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2009年5月

2009年5月31日 (日)

新しい財布

あまりにも日頃 「 あれがない、これがない 」 と言って大騒ぎをしている私を見かねて、妻が新しい財布をプレゼントしてくれた。これまで定期券やクレジット・カードなどを入れているパス入れプラス普通の財布、それに小銭入れの3つを常時携帯していたのだが、新しい財布は札入れの横に小銭も入るので、毎朝ドタバタ探す物も一つ減ろうというもので妻の配慮に感謝する。

しかし問題は、時々財布が硬貨で一杯になりパンパンになってしまう事である。女性はハンドバッグなど財布を収納しておくものがあって良いが、男は財布を背広の胸ポケットへ入れる事が多い。硬貨で嵩張った財布を持つ時は、背広の胸は膨れて格好は悪いわ、重いわとうんざりするのである。 これまでコインは小銭入れの中で、ズボンのポケットに入れていたのでこの重さは、初めて感じるのだ。

お釣りを貰う際に、なるべく硬貨の戻りが少なくなる様に、お札プラス端数の硬貨を追加してレジで打ってもらえば良いのだが、きっちり端数部分の硬貨がない時がしばしばある。妻が良くする様に6円払う際にそれがない時は、11円を出して5円のお釣りをもらう事で財布を軽くする方法もあるのだが、スーパーのレジで後ろに人が並んでいて、財布を見ると小銭がごちゃごちゃ入っている時などが問題である。端数を少なくする様な硬貨を財布の中をかき混ぜながら選んでいると、「おい、早くしろよ」と後ろの人に睨まれている様な気がして、気の弱い私は手っ取り早く「 一万円でいいです、お釣り下さい 」などと言ってしまい、また釣銭の山をかかえるのである。

いっそスーパーのレジは銀行のATMの様に後ろから人が覗かない様なシステムになってくれないか、などと今日も小銭で重い財布を持ちながら考える。これから夏になって開襟シャツだけで外出する日が来ると嵩張った財布をどこに入れるか、考えただけで恐ろしい。

2009年5月30日 (土)

ホンダ・シビック・ハイブリッドエンジン

恒例の”しまなみ街道”沿いの出張で、広島空港で今回借りた車は、ホンダ・シビックのハイブリッド・カー。出張の際は、毎回同じ様なクルマを借りるのも退屈なので、あまり高価にならない範囲でいろんな車種を試してみたい。前回はスバルの水平対向エンジンを味わったので、今回はハイブリッドカーである。予約の時点では「 トヨタのプリウスをご用意します」というレンタカー屋であったが、空港の駐車場で我々を待っていたのは、「プリウス同等」のシビック・ハイブリット車。ちょっとがっかりしたのだったが、ホンダのハイブリッドエンジンを試すのも悪くないかと思い直し、シビックを借り出したのであった。

さて空港の駐車場を出て、感触を確かめながら少し走りつつ、ふとメーターを見るとなんと普通の道でいつの間にか80キロを越えていて、慌ててブレーキを踏む。このクルマはエンジンの震動や騒音がほとんど五感に伝わって来ないので、いつの間にかスピードが出てしまうのだと肝に銘じたのだった。

しまなみ街道を運転をしながらこのエンジンの仕組みを推測するが、メーターの各ゲージが従来のクルマにはないものがあって興味深い。どうやらこのホンダのハイブリッドエンジンは、巡航時やブレーキをかけた時、特にブレーキ制動中に、モーターが発電機の役割をしてバッテリーにチャージし、そのバッテリー電力で、坂道や発進・高速での加速など力が必要な時にモーターを駆動してエンジンを補助しているらしい。70キロ制限のしまなみ街道を巡航していると、上り坂や追い越し時などに、微かなエンジン音の他に「ウイーン」と唸るモーターの音を感じる。クルマと言うより遊園地の電気自動車が速く走っている様な、不思議なドライブフィールだ。そういえば写真のメーターパネルも何だかテレビゲームっぽい。

ちょっと戸惑うのはブレーキの感覚。電車の電力回生ブレーキと同じ様に、高速からブレーキを踏むと通常のブレーキ+モーターが発電機となってその抵抗でブレーキ力を得ているらしいのだが、低速(10キロくらいか)からは電力は回生されず従来のブレーキの力だけになる。電車でも低速になって回生が失効した時点でややショックがある様に、このクルマは減速途中、普通のブレーキだけになる瞬間に、ややギッコンバッタンしてリニアーなブレーキ操作を行うのにコツが要る。同乗の同僚は「 最近ブレーキのかけ方が下手になった?」などと聞いてくるので「 私のせいじゃないよ、クルマのくせだよ 」と些かむっとする。

でも100キロ走って、返却前に入れたガソリンはたった4リットル。町中もある程度走り、エアコンを作動させた上でリッター25キロも走るのは驚異である。ドライブする距離が長いとガソリン代の面では相当有利になるだろう、と感心したのだった。
20090530

バルクキャリアー 2009-05-30 23:40:02
ぽんぽこりんさん、

訪問ありがとうございます。

2代目プリウスにご乗車ですか。かつてアメリカでホンダ車などに乗っている人を見ると、ヤッピーみたいでクールと感じたものです。今、日本でもプリウスに乗っていると何か格好良いですよね。

次回のレンタカーはプリウスと指名したいと思っています。


ぽんぽこりん 2009-05-30 23:19:22
こんばんは

ハイブリッド車のブレーキフィーリングには独特なものがありますね。
我家はプリウスですが、初代は今回のようなフィーリングがあったようですが、
2代目は改善されていてとても素直なフィーリングです。
ハイブリッドシステム自体がH社とT社では大きく異なります。
細かな点まで考えられているT社に軍配といったところでしょう。
これは今年デビューした両社の車にも当てはまっているようですよ~。
ガソリン代があまりかからずに、我家には大助かりです(笑)

でも、浮いたガソリン代ではクルーズ代はたまりませんが~

2009年5月28日 (木)

勝鬨橋

20090527
初夏の候、陽も長くなって事務所を出た後に、町中を散歩するのも楽しいものである。銀座通りなどを冷やかして歩くのも良いが、私はどうしても海や川の見える水辺を歩く事が多い。

これは勝鬨橋である。隅田川の一番河口寄り、銀座から月島方面を結ぶ晴海通りに架かっている。日露戦争の旅順陥落を記念して勝鬨の渡しが開かれた処、おりから銀座方面と月島の工場などとの交通が大いに賑わったため、新たに橋の建設が計画され1940年(昭和15年)に完成したと橋の袂の案内板にある。大型船を通行させる為の日本でも珍しい橋の中央部が開閉する「可動橋」であるが、この様に橋の中央部が上に開くのを「シカゴ式」可動橋と言うとする説明もある。

そういえば、映画「ブルースブラザース」の冒頭で、ジェイクとエルウッドが乗った元パトカーの「ブルース・モビール」が開きかけた橋をジャンプして超えてしまう無茶苦茶な場面があったが、あの映画の舞台がシカゴであり、シカゴにはこういう中央が開く可動橋が多いことを思い出す。

晴海通りの交通量が多くなったので、1970年以降は勝鬨橋も開いていないとの事だが、隅田川くらいの川幅があれば諸外国では大型船が行き来するものである。わが国は効率優先で、港湾が埋立地の先の海のほうに伸びてしまったので、町中の河川を大型船が航行する風景というのが見られないのがちょっと寂しい。何時の日にかまた橋を開けて、船が通るのをみてみたいものである。

2009年5月26日 (火)

匂いのお話

毎朝、東京駅の地下街を通って事務所に向かう途中、スカーンと空気が抜けた様な妙にドライな感じがする一角がある。周囲を見ても特別なお店があるわけでもないのに、その辺りだけ丁度シアトルやポートランドの空港に降り立った時に感じる様な匂いがする。針葉樹林から立ち上る空気の軽さに似ていて、冷涼でドライな香りがするのである。いつも何に例えたら良いのか、不思議な感触を覚えつつ、その通路を抜けて行くのを密かな楽しみにしている。

