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2009年3月

2009年3月31日 (火)

本当に世界は不況か?

出張やらレジャーで1週間位海外に行くときは、ゆっくり読める「文芸春秋」や「諸君」「新潮45」などの雑誌を空港で買うのだが、これら雑誌は一般のメディアに比べるとかなり「右」ないしは「保守」でありテレビ、新聞の報道とはずいぶん視点が違うため、大体海外に出ると、単純な私はこれらの雑誌の受け売りで右翼論客・反マスコミ的な心情になってしまう。

さて、そのマスコミの特徴は、なにか事件なり事象が起きると、その事を先鋭化させ際立たせるために、極端な例やあまり一般的でない背景を取り上げ、記事やニュースにするものであるが、実際そんなものは世の中の一部の事で、ほとんどの人はそれに関係なく通常の生活をしているのである。アメリカで失業者が続出して、経済が100年に一回の危機を迎えているなどというのも、今回米国のクルーズ船に乗船してみるとメディアの報道と全然違うものだな、と感じる。

現在世界的にブームになってきているクルーズは、アメリカ人が考えた船を使った新しいレジャーの形態であるが、今回乗船した「サファイア・プリンセス」号に見られるように、産業としてより利潤を拡大するためには、船を大きくしなるべく一航海の乗客を多くする事が一般的になっている。食費など収容人間に応じて変化する経費の他に、燃料代や船舶の償却、乗組員費など多くの費用は固定的であるから、乗客人数を増やせば増やすほど事業としてうまみが増すのである。なのでクルーズ船は年々巨大化、まるでラスベガスのホテルが海上を移動していると言えば丁度良いかもしれない。

これまで報道されてきた事によれば、米国の消費者は一斉に財布の紐をしめていて、悲観的な様相一辺倒という事だったので、3,000人も収容するこの船もがらがらかと乗船前に思いきや、何と超満船なのである。クルーズというと日本では、一部の金持ち年寄りの道楽くらいに思われているが、発祥の地アメリカでは年収的にも中流からやや上、平均乗船年齢は43歳というごく普通の家族連れのレジャーの一手段で、今回の不況が直撃しているとメディアが伝える層の人たちが主な船客なのである。

このクルーズ参加客の目的の一つは物価の安いメキシコでショッピングを楽しむ事だそうで、毎日船内で開かれる寄港地のショッピング案内には多くの人が熱心に参加している。「不況?それはどこの国の事?」と言うかの様な、従来のアメリカ船とまったく変わりない雰囲気に乗船して驚いたのである。

メディアは盛んに不況だ、不況だと煽っているものの、本家のアメリカでも皆がそうなっているわけでない、と改めて実感している。そういえばかつての長い海運不況の時も、銀座あたりの飲み屋のママさんからは「どの船会社の人も不況不況というけど、皆本当に、毎日毎日良く飲むわね~」と言われたっけ。
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2009年3月30日 (月)

国際デビュー

サファイア・プリンセスに乗船して2日目。心配した飛行機の遅れや米国入国手続きのロスタイムもなく予定通り無事乗船。昨日の午後、ロスアンジェルスを出港して今日・明日はメキシコ沖をひたすら南下する。天気晴朗、波低しで快適な航海日和。

今日は11万6千トンの巨大船の船内探索で半日を費やした。この船には日本人のコーディネーターが乗船していて、彼女のきめ細かい案内で、快適なクルーズが楽しめそうだ。乗客は満員の3,000人で船内あちこち結構込み合っている。ロスまでのフライトも満席、本船も満員で「 一体、不況はどこにあるの? 」と言う感じである。

で今日は、初のフォーマルナイト。久しぶりにタキシードを着て、夕方6時に船内に8つあるレストランの内"SAVOY"と言うやや雰囲気が高級な所に妻と赴き夕食を楽しんだ。ところでドレスコードがフォーマル指定の日でも、この船のタキシード着用率は10%もない様だ。去年のアラスカ・クルーズのタキシード率よりも低い。日本人のコーディネーターに聞くと、この航海ではカリフォルニア在住の乗客が80%を占めていて、子供の春休みを利用して、家から港まで自家用車で来る乗船客が多いと言う。そう言えばかつてアメリカに駐在していた頃も、西海岸はネクタイを着用してオフィスに通う人などはごく少なくてカジュアルな所だと思っていたが、急にその感覚を思い出した。ここは欧州や東部とは気質も大分ちがい、肩肘張ることないなと思うと急にいろいろチャレンジしてみたくなってきた。

そんな事で、食後、ショーも楽しんで部屋に帰る前のひと時、せっかく覚えたてのダンスを楽しもうという事になり、生バンドが演奏する船内のクラブに行ってみた。かなり大勢の客が見ている前のダンス・ステージはやや小ぶりで人の視線も気になるが、そこはオランウータン対日本猿の様なもので、少々失敗しても異人種の前では「旅の恥は何とやら」で「気にしない、気にしない」と念じて妻と踊り始めた。すると何となく習った通りに足が動くではないか、これは良しとばかり結局3曲も踊ってしまった。

日本船のダンスクラブでは、上手に踊る上級者が多いが、所詮ここはカジュアルなカリフォルニア客の船だ。ウエスタン・ダンスをしている人も、ただ抱き合っているカップルもいる中で我々はかなり正統派で踊っていたかな、と少し自信がついてきた。何事もチャレンジだな、と思った航海2日目であった。いきなり国際試合でデビューであった。(メキシコ沖より)
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院長 2009-04-01 00:46:08
兄上・姉上様

WBCのように、いかなるところでも「日本力」を出して、王者たる風格を存分に発揮してきて下さい(笑)

どうぞ、MEXICOクルーズを存分に楽しんで来て下さい。

お帰りになったら、楽しいお土産話、楽しみにしております!!

Bein Viaje!

Adios!

2009年3月28日 (土)

メキシカン・リビエラ

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これから休暇でLAに行き、サンペドロ港からサファイア・プリンセス(11万6千トントン)にのります。メキシコ太平洋岸(メキシカン・リビエラ)の7泊のクルーズです。31年前、極東/カリブ海航路、貨物船で乗船研修の際、アカプルコ向けの荷物が急遽キャンセルになってメキシコ抜港、いつの日にか海から行ってみたいと思っていたメキシコです。一足早く初夏を味わってきます。

サファイア・プリンセスは三菱重工長崎造船所で建造されたフネです。クジラみたいな船型が特徴で、何時の日か乗ってみたいと思っていました。10万トン以上のメガ・クルーズ船は初めてなので興味津々です。

では行ってきます。

2009年3月27日 (金)

東京マラソン後日譚

初マラソンを4時間ちょっとで走った妻のその後。

前半オーバーペースでこのままだと「どえらい記録になりそう」と思っていたら30キロから失速して這うようにゴールした妻であるが ・・・・,

1.当日:ゴール後、駅まで歩いて地下鉄に乗ることもままならず、そのまま整骨院をやっている義弟の自宅に直行、施術をうける。 「 しばらくは、マラソンのマもいやだ 」

2.翌日:出勤で、普段駅まで6分のところ筋肉痛の為10分かかり、地下鉄の下り階段は手すりにつかまりなんとか会社にたどり着く。体中の細胞から水分が抜けてしまったのか、水を普段通り飲んでもトイレに朝、昼、夜と3回しか行かなかったそうだ。上り階段も登山の鎖場のように手すりを使い体重を手で引き上げる。

3.翌々日:何かのはずみで、妻の足に触れたら 「 ギャー、痛い!触るな 」と言って飛び上がる。地下鉄の上りは、ゆっくりなら手すりにつかまらなくても歩けるようになる。ただ腿は水分が抜けて、へちまの様な感触で、平地を歩くのもそろりそろり。 トイレや風呂場の身体障害者用の手すりの効用を初めて知る。

4.4日目:少し痛みがとれてきたが、まだ普通には歩けない。足もまだぱんぱんに張っている。でも 「 へちまよりはましか 」 と言う。4日前の自分のラップタイムなどを見ながら、「 まあこんなものか 」 と言う余裕が少し。

