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2009年3月21日 (土)

ボールパーク

アメリカで行われているワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で”侍ジャパン”のはらはらする試合展開に、最近は仕事中でもどうしてもテレビを見てしまう。と共にアメリカの野球場(ボール・パーク)の美しさに目を奪われるが、アメリカではボール・パークが、センター線を軸に外野の広さが左右対称に造られていない事に興味が惹かれる。

野球場は常に左右両翼が対称に造られている日本に対して、アメリカではなぜシンメトリーではないのか。もともとは、都会でボールパークを造る際、敷地の制限があったり、フットボールと共用しなければならない為にそうなったのだ、と聞いたが、最近出来た郊外の球場やフットボールのチームが使わない所も、シンメトリーにしていない処をみると、この問題はなぜか文化的な相違からきているのだと感じてしまう。

もともと、ベースボールは町の広場(Sandlot)で「遊び」として楽しまれてきたもので(試合開始をプレイボールと言うのはその名残り)、別に左右が対称の球場を造る必然性は彼の国ではなかったのであろうと私は考えている。そういえばホーム・ランの事を「バイ・バイ、ベースボール」と言うが「球が空き地の塀の向こうに行って無くなったら、もう試合は終わり」という事から来た言葉ではないだろうか? それに対して明治維新後、教育の一環としてスポーツが導入された日本では、武道の精神とスポーツマンシップが合体して「イコール・コンディション」とか「平等」の観点から、球場は両翼同じ広さにすべしとの了解が芽生えたのではないか、と思っている。

アメリカではベース・ボールのルールが統一される前には、バッターの要求するゾーンに球を投げるのがピッチャーの役目だった時代もあったそうだし、2ボール1ストライクと常にボールを先にカウントするのは、後何球で打ち取るかというより「打って点を取り合う」のがベースボールの本旨だからそうコールするそうである。対して日本では体の小さいものが相手を倒す為には、「練習」によって向上し易い守備から入り、少ないチャンスを活かす「武道」ならぬ 「野球道」としてベースボールが発展するのは興味深い。

野球が好きで、アメリカに行った際はメジャーリーグの球場には随分行ったものである。最近出来た「ボール・パーク」と呼ぶにふさわしい清潔な球場は、楽しさが横溢しているが、ただ一つ困った事は、なぜかほとんどの男子の小用トイレは隣と仕切りがない。ビールをたらふく飲んでトイレに駆け込み、でっかい体のアメリカ人と並んで用を足す際は、彼らの腰の位置が高い事もあって、小柄な私の目のすぐ近くで彼らが放尿している様な格好になる。ボール・パークは結構だが、あまり見たくもないものを見るのだけはゴメンである。

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