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2009年4月

2009年4月30日 (木)

人間ドック

今まで高輪の病院で行っていた日帰り人間ドックを、今年から自宅の近所の診療機関に代えた。高輪の病院も良かったのだが、朝ラッシュ時に朝食抜きの地下鉄で1時間もかかるのでちょっと辛かったのである。

さて今年初めて行ったその診療所では、朝から例によって採血されたりレントゲンを撮られたりしながら、11時過ぎに一応検査が終了した。ここまでは前の病院と大差はなく、以前はその後医師の問診があって午前中にドック終了というシステムだった。これまでは、節制しつつ迎えた検査であるから検査が終了したら即、近所のファミレスに行ってうんと体に悪そうなコレステロールや脂質で満ちた昼食を撮りつつ、生ビールの大ジョッキとともに数週間の節制の終了を高らかに一人祝うというのが、年に一回の検診日の昼食のお約束、結果は後日郵送されてくるのを待ったものである。

なので今年も11時過ぎに最終の検査を終了してホッと一段落、後は形ばかりの医師の問診で今年も終了か、などと思っていると、係りの女性が「お疲れ様でした、別室でゆっくり昼食を召し上がって下さい」と言うではないか。「え、ご飯もここで出るのですか?」と思わずビール飲みたさに落胆の声をだしてしまうのが私である。

ほどなく皆が通された小さな食堂には、近所の有名なお茶屋の結構高級そうな弁当が、立派なお重に入って並んでいるのにちょっとびっくり。ゆかりを振りかけたご飯にお惣菜も多彩、しかも弁当に着いた説明には、塩分・脂質などを控えたヘルシー食だと、いかにも人間ドックで供されるのに相応しい内容である。「うーん、ドックも毎年毎年、皆に来てもらうのに色々趣向を凝らしているのか」と感心する。

恒例のビール付き昼食の期待を、ヘルシー弁当に見事に削がれた私は、思わず看護婦に「ここは初めてだけど他の医療機関もこんな豪華なお弁当出すの?」と聞くと「最近はそういう所も多いですよ」と彼女は微笑む。うーん医療業界も競争が厳しいものであると一人納得をする。そんなこんなでゆっくりお昼を食べ、臨んだ午後の問診で午前の検査の概要は一応問題なし、と医師の説明を聞いて一安心であった。

夕方は旧友を誘ってさっそく神田の焼き鳥屋に駆け込んでたらふく飲み、数時間遅れの検査終了儀式を祝ったのであったが、さっさと検査の結果も判り夕方心置きなく呑めるので、今年のやり方もま、良いかと思ったのであった。

5キロ走ったもん。 2009-05-02 00:36:13
えー、これどこの病院?

私もそこがいい!!!

私の行ってる某大手電機メーカーの医療機関の昼食なんてしょぼしょぼの「サンルーム」みたいなところでしょぼしょぼの弁当を愛想のないおばさんが「はい」って出してくれるだけ!基本は社員さんの行くところだから仕方ないと思っていたけど、どうせ高いお金を払うのなら若いお姉さんからおいしいお弁当出してもらいたい!

しょぼしょぼサンルームではおやぢたちの味噌汁(ぬるい)をすする音やくちゃくちゃ食べる音が充満してて悲しくなるですよ。。

2009年4月28日 (火)

日体大・関東インカレ2部降格

日体大陸上部合宿所で学生が大麻を栽培、吸引、さらに家宅捜索した際に偽札が見つかった不祥事で、関東学連は同陸上部の3ヶ月間の活動停止、箱根駅伝のシード権剥奪などの厳しい処分を下したが、これに大学側が反発、学連に処分の緩和を求めた「質問状」を提出、すったもんだの挙句、この度日体大側が学連の処分を受け入れた。

個人や部内の特定のグループの不祥事に対し部全体で責任を負わねばならないのか、連帯責任の是否については、甲子園出場校の事件が明るみに出た際なども常に議論になる。最近では関東学院のラグビー部の大麻事件では6ヶ月の活動停止、日大のラグビー部やサッカー部の定期券キセル事件でもシーズンを棒に振る厳しい処分だった事例などをみると今回の処分もやむなし、大麻など反社会的行為に対し断固厳しい処分を課し、薬物の汚染を排除する厳しい姿勢を学連が示したと云える。最近は若い人達の間で、あまり罪の意識なく、大麻などのドラッグを栽培したり吸引したりする風潮が我々の予想以上に広まっているのだろうか、一罰百戒の意味もあろう。

それにしても日体大は、この処分で5月の関東学生陸上競技選手権(インカレ)で自動的に2部降格が決まった。1部16校の下位2校と2部上位2校が毎年自動入れ替わるのだが、今年は日体大含め3校が落ちるのか、日体大が降格2校の1つになり他の1校だけが2部落ちするのか。インカレでは1部の上位に毎年入る日体大の去就によって、我が後輩の戦い方も変ってくる。毎年この時期になると、我が後輩が2部落ちをしやしないかとひやひやしている私には、今年の関東インカレの行方が気にかかる。 

2009年4月26日 (日)

玉ゐの穴子料理

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日本橋室町のあなご料理屋「玉ゐ」(たまい)の穴子ちらし寿司(おみやげ)である。蕎麦屋の「日本橋砂場」の斜め向かい、「砂場」では昼飯時にお客さんと良く日本酒を飲んだものであるが、そんな一昔前の日本橋の風情が残っている横丁にある。今回は取引先が室町「玉ゐ」に連れてきてくれたのだが、「砂場」の目と鼻の先にこんなレトロな感じのお店があるとは知らなかった。この店の開業はそう古くない様だが、店舗そのものは昭和20年の空襲にも焼け残った百年前位の古いもので、店内はゆったりと落ち着いた雰囲気で夕方は予約客で一杯である。

おみやの写真のちらしの他に、当店名物「箱めし」は蒲焼風のごはん、その他白焼きから各種お通し、つまみがあるのは大体鰻やさんのラインアップに準じている。当日は豊富な肴でお酒を飲み、箱飯を最後にほおばってお腹も満腹。いやこれは健康診断前に少しこってりしたもの食いすぎか?と食べ過ぎて反省するのはいつも通りであった。それでも、穴子は鰻に負けない健康食品の上、鰻より高蛋白、低カロリーでコレステロールや中性脂肪にも良いらしい。

だが同席した我が同僚は、翌日の昼の会食に呼ばれて行った場所が、日本橋の鰻料理屋「大江戸」だったそうである。穴子を腹いっぱい食べた半日後に、鰻のフルコースと聞いた時は、流石にグルメの彼もぎょっとしたそうだ。

一方、思いがけぬおみやに大喜びしたわが妻は、「穴子のちらしは初めてだったけど、こんなに美味しいちらしは生涯ベストスリーに入る」とあっという間に平らげてしまった。「ちらしで思い出したけど、九段の寿司政のちらしを食べに(これが彼女のベストワン)はいつ連れて行ってくれるの?」と思わぬ発言にぎょっとなったのであった。そう言えば数年前、寿司政のちらしをおみやで持ち帰り、同じく狂喜乱舞した妻に「そんなに美味しかったら今度連れて行ってやるよ」と空手形を切ったのだったか?