5.5日目:自分の腰を触って、 「 今まで脂肪の下に隠れてあまり上から触っても感触がなかった腰骨が、飛び出してきたよ 」 と欣喜雀躍。 「 もう一回やったらおへその下の脂肪もとれるかな 」。 ようやく普通に歩けるようになった。 「 あと少し速ければサブフォーだったのに 」 と悔しがり始める。

6.今朝 「 今度は12月のホノルルに一緒に出ようよ 」
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2009年3月26日 (木)

隅田川の川辺をジョギングしていると、桜も一部咲きから木によっては二~三部咲きになっている。寒さもぶり返して蕾がしっかり閉じている木もあり、今年の桜はゆっくり楽しめるのか、などと期待する。

墨堤を行くと、この時期自然と頭に浮かんで来るのは、”♯春のうららの~♪”という例の「 花 」である。作詞家の竹島羽衣は、昭和42年に94才でなくなった歌人だそうだが、「 文部省唱歌の中にも作があるはずであるが、今はどれがそうか不明 」(金田一晴彦編、日本の唱歌(上)講談社文庫)というほど、この歌でその名が広く知られている。

さて1番の「 櫂のしずくも花と散る 」は汽船となった今では見ることができない景色だが、僅かに隅田川で毎春開催される早慶レガッタで、その雰囲気を感じる事はできる。典型的七・五調であちこちの校歌にある様な歌詞だが、ボート競技などをみていると桜の頃の川面の光景をうまく表わしているものだと感心する。

2番の 「 見ずやあけぼの露浴びて 」 という歌詞が圧巻である。頭で 「 見ず 」 に 「 水 」 をかけて始まり、「 われにもの言う桜木を 」 と続く。正に桜は 「 オレ様がさくらだ 」 という感じで日頃、堂々と根を張っているものである。つぎの 「 見ずや(水や)夕ぐれ手をのべて、われさしまねく青柳を 」 もけだし名歌詞。夜目に柳が川風に吹かれ人をいざなう如くなびいている風情を、こんなにうまく表現できるのだろうか。

3番 「 錦織り成す長堤に、暮るればのぼるおぼろ月 」 の段であるが、ここから私は、竹島は墨堤を何度も訪れてこの歌を作ったのではないか、と想像する。というのは隅田川も永代橋より上流はほぼ南北に流れているから、この季節に墨堤に佇めば、満月の日は川を中心にして真西に陽が沈むと、真東から月が昇るのを見ることができるからである。当時はビルなどなかったであろうから、夕陽に続き大きな月が出てくるのもより印象的だった事であろう。

唱歌が最近は叙情歌などと言う変な名前で呼ばれる様になってしまったが、この歌を筆頭に日本の唱歌の歌詞はなんて美しいのだろうかと思っている。

写真は、現在の墨堤
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2009年3月25日 (水)

老後の資金より若者へ

老後に夫婦2人がまず満足して暮らす年金額は月28万円だとあり、これに60歳になった時の平均余命を掛け合わせ、定年退職後の公的年金の充実を計れとか、資産の形成・管理が必要だとかの試算をあちこちで見るが、これは本当だろうか? どうも嘘っぽいと常々感じる。

まず人間が色々な事を活動的に楽しめるのは、男性で80歳過ぎまでで、その後は若い時ほど旅行したり、美味しいものを食べたり、ましてや運転などはできない。百歩譲って月28万円が仮に必要としても、それは80歳までの話でその後は、必要資金もぐっと減るはずである。そんなに老後の為にカネが必要なのか?

次に月28万円というのは年収にすると336万円である。ところが老人は年金を払う必要がなく、医療・税・バス代その他ありとあらゆる様々な優遇策が彼らには施されている。私が住んでいる区などは、60歳以上は毎週1回銭湯にただで入れる施策まである。さらに大半の老人はローンも抱えていないし子供の教育費もない。これらを考えると、老人が必要といわれる年収336万円は、若い人の400万円にもなろうという事になるのではないか。そんな保障をする必要が一体あるのだろうか?それだけ貰っている若者が、一体どの位日本にいるというのか?

一方で今の標準的な老人所帯は、平均で夫婦2人で月23万円の年金をもらっているらしい。若い世代で年収400万円を保障しろ、などといったら笑われるのに、なぜ老人はこれで充分ではないのだろうか? 理想的な月額28万円のうち23万円がすでに支給されている上に、これ以上老人層に福祉を厚くする必要などあるのだろうか。

むしろ老人の福祉を削り、そのカネを子供を生み育てる世代の様々な補填や優遇に廻す策を考えなければ、20年後の日本はないと私は考える。20歳代、30歳代の若者よ、君たちの代表を多数たて、選挙へ行ってこの国のパラダイムを変えてくれ。そんな党ができればシニアーにならんとする私でも応援したい。

2009年3月24日 (火)

1勝1敗

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朝4時に起きて一番の飛行機で駆けつけた甲子園、優勝候補と言われた慶應高校は、なんとなく負けてしまった。残念ではあるが、まあ野球で負ける時はこんなものかと思うし、最近は昨春・昨夏・今春と甲子園に応援に来れた事に感謝するのみである。

一方WBCは、最後にイチローの決勝打で韓国を振り切った。日本や韓国の「根を詰めた野球が、野球をゲームとして楽しむ中南米を凌いだ」と言う論評が、日経の夕刊に載っていたが、私も今回のWBCを見ていて同じ事を感じていた。どちらが良いという事でなくややスタイルが違う2つベースボールのうち、今は日韓式が優勢と云う事であろう。

今日も慶應はエンド・ランを度々仕掛けた通り、昔から慶應野球はメジャー・リーグのやり方を積極的に採り入れ「エンジョイ・ベースボール」を標榜してきたが、これが偶々今日はまったく実らなかった、相手が良くやったと言う事で、子供達の事また勢いにのればそれなりの活躍はしてくれるだろう。

今日はWBCと高校野球で1勝1敗、「めでたさも中くらいなり、おらが春」である。

2009年3月23日 (月)

ワン・セグ

アナログ人間の私は、PCなどもそうアグレッシブに扱う方ではないし、携帯も電話とメール位ができれば充分、ごく珠に写真を撮るくらいである。仕事で国際電話をかける必要から、以前はモトローラの機種にしていたのだが、この機種は故障が多い上にやたら扱い辛かった。なので数ヶ月前に意を決して海外でも使える国産最新型に買い換えようと電器店に行ったところ、最近の機種はごちゃごちゃと機能が付きすぎでどれにしたら良いのか迷うばかりであった。若い店員に「なるべく何もついていない機種」と希望を伝えると、「国際ローミングできるのは皆ワンセグ程度はついていますよ」 との説明でいりもしないワンセグ・テレビ付きの機種に変更となってしまった。

しかし、そもそもあまりテレビなど見ない上に、案の定ワンセグがついていてもまったく使用する機会はなく、やはりこれは宝の持ち腐れかとこれまで思っていた。ところが、ところがである、明日はいよいよ楽しみにしていたセンバツ甲子園で、朝4時半起きで伊丹に飛び、9時からの慶應高校 対 開星高校(島根)の試合を見ようと航空券の手配など済ませていると、WBCの”侍JAPAN”がアメリカに快勝して、明日朝またまた宿敵韓国と決勝になるではないか。

これは是非、両方とも同時に見てみたいと思うが身は一つ、さて困った! と思ったら携帯電話にワンセグがある事を思い出す。明日はアルプススタンドで高校生の応援をしながらWBCの決勝をテレビでチェックしなければと、急遽、携帯の分厚い説明書を出して真面目に読んでいるのである。多分、阪神甲子園球場が最初にして最後になる我がワンセグの活躍の場になる事であろう。

2009年3月22日 (日)

妻の東京マラソン初挑戦

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生まれて初めてのフル・マラソンが東京マラソンという事で、ここ数日間妻のテンションは上がりっ放しで、昨日は準備万端さっさと寝てしまった。