匂いと言えば、調査によると、男性は女性がそばにいてもその匂いをほとんど感じないが、女性は男性の匂いをより敏感に感じ、ほとんどの場合をその匂いを不快だと思うと云う。匂いに関しては、ことほど男女で感じ方に差がある様である。

我が家でも、料理や石鹸、洗面など生活に密着している匂いについては、妻の方が圧倒的に敏感に感じる様だ。街角の食べ物屋の匂いは勿論、私がシャワーを浴びたか否か、衣服の汚れ具合など、なぜそんな事まで認識できるのかと思うほど彼女は鼻が利く。さきごろクルーズ船の大きなシアターで料理ショーを見た時などは、私たちはかなり後ろの方の座席に座っていたものの、遠くの舞台の料理の匂いが、はるか彼方のシートに座っていても判ると妻が言うのにびっくりしたものである。

反対に、花木や風・大気などから立ち上る自然の匂いについては、私の方が妻より鋭敏なようだ。道の先に咲いている花の匂いや、風に乗って来る微かな匂いなら、妻より私が先に認識している場合が多い。同じ東京育ちと言っても、私の育った場所は当時は郊外で、色々な樹木や畑に囲まれていたのに対し、妻は町中で育ったから生活の匂いに鋭敏なのかと思っているのだが、ひょっとすると遠い昔、狩猟をしてきた男性と、家事・育児を分担した女性の先天的な嗅覚の差なのかもしれない。

生活の匂いについては、こういう具合いに鈍感な私であるが、話は一転、海外に行く飛行機の席でじっとしていると、お腹にガスが溜まって困る事がよくある。飛行機の座席の下には活性炭などの匂い消しを、クッションと共に分厚く装着してくれると、いちいちトイレに立たなくて、放屁できるのにと考えているのは私だけであろうか?

2009年5月25日 (月)

ファミリー駅伝の部

20090525
昨日は、荒川河川敷で行われた谷川真理駅伝・男女混成の部に、妻の妹夫婦と我々夫婦4人で参加した。この大会は1区・3区を女性が、2区・4区を男性が受け持ち、それぞれ戸田橋陸上競技場を中継地点とする5キロX4人の計20キロを走る駅伝である。以前からファミリーで出場しよう、等と半ば冗談で言っていたのだが、先に勢いで一人6500円もする緑色のユニフォームもそろえてしまったので、引き返すわけにもいかず当日を迎えたのだった。

あいにくの小雨模様の天気だったが、会場につくと男女ランナーでぎっしり。男子の部750チーム、混成の部750チーム、総勢6000人の参加者に応援やら大会関係者などで込み合っている。メイン会場である河川敷の陸上競技場の周囲にはお店もないので、お祭りの様にワゴンや屋台までが周囲に出ているのには驚かされる。昔の駅伝と云うと実業団や、大学、高校の陸上部の選手などがほとんで、時間になると黙々とアップして雰囲気もぴりぴりしていたものだが、このお祭り気分とは天と地で市民駅伝も華やかになったものである。

さて1区を引き受けた妻は、2区との中継地点になる競技場に入ってくるや急減速。数日前から体調があまり良くなかったので、下手すればそのまま救急車かと思うほどのヨレヨレの足取りである。駅伝は体調が悪くても、なかなか途中で「やめた」と言えないのが辛い処であるが、終わるとけろっとして「今日は飛ばしすぎただけ」との事で、事実記録は彼女としては上出来であった。

2区義弟もさっそうと出て行くもの、やはり競技場に戻ってくると、ばてばての様子が明らか。最後は体こそ前にのめり気味だが、あごは逆に上がってしまい足が前に出て行かない。義妹によれば「ジュラシックパーク」の二本足の恐竜の様だったそうだ。それでも先に5キロある皇居の周りを練習で走って「もどしそう」になった時より、2分も早く帰ってきたのはさすが元野球選手だけの事はある。

3区義妹は、この一年で5キロを走ったのは1度しかない、と言う練習不足。「最初ゆっくり走るように」との指示を聞きすぎたのか余裕をかませすぎだ。応援を見つけると大きく手を振るわ、給水テーブルのドリンクを試しに飲んで見るわであったが、これまた最後は予定を上回って帰ってきたのは、やはり指示が良かったのだろうか、彼女はお祭り女なのか。

で、アンカーの私も、なんとか予定の走りでゴールしたのだったが、競技場を中継地点にして周囲を走る駅伝は、応援する方も見やすくて盛り上がり、ユニホームのもとを取るためにも再度どこかの大会への出場を約束したのであった。

それにしても、夕方からのご苦労さん会では、勢い良く皆でお肉をたっぷり食べてしまい、走った効果は半日で霧消してしまった様である。

バルクキャリアー 2009-05-26 22:09:58
院長先生

お疲れでした。日頃の激務にも係わらず快走でしたね。今度はホノルル?は無理にしても、また走りましょうね。


院長 2009-05-26 00:12:13
兄上

昨日は本当にお疲れ様でした!生憎の天候でしたが、逆に気温が上がり過ぎず、初心者ランナーにはなかなかのコンディションでした!

小生はブログの通り、最後はバテバテで水槽の中の酸素の足りない金魚状態(水面に口をパクパク)、タスキを渡したあと何度も嘔吐感に見舞われました・・・!

しかし、本当に楽しかったです!達成感もあり、「また次回、どこかの大会に!!」と、思ったものであります。

今夜は、ゆっくり皇居を一周してまいりました。昨日の苦しいレースで、走るのが嫌いにならないように(笑)

来月の健康診断に向けて、しばらくは走り続けます!!

この場をお借りして・・・、「昨夜は御馳走様でした!!」

2009年5月23日 (土)

少年ジェットの歌

テレビの懐メロ番組で、村田英雄の「王将」を聞いているうち、歌詞にまつわる思い出がいろいろ蘇ってきた。あれはこの歌が流行った小学校の頃の事、ちょっと気の弱い友達が ”月も知ってるおいらの意気地 ”というところを ”おいらのいくじ”と歌ったので、悪ガキたち皆で彼をさんざんからかったのであった。子供ってのはほんとにしょうがないなと当時を思い出だすと共に、歌の歌詞というのは童心に覚えるのが難しかったと思ったのである。

そういえば月光仮面の歌の ”どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている”と言う下りは、「 本当は知ってるの?知らないの? 」と随分面食らったものである。同じ頃放送されていた少年ジェットの歌も、みんな訳も判らずてんでんばらばらに歌っていたなあ。

少年ジェットの歌の2番
”行こうぜシェーン(注;犬の名)よ、虜(とりこ)になってもまけないぞ、正しく強いこの快男児、その名はジェット、少年ジェット、行こうジェット、少年ジェット、ジェイー・イー・ティー”

子供の解釈
”行こうよ天井(?)、取りに来なくてもまけないぞ、正しく強いこの階段ジ(?)、その名はジェット、少年ジェット、行こうジェット、少年ジェット、ジェー??????”(注;?はなんか意味がおかしいと思いながら、耳で聞こえたまま歌った箇所、さすがにジェイ・イー・ティーはまったく判らなかった)

妻の世代は、ちょっと時代が下り「 巨人の星 」の主題歌の冒頭で ”思い込んだら、試練の道を”を ”重いコンダラ(?)試練の道を”で、コンダラとは何かと随分悩んだ挙句、主人公の星飛雄馬がグラウンドで引っ張っているあのローラーや、チェーンを付けたタイヤのことではないかと思ったそうである。今も子供番組の主題歌には、結構難しい歌詞があって子供達は、苦労しているのだろうか?それとも今の子供は結構ませててローマ字やちょっとした言葉は、知っているのだろうか。

などなど書いているうちに、テレビ漫画に「スーパージェッター」というのがあって、主人公”ジェッター”が、相棒の”水島かおる”と言う可愛い女の子と、タイムマシンの”流星号”に二人で乗り込んでどこかへ飛んで行く度、「 あの二人は怪しいんじゃないか 」とか「 良い思いを二人でしているんじゃないか 」とか想像逞しくしていたもんだ、と急に変な事を思い出してしまった。