2009年4月24日 (金)

金融商品・売り手の責任

今回の経済危機の反省から、資本主義・市場経済を本来これらが内包すべき禁欲的なものに戻し、市場の運営には細心の注意をはかるべし、という論があちこちで発表されているようである。2月18日のブログでアップした中谷巌の新刊「資本主義は、なぜ自壊したのか」(集英社)もその一つであり、本屋に行くと同じ様に今回の危機に関わる本が山ほど積まれている。

昨日の日経新聞の経済教室に、高安秀樹と言う「経済物理学者」が面白い提案をしていた。今や自動車や家電などの製造物はもとより住宅建築に至るまで、製造者・販売者は現実のデータと合わない様な仮のデータを基にして作った商品はとうてい販売できない。そうした製品に欠陥が見つかれば、製造者は厳しく罰せられる世の中であるから、メーカーは厳しい検査体制をとり、製品販売後も膨大なデータを管理分析している。

ところが金融商品は、「買い手の自己責任」という名の下、現実のデータと合わない様な欠陥商品が、何の検査も検証もされず世界中に大量に売られていたのであり、今回の危機はおこるべくして起こった人災であると云う。自己責任が強調されればされるほど、その商品に関する科学が未発達で、分析管理技術が確立されていないと、高安氏は「経済物理」の観点から指摘をしている。

そう言えば大学の経済原論で学んだ「近代経済学」は、「 もし個人が欲望を最大限に満足しようとする社会であるなら 」などと現実社会では必ずしもそうではないモデルを前提にして構築されていたが、常に限定された条件の下で理論を研究する経済学の手法が正しいのか。今回の金融・経済危機をみるにつけ、「 経済学は学問として成り立つものなのか 」と言うのは、物理学科を出た妻の感想である。

高安氏は,今やすべての金融取引が電子化されコンピューターで管理される社会であるから、これらからあらゆるデータを集めて欠陥がある金融商品を選別し、今後売り手側に金融の欠陥商品を作らせない様に責任を持たせる他、金融商品の取引を検査・看視する仕組みを作れと主張している。金を増やしたいと言う人間の欲望にはきりがないのだろうが、貯蓄から投資へとお金の動きを変えるためにも、ここは禁欲的で厳しい体制を取り、この様な危機が再度起こらないシステムを構築して欲しいものである。

2009年4月23日 (木)

ケン・グリフィー・ジュニアー

NHKの朝のニュースで、シアトル・マリナーズが今年は好調にアメリカン・リーグ西地区を戦っている事を告げている。好調の原因は、メジャー・リーグ初の日系米人監督の采配に拠るところが大きい様であるが、もう一つ”ケン・グリフィー・ジュニア”の再加入も見逃せない。

かつてマリナーズの中心選手だったグリフィーがシアトルを離れて9年、この間彼はシンシナティ・レッズでプレーしてきたが、シアトルの人達の熱望に答え、(多分)現役プレーヤーとして最後の地と決めて、今年シアトルに戻ってきたのだろう。

かつて私がシアトルに駐在していた頃は、投手のランディ・ジョンソンと共に、グリフィーが打の中心としてチームで活躍していた時代である。彼が打席に入る際「センター・フィールダー、ケーーン・グリフィー~・ジュニアー~」とアナウンスされると一挙に本拠地キングドームが盛り上がったものだ。

1995年キングドームが老朽化により取り壊しが決まった際、代替の球場の建設のめどがつかずマリナーズがシアトルから移転する話が持ち上がった事がある。ところがその年の終盤、グリフィーの大活躍でマリナーズはア・リ-グの地区優勝を果たし初のプレー・オフに進出したのだが、そんなマリナーズ躍進に押されて、現在のセーフコ・フィールドが建設される計画が本格化したと云われている。そんな事から、シアトル市民の多くがシアトルに球団が存続している功労人として、グリフィーの復帰を心から望んでいた事は間違いない。

かつては米国西北部の辺境の地で、材木の集散と毛皮交換の小さな港町だったシアトルであるが、グレートノーザン鉄道が線路を伸ばし、日本郵船が太平洋航路を開設した事でこの町は一挙に発展した。グレートノーザンはシアトルの父、日本郵船はシアトルの母と今でも言い伝えられているが、グリフィーは言ってみればシアトルの兄貴の様な存在なのであろう。

2009年4月22日 (水)

神田川・その後

昼食に入った定食屋で、ぶりの照り焼き定食を食べていると、有線放送から、かぐや姫の「神田川」が流れてくる。何を隠そう、私はこの貧乏くさい歌が嫌いなのである。

その昔大学に入学した当初、地方から上京してきた新入生達は、受験疲れか蒼い顔色をしていた。それが夏休みを過ぎる頃からか、東京で育った私が知らない様な六本木やら原宿の話題を、彼らの何人かが声高にする様になってくる。と思うまもなく、女の子との付き合いを彼らは自慢しだし、2年生になるとやはり地方出の短大生などと、当時はやった「同棲」をしている輩がいたものである。硬派オクテの私などは、田舎から出てきた彼らが瞬く間に変身して、女性と暮らしているのを見ると羨ましくもあり、また「自分はしないし、できない」と反発心も混ざった複雑な気持ちだった事を思い出す。そんな「同棲世代」の気分をこの歌がうたっている事が、当時から私にはなんとなく疎ましくて嫌いだったのである。

さて貧乏くさい同棲カップルがそのまま結婚し、50年目の銀婚式を迎え、60歳の還暦の頃を振り返ったらどんな事になるのだろうか、などと「ぶり照り」をつつきながら、つらつら考えたのが ”神田川・その後”である。


”貴男はもう忘れたかしら、赤いチョッキをもらったことも
 二人で行った横丁の居酒屋、一緒にたべようと言ったのに

 いつもあなたが食べてしまう、残った唐揚げ芯まで冷えて
 小さな入れ歯カタカタ鳴った

 私は、貴男の匂いを嗅いで、加齢臭ねって言ったのよ

 この前の還暦何も怖くなかった、ただ貴男がぼけるのが
 怖かった ”

2009年4月21日 (火)

にぎやかな天地

宮本輝の「にぎやかな天地」(中公文庫 上・下巻)を読んだ。食物の発酵に関連する主人公の仕事を通じて、人間の生の有様や、生と死の問題を緩やかな筆致で描いた長編小説で、爽やかな読後感を得た。

