが降りた後の沿線の景色も良かった。畑などの向こう、ところどころに民家の灯りが灯っていて、その灯りが次々後ろに過ぎて行くのを見ていると、それぞれの家庭で生活がありそれぞれのドラマがあるだろう等と感傷的な気分になってきたものだ。今頃、あの灯りの付いた家ではどんな団欒があるのだろうかとつい想像してしまうのだが、そんな仮想の場面はなぜか「三丁目の夕日」の様な丸いちゃぶ台にキリンの瓶ビール、井戸水で冷やしたスイカなどになってしまう。今、新幹線は速すぎて真っ暗な車窓だと思ったら、停車駅に近づくと遠くからでも判る煌々たるパチンコ屋の照明などが目に入って来るばかりで誠に味気ない。

トワイライトエクスプレスのエアコンディションの効いた食堂車で、フルコースのフランス料理にワインを楽しんでいても、客車列車の轍の響きや機関車の警笛の音を感じつつ、適度な速さで景色が流れ去って行くのを見ていると昔の汽車の旅を思い出し、在来線くらいの速さが旅情を楽しむのには丁度良いのかな、と感じるのである。
20090609

2009年6月 8日 (月)

スロネ25

いい歳をして鉄道が好きなどと余り言いたくないのだが、妻の気迫に押されて”トワイライト・エクスプレス”のマニア風感想である。私のカミング・アウトの記だが、鉄道誌には載っていない本邦初のトイレ使用記も含む。

EF 81 104: JR西日本敦賀運転所派出所所属、昭和49年三菱重工製の車齢35歳のロートル機。おととし乗った”北斗星”では牽引するJR東日本のEF81 81(マニアの間ではハイパイと云うそうだ)の調子が悪く、上野を出てすぐ故障で大幅に遅れた。そのため”北斗星”は岩手県以北で回復運転をしたのか列車がとても揺れて、睡眠が十分とれなかった。今回も老カマの具合がちょっと心配だったが、それは杞憂で104号機はすこぶる調子よさそう。先般からテンションが上がったままの妻は、予め大阪から札幌まで全駅の通過・停車時間を調べ、エクセルで作った表を携行していたのだが、どの駅も”定通”であった。

カーブで前方を見渡せる時など、交流区間では1丁、直流区間では2丁パンタを上げ悠々とトワ専用色の客車を引っ張る姿を後方車窓から眺めると、正に頼れるカマという感じであった。ただ機関車の外観は、ところどころ錆が浮き塗装もはがれそうで痛々しい。深緑色の車体に浮いた錆を観ていると、なにやら中国大陸のおんぼろ機関車を連想してしまう。沿線には写真撮影のファンも多いのだから、検査の時期が来る前でも、せめて錆うちをして外観だけは綺麗に化粧をして欲しいものである。

スロネ25:我が”ロイヤル”や”スイート”が設置されている2号車。私たちの乗った”北斗星”(JR北海道仕様)よりベッドメークなど随所に工夫をこらしており、二人でも十分な広さである。室内もよく整備されていて気持ちが良いが、なにせ20年前の仕様。1980年代 のホテルが最新のインテリジェントホテルに敵わない様に、旧式のビジネスホテルの一室に居る様な一抹の寂しさも感じる。

”ロイヤル”に備え付けのステンレスの収納式トイレは、収容所かどこかで洗面器に用を足す様でどうしても好きになれない。便器は浅く小さいので、小用は車内の揺れもあって立ったまま済まそうとすると、どこかに飛び散りそうである。なので物心ついてから初めて座って小用をしたのだが、ちょっと変な感じであった。「大」は浅い便器に排泄した自分の ”大”と”近接遭遇”と言った感じで、もっと頂けない。なので、用便途中、まだ座っているままで取りあえず流そうとフラッシュレバーを引くが、水がちょろちょろしか出ず、流れるものが流れない。「大」の場合はフラッシュと同時に、手動で便器を収納する方向に傾けないと流れ難い仕様で、”ロイヤル”の名にふさわしいとは云えない。シャワーの排水も含め水廻りの処理は大変なのだろうが、トイレは新幹線の様にバキューム式に是非して欲しいものだ。ただし専用シャワーのお湯が2人で20分使用可能というのは、十分すぎる位の嬉しいサービスである。