2009年5月22日 (金)

ランドバンク

元銀行マンの友人が、第2の人生でカナダのランド・バンクなる事業で仕事をしており、出資人(会員)を募る説明会を開くから聞いてくれという。先立つものもないし、眉に唾つけて聞かなければならないかもしれないが、彼とは永年のよしみなので行ってみた。以前彼からちらっと聞いた話では、アメリカで土地を買うらしいが、ちょっと前に流行った北海道の原野商法をふと思い出す。

都心の超一等地、眺め良い高層ビルの事務所での説明で判ったことは、

1.米国のアリゾナ、テキサスなどの人口が増加している場所の比較的安価な土地を出資金で買収する。
2.関係当局と調整を進めつつ、買い進めた土地の上に宅地造成プランを作成する。
3.土地と作成したプランをデベロッパーに売却して手仕舞い。実際の土木・建築には一切タッチしない。

売却額とその時期は、出資者の同意を得て行うが、今までの実績では北米36箇所での開発で出資金に対し年率20パーセント以上のリターンがあった。但し買収・調整・プラン作成に時間がかかるので、投資資金回収には5年から10年位かかる、との説明であった。その間は配当もなく資金は寝たままになっているので、短期的リターンを求める機関投資家には売れないのだと言う。

要は当面使う予定のない資金がある人向けに投資を求めるが、為替リスクはあり、また住宅産業が冷え込んでいる現在では、予定した金額や時期に売却できる保証は必ずしもなしという事らしい。まあ仮にプレゼンのデータに虚偽がないとして、サブ・プライム問題も数年でどうにかなるだろうし、不況にあえぐ産業への底値の投資は魅力的ではあるだろうなどと言う考えがちらと頭をかすめる。

「しかし事業概要は何となく判ったが、何とも夢の様な話だよな、本当かね?」と疑い深い私が質問すると、「男は大体話はわかったと言うが結局何もしない、なので奥さんに来てもらうと話が早い、それと若者は金を借りてもやってみたいと反応は良い」と彼は言う。この不況を一掃するのは、中年のおじさんの発想でなく、女性や若者の元気が必要なのかもしれない。

2009年5月21日 (木)

豚インフルエンザ騒動

一月前、私達はアメリカからメキシコ西海岸へ約一週間のクルーズに行っていた。クルーズの2番目の寄港地は古くからの港町・マザトランで、ここでは古い町をそぞろ歩き町の市場に入った。

その市場を突き進んで行くと、むっとした生臭い匂いがあたり一面漂っている一画があって、これで冷凍が効くのかという簡単な装置の食肉店が幾つか集まっている。その肉屋のコーナーの中心部には、解体途中の牛が生なましくおいてあり、それから腹部やら腰の部分がそぎ落とされては各肉屋に配られている様だ。その光景は我々が普段行くスーパーの食肉売り場からは連想できない、生きていた牛から食肉として牛肉が供給され、それを我々が食べていると言う肉食文化の原点を見せつけてくれた様である。それは我々の文明が、普段意識的に隠している一面を垣間見せつけてくれた気もする。

横のお店では、これまた豚の解体ショウの様にポークの各パーツがそのまま売られていて、客はその豚の体の一部を買っては調理するらしいのだが、それはポーク○○グラムと言うパッケージされたスーパーの食肉とはまるっきり違うものの様に見える。むっとした匂いとマーケット蒸し暑さ、グロテスクなその情景に、気の弱い私は足早にその一画を通り過ぎようと思った。

さてこうして帰って来ると、ほどなくわが国では豚インフルエンザ騒ぎ一辺倒で、毒性は大した事はないと判った後も大騒ぎある。ただメキシコでこういう光景を目にすると、かの国で豚を媒体にしたインフルエンザのウイルスが発生したという事も何となく実感としてわかる気がする。中国南部の養鶏場などで人と鳥が極めて近く接触する中で、毎年インフルエンザの新しい菌が出来るというが、メキシコの食肉売り場を見ていると、実際の生産現場ではあまり衛生的でない形で牛や豚と人間が接触しているのではないだろうか。そんな非衛生的で稠密な現場から、インフルエンザというウイルスが毎年その姿を変えて人間に脅威を与えるのだろうか。

昔は世界中でこんな形で家畜・家禽と人間がかかわってインフルエンザが発生し、時として多くの人が亡くなったのだろうが、近代的な畜産業が導入され尽くして人類が対インフルエンザで無菌状態となった時、仮にまた弱い毒性であっても新たなウイルスが発生したら、その時は壊滅的被害を人類は蒙るのであろうか? メキシコの経験と過剰なインフルエンザ騒報道を見てこんな事を感じるのである。そういえばクルーズから帰って、私もしばらく風邪気味で咳と鼻水が止まらなかったが、もしこれが一月違っていたら大騒ぎで、どこかの病院に留め置かれていただろうと思うとホッとする。ご心配なく、その時は熱はまったく出なかったからインフルエンザではないですよ。

写真はマザトランの肉屋の店頭
20090523

2009年5月20日 (水)

これぞ日本のハンバーグ

20090519
京橋でハンバーグステーキを食べるなら明治屋地下の「モルチェ」、日本橋だったら「たいめいけん」と大体決めている。ハンバーグは、もともとはドイツで硬い肉をミンチにして丸や四角に成型した庶民的な料理だそうで、現在はハンバーガーなどとして世界中で食べられている通りである。しかしデミグラスソースがかかり、付け合せの野菜が同じ皿に載った、いわゆる”洋食”のハンバーグステーキはわが国だけのメニューではないだろうか。

と云うわけで、これが老舗たいめいけんのハンバーグステーキである。このお店は2階が接待などにも使えるテーブルクロスが敷かれるやや高級なレストランであるが、1階は庶民的な洋食屋さんそのもので、いつも順番待ちの人で混んでいる。列を作るのが嫌いな私は、昼でも夕方でもちょっとピークの時間を避けて行く様にしている。

まず名物のコールスローを生ビールを飲みながら楽しみつつ、調理場の活気を見ていると、ほどなくハンバーグステーキが焼きあがってくる。このハンバーグと目玉焼きのコンビネーション、白・緑・赤の温野菜の付け合せの絶妙さが堪らない。

ベテランのウェイター・ウエイトレスに手際よく給仕され、お腹が一杯になると「これぞ日本の洋食屋!」と掛け声の一つも掛けたくなってくる

2009年5月19日 (火)

みどりの窓口大天神

20090518
妻が4度目の10時打ち挑戦で、念願の大阪発札幌行き「トワイライトエクスプレス」のA個室寝台「ロイヤル」の指定券を手に入れて約2週間、この間は彼女は明けても暮れてもトワイライト一色である。

まず21時間の乗車時間中すべてのものを経験しなくては、との意気込みで鉄道雑誌の研究に余念がない。寝台車を扱った旅情系の雑誌はもとより、牽引機関車に関する相当マニアックな専門誌まで毎日の様に買ってくる。おかげで50年以上鉄道ファンである私でさえ知らなかった、機関車と客車をつなぐジャンパ線の引き通しや構造まで覚えてしまった。従来、鉄道趣味誌などを本屋で立ち読みしているのは、それっぽい男性だけであったが、いくら最近はテツ子が増えたといっても、こんなに熱心にこの手の本を買う女性はそういないんじゃないか、と驚く。

もともと理系の人間は好奇心が旺盛で、妻もご多分に漏れない様だが、昨日は「寝台車の編成で、列車の号車と個室が配備されている向きには決まりがないの?」と聞いてくる。つまり上野-札幌を同じ様に走るカシオペアと北斗星だがカシオペアの一号車は上野方のエンド、北斗星は札幌方エンドに連結されている。JR(旧国鉄)の車両編成の号車の割り振りは、基準駅を基に一定のルールがあったはずだが、同一線路を走るまるで同じ様な列車で、号車の順番が逆さまとは今まで気が付かなかった。