さて今日は、時々小雨が降るも風がやや強く、絶好とはいえぬマラソン日和であったが、スタート1時間前の朝8時頃、新宿の都庁前で「では頑張って」と妻を見送り、市ヶ谷→往路日比谷→復路日比谷→佃大橋→豊洲→お台場ゴールと地下鉄で先回り移動して妻の通過を応援した。

予め応援箇所を打ち合わせていても、沿道はびっしりの大声援、3万人が一斉に走る中で、お互い特定の人を探し出すのは実際の処、大変困難である。しかしこの大会ではランナーのシューズに装着したプラスティックのチップで、各5キロのチェックポイントの通過タイムを携帯電話で即時に検索できるので、目の前の地点での妻の通過時間がほぼ正確に予想できる。通過予定時間にあわせて持参の小旗を振っていると向こうも気が付いてくれるという訳で、応援も本当に便利な世の中になったものである。

そのラップを逐次、携帯で見ていると前半25キロまでは各5キロを26分台で通過し、明らかなオーバーペース。応援箇所で「頑張れ」と声をかけると、にっこりと「大丈夫」。これは不味いと心配していると、携帯を持って走行中の妻から余裕の電話、「応援に来ているはずの、実家の母や姪っ子がいない」との会話に「それどこではない、ペースを落とせ」と大声で指示をする。昔の箱根駅伝には伴走のジープから監督の指示がとんだものだが、今や妻の走りに携帯でコーチか、これも時代の流れと苦笑する。

このまま突っ走ると、初マラソンで4時間を大幅に切ってゴールしそうだ、明日からの妻の得意満面、してやったりの顔が目の前に浮かび、声援を送る気持ちも徐々に複雑なものになるのが、自分でもわかる。が、マラソンは、そうは甘くない。30キロ過ぎてから妻はパタッとペースが落ち、特に35キロ過ぎて湾岸部に入ってからは、低血糖による痺れと疲れ、それに強い風で大幅に遅くなっているのが判る。最後は倒れる様にゴールしたが、それでも4時間を数分越えただけ、初マラソンとしては立派なものと健闘を称えたいし、4時間を数分越えた事で謙虚さもキープできた事だろうとやや安堵する。疲労困憊の妻は「しばらくフル・マラソンなどは考えたくもない」 との事である。

さていつもは参加する側である、マラソンの大会であるが、今日は初めてスタートからゴールまで傍から見る事になった。大会関係者や警察・消防・陸連・ボランティアその他大変な数の人達の献身的な尽力で、マラソン大会が開催されている事を、改めて間近で見る事ができた。「大会運営が・・・」などと偉そうな批判をする前に、こういう人達の支えでマラソン大会が無事開催されている事を、再認識できたのが自分にとっての何よりの収穫であった。

2009年3月21日 (土)

ボールパーク

アメリカで行われているワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で”侍ジャパン”のはらはらする試合展開に、最近は仕事中でもどうしてもテレビを見てしまう。と共にアメリカの野球場(ボール・パーク)の美しさに目を奪われるが、アメリカではボール・パークが、センター線を軸に外野の広さが左右対称に造られていない事に興味が惹かれる。

野球場は常に左右両翼が対称に造られている日本に対して、アメリカではなぜシンメトリーではないのか。もともとは、都会でボールパークを造る際、敷地の制限があったり、フットボールと共用しなければならない為にそうなったのだ、と聞いたが、最近出来た郊外の球場やフットボールのチームが使わない所も、シンメトリーにしていない処をみると、この問題はなぜか文化的な相違からきているのだと感じてしまう。

もともと、ベースボールは町の広場(Sandlot)で「遊び」として楽しまれてきたもので(試合開始をプレイボールと言うのはその名残り)、別に左右が対称の球場を造る必然性は彼の国ではなかったのであろうと私は考えている。そういえばホーム・ランの事を「バイ・バイ、ベースボール」と言うが「球が空き地の塀の向こうに行って無くなったら、もう試合は終わり」という事から来た言葉ではないだろうか? それに対して明治維新後、教育の一環としてスポーツが導入された日本では、武道の精神とスポーツマンシップが合体して「イコール・コンディション」とか「平等」の観点から、球場は両翼同じ広さにすべしとの了解が芽生えたのではないか、と思っている。

アメリカではベース・ボールのルールが統一される前には、バッターの要求するゾーンに球を投げるのがピッチャーの役目だった時代もあったそうだし、2ボール1ストライクと常にボールを先にカウントするのは、後何球で打ち取るかというより「打って点を取り合う」のがベースボールの本旨だからそうコールするそうである。対して日本では体の小さいものが相手を倒す為には、「練習」によって向上し易い守備から入り、少ないチャンスを活かす「武道」ならぬ 「野球道」としてベースボールが発展するのは興味深い。

野球が好きで、アメリカに行った際はメジャーリーグの球場には随分行ったものである。最近出来た「ボール・パーク」と呼ぶにふさわしい清潔な球場は、楽しさが横溢しているが、ただ一つ困った事は、なぜかほとんどの男子の小用トイレは隣と仕切りがない。ビールをたらふく飲んでトイレに駆け込み、でっかい体のアメリカ人と並んで用を足す際は、彼らの腰の位置が高い事もあって、小柄な私の目のすぐ近くで彼らが放尿している様な格好になる。ボール・パークは結構だが、あまり見たくもないものを見るのだけはゴメンである。

2009年3月20日 (金)

東京マラソンEXPO2009

東京マラソンは今度の日曜日22日に開催されるが、3万人のランナーが走るためランナーの受付は当日ではなく、事前の19日から21日までお台場にある東京ビッグサイトで行われる。ビッグサイトでは受付に合わせ、東京マラソンEXPO2009というイベントが開催されるようである。

前日は地方からのランナーが多く混雑するであろうと思い、今日受付を済ませてしまおうと言う妻に付き合いビッグサイトに行ってみることにした。3万人もが走るマラソン大会であるが、今日の受付はかなりスムースで、ナンバーカードと参加賞のTシャツを受け取った妻はあっと言う間に手続きを済ませ、待ち合わせ場所のEXPO会場に出て来たが、ここからは予想外の展開であった。

まず、オフィシャルスポンサーのブースがあり、例えばスポーツメーカーでは東京マラソングッズはもとより、多くのランニング用品を展示・販売している。また、スポーツドリンクの試飲もあり、貰ったナンバーカードを手に無料で写真撮影してくれる箇所もある。ここで撮ってもらった写真は 「使用前」になる訳だが、「使用後」の写真もあったら皆数キロ痩せている事だろう、どんなダイエットの宣伝より効果がありそうだ。 

さて妻はこの無料写真コーナーを始め、いろいろな記念品を貰えるブースの前に出来た列に加わろうと言うが、行列を作る位なら、どんなおいしい店でも並ばなくて不味い食事の方がましと考えるほど、並ぶのが嫌いな私はいろいろな列の長さに呆気に取られる。しかし記念エコバッグだけはもらおうと強引に言う妻に逆らって、何一つせず帰って来るとあとあと大変だ、と覚悟してバッグの列に並んでしまった。簡単なクイズに答えればバッグをもらえるのだが、また物が増えるだけじゃないかと心の中ではブツブツ思いつつゲットしたのが写真の一番奥のそのエコバッグ。東京マラソン2009のロゴが入ってなかなか良いじゃない、と妻はご満悦の様である。

一通り見終えると今度は協賛企業のブースが並び、ここでも無料で色々な物を配ったり、足型を測定してくれるとのことであったが、並びたくないのですべて却下。幾つか並ばないでもらえたのが東京都水道局のペットボトル入りの水(水道で水を汲めばいいんじゃないのか?)やら、2016東京オリンピック誘致のピンバッジなのであった。

私が学生時代、長距離を走っていた頃は、フルマラソンはトラックをある程度極めたランナーが出るもの、と言う風に思われていた。当時はほとんどのフルマラソンは陸連登記登録者だけが参加資格があった様に思うが時代は変ったものだ。そういえば映画 「バック・トゥー・ザ・フュチャー」 で、主人公のマーティが1960年代に行った中で、「未来では、あの俳優のロナルド・レーガンが大統領になっていて、人々が用もないのに皆好きで走っているんだ」 と言う科白があったのを思い出した。マラソン大会に付随して、行列をなしてこのイベントを楽しもうという人々を見るにつけ、走ることも一大産業に発展したものだ、と驚嘆するのである。
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2009年3月19日 (木)

