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2009年4月23日 (木)

ケン・グリフィー・ジュニアー

NHKの朝のニュースで、シアトル・マリナーズが今年は好調にアメリカン・リーグ西地区を戦っている事を告げている。好調の原因は、メジャー・リーグ初の日系米人監督の采配に拠るところが大きい様であるが、もう一つ”ケン・グリフィー・ジュニア”の再加入も見逃せない。

かつてマリナーズの中心選手だったグリフィーがシアトルを離れて9年、この間彼はシンシナティ・レッズでプレーしてきたが、シアトルの人達の熱望に答え、(多分)現役プレーヤーとして最後の地と決めて、今年シアトルに戻ってきたのだろう。

かつて私がシアトルに駐在していた頃は、投手のランディ・ジョンソンと共に、グリフィーが打の中心としてチームで活躍していた時代である。彼が打席に入る際「センター・フィールダー、ケーーン・グリフィー~・ジュニアー~」とアナウンスされると一挙に本拠地キングドームが盛り上がったものだ。

1995年キングドームが老朽化により取り壊しが決まった際、代替の球場の建設のめどがつかずマリナーズがシアトルから移転する話が持ち上がった事がある。ところがその年の終盤、グリフィーの大活躍でマリナーズはア・リ-グの地区優勝を果たし初のプレー・オフに進出したのだが、そんなマリナーズ躍進に押されて、現在のセーフコ・フィールドが建設される計画が本格化したと云われている。そんな事から、シアトル市民の多くがシアトルに球団が存続している功労人として、グリフィーの復帰を心から望んでいた事は間違いない。

かつては米国西北部の辺境の地で、材木の集散と毛皮交換の小さな港町だったシアトルであるが、グレートノーザン鉄道が線路を伸ばし、日本郵船が太平洋航路を開設した事でこの町は一挙に発展した。グレートノーザンはシアトルの父、日本郵船はシアトルの母と今でも言い伝えられているが、グリフィーは言ってみればシアトルの兄貴の様な存在なのであろう。

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