さらに、カシオペアと北斗星は1号車を最後尾にすると進行右側に個室が並ぶのだそうだが、トワイライトは逆に左側に個室が並ぶ事に気が付いたらしい。この3つの列車の編成の向きと、個室の向きに何ら共通の法則を見出せないことがとても気持ち悪いと言うが、私が「 健康診断の結果がまだ来ないな、数値はどうだったかな~ 」などとクヨクヨ思っている間に、こんな事を考えていたのか。

どうやらトワイライトの客車は、日本海の景色を堪能するために本来とは逆向きに客車を連結しているらしい事が判明したのだが、とするとそもそもこの編成を組む際に、大阪駅の北方にある貨物の迂回線を使って編成を逆にしたのか、などとあわてて大阪の宮原運転所の線路配置を調べだしたりする。

彼女はよほどこの旅が楽しみらしく、10時打ちに成功した駅の前を通る度に「みどりの窓口」を覗き「次回また何かの際は宜しく」と心の中で、かしわ手を打っているそうで”緑の窓口神社さま”とひそかに呼んでいるらしい。もし関西で新インフルエンザがさらに流行して、「不要不急の関西の旅は控えるように」と会社から発令されても、大阪駅では息を止めてでも乗車しそうな勢いである。

2009年5月18日 (月)

エスプレッソ・マシン

この週末は、あまり天気も良くない。こんな時は、お天道様がゆっくり休みなさいと言っている様で、ゆっくりと家で過ごす。普段ゆっくりスミからスミまで読めない新聞に目を通し、クレジット・カードの会員誌に目を通したりすると、3600万円の超高給腕時計などが載っていて、一人で悪態をついたりする(らしい、と言うのは本人が無意識でしゃべったので覚えておらず、妻が後でそう指摘してくれる)。

こんな時はゆっくりクラシック音楽を聴きながら、ズボンのプレスをアイロンでピシッとつけると、休みのだらけた気分も少し引き締まってくる。そんな何と云う事のない午後のひと時、エスプレッソ・マシンを出してきてコーヒーを楽しむ。かなりの年代物でここ5年ほどはまったく使用していなかったのだが、急に家でエスプレッソを飲みたくなって、一月ほど前に食器棚の奥から復活登板した。

圧力をかけた蒸気でコーヒーを抽出するので味・香りも濃いが、何より冷蔵庫の牛乳を入れてもほとんど冷めないのが良い。スタバやタリーズ系のコーヒーが流行る前に、こんなマシンを買っていたのはお洒落れでしょう、と妻の自慢を茶受けに休みの午後は過ぎて行く。

そんな優雅なひと時もジョギングをして帰ってくると、シャワーを浴びてビールを一気に飲んで、我が家は居酒屋モードに突入するのが休日のお約束の様である。

20090517

2009年5月17日 (日)

健康診断の通知

先に受診した日帰り人間ドックの結果が、郵便で昨日届く。毎回の事であるが、受診結果の封筒を開封する時というのは、1年間の体の成績表をもらう様で少々ドキドキするものだ。ただ今回は、受診当日の午後、その日に即日判明した大まかな結果を医師から聞いていたのでほぼ安心していたのだが、それでもドックで思いもしない異変が見つかったりした事も過去にはあったので、やはり気になるものである。

開封すると、まず「総合判定」というページが目にはいる。なにやら数行書いてあるので、おそるおそる読んでみるとドック当日に医師から言われた「悪玉コレステロール値」などが「やや高い」ので「気をつけて下さい」とか、「空腹時血糖値」が基準を超えているので「経過観察」など数点あるが、今回は「要精密検査」など面倒なものがなくホッと一安心。

悪玉コレステロールは「上限を僅かに超えているが、善玉も多いので食べ物に気をつけて下さい」との当日の医師の説明を思い出す。しかしたまごなどは、すき焼きの際も一個と決めているほど普段は食べないし、昼食は普通、煮魚などの定食を注文する様に野菜、魚中心の食事を心がけているのに、これ以上何をせよというのかと戸惑う。

血糖値は、昨年「念のため」「負荷血糖試験」をしましょうと言われて、半日かけて採血・採尿したのだが、採血はともかく一時間置きの採尿は、おしっこが出なくて困ったものであった。結果判定はオーライだったが、友人の医師に話すと「おまえ、その位ならそれは病院が少し儲けただけだな」と笑われたものである。今年も昨年の数値とほぼ同じだし、HbA1cとか言う数値が正常なのであまり血糖値は気にしないで良いでしょうという医師の説明。ただ一般的に運動を積極的にして下さいなどと言われる度に笑うのだが、月に200キロも250キロも走っているのにこれ以上運動したら生活に支障が出るくらいで、どうしろっていうの?と言う感じである。

肝臓も、若い頃は毎年「もう少し酒を控えるように」注意があったのだが、50才を過ぎてからはずーっと 「 これは誰か飲めない人の血と間違えているのではないの?」と言う位問題なしである。知らないうちに酒量が減ったのであろうが、「50にして心の欲する処に従えど規を越えず」と昔の人はうまい事を言ったもんだ、と一人自分を褒める。

などなど毎年喜んだり冷や汗をかいたりと、恒例のドック結果の通知ではあるがこれはあくまで目安、一喜一憂せず体に気をつける様に心しよう、とドックの前後は殊勝な気分になるのである。

2009年5月15日 (金)

魚串・その後

20090516
先週末、近所の商店街に買い物に行った際、新規開店する魚串屋さんの ”ししゃも1000尾・無料配布”と言う宣伝に、妻が引き付けられ「ししゃも」の列に並んだのは先にアップしたとおり。

さてすっかり「ししゃも」の罠にはまった妻は、「 仕事が早く終わる日に、あのお店をトライしてみようよ 」と正にお店の思う壺状態である。で、先週水曜日は仕事も一段落との事で、会社の帰りに「魚串」の店に夫婦二人で行ってみたのだった。

なにせ初めての魚串だ。一体何をどう注文したら良いのかわからないので、まずはお店の”おすすめ”の「味噌煮込み」なるおでん風の練り物を頼んでしまうと、妻の目が点になって「串屋でなんでいきなり煮込みなの?」と突っ込まれる。「まあ、良いじゃないか 」と、先週列に並びながらしっかり2名分ゲットした「最初の一杯は無料」クーポンで生ビールと共に流し込む。そして当店定番の魚串10本コースを注文すると、ほどなく香ばしい匂いと共に魚が焼きあがってきた。串焼きの魚は、種類によって一夜干しだったり、みそ漬けだったりと素材にそれぞれ工夫が凝らしてあり、それなりに味の変化が楽しめて良い。最近はいろいろな料理屋ができるものだと、そのアイデアに感心してしまう。

ただビール・ワインを飲みながら「魚串」をちびちび食べていると、一体どの位食べたのか、お値段はいくら位になったのか見当もつかなくなってきた。お腹はそろそろ一杯なのか、まだ何か食べたりないのか、初めての料理なので加減がわからないのである。知らない寿司屋に入ってあれこれ食べ、勘定と言う段になってしばしば「え、こんなに食べたか」とびっくりする事があるが、ここの串も魚とあって素は同じもの、すし屋のショックが一瞬フラッシュバックするのは、我ながら気が小さいものである。おそるおそる勘定を定員に頼むと、なんだ、飲んで食べて一人4000円も行かなかった。で「 この位だったら、もっと沢山頼めばよかった。じゃあ仕上げにラーメンでも食べに行くか 」と急に気が大きくなって、嫌がる妻をラーメンに誘ったのであった。

2009年5月14日 (木)

ポンポン大将

今日は、東京地方も爽やかな青空、ちょっと風はあったが、気持ちが良いので昼休みは事務所から徒歩で20分ほどの隅田川に散歩に行く。川辺を歩きながら、タグボートに引かれたバージが次々に清洲橋や永代橋の下を通って行くのを見ていると、突然ある歌が頭に浮かんできた。「 ポン・ポン・ポン・船長さんは明るい、ポンポン大将 」と言う歌である。