成年後見人

裁判所のご厄介などには、なるべくなりたくないものだが、高齢で認知症になった父の成年後見人の申し立てのため、霞ヶ関の東京家裁に初めて行った。申し立て書には、戸籍謄本やら住民票はもとより、法務局で「登記されていないことの証明書」、不動産の登記簿謄本、医師の診断書など公的書類を添付しなければならない。初めに相談した司法書士は、ハナから逃げ腰で「この位なら、ご自分でできますよ」と言うので自分でやる事にしたのだが、仕事の合間に適宜こういう書類を集めるのは結構骨の折れるものであった。銀行員の妻の助けを借りて目録や収支表なども何とか作成し、今日やっと家裁に申し立てと面接に行ったのだが、この間なんだかんだで2ヶ月位準備の時間が必要であった。

家裁とは言え生まれて初めての裁判所なので、今日は結構、朝早くから緊張で目が覚めてしまった。霞ヶ関の家裁に赴くと他の人は弁護士やら司法書士に付き添われている様で、単身乗り込んだ私は一体どうなる事やらと思ったが、思ったより短めに面接が済んだのでホットしたのであった。今後数ヶ月の審判を経て、後見が開始されるのだろうが、その後はいろいろ裁判所に報告をしなければいけないそうで、何とも気が重いものである。

若い時には何でも自分でやり、余り人の世話にならなかった父だが、こうして人生の最終局面で認知症になり、周囲を段々と面倒に巻き込んで行くと、その生き様を見せる事で我々、後の世代に「色々な事を考えろよ」 「色々経験しろよ」と身をもって促している様な気がしてくる。あー今日は疲れた。

2009年3月18日 (水)

東京マラソンのご褒美

今度の日曜日は、いよいよ東京マラソン、妻は満を持して準備におさおさ怠りない。当日もなんとかうまく走ってくれそうだ。箱根駅伝本番のスタート1分前に、寒さ対策にしていた腹巻を取り忘れて審判に注意され、あわてて毛糸の腹巻を脱いだおっちょこちょいの私などが及ぶべくない。あのまま走っていたら、腹巻をした駅伝ランナーとして後年、「箱根駅伝今昔物語」 で日本テレビで紹介され、今頃有名になっていたかもしれない。

天気予報に依ると、東京マラソン当日は少し雨模様の様だが、蒸し暑ささえなければ小雨程度は呼吸が楽になって却って良い。何より小雨の日は大風が吹くことがあまりないから走りやすい。でも30キロ過ぎてからの1キロ、特に35キロからの1キロは、それまでと違った走りになるから要注意である。それまでに3時間近く走っていると体は言う事を聞かないが、女性は結構そうでもないいかもしれないし、特に初めてのフルマラソンは覚悟しているから案外すんなり、と言う事もある。まあ万事卒ない妻だから、そこそこ纏めてくれるだろうとの期待は、夫の欲目か?

「当日完走したら何でも好きなものを驕ってやる」と妻に言ったら「高給焼き肉を、思う存分食べたい」と言う。この日ばかりは体重を一切気にしないで焼き肉を心置きなく食べ、自分へのご褒美にしたい様である。よし、この際奮発して普段接待に使っている様な焼肉屋さんなど予約しようかと思うが、次の日、月曜日の朝9時からセンバツ甲子園で慶應高校の応援にも行きたい私は、にんにく臭いまま新幹線に乗って大阪で泊まろうか、翌朝5時に起きて始発の飛行機で行こうか、天気予報も睨みながら策を練るのである。

2009年3月17日 (火)

脳内核酸

新聞に挟んであったシニアー向けの無料のタウン紙をつらつら見ていたら、「物忘れが増えたら要注意」とある。若いときから始終物を探している私は、つい気になって紙面に目を落としまう。なになに、最近の研究では 「学習に関わる脳細胞が大人の脳内でも新たに作られていることを確認」 と言う。大人と言っても何歳の脳か何人の人種なのか、男女かどういう条件の中での研究なのかも書かれていなので俄かに信じてよいかわからぬが、まあそんな研究もあろうかともまず思う。続けて「また大阪大学とコーネル大学の共同チームは、脳細胞に主要な栄養を加えることで、脳細胞の増殖・分裂に成功した」と導く。コーネル大学の何のチームがどういう事を実験したのか、人間なのかマウスか詳細は一切記載されていないが「コーネル大学」などと米国の一流大学の名前が書かれて、いかにも本当らしい。

「そこで脳に必要な栄養として忘れてはならないのが核酸」と次の段落で展開して、歳と共に体内で核酸を作る能力が不足するので、「脳内核酸を補う事が必要なのだ」と、いよいよサケから取れた核酸成分を含むサプリメントの広告に導くという手法である事がわかる。ご丁寧に核酸成分を飲用したモニターの脳年齢の推移などと言う、もっともらしい”自社調べ”のグラフまでついている。

テレビで「○○が健康に良い」などと特集放送をされると、次の日からしばらくはスーパーの棚からそれが消えると聞くが、何か特定の食品やらサプリメントを摂取しただけだけで体に効果があるわけないじゃないかと、意地の悪い私はいつも思っている。酒を控えめにして、好き嫌いなく多くの品数を腹8分目に食べるしかない、と真面目なテレビの解説や本では常々言われているのに、やはり人間は何かに特効薬の様な「御利益」を期待してしまうのだろうか。それにして年寄りの物忘れを利用して「核酸」とは、いろいろな手もあるものである。理科系の妻でさえ「はいているだけでどんどん汗が出てやせる」というスパッツを買ってしまい、「この裏地が脂肪を刺激して良いんだって」 と言っているくらいだ。霊験あらたかでなくても夢を買ったと思えば良いのか?


Bulkcarrier 2009-10-09 18:40:46
るるさん こんにちは

コメントありがとうございました。昨日のNHK TVではサプリメントの副作用で、すい臓がんの疑いをかけられ入院した人の事がレポートされていました。特殊な例とはいえ、気をつけて上手に健康食品などを使用したいですね。


るる 2009-10-09 13:15:01
人の欲望を刺激する広告。
ものが売れてココロが満足し経済が潤う。

夢ではなく少々の健康を買ったという事でしょう。
不満のある人は買わない、信じる人は買う。
そして消費は自己責任。世の中うまくまわるとよいですね。

2009年3月16日 (月)

セルフレジ

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今日は久しぶりに天気も良く、高齢の父親を郊外の入院先に見舞った後、病院の近所のアウトレット兼ショッピングセンターに行ってみた。ぶらぶらと各アウトレットを見て廻った後、最後にスーパーで晩の物を買い物することにしたが、郊外の大規模スーパーは都心の手狭なのとは違い品数も豊富で、妻はこの際とばかり色々買い込んでいる。で買い物籠一杯になった商品の支払いのためにレジに行くと、混雑するレジの片隅に誰も並んでいないキャッシャーがある。

これは何かと2人で、しばしそこを利用する人達を見ていると、どうやらガソリンのセルフスタンドの様に、自分で買った商品を自分で精算する機械らしい。妻はにわかに目を輝かせ始めて「何でもやってみなかきゃわからないじゃない。これは面白そうだからやってみよう」と言い始める。セルフのガソリンスタンドさえ面倒で、数円高くても昔ながらのフルサービススタンドを利用しては妻に「馬鹿じゃない」と罵られている私などは、「時間の無駄、プロに任せよう」と早速逃げ腰なのだが、理科系の妻がいる時にこういう機会を利用するのも悪くないかと考え直し、素直に「セルフ・レジ」の前に佇んだのであった。歳をとると段々つっぱりきれなくなって、気弱になっていかん。

システムはこういう事らしい。まず向かって右側の台に置いた買い物籠の中の商品のうち、バーコードが付いているものは正面のバーコードを読み取りセンサーにかざすと「ピッ」と機械が反応して目の前のスクリーンに買った品物とその値段、それまでに精算された累計金額が表示される。精算が済んだ商品はバーコードの左側にあるビニール袋に自分で投入していく。