小説の中で作者は、生理的な意味で生物が死んだ後も酵母などの微生物が繁殖し、発酵というメカニズムを通じてその死が有用なものとして利用されて行く過程をつぶさに描いている。その事を通じて、生体の衰えや死は 「生」 の対極にあるのでなく、「死」 は 「生」の延長でもあり両者は一体になっている、と云う思いをゆったりと読者に伝えている。

この小説では、主人公の青年の生き方や、その周りに起きる出来事を通じて、人生に於いて何がしか踏み出せば、その行為がいつの日か意味を持つ事がくる、と言う作者の考えが表されている。そしてその様な生の発露は、衰え・死・別れと一線を画した物でなく、生のかなたに死が水平的に発展していくと云うのが小説のモチーフになっている様だ。

文庫本の後書きで、著者は 「大きな災厄が起こったとする。その時の悲嘆、絶望、憤怒、慟哭というものは、未来を断ち切ってしまうかに思われる。だがその悲しみが、五年後、十年後、二十年後に、思いも寄らぬ幸福や人間的成長や福徳に転換されていったとき、私たちは過去の不幸の意味について改めて深く思いを傾けるであろう。」 「冷静な視力で過ぎ去った過去を長い時間で見るならば、不幸が不幸のままで終わったという事は少ないのだ。」と生の意味について書いている。

実は若い時分、この作者の小説を読んだ事があったが、当時はまだ若気の至りか、筋の展開が冗長だと思ってあまり興味を持たなかった。ところが数年前テレビの対談番組で 「人間の業」 に関する作者のコメントを聞いて感じるところがあり、最近、本屋の店頭に並んでいたこの本を手にしたのだった。宮本輝といえば、どちらかと言えば女性の読者が多い様だが、この悠揚の小説を読んで私自身が面白かったと感じたのは、私が加齢と共に内面的にも少しは変化しているのか、と思ったのだった。

2009年4月20日 (月)

グリーン・アロマ

妻がサントリーモルツの「グリーン・アロマ」という、期間限定醸造のビールを買って来た。メーカーのホームページによると、コンビニでの限定販売とのことで、あちこちのコンビニを探した挙句、滅多に行かないサンクスにやっと売っていて目を輝かせて帰ってきた。

私などはビールなら何でも美味しいと思う方なので、銘柄にはそれ程拘らない。とにかく冷えたビールを、汗を書いた後にがぶがぶ飲めれば幸せを感じるのである。尤も先日アルコール度数が高いのに惹かれて”第三のビール”を買って、流石にこれはビールとは別物だと思ったのだが・・・・。

しかし妻はこれと決めたらしばらく同じ銘柄を買い続ける。彼女の現在の拘りはズバリ、麦芽100%こそビール。日本では麦芽67%以上を酒税法上もビールと呼び、口あたりを良くするため、副原料である米やコーンスターチが入ることが多い。しかしビールの本場ドイツでは、1516年に定められたビール純粋令により、麦芽・大麦・水・ホップ以外が混ざっているとビールとは言わないそうだ。

ということでここ数年、彼女はその純粋令に忠実に「エビス・ザ・ホップ」を常飲していた。女のこだわりってやつか? ところがこの4月、キリンの「一番搾り」が製品リニューアルして麦芽100%になったのを機に、彼女も「一番搾り」に乗り換えたのだが、生意気にも「残念だな~、これはあまり個性がないかも」と最近はつぶやいていた。

そういう背景で、コンビニを探し回って手にいれた「グリーン・アロマ」なので、「流石ドイツのホップだけあって香りがいい」らしい。ただ、彼女は若い頃は米たっぷりの「バドワイザー」に凝っていたこともあるらしいから、本当に味をわかっているのか、わかったフリをして楽しんでいるのか私にはわからない。

それにしてもアメリカのコス(ト)コなどへ行くと、ビール1ダースが8ドル位で売られていて、「一本は百円しないじゃないか」とびっくりしたが、「こだわりのビール」はそれなりに高くつくものだ。ただ、その方が味わってゆっくり飲むので、健康に良いかとも思うのである。

写真は限定「グリーンモルツ」と新「一番搾り」
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2009年4月19日 (日)

慶應義塾発祥の地

昨日東京港・晴海の客船埠頭にイタリアの大型客船が初入港すると報道されていた。休日で特に予定もなかったので、妻と見に行こうかと言う事になったが、どうせなら週末に一緒にしているジョギングを兼ねながら晴海まで足を伸ばしてみる事にした。さっそく地図を引っ張り出してみると、我が家から客船まで片道で10キロ弱、天気も良いしこれなら一時間もあれば着くだろうと、コンパクトデジカメを片手に妻と走り始める。

ただ晴海の客船埠頭に行くには、晴海通りを通って勝鬨橋を渡るのが一番便利なのだが、このルートは銀座のど真ん中を横切る事になる。東京マラソンではあるまいし、週末の白昼に、銀座をカップルでランニングパンツ姿で突っ走るのも何かと気恥ずかしい。なのでこの地区をちょっとずらして、築地方面に迂回し勝鬨橋の直前を晴海通りに出るルートをとる事にした。

築地地区は明治維新の頃は外国人居留地、由緒正しそうな旧跡があちこちにあって、ジョギングしていてもそれらに興味が湧いてしばしば立ち止まる。そういえば慶應義塾発祥の地もこの辺りだったと路傍の案内図を見ると、走路のすぐ間近、現在の聖路加病院の横にある事がわかった。急遽、妻とそこへ走って行って写真を撮ったのがこれである。

そういえば福沢先生(慶應では先生は福沢諭吉だけで、どんなに高名な教授も公式では君付けである。休講の際の掲示は○○君休講となる)の命日にお墓参りをすると留年しないと言われていたので、大学時代、超低空飛行だった私は、何回か麻布の福沢先生のお墓に行った事があったが、写真で有名な学校発祥の地を訪れるのは、今回が初めてである。碑の傍らの1858年福沢諭吉の学塾がこの地で開設され、それが慶應義塾になったと言う簡単な説明を感慨深く見たのだった。

こんなにすぐそばで毎日仕事や飲食をしていながら、まだまだ知らない事が沢山ある。好きなクルーズ船を見たい為にここを偶々通過するのも、何かの縁かと少し幸せな客船見学ジョギングであった。
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2009年4月17日 (金)

イチロー日本記録

イチローが張本勲の持つ3085安打を超える記録を打ち立てたが、昨日はプロ野球の加藤良三コミッショナーが「偉業だけど単純比較はできない」とややこの記録に水を指す様な発言をした事が報道されている。年間の試合数や球場の広さなど環境が異なる中で、日米の記録を通算する事に意味を問う声もある(17日付け日経新聞)と云う。