むかしNHKテレビで放送されていた隅田川のポンポン蒸気の船長一家を描いたホームドラマの主題歌である。あまりに気持ちの良い川面に、突如私の脳のどこかが刺激を受け、ポンポン蒸気の歌がリバイバルしたらしい。何十年かぶりにこの歌が脳裏に閃いた瞬間、ドラマの中の船長さん役、柳家小金治と、それに飯田蝶子の姿が記憶に蘇って来た。で、あわてて事務所に帰って、インターネットで「 ポンポン大将」と検索して見ると、今や便利なもので懐かしい番組のアーカイブやトピックスが検索できて、昼下がりのひと時私は少年時代に戻ったのであった。

ネット検索によると「 ポンポン大将 」は1960年から1964年までに日曜の夕方に放送されていたとの事であるが、最初の頃は我が家にはテレビがなかったから、一体どこでこの番組を見ていたのだろうか? そう言えば、当時はプロレスや野球などの人気番組は、テレビを持っている家に近所の連中が集まって見ていたから「お隣さん」同士で日曜日にテレビを見ていたな、と記憶が蘇ってくる。飯田蝶子は「駄菓子やのおばあさん」役だったそうなのだが、そういえば小柳徹も出ていたなどと、時空を飛び越え一挙に昭和30年代にタイム・スリップしてしまう。あの名子役、小柳徹は今一体どこで何をしているのだろうか?

そういえばポンポン蒸気の由来、焼玉エンジンもすっかり姿を消し、今は隅田川を上下するタグボートもディーゼルエンジンの唸りを響かせている事に改めて思いをいたす。いやあ、ネットと云い小型船と云いお隣さん付き合いも含め、何もかも世の中もすっかり変わってしまい、ポンポン大将が横丁や路地で生活していた頃とは東京も別の都市になってしまった様だ。世の中の進歩の早さに今更ながら驚かされる。検索したら「 ポンポン大将 」主題歌はこんな歌で、記憶とそう違っていないのがちょっと嬉しい。

「川風吹け吹け、船船走れ、船が揺れれば白い輪も揺れる、ポンポンポン、ポンポンポン、船長さんは朗らかポンポン大将、今日も通るよあの橋の下、ポンポンポーン、ポンポンポン」

2009年5月12日 (火)

時刻表1000号

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毎月改訂されるJTB(交通公社)の時刻表が1000号になったそうで、その記念時刻表を購入した。この時刻表の創刊は1925年4月で、先の大戦時に困難はあったものの営々と販売されてきた大ベスト・セラー誌である。

そう言えば、私は子供の頃から鉄道や地理が大好きであったから、小遣いを貯めては交通公社か鉄道弘済会の時刻表をよく買っていた。当時は今ほど鉄道趣味誌もなかったので、代わりに時刻表を眺めていたのである。小学校3年生になった頃は、東海道本線・山陽本線の駅を東京から広島くらいまで暗記していて、社会の時間などに皆の前で発表しては得意だったものである。「 東京・新橋・品川・横浜・大船・藤沢・辻堂・茅ヶ崎・・・」と静岡あたりまでは、今でもすらすらと宙で言える。(当時は川崎や戸塚は東海道線の駅ではなかった)

その後、若い貧乏サラリーマンの頃は、寝台列車の旅などをゆっくりしてみたかったのだが、先立つものも時間もなく、ただ旅情に憧れるのみであった。その代償行為か、当時はよく時刻表を購入しては、机上旅行プランを楽しんでいた。まず巻頭の全国の鉄道路線図をつらつら眺めつつ目的地を定め、そこへの往復列車や乗り換え列車を時刻表から拾いさまざまシミュレーションを行う。大体の場合、最新の列車や話題の列車に乗車できる様な日程を作るのだが、そのプランニングの最中は現実を忘れさせてくれる楽しいひとときであった。

一通り机上旅程が決まると、最寄の駅から目的地までの営業キロを算出して、普通運賃に特急料金や指定席の料金などを計算する。経済的に廻るためには、バスを使ったり「とくとく切符」や周遊券の頁を参照したり、宿泊地を変えたりして、「あーでもない、こーでもない」と考えていたのである。とにかく時刻表はいつの時にも、生活の傍らにあって、定価以上に十二分に活用させてもらったものである。

おかげで東京ー阪神間を往復する際は、西明石までの往復切符を買うと安いとか、本州と四国への連絡はJRや高速バスよりローカルのフェリーが安くて便利だとか、時刻表を繰る事で随分と恩恵を得てきた感じがする。今でも暇な時、時刻表をランダムに開き、その頁の線路の先には一体どんな旅があるだろうかと想像する。ネットの”路線案内”や”乗り換え案内”にはない、アナログな広がりがそこにはある。

2009年5月11日 (月)

魚串と食欲

最近妻と二人、体重が僅かばかり増加傾向で、皇居の廻りを走る記録も今ひとつさえない。なのであと1キロ~2キロは減量しようと云う事で、二人で無駄なものは買わない、食べないと誓って、近所のスーパーに夕食の買い物に出た。

そうして商店街に入った途端、あるお店の前に列が出来ているのが目に入る。良く見ると魚串専門の店の新規開店プロモーションで、『 北海道直送ししゃも串を1000尾分無料で配っています、どうぞ試食して下さい 』と盛んに呼び込みをやっている。現場で配られているチラシによると、焼き鳥のお魚版の様な食べ物で、最近は色々なお店が出来るものだと感心する。

と、その時、妻はまるで磁石に引き付けられる様に、ふらふらとその列の方へ歩いて行き 、気が付くと”ここが最後尾”と云う看板の前に立っているではないか。先ほどの誓いは一体何処へと「エー、ここに並ぶの?」と問うと「 いや、もともと小腹が空いていたので、焼き鳥屋の店頭で一本買って食べたいと思ってたから調度良いのよ、お金を払わなくてすむし、列もそう長くないじゃない 」ととても嬉しそうだ。こうなれば仕方ない、下手にこちらの意志を通して彼女の執念をパスさせると、今日一日何か言われそうなので、ここは我慢して付き合う事にする。で、結局ししゃもの焼き串(ただしオスで卵はなし)を一本づつゲットして商店街をぶらぶらスーパーに買い物に行ったのであった。

そうこうして買い物をすませ30分くらい後、帰り道に現場を通りかかると、まだししゃも串の無料配布をやっている。ふと見るとまた妻はまた匂いにひきつけられた様に試食の列の方に行きかけている。”無料”と言う事と”食べ物の誘惑”は”誓い”などを一蹴してしまうのだと驚きつつ、「さっき串は頂きました、ご馳走様でした~」と案内の店員に大声で叫んで機先を制し、うらめしそうな彼女の腕を引っ張ったのだった。「うーむ、このままでは減量はかなり難しいのかな 」と思わせた日曜の午後のひと時であった
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2009年5月10日 (日)

ちゃんとした会社

リクルートスーツに身を包んだ、学生の姿を町のあちこちで見る時期になってきた。最近は必ずしも終身雇用の時代ではなくなった様であるが、大学を出て就職すれば普通、相当の年月をその会社で過ごすのがまだ日本の職業事情。なのでリクルート活動も真剣にもなろうと思うが、慣れぬスーツに革靴で都心を不安げに歩いている学生を見ると「がんばれよ」と声の一つもかけたくなってくる。

それにつけても、やはり学生には伝統ある大きな会社を目指せと助言したくなるのだが、それは何も給与とか世間体とかの観点からではない。最近私の職場がある都心の小さな貸しビルに、日本でも1,2位のゼネコンの直系孫会社が入居してきた。このビルには従来、私達の事務所の他には店子として小さな不動産が入っているだけで、そこの社員との接点はただ一台あるエレベーターだけの、町のどこにでもある貸しビルであった。