問題は大根やにんじんなどの生鮮食料品。右側の買い物籠の下に計量秤がついているらしく、そこから品物を取り出す度に、都度何グラム減ったか計っているらしい。直後にバーコードで商品がチェックされるとその商品は精算された事になるのだが、大根など生鮮品は目の前のタッチパネルスクリーンで「やさい」→「大根」とタッチすると単価が表示され→「○本」と入力すると金額が出て精算完了になり左の袋にほうり込む。右の籠から減った重さが左にある袋にそのまま加われば、機械は 「インチキなし」と看做す様だが、右の袋の重さが変らずにレジを通さずして左の袋が重くなったり(すなわち横入りさせたり)、あるいは右から出してもレジの機械を通過させなかったら、すぐさま「精算して下さい」という類の表示がでるらしい。誠に良くできているものである。

ただ例えば単価が高い品物を右から持ち上げて、重量が大きいが単価が安い野菜と申告したらどうなるのであろう。例えば仮にかぼちゃ3個が大根1個と同じ重さで、値段はかぼちゃ3個が300円大根1個が200円だった場合、タッチパネルで「やさい」→「大根」→「1個」と入力したらかぼちゃ3個が200円で買える事になる。機械は重さ以外に品物を認識する装置をもっていない様なのでこんな事はできそうだ。などとインチキする勇気も持っていないし、最終的には目の前に幾つかの無人レジを見張っている目つきの鋭いおばちゃんが立っているので、不可能だとは思うが、見ているとどうやって穴を見つけられか純粋に科学的興味は尽きない。

外国では"LESS THAN 5 ITEMS"などと少量の購買者の為の優先レーンがあったりして、男一人で買いに行く時などは「日本にもあんなシステムがあればな~」とよく思うのだが、この機械が広く導入される事で今後そういうレジも増えるかもしれない。また無人レジで精算したら3%引きなどというインセンティブも導入して欲しいものだと、今日一日ですっかり機械に慣れた私は得意になるのであった。

2009年3月15日 (日)

さかな天国

眠れぬ夜や明け方ふっと目が覚めてしまった時、何かの曲が頭に浮かんで離れない事がある。

学生時代、大事な試合の前日に、当時はやっていた「♪18金ペン、プラチナ~、貰って嬉しいプチチナ~」という万年筆のCMソングが頭にこびり付き、朝まで万年筆ソングが耳の中で鳴り響いていた事があった。まあそんな寝不足の日の試合ほど結構、記録が良かったりしたものであるが・・・・。

最近ではある夜、いきなり「おすもうくまちゃん」の歌が浮かんできてびっくりした事があった。
「♯おすもう くまちゃん くまのこちゃん はっけよいよい はっけよい はっけよい どちらがつよいか はっけよい しっかりしっかり しっかりね ♪」 
という歌詞である。そう言えばその数日前にNHKで童謡特集などやっていて、見るともなく見ていたなと思い出したのだった。

決定版は少し前はやった「さかな天国」である。スーパーの鮮魚売り場に行くと良くラジカセなどでかかっていた「♯ さかな、さかな、さかな~、さかなを食べると頭、頭、頭あたまが良くなる~、さーさ~、みんなで魚を食べよう、魚は僕らを~待っている~♭」という例のアップテンポの曲である。スーパーで食品を覗くのが好きなので当時はこの曲を良く聞きながら、冷凍食品やら生鮮食品売り場をうろついていたのだが、そのうちこの調子の良い曲が頭から離れなくなってしまい、就寝時目をつぶると頭の中で「さかな、さかな、さかな~」と歌がぐるぐる廻りだして困ったものだ。で逆手をとってこの曲のミニCDを買ってカラオケのレパートリーに入れてしまったのだが、当時は同窓会などの2次会でカラオケに流れると同年代の主婦に馬鹿受けしたものだった。

さて最近では近所のスーパーで駅弁大会とやらがあって「♭今は山中、今はハマ、今は鉄橋わたるぞとー♪」と景気良いカセットテープが流れている。これはいかんと、ちょっと欲しかった駅弁であるが、音楽が耳にこびりつかない内に通り過ぎようと思ったのであった。

2009年3月14日 (土)

夜も眠れなくなってしまう

少し前 「地下鉄の車両はどこから入れるか考えると、夜も眠れなくなる」という漫才があった。東京の場合1067ミリの狭軌の車両は、地下鉄線や乗り入れ運転のどこかでJR線に繋がっており、メーカーからJRの電気機関車に引かれて回送、連絡ポイントを通って入ってくる。それ以外の車両は、道路に開口部を設けクレーンで吊り下げて搬入するらしい。

そういえば、いつも不思議なのは、高層ビルを建築する時のクレーンだ。建築中のビルが高さを増して行くに従いどうやってクレーンも高さを増していくのだろうか。複数のクレーンで双方を交互に使って足を長くしていくのか、クレーン下部に伸張するダンパーの様なものがついていて、伸ばしてはその高さの場所に足場を造り、それをベースにそこからまた踏ん張って伸ばすとかだろうか?

写真は高層ビルから見た隣のビルの解体作業風景だ。解体されるビルの屋上にパワーショベルなどの建機が集まり、ビルを上部から壊している。そういえばこの重たい建機はどうやってビルの屋上に上げたのだろうか? 考えると夜も眠れなくなってくる。
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2009年3月12日 (木)

人に好かれようなんて、おやめなさい

しばらく曽野綾子のエッセイを読んでいなかったが、昨日の日経夕刊に「日本で貧困ありえない」と言う氏の談話が掲載されて、久しぶりに曽野氏の言葉に触れて清々しかった。「貧困とはその日、食べるものがない状態」 で、その意味では日本に真の貧困はないと氏は言う。理想ばかり先に立ち、かなえられないと不満を募らせる日本人より、絶望と貧困の中で暮らす人達に、彼女は常々理解と共感を持っているのである。

ヒューマニストとか人道主義者、人に優しいと自称する人などが、この世で一番困った人であると氏は度々著書に記している。反戦や平和を語り継ぐだけで、平和などは維持できない、贖いがたい血や多大な金を出さなければ平和などを勝ち取れないと言う。また人に優しいという人が、真に自分の身を切ってまで他人に尽くす覚悟があるのか、ぎりぎりの選択ができるのか氏は問うている。

一方で、個人の日常レベルの困難な場面では、うまく身をかわしながら、ほどほどに生きていける人が人生の達人だと彼女は説き、「良い人を止めると楽になる、人から好かれようなんておやめなさい」 「少々だらしない人間だと思われた方が、期待もされないから楽ですよ」と言う趣旨で完全主義を戒めている。

クリスチャンとしてアガペー(自己犠牲的的な愛)の問題を問いながら、人間の心の深い淵や闇も見通しつつ記された曽野氏のエッセイからは、一人の人間として生きる覚悟が伝わってくる。曽野氏の様な強さも潔さも持ち得ない私には、その著書から常々何がしかの勇気を受け、事に及んでは人間として矜持を保って生きねばと自戒をするのであるが、なかなかそう行かない自分に嫌悪する。

さてこの様な本を書いたり発表したりする人の中には、しばしば実生活が日頃言ってる事と反対であったりしてがっかりする例がある。先日、もとスッチーだった同級生に会ったが、フライトの際に曽野氏の係りになった事があったと聞いたので 「本当の処は機内ではどんな人だった?威張ったり横柄だったりしなかった?」と聞いたら 「とても気配りの効いた素敵な人だったよ」と彼女から聞いて、曽野氏が益々好きになったのであった。

2009年3月11日 (水)

アームウォーマー事件

20090311年齢と共に細胞の新陳代謝が衰えているのか、ジョギングをしていても冬場は手先がすぐに冷たくなるので、数年前から寒い日は厚手の手袋の他にアームウォーマーをしている。マラソンや駅伝のテレビを見ていると、選手が肘から先に巻いている防寒用のヤツだ。