おや、日本では王選手がハンクアーロンのホームラン世界記録を抜く756号を打った1977年には「世界最高記録」と大騒ぎになったではないか。あの時日本のメディアやコミッショナーが「彼我の球場の大きさなどを考えると、これはアメリカの記録と比較はできない」と言う様な事を言った事は、ほとんどなかったと記憶している。翻って今回アメリカで日本人選手が日本記録を達成すると「日本最高と比較できない」と言うダブル・スタンダードの様な意見が出てくるのは、世知辛くなんともみみっちい。

スポーツは水泳や陸上の様な競技でさえ、まったく同じ条件などと言う事はない。ましてや相手が変わる団体スポーツや球技では、条件は都度大きく違うのは自明の理だ。アメリカのボールパークは両翼やファウルグランドが左右まったく対称でない処も沢山あって、そのために左打ち右打ちなどホームゲームに有利な打者を集めたりするチームもあるほどである。そんな事はわかった上で「記録を集め比較する」のもベースボールの楽しみの一つと言えよう。イチローの記録が日米通算した上での記録であっても、日本単独よりむしろ価値があると思うし、偉大な記録である事には変わりない。日本のコミッショナーは「日本最高記録」として認めてはどうだろうか。

毎日、通勤電車内の予備校の広告を見ていると、東大を始め有名大学の入試突破者の数を競って喧伝している事が判るが、日本中の予備校の”合格実績”の数字を合計すると一体東大の入学定員の何十倍の人が受かった事になるのだろうか、などと数字のお遊びを見ているうち、イチローの記録くらいは素直に称えたいものだと思った。

バルクキャリアー 2009-04-18 10:34:19

例えば、いつも東大というチームがいる東京六大学リーグと、二部落ちの危機と常に戦っていり東都リーグでは、記録の比較は難しいでしょう。でも江川も抜けなかった神宮48勝の山中の記録や、田淵を抜いた高橋由伸の23号本塁打などは快挙といってよいでしょう。

野球の記録は、環境や相手で左右されるものという前提で、イチローの記録を喜びたいと思います。

王さんのときも 2009-04-18 08:14:31
「世界記録には違いないけど、日本は球場ちっちゃいからね」みたいな発言は、よく聞いたなぁ、と、当時小学生だったころを思い出します。称える人もいて、難癖つける人もいるのが常かなぁ~って気がします。

小学校英語必修化

週刊誌を見ていると、藤原正彦と言う数学者が「小学校の英語必修化に大反対」と言う「特別読物」記事を書いている。なんでも日本国内では、英語を使う場面がないから難しい英語を覚える必要性がない、それなのに限られた時間を英語に費やすのは、壮大な無駄であると氏は言う。国際化とは教養の問題であって、英語をぺらぺら喋る事ではないと主張している。

長年、英語で苦労してきた私は、そうであろうか、と記事を読みつつ疑問を感じる。英語は「道具」なのである。日本はテキサスの片田舎にあるのでない。食料もエネルギーも海外に依存し、経済的にももちろん、人的にも国際化しつつある日本で、英語に一生無縁などでいられる訳はない。そのコミュニケーションに関わる「道具」の使い方は、それが難しければ難しいほど早期から身に着けておく必要があるのではないか。いくら立派な事を考え、うまいやり方を知っていても、それが表現できなければ国際化の中「ただの馬鹿」である。英語がその表現の「道具」なら、その分他の教科の時間を削っても、「道具」の扱い方を教えると言うのが、教育の本旨だと思う。英語はいってみれば運転免許の様なものではないだろうか。

年下と見られる外人と話す際、「 俺はこいつより経験も知識もあるのにな、もっと気の効いた表現ができたらなあ。もっと相手の言っている冗談までわかったら、うまくやり返してやるのに」と切歯扼腕する事しばし。英語は早くからもっと密に、例えば「鉛筆」を見たら「えんぴつ」→「ペンシル」と云う約すのでなく、英・日2つの単語が同時に頭に浮かぶ様になるまで、教育をすべきと私は考えている。

中味でなく、道具立てでハンディを感じるのが一番くやしいではないか。

バルクキャリアー 2009-04-20 20:35:15
やすこさん、コメントありがとうございます。大学を出るまで英語をおろそかにしてきた私は、社会人になった当初は本当に苦労しました。今でも冗談をネイティブと交わして笑っている人を見ると羨ましくなります。ですからクルーズではコメディのショウや腹話術はパスです。

私も現在、毎日10分ほどボイス・オブ・アメリカなどを聞き、経済原書を10分位読み(10分で眠くなって止めてしまいます)、30分くらいは仕事で英文メールをこさえていますが、それでもいつも「もっと聞けたら」「もっと旨くしゃべれたら」と悔しく思っています。

妻は現在まったく英語に縁遠い職場ですが、いわゆる「帰国子女」のはしりで、ネイティブ(特にイギリス系)の言っている事は私よりもはるかに良く理解しています。(それでもトラブルの際やレストランの予約は男の仕事と信じていて、私が主に交渉させられますが・・・ )

そんな訳で、英語は小さいうちから無理にでも学習すべし、と思っています。


やすこ 2009-04-20 09:05:31
賛成です。
日本の英語教育は読み書き文法が主で会話をするための手段としては教えられていませんよね。
私はわりと英語が好きで専門学校へ行きました。
そこではミシガン大学のヒスパニック用の教材を使って授業がされました。
構文、繰り返し練習、発音、語彙の4冊のテキストを使いました。
すこし合わない部分もありましたが、これが私のにとって良かったのだと思いますが、
その後英語を使う仕事を1年くらい集中的にしたお陰で話す基礎が出来たと思っています。

よく人に習いたいと言われるのですが、英語は耳と口のトレーニングだと言って繰り返すように言うのですが、
「はい」と言うだけなんです。
それと難しい文章ばかり話そうとします。
最近は「習いたいで習わないんでしょ」ともう開き直りました。

確かに日本人は日本語で考えてそれを英語にしようとしますね。
短いフレーズを丸覚えすることの積み重ねで身に付くと思うのですが。
子供のころからこれをすればきっと英語オンチがなくなるのではないでしょうか。
私ももっと早くから習えばよかったと感じます。

「日本人なのにどうして英語がそんなに話せるの?」などと他のアジア人にいわれて情けないです。

2009年4月14日 (火)

別府で思ったこと

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先般の新造船の竣工式の前泊・前夜祭は、別府湾を望む温泉ホテルで行われた。東京から着いて温泉で一風呂浴びてほっと一息、前夜祭の開かれる時間までホテルの窓から外を見ていると、駐車場に大型観光バスがやって来る。別府と言えば、九州の一大観光拠点、このホテルには韓国からの一行も含め、ツアーの団体客が多い。

湯上りの缶ビールを片手に窓外の景色を見ていると、到着した観光バスのうち何台かの運転手やガイドが、モップやバケツを出してきて、バスの洗車を始めている。運転手はバケツに石鹸水で前面ガラスやボディを、ガイドは客室の窓ガラスを懸命に掃除する。何日かで九州を廻るバス・ツアーなのだろうか、今日は明るいうちに宿に到着したので、この時間を利用して運転手やガイドが洗車しているのだろう。