スシ24:79年製で電車特急”雷鳥”に使われていたサシ481の転用車なのは昨日のブログ通り。ダイニングの内装は綺麗でへたっておらず、気持ちが良いが、食堂のクルーの頑張りに応える為にも、冷蔵庫や調理器は電車時代のものを使うのでなく最新のものに換えて欲しい処。冷凍・冷蔵食品の品質や解凍技術もこの30年で、大きく改良されているのだから。それと外観的にはこの一両だけ電車時代の低い屋根に、ごつごつのユニットクーラーなので、列車全体の統一感を損なう。

その他:夜行列車でたまたまそういう車両に乗ってしまうと酷く気になるのがタイヤ・フラット。滑走した際などに発生する車輪のでこぼこだが、そのまま高速で走ると一晩中、車輪から”カタカタ・カタカタ”と音がしてひどく耳障りである。この列車は整備が良いのか、幸いどの車両でもタイヤフラットはなかった様である。クルーのサービスも含めJR西の心意気が感じられる。

”北斗星”と比べると揺れが少ないと感じていたのは、大阪から長岡までの区間。羽越本線・奥羽本線区間になると単線区間が増え、駅のポイントを通過する度に大きく揺れる。線路状態も悪いのだろうか客車の蛇行を感じるのは仕方ない処か。札幌で”トワイライト”を降りて、さっき通ったばかりの新千歳空港に戻るのは、JR北海道の最新鋭789系ヨーダンパ付きボルスタレス台車の”快速エアポート”であった。記憶も新鮮な同じ区間で新旧の乗り比べでは、やはり乗り心地にはっきり差が感じられた。下りの最後尾車、展望室スイートでは車酔いをする人もいるとか。せっかく展望室乗車がもったいない限りである。

客車列車の発車・制動時のガクッと云うショックも十分抑えられない点などを考えると、今後寝台列車が”サンライズ出雲”の様に電車化するのは致し方ないかな、と少し寂しい。しかしモーターもコンプレッサーの音も聞こえず、”カタ、カタ、ッカタ”と車輪がジョイントを刻む音や、機関車の闇を裂く”ピー”という警笛が聞こえる客車列車はやはり旅情を誘う。設備の陳腐化をサービスで補っている感のある”トワイライト”であっただけに、次は新鋭車両の”カシオペア”に乗車して、このあたりの問題がどの位改良されているか、違いを確かめたくなってきた。妻は「思う壺」と横でほくそえんでいる様である。

写真は、大が投げれにくいトイレ、奥(向かって右側)に手でヨイショと便器ごと傾けると流れてくれた。
20090608

2009年6月 7日 (日)

ダイナープレヤデス

20090607
この週末は大阪から札幌まで ”トワイライト・エクスプレス”の旅を楽しんだ。大阪を昼の12時3分に発車して翌朝9時52分に札幌着、21時間で1500キロを駆け抜ける日本で最長の豪華寝台列車の旅であった。

旅のハイライトは何と言っても食堂車(ダイナープレヤデス)。初日の昼食、夕食それに2日目の朝食と列車の中で3度も食事するのは生まれて初めての体験である。なにしろ昔から、食堂車大好き人間の私である。20系ブルートレインの憧れの食堂車に始まり、新幹線 "ひかり”に食堂車があった頃も、何は摂らずとも名物のビーフ・シチューを食べなければ大阪に行った気がしなかったものだ。関西出張の帰りには、会社の同僚と新大阪を出た直後に食堂車に行き、以後東京到着直前まで、席に一度も戻らず食堂車で飲み続た事もある。この時は一体勘定がいくらになるのか、下車直前にはらはらしたのだが一人7千円程度。列車の食堂は高いと思っていたのだが、驚くほどではない事を発見したのであった。これなら指定など取らずに最初から最後まで食堂車で飲み続ければ良いと思ったのだが、その新幹線食堂車も今はない。