ところがこのゼネコンの関連会社が入ってその会社の人が大勢エレベーターを使用する様になってから、エレベーターの雰囲気がかなり変わった。この会社のほとんどの社員はシニアーで、多分親会社から定年間際で転籍して来たと見られるオヤジ達なのだが、彼らはエレベーターでは良く、他の人に軽く会釈をする、他の人を待たした様な時は「すみません」などと声を掛けて来る、乗降では人に順番を譲るなど同じビルの住人として誠に気持ちが良い。得てして日本の中年以降のオヤジは、声が大きく態度がふてぶてしいし、「すみません」とか「失礼」と言う言葉を最も発しない方の人種だと思っていたが、このエレベーターに乗ってくる定年・第二の職場オヤジは偉そうな人も、そうでない人も概して気持ちが良い対応をする。かれらの小さなマナーで、小さなビルの一台しかないエレベーターが、何となく気持ち良い乗り物になったのである。

よほどこの大手ゼネコンのこれまでの社員教育が良いのであろうか? つい、もう一つの店子である不動産屋の社員と態度を比べてしまう度に、やっぱりこういう伝統ある会社で永年鍛えられてきた人達は、気配り・目配りが違ってくるのかと、その社会性に感心しているのである。世の中には何十万もの会社があり、就職には出会いがあるだろうが、こういうマナーが自然に社員の身につく様な会社に、若い学生は就職して欲しいものである。

バルクキャリアー 2009-05-10 21:58:21
ぽんぽこりんさん、

コメントありがとうございます。 この方達に出会って以来、きっと親会社のゼネコンが作った建物も良いものなのだろうな、と思うようになりました。そういえばそのゼネコンは、今まで収賄事件などで騒がれたりする事はあまりなかった様です。

ぽんぽこりん 2009-05-10 18:05:16
バルクキャリアーさん おじゃまします。
今回のお話に出てきた会社の方は、人と人との接点の大切さをきちんと
分かっていらっしゃるのですね。
とても素晴らしい会社だと思います。

今は就職がとても厳しい時代。
少しでも多くの若い方が、このようなきちんとした会社に出会い、就職できると
未来は明るくなるのでしょうね。

とても素敵なお話を聞かせて下さってありがとうございました。

バルクキャリアー 2009-05-10 17:47:27
ためいけさん

トイレに私物? これってオフィスビルの女性用トイレでは時々ある事ですか?絶句!

私が、女性なら誰もいない時をみはからって、干からびたお八つのオマンジュウをその上に置いときますが・・・・・・。

ためいけ 2009-05-10 15:58:10
会社のビルの同じフロア。

隣には不動産関連の会社がありました。社員全体が若く(あほっぽく)、察するに平均年齢も30~35歳。エレベータの中の会話や外見もあまり気持ちの良い(頭の良い)人たちには見えませんでした。女子トイレに入るといつもいる若い子たち、仕事はいつするんだ?というぐらい、化粧直しにも余念がない。髪の毛カーラーを巻いている猛者もいる。こんな会社が運用するファンドには間違っても投資したくないなあと思っていたら、破産宣告。上場企業だったけど、やっぱり駄目だったみたいです。男も女も一流とはいえない人たちでした。

ところが。

そのあとに引っ越してきた特許事務所。ここは平均年齢50歳を超える人たち。(この時期に賃料の高いあのビルに入ってくるんだから、恐るべし不況知らず。)この人たちはすごい。トイレで会っても実にさわやか。トイレから私物はなくなり(件の不動産会社のギャルたちは禁止されているにも関わらずあれこれ置いていました)、さわやか。

そこで思ったことですが、これはきちんと教えてくれる人(=大人)がいるかいないかの違いかなあと。それってやっぱりちゃんとした会社なんでしょうね。

というわけで、賛成です。

2009年5月 8日 (金)

逃げたか?ジパング

妻が毎週買ってくる漫画週刊誌「モーニング」の中では、特に「ジパング」を楽しみにしている。話は海上自衛隊のイージス艦「みらい」が時空の谷間に落ち、第2次大戦の真っ只中に放り出される処から始まる。近代兵装の塊「みらい」と乗組員は戦争の大きな渦に巻き込まれながらも、極力史実を変えてしまわない様に奮闘するのだが・・・・・。

長編の「ジパング」もクライマックスに入り、いよいよ最終局面に向かって盛り上がっている。すなわち「みらい」がほんの少し係わってしまった歴史の流れによって、日本がアメリカより先に原爆を開発、その原爆は戦艦大和に搭載されて、昭和19年のマリアナ沖海戦に突入するのである。アメリカの大艦隊を相手に、単独行動の大和と原爆で日本は一矢を報い、形勢の不利を立て直さんとしているのが先週までのあらすじ。

史実のマリアナ沖海戦は戦争末期の大きな山場で、日本はこの海戦で空母機動部隊を失い、わが連合艦隊はこれに続くレイテ沖海戦で事実上壊滅したと言われている。ただ、もしこの時点で日本が少しでも形勢を取り戻し、連合国側と講和を結ぶ事が出来ていれば、それ以後の沖縄戦・本土大空襲・原爆投下などもなかった訳で、戦争の死傷者も大変少なくて済んだ事は歴史上間違いない。マリアナ沖で大和と原爆が日本の運命を握ると言う物語の設定は、近代史の”あや”を突く誠に発想豊かな展開だな、と毎号感心していた。

その矢先、作者の”かわぐちかいじ”氏が自転車で転んで右腕を骨折、しばらく連載を休むと突如発表があった。読者とすれば、まさに「おいおい、ここでそれは無いだろう」と言う気持ちである。昼飯抜きで腹を減らしてディナーの席に着いたら、「オーブンがこわれて料理は一時間待ちです」と言われた様な感じだ。意地の悪い私は、「物語の展開に行き詰まって、時間稼ぎで仮病ならぬ仮傷を装ったな」と思わず罵ると、妻は「そう人を悪く言わない方が良いよ、でもネットでもそういう声がある 」と言う。やはりここは、皆同じ事を考えるんだ。

私の予想では「みらい」は、大和の原爆爆発に巻き込まれたエネルギーで、再び現代に戻って来ると考えているのだが、戻った現代の日本はいかになっているのか。こうなりゃゆっくりオーブンを直して、「さすが」と皆を唸らせる素晴らしいディナーをこしらえて下さい、かわぐちさん。

2009年5月 7日 (木)

10時打ち

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連休も終わろうと云う昨日、朝から妻が何だかそわそわしている。「一体どうしたの?」と聞くと、「今日から1ヵ月後の6月6日は土曜日だ」と言う。「へえ、そうなの、それが何か?」と尋ねると、「もう、私の言った事忘れたの? その日は大阪発、月・水・金・土曜だけに運転する下り『 トワイライト・エクスプレス 』の指定券の1ヶ月前の発売日じゃない!」「今日は連休だから、家の近くのみどりの窓口も空いてるかもしれないし、そもそも余程のことがない限り連休中に切符なんか買いにいく人はいないだろうから、朝10時の発売と同時入力してもらえば、6月6日土曜日発のプラチナ切符が取れるかもねって前に話したじゃない」と不満顔で言う。

おっとっと、もの言えば唇寒し何とやら、妻が何か話し始めた際は、思い当たらない節であっても 「そうだったな~。一緒に買いに行くって言ったんだよなぁ?」と反応できる様になったのは ”話を聞かない男” も年の攻か? そう、思い起こせば『 トワイライト・エクスプレス 』の個室A寝台「ロイヤル」の予約は過去3回チャレンジしたのであった。それもどうしても乗りたい妻の代理で東京駅まで私が買いに行かされては、全国のどこかのマニアに一瞬の差で先を越され悔しい思いをした事を思い出す。なにしろ「ロイヤル」は1列車に2室のスイート程ではないにせよ、8室しかないシャワー・トイレ付きの部屋なので券の入手は狭き門なのである。