この作業が、彼らにとって義務なのかどうなのかは良く判らないが、丁寧に洗車している光景を見ていると、これが日本の産業の強さなのだな、とつくづく感じる。かつて中国でセメント工場始め幾つかの工場を見学した事がある。また中国の船のエンジン・ルームを仕事がら見たりするのだが、彼らの職場の環境や衛生に関する無関心さに驚いた。使わないラインは埃だらけ、新聞紙やスイガラがあちこちに落ちていたり、工具が散らかっていたりする。率先して職場をきれいにしようなどと言う意識はない様である。

「こんなに職場を汚しても平気なら、一体彼らの家はどうなっているの?」と聞くと、家の中はきれいにしていて、ゴミは公共の場に捨てても良いのだと云う。どうも「公と私」の基準が我々日本人と少し違うらしい。日本製と中国製のテレビ受像機の内部を見ると、同じ様に見えても日本製は見えない部分がきれいに造られているのに、中国製は見える部分はそれなりだが、ハンダ付けなどはなっていないと云う話を良く聞く。

自分の職場であるバスを黙々と洗う運転手やガイドをみるにつけ、日本の職場の”改善””整頓”などの良き規範はまだまだ生きていて、製造業全体では彼我の差は縮まる事はありえない、と安心するのであるが、これは"一時が万事"と言う事を敷衍しすぎであろうか? 日本船の機関長は、「職場をきれいにしておけば油が漏れたらすぐわかる、だからエンジンルームはきれいにする」と言う。クラフトマンシップが根付く日本の現場は、まだまだ安泰だと思ったのである。

2009年4月13日 (月)

健康診断

会社員だった頃は春・秋に定期健康診断があったが、自営業者は自分で検診を受けなければならない。なので年に1度日帰り人間ドックに行く事にしているのだが、会社のお仕着せでなく、ドック時期をいつにするか自分で決めなければならない。ある年、お正月明けなどは接待がなくて肝臓も元気だから良さそうかと、1月早々に受診した事もあったが、この時は皆がお正月で飲んだり食ったりする事を横目に大人しくしているだけで、結構寂しい思いをしたのでこれは止めにした。夏休みシーズンもどうも検診という感じではない。で、今年は思い切ってゴールデン・ウイーク直前に日帰りドックを申し込んだ。その日までは節制して、ゴールデン・ウイークは好きなだけ飲み食いしてやろうと言う魂胆みえみえである・・・・。

ドックの数週間前から節制モードになって、好きな酒を減らしたり菜食主義になると言うと、ひそかに「オレも実は 」と心当たりのある人がいるかもしれないが、私は常々、そうすると広言しているのである。大体の人は「 普段通りやって計ってもらうから意味があるので、そんなに節制したら意味ないじゃない 」と至極まっとうな忠告をしてくれるが、「試験の前の一夜漬けと同じで、その日の成績が良ければその後一年心置きなく酒が飲め、旨いものが食えるから一時の辛抱さ」などと理屈にもならぬへ屁理屈を並べてうそぶいている。まあ何もやらないよりは年にいっときは酒量も押さえ、食べ物を注意しようというのは、何もしないより少しは良いかと思っているのだが、これが結構辛い。

さて今日は、そろそろ検診の2週間前になろうかという日である。昨週初めには禁酒日を週に1回から2回へ、酒の量も一日に缶ビール1本に日本酒1合程度に抑えた上、食事も粗食で3週間を過ごそうとの固い誓いを自分に立てた。ところがこの処の好天気続きである。勤務が終わって生暖かい春の風が頬をなで、思い切りジョギングをして充分汗をかいたりすると、うらめしいかな、旨いつまみを肴とビールが強烈に欲しくなってくる。何才の頃からだろうか、陽気が良くなるとビールの味がより恋しくなるという回路が私の脳の中で、固く太く出来上がっているらしい。しかし一旦立てた誓いはそう簡単には破れない、今日は禁酒で粗食と決めた日は、しょうがないから三ツ矢サイダーなどを買って、食事前に1本がぶ飲みして、腹を膨らませ、あとは禁酒と野菜中心のご飯を腹7分目くらいにしようとするのである。これでは、禁酒する事が却ってストレスになりそうだが、三ツ矢サイダーだけは自分へのごほうびと考え、飲みながらつぶやく。「これは体に良い飲みものだぞ、なぜなら、みっつ野菜ダー」

今日は、勤務から帰った妻が、サイダー腹になった私の横でうまそうにビールを飲んでいる。いかん、来年からは、ビールが旨く感じるこの時期の検診をやめて、やっぱりもっと寒い時期にしようかと、反省しきりのこの頃である。

バルクキャリアー 2009-04-19 09:16:29
かえるの母さん、

是非、ラン・スカを買ってみたらいかが。妻に進めるも断固として拒否され続け中。

カエルの母 2009-04-18 22:27:50
私も明日ランナーズショップに行ってあれこれ買ってきます。

まずは形からだからね。

あ、でも今日食べ過ぎたから太いサイズしか入らないかも・・・1サイズ小さいのかったほうがいいかな。

Husbandは「おえ、下向くだけでもゲロ吐きそ・・」と言ってます。

院長 2009-04-14 00:08:53
兄上さま

私目も本日から、すっかりメタボチックになったお腹と、更に来月の駅伝へ向けて

仕事後の外食を止め、そそくさと帰宅し、ジョギングを始めました・・・。

独立開業以来、すっかりご無沙汰していた運動を久しぶりにおこない、気持ち良さとともに日頃の不摂生を痛感しました!!

明後日にはチームTシャツを発注する予定です(相変わらず、形からを大切にしています!)

兄上・姉上のシャツのサイズを教えて頂けないでしょうか?ちなみにメーカーはNIKEです。

よろしくお願い致します!