現在日本で昼食を取れる食堂車はこの列車だけだそうで、お腹を空かせて3度の食事を楽しみに大阪駅で列車に乗り込んだ。トワイライト・エクスプレスの食堂車はスシ24型、もともとは電車特急「雷鳥」に連結されていたサシ481を客車に改造・転用したものでだと云う。食堂のクルーに聞いた処、厨房の設備は最初の電車時代と同じもので、冷蔵庫なども当時のものがそのまま使われているとの事。近代的な仕様に改造するには根本的な車両改造が必要なので出来ず、そういった制約の中で乗客に喜んでもらう食事を提供する為の苦労が偲ばれる。

それにしても、昼の名物オムライスも良かったが、夜のフレンチ・フルコースは秀逸であった。トワイライト・エキスプレスが走り始めた20年前のメニューを少しアレンジした記念メニューとの事であるが、裸火を使えぬ狭い厨房でこだわりの味を良く追求したものである。食堂クルーの目配りや料理に対するこだわりも素晴らしく、列車クルーズと名づけたくなる様な旅であった。

妻はすっかり感激して”北斗星”と”トワイライト・エクスプレス”を制覇したから、次は”カシオペア”だと興奮して傍らで次のプランを練っている最中である。

バルクキャリアー 2009-06-08 21:09:29
ぽんぽこりんさん

トワイライトエクスプレスは、クルーのサービスも食事も素晴らしかったです。車両は少々くたびれかかって来ているので、早めにご乗車された方が良いかもしれません。

私は、こうなったら比較の為にもカシオペアにも乗りたくなってきました。


ぽんぽこりん 2009-06-08 18:21:15
バルクキャリアーさん こんばんは

トワイライトエクスプレス、北斗星、カシオペア
いずれも乗りたいと思いながら実現できないでいる私です。

今回チケットをお取りになったときのお話を伺ってから、
こちらで紹介されるのを楽しみにしておりました。
ありがとうございました。

2009年6月 5日 (金)

思考停止社会

講談社現代新書「思考停止社会」を読んで、わが意を得たりという気持ちである。著者の郷原信郎氏は、地検の検事などを経て現在はコンプライアンスの専門家として、政府や企業の調査委員を歴任していると紹介されている。

10年ほど前からだろうか、コンプライアンスという”水戸黄門の印籠”が、世の中の規律・規範のすべてを決定するかの如き風潮になった事が私には気持ち悪かった。”コンプライアンス違反”という烙印を押すだけで、法律違反だけでなくモラルやスキャンダル、時としてプライバシーまでがメディアに増幅されてごちゃごちゃに裁かれ、その裏に隠された様々な事実や物事の本質を隠蔽してしまう、という様に見えていたので、本屋の店頭で本書を手にして迷わず講読したのであった。

この本では、不二家の「消費期限切れミルク隠蔽事件」など幾つかの例をあげて、マスコミの見当違いの批判に事の本質が曲げられた事例が書かれている。不二家の場合は、法律違反をしていなかったが、形式上の社内のルールを破った事をメディアに「隠蔽」したと騒がれ、企業が存続の淵に落ちたと云う。実は、私は、この騒動の時に、みのもんたの不愉快な報道を見て不二家に同情を覚え、普段あまり食べない”ぺこちゃん焼き”をわざわざ買いに行ったのだが、其の時にはすでに不二家の各店は休業の憂き目を見ていた。

多民族の集合国家で、法が市民の拠り所として社会が成り立っている米国に対し、法や裁判は社会の特殊なケースを扱うもので、それ以外の社会の規範や調和と云う点については、アメリカと違うやり方で今まできたのが日本である。「 社会内 の多くのトラブルや揉め事は、『法令』ではなく、社会規範や論理などに基づいて解決 」「 当時者や関係者がそれなり自分の頭を使って、あるいは他人の知恵を返りて話し合いをまとめた 」のがわが国であると本書は述べている。特殊なケースを扱う法令は「遵守」して祭り上げて置けば良いが、それ以外の事件は当事者間の穏当な解決、状況を踏まえた判断が求められてきたのである。それが”コンプライアンス”の名の下に、社会の規範・内輪の規則に関した件までが「遵守」すべきものとして無条件に祭り上げられ、メディアによって増幅する今の状況が健全な社会なのか、本書は警告をならしている。