みどりの窓口に乗りたい列車の1ヶ月前の朝10時前に行って、時報と共にJRのコンピューターに前売り券を打ち込んでもらうのを 『10時打ち 』と言うそうである。以前は東京駅などには『10時打ち』 専用の窓口があったが、工事の為か合理化の為か無くなってしまった。なので一般の旅行者と一緒にみどりの窓口に並ぶ事になるのだが、窓口の端末は原則ワン・バイ・ワンで処理するらしく、あまり早く行くと10時までその端末を占領する事になってしまう。『10時打ち』の為に後ろに長蛇の列が出来てしまうと「 皆さんお仕事でお急ぎですよね、遊びの私たちはごめんなさい 」と、気の弱い私などはとてもいたたまれない。 逆に午前10時直前に並ぶと、前の客がえらく手間取って端末に打ち込んでもらうのはもう時報の後、とりたい列車はすべて売り切れなんて事もある。まことに『10時打ち』には、絶妙のタイミングが要求されるのである。

「今回もやっぱり無理かな~」などと会話しつつ、駄目もとで昨日みどりの窓口に駆け込んだは9時50分。幸い窓口には他に客もおらず9時55分から5分ほど粘って10時きっかりに駅員にロイヤルの指定券を打ち込んでもらった。で、固唾を呑んで見守るうち、一瞬画面が固まったようになりまた何か文字が表示されると、ジジジとプリンターが動き出し「取れましたよ」と窓口駅員も嬉しそうに言ってくれる。 「やった!」 とばかりこの時の妻の喜色満面、あまりの嬉しさにディナーの予約の為にお名前と連絡先を書いて下さいと駅員に差し出された紙に「手が震えて書けないよ」。ほとんどの事に動じない妻であるが、こんな事で手が震えるとは彼女の違う一面を見た気がしたのだった。

大阪を昼の12時に出て札幌に翌朝9時52分に着く『 トワイライト・エクスプレス』、一年で一番陽の長い頃に、日本海に沈む夕陽をゆっくり眺めながらのディナー付き個室寝台の旅、と言う次の目標が出来たので、連休後の初出勤の今朝も「全然ブルーじゃない」と彼女はいそいそ出勤して行った。

バルクキャリアー 2009-05-08 23:37:18
ぽんぽこりんさん、こんにちは。

「トワイライト・エクスプレス」 を取れたのは良いのですが、大阪までの切符と、北海道からの航空券も買わなければならなくなりました。結構な出費で、「10時打ち」も痛し痒しです。

乗車記は、いずれ妻のホームページでアップされると思いますが、その前に 「にっぽん丸 ニューイヤークルーズ」 と 「メキシカン・リビエラ」 のバックログがあるそうで、いつになるやらの状況です。

私はブログで気が付いた事を書き込むつもりです。

ぽんぽこりん 2009-05-08 00:10:01
こんばんは~
トワイライトエクスプレスは一度乗ってみたいと思っている列車です。
是非ぜひ、ブログでアップしてくださいね~!!
何だかこちらまで楽しくなってきちゃいます!!

2009年5月 6日 (水)

尾花のうなぎ

ゴールデンウィークの最終日、休みにもそろそろ飽きてきた頃、同業の個人業者から電話がある。アメリカ人のお客さんが中国からの出張帰り日本に立ち寄るが、連休で相手をする人もいない。ここは一肌脱いで夕食の相手を一緒にしてくれと。

合点承知のすけ、お安い御用である。珠には英語を話さないと忘れてしまうし、グルメの同業者の驕りだ、今日も珍しいメシを”ゴチ”になれるかと二つ返事でOKするのは自分ながら浅ましい。で、どこに行く予定かその同業者に聞くと、ゲストの米国人は寿司より鰻が好きなので、南千住の鰻 「尾花」だと言う。調度良い、以前から妻に「尾花」の鰻に連れて行ってやると豪語していながら、場所的にも不便でなかなか実現してなかった所なので千載一隅。懇意な彼に「妻も連れて行く」と言って夕方からいそいそと南千住に向かったのであった。

「尾花」 は予約を一切受け付けず、仕入れた国産鰻が切れると客はそれ以上取らないという少々スノビッシュな店で、場所が常磐線の線路際と言うのも、何やら「通」らしくて格好よい。雨の中夕方5時前に皆でタクシーで駆けつけると、幾人もの客がお店の門に競うように入って行くのには少々焦ったものだが、連休中にも関わらず鰻も売り切れてなく、あまり待たされる事もなく畳敷きの大広間に通されたのであった。

大きな畳の客間では、これがあの「尾花」かと言う様な感じで皆ウキウキ飲み食いしている様に見える中、こちらも昼食も抜いて腹を空かして準備万端、久々のヨコメシと豪華な鰻を堪能したのであった。ちなみに注文したのは、一人ずつ空豆、柳川、焼き鳥、鰻の白焼き、うまき、いかだ(蒲焼)、そして〆はうな重! アメリカ人もびっくりのこのボリューム、隣の席のカップルはこちらを一瞥して「良く食べるね」と言うあきれ顔であった。

ここにその同業者と来る時は、いつも2年分くらいの鰻を食べた気がするが、家に帰って数時間経った今でも妻は、「ふっくらとおいしかったが、醤油風のうなぎたれは今は思い出したくもない」とまだ横でぶつぶつ呟いているのである。

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2009年5月 5日 (火)

東京にオリンピックを

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連休中で人があまりいない東京をドライブして見ると、東京もなかなかきれいになったものだと思う。子供の頃、房総に海水浴に行っった帰りに総武線の電車が両国を過ぎて隅田川を渡る時は、電車内に川のどぶ臭い匂いが入ってきて、冷房もない電車の窓をあわてて閉めたものだが、そんな悪臭も過去の事である。水辺だけでなく、町のたたずまいも漸く先進国の仲間に少しは入って来たかな、と思える。

ただ東京には、まだまだ直さなければならない所がある。環状の道路はまったく足りず首都高は常に渋滞している。日本橋始め都心の主な川の上を高速道路が覆っている醜態だけは何とかして欲しいものだ。都内にある大学や官庁のばらばらな配置、それぞれが一等地に官舎を持ち、悪質な事にはそれらが官舎である事を表示していない。東大を頂点とする国公立大学は、都心の一等地に存在する意味があるのか、空気の良い広い郊外でのびのび教育・研究したらどうなのだろうか。それに伴う各種研究機関などは数箇所に纏めて高層ビルに引っ越し、東京の土地を有効利用して欲しいものである。

卑近な例では、毎週の様に走る皇居の周りの歩道である。週末になると何千人という単位のランナーと、世界中からの観光客、それに自転車などで場所によっては走る所ではなくなるほどである。勿論歩道であるから歩行者が優先で、そのたび結構真面目に走っているこちらは、当然のことながら立ち止まる。牛と耕運機が一日数台通るような田舎の道の整備はやめて、その金で皇居の周回歩道をもう少し広げてくれ、と叫びたくなってくる。

世界でも有数の社会主義国となってしまい「弱者」と叫ぶ人達の権利ばかりが優先される様になった日本のパラダイムを換えるためにも、是非東京でオリンピックを開催して、都市にそしてこれからの世代を担う若者に予算を配分して欲しいものである。子供の日に思った事である。

2009年5月 4日 (月)

男の料理

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連休なので、たまには台所に立って妻に料理をふるまおうか等と考える。しかし、レシピーなどを見ないで料理をするので、時々妻は私の料理を口にして「うっ!」と呻いたまま声を出さない事もある。料理の基礎「さ・し・す・せ・そ」などを無視して調理するので、とんでもない味付けになるらしい。「基礎を覚えたらうまくなるよ」とは、昔ゴルフの練習でも良く言われたっけかな~?