2009年4月12日 (日)

神宮・My corny and seedy time

東京六大学野球の春のリーグ戦が開幕、春の陽気に誘われて恒例の神宮通いが始まる。グランドでプレーする選手は毎年変わるが、球場全体に流れるゆったりしたムードが心地良い。そういえば私の学生時代には、各校それぞれに熱狂的応援オヤジがいて、応援団とは別に自家製紙ふぶきなどをまいて懸命に応援していたものだが、そんな名物オヤジもいなくなっって久しい。昨日は、ハンカチ王子の登板で結構観客が入っていたが、客席を見回すと若い世代よりも、定年後だろうか、静かに一人で見学している様な男性客の姿が多い。そんな客層と耳慣れた六校の校歌・数々の応援歌の名曲が、プロ野球や高校野球と違った独特の神宮の雰囲気をかもし出す。これから高齢化社会を迎える日本を象徴する様な感じでもある。


近くには往年の名選手でプロで活躍したOBなどもちらほら見る事があり、そんな人達同士の会話が時々聞こえくる事もある。さりげなく往年の大選手の解説などを生で聞けるのも、神宮観客席の余禄である。

さて、私にとっては昭和40年代初めの山中ー田淵の法政バッテリーがこれまであまたの選手の中で最も印象に残っている。やさ男・美少年風の小柄な山中投手の神宮48勝の記録は未だ破られれていないが、それを受けるキャッチャー田淵は長身痩躯 ( その頃は痩せていた )。 でこぼこコンビがさっそうと早稲田の強力打線を抑える姿は、青春の熱き心を燃え立たせてくれた。 田淵の打つホームランはまるでピンポン玉の様に高い放物線を描いて、まだ草が生えていた神宮球場の外野席に飛び込んだものであった。後年タブチ君などと漫画でその太ってしまった体躯を笑われようとは、想像もつかない時代の事である。谷沢・荒川の早稲田も強かったし、山下大輔の頃の慶應3連覇はなんと言っても興奮した。その他江川の快投、なんとか江川にくらいつく島岡監督率いる明治などなど目をつぶれば、幾多の名選手の姿を思い出す。今もリーグの試合を観戦していると、いろいろな局面で、かつてあの選手がこんなプレーをしたなと、名場面が頭をよぎる事も多い。

さあ今春は、どんな選手が出てくるのかどんな展開になるのか、これからまた8週間、早慶戦でリーグが終了するまで、何となくそわそわと落ち着かない日々が続く事になる。

2009年4月11日 (土)

安全祈願式

1月13日に進水した船( 同日付けの”軍艦マーチのお仕事”にアップ )の2ヶ月に亘る艤装工事が終了し、昨日、九州の造船所から船主に引渡されたので、その竣工/引渡し式に参列。春霞みの豊後水道へ本船が処女航海に旅立つのを見送る。

当日は朝一番から造船所の事務所で、船主から造船所に建造代金が支払われている事を確認、所有権の移転に関する諸書類のやり取りが行われたのだが、この辺りは不動産の売買・引渡しと同じである。で諸書類のサイン・交換などが済むと、岸壁に繋がれたピカピカの新造船内を見学した後、本船のブリッジに祭った海の神様・金毘羅神社の祭壇で安全祈願式を行う。

パナマ籍でフィリピン人が乗り組む本船だが、実質日本船なのでここは日本の神様がこの船の守り神になる。フィリピン人クルーは、キリスト教像やマリア様の写真などを部員(一般船員)食堂や自分のキャビンに祭ったりしているので、船内は神仏混交の状態といえばそうなる。フィリピン人船長がぎこちなく玉串奉奠に参加するのは少々違和感がなくもないが、まあ日本は古くから神仏混交でやってきたから良いかと思う。でも唯一絶対神を信仰するキリスト教の立場からみたらどうなのだろう、などと余計な事をいつも想像してしまう。

さて陽春の海を背に船出までの間、しばらく時間があったので後部デッキに佇み海を眺める。この船が一つの製品として完成して「生き船」になり、今後長い間いろいろな国や人々が必要とする物資を運ぶのだが、ここまで来る数年間に、私なりにこの船に関わり、参加してきた仕事がここで一段落したわけである。実際の営業や現場に関係したオペレーションの事はもとより、契約事項さらには係争案件などでもそうなのだが、何か一つの仕事が一段落してホッと一息、本船のデッキに立って光り輝く海を眺める一瞬が私は好きである。たとえ大きなトラブルがあって訪船したとしても、その仕事の目処がついた時にこうしてデッキから海を見ていると 「 ああ、この仕事を選んで本当に良かったなあ 」といつも思うのである。

写真は、ブリッジの安全祈願式展
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2009年4月 9日 (木)

時差ぼけ

若い頃は、欧米に出張に行って時差ぼけを感じても、帰国後大体2日もすればもとに戻った。しかし今回は日曜日に帰国後、水曜日になってもまだぼけている様だ。米国西海岸と日本の時差は16時間(8時間)。日本の朝7時は現地時間午後3時、朝はすっきり目覚めるのだが、仕事中の午後3時頃に強烈な睡魔が襲ってくる。考えてみればアメリカでは夜11時だから眠くなる訳だ。で、帰宅して夕食をとると、いつの間にか気絶した様に深く寝ていて、深夜に ”朝のおつとめ”がやってくる。

そういえば、帰国してから軽い風邪を引いてしまった。歳をとってくると適応の速度がおそくなってくるのをひしひしと感じる。

2009年4月 7日 (火)

クルーズの必携品

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これは毎回クルーズに持参する双眼鏡である。以前使用していたもう少し大型の双眼鏡が壊れたために、2年程前に秋葉原の大型電器店で購入したのだ。倍率12倍の国産品で、値段も1万数千円して望遠鏡としては、高い部類に入る。

購入の際、この大型店では、あまりにも多くの双眼鏡が売り場に並んでいたので、どれにしたものかはたと困り、店員にどれが良いのか尋ねると「景色を見るなら8倍から10倍で充分、それ以上になると手ぶれして、却って見にくくなる」とのサジェスチョンがあったのだが、海上から遠くを眺めたかったので、やや無理かなと思いながら選んだものである。

ところがやはり国産有名光学メーカー品の良さなのだろう、画面が明るく思ったほど手ぶれしないのでとても見やすい。お正月のにっぽん丸グアム・サイパンクルーズでブリッジ見学の際、大型の業務用と見比べてみたのだが、同じ12倍でそれほど水平線の彼方の物の見え方に差がない事がわかった。小型軽量で、いつもクルーズには持参している必携品である。

なおこの他、船内では運動不足になると思い、「ビリーズ・ブート・キャンプ」のDVDをいつも持参するのだが、船内での活動が忙しすぎて結局こちらの方は、大体見ずじまいである。

2009年4月 6日 (月)

日本人コーディネーター

今まで乗船した外国船の中には、日本人コーディネーターが乗っている船もあったが、1週間ほどのクルーズ中、先方から特段コンタクトもなく、またこちらもそんなものかと思っていて、特に接触したりお願い事を頼んだりはしていなかった。なのでサファイア・プリンセス乗船の際も、乗船確認書が代理店から届いた際、コーディネーターが乗船するという案内書きがあったものの、特に気にはしていなかった。

ところがロスで乗船してキャビンに入ると、テーブルの上にはコーディネーターの自己紹介と、日本人向け船内説明会を出港直後に開く旨の案内状が置いてあったので、早速それに出席する事にした。コーディネーターの彼女は、まだ若いものの要領よく説明を手短に行い、翌朝は船内各所を案内してくれたが、これがポイントを得ておりその後の船内生活に大いに参考になった。