法律は、時代にまったく適合していない箇所も多いので、本来法律は常に合理性を有しているかの検証が必要なのだが、そういう事も”コンプライアンス違反”と云う”水戸黄門の印籠”で片付けて、やらねばならない事を怠る「思考停止社会」の危険性を本書は指摘している。各位ご一読あれ。740円である

2009年6月 4日 (木)

REDHOOK

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ベルギービールやらブルスケッタを出すレストランが近所に開店したので行ってみた。お薦めのベルギービールを飲みつつ、さて2杯目は何を飲もうかと、世界のビールが書かれているメニューを眺めていると、REDHOOKと云う懐かしい名前が目に入る。REDHOOKはシアトル郊外WOODENVILLEという町の小さなブルワリーで作られるビールで、ペ-ルエールというのだろうか、濃いあめ色の液体,、苦めでコクのある味、ワインならフル・ボディのビールである。

私がシアトルに赴任した頃は、RAINIER BEERと云う地元のビールがどこでも売られていてそれを飲んでいたのだが、ある日シーフードのレストランでアメリカ人にREDHOOKを薦められて飲んだところ、渋く重い味が美味しかったのが最初のREDHOOKとの出会いである。夏のアメリカのカラッとした気候には、バド・ワイザー系の軽いRAINIER BEERが飲みやすいのだが、長く陰鬱な曇り空が続く米国北西岸(NOPAC)の 冬場は、特産の海産物を肴にキュッと冷えたペールエール系のREDHOOKが料理に合う事を発見してやみつきになった。

REDHOOKを良く飲んだもう一つの理由が運転である。アメリカの公共輸送機関は誠に不便で、通勤をもとより移動は原則クルマなのは周知の事。ところがその昔の駐在員のドライブにまつわる武勇伝とは違い、当時でも酒飲み運転に対する罰則が大変厳しくなっていた。運転免許書の教本には、体重130ポンド(60キロ)の人間が一時間に飲んで運転して良い目安として、ビール小瓶1本かワイングラス1杯とある。駐在員仲間の酒酔い運転での逮捕・獄中体験などを聞くにつけ、酒量には注意をしようと思ったのだが、そこはそれ、飲み始ればそう教本通り飲んではいられない。そんな時はぶがぶ飲んでしまうライト系ビールでなく、苦味をゆっくり味わうREDHOOKで料理を楽しみつつ、ゆっくり飲むのが安全で楽しい飲み方なのであった。 

さて久々に我が家の近所で飲んだREDHOOK、メーカーはあの当時より味をマイルドに変えたのだろうか、はたまた太平洋を横断している内に新鮮さが少し後退したんだろうか、記憶の中のあのビターネスが少し薄れた感じの飲み応えである。もし当時このマイルドさであったなら、酒飲み運転の基準を超える程飲んでしまっていただろうなと感じたのであった。

2009年6月 3日 (水)

スーパースイミング

走ってばかりでは、足腰への負担が大きいので、月に何回かは区など公営のプールでスイミングをしている。

ところがどうも私の泳ぎは遅くて、クロールをしているのに平泳ぎの人に抜かれる事もあるぐらいである。別に抜かれても良いのだが、こういう公営のプールはレーン毎に泳ぐ方向が決まっている所が多いので、後ろから追いつかれて私の後方に渋滞を引き起こすのは気が引ける。

かつて水泳部だった様な人が泳いでいるのを見ると、お尻がポコンと水面上に出て実に格好良く泳ぐので、いつかはあんな風に泳ぎたいものだ、と常々思っていた。しかし元来の頑固者で、何事につけ人に習う事が嫌い、遂にゴルフも上達せずウン十年と言う私であるから、水泳教室などに今更入って格好良く泳ごうとは思わなかった。

そんな時、ネットでスーパースイミングなるサイトを見つけたので、覗いてみたらなるほどと思い当たる点がある。私がスピードが出ない一番の理由は、足が水中に潜ってしまい前進の抵抗になってしまっている事なので、これまではなるべく頭を潜らせて、足は水面でキックをする様に浮かせようとしていたのだが、これが大間違いらしい。