先週の日曜日も走りに行こうとアームウォーマーを装着したのだが、当日は相当な距離を走る予定だったので、非常用またはドリンク用に、小銭が必要だと気がついた。ただその日につけたウォーマーは手の甲まで隠れるタイプだったから、そのままでは財布の取り扱いも不便である。なので右手の分をはずし財布から500円硬貨を出して、ランニングウェアーのポケットに入れさあ準備万端、はずしたウォーマーを再度付けて出かけようとしたら、今はずしたばかりの右手のウォーマーが見当たらない。

時間にすればほんの10秒ちょっと、思いついた場所と財布の場所は5メートルも離れていないので、その間のどこかにあるはずだと探すも、忽然と消えた右手の白いウォーマーはない。そんなはずは無いと、ちょっと必死になって周囲を探したが、どうも見当たらない。「神隠し」などと言う単語が頭に浮かぶが、ついさっき手にしたウォーマーに足が生えて勝手に移動する訳も無い。切羽つまって妻に尋ねるも、案の定「またないの~?私は知らないよ~」と同情のかけらも見せず、自分の走る支度をしている。仕方ない、自力で探すしかないとブツブツ言いながらしばらくウロウロしていると、さすがに見かねたのかやっと彼女が私がウォーマーをはずした時の状況を質問して来た。小銭の場所から現在地点までのウォーマーがありそうな場所を、一通り二人で一緒に探したがやはりない。

「おかしいね」と諦めて別のセットにしようかと思ったところ、「まさかとは思うけど、同じ手に二つはめてはいないよねぇ。まさかねえ」と妻。まさかと思いつつ、黒い手袋事件以来ちょっと自分の行動に自信をなくしている私がおそるおそるウォーマーをずらして見ると・・・。

「うーん道理でないわけだ」と一人納得するが、外した右手のウオーマーを無意識と言えども、左手に普通するか? 時計や老眼鏡をしたまま「時計、時計」とか「メガネ、メガネ」と騒ぐのは良くある事だが、外した手袋の片方を反対の上に重ね着して「ない、ない」と騒ぐ様なもので、我ながら何とユニークな男だと、自分で自分をほめたくなってきたのであった。

2009年3月10日 (火)

自衛艦ソマリア沖派遣

ソマリア沖の海賊対策に自衛艦が派遣される。自衛艦に海上保安庁の職員が乗って警察権を行使するそうである。国民経済が海上輸送に依存する貿易立国として、今回の措置は遅きに失した感があるが、現行法の海上警備行動では派遣された護衛艦2隻が今後充分な活動をできない様なので、速やかな新立法の制定を望みたいものである。

今日も、ある会議で欧州や中東に行く貨物船の船主が、船会社に対してソマリア沖の配船は勘弁して欲しいと言う議論があった。この船主も自衛隊の護衛艦がソマリア沖に展開して、日本の商船隊の船団(コンボイ)を守ってくれるなら、改めて配船を前向きに検討したいと言う。

この地域の海賊活動は既にビジネスになっている様で、人質の身代金相場は勿論、交渉人(ネゴシエーター)の謝礼相場まで決まっていると言う。こんなクズの様な悪徳商人たちの為に派遣される自衛隊員や海上保安庁官は誠に気の毒ではあるが、彼らが充分な活動を展開し、彼らの身の廻りに危険が迫らない為にも早期立法が望ましい。

最近は、様々な国の海事機関や世界の保険会社の海賊防止対策メールが職場のパソコンに入ってくる。曰く危険地域では最大速度で決められた航路を通行せよ、見張りは厳重にして小さい舟の接近を避けよ、万一の際は本船の風下をつくらない様に操船せよ、消火ホースや私設警備隊の準備などを講じる事など多岐に亘っており、もはや海賊は他人事とは思えない事態である。

日本船は今後コンボイを組んで自衛艦の護衛を受けるのだろうが、今では日本人が乗り込んだ日本籍船などは探すのが難しいほど希少で、フィリピン人クルーが乗り込んだ日本の船会社が実質支配するパナマなどの船籍の船も対象になる様だ。要綱には日本の積荷を積んだ外国籍船も護衛の対象に含むとされている様だが、飛行機のコードシェアー便にあたる様な外国コンテナ船のスペースチャーター便はどうなるのだろうか? また他国の商船が助けを求めてきた場合はどうなるのだろう。まさか「見殺しにせよ」と言うような立法がまかり間違ってもできない事を祈るのみである。貿易の自由で成り立っているわが国で、今回の自衛艦の活動がけちな党利党略に左右されない様見守りたい。

2009年3月 9日 (月)

特急のマコちゃん

鉄道車両の中でも、電気機関車が子供の頃からなぜか一番好きだった。今は横須賀線の線路になってしまった品鶴線に、小学生の頃からしばしば自転車で遠征して、貨物列車を見に行ったものである。丸子の鉄橋の傍らで待っていると、線路の彼方から貨物列車がジョイントを切るカタン・カタンという響きがして来る。その音が徐々に強くなって来ると、さあ今度の機関車は何型だろうかなどと胸をときめかせて待っていたのである。

また当時は東京駅などで長距離列車の写真を撮っていると、「坊主、運転席に上がって来いや」とよく機関士が出発時間まで乗せてくれた。 「これで熱海まで運転して行くんですか?このハンドルちょっと触っていいですか?」 などと夢心地で質問をぶつけたものである。

さて電気機関車好きの原点は、幼稚園のライブラリーで借りた「特急のマコちゃん」と言う本にあると思う。母親によると引っ込み思案だった私が、生まれて初めて自分で借りたいと言って、図書館から借り出しを受けたのがこの本だそうである。以後返却期限が来ると一旦返しては、また借り出すのを卒園まで繰り返したほどお気に入りだったらしい。

物語は、東海道線の二宮駅付近である。陸橋の上から通過する列車を眺めるのが大好きな男の子マコちゃんは、何時にどの列車が二宮を通過するかダイヤが頭に入っている。いつもの様に夕方、線路際で列車を見ていたところ、土手の上に駐車していた無人のオート三輪が、駐車ブレーキでも甘かったのか線路にすべりおりてしまう。その直後に下りの「あさかぜ」が現場を通過する事を知っているマコちゃんは、土手から線路に飛び降りて 「あさかぜ」 が驀進してくる東京方面に懸命に走り、必死で列車を止めて事故を未然に防ぐのだった。そのご褒美でマコちゃんは特急「つばめ」の電気機関車の運転席に東京から熱海までの添乗を許されるのだが、そこで苛酷な鉄道乗務員の勤務の実態を知る事になる。この件を契機に招待されたアメリカのラジオ鉄道クイズ番組で、見事に優勝したマコちゃんが賞品として選んだものは、「目が疲れる」という運転士たちへのビタミン剤の詰め合わせだった、と言うのが「特急のマコちゃん」の荒筋である。

物語の詳細や原作家は、すっかり忘れてしまったし、”マコちゃん”なのか”まこちゃん”だったかも、今となっては定かでない。当時、日本では高価だったビタミン剤だが、今は賞品という物でもない。またとうに 「あさかぜ」 も廃止になり 「つばめ」 も東海道線を走っていない。でも電車で二宮付近を通過する時、あのマコちゃんの陸橋はこの辺だったかな、と今でも思い出すのである。どこかの本屋の倉庫に当時の「特急のマコちゃん」と言う古い本がないだろうか、あればプレミアムを払ってでも購入したいと考える。

これは最新のJR貨物のEH200型電気機関車
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2009年3月 8日 (日)

裏口東京マラソン2009

妻が当選した東京マラソンも、後2週間後に迫ってきた。今日フル・マラソンに向け一緒に調整のジョギングしていると、彼女は 「何だがドキドキしてきた」 と三味線を弾き始める。落選した私は 「東京マラソン2009 交通規制のお知らせ」などと云うチラシの地図を片手に、応援かたがたどうやってこのお祭りを楽しもうか、地下鉄の一日券を使うべきなのか、チャリンコを整備しておこうかなどと作戦を練っている最中である。