毎日の船内紙 (PRINCESS PATTER) の翻訳は、細大漏らさず途中から英語の本文を読むのを止めてしまっても何の問題もない程である。航海日・上陸日の居場所なども良く判り、そのメリハリの効いた仕事ぶりに関心した次第。 私たちは船内に8箇所もあるレストランの予約を彼女にお願いしたところ、予約状況の確認報告なども確実で、若くても仕事に責任を持って取り組まれる方がいるのだと、大変心強く思った。なんでも日本人乗客がいる時には、日本の代理店から派遣されるそうである。

いろいろもっと内輪話や船の事を聞きたいと思って、無理を承知でディナーの席へご招待したのだが、彼女は固辞した。今から思えば、すべての日本人客に平等に接する必要があるのかも、と却ってお誘いした事が迷惑だったかと反省している。

とにかく日本人コーディネーターが優れていると、船内の快適さ便利さも格段に向上する事がわかった。プリンセス・クルーズが日本人にポピュラーな一因が判った気がしたが、日本人コーディネーターの存在をもっと大きく会社はアピールしても良いのではないか。(アンケートにはその旨書いて提出した。)

2009年4月 5日 (日)

クルーズの薦め

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今は4月4日の明け方、サファイア・プリンセス号はロサンジェルス沖サン・ぺドロ水道を港の入り口に向かって静々と進んでいる。いつもクルーズの最後になると感じるのだが、1週間以上過ごした船や自分のキャビンは心地よい我が家の様になってしまい、下船してしまえばもうここに戻って来れないのか思うと寂しいものである。今日の夕方には、この部屋に違う誰かがいて、また同じ航路で次のクル-ズを楽しんでいるわけであるが、それぞれの乗客にとってクルーズの1週間は特別な1週間なのである。

そういえばにっぽん丸では、リピーターが乗船する場合は「おかえなさい」と声をかけられて嬉しいが、今回の乗船で、我々もプリンセスクルーズ社乗船者の会のメンバーになり記念のバッジをくれた。8日前の乗船の際、これをつけている人にはクルーが「ウエルカム・バック」と声をかけていたが、そういう事だったのかとわかった。

毎週、毎週クルーにとっては同じ事の繰り返しなのだろうが、とにかく世界各国から集まった1000名以上のクルーは笑顔で良く働いている。アメリカで陸上や飛行機で普通の旅行をしていると、1週間のうちにはホテルやレンタカー会社のお馬鹿な従業員に出会うし、飛行機の遅れなどもしばしばで、イライラする事も多い。それに比べると船旅はなんと楽チンで心地よいものか、といつも思う。3000人もの乗客は、いわゆるアメリカの中産階級の人たちで、「このいかれぽんちき」と思う様なパンクや怖そうなおにいさん、おねえさんもいない。

こんな楽しい旅が、何故か日本では「セレブ」であるとか「堅苦しい」とか「退屈」であるとか言われるのだが、欧米の文化であるクルーズが日本に定着するまでには、まだしばらく時間がかかるのだろうか。もっとクルーズの輪が広がって、友人や親戚など複数の家族で乗ってみれば、色々な船内活動やショア・エクスカーション(上陸地のオプショナルツアー)もバリエーションが広がって楽しいと思うのだが…。しかしこんな旅の楽しみを、他人と共有したい気持ちもあるし、当分の間は知っている人たちだけで密かに遊んでいたい、とも思う複雑な心境である。

追記:原稿は船の中、現在は空港のラウンジから書き込んでいるが、アメリカの空港のストレスを考えると船旅は何て楽なのかと、改めてその快適さが身にしみる。

バルクキャリアー 2009-04-19 20:32:28
やすこさん

こんにちは。職場の仲間や友人にクルーズの楽しさを説明しても、なかなか分かってもらえません。

外国船のダイニングで、隣り合った同士が情報交換しているのを見ると、とても楽しそうで羨ましくなります。日本でももっと皆が乗るようになって、選択肢が広がると良いですね。

これからも宜しくお願いいたします。


やすこ 2009-04-19 18:12:03
初めまして

藤原さんの掲示板から来ました。

まったくその通りでご意見に賛成です。そう思って人に声を大にしていうのですが、

マスコミの世界一周2000万円、3000万円が一人歩きして、宝くじが当たったらとか、

定年退職したら、退屈じゃない?この3パターンです。

こんなにらくちんで楽しい旅はないのね。

これからも激安クルーズ専門でこんな費用で行けると頑張ります。

どうぞ宜しくお願いします。

2009年4月 4日 (土)

カントリーダンス

日本のクルーズ船の”飛鳥Ⅱ”や”にっぽん丸”などは、夜ダンスの会場に行くとダンスが上手そうな人たちばかり、それもシューズ持参で正式のダンスを踊っている人が多く、初心者の私などはダンスステージに行くのに気後れしてしまう。昨年”飛鳥Ⅱ”に8泊ばかり乗船した折は、夜のサロンでいつも定番の社交ダンスナンバーばかりをバンドが演奏するので、”ツイストアンド・シャウト”をリクエストして、やけくそでゴーゴーを踊り始めたら、そのうち結構廻りで見ていた人ものってきて、ステージは一瞬賑わったのだが、社交ダンスの常連さんからは「なんだあいつは」と云う白い目で見られたかもしれない。

その点、外国のクルーズ客船は気楽で良い。いつも船内の数箇所で夕方~深夜まで各種のバンドが演奏しているので、気軽に立ち寄って自分が踊れそうな音楽だけステージで踊れる。今回のサファイア・プリンセス乗船では、妻の協力よろしく船内のサロンで社交ダンスデビューを果たし、結構、我ながら上手に踊れて喜んだのは先にアップした通りである。

さて連日、かなり適当に踊っている外人カップルに混じって、練習の甲斐を見よとばかりステップを踏んでいる内に、なにやら自信らしきものもちらほら出てきた。こうなると”行け行けどんどん”の私である。昨晩は社交ダンスを突き抜けて「カントリー・ダンスの夕べ」に参加してしまった。アメリカのケーブルTVなどでは、一日中カントリーダンスばかり放送しているチャンネルもある位、こちらでは身近なものである。妻はやや尻込みしている様だが、今度はこちらが彼女をプッシュして会場のクラブに行ってみた。

さてそこでは、最初からウエスタンの衣装をつけてやる気満々の人もちらほら見かけるが、大半はやってみようかどうか自信なげな様子の人も多い。男女各1名の先生が、カウボーイハットをかぶって皆にステップを教えつつ、「怖がらないで皆で踊りましょう」「さあやって見ましょう」と盛んに壁の花たちをダンスの輪に引き込んでいる最中で、これなら私もできると感じて勇躍妻と2人でダンスの輪に加わった。いよいよ先生の指導で皆でダンスを始めてみるとステップも4~5種類くらいで、何とか先生の言う事や周りの動き見ながらリズムに乗ってくる。やがて、先生が「さあ、ここで女性が前に進みパートナーを交替します」と言うと、自信なさげなカップル数組がすすすっと抜けていくのは東西いずれも同じか、と苦笑する。