スーパスイミングによると、まずうまく浮くには体の中で一番空気を持っている肺を沈める様に、背骨を中心に左右の背中を反らせ胸を水中に沈ませて下に向かせるのだと云う。こうすると肺の浮力が効いてお尻が上がるのである。ついで頭は重くて浮力がないので、沈めようとするのでなく前を向いて眉の辺りから水面に出すようにすると良いらしい。正に目からウロコ、今まで浮こうとして逆をやっていたわけである。さっそく次回のプールから試してみようと思っている。

何でも自己流でなく習うと上達が早いのに、ゴルフでも自己流でかなり廻り道をしたな、と近頃は少々反省しているのである。

2009年6月 1日 (月)

GM チャプター11 申請

GMが遂に連邦破産法11条(チャプター・イレブン)の申請をしたと報じられている。企業の栄枯盛衰は常であるが、あの輝かしい歴史を持つGMの破綻が現実になるとは、やはり驚きを隠せない。

考えてみれば、初めて憧れたクルマはアメ車だった。子供の時、隣の家が進駐軍の日系軍属で、その家のシボレーに乗って、今は代々木公園となっているワシントン・ハイツによく連れて行ってもらった。あれはPX(購買部)なのだろうか、アメリカの食料品や衣料品が豊富で、そこは何ときらびやかだった世界だったであろうか。前席ベンチシートの後に取り付けられていた取っ手の紐を握りしめて、ワシントン・ハイツまでドライブすると、当時の国産車のダットサンとかトヨペットなどはおもちゃの様に見えたのであった。

父の転勤先の九州では、送迎のクルマが55年式のビュイックで、家族も時々お相伴で乗せてもらったが、大仰なボディと派手なラジエターグリルが田舎町ではとても目だって、気恥ずかしかった思い出がある。ただV8エンジンの響きと、ビュイックの4輪タイヤを路面電車の二本の線路の上に器用に乗せて走る運転手の腕で、当時の悪路でも大変静かだった記憶がある。あの頃はテールフィンが立ったキャディラックやビュイックの大型車が皆の憧れの的であった。

長じてアメリカ駐在時に前任者から引き継いだのが、88年式のビュイック・ル・セーバー。このクルマは引継ぎの時点で6万マイルくらいしか走っていないのに、FFエンジン・ミッションのどこかがへたっていたらしく、発進時に不快な振動がして、今にもエンジンが止ってしまうのではと怖かった。なにしろ異国の地でクルマがエンコしてしまっては困るので、何回も修理工場に持ち込んではチェックしてもらったのだが、そういう時に限ってその症状は起こらない。「ちょっと、何だか不快な振動がする」などとエンジンの調子をメカニックに伝えるのに、私の英語力では苦労したものだ。

で、ついにル・セーバーを見捨てて、シボレー・ルミナに買い換えたのだが、新車から一年ほどのある朝、エンジンをスタートさせようとイグニッションキーを差し込んだ処、突如キー穴から閃光・爆発音がしてスターターが止ってしまった。あわててAAA(JAFのアメリカ版)を呼んで、なんとか修理工場まで辿りついたのだったが、この時はアメ車の品質の悪さにうんざりしたものである。

考えて見ると、ビュイックとシェビー両車で、日本で後席に乗ってから20~30年、アメリカで自らドライブするまでの間に、アメ車の品質は日本車に大きく逆転されてしまった事になる。品質だけでなく、大排気量車にこだわり、省エネ車を開発しなかった戦略も問題であったろう。しかしアメ車の持つ大らかな雰囲気、細かい点を気にしないトルクフルなエンジン、ふんわりサスペンション、応接間の延長の様な内装など、アメリカの国土に根ざしたゆったりしたクルマがアメ車の魅力でもあると思う。

戦略がはっきりした時のアメリカは強い。新しい思想でGMが再建され、また日本の市場でアメ車が欧州車と競合する様な時代が早晩くる事を、隠れアメ車ファンとしては願っている。

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