そんな適当な料理ではあるが、中華風炒め物だけは絶対においしいと妻は褒めてくれる。何の事はない、油を多めにして、強火で大きな中華鍋を力に任せて振れば大抵の中華はうまそうにできるのである。

これは今日のチャーハンである。気をつけてるポイントは3点だけ。まず中華鍋は大きめのを、前もって全体に熱が通る様にかなり熱しておく。多めの油にラードを用いて調理中は強めの火力を保つ。ストップウォッチを用意して、溶き卵を熱した鍋に入れて30秒位でほぐし、ご飯・具・調味料を入れて完成まで2分30秒以内とする。これだけである。

かなりアバウトな調理であるが、これまでこのチャーハンだけは好評で時々作って楽しんでいる。ただ難点は、あまり派手に鍋を振るので、コンロの廻りにみじん切りした具が飛び散り、後片付けが結構大変なのである。コンロが熱いうちに拭けば汚れが落ちるからと、作り立てのチャーハンを横目に妻が片付けを始めるのがちょっと興ざめか。

2009年5月 3日 (日)

地下鉄乗り入れ

久しぶりに東急新玉川線に乗ると、地下鉄半蔵門線を介して東武電鉄の車両がやって来る。大阪では最近、阪神と近鉄が相互乗り入れをして話題になったが、東京では地下鉄に乗り入れて各社の車両がやって来るのは、ごく普通の事である。

さて昼間は、東急線内に東武の電車がかなり頻繁にやって来るので、ここは一体何線であったかと一瞬錯覚に捕らわれる。これは相互乗り入れをする東武線の営業距離が東急線より圧倒的に長いので東武の車両が東急線で良く見られるのだと云う。日中には東急線と地下鉄線のみで折り返されて、本来の東武線で営業しない東武車両の運用もあり面白い。

こういう運用の精算は一体東武・営団・東急各社でどうなっているのか興味は尽きないが、原則はこういう事らしい。仮にA社の線路が10キロ、B社の線路が20キロとし両社がそれぞれ自費で作った車両で相互直通運転をしているとする。するとA社は自社の車両で、B社20キロ分の営業をまかなった事になるのに対し、B社車両はA社の10キロしか営業していない事になる。これでは不公平なので、B社の車両は運用の一部で乗り入れをせず、A社の線路内を2往復してお互い持ち寄った車両の他社線営業距離が等しくなる様なダイヤを設定する。こうすると高価な車両使用料の貸し借りが相殺されて精算が簡単に済むのだと云う。

ただ新型車両と旧型車両では償却(電車は13年)やメンテの費用も違うだろうから、距離が揃えば単純相殺して良いのか、仮にA社の路線がB社の車両が2往復する需要が無い時はどうするのかなどなど興味や疑問も沸き起こるのだが、とにかくこういう相殺方式で永年電車の運用がされているのは興味深い。

東急線でたまたま乗った東武車両の広告を見ると、北関東の霊園や学校の案内が掲示されていて遠くへ旅行した感じがして新鮮で面白いし、私の感じでは東武の車両の方が東急の車両よりずっと乗り心地が良いので東武車両が来ないかと思っている。しかし乗った東武車両の妻板の製作所の表示を見ると「東急車輛製造」などと表示されているのもあって、何が何やら不思議な気持ちになるのである。

2009年5月 2日 (土)

船長になるか

今年の連休は遠出もせず、空いている都内でゆっくり楽しむ事とした。高速は大渋滞、海外はインフルエンザ騒ぎで丁度良かったと思っている。ゆっくり時間が流れる休日、この後の事などをつらつら考えていると、やはりもっと人生を楽しむ手段を持っていたいと思う。走る事やクルーズなどそれなりに私も趣味はある方だが、今後仕事の時間が減るにつれ、それ以外に気持ちの良い事をもっとやってみたい。

と言う事で、妻が盛んに奨める小型船舶操縦士免許にチャレンジしてみようかと思いついた。実は、先般古巣の会社の後輩と出張した際、この後輩はヨットを所有していてこの連休はヨットで奥さんとのんびりすると言うのを聞いて羨ましく思った。何かそういう事をしてみようかと考えたが、さすがにヨットは今からでは乗れる様になる迄は大変そうでひとまずパス。免許を取得すればレンタルのモーターボートで、妻と二人で水辺を楽しめそうな船舶免許取得を考えたのである。

永年、海運会社に勤務して乗船実習経験もあるので、船舶やエンジンの基本用語、基礎的な航法・規則などは何となくわかる気がする。妻が数年前に小型船舶操縦士の2級から1級へのアップグレード受験した時の教本を読んだら、これなら行けそう、少し気合を込めて勉強すれば合格するか、と思ったのである。東京は海だけでなく、実は河川が昔から大事な交通手段であったので、今残っている川をゆっくりボートで流して東京の町を水から眺めて見たい、というのが夢である。

ただ金融関係に勤める妻を見ていると、いくつもの資格試験を受験させられて試験慣れしているが、こちらは大学卒業以来、公的な試験でちゃんと受験したものは会社の義務であったTOEICと、アメリカの運転免許位だ。試験と聞くと何となく試されている様で、逃げたくなって来る気持ちは変らない。と、ともに妻が一発で合格した試験を、失敗したら格好悪いな、と今から予防線を張るのである。
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バルクキャリアー 2009-05-04 10:08:20
院長先生、

院長先生の国家資格ほどのものではないので、失敗しても良いのですが、なんか格好悪いなって。

そういえば、国家試験ではないが、昔テレックス・オペレーターが廃止になって自分でテレックスを発信しなきゃならないシステムを会社が導入した時、キーボードのブラインドでの早打ちの講習・試験を全員受けさせられました。女子社員がさっさと合格して卒業していくのに、とうとう最後まで出来ず、居残りさせられてみじめだったなあー。

院長 2009-05-03 21:27:36
どんな試験でも少なからずプレッシャーはありますよね!

それが国家資格だったりすると、なおさらです!!

一応、最近の経験者の一人として、プレッシャーをかけさせて頂きます(笑)

2009年5月 1日 (金)

Swine Flu 豚インフル

豚インフルエンザで大騒ぎをしているのはまた日本のマスコミだけかと思い、海外の新聞をネットで見ると、あにはからんやSWINE FLU として世界中で騒がれている。そういえば豚はPIGの他にHOGとかSWINEなんて言うなと、朝刊を読みながら妻と会話をする。日本でも豚小屋とか言うが、HOGWASHとアメリカ人が言う単語は”阿呆か”と言った感じだろうか? SWINEもいやな奴・不快な奴という意味があり、豚にまつわる単語は洋の東西問わずあまり良い意味はない様だ。

そんな会話をする内、動物に関する単語が英語と日本語では大きく違うと二人の会話が発展する。例えば、鶏は普通CHICKEN(米)雄鶏はROOSTER、雌鳥はHEN、食肉になるとPOULTRYだけど、日本では「とり」に「おす」「めす」「肉」などの形容語をつけて「おんどり」などと表す。牛はCATTLE、 OX(雄牛)、COW(めす牛)、BULL(猛牛)、肉になるとBEEFにVEALと様々なのは流石あちらは食肉の国だが、日本語ではやはり仔牛・牛肉といった様に、牛に一文字追加して表しているのとは大きな違い。

そうやって見ると、犬でもPUPPYが大人になるとDOGになるが、メスはBITCHと英語では呼び方も様々。猫もKITTENがCATになるし、ライオンの子供はCUBだし、成長前/後は名前が変わるのに、日本では子犬、子猫と子の一字をつけた単語がほとんどである。日本語で子供と大人がはっきり違うは、「おたまじゃくし」 と 「うりぼう」 位のものか。家畜などの動物と近しく生活していたり、永く食肉文化だったりした歴史がこういう多様な単語を産むのだろうか。

一方、日本といえば動物こそこんな通りだが、魚となると俄然違って、出世魚などがあるのは日本語だけではないだろうか。イナダ、ワラサ、ブリなどと成長と共に名前が変わるのは何ともユニークである。そのほか鯛にしろ青魚にしろ貝にしろ、あらゆる海産物がきっちり分類されて名前がついているのは、わが国独特であろう。これはやはり海に根ざした食生活が育んだ文化か。

そういえば、寿司屋に行っても、”こはだ”なのか”いわし”なのか、はたまた時々”とろ”かと思ったら”かつお”だったり、今だに貝の種類は赤貝くらいしか思いつかない位、食に関してグータラな私なので、寿司屋で粋に注文する人が羨ましい。

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