そんな訳で、生まれて初めてカントリーダンス数曲を習ってアメリカの女性と踊ってみたのだが、フォークダンスにも似ていて簡単で楽しく、なんだかこれからアメリカ船に乗ったらやみつきになりそうである。日本のクルーズ船の至れり尽くせりのサービスも良いが、大きな外国のクルーズシップに乗ると、船内で見るもの・遊ぶものが多すぎて時間が足りなくなってしまう。いつも読書しようと持ってくる本の半分も読めない程である。これからカントリーダンスにも参加となると、ますます時間が足りなくなってどうしようか、と悩むのである。
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2009年4月 2日 (木)

メルカードにて

サファイア・プリンセス号は、今日は古くからの港町マザトランに入港した。ここの旧市街(ダウンタウン)は雑然としていて、同じくスペインが治めていたフィリピンの町にどことなく雰囲気が似ている。何となく街をぶらぶら散策する内、大きな市場(メルカード)にたどり着いた。

みやげ物屋や日常雑貨品の小さな店を冷やかしていると、次第に生臭いニオイが漂うコーナーに突き当たる。一体この悪臭は何かと思っていると、そこは小さな肉屋が集まるコーナーであった。大した冷凍設備もない店頭には、大きな肉の塊が置かれていて、多くの店から出るビーフやポーク、チキンの臭いがこの一角のけもの臭さの原因の様である。そしてそこの中心部らしき場所には解体されかかっている丸ごとの牛1頭が置かれていて、その牛から各肉屋に肉が供給されている様であるが、その牛の姿は良くニュースで見るきれいに解体されて冷凍庫にぶら下がっている肉ではなく、何とも生々しい牛1頭そのものの姿で、食肉としてそがれた部分などが判る。良く見ていると牛の解剖実験の様で、気の弱い私などはそのムーンとした臭いも手伝って卒倒しそうである。それは普段我々が肉屋やスーパーで感じる事ができない「生きている他の動物の命を頂いて我々が生きている」という事を思い出させる直裁な光景であった。

近代技術の粋を尽くした清潔な客船から一歩外へ踏み出せば、そこは人間の生の営みが展開している世界であるのは何ともシュールな事である。そういえば我々日本人もここ数十年で、人間の原体験の様なリアルな世界を見ずに過ごす環境に住んでいる事を思い起こす。かつて子供の頃、田舎の民宿に行った時は「鶏の首を今から絞めてごちそうにしますよ」などと言われ、晩飯が何となく喉を通らなかった事もあった。また昔は水洗便所などなかったから、人間の排泄物と向き合う事も日常であった。大山街道(国道246号)などは肥溜めを積んだ荷馬車が時々通ってその後は悪臭がしばらく道端から消えなかったものである。西武線の電車が黄色なのは、貨物列車から肥溜めがこぼれても車両を洗う必要がないからだ、などと言う噂がまことしやかに流されていたのであった。

その他、怪我をして体中赤チンだらけで鼻水をすすっている子供や、おっぱいを赤ちゃんに含ませている母親なども街中のあちこちで見たものだし、お葬式なども普通は家で行われて、玄関に「忌中」と書かれたすだれが良くかかっていた。いうなれば良いも悪いも人間の生の営みがもっと身近にあって、そういう中で誕生、成長、生活、病気、死と言うような行為が日常的に行われていたのであろう。

今の日本は冷暖房の効いた部屋にいながら世界のあり様をネットやメディアで知り何となく世の中を理解した様な気になる。街には抗菌グッズが溢れ、介護専門の施設で過ごす老人が増え、綺麗ごとで日々が過ぎて行く様でもある。肉はスーパーでパッケージに入り、生きていた動物によって我々が活かされているという事を思い出す間もなく日常が過ぎていく。そんな生活は先進国のごく一部の人間だけが享受している世界なのだと言う事が、客船を降りて開発途上国に来てみて逆説的に感じるのである。

メキシコの小さな町の市場に入り、牛の解体を見るうち、このまま「無菌」の日本人が増えていったら、将来はどういう社会になるのだろうか、と言う思いが頭をかすめたのだった。
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2009年4月 1日 (水)

メキシコ初寄港

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生まれて初めて海外に行ったのは、今から30年以上前の乗船研修であった。当時は海運会社に勤めている陸上職の男子社員全員が順番に会社の船に乗って数ヶ月の海上体験をしたのだが、私は巨大タンカーやコンテナ船でなく、在来の小さな定期船(カーゴボート)で中米・カリブ海に行く事になった。入社4年目の事であった。日本からこれらの国に電気製品や工業製品のほか、おもちゃや衣類など今は中国で作られる物も当時は日本が輸出していた時代で、これらの貨物で小さな船は満船であった。

早春の時化模様の太平洋を2週間もかけて横断して、初の寄港地ロスアンジェルスに近づくと、入港の半日くらい前から、持参のラジオにアメリカの放送が段々鮮明に入るようになり、「ああ初めて外国に来たんだな~」と感激したものである。

さてその航海ではロスからメキシコのマザトランかアカプルコまでの、途中の積荷が予定されていたのだが、ロス入港直前に本社からその荷物がキャンセルになり、ロス出港後はパナマ運河まで直行せよとの指示が入った。当時の日本船は30人以上の日本人が乗り組んでいた時代で、皆一同に「物価の高いロスでなくメキシコではゆっくり上陸したいものだ」とがっかりした事を覚えている。

さてロスを出て数日後、アカプルコの沖を通過したのだが、その時は船長の粋なはからいで、キャンセルになったアカプルコ寄港の代わりとばかり、わざわざ船のスピードを落とし、航路を外れリゾートホテルや遊泳する人たちが望遠鏡で望めるくらいまで海岸に近寄ったのである。多分ログブックにはそんな離路などは記載していなかった事であろうが、おおらかな時代であった。

それ以来、メキシコは一度訪れてみたいものだと思っていたのになぜか縁がなく、ここまで来てしまった。今回はこの船のクルーズ先がメキシコ太平洋岸であると言う事で、かつて逃した上陸のチャンスを実現してみたいものだと思い、乗船したのである。

今日は、初めてのメキシコ中部の港、プエルトパジャルタに上陸しスペイン語が溢れる町を散策できて30数年ぶりの希望が実現した気分であった。いよいよ明日は、その昔寄港するかもしれなかったマザトラン入港である。

それにしても当時は、その研修が終わったら不況の海運会社をさっさとやめてしまおうかと考えていたが、ここまで永く海運業界に携わってくるなどとは夢にも思わなかった。色々な思いが蘇るメキシコ沖である。

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