当日は、まず新宿セントラルロードでの「六大学応援合戦」があるのでこれは応援団フリークの私としては見逃せない、続いて市ケ谷防衛省前での陸上自衛隊のブラスバンドも必見だな、などと妻の通過を見計らいつつ、各イベントをどうやって効率よく覗いてみようか、と考えて東京マラソンのホーム・ページを覗いて見ると・・・・・。

何とスタートからゴールまでの間に28箇所ものイベント会場があり、ブラスバンドの他、和太鼓やら、ジャズ、ゴスペルなど和洋各種のイベントで当日東京都内は、テンコ盛りの一日ではないか。これはあちこち見て回りたいものだが、そこは応援第一。ただトップ選手の通過はかなり正確に予想できるのだが、なにしろフルマラソン初挑戦、残業の合間に練習している妻は、どこかで待っていても一体何時頃にそこを通過していくのか予想が大変難しい。イベントばかり見ていて、妻が通過する時間にそこにいなかったりしたものなら後で何を言われるか、考えただけで怖いものがある。これはかなり色々な要素を織り込んで、効率良く移動してうまい場所に陣取らなければならない様だ。

なので i ポッドなどを入れておく腕輪を妻に持ってもらい、そこに携帯を入れて適宜「どこを通過中」と言う電話をもらおうか、と思っている。いやはやマラソンも大変な時代になってきたものである。

ただ都心の土地勘はばっちりだ。中間地点以降は、中央区や台東区や江東区を走るので、面倒になったらゼッケンがなくても一ブロック裏道を妻のペースに合わせて伴走したりショートカットしつつ、イベントやら差出のドリンクなどを”ごち”になって一緒に走ってしまおうか、と考えているのである。 地下道や地下鉄の出入り口通路を使い、神出鬼没の応援・伴走のシュミレーションをしなければ。

写真は東京マラソン2009記念のメトロ一日乗車券
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2009年3月 7日 (土)

Without Prejudice

今、自営業で何とか食べていけるのは、新入社員時代に会社で習った事に負う点が多いと、先に書いたとおりである。「買主注意せよ」"LET THE BUYER BEWARE"ラテン語で”CAVEAT EMPTOR"がその一つであると、昨年3月にアップした通り。

"WITHOUT PREJUDICE"も英米法では大変重要かつ便利な言い回しであると当時習った。海運では外国の船主や荷主と日常的に契約を結んでいる。これらの契約書は英語であり、準拠法は英米法、係争になった際の裁判地はロンドンである事が多い。なのでかつてはロンドンの弁護士が会社に常駐していて営業や、各種クレイム処理の指導に当たってくれていた。彼らはいずれも、オックスフォードやケンブリッジを卒業した極めて優秀な若手海事弁護士であって、ほとんどが独身だったから、良く一緒に飲みに行ったり、サッカーやスキーを楽しんだものであったが、そんな彼らにいつも指導されていたのが、少し込み入った論争の文書には”WITHOUT PREJUDICE"を「必ず」挿入しておけという事であった。極端な場合、本文が始まる前にカッコつきで(WITHOUT PREJUDICE) と書いておくだけでも有効である、と教わった。

さて最近、ある海運会社に顧問として勤務し、若手に定期的に講義を行っており、その際、 "WITHOUT PREJUDICE"の説明をしようと考えたのだが、法律の専門家でない私には、国内法や和文ではこの文言がどういう風に使われ教えられているのか判らない。よってネットで海外の法律関係のサイトを検索していた処、カナダの弁護士の良い解説を発見した。

いわく
Without Prejudice:A reservation made on a statement or an offer that is not an admission or cannot otherwise be used against the issuing party in future dealings or litigation with any determinative legal effect.

要は 「法的な当事者間のやり取りの中で、以後の論争に許可(譲歩)を意味したり、その他の目的に利用できない(性質の)、限定的留保条件」 とでも訳したら良いであろう。すなわち様々な交渉の過程でデッドロックに陥った場合、「とりあえず事態解決の為に、こういう妥協法、解決法を提示します。ただしこの事をもって自分の非を認めたり、相手の免責を許容する訳ではありませんよ」 という場合に使われる事が多いようだ。このサイトには、19世紀からのこの文言を巡る判例がいくつか示されているが、おおまかに括ると、この文言は 「乱発」 しても良い、のちのち裁判になった際Without Prejudiceと書かれていれば、一旦提示したこちらの条件が妥協や合意を示したものではない、と考えられる性質の留保条件である、と言う事である。

なので海外とのdisputeの際、何か提案したい事があったら、まず”WITHOUT PREJUDICE"を文章に挿入し自案を提示する事が望ましい。それが合意に至らなくても、この文言を付与した場合、決してその提案をした範囲までは妥協していた、とは後で看做されないからである。(ただ米国の一部の州ではこの効力がない、という判例もあるらしい)

2009年3月 6日 (金)

期間限定

水曜日に仕事から帰って妻が意気揚々と何か言っている。「期間限定エビス・ザ・シルク、今日が発売日だとチェックしていたんだけど、帰り道のスーパー2件に寄ったらなくて、最後に行ったコンビニでやっとゲットした」。彼女いわく、エビスはもともと麦芽が100%なのだが、それは大麦の事で、今回のは小麦をブレンドして絹のような口当たりのビールだと言うことらしい。ドイツで言うところの「ヴァイツェン」というビールのような味だろうとのこと。彼女は夏ぐらいからこの「ヴァイツェン」にハマっており、岩手のローカルブランドである銀河高原ビールを時々買っては大事に冷蔵庫に貯蔵してあるのである。

さてエビス・ザ・シルクをやっと見つけたコンビニで、お茶のペットボトルに鉄道ミニフィギュアがオマケで付いているのを妻はまた見かけ、その中のブルートレインセットをつい買ってしまったようだ。私に言わせるとこれ以上モノを増やすなと言いいたい処だが、ビールについでこれがストレス解消なのであれば仕方ない。女性は、こういう限定商品に弱いのであろうか。

さて肝心のビールであるが、「ちょっと小麦が弱いなー」と生意気にのたまうが、まぁ本人は発売日に買ったことで満足しているのだから良かったじゃないかと思う。

写真は左が「エビス・ザ・シルク」、右が我が家の常備ビール、「エビス・ザ・ホップ」
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2009年3月 5日 (木)

三河島事故

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160人の死者を出す大惨事となった、常磐線・三河島での列車衝突事故は、昭和37年5月3日憲法記念日の午後9時37分頃に起こった。田端操車場を出発したD51に牽引される下り貨物列車が、常磐線の下り本線に入る合流地点の赤信号を見落とし冒進、安全側線に突っ込んだ後、下り本線上に脱線転覆。そこへ上野発取手行きの下り電車が衝突し、下り電車は上り本線上に脱線、ここに上野行きの上り電車が突っ込んで 「国鉄戦後五大事故」に数えられる大事故になった。赤信号見落としを防止するATS(列車自動停止装置)の採用が促進される契機になった、鉄道史上注目される悲劇的事故であった。

さて最近、鉄道ジャーナリストの梅原淳氏のホームページ 「鉄道よもやま話」 にこの事故に関して興味深い考察があるのを発見した。これによると、貨物列車の機関士の赤信号見落としは、実は見落としでなく、赤信号が青に変るであろう事を見越して、意図的に速度を落とさなかった事にあると云う。 「出発信号が進行に変ると信じ、そのまま石炭を投入した」 という機関助士の供述があるとされている。この指摘、国鉄の乗務員のたるみが原因とする当時の論点と違っていて注意を引く。この考えが今までどれほど関係者・専門家の中で取り上げられて来たのかは判らないが、素人の私には非常に印象深い考察で、氏の考えを検証してみたく春めく昼休みに三河島へ行ってみた。

写真は、三河島駅下りホームの東端から水戸方面を望んだものである。奥に見える3本の信号のうち、一番左の赤信号が、下り貨物線 (一番左の線) が常磐線下り本線 (左から二番目の線) に合流する地点の、 「貨出」 (貨物線出発信号機) である (その先は4車線が3車線になっている)。貨物線から常磐線下り本線に入ろうとした貨物列車は、この左端の赤信号を見落として冒進、その先にあった安全側線を突き破り脱線転覆して事故の第一原因を作ったとされている。さて三河島駅東端からこの「貨出」までの距離はグーグルマップで計ると約370米である。一方撮影地点から上野方面を振り返ると、田端操車場から出て来た下り貨物線が撮影地点まで1000分の12の勾配で登って来ている。

事故の第1原因の貨物列車は45輌であったから1輌8米とし機関車D51の全長20米を足すと380米になる、当時の劣悪な貨物列車のブレーキ性能を考え、「貨出」の赤信号で余裕をもって止まろうとすると、貨物列車の後部のかなりの部分は1000分の12の上り勾配の中に停車せざるを得ない事が判る。「貨出」で停止した後、後部が1000分の12の上り勾配で停止している貨物列車を、常磐線下り本線に余裕をもって引き出す事は、当時のD51ではそう容易な事ではなかったのではないだろうか。

当時は、主な貨物輸送は鉄道に頼っていた時代である。操車場を出て荷物で満杯になったブレーキの効かない重い貨物列車に、牽引力や加速に劣る当時の蒸気機関車が坂を登って来た処だった。電車の行き交う本線に、運行に支障にならない様に乗り入れるのは、名人芸の様なハンドルさばきでスピード調整をしつつ、停止する事なく赤信号が青に変るのを見越して運転していたのでは、と考える梅原氏の論は慧眼と言えよう。今日現場に寄った私も、その可能性が大いに考えられると、感じたのであった。 日常的にここでは、そういう運転が行われていたのだろうか、ただ事故の日は、運悪く脱線した貨物列車に突っ込んだ常磐線下り電車は、ダイヤよりわずかに遅れていた為、常磐線に流入する信号は貨物列車の機関士の見越しに反して、赤から変らなかったのであろう。

もはや事故の真相はわからないが、わが国が高度成長を始める頃、貧弱な車両・設備で、輸送の需要を一手に賄っていた当時の国鉄の実態である。 ダイヤの遵守には、現場の名人芸や職人技に頼った部分もあったかもしれない。そんな時代背景が三河島や当時の国鉄の事故の要因であったかもしれないと、三河島駅で佇みながら感じたのだった。

2009年3月 4日 (水)

東京再生

2016年に東京にオリンピックを誘致する運動が、盛り上がってきた。低公害でコンパクトな五輪は世界への良いメッセージ発信の機会だし、経済活性の糸口にもなる。今日の日経新聞に依ると、東京の一人当たりの公共投資額は17万円で島根県の40万円の半分以下、また東京への投資は地方圏よりも2~4倍のGDP押し上げ効果があるそうである。オリンピックを機に東京で金を使おうと東京の住民は考える。

オリンピックが東京で開かれるとなったら、これを契機に、こんな風に東京を良くしてもらいたいものである。

1.河川の整備


  • 日本橋の首都高速道路の地下化。

  • 京橋川や八丁堀を復活させ、都心を水の都に。

  • 神田川、日本橋川や古川などに遊歩道を。

2.道路、空港の整備


  • 圏中道、外環道など環状道路の整備。

  • 立ち退きを渋る住居の強制排除で、都内の道の拡幅・整備。

  • 羽田空港の完全国際化。

3.公園の整備


  • 東大など公的教育、各研究機関や周辺団体の郊外移転。

  • 官舎などの郊外移転で余剰になった土地の民活と緑化。

などなど、何やら東京出身の政治家の公約みたいになってしまったが、是非都市問題で悩む大都市圏に金は使って欲しいものである。

2009年3月 3日 (火)

運輸安全委員会

国交省の外局・運輸安全委員会のホームページで鉄道事故調査報告書を見ていると、2007年~2008年の2年間だけで、脱線・衝突などの鉄道の事故が32件報告されているが、その中に脱線事故が21件もある事に驚く。中には踏み切りで自動車と衝突して脱線したり、新潟地震によって脱線したりしたものもあるが、いわゆる「せり上がり脱線」「輪重抜け」脱線が調査中のケースも含め相当ある様で、鉄道というノリモノはいまだに、実は「微妙」な安全性の上に成り立っている事を実感する。

鉄道模型をやった事がある人なら誰でも経験する事だが、何百回と同じ線路を同じ模型車両が通過していても、ある時ちょっと微妙に速度が違った時などに車両が脱線する事がある。その後何事もなくその箇所をまた車両が通過する事もあれば、不思議に同じ箇所で脱線が連続したりする事もある。その時はその車両をごく低速で運転しながら、目を線路に平行にして、喰い入る様にどの車両のどの部分が脱線するのかを調査し、微妙に線路の勾配を直したりするのが大方であろう。運輸安全委員会の報告書を読んでいると、本物の鉄道で起こる「せり上がり」「輪重抜け」事故も、こういった模型で起こる脱線のケースにどうやら近いものであるかの様に感じる。

報告書によると、これらの事故の原因は、カーブやポイントで車輪に横への圧力が掛かり、レールの微妙な具合や、車輪の研削の状態によってレールと車輪の摩擦が大きくなった処(すなわち車輪がうまくカーブを廻って行かなくなった時)に、特定の車輪に車体の重さが掛からなくなって車輪がレールに乗り上がり脱線に至ると言う事らしい。数年前の日比谷線中目黒駅での事故の様に、それまで数分おきに同じ型の車両が何万回走っていても何もなく、ある条件の下でこの脱線が起きると云うから、調査したり予防したりする立場の関係者は、模型での脱線とは比較にならない様々な条件の中、人身の安全を問われる重圧を受けて原因を究明しようとしている事であろう。

車輪とレールが、こんなデリケートな関係であるとすると、例えば高速で走る新幹線や、あまり線路状況の良くない地方のローカル鉄道などはもっと心配になるのだが、どうやらこの種の脱線事故、低速で走っている車両、それも乗客の乗っていない車両重量が軽い時に起こる事が多いらしい。また専門家によっては空気ばねで車体を支えるボルスタレス台車が事故の一因と言う人もいる様である。鉄道が生まれてから200年、日本でも130数年になるが、まだこんな基礎の”キ”みたい事が解明されていないと云うと、鉄道も造船と同じ「経験工学」なのだな、と感じると同時に、そんな微妙な欠陥を持っているシステムの探求こそ、素人は素人なりに興味も湧いてくるのである。

我が家のエース”EF60”と"EF81" 
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2009年3月 2日 (月)

シャングリラ・ホテル東京

シャングリラ・ホテルが東京で開業した。標準的な部屋がな、なんと7万円との事でこの不景気に威勢の良い事と、のけぞってしまう。

我々が東南アジアに出張する時、ちょっと気張ってシンガポールやマレーシアのシャングリラホテルに泊まると、支払いはコーポレート料金で大体2万円ちょっと、という感じであったろうか。我々クラスではいずれにしても3万円以上するホテルは出張では使えなかったから、少し前まではシャングリラのmore or less 2万円というのは安心して泊まれ、快適かつリーズナブルと言う感じであった。

需給やコーポレートでの利用者数、季節などでホテルの料金が様々に変わるのは、理解できるものの、大会社の社長でもない我々が海外で時々利用できるコンラッドやシャングリラ・クラスのホテルが、東京では法外な値段になっているのはどうにも理解に苦しむ。コスト的にも今やシンガポールは東京都とそう差はないはず。いくら東京都心の一等地に開業したとしても、なぜこれだけ大きな彼我の差なのか?

そういえば、クルマもアメリカの自動車雑誌を見ていると、為替が100円でも同じ型式のドイツ車などが日本で売られているより米国では安く手に入る。整備点検などで日本では新車販売にややコストが掛かる事を割り引いても、いまだに日本の消費者は、舶来品の「いいカモ」にされているのではないだろうか。

シャングリラホテルの親会社であるPCLというシンガポールの海運会社のManaging Director(社長)K.K KUOK氏とは昨秋、フネの仕事の話で、銀座で一緒にテンプラを食べる機会があった。もし今度会う機会があったら 「この値段は景気をぶち上げるには良い話だけど、これでは誰も泊まらないよ」 と言ってやりたいものだと思